まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

曇り空 タケノコ掘りの 夢をみる

2018年04月15日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月15日(日曜日)曇り 133-62-86  36.3  98%  62.75Kg

 夜中にトイレに行く回数が減った。回数や量が減ると、今度は体内に溜まり始めたのではないのかと不安になる。でも、誰もいない分、よく寝たと思う。九時に寝て、五時半に起床。マイペースの朝になった。

 

 ドクターが、「論文、読みました。きれいに書けてましたよ」と言ったが、「きれいに」とはどう言う意味なんじゃろうか。ま、「よく書けていましたね」くらいの意味だととらえたのたけれど。医大にも、このままで渡すとしようか。

 

 さて、先日にも話題にしたが、お見舞いに頂いた見舞い金。別のグループから頂いたものを封筒に入れて保管していたが、先日の外出の時に持って出たはずだがどこにもない。どこかに挟んだような記憶があるのだが、バッグの中を調べてもない。財布の中を探してもない。盗まれたりはしないはず。私の記憶が外れているだけ・・・。たかが数万じゃないか・・・と思っても、無くなったと思えば悔しい。

 

 どうせ、いただいたものじゃないか・・・と、思っても、少しばかり悔しい。こんな狭い病室だから、探す場所も限定されている。ホームセンターか電機の量販店には必要かもしれないと持って出たはず。何かに挟んだような記憶もあるが。

 

 論文集は形になったので、今度は「闘病日記」の体裁に回った。表紙、まえがき、目次・・、あとがき、参考文献、奥書・・・。

 

 今日も奥方が洗濯物を取りに寄ってくれた。明日は休日で裏庭の草抜きをするので来ないと言った。それはそれでいい。火曜日の法要の「衣体:えたい」の準備をお願いしておいた。

 

 夜の薬を飲もうとして引き出しを開けたとき、その封筒は、「俺を見忘れたのか・・」というように、ファイルの上段の中央に納まっていた。やれやれと、二つの封筒を一つにまとめておいた。

 

 地籍図も印刷して、弟にもチェックしてもらいたいもの。それだし、17日の「ご法座」の準備もやっておかねば・・。余裕しゃくしゃくだったのだけれど、とうとう、寸前まで来てしまった。原稿はできているので、手持ち資料の印刷と、機器の整合性。前回の勝覚寺ではマッチングミスでプロジェクターが使えなかったので、その確認もやっておきたいし。やることは山積み。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。「気分一つで大違い まだ半分 もう半分」。こういうことって日常的にあるもの。「まだ10時」「もう十時」。「まだ1000円も」「もう1000円しか」、「まだ50歳」「もう50歳」・・・・。気分一つで大違い。気分を入れ替えて、明るく楽しく行きましょう~。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


若葉して 今日も日向の 影となる

2018年04月14日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月14日(土曜日)曇り 116-57-90  36.3  98%  63.35Kg

 回数は変わらないが、誰もいない分、よく寝たと思う。九時に寝て、五時半に起床。マイペースの朝になった。

 

 朝食を食べ終わると着替えて外出ということで病室を出た。ドクターは夜の食事と水分の補給が心配らしくて外泊がこわいみたい。前回の「浮腫」はすごかったからな。なんで、あんなことになったのか・・・。

  

 家についても、ごんは見向きもしなくなった。勝手口から入ると、燃えるごみと空き缶の袋が鎮座している。早速に処分しておく。女性が外に出ると家庭は荒れる・・というが、なかなかに両立はできないもんだ。

  

 今日のメインはブログの更新作業。8日の日曜日から昨日の金曜日までの更新をやっておく。それと、持って帰ったHDDの中身と、私が更新しているデータとは違うみたいで、肝心のデータは、パソコンの「マイドキュメント」の中の「医大論文研究室」に保存されているらしく、今日のお仕事の半分もできなかった。

  

 昼食はコンビニで弁当を買ってきた。本当はよくないのだが、背に腹は代えられない。

  

 そうそう、アマゾンで買った酸素計と塩分計が届いていた。それに、昨日、ケーズデンキで買った歩数計も使うことにした。ストップウォッチも用意した。リハビリをする態勢はできたけど。

  

 来週火曜日の法話会の手持ち資料も印刷しておいた。プロジェクターなどの機材を病室へ運んでテストをしてみた。LEDポインターもよく動くし、接続ケーブルもぴったりと接合できた。これで、法話会はばっちりだ。

