まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花曇り 歴史の遠さを 知らされる

2017年03月16日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は寒気の影響で概ね曇っていた。気温は3.6度から12.2度、湿度は88%から62%、風は2mから1mの北西の風が少しばかり。明日の17日は高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 どうにもおなかが張るようで息苦しくなるので、少しばかり運動を・・ということで、担当地区内パトロールに出た。ごらんのようにひっそりとした地区である。

 

 一人暮らしのお年寄りの安否確認なのだが、デイサービスに出ていたり、親戚の家に行っていたりで、ほとんどの方にお会いできない。8軒ほどを訪問したが、安否確認できたのは、お二人だけ・・・。

 

 こういう本を図書館で借りたのだが、私は50年代後半から60年代頭の時代だから、大きく時代が違う。70年代はニクソンショックとかオイルショックとかの時代。娘が生まれた時代でもある。

 

 こういう本を眺めながら、「50年代 小学生歳時記」というものを作らないと・・・、と、考えた。そうだ、「俵札調査」も、一応、けじめもついたことだし。

 

 で、小学生時代の素材集めをやりながら・・・

 

 ぼつぼつと、メモ書き、下書きを始めた。

 

 こんなものもあったなぁと思い出しながら・・・。私の仕事には「企画書」とか「シナリオ」とかというものはない。「思いつくまま」なのである。講演会でも、法話でも、思いつくままなのである。シナリオを作っても覚えられない。

 

 60年前のもの・・・と言われてもねぇ・・・。

 

 今日のお昼はこれ。でも、こんなたくさんは食べられないので、半分はぽちのエサ。ずいぶんとおなかが小さくなってしまった。

 

 先日のおへんろウォークの時、ゲストさんから、「あ・・よっちゃんの・・」という声がした。「そうよ、よっちゃんの・・・よ」と、役員のあっこさんの声。時折、そういう声を聞く。「よっちゃん」というのは、私の弟である。

 

 そこで、この中学校の時の卒業写真を調べようと借りてきたもの。

 

 もう、57年も昔のことだから、誰が誰だかわからない。ましてや、弟のクラスだと全くわからない。

 

 今日の掲示板はこれ。「かけた情けは水に流し 受けた恩は石に刻む」という、町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。逆に、「受けた恩は水に流し、かけた情けは石に刻む」生き方のほうが多いというもの。「○○○を教えてあげたのに」とか、「△△を世話してやったのに」とか、「□□のとき助けてあげたのに」などと、「してあげたこと」に執着するのは、かけた情けを石に刻むようなもの。私たちは、そんな生き方ばかりをしているように思う。ふと、そんな私に気付くこと、そんな気づきを大切にして、一日を感謝したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


深呼吸 して木蓮の ただ白さ

2017年03月15日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていたが、午後からは晴れ間が見えてきた。気温は4.5度から11.5度、湿度は79%から62%、風は3mから7mの西北西の風が強かった。明日の16日は冬型の気圧配置が緩み、高気圧に覆われてくるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 ふと、気がついたのだが、我が家のそばを流れる水路に水が流れている。昨年は一度も水が流れることはなかったのだが、ようやくに、「みろく奥池」の改修工事が終わったのだろうか。

 

 さて、新規会員さん用の「名札」を作ることになったので、名札用紙に添付されていた「ラベル屋さん9」というアプリをインストールした。ところが内蔵されている「テンプレート」は二つだけ。こんなんでは役に立たないので・・・、

 

 ジャストシステムの「ラベルマイティ9」でやってみたのだけれど、「名札」そのものを作る機能がない。仕方がないので、バージョンアップ(有料)して、「ラベルマイティ17」にした。それでも、「名札」とか「IDカード」という項目はない。今時、「つり下げ名札」が作れないなんて、どうしたことだ。でも、印刷用紙には「ラベルマイティ適用」と印刷されているのに・・・。

 

 気分転換に「香川県立図書館」に行って来た。借りていた本を返却するためである。5冊の本を借りていたが、2冊ほどしか読めなかった。やはり、専門書は難しい。

 

 今日は寒いからか、駐車場はガラガラ・・・。館内にも人影は少ない。アセビの花が膨らんできている。

 

 専門書はあきらめて、今回は写真集にした。

 

 こういう本も借りた。

 

 中身は、こんな感じ。私らも神社の境内で、先輩たちにやらされたものだった。先輩が鞍馬天狗だったり正義の味方で、私らは下っ端のさむらい役だった。

 

 広い道はおそろしいから、車の通らない山道をトロトロと走っていたら・・・、

 

 上空にヘリコプターが飛んでいる。山火事消火の訓練らしい。

 

 香川県防災航空隊所属の「オリーブⅡ」である。時々、この「門入ダム」で消火訓練を行っている。

 

  緊急運航として、離島や交通の不便な地域からの救急患者の搬送や遭難者などの救助、林野火災における消火活動、災害時の緊急物資や人員などの輸送、他県の災害時の応援などをやっている。通常は災害訓練や広報活動などに使われている。

 

 今日は風が冷たかったが、若者が数人、キャンプをやっていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。 まったく悩みのない人生などあり得ません。生きるということは、すなわち悩みと共に歩くことなのです。という枡野俊明さんのことばから。枡野俊明(ますの しゅんみょう/1953年2月28日-/男性)さんは、神奈川県横浜市出身の曹洞宗の僧侶で作庭家。神奈川県にある建功寺の住職を務める人物であり、禅の 思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動で国内外から高い評価を獲得。日本造園設計の代表を務めるほか、多摩美術大学環境デザイン学科教授や ブリティッシュコロンビア大学特別教授も兼任している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


沈丁花 うかぬ顔する 郵便夫

2017年03月14日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は6.6度から12.5度、湿度は89%から55%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の15日は、冬型の気圧配置となり、概ね曇る見込みらしい。

