まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

寒桜 カメラマンの手に 念珠あり

2017年02月13日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2.6度から9.2度、湿度は86%から60%、風は3mから5mの西の風が一時は強かった。明日の14日は、気圧の谷や寒気の影響で、概ね曇りで、朝は雨や雪が降る見込みらしい。

 

 月曜日は資料館も図書館も博物館もお休みなもので、ぽっかりと空いた日をどこですごそうかと考えて、久々にここに来てみた。

 

  丸亀市綾歌町栗熊西にある「梵音山真興院福成寺」という浄土真宗本願寺派のお寺さんである。

 

 ここには、このように、住職さんが植えたとされる「寒桜」があって、今を盛りと咲いている。通りかかったおじいさんが、「一ヶ月も咲いたら、散り出したのぉ~」と、独り言を言いながら歩いて行った。一ヶ月前いうたら、1月の13日やないかい・・。そんなに早くから咲いておったんかいな・・・。

 

 「寒の桜は強いのぉ~。染井吉野は一週間から十日で散るけんのぉ~」と、もう一人のカメラマンにも話しかけて通り過ぎた。そっかぁ・・、もう、終わりなのか、道理で人が少ない筈だ。

 

 この、福成寺の開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗した。後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職であった幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。

 

 了圓の後、 長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第二世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ・・・とある。諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建され、天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。

 

 そんなことを、本堂の上の額に詳細に書いてある。ご本尊様に合掌お念仏。

 

 風が吹くと、ハラリ、ハラハラ・・・と花びらが散っていく。

 

 香川のNHKのテレビもラジオも、この話題ばかり。さぬき市沖のなまこ猟の網に、この「白いナマコ」がかかったというている。で、さぬき市大川町にある「雨滝自然科学館」という所に移されて展示されている。数年前にも、同じようなことで、そこで展示されていて、そのときの画像である。突然変異で白くなったものだが、非常に珍しいものだというていた。

 

 昼から、担当区域内を歩いてパトロールしてきたが、今年は梅の花が少ないなぁと思う。菜の花はあちらこちらで見かけるけれど、ふきのとうは全く見かけなくなった。

 

 人影は見かけないが、サルの姿だけはあちらこちらのひだまりで遊んでいる。

 

 もう、そのあたりは排泄物だらけ。気をつけて歩かないと・・・。

 

 東かがわ市の「湊川」沿いに行ってみたのだけれど、そこに植えられた「河津桜」はほんの数輪が花開いた程度。ここの見所はまだ先のことのよう・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「よく自分に問うてください。一度きりの人生をどのようにいきていくのかを・・・・」というもので、今日、お邪魔した「福成寺」さんの入り口にあったもの。「よく自分に問うてください。一度きりの人生を、どのように生きるかを。善人になるより、悪人と気づくことのほうが難しい。」というのが元の言葉らしい。山本有三さんの言葉に「たった一人しかない自分を たった一度しかない一生を ほんとうに生かさなかったら 人間に生まれてきた甲斐がないじゃないか」とある。私たちは一度きりの人生をどう生きるかを、よく自分に問うてみなければならない。人生は何が起こるかわからないもの。時にまさかということも起こってくる。いつ人生が終わるかもわからないのだから、まさに、いまが大事なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春そぞろ 静御前の 墓の花

2017年02月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね晴れていたが、午後からは曇りで、夕方まで雨や雪の降る所があった。気温は2.2度から7.6度、湿度は86%から64%、風は3mから4mの西風が吹いて冷たい一日になった。明日の13日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 先週に引き続いて、今日もおへんろつかさの会のウォーキングコースの下見の日。中央に見える大石神社まで、私とみゆきさんの「木村コンビ」の二代の車に分乗してやってきて、ここから、「木もれ日のみち」という「四国の道」を歩いて「鍛冶池」まで行く。

 

 この日の参加者は6名と運転手2名。歩き部隊はここから「古墳」を見学しながら山道を進むが、私とみゆきさんは、車で先回りをして「鍛冶池」で待つことにする。

 

 この「大石北谷古墳」は地元では、「ばくち場古墳」というらしい。古墳時代後期の円墳とのこと。

 

 こういう横穴式石室が残されている。

 

 今日のコースは長尾町の字の左上から鍛冶池を経由して「川上古墳」から北上して、87番札所の長尾寺で解散となる。

 

 途中、丸井古墳などを見学しながら展望台経由で鍛冶池に向かう。

 

 ここが鍛冶池畔にある「静薬師庵」。その昔、義経亡き後、母磯野禅尼とこの地に落ち延びた静御前が亡くなったとされている場所である。右手奥の白い石碑が静御前のお墓。ここで皆さんと合流。

 

 これが、静御前のお墓とされているもの。侍女「琴路」は静が亡くなった七日後に、この鍛冶池に身を投げたと言われており、そのお墓もここにある。

 

 今日の鍛冶池には若者数人がルアー釣りを楽しんでいた。

 

 次に向かったのが「川上古墳」。古墳時代中期後半ごろの古墳とされ、朝鮮式の古墳だということだった。

 

 私とみゆきさんは、先回りをして長尾寺で待つことにした。その間に、お寺の裏にある墓地を見て回った。墓地の入り口には歴代住職の無縫塔があって、村岡大僧正のお墓も確認できた。

 

 庭園をお掃除していた庭師さんにお願いして「お庭」に入れてもらった。落ち葉もなく、きれいに掃除されているのが印象的だった。

 