  

 病院へは16時過ぎに入った。今度は体重の変化も不調もない。身体もよく動くようになったし、軽くなったように思うのは気のせいか。明日の日曜日は静かにここで過ごそうと思う。

  

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


風吹いて 葉桜となる 薬師堂

2018年04月13日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月13日(金曜日) 112-78-84 36.3  98%  64.2Kg

 今日のオーダーは採血と胸部X線検査だった。採血は渡邊担当看護師が何度も差し直して、ようやくに採血ができた。ベテランのわりに悩んでいたみたい。

 

 これは朝食。塩分は2.0%が目安のために食パンも一枚だし、味噌汁も食材の風味だけ。お酢のものは塩分に関係ないので、それなりにおいしい。

 

 検査も終わったので、外泊を申し出た。検査の結果いかんでは、「退院」もあるかなぁとかすかに期待していたのだけれど・・。「かなしいお知らせです・・」と、担当看護師さんのお言葉・・・。

 

 「残念ながら・・・外泊は許可されません・・。今日は外出ならばokだそうです・・」という渡邊担当看護師さん。

 

 乗りかかった船だ。ええいと、外出で家に戻ってきた。これは、途中に見える「芝桜富士」であるが、今年はここに行けるほどの余裕はない。遠くから眺める程度。

 

 パソコンで打ち込んだ論文の第二版を印刷してみた。ま、それなりの体裁にはなった。これを、担当ドクターと、担当ナースにみて頂くことにした。

 

 夕方、帰院した時、担当ドクターが、「まだ、胸水が見えますね。もっと、水分を減らしましょうか・・」という。今、管理している水分量は、お茶やコーヒーで700CC程度である。これをまだ減らすのか・・・。

 

 そうそう、病室を変わることになった。今までの部屋には、同じ地区の顔なじみが三人いて、世間話や昔話に花が咲くし、三人ともがポータブル・トイレを使っているし、ま、いろいろとあって、たまたま、空き室があるというので、奥方も協力して、この部屋に移動したのだそうな。

 

 奥方は、「お手洗い」が近いからと、窓際の日当たりのいい場所を選んだそうだが、私は、「お手洗いが近い」という理由から廊下側を希望して、チェンジしてもらった。奥方は「手洗い場」が近いほうがいいと考えたのだろうが、私は「便所」に近い方がありがたいのだ。「でもねぇ、いつまでいるかわからんから、使い勝手がいい方を選んでね」という、担当看護師さんの言葉はずきりと胸に立ち込んだ。

 

 私も、いつまでもここにいる訳にはいかんのだけれど・・。はてさて。

 

 今日の掲示板はこれ。「してもらったことは忘れない  してやったことは忘れよう」という城たいがさんの言葉から。そうは云いつつ、そうは云いつつ、ついつい、「して貰ったことは忘れてしまい してやったことだけはしっかりと忘れない」のが私たち。こころして、こころして、この言葉を忘れないようにしておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


遠回り わざとしてみる 春の暮れ

2018年04月12日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月12日(木曜日)曇り 122-66-74  36.3  97%  64.5Kg
 夜中に、11:30  0:30  2:00  3:00  4:00  と起きるが、そのほかはぐっすりと寝ている。これも慣れというものだろうか。

 

 相変わらず、論文整理と、気分転換に、元屋敷の田んぼや山林の地積図の整理。昔の農地が出てきたり、とっくに山になっているのに田んぼのままで課税されていたりする。ま、お値段は安いのだけれど、無駄が多いなぁと思ったこと。

 

 さて、お見舞いに頂いた見舞い金。封筒に入れて保管したはずだがどこにもない。どこかに挟んだような記憶があるのだが、ダイアリーを調べてもない。ノートを探してもない。盗まれたりはしないはず。私の記憶が外れているだけ・・・。たかが数万じゃないか・・・と思っても、無くなったと思えば悔しい。

 

 どうせ、いただいたものじゃないか・・・と、思っても、少しばかり悔しい。こんな狭い病室だから、探す場所も限定されている。昨日の会議には必要ないから持って行っていないはず。トイレに行っても、テレビを見ていても、思い出したら、なんだかさみしい。

 