 

 今日も「前山おへんろ交流サロン」にご出勤。小雨でワイパーを動かしながらの移動になった。

 

 すると、いきなり、「こっち、こっち」と、長尾公民館前山分館に向かった。この土曜日に、「俵札調査報告会」が行われるので、会場の確認。マイクを操作しているのが、和田館長さん。

 

 会場の確認が終われば、こちらの、「前山地区活性化センター」の研修室に移動。慌ただしいことだ。

 

 で、今度は、報告会の打ち合わせ。何時に集合して、会場設営して、あれして、何して、お茶は何本、何箱用意して・・・と。私も一応、発表者。

 

 私は「資料整理」ということで、私がまとめた記録集について10分程度、お話をする。

 

 

 外ではおじさんが何かの木を植えている。もう、雨はあがったみたい。

 

 三月になれば、ぼつぼつと歩き遍路さんがやってきている。今日も若者が二人、ここで休んでおられた。

 

 平成25年の春、総会の時に、「誰か、パソコンできる人いませんか・・」というので、手を上げたばかりに、ずるずると、間もなく4年。毎週、火曜日ごとにやってきて、もう、四年・・・。

 

 今日も、10期生の名札を作れ・・というので、電気屋さんに来たのだけれど・・・

 

 こういう名札用の印刷用紙が見当たらない。仕方がないから、amazon.com ででも探すとしようか。これもまた、全くのボランティア。

 

 そうそう、昨日のこの本、皆さんに渡したのだけれど、「うぁ・・文字ばかり・・」ということで、話題にものぼらなかった。ま、当面の報告会のことが頭いっぱいなのかも。

 

 先だ、先だと思っていた報告会も、もう、すぐそこ。それが終われば自治会総会。

 

 今日の掲示板はこれ。「思い通りにしようとする心が苦しみを生む」というもので、町内の善楽寺さんにあったものから。私たちは自我があるので皆、思い通りにしたいという心を抱いている。この思いが強ければ強いほど、思い通りにいかなかったとき、腹が立ち、怒りがわき起こる。苦しみもわき起こる。苦しみの原因は、自分の思い通りにならない自我が起こしているのである。そのことに気づいていたら、苦しみの原因がわかれば対応できるのである。自分が正しい、お前は間違っていると強 く言えば、相手は傷つく。そういうときは控えめに話した方がいい。少しでも相手を思いやる心があった方がいい。「正しいことをいうときは少しひかえめにするほうがいい、正しいことをいうときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい。」吉野弘「祝婚歌」より

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨垂れに そっぽ向いてる 沈丁花

2017年03月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎにかけて雨の降る所があった。気温は6.0度から13.7度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の14日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 天気予報では午前中は曇り・・ということだったが、我が家では細い雨が降り続いていた。だから、犬の散歩もなし。

 

 で、小雨の中をさぬき市役所まで走ってきた。この頃には小雨も上がってきたようだった。

 

 例の義姉の個人番号カードの再設定である。暗証番号を忘れたので、一旦、リセットしてしまってから、再度、暗証番号を設定するそうだ。本人じゃないから、二週間もかかってしまった。

 

 これで、義兄夫婦は「さぬき市民」になった訳だ。市民を二人も移住させたのだから、市長さんから感謝状でも貰いたいものだ。

 

 それが終わると、奥方の口座から現金を引き出して・・・

 

 この機械の操作にもすっかりと慣れた。

 

 現金封筒を買って、親戚へお祝い金を送って欲しいとの奥方からの伝言である。ま、これも先日にやったばかりだから、難なく完了。でも、昔は「封緘紙」という切手みたいなものを張ったように思うが、あれは、もう、なくなったのか。

 

 さて、昨日の作業の続き。「島の乙女たちと娘遍路」という冊子の試作版ができた。それを元に校正し、修正し、印刷することにした。前山の俵札のメンバー用である。

 

 表紙だけは、少し厚めの紙でカラー印刷にした。これを五部作成。

 

 製本もできあがった。これでバッチリ。明日、みんなに見て頂く予定。

 

 裏表紙の印刷段階で、カラーインクが切れてきた。が、まだ、交換しろというアラームは出ない。

 

 お昼からも雨になった。だから、今日のウォーキングも、担当地区内パトロールもやめにした。今日もなんだかおなかが張るようで息苦しい。ちゃんと、利尿剤も飲んでいるのに、トイレの回数が少ない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は楽ではない そこが面白いとしておく」という武者小路実篤さんの言葉らしい。いつもお世話になっている、町内の善楽寺さんの掲示板から。

 

 こういう、画文集のタイトルである。器の中で寄り添うカボチャ、トマト、タマネギ、ニンジン、ピーマンの絵に「仲よき事は美しき哉」と書いてあった記憶が残る。カボチャとトウガンを並べて書いて、「君は君 我は我也 されど仲よき」なんていう言葉もあった。変な画家だなぁと思ったものだが、武者小路 実篤(1885~1976)が高齢になって描いた絵と文には何だかホッとさせられたもの。80を過ぎてからは作品に年齢も記載するようになった。「もっと働きたい」(88歳)、「桃栗三年 柿八年 達磨は九年 俺は一生」(89歳誕生日)・・・。「桃栗三年 柿八年 暁光大馬鹿六九」う~む。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ほっとして 春の息吹を 知った朝

2017年03月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で、夜には雲るらしい。気温は1.6度から13.2度、湿度は90%から57%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の13日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前から昼過ぎにかけて雨の降る所がある見込みらしい。

 

 天候はすっかりと春の気配だが、少しばかり空気が冷たい。ちゃんと薬を飲んでいるのに、今日はおなかが重たい。トイレに行く回数も少ないように思う。だから、少しばかり運動を・・・ということで、担当地区内のパトロールに出た。