 どうしても見ることのできなかった、この句碑を見せてもらった。長尾寺の中興の祖、村岡住職の句碑である。「春風や 人ある限り いろは歌」と刻まれている。また、自蔵園楠蔭と号して俳借をよくし、ことに長尾俳壇の中心として、いまにその流れを汲む者、山下抱月をはじめ数多く、その命日には楠蔭忌として句会が続けられている。

 

  今日の掲示板はこれ。「終わりと初めは遠くて近い 失敗したら出直すだけさ」というもの。また、別な掲示板では、「終わりと初めは 遠くて近い どん底落ちれば また 出直すだけさ くよくよするなよ なにこれしきと 不屈の闘志でよみがえれ」というものもあった。ま、落ちたら立ち上がればいい。失敗したら、もう一度やってみればいい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


うどん屋に 水仙がある あたたかさ

2017年02月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は強い冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて、雪や雨の降る所があるらしい。気温は2.6度から6.2度、湿度は80%から66%、風は4mから8mの西風がやや強かった。明日の12日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 あんまり必要でもないのだが、あんまりにもしつこくメールをよこすものだから、ついつい、クリックしてしまった。

 

 ホームページビルダーのV21である。新しくなったと言っても、私にとってはさほど必要でない機能ばかりが追加されているばかり。しまったしまった、島倉千代子。

 

 クラシック版というのはすぐに更新できるようになったのだが、SP版というものがある。例の「おへんろつかさの会公式ホームページ」というのは、会長がSP版で作ったので、以降は、私が更新しているのだが、これがまた面倒なのだ。

 

 本当は、「初心者でも簡単に作れます」というもので、難しいことを覚えなくてもすぐにホームページができてしまう。ところが、更新しようとすると、元のソースがどこに格納されているのかわからない。

 

 そこで、プロバイダーのサーバーにアクセスしてFTP(ファイル転送システム)で、送り返してもらうのだが、それがなぜだか、去年のデータ。そんなもの使える訳がないが、最初から作り直すよりは少しはまし・・・かな。

 

 10時半過ぎに、けいこばぁと、お兄ちゃんを迎えに施設に行った。着替えとか頼まれていたCD集とかも運び込んで・・・。

 

 その後、さぬき市宮西というところにある、セルフのうどん屋さんに行った。先週は「一般店」だったので、今週は「セルフのお店」ということでここにした。讃岐のうどんは、こんなのもあるんやで・・というところを見せたかったらしい。なにせ、さぬきうどんを食べたのは、「仁尾太陽博覧会」の時に、途中のこんぴらさんの参道で食べて以来・・だというから、実に38年も昔のことらしい。

 

 私は、冬場限定メニューの「しっぽくうどん」の小。たしか、360円だったような記憶。

 

 兄ちゃんには、ここだけのメニューの「溜うどん」。当店の看板メニューで、こだわりの南高梅に鰹節、溜のオリジナル醤油と山芋を絡めるもの。これの中(2玉)を、おいしそうに食べてしまった。

 

 奥方は、いつでもどこでも「かけうどんの小」である。

 

 その後、スーパーで果物を買った。どうしても、施設だと果物が不足するのだという。

 

 その後、再来週の25日に、兄ちゃんの奥さん、義理の姉さんがここにやってくることになった。こちらは、特別養護老人ホーム。兄ちゃんの盲養護老人ホームとは、向こうに見える渡り廊下で往来ができる。今日は、その打ち合わせだった。部屋の大きさを確認して、どれくらいの荷物が必要かなどなど。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生見えない事ばかり。だから面白い!」というもの。今回の句碑探し、歌碑探しは全く先の見えない作業ばかり。全く、暗闇の中で手探りでやっているようなもの。この先どうなるの?とか、将来の不安を感じても仕方がないではないか。今の状況から先がわかる人などいないのだ。とにかくやるしかないと、行動ひとつで将来は変わってくる。そう思って、行動してみるしかないのである。昨日より今日、今日より明日が楽しめまるというもの。ワクワクするではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雪やんで 犬の散歩を せがまれる

2017年02月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、強い冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、雪の降っている所があった。気温は3.6度から6.2度、湿度は78%から60%、風は4mから9mの西の風が一時は強かった。明日の11日は、引き続き冬型の気圧配置となるため曇りで、昼過ぎから夕方は雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝方は粉雪が舞い降りてきて、見る見るあたりが白くなってきた。今日は奥方の大切な検診日。介護施設の職員がインフルエンザやノロウイルスに冒されると大変なことになるので、特別検診だからと、早めに出かけていった。

 

 そんな中、自治会員さんから、「うちの横で竹がケーブルに倒れかかっているの。雪で切れたら大変やから、竹を切るように連絡してちょうだい!!」との金切り声。「はい、先日に連絡して手配しております」と答えたら安心したみたい。

 

 そんなに心配せんでも大丈夫。最近のケーブルは、讃岐の雪では切れたりはしない。すぐに雪はあがって青空が見えてきた。現場はこんなもの。枯れた竹が、北風で折れて倒れた物。案ずることは何もない。

 

 雪はすぐにやんでしまって、溶けて流れ出した。

 

 雪はやんだことだし・・ということで、香川県立図書館へ、借りた本を返却に行った。用事が済めばさっさと返却しておく。

 

 寒いせいか、駐車場はガラガラ・・・。館内にも人影は少ない。

 