 メインになる論文「胸水貯留による心不全症候群に関する対策と社会民俗学的考察」も、ほぼ完成した。今日は最後の、「考察」にあたる部分、「おわりに」を書き上げた。明日の胸部レントゲン検査の結果にもよるが、この週末も外泊になるらしい。運よくいけば、「退院」なのだが、今は、外泊が安全かも。その結果によって、自宅で印刷して校正をやってみる予定。

 

 地籍図も印刷して、弟にもチェックしてもらいたいもの。それだし、17日の「ご法座」の準備もやっておかねば・・。余裕しゃくしゃくだったのだけれど、とうとう、寸前まで来てしまった。原稿はできているので、手持ち資料の印刷と、機器の整合性。前回の勝覚寺ではマッチングミスでプロジェクターが使えなかったので、その確認もやっておきたいし。やることは山積み。

 

 日程的には遠いと思っていたのだけれど、月日のたつのは早いもの。あれよ、あれよと月日が過ぎる。

 

 ひょっとして・・・と、昨日、銀行に持って行った手提げ袋を開けてみた。病院の支払いに使った「病院バッグ」のその中に、真新しい封筒が見えた。

 

 そうそう、これこれ。この中に、お見舞いでいただいた見舞い金が入っていた・・・。やれやれ。今夜は安眠できそうだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみや悲しみのおかげで 心は深くなり美しくなるのです」という荒了寛さんの言葉から。

 幸福というものがあるのではありません。幸福と思うこころがあるのです。幸福と思う心が幸福なのです。楽な道を苦しみながら歩いている人は、近くても到達できません。苦しみの道を楽しみながら歩いている人は遠くても必ず到達できるのです。思い切ってあ「ありがとう」と一言云ってごらんなさい。その一言で相手もも変わるし、自分も変わるのです。苦しみや悲しみのおかげで、こころは深くなり、こころは美しくなるのです。これまでできなかったことも、これからはできるかも知れません。過去にとらわれることなく、やってみることです。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春霞 思い出ばかりが 染みついて

2018年04月11日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月11日(水曜日)曇り 116-71-89  36.4  100%  65.3Kg
 東かがわ市は終日曇り。ニュースは山崩れと国会の問題。

 

 論文整理は、もう、まとめと考察の部分。いつまでも引きずってもいられない。でも、考察となるといい考えが浮かばない。体調は現状維持。よくも悪くもなっていない。いつまで、こうした状態が続くのか。

 

 食事後は外出。まずは、近くのスーパーで、民生委員のお茶菓子選び。みんなの互助会からのお見舞いをいただいているので、さりげない、それでいて数のあるものを買って出発。

  

 我が家に寄って、民生委員バッグ(名札・腕章などの七つ道具入り)を引っ提げて、ついでに、パソコンを立ち上げて、奥方の欲しいという「塩分計」と、私の欲しい「酸素計」をアマゾンでクリックしておく。これからの生活には大切なものだと病院に言われている。

 

 定例会の行われる会場に行くと、13時過ぎだというのに、もう、準備ができている。会は13時半から。お茶菓子を出して、みんなに配ってもらう。市役所の人事異動で担当の方もさまがわり。来月は、そうした人の歓迎会をやるそうだ。それまでに、私も飲めるようになっておきたいもの。

 

 14時半に会が終わると、一目散に退出。そのまま銀行に直行。丸亀市広島の固定資産税の支払い。通帳で払おうとすると印鑑が必要だという。そこで、カードで現金を引き出してきて、窓口で支払うということに。そういうことに慣れてもすぐに忘れてしまう。

 

 次には、病院代の引き出し。これもカードで6万円を引き出しておく。3月分の27日から31日の五日分で6万円少し。先月から医療費にいくら使っているのだろうか。

 

 病院に戻ると、入院費の支払い。過不足があるとかで窓口支払い。二千円くらい上乗せになった。

 