 

 どこまで行っても人には会わない。窓には白いカーテンがかかっているし、玄関はぴったりと閉じられている。自動車にも出会わないのだから寂しいものだ。

 

 道の駅まで行くと、さすがに大勢の人がいる。産直市場には野菜やお花を買う人が並んでいる。

 

 ぐるりと回ってきたら、少しばかりお勉強をしておく。来週というか、今週というか、今度の土曜日、18日までに作らなければならない論文集である。

 

 本当ならば、今日と明日に、島の家に行くつもりにしていたんだけれど、今日は奥方のお友達が来て会食するそうだし、明日には義姉の個人番号カードの手続きに行かなければならないのだと。だから、今日はお勉強という訳。

 

 90%の原稿はできているので、画像を張り込んだり、見出しの統一を図ったりする段階。

 

 すると、あちらこちらで、引用文の重複があったり、同じ論文を重複していたりする。それらの整理もやっておく。

 

 参考書や引用先などの「参考文書」の整理とか、目次の作成とか・・・。

 

 画像の張り込みに時間がかかってしまった。

 

 あらかた、整理ができたら、奥方が、「カラオケやりたいから準備して・・・」とか、「選曲できなからやってちょうだい・・」とかと声がかかる。

 

 そうかと思うと、「もう、帰るので、片付けてちょうだい・・・」とかなんとか。

 

 伊吹島にも行かねば・・・と、思いつつ、とうとう行けずじまい。正式印刷になる前には、一度、行っておかねば。今年の4月29日には行けたらいいのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬる命を生きているんじゃない。み仏に生まれる命を今生きている」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。感動法話 『死ぬる命を生きているんじゃない』 釋順章さんの法話の中で紹介されている言葉から・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=x4k3TEMAsbI

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


草萌えて 種蒔く支度 し始める

2017年03月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.3度から13.2度、湿度は89%から48%、風は2mから3mの北西の風が少しばかり冷たかった。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で、夕方からは曇る見込みらしい。

 

 今日もすっかりと春の気分。風は少々冷たいが、風がやめば暖かくなった。山ではウグイスがあちらこちらで歌い出している。

 

 天気がいいからと、お布団を干して、二階部分には掃除機を掛けておいた。こう言うと、簡単そうに思うだろうが、お布団を持ち上げようとすると心臓や肺を圧迫するために苦しくなる。だから、重い物は持ち上げられない。

 

 二階の掃除が終われば、地区内一周のウォーキングをしてから、さぬき市立図書館に向かった。先週に借りた「岡田牛養」などの本を返却するためである。さらりと読めば、それでおしまい。

 

 ま、ここにも読みたい本はたくさんあるのだが、なかなかに読めそうな本は少ない。「闘う海上保安庁」とか「世界の潜水艦」とかいう勇ましい本を手に取ったが、「今、これを読むかなぁ・・」と考えると、元に戻してしまう。

 

 で、結局の薬局で、こういう本になってしまった。

 

 この本は実に興味ある本である。サルは「死」を認識しているかどうか。「死」とは「概念」であるとか、「墓(はか)」は「ほかす」から生まれた言葉だとか・・・。民俗学者から見た「死生観」や葬儀の歴史や今後の姿などなど。

 

 我が家の梅は満開状態だが、その隣の「サンシュユ」の花も咲き出した。ハクモクレンやミモザはまだまだ・・・。

 

 今日のお昼はこれ。案外とおいしいと思う。

 

 今日、娘婿の「トオル君」がエアコンの移設準備のために来る・・というので、出歩けない。

 

 1月の28日に、神戸の義兄の家にあったエアコン2台ほかを我が家に運んできた。義兄たちは養護老人ホームに入ったので、このエアコンは不要になった。これを島の家に運んで交換することになった。

 

 で、このエアコンを今日、車に積み込んでおいて、来週の18、19、20日で、移設するという段取りだったのだが、この週には別の用事が入ったというので、下見と、機体番号などの確認だけになった。

 

 ま、私も18日には「俵札調査報告会」があるし、19日には集落内にある「地神宮」の掃除と例祭が入っている。私的には「やれやれ・・」だが、奥方は何年ぶりかの広島訪問だっただけにがっくりするだろう。

 

 ということは、明日、明後日の、日・月と、島に行って来られるのか。15日から京都の周平君たちが島の家に行くので、確認やら掃除やら、冷蔵庫の整理やらをやっておきたいのだ。それに、軽トラのパンク修理も・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「あなたを待つ時間の長いこと あなたといる時間の短いこと 計れば同じ時間なのに」というもの。相田みつをさんの言葉らしい。「時間が過ぎ去っていくのではない。われわれが過ぎ去って行くのだ」これは西洋のことわざである。「時は流れない。それは積み重なる・・・・」と、これはウィスキーのテレビコマーシャルの一節。これもなかなかうまい。しかしのかかし、耳に心地良く響き、なるほどと思わせるがよく考えてみるとこの二つの言葉の意味は正直言って、あまりよく分からない。が、このような言葉に惹かれるのは「時」という不思議さのせいなのかもしれない。もう少し「時」について考えてみよう。「時の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように早く飛び去り、過去は永久に静かに立っている」ードイツの詩人シラー。これぞ、名言中の名言ではあるまいか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


無骨さを そのままにして 寒椿

2017年03月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は5.8度から13.0度、湿度は67%から48%、風は3mから6mの西北西の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 いよいよ春かなぁ・・という気持ちのいい朝になった。

 

 私のホームページをしばらく更新していなかったので、予定表などの追加や修正などをやっておいた。

 

 ついでに、おへんろつかさの会の公式ホームページも追加と修正をやっておいた。

 