 で、五冊の本を返却して、またも、五冊の本を借りた。

 

 今度は民俗関係の本を五冊。「両墓制」と、「葬送儀礼」、「娘遍路」の資料調査のためである。

 

 この二冊が実に興味深い。

 

 お昼過ぎに、ケーブルネットワークの協力会社さんが、竹を切りにきてくれた。本来ならば、ケーブル側が被害者である。自分ちに竹が倒れかかって来たら、当然、竹の持ち主に文句を言うはず。ケーブルに傷でもついたら、保障問題にもなる筈。それを住民は、ケーブル側に竹を切れ・・・というのは筋が違うと思う。ま、前自治会長が、そう、しろ・・と言うので、ケーブル側にお願いしたけれど。

 

 ハイ、終わった、終わった、尾張名古屋は城で持つ。

 

 午後からは借りてきた本の中から、「遍路墓と葬送」とか、「三野町の両墓制」という部分をスキャニングした。人間はいつか死を迎える。遺体がが発生する。遍路墓や両墓制は見逃せない事実なのである。

 

 この部屋から見る限り、雪はない。しかしのかかし、一つ山を越えたら、きっと、雪の積もった里があるのだろうなぁと思うことだった。

 

   今日の掲示板はこれ。「迷いの岸から悟りの岸へ 合わす手と手が渡し船」というもの。さすが、いいことを云うなぁと思った言葉だった。彼岸とは、仏さまの悟りの世界、それに対して私たちの住む世界を此岸と呼んでいる。 この二つの世界の間に流れているのが三途の川。この川には、その名の如く火途(地獄道)・血途(畜生道)・刀途(餓鬼道)の三つの瀬があり、人は死後、その行いや罪の重さによって、いづれかの途を渡らねばならないと云う。これでは向こう岸にたどりつくのは無理。ほとんどは川に溺れ、今以上の苦しみを味わう事になってしまう。そこで仏さまは人々に「今までの生き方を悔い改めよ」と懺悔の法を説き、救いの〝船〟を用意されるのだ。どんなに大きな石でも、船に乗せれば水に浮かぶように、罪の重さで、苦しみの底に沈もうとする人々に、大切なのは素直に反省する心である。たとえ小さな針でも、そのままでは水の底に沈んでしまうもの。迷いの岸から、悟りの岸へ。あなたの合わす手と手の中に、仏さまの〝渡し舟〟はいつでも用意されているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


黄水仙 今日の一歩は 温かい

2017年02月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は低気圧の影響で全般的に曇っており、雨や雪が降っている所があった。気温は2.9度から8.5度、湿度は90%から68%、風は1mから6mの西の風が一時は吹き荒れていた。明日の10日は、冬型の気圧配置となるため曇りで、朝は雪が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 朝からしっとりと雨になった。本来ならば雪になる筈の雨。今期はまだ、雪が積もったことがない。

 

 奥方が、「ガソリンがないから借りて行くね~」と、私のムーブに乗ってお仕事に出かけていった。

 

 仕方がないから、私が奥方のアトレーに乗って給油スタンドへ。こういうことが何回かある。ひどいのは、「パンクしているから借りて行くね・・」とか、「バッテリーがあがったから、借りるね・・」というときもあった。そうなると、車屋さんに連絡して、直るまで待たないといけない。

 

 県道の防災工事は雨の日でも続けられている。昔は、「土建屋殺すに刃物はいらぬ。雨の三日も降ればいい」というような言葉があったし、私らも「電話屋殺すに刃物はいらぬ。雨が三日も降ればいい」などと言って、工事はお休みになったが、すぐに「雨具を支給しとるんだから、雨でも仕事に行ってください」と、雨でも外に出されてしまった。

 

 さて、市役所からお兄ちゃん宛に、「個人番号カード継続使用について」という文書で、暗証番号の設定用紙が送られてきたらしい。本来は、奥方がやるべきものだが、代わりに、書類を市役所に出してきて欲しい・・というので、施設にやってきた。

 

 で、暗証番号を記入した用紙やら、マイナンバーカードと身障者手帳を預かって、さぬき市役所に向かうことにした。

 

 市役所で、暗証番号の変更処理をするにも十数分ほど待たされた。そういえば、私もマイナンバーカードの暗証番号なんぞ覚えていないなぁと思いながら・・・。

 

 この前に、お兄ちゃんにパソコンを持って行ったのだが、マウスがないと仰る。確か、マウスは使わない・・とか言うていたように思うのだが。だから、量販店に立ち寄って、

 

 マウス1個を買って・・・

 

 施設に戻って、個人番号カードと身障者手帳、マウスを手渡して戻ってきたらお昼前になっていた。

 

 午後からはデスクワーク。自治会の会計処理とか、我が家の財務管理とか・・・

 

 おへんろつかさの会公式ホームページの更新作業とかをやっておれば、すぐに16時が来てしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲しいものはたくさんあるけれど 必要なものはそう多くない」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。若い頃には「あれも欲しい」「これも欲しい」と思っていたが、年のせいかどうかは知らないが、あんまり欲しいものもなくなってきた。欲しいものと言えば、 新しいパソコンとかタブレット端末だとか、レーザープリンターとか・・・。でも量販店でながめていても、「必要かなぁ」と考えるとどうでもよくなってしま う。衣類でも図書でも似たようなもので・・・「欲しいものはたくさんあるけれど、必要なものはそう多くない」。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