 部屋に戻ると、四人部屋に二人しかいなかったのに、四人の満室になっていた。担当ナースに心電図計を取り付けてもらい、血圧を測ってもらったが異常なし。体重にも変化なし。こういうことで、身体を慣らしていくしかない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は単に長さだけでなく 幅もあれば深さもある」という金子大栄先生の言葉から。世間一般的には人生が長いほうがより価値があるように言われたりするし、長生きすることが幸せだと考える人もいるが、いのちというものが単に抽象的な長さだけで考えられてはならないと思う。真に人間のいのちならば、長さのみならず幅もあれば深さもあるはず。年齢を重ねれば、それだけ人生をよりよく見、経験するわけだから、それだけものわかりがいいはずなのに、反対に我が強くなり柔軟心に欠け、思い通りにならないと人生を嘆き、時には怒り出すことも無きにしもあらず・・・・・。やはり人は、いのちを空しく長さだけに生きるのではなく、いのちを深さにおいて生きることが大切なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春めいて 散歩の夫婦が 多くなる

2018年04月10日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月10日(火曜日)晴れ 109-63-86 36.5  98%  65.9Kg
 11:30 12:30 14:00 15:00 16:00 とトイレタイム。量は多かった。最高は320cc でも、ぐっすりと寝た。

 

 朝食抜きのCT検査は10時半から。あっという間に終わった。終わると簡単なパン食。小型パン二個とリンゴジュース1パック。

 

 10時半過ぎ、環外科部長が来室。ステップル抜き(十数本)抜糸、1本のみ残し。

 

 昼食は生タケノコの煮物。少しばかり硬かった。管理栄養士さんに塩分計について聞いてみた。説明を聞いてもよくわからんので、Amazonで調べてみることに。酸素計も。上の写真、おいしそうだが、塩分は2%だから、ほとんど素材の味しかしない。そういうものを我が家でも作れとおっしゃるのだ。そこで塩分計を購入することにした。

 

 昼前に、弟猛が、旧宅部分の地籍図(校図)を買ってきてくれた。あと、ハサミ、ノリ、テープ、カッターなんぞも。それに色鉛筆まで。

 

 ドクター来室。CT検査の結果、下腹部のふくらみは、「浮腫」だと判明。いわいゆる「水ぶくれ」。体と皮膚の間に水分がたまったものらしい。とにかく、利尿剤で排水のみ。どこかに何かがいるはずだと思ったけれど、単なる水の飲みすぎとは・・。でも、腎臓も、肝臓も、その他の内臓にも異常はないし、ガンの気配もないというのだから肩透かしみたいなものだ。

 

 明日の民生委員の定例会の外出許可をもらった。

 

 実は、さぬき市から固定資産税の明細書が送られてきた。しかしのかかし、みたこともない土地やら番地があちこちに。私が子供の頃にサツマイモを作っていた土地なんぞも含まれている。

 

 そこで、弟が、「地籍図」というか「校図」というものを買って来てくれた。これを切り貼りして、我が家の土地を探し出すのである。「アニキは暇だから・・・」ということらしい。まるで、リハビリの「パズルゲーム」みたいだ。

 

 で、こうして、地図を重ね合わせて、まずは、道路と川を色づけする。これが基本になる。これで、この番地は宅地、ここは畑、ここは水田・・ということが見えてくる。

 

 お昼から、業者さんがカーテンの交換に来た。カーテンを洗濯するらしい。この左手のピンクが新しいもの。中央で取り外しているのが古いもの。まるでマジシャンのようにカーテンを外していく。さすが、プロだなぁと眺めておった。

 

 今日の掲示板はこれ・・。「人間、思い通りに生きていたら どこまで堕落するかわからない」というもの。ズバリ、きついお言葉だけれど、まさにその通り。思い通り、好き勝手に生きていたら、あれもしない、これもやらない・・・。あれは食べない、これが欲しい・・・と、好き勝手をやっていたら、どこまで堕落するかわからんね。まさに、まさに・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


すっかりと 忘れ去られた 花むしろ

2018年04月09日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月9日(月曜日) 115-58-83 36.4  98%  66.75Kg

 夜中に何度も尿意を催して起きたが、少しばかり出ただけで相変わらず出ない。でも、ぐっすりと寝ていて、5時半には起きてしまった。日浦ドクターの宿題の清書をしておいた。今日は東かがわ市は終日曇り模様。

 

 朝、ドクターが宿題を取りに来た。電子データが欲しかったみたいだが、紙ベースで提出した。

 

昼食時に弟猛がお見舞いに来た。少しばかり世間話をして帰った。昼前からは少しずつ尿が出始めた。140とか150とか180ccとかと、平常通りに戻りつつあるようだが、まだまだ、体重はへらない。

 