 最近、水をよく飲むようになった。毎日、ペットボトル(525ml)を6本から10本ほど飲む。飲むからトイレに行くのか、トイレに行くから水を飲むのか、どっちやろ・・・。

 

 水ばかりではつまらないからと、時には粉末のお茶や昆布茶を入れて飲んだりする。

 

 お昼からは研修会があるからと、社協(社会福祉協議会)大川支所に11時半集合・・ということで、社協のマイクロバスで高松に向かう。

 

 今日はJR高松駅近くにある「サンポートホール高松」の大ホールでのお勉強会である。

 

 ここで、「香川県新任民生委員児童委員研修会」が行われ、昨年12月に任命された700名あまりが参加したらしい。

 

 講師は「KT福祉研究所」代表の松藤和生さん。民生委員の役割や任務などについて、おもしろおかしく、ためになるお話で、私は笑いっぱなしだった。

 

 ただ、困ったのがトイレ。バスに乗る前にトイレ、会場についてトイレ、講演中に3回もトイレ、終わってトイレ、バスを降りるとすぐにトイレ・・・。それだけ水分を出したら、のどがひどく渇く。だから水を飲んでしまうし、お茶を飲んでしまう。でも、出さないと呼吸困難になってしまう。

 

 お茶を買おうとしたら、例の子がまたしゃがんでいる。今日は「帰らない」の一点張り。「でも、ここは危ないから車の通らない所にお座り・・」と、安全な場所に移動していただいた。はてさて、どうしたもんじゃろうかいのぉ。

 

  今日の掲示板はこれ。「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角があるまんまと聞こえなんだか」という、小砂説教所跡にあったお皿の言葉から。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありが たかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいが のぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるま まお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


風受けて 枯れる葉もあり 芽吹きあり

2017年03月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は寒気の影響で概ね曇り、雨や雪の降っている所があった。気温は2.1度から10.5度、湿度は88%から54%、風は3mkら7mの西の風が一時強かった。明日の10日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方はみぞれだったり、粉雪だったりしたが、すぐに雨はあがってきた。今日こそは、島の家に帰ってこなければ・・・と決めていたのに、またしても奥方がヤボ用を積み上げる。

 

 まずは、義姉の「きみえ」さんの個人番号カードの継続手続きである。2日の日に手続きに行ったのだが、私ではいけないということで、施設に入っている義姉に確認の書類を送り、それを奥方が受け取って確認し、私が代理人ということで、今日の手続きになった。

 

 ここの市民課も四度目で顔なじみになった職員さんもできた。普通の手続きは、旧町の支所でできるのだが、「マイナンバーカード」だけは、ここでないと受け付けてもらえない。

 

 でも、「パスワードが違います」ということで、「再度、書類を施設に送るので、後日、その書類を持って来るように」ということになった。パスワードの変更はできないので、「リセット手続きをする」ので、その「承認」が必要だと言うのである。「泣く子と役所には勝てない」のだ。

 

 奥方の甥っ子が大学に合格したらしい。それで、お祝い金を送って欲しいと仰るのだ。そんな面倒なことは大嫌いなんだが仕方がない。

 

 奥方と義姉の口座から現金を引き出して・・・

 

 現金封筒を窓口で買って、現金を入れて送ってもらった。

 

 昼から、東かがわ市湊川の河津桜はどんなだろうかと出かけたのだが、

 

 途中の山道(私は白内障で右目がよく見えないので交通量の多い道は怖くて走れない)をのろのろと走っていると、ようやくにふきのとうが目についた。

 

 あるところには出ているものだ。

 

 湊川土手の河津桜は満開状態。もう、緑色の若葉が見え始めている。今日は西風が強いのだが、大勢の人が車を止めてカメラやスマホをかざしていた。

 

 ここの桜も終盤戦だな、と思った。

 

 それでは・・・ということで、旧宅や親戚筋の山に行ってみると、けっこうな量のふきのとうがとれた。今年は一月ほど遅かったように思う。

 

 今日の掲示板はこれ。「北風がふいて 木は葉を落とし 南風が吹いて 木はまた芽を出す」という詩人の榎本栄一さんの詩の一節。人生もまたその通り・・・。古い葉は落ちて大地の栄養となり、新しいいのちを生むもととなる。それが全く・・・自然の営みの根本である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


紅梅は 偉人の里の 丘に咲く

2017年03月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、午前中は晴れていたが、午後からは曇り、雪や雨の降っている所があった。気温は1.9度から7.9度、湿度は74%から60%、風は3mから7mの西の風が強く寒かった。明日の9日は、寒気の影響で概ね曇り、朝まで雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝方はよく晴れていて、気持ちのいい朝になった。久々に「シャキッ」とするような朝だった。

 

 久々に、さぬき市立図書館にやってきた。ここは、午前10時開館というので、のんびりとやってきた。

 

 10時ちょうどにやってきたのだが、それでもお年寄りたちは、あちらこちらで新聞を開いている。新聞が好きやなぁと思う。暇つぶしには新聞がいいのかも知れない。私は新聞を全く読まないので、何がいいのかわからない。

 

 さて、今日、借りたのは、こういう本。

 

 そう、昨日の「岡田の牛飼い」ではなくて、「岡田の牛養」の記事である。

 

 どの本も似たようなことを書いてあるのだが、昨日の中島先生の言う、「牛養さんの碑」というものは記載がない。岡田神社と、岡田屋敷跡の記事ばかり。これほど有名な方ならば、顕彰碑とか頌徳碑とかがあっても良さそうなものなのに。

 

 どこかに見落としがあるのではないか・・ということで、「現地に行こう、現物にさわろう」ということで、「岡田屋敷跡」にやってきた。この碑は、後ろの田んぼの中にあったのだが、圃場整備の際に、この地に移設されたもの。