迷い道 冬の日暮れの 早いこと

2017年02月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは曇ってきた。気温は1.0度から8.2度、湿度は82%から63%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の9日は、低気圧や前線の影響で概ね曇り、朝まで雨や雪が降る見込みなのだとか。

 

 愛用のノートPCは、インストールを繰り返しても回復せず、とうとう画面が点滅してしまい、壊れてしまった。数年も使ったから寿命だったのかも知れないが、まったく恨めしい自動更新だったと腹立たしいばかり。

 

 で、昨日に届いた、Windowse7のノートPCに、アプリケーションを組み込んで、全く同じ物に作り上げていく作業をやっていた。

 

 このノートPCには、Office2010が搭載されていて助かった。うちのものは、もう、何台にも乗せたものだから、認証を受けるのが面倒だった。

 

 ここには、4台のプリンターもあるので、それらのインストールとか無線LANの設定とかも済ませた。

 

 そうして、同じような仕様のノートPCが4台と、デスクトップPCが1台ができあがった。どれが故障しても通信やデスクワークが停滞しないようにしてある。主なデータ類はハードディスクに保管して共有しているから慌てることはないが、微妙にデータが食い違うことがたまにある。

 

 愛用のノートPCは、廃棄してしまうことにした。

 

 お兄ちゃんが使っていた電話機は、私の部屋に取り付けた。

 

 その子機は、奥方の枕元に置いた。昨日に買った電話機の子機は私の机の上に置いてある。こうしておけば、私の部屋に情報が集中することになる。携帯電話は滅多に出ないことにしてある。あくまで緊急用ということで。

 

 この一週間ほどは、ノートPCの遅さやフリーズとかでイライラしたし、Windowse7への切りかとかでもやもやしていたが、これで、どうにか落ち着くことができた。

 

 お昼からは、民自協の定例会。お役所からのお願いばかりで終始した。

 

 私の担当区域は全くの異常なし。1時間ほどで終わってくれてほっとした。明日が空き缶の回収日なもので、空き缶を集積場まで運んでおかないといけないし、奥方のお布団や洗濯物の取り込みとかもあるし、最近は「主夫」のお仕事が大変だ。

 

 自治会長と民児委員ほかをやっているもので、来客やら電話が多くなって、ドアホンとか玄関チャイムとかを取り付けたり、電話を二重三重に新しくしたりとバタバタしたが、こちらも一応片付いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「災難が来ぬように祈るのが信心ではない どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です。」というもの。この世は無常である。常なるものは何もない。「ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらず」と言われるように常に変化している。「時間よとまれ」ということはありえない。無常なるがゆえに、一寸先は何が起こるかわからないもの。一寸先は闇。いくら一生懸命努力しても、勉強しても、頑張っても、結果はどうなるかわからない。どっちに転ぶかもわからない。どっちに転んでも大丈夫といえるものを身につけていなかったら、結果が悪かった時、とても苦しいし、辛い。仏法を聞くとは、どっちに転んでも、災難がきても、思い通りにいかなくても大丈夫というものを得ることである。災難が来ないように祈るのが信心ではない。この世は必ず、生老病死の苦しみに会うところ。祈って無くなるものでは決してない。生きていれば必ず別れや死がある。与えられたことを引き受け、それを乗り越えていくしかないのである。その乗り越えていく力を得ることが信心だというているのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


寒牡丹 私が私で あるように

2017年02月07日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね曇りで時折、小雨が降っていた。気温は4.2度から8.2度、湿度は75%から62%、風は3mから4mの北西の風が冷たかった。明日の8日は、気圧の谷の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 朝、8時前に、自治会の会員さんから、太い竹が倒れて光ケーブルが切断されそう。至急、ケーブル会社に連絡して切ってもらって・・・」という連絡が。ま、枯れた竹が強風で倒れたもの。ま、連絡はしておいたが、夕方に見たときはそのまんまだった。

 

 今日は火曜日だということで、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤した。さすがに、この時期の「歩きへんろ」の方は一人、二人・・・。

 

 今日の出勤者は男性4名、女性3名になった。作業は大詰め段階。どのように展示をするかを考えていた。

 

 このような新聞が何枚か発見されて、ああだこうだと読みふけっていたり。中には、新聞紙で袋を作っていて、その袋を開いてしわを伸ばしたりの作業になった。

 

 画像化の作業も大詰め。ただ、紙のサイズがまちまちで、立ったり座ったり、スタンドでは画面が入りきらず、手持ちで撮影したりと苦労している。

 

 お昼からは量販店に出かけていって、テレビ工事と電話工事の部品や機材を買った。

 

 お兄ちゃんちのテレビを奥方の寝室に置いて欲しいという。お兄ちゃんはラジオで十分だし、CDラジカセやパソコンがあれば十分だという。で、昨夜、工事をしたら、私の部屋のテレビが見られなくなった。そこで、新しい分配機を買ってきた。

 

 地上波とBSを分ける「分波器」も用意した。

 

 何が悪かったのか、今日は二台とも正常に、地上波、BSともに見られるようになった。

 

 電話機の工事も終わった。最近は自治会長だ、民児協だ、レキ研究会だ、おへんろつかさだと、電話がよくかかるようになった。一階のリビングで奥方が電話を受けても、二階の書斎に転送しなければならなくなったのだ。

 