 13時過ぎに娘恭子とまごのなぎちゃんがやってきた。入学式帰りだという。少しばかりのお祝いをしておいた。

 

 14時過ぎ、シーツの交換。日浦Drが栄養指導票を持参して今回の騒動の説明。まずは、塩分の取りすぎと、水分の多量接種。飲んだ分が多く、出た量が少ないので、その差、6キロ余りが体内に残留して体重増加につながっている。生活習慣を改めるべきとの指摘が。(数字を単純に計算しただけだと思うのだが・・。)夕方に奥方を呼ぶようにとのこと。

 

 16時から、Drと、渡邊担当看護師、奥方と私とで、今後の生活方針についての四者懇談開催。塩分管理をどうするか、水分管理をどうするか。ネックは「リハビリ」である。断固反対したが、多勢に無勢で仕方なくやることになった。

 

 体重は相かわらず、67Kを維持、下腹部が重くて水分が溜まっている感じ。少しずつ、180とか、210とか尿が出るようになったが、下腹部は重いばかり。本当に、塩分と水分だけの問題なんだろうか。

 

 Drは、腎臓も肝臓も大丈夫だというが、念のためにCT検査をすることになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を温める」というもの。言葉」というのは、恐ろしいものだと思う。ふだんの何気ない一言で自分が傷つき、そして、他人をも傷つける。会話するとき、いちいち言葉を選びながら話すわけではないのだから。布教法の先生から、「あなたの話は舌足らずだ」と言われたり、「余分な言葉が多すぎる」と言われたり・・。私の言葉も未熟みたい。「吐いたツバは飲み込めない」、「吐いた言葉は戻らない」。傷つけられたその「一言」というのは、けっこういつまでも忘れないものだと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


いつまでも 花冷えという 道の駅

2018年04月08日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月8日(日曜日) 138-80-83 35.8  98%  65.3Kg

 さぬき市は春めいて春眠暁を覚えず・・・。でも、私の心は星月夜みたいで落ち着かない気分。尿が出そうで出ない。おなかが張りそうで、張りそうで、それでも尿は出ない。我慢をすると血圧が上がりそう。そこで、午前4時過ぎには起きてしまった。寝ていても寝てはいられない。パソコンを立ち上げて、FaceBookの巡回やブログの編集作業。

 

 今日は県立病院へ戻る日である。だから、できることはやり通しておかねばならない。まずは9時を過ぎたら銀行で通帳記載。それからホームセンターを巡回。欲しいものはいくらもあるが、必要なものはあまりない。幾つかに目星をつけて店を出た。

 

 電機店のケーズ電機寒川店に寄ってみた。プロジェクター用のLEDポインターを買った。画面の操作もできるもの。大窪寺ガイド班からお見舞金を頂いたので、資料作成用のトナーを買った。印刷用紙もと考えたが、重くなりすぎるので次回にした。

 

 昼食を食べて、病院へ戻る準備を開始。相変わらず、尿は出ないし、下腹部が重い。体重は65.8Kgまでになっている。いったい、何が起きたというのだろう。

 

14時過ぎに我が家を出て、ケーズ電機白鳥店に寄ってみた。ここで、島のテレビの下見をした。島の家のテレビがとうとう壊れてしまった。ついでに掃除機も買っておきたいものだし・・。それから、ノートPCとプロジェクターを結ぶ延長コードも買っておいた。

 

 15時過ぎに県立病院に入った。やはり荷物が重いし、ふらふらとする。早速にパジャマに着替えて「帰院手続き」をすると、体重が71.2Kgまでに跳ね上がっている。そこで看護師さんたちが大慌て。担当の日浦ドクターの指示を仰ぐと、外泊時の食べ物・飲み物・行動と、その時々の感想などをレポートとして提出せよという宿題をいただいた。それを就寝(20時)前までに書き上げて寝た。

 

 今日の掲示板はこれ。「親切が過ぎると怨まれます 親しすぎると疎まれます」という、荒了寛さんのカレンダーから。親切が過ぎるとおせっかいにもなるし、親しすぎるとなれなれしいと思うようにもなってくる。そのかねあいが難しいところ。遠く成らず、近くならず・・・という距離感も必要なのかも。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