 

 現在の「末(すえ)」という地名は、この岡田一族が陶業で生計を立てていたから、「須恵器」の「陶」から「末」となったと、渡邊会長は話してくれた。

 

 だから、近くに、「末1号窯跡」というものが残っている。

 

 午後からは粉雪が舞う天気になったが、第二水曜日の午後は、民児協大川の定例会である。大川支所の二階がいつもの会場である。

 

 定例会のほとんどは、お役所からのお願いや研修会の案内、調査依頼とかになる。

 

 で、最後のほうに、少しだけ「情報交換」という時間があって、今日は1時間で終わった。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ1日1日を大切に、感謝の心で生きたいです」という西端春枝さんの言葉から。西端春枝(にしばた-/1922年-/女性)は、ニチイの創業者の一人として知られる元実業家、大谷派浄信寺副住職。 戦後、夫婦で行商などを行い、大阪で衣料品店「セルフハトヤ」を開店。その後、衣料品店「赤のれん」、卸問屋「エルピス」、「ヤマト小林商店」の4社が合併し株式会社ニチイ(後のマイカル)を設立。社長には夫の西端行雄が就任し、自身は人事部長や研修部長などを務めた。大谷派浄信寺副住職として講話活動なども行っているほか、大谷学園理事、商業界全国女性同友会名誉会長、商業界近畿女性同友会会長、日韓女性親善協会関西支部会長、雑巾を縫う会会長、自立人間をめざす会大阪名誉会長などを歴任。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


紅梅は 偉人の里の 丘に咲く

2017年03月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、午前中は晴れていたが、午後からは曇り、雪や雨の降っている所があった。気温は1.9度から7.9度、湿度は74%から60%、風は3mから7mの西の風が強く寒かった。明日の9日は、寒気の影響で概ね曇り、朝まで雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝方はよく晴れていて、気持ちのいい朝になった。久々に「シャキッ」とするような朝だった。

 

 久々に、さぬき市立図書館にやってきた。ここは、午前10時開館というので、のんびりとやってきた。

 

 10時ちょうどにやってきたのだが、それでもお年寄りたちは、あちらこちらで新聞を開いている。新聞が好きやなぁと思う。暇つぶしには新聞がいいのかも知れない。私は新聞を全く読まないので、何がいいのかわからない。

 

 さて、今日、借りたのは、こういう本。

 

 そう、昨日の「岡田の牛飼い」ではなくて、「岡田の牛養」の記事である。

 

 どの本も似たようなことを書いてあるのだが、昨日の中島先生の言う、「牛養さんの碑」というものは記載がない。岡田神社と、岡田屋敷跡の記事ばかり。これほど有名な方ならば、顕彰碑とか頌徳碑とかがあっても良さそうなものなのに。

 

 どこかに見落としがあるのではないか・・ということで、「現地に行こう、現物にさわろう」ということで、「岡田屋敷跡」にやってきた。この碑は、後ろの田んぼの中にあったのだが、圃場整備の際に、この地に移設されたもの。

 

 現在の「末(すえ)」という地名は、この岡田一族が陶業で生計を立てていたから、「須恵器」の「陶」から「末」となったと、渡邊会長は話してくれた。

 

 だから、近くに、「末1号窯跡」というものが残っている。

 

 午後からは粉雪が舞う天気になったが、第二水曜日の午後は、民児協大川の定例会である。大川支所の二階がいつもの会場である。

 

 定例会のほとんどは、お役所からのお願いや研修会の案内、調査依頼とかになる。

 

 で、最後のほうに、少しだけ「情報交換」という時間があって、今日は1時間で終わった。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ1日1日を大切に、感謝の心で生きたいです」という西端春枝さんの言葉から。西端春枝(にしばた-/1922年-/女性)は、ニチイの創業者の一人として知られる元実業家、大谷派浄信寺副住職。 戦後、夫婦で行商などを行い、大阪で衣料品店「セルフハトヤ」を開店。その後、衣料品店「赤のれん」、卸問屋「エルピス」、「ヤマト小林商店」の4社が合併し株式会社ニチイ(後のマイカル)を設立。社長には夫の西端行雄が就任し、自身は人事部長や研修部長などを務めた。大谷派浄信寺副住職として講話活動なども行っているほか、大谷学園理事、商業界全国女性同友会名誉会長、商業界近畿女性同友会会長、日韓女性親善協会関西支部会長、雑巾を縫う会会長、自立人間をめざす会大阪名誉会長などを歴任。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


晴れてよし 曇ってもよし 梅の花

2017年03月07日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていた。寒気の影響で、夜は雨や雪の降る所がある見込みだとか。気温は6.8度から10.6度、湿度は82%から51%、風は5mから8mの西の風が強くて寒かった。明日の8日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしいし、明け方まで雪や雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 あっという間の一週間が過ぎて、今日も律儀に「火曜日」になった。歳をとると、「教養」と「教育」が大事やで・・と、どなたかが言うていたが、それは、「今日、用」と、「今日、行く」ということで、「今日も用事があるでぇ・・」と、「今日、行く場所があるでぇ・・」ということらしい。

 

 ま、そういう暇つぶしという意味合いもあるのかも知れないが、こうしたお年寄りが集まって、「ああだ」「こうだ」と、他愛もない勉強をしている訳だ。

 

 たくさんの「紙くず」の中から「厳選」された紙切れである。これらを、どうやって展示をするのかを考える段階になってきた。

 

 「これはお寺の護符やな・・」とか、「これは神社の神符やな・・」と、並べ替えたり、置き換えたりしている。

 