 私は40年も通信会社にいて、電話で暮らしてきて、もう、電話は大嫌い!と、パソコン通信やらメールやらでやってきたのだが、最近は、そうもいかなくなった。そこで、一階から二階へ転送してもらう必要ができたというわけ。

 

 それが終わると、今度は奥方のご用で、掛かり付けのお医者さんで薬を処方してもらって、

 

 お隣の薬局で薬を調剤してもらって・・・

 

 家に戻ると、宅配屋さんが待っていて、amazonに注文していたノートPCが届いた。まだ、隣では、Windows7のインストールを延々とやっているが、再再インストールをやりなおしても、動作が遅くて使い物にはならない。何がどうしたというんだろうか・・・。最後には、カラーフラッシュイするようになった。だめだな、これは・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せという文字には 辛いと字が かくれている」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったものだが、誰の言葉かわからなかった。でも、似たような言葉を、星野富弘先生が書いている。「辛いという字がある。 もう少しで幸せになれそうな字である。」 辛いことを乗り越えた先に、どんなことが期待できるかをイメージしよう。いまは苦しくて辛いかもしれないけれど、そこだけを見て意識してしまうと、いつまでも負の循環から抜け出せない。辛さを乗り越えれば、希望が見えてくるというものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


お遍路の 防寒衣と すれ違う

2017年02月06日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、午前中は晴れていたが、午後からは概ね曇りで雨の降っている所があった。気温は8.2度から10.4度、湿度は74%から55%、風は9mから5mの西風が強く吹いて、体感的には冷たい一日になった。明日の7日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 おへんろつかさの会長から、「大窪寺門前に午前8時45分集合」という連絡を受けて、大窪寺に着いたのが8時40分。今日は3月のウォーキング「るんるん♪春へんろ」の下見をするということだった。で、私はいつものように車での伴走の役目。

 

 左上の88番大窪寺から、一部、旧へんろみちを歩いて、途中からはマイクロバスに乗って、10番切幡寺に向かうというもの。今の歩きへんろの方でも、このルートを歩いて、1番札所の「霊山寺」に向かう人がいるという。

 

 会員さんの中には同じ姓の人が多い。この青い車のご婦人さんが「みゆきさん」、私は「お上人さん」と呼ばれている。ともに同じ姓だからである。こうして伴走しながら荷物の運搬などを担当する。今日の参加者は6人と伴走者2名である。

 

 途中の産直のお店で休憩したり、お買い物をしたり。この「長野」という集落からは、二台の車に分乗して、直接、切幡寺に向かう・・・。

 

 切幡寺の山門脇に車を置いて、ここから333段の石段を登る。皆さん、健脚だ。いや、私の足が軟弱なのかも。ゼーゼーハーハーと大息をしながらついて行くのがやっとである。

 

 何度か来たことがあるが、この石段はきつい。

 

 でも、境内の紅梅が満開できれいだった。

 

 皆さんは多宝塔などを見学したりお参りをしていたが、私とみゆきさんは、彫刻を見たり、瓦の彫り物などを見て楽しんでいた。

 

 これがみゆきさん。

 

 これが客殿の屋根瓦。鬼瓦でもなく、鴟尾(しび)でもなく、しゃちほこでもない。

 

 反対から見ると、鯉のようでもあるし、何だろう・・・。

 

 途中、この「犬墓大師」にも足を伸ばすそう。犬を連れてこの地の山に分け入った弘法大師が猪と遭遇したところ、その犬が弘法大師を猪から守った。しかし犬は、誤って滝壺に落ちてしまい、犬の死を憐れんだ弘法大師が犬の墓を立てこの地を犬墓と名づけたと言われている。墓は享保(1716~36)の頃、犬墓村庄屋松永傳太夫が造ったとされている。

 

 最後は、大窪寺門前の「八十八庵」で、打ち込みうどんでの打ち上げになった。伴走者のみゆきさんと私は「ごちそう」になった。

 

 強い西風で冷え切った体には、このあたたかさがご馳走だった。

 

 午後からはお兄ちゃんの部屋に、ノートPCとプリンターを持って行って接続した。はてさて、これをどんな風に使うのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日こそ明日こそ 弁解しながら 過ぎて行く日々」というもの。下級貴族の子息であった親鸞聖人(幼名を松若丸といった)は、両親と幼くして死に別れた。生活に困窮していたであろう親鸞聖人は九歳でお得度されたのだったが、その時の話が次のように伝えられている。得度のために青蓮院の慈円和尚のもとを訪れた時には夜も更けていた。「もう遅いから明日に得度をしましょう」といった慈円和尚に、親鸞聖人は「明日ありと、想うこころの仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたということである。「今、咲いている桜も、夜中の嵐で明日には散っているかもしれません。それと同じように、私の命も無常の世にあって明日がないかもしれません。どうぞ、今日のうちに得度させてください」という親鸞聖人の懇願に、慈円和尚はすぐに得度の儀式をとりはからったのであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


一仕事 終えて水仙 雨宿り

2017年02月05日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は前線や低気圧の影響で、雨が降っていた。気温は5.8度から13.4度、湿度は92%から82%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の6日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 朝から雨になっている。奥方は「研修」とかで、午前7時過ぎから出かけていった。迷犬ごんは、「雨がいやだから」と散歩にも行かない。

 

 そこで、借りていた本を返却するために、香川県立図書館に行って来た。

 