法名に 雲の一字や 山桜

2018年04月07日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、雨の降っている所があった。また、広い範囲で黄砂を観測している。気温は9.3度から12.2度、湿度は68%から56%、風は6mから8mの西の風が吹き荒れて寒かった。明日の8日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 午前中、病室で書きためていた論文集と、闘病記をまとめたブログの総括帳を印刷してみた。論文集でも50P超え、ブログの総まとめだと180Pにもなってしまう。明日から、また、病室で推敲作業をやっておかねば・・。

 

 論文のタイトルはこんなもの。

 

 お昼前から勝覚寺に入った。お客様は13時半にお見えになるというので、12時頃から準備開始。病院では平気で歩き回っていたのに、実社会ではフワフワ・・フラフラとして力が入らない。40日以上も寝たり起きたりしたせいか、まるでパワーが出て来ない。

 

 本来は、こういう風にスクリーンを立てるところを省略。まるでパワー不足で、これが持ち上がらないし固定できない。全く、ドジになったものだ。

 

 それに、持参したノートPCがウインドウズ10になっているらしく、こういう機器を認識してくれない。せっかく準備したのに、プロジェクターはお休みしていただくことになった。

 

 で、私の手元パソコンと、みなさんの手持ち資料でお話を進めることにした。

 

 なお、今日のお客様は、某寺の仏教婦人会30名さまご一行である。皆さん、門信徒式章をご着用され、マイ経典・マイ念珠持参で、立派なお勤めをされていた。

 

 導師は引率のご住職様。なかなかに立派なご一行さまだった。

 

 今日は、「庄松同行」についてお話せよ・・ということだったので、ま、あんなこと、こんなことをお話させていただいた。

 

 ま、こういう有名な場面であるとか、

 

 ほとんど知られていない庄松さんのことなのだとか・・・。

 

 30分ばかり、讃岐の妙好人についてお話したところ。それでも、やっぱり、何かパワーが足りないなぁと思うばかり。こんなんで退院しても実社会では役に立ちそうにもない。三食、きちんと食べているし、栄養や献立にミスはないはず。何か、ほかに病の根源がありはすまいか・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「散る花や すでにおのれも下り坂」という小林一茶の俳句から。一茶の人生観の一端を垣間見るような句である。この句を読みながら、つくづくと感じるのは、自分の感性を高みに置かず、取るに足りないひとりの人間として、花を傍観して得た素直な感情を句にしていることである。人間は死への存在であり、死を意識する動物である。しかし、普通に考える死は単なる知識であり観念である。しかし、それが現実の自己にかかわる死ということになってくると、そういうわけにもいかなくなってくる。「散る花やすでにおのれも下り坂」不安を隠しきれない句に読める。「白露やいつものところに火の見ゆる」秋の露ははかなくも消えるもの。「いつものところ」とは在所の火葬場のことであろう。「火の見ゆる」とは人を焼く火であろう。なんとなく寂しい人生のたそがれ、死を間近にした心境である。一茶が晩年とくに信心深い生活を送ったと聞いているが、それは人間的な価値が、いかにむなしいかを知っていたからだと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


野の花も 世のあれこれを 聞いている

2018年04月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 4月6日(金曜日)十一日目
 105-49-60  36.4  98  61.4

 やはり、尿の出方が悪い。病院に居たときと何も違わない生活なのに。食べ物が少し変わったとか、飲み物が変わったとかと言う問題でもない。

 

 ここしばらく体中がかゆい。病院で寝てばかり居て、体中が痒い・・なんて贅沢な話だ。でも、それで寝られないのは悲劇みたいなもの。病院では痛み止めとか安定剤で寝られたけれど、我が家ではそうはいかない。おかげで、昨夜は朝の2時まで、今朝は4時に起きてパソコンをやっていた。

 

 奥方が、いい皮膚科があるから行きましょうよ・・ということで、皮膚科に行くことにした。ところが・・・。

 

 保険証がない・・・。病院の病室に置いたまんまだ・・・ということで、県立病院までユーターン。

 

 おくすり手帳も持ってきた。

 

 よくは知らない「まつおか医院」という小さな医院に着いた。ここで便所を借りたら、いくらでもオシッコは出る。何度でも出る。これはどうしたこと?我が家では全く出なかったのに、よそのトイレではどんどんと出る。

 

 結局の薬局で、「あせも」と診断された。そんなに病室は暑い方でもなく、素肌にパジャマだから、やや、肌寒いくらい。それなのに・・あせも・・。「はい、お薬、出しておきます。おだいじに」でおしまい。