 女性陣は、先日の遍路道ウォーキングのアンケート調査の集計や会計処理をやっている。この左端にいる方が中島先生というのだが、唐突に、「牛飼いさんの碑は、どこにあったんかなぁ」と言い出した。「牛飼いさんの碑なんかがありますのか・・・」と、突っ込みとボケとの漫才みたいな会話になった。

 

 聞いてみれば、空海さんの大学の先生が「岡田の牛養(うしかい)」という人で、さぬき市末(すえ)という所に永住したんだそうだ。

 

 延暦10年(791)12月、寒川郡岡田村の人岡田臣牛養ら二十烟(戸)の人々に、岡田臣の姓を賜り、牛養は大学の博士に任ぜられた。 今寒川郡の地に岡田村の地名が残ってはいないが、志度の東末に、岡田神社があり、岡田氏一族の氏神であったが、後旧末村の鎮守となったと伝えている。今は神社境内326.7平方㍍であるが、明治5年の「各村道路神社書出帳」に依ると、字岡田352番地、岡田神社境内20㌃(社建反別一畝歩、林反別一反九畝歩、此木数松百十本、但し尺周りより二尺周りまで)とある。

 

 末地区は往古「岡田村」と呼び、今なお岡田の免名、岡田屋敷跡、岡田明神、大岡田寺(霊芝寺の前身)など、岡田の名残を留めている。

 

 平成3年圃場整備事業が行われ、岡田屋敷跡が消滅し、圃地となったので平成10年ここに碑が建てられた。

 

 霊芝寺(れいしじ)は、真言宗高野山派、もと高野山金剛峰寺の末寺で、本尊は、十一面観世音菩薩である。開基は、いろいろと説があり詳らかではないが、弘仁年間(810~823)弘法大師が師である大学博士岡田牛養の追福のため創建せられたと伝えられる。東林山遍昭光院または、日内山大岡田寺と呼ばれていたが、天正11年(1583)4月、讃岐進攻の土佐・長宗我部勢の兵火に焼けたが、明暦3年、志度の僧宥春が釈迦堂を再興し、続いて山城の僧恵忍が来錫して、高松藩祖松平頼重公の助けを受け、寛文年間に堂宇を再建し、延宝4年(1676)、二代藩主頼常公が、東林山霊芝寺とあらため、翌年本堂を建立し、同8年には寺領百石を寄進した。

 

 江戸時代前期の1662年(寛文2年)、山城国西明寺の僧・恵忍が来錫し、寺院再興を発願した。高松藩初代藩主松平頼重が寺院の復興を命じ、山門が復興された。水戸藩主徳川光圀の子で頼重の養子となった2代藩主頼常は1676年(延宝4年)、寺号を東林山霊芝寺と改め本堂を建立した。

 

 しかしのかかし、「岡田牛養の碑」なるものは、どこにもなかった。碑といえば、「屋敷跡」の碑くらいなもの。中島先生、何を言うとったんじゃろうか。

 

  今日の掲示板はこれ。「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」というもの。これは、幕末の政治家・山岡鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだ歌だといわれている(東京都神社庁『生命の言葉』三月)。鉄舟は号。通称は鉄太郎。いわゆる「幕末の三舟」のひとり。(ほか、勝海舟、高橋泥舟)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。官僚であるが、同時に剣や書の 達人として知られる。弱冠15歳の時に「修身二十則」という自らへの誓いを立て、生涯守り通した。肝が太く無私無欲。駿府での西郷との単身会談はあまりに 有名。「人はとかく自分の不幸を周囲の環境のせいにしがち」と指摘し、「本来あるべき自分をただそのままに生きていけばいい」と説いているのだという。天候に関わらず常に富士の山であり続ける故郷・静岡の富士山のように、逆境にあっても自分を失わずに生きていたい。またそれこそが人の器の証明なのだが、しかしそれにしても、迷ってばかりの我が人生。晴れても曇っても泰然自若の日々が早く訪れることを願いたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅日和 とぼけた味の 花もある

2017年03月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、南海上の前線を伴った低気圧の影響で曇っていた。気温は6.5度から14.3度、湿度は94%から64%、風は1mから6mの西の風が少しばかり。明日の7日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしい。

 

 三月上旬に一度、島の家に行って来なければ・・と思っているのだが、なかなかに、その一日がとれない。もう、今日しかないと決めていたのに、またしてもお仕事が飛び込んできた。

 

 その上に、奥方が雑用を積み上げる。500円硬貨を18枚持ってきて、これを郵便局の口座に入れておいて・・という。係のおねえさんに相談すると、硬貨用の投入口が狭いから一枚ずつ入れてください・・という。面倒だったが少しずつ投入した。それでも9000円にもなった。

 

 ついでだからと、私の貯金箱の1円硬貨も袋に詰めて銀行に持って行った。

 

 銀行のおねえさんは、「硬貨が詰まりますから、投入しないでください」と仰る。で、面倒な「入金伝票」を書かされた。それでも、1,919円もあった。レジなんかが面倒だからと、ついつい小銭を出さずにおくと、1円玉が貯まってしまう。

 

 ついでに、JAさんで、自治会の通帳に「記載」のみをやっておいた。

 

 今日のメインのお仕事はここ。社協(社会福祉協議会)から、緊急通報システムを設置しているのに何の反応もない・・・という連絡があった。その方は施設に入所しているらしいのだが、どんな状況なのかを確認に来たというわけ。

 

 担当職員さんにお話しすると、「もう、必要ありませんから、私が社協さんに連絡しておきます」とのこと。もう、自宅には戻れないのだなぁと思った。「あ、奥様にはお世話になっております」と言われたのには驚いた。さらに、ここの施設長さんは、小学校の頃の幼なじみだったのにもびっくりした。

 

 帰り道、スーパーで頼まれていた食材を買って・・・

 