 アセビのつぼみも膨らんできた。少しずつ、春めいてきている。

 

 今日は日曜日ということで大勢の方が新聞を読んだり、雑誌を読んだりと楽しんでいる。で、いつものように、五冊の本を返却して、また、五冊の本を借りてきた。

 

 明治の頃の「造田村」のことや、造田神社の記録などをまとめたものらしい。

 

 肩のこらないものを・・ということで、小学生の書いたものを選んでみた。我が町の言い伝えや名所なんぞをまとめたものである。

 

 この話、「おじょろ松」という伝承が書いてあった。今の、この集落に伝わっている話である。私が子供の頃には、二代目の大きな女松があって、まつたけ狩りの時には、その松に登って遊んだものだったが、いつしか、有名な松も枯れて倒れてしまった。

 

 そのことを、「大川町史」を開いて調べていたら、奥方が研修から戻ってきて、「これをインストールして欲しい・・と言うとるよ」という。目の不自由なお兄ちゃんが、プリンターをどうやって使うんだろう・・・と、考えながら、梱包を解いて(全くの新品)、接続して・・・

 

 インストールした。しかしのかかし、「LAN接続」が、何度やってもいまくいかない。

 

 この、ノートPCは、Windowse10で、私がどうやっても、カーソルが動かない。兄ちゃんは「マウスは使えない」と仰るが、矢印キーではマウスは動かない。パッドを使っても動かない。仕方がないから、私のマウスを接続して作業を始めたが、ブラインド用に音声ガイドシステムが入っていて、やたらとしゃべるから、どうにも気が散ってはかどらない。

 

 最後の手段で、USB接続して、どうにかインストールは終わったが、これを何のために使うのかが疑問。

 

 このプリンターの説明書を斜め読みしたが、「点字プリンター」だとは、どこにも書いていない。確かにカラーインクもセットしたのだが・・・。

 

 ま、言われたことだけをやっておけばいいのかも・・。ということで、短い冬の日が暮れようとしている。

 

 今日の掲示板はこれ。「悟りの花は どこに咲く 悩みの池の 中に咲く」というもの。お遍路に出るきっかけはさまざま。リストラや失業や退職、不登校から病気、怪我、失恋・・・さまざまな悩みを苦悩を抱いて人は遍路に出た・・・。そして、涙を流し、雨に打たれ、嵐に揉まれながら、再生していく。感謝や奉仕や悟りを得て、再び人は社会へと戻っていく。悟りはお釈迦様だけの専売特許ではない。「生かされている」、「感謝の心が生まれた」、「思わず合掌した」・・・。それらだって立派な「悟り」ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


すぐそこに 梅の花あり 六地蔵

2017年02月04日 | さぬきうどん

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷の影響で曇ってきた。気温は2.7度から11.8度、湿度は96%から61%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。日中は車の中は暑くて、窓を開けると快適だった。明日の5日は、低気圧の影響で曇り、朝から昼過ぎにかけて雨が降るらしい。

 

 朝方は霜がうっすらと降りていたが、すっかりと春めいたような一日になった。恒例の担当区域内パトロールを約1時間ほどやってきた。相変わらず、人っ子一人として出会わない。犬が三匹ほど、元気よく吠えたくらいなものだった。

 

 さて、私の愛用のノートPCが動かなくなった。Windows10の自動更新後、何かのスクリプトが走り続けていて、HDDにアクセスしっぱなし。だから、通信もメールの送受信も不可能になった。そこで、古い、Win7のノートPCを接続して代行している。

 

 昨夜、おへんろつかさの会長からのメールで、行事案内を公式HPに掲載しなければならなくなったが、会長の作成したHP(ホームページビルダーSP)は簡易型のシステムだが、ソースデータは特殊な所に格納されていて、コピーしたり、抜き出したりができないようになっている。

 

 システム本体はダウンロード版なので、インストールはできるのだが、肝心のデータがなければ、最初から作るしかない。でも、本来はデスクトップで作業していたものを、ノートPCに複製したのだから、何かの方法があった筈。あれこれとやってみて、プロバイダーのサーバーのデータをダウンロードして、それを読み込んでみると・・・

 

 無事、ノートPCにデータが復活した。でも、これは最初の一回きり。二回目以降は、また、見えない部分に格納されてしまうのだ。なんで、そんな複雑なことをするのだろうか。

 

 今日は立春だからと・・・

 

 たまごが立ったような不思議な気分になったものだった。

 

奥方がお昼から戻ってきて、施設に入っているお兄ちゃんを誘って、さぬきうどんを食べに行くのだという。何を思ったのか、「おうどんが食べたい」「さぬきうどんが食べたい」というのだとか。

 

 ということで、奥方の好きな一般店の「うどん亭いわせ」に入った。施設からだと、車で10分程度の場所にある。

 

 お兄ちゃんは「素うどん!」というのだからおかしい。神戸では「素うどん」というものがあったんだろうか。奥方とお兄ちゃんは「かけうどん」、私は少しばかりお値段する「しっぽくうどん」。で、私とお兄ちゃんには生ビールの中を頼んでくれた。

 

 「さすが、さぬきうどんはおいしいわぁ・・」と、感激しっぱなしだが、ここは、普通のおうどん屋さん。全国からの「うどん通」が集まるお店ではないし、食べ慣れているせいか、そんなに感激するほどのものではない。

 

 うどんを食べ終わると、山の旧宅に仮保管してあった、お兄ちゃんのCD類の入った段ボール箱三つを運び入れた。目が不自由だから、音楽を聴くのが唯一の楽しみらしい。山の旧宅には、まだ、三つの段ボール箱が残っている。童謡から歌謡曲からクラシックからとCDの山が、見事に四畳半ほどの部屋に入りきるのだろうか。

 

 そうそう、昨日、部屋に机が入ったという。落ち着いたら、ノートPCを置くのだという。パソコンで何をするつもりなんだろうか・・。プリンターもインストールして欲しいと言うのだが??