 目薬もついで買った。パソコン作業のせいか、老化のせいか、目が乾いて仕方がない。

 

 私が子供の頃は、こんな目薬だった。上がゴムのふたになっていて、そのゴムをペコペコと押すと目薬が出てきたものだった。

 

 祖母は、こんな目薬を使っていた。

 

 少し前までは、こんなこともやっていたなぁと思い出した。

 

 午後からは、自治会の会計処理やら・・・

 

 我が家の会計処理などをやっておいた。先日の確定申告での医療費控除もちゃんと入金されていた。

 

 その後、少しばかりのお勉強も・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」という、仙崖和尚の言葉らしい。柳の木はしなやかである。東から風が吹けば西へなびき、西から風が吹けば東へなびく。でも「柳に雪折れなし」と言われるように、柳は決して折れないという。よく、表向き人や状況に「自分を合わせる」人は、「自分がない」とか「何事も気にしない」とかいったマイナスの評価を受けがちだ。そういうケースも多々あるだろうが、確かに、人や状況に「流される」人は、そういうこともあると思う。でもその中には、その「柔軟性」が、本当の強さゆえに発揮できる人もいる。表向きの風を切るチカラも素晴らしいけれど、「折れない」チカラ、それも本当に大切だと思うわけだ。懸命に、ひたむきに生きることも大切だけれども、ちょっと立ち止まって、「明日の風に吹かれて」みるのも大事かも。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


岩水の 流れる音や 梅の紅

2017年03月05日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎからは曇ってきた。気温は5.5度から13.9度、湿度は98%から64%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の6日は、四国の南海上を東に進む前線を伴った低気圧の影響で曇り、明け方から昼前まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 すっかりと春の陽気になってきた。今日、3月5日は二十四節気の内の一つ、「啓蟄」で、暖かくなって虫たちが地上に出てくる頃・・という意味。

 

 昨日の「へんろ道ウォーク」の状況をホームページに掲載した。こちらは「概要」のページ。「詳細はこちら★」をポチ!とすれば、最初から最後までをまとめたページにリンクする。

 

 大きな声では言えないけれど、小さな声では聞こえない・・・。実は、私のブログ記事を、ほぼ、そのまんま、流用している。今風に言えば、「シェア」だ。

 

 今日は日曜日とあって、水利組合の皆さんが、水路掃除をやってくれた。草刈り機で草を刈り払い、水路に積もっていた落ち葉などをきれいに掃除してくれた。

 

 私の物ではないから、私が感謝することでもないが、我が家からすれば、周囲をきれいにしてくれるのありがたい。

 

 やはり、歩けばおなかが凹んで、呼吸が楽になる。だから、今日も1時間半ほど歩いてきた。久々の「大川ダム一周コース」である。

 

 今日の「大川ダム」はこんなもの。向こうにうっすらと見えるのは白梅と紅梅。桜のつぼみはまだまだ堅い。

 

 難関はここ。107段だか109段だかの階段がきつい。でも、休みながら少しずつ昇っていく。落ち葉が積もっていて歩きにくい。

 

 堰堤上に出れば、もう、登り坂はない。ダムの左岸を巡る保守用通路を歩いて上流、「水源」に向かう。

 

 最近は管理もされていないようで、倒木があったり、土砂崩れがあったり、落ち葉が深く積もっていたりする。ときどき、イノシシが掘り返した跡がある。ミミズでも探したんだろうか。

 

 上流に行くと、舗装路面が見えるようになる。こうなると、安心してあるけるようになる。

 

 水源から見た「県営大川ダム」。最近は釣り人の姿はない。つくしやわらびにも、まだまだ早い。あとは、右岸側を走る県道2号線を北上して戻る。

 

 ご近所の庭先に生えている「ふきのとう」。今年は、少しもふきのとうを見なかった。私が「取り尽くした」んだろうか。「時期的なもの」だったんだろうか。少しばかりさみしい春になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「往き先がわかれば 生き方がわかる」というもの。いつもの、町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。

行き先が分かれば 行き方が分かる
 往き先が分かれば 生き方が分かる (仏光寺)

 「いきさきがわかれば、いきかたがわかる」上段、下段、どちらも読み方は同じだが、使われる漢字が違うために表現されていることが少々違う。「行く」という「行」の字は、十字路をかたどった象形文字で、道の事を表現している。「行き先が分かれば、行き方が分かる」という事は、例えれば、体の調子が悪かったら、病院へ行こうと決める。病院という行き先が決まれば、いつ行こうか、どの道を行こうか、歩いて行こうか、車で行こうか等々、日々の生活の中で考えながら決断し、行動に移している。今月の言葉の通り、行き先(目的地)が分かれば、行き方(どの道路を行くか)が分かるというもの。次の往く先の「往」の字は、「むかし」「いにしえ」「いま」「むかう」「のち」「それからあと」という様々な意味がある。これは、過去・未来・現在の三世の歩みを表す言葉である。私達がどこから来て、どこにいて、どこに向かうのかという、人生の往く道を表現しているのだという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


へんろ道 法を聞けよと 鳥の声

2017年03月04日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4.2度から13.5度、湿度は94%から63%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の5日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の接近で昼過ぎからは曇る見込みらしい。

 

 今日は、「おへんろつかさの会」主催の、●「ルンルン♪春遍路」大窪寺~切幡寺●という、へんろ道ウォーキングの日。さぬき市役所に8時集合・・・ということで、私たちは7時半前に集まって準備。私の担当は「カメラマン」。

 

 今日のコースはこんなもの。ウォーキングと言っても、ほとんどがバスで、歩くのは3時間少々。

 

 バスで移動し、大窪寺門前で下車。ここで、簡単な挨拶やら注意事項の伝達がある。その後、旧遍路道、四国の道(阿讃山麓のへんろみち)を歩いて下る。胎蔵ヶ峰から流れ出た、清らかな水の音を聞きながら、早春の古道を、約1時間半ほど歩く。