 

 昨日の節分の続きのような今日の掲示板。「自分に都合の悪いことを 様々な鬼に仕立てあげる私」というもの。誰でも自分がかわいいものだし、自分は正しいと信じているから、自分の都合の悪いことは他人に転嫁してしまおうとするもの。とは云うても、隣の人を悪人にはできないから、鬼のせいにしてしまう。鬼という言葉は的確ではないかもしれないが、「あの人」を鬼にしてみたり、「あんな人」という鬼を作ってしまったりして・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅咲いて まっすぐだから 傷ついて

2017年02月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.9度から12.4度、湿度は88%から58%、風は3mから4mの西の風が少しばかり。すっかりと春になったような暖かさだった。明日の4日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で昼前から次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 昨日に引き続いて、義兄の転入手続きである。今日は奥方が休めないので私の役目になった。まずは、午前9時過ぎに「さぬき市大川支所」に寄って、どんな書類が必要かを確認してもらい、メモ書きにしてもらった。また、委任状はどう書くのか・・とかも確認した。委任状は義兄の自筆だというのだが、あんちゃんは「筆文字」が書けない。点字で書いたのでは役所が困る。

 

 メモを持って、義兄のいる施設に行って、メモ書きされた「介護保険証書」やら「マイナンバー通知カード」などを預かって、

 

 再び、「大川支所」に戻り、手続きを始めたら・・・

 

 マイナンバー通知カードではなく、

 

 マイナンバーカードを預かってきてしまった。これだと、さぬき市本庁でないと処理できないと言われた。さらに、「身障者手帳」や「年金などの収入証明書」も持って行くようにと言われた。

 

 仕方がないから、またも施設に戻って、あんちゃんに必要な書類を探してもらうが、これまた、時間がかかる。ようやく探してもらった書類なんぞを預かって、さぬき市志度にある「さぬき市役所」に向かった。時計は早くも11時前になっている。

 

 転入処理はどうにかできたのだが、マイナンバーカードのパスワードがわからない。義兄に携帯電話で確認したが、そんなものは覚えていないという。事実、私もマイナンバーの暗証番号などは覚えていない。それでは困るので、暗証番号再設定通知書を施設宛に送るので、それ以降になるという。

 

 それが終われば、今度は「福祉課」で年金関係の手続きだから、またも、「委任状」が必要だと仰る。おかげで、施設の住所や電話番号、義兄の生年月日から旧の住所何度を覚えてしまった。まぁ、明日になれば忘れるのだろうけれど。

 

 正午の音楽が流れて、ようやく手続きが終わって解放された。やはり、田舎でも半日仕事なんだなぁと実感したことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のことしか 考えられない人を 鬼と言う」 自分のことしか、今のことしか考えられない鬼のような生き方をしているのが現代人であり、そして私ではないか。今、問題の原子力発電所を考えてみても、原発を稼働して出てくる核のゴミ、 核廃棄物は処理できないのだ。埋めることも捨てることも出来ない使用済み核燃料。そんな放射能の恐怖におびえる生き方を子孫に残そうとしているのである。たとえ鬼でも恐縮して、申し訳ないと、鬼であることを自覚し、少しでも迷惑をかけたくない、と考えて、他のことを考えて生きる道があるはず。しかし、鬼が鬼と知らず、正しいことをしていると威張り散らしているのはいかがなものだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅咲いて 今日の日記を 書き終える

2017年02月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.2度から10.5度、湿度は80%から54%、風は3mから5mの西の風が少しばかり。明日の3日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さて、「お兄ちゃん(義兄)」のことである。奥方のけいこばぁのお兄ちゃんを神戸市からさぬき市の施設に引き取った。ところが、住所がそのままだから、介護施設の費用が引き落とせないのだという。まずは、転居届をしてから、銀行の口座を切り替えないといけないのだという。

 

 ということで、けいこばぁの運転手として神戸に向かったのだが、私は右目の白内障が進んできていて、時速80Km以上は怖くて走れない。おまけに西風が強くて、鳴門海峡大橋や橋梁部では車が浮いて、揺れて、怖くて速度が上がらない。

 

 おまけに、血圧を下げる薬と同時に利尿剤を飲んでいるものだから、サービスエリアごとでトイレ休憩をすることになる。そうしても、緊張で血圧が上がってあぶら汗が出るし、頭が痛くなる。手が震えるし、目がかすむし、悲惨な状況・・・。

 

 明石海峡大橋なんぞでは40Kmから50Kmほどで走行する。西風が強くて、軽の箱バンは右に左に揺れ回る。「タブレットは持ってきたの?」と奥方に言われて、さらに血圧が上がる。忘れてきたのだ。奥方の車に「ナビ」はない。高速を降りたら迷路の神戸の街だ。私はどこに行くというのだ。

 

 そこで、覚えている所、垂水ジャンクションで降りて、親戚の「よしつぐさん」ち近くから、奥方の実家近くから国道2号線に降りて、この目的地にたどりついた。時間は、およそ2時間で到着した。

 

 そこからは、奥方と青春を過ごした街を歩いて、JRの兵庫駅まで歩いて行って。このあたりもすっかりと変わっていたが、駅舎内はもとのまんまだった。

 

 兵庫駅近くの中華料理店で昼食を食べた。とくに印象はない。

 

 そこから、市営バスに乗って、「兵庫区役所」へ出向いて、義兄の転出処理。簡単に終わると思ったのだけれど。

 

 3番窓口で「住所移動届け」をしたら、本人ではないと言われて敗退。私が別室で書類を書いて、委任状を書いて・・・時間かせぎをしてから、再度、窓口で処理してもらい・・・。

 

 こういう街を意味もなく歩いて時間稼ぎしてから、再度、区役所に戻って窓口に行って処理。

 

 すると、後期高齢者年金、身障者年金係、介護保険処理と、窓口をたらい回しみたいに回されて、最後に、転出書類を交付してもらって、実に、このフロアだけで2時間あまり。時計をみたら、14時を過ぎている。タクシー代を自腹で払って、義兄の住宅へ戻る。そこで、イスだの、トイレの掃除用具だの、書類ラックだのを積み込んで四国を目指す。

 

 帰りには、時速70Kmで走るトラックの後ろにくっついて、それでも、2時間ほどでさぬき市に戻ってきた。こんなにも高速走行が恐ろしくなるとは・・。もう、次には高速は走れそうもない。

 

  今日の掲示板はこれ。「人の数だけ鬼はいます。いえ、それだけ仏さまもおられるのです」という塩見行雄さんのことばから。「渡る世間は鬼ばかり」は実感するけれど、そんなに仏さまがいるとは思えないけれど、家族にとってみれば、やさしい仏様なのかなぁとは思ってもみたり。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬晴れは 犬に散歩を せがまれる

2017年02月01日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、午前中は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷の影響で概ね曇り、一時小雨もふっていた。気温は1.2度から10.3度、湿度は94%から62%、風は1mから6mの西の風が一時強かった。明日の2日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、寒気の影響で朝まで曇る見込みのよう。

 

 昨日の俵札調査の時、「寒川郡長尾西・稲荷庵」というお札が話題になった。現在、そういう庵はどこにもない。そこで、おそらく、この「塚原稲荷神社」だろうということになった。そこで、ここを訪ねてみた。

 

 ずいぶんと高い場所にあるものだ。ここは、塚原という地区の鎮守として、「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」を山の神として祀っていた。江戸時代後期の文久2年(1862)に、京都伏見から「正一位稲荷大明神」を勧請し、「経納山稲荷神社」とし、別当を「稲荷庵」とした。だから、お札には「稲荷大明神」と、狐の絵が描かれていた。

 

 石段はきついから、裏道から登ることにした。

 

 これが稲荷山古墳と呼ばれ、さぬき市長尾西西塚原の尾根の先端にある。墳丘は鍵穴のような形をした「前方後円墳」と呼ばれているもの。墳丘の規模については資料が不足しているため複数のデータがあり、明確ではないが、後円部の径20mで、墳丘全長は40mとなっている。

 

 葺石が墳丘に施されていたとみられており、壺形埴輪などが採取されているし、墳丘には埴輪の配列がなされていた。発掘調査が1989年に行われている。主体部は2つ確認されていて、後円部頂中央にある埋葬施設は第1主体とよばれ竪穴式石室となっている。

 

 竪穴式石室は全長6.05m幅0.9mと測られている。後円部頂北寄りにある埋葬施設は第2主体とよばれ竪穴式石室となっている。古代において、この讃岐地域は双方中円墳が数多く作られた特異な文化圏が営まれていたらしい。この稲荷山古墳はさぬき市の史跡に指定されている。

 

 これが最初の「山の神」だろうか。この近くには、いくつもの古墳が確認されている。

 

 こちらが、現在の「稲荷神社」である。

 

 10月の第二日曜日が例大祭で、これが実にユニークなおまつりである。新旧二つの神輿の渡御があり、氏子たちが「あばれ」と呼ぶにわかみこしを担ぎ、本みこしを押しのけて大暴れする。

 

 「あばれ」は、工夫をこらして作ったもので、渡御の終わりには、池の中に放り込んだり、見物客を引っ張り込んで池に落としたりするのが特徴。参加した国会議員さんまで投げ込まれてしまうし、見物人も池の中に突き落とされる。その豪快でユーモラスな地域の人々の大らかさを感じさせるお祭りである。

 

 「お太夫さん」も地元の若者で、風刺をきかせた祝詞を自作で演じるのがおもしろい。隣の人は雨傘と稲穂を帯にしているのが目印。これで農作物の豊穣を祈願するとされている。

 

 最後にはおみこしまで投げ込んでしまうし、担ぎ手たちも池の中に飛び込んでしまう。これを「塚原のあばれみこし」という。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間は自分の都合で鬼と言い、福と言う」というもの。本多恵さんの「いのちのことば」から。いつかの掲示板にも関連するのだけれど、自分を閉ざすも開くも、ものごとの善し悪しも、鬼も福も、自分の意識次第だというているのである。私が見ている空も、海も、山も、雲も、雨も、嵐も、自分のこころ次第で良くもなったり、悪くもなったりするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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