 

 谷川に沿って下る旧道である。つぶれた民家や細い木もれ日の見える山道を下っていき、途中から国道377号線に出て、そこを下っていく。通称、「四つ足堂(現地蔵堂)」で説明を受ける。なおも歩いて東かがわ市五名、長野という集落からはバスに乗って切幡寺に向かう。

 

 今回の参加者は、ゲストさんが17名、サポートの会員さんが20名、計37名である。

 

 バスで移動中、途中で犬の墓という所を見学する。

 

 バスを降りて旧道をしばらく歩く。

 

 これが犬の墓だと言われているもの。青年僧空海さんを猪から守って亡くなった犬をおまつりしてあるものだとか。

 

 ここから農道を歩いてバスの待つ場所まで移動する。その後、バスに乗って、10番札所「切幡寺」に向かう。大窪寺で結願した後、10番札所切幡寺へお参りすると、お四国全ての道が繋がると言い伝えられている。

 

 切幡寺の石段は333段。長くきつい石段である。切幡山の中腹、標高155メートルに境内がある。国指定重要文化財である大塔からの眺望はすばらしく、眼下には吉野川がゆったりと流れ、前方には四国山脈の雄大な山々が連なって見える。

 

 これが、「大塔」と呼ばれているもので、初重と二重の間が方形で、日本唯一の構造様式。豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うため建立、明治6年に移築し、完成に10年を要した。

 

 今日のお昼はここ。大窪寺門前にある「八十八(やそば)庵」。

 

 もちろん、ここでは「打ち込みうどん」。みなさん、歩き疲れておなかぺこぺこ。今日は気温も高くて、着ている物を脱ぎながら歩いてきたのに、ここでも汗をふきながらのおうどんになった。今日の会費は、このおうどん(850円)込みの2,000円だった。

 

 その後は、大窪寺さんへ自由参拝。みなさん、家族や友人へのおみやげ選びにも夢中だった。14時過ぎにバスに乗り込んでお帰りになった。私はここから自宅へ向かった。

 

 今日の掲示板はこれ。「善し悪しの 写る姿の影法師 よくよく見れば 我が姿なりけり」というもの。自分の鏡に写る姿というのは、よくよく考えてみれば、自分の心の善悪を映しだしているようなものだということだと思う。影は実際の姿が地上に映ったもの だが、それは、かならずしも本当の姿ではないし、自分の心の姿が投影されたものとし、その影を、よくよく反省の材料として、見つめるべきであると教えてく れているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙に まぶしい風が ついてくる

2017年03月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5.5度から11.2度、湿度は80%から64%、風は4mから1mの西北西の風が少しばかり。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 こんなに暖かな冬は初めてのような気がする。なにせ、雪が降らなかったし、霜柱も見なかった。水たまりの氷だって薄いものを何回か見ただけ・・・。地球温暖化って本当なのかなぁと思うことだった。

 

 天気もいいことだし・・ということで、香川県立図書館にやってきた。借りていた本の返却のためである。

 

 アセビの花も開いてきた。これも昨年よりも少しばかり早い・・・。

 

 昨年は、まだ、こんな状態だった。

 

 いつもは郷土資料ばかりを探していたが、今日は少しばかり目先を変えて、専門書のコーナーを回ってみた。

 

 今日も五冊の本を返却して、新たに五冊の本を借りた。例の「両墓制」についての研究資料である。両墓制というのは、瀬戸内海の塩飽諸島あたりのものかと思っていたのだが、ほぼ全国的にあるらしい。

 

 昔は、人が亡くなると山や谷に捨てたらしい。姥捨て山のように生きたまま捨てた地方もあったらしい。やがて土葬するようになり、お墓を作るようになった。

 

 今日は担当のドクターの講演会があるということだったが、その案内文書をなくしてしまっていた。私の場合は、「左心不全」の「猿型」。もう、開胸手術しかないと仰る。でも、まだ、その度胸と勇気がない。もう少し、症状が進むまで我慢することにした。

 

 ついでに、東かがわ市の湊川沿いに植えられた「河津桜」をのぞいてみた。ほぼ、満開に近い状態。ここには、250本ほどの河津桜が植えられているとか。

 

 あれ、少し、葉っぱが出てきているのだろうか。春は、すぐそこまで来ているような雰囲気。

 

 最近、「うれしいひなまつり」の歌詞が間違っている・・という話を見聞きする。「お内裏さまとおひなさま」という部分である。「お内裏さま」というのは、「内裏におられる方」ということで、このお二人が「お内裏さま」で、正確には「男雛(おびな)」「女雛(めびな)」と呼ぶのだそうだ。

 

 また、「お嫁にいらしたねえさまに よく似た官女の白い顔」という官女の中に「既婚者」がいるという話もよく聞く話。この場合だと、真ん中の方である。

 

 我が家のチューリップもぐんぐんと葉っぱを伸ばしてきた。これも、昨年よりもずっと早い。雪も霜も知らないのだから早い筈だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている この何でもないことに躓かねば 幸せなんてわからないんだ」という浅田正作さんの言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。私たちは、朝、目が覚めて、顔を洗って、食事をして、その体が消化してくれて、トイレに行けて、歩けて、笑って、生きている。このなんでもないことには感謝もしなければ喜びもしない。「当たり前じゃないか・・・」と平然としている。なんで、この幸せに気づかないのだろうか。その幸せを知っているのは、「生きていることに、つまづいた人」、「あたりまえでない」と知った人。「今がある」ということを自覚するのが下手な私たちだけれど、「今あるものの大切さ」に気づいて、これからを生きていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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