 

 次に向かったのは、孫娘の「なぎちゃん」ち。昨日、お見舞いでいただいた、高級ないちごをおすそわけ。

 

 こんなに頂いても、いちごばかりは食べられない。

 

 なぎちゃんと奥方で会食を・・ということになったのだが、奥方は洋食系というし、お寿司もいいわね・・というが、「屋島西町ならばここじゃろ・・」と、誘ったのが、「うどん馬鹿一代かしむら」という、セミセルフのお店・・。「こんなとこ・・・」と、お二人はいうが・・。

 

 ここは、「クルム伊達」ちゃんも来たことのあるお店で、県外の方には有名なお店。あの「日本エレキテル連合」も来たと聞いて、なぎちゃんの目が変わった。だめよだめだめ・・はどこに消えたのか。

 

 私は「肉卵とじうどん」を食べてみた。

 

 帰りに、ペースメーカーに影響のない草刈り機を探してみた。ま、このくらいならば、頂いたお見舞い金で買えるかな。今のガソリンエンジンの草刈りは火花がよくないらしい・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「不幸には不幸の原因があり 幸福には幸福の原因がある どちらの原因も自分がつくる」という「城たいが」さんのことばから。そもそも、幸福も不幸も、自分のこころのなかの問題なのであるから、自分自身の問題ではある。ただ、私たちはマイナス思考の名人だから、不幸ばかりを追い かけている。新聞もテレビも不幸ばかりをやっていて、それを見て、みんなは安心している。幸福になると、みんなから嫉まれるし嫌われるから、しんどいけれどと、みんな不幸になっている。忙しい・・貧しい・・・苦しい・・・と言い続けて暮らしているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


咲いてよし 散ってまた良し 我が桜

2018年04月05日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月5日(木曜日)十日目
 101-45-61 36.1  98  60.7

 勝手に、本当に勝手に、「この点滴でおしまいですからね」と言われたら、それで、もう、退院だと思い込んでしまっていた単純さ。ところが、朝一番に、「点滴の交換ですよ。もう、これでおしまい・・。明日の朝まで大丈夫・・・」と、看護師さんが、大きなバッグを持ってきた。

 

 「明日の朝??」・・・妙なことを言うなぁと聞き逃していたのだけれど。今度は、日浦Dr がやってきて、「どうですか。点滴はこれでおしまい・・。後はお薬で対処しましょね・・」と言い残して消えた。 

 

 ところが、お昼が来ても、「退院」だと書類も何も回ってこない。そこで、看護師さんを捕まえて、「私の退院はどうなってるの・・・」というと、「そんなこと、聞いてません・・」と、つれない返事。そら、ドクターからの指示がないと何も出来ない看護師である。 

 

 そこで、「ドクターに明日、お仕事が入っているので、今日中に退院させてもらわないと・・と言ってきてくれ」と、乱暴な患者である。日浦Drはすぐにやってきて、「点滴は今日でおしまい。明日からはお薬で対処。そう、言いましたよね。退院なんて一言も言ってませんよ。」

 

 あと・・・、云々があって、「じゃぁ、外泊にしましょう」ということで、木・金・土・日と外泊になった。点滴がないのならば、家で薬を飲んでいればいいじゃないか・・という論理だが、Drにすれば、また、胸水がたまるかも、また、おしっこが出ないかも・・・と、不安はいっぱい、あるわけで。

 

 「あんた、医者と掛け合って、無理を押し通すなんて、すごいなぁ」と、同室のおじさんがあきれていたが、「無理を通せば、道理が引っ込む」。ま、これが、凶と出るか吉と出るかはやってみなけれりゃわからない。

 

 看護師さんから外泊願いを受け取ったら、もう、糸の切れた凧みたいなもんだ。スーパーで今夜の食材を買い込んだら、我が家へと一目散。我が家では、更新切れになっているブログの追加更新に追われた。入院していた40日間を更新するのだから大変だ。

 

 本文は病室で書きためた日記集である。それに画像を重ね合わせながらの作業ながら、1日分が1時間以上かかってしまう。そうこうしている内に、オシッコの量が激減しはじめた。昨日はあんなに勢いよく出ていたものが今日は病院から少なくなってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「るす寺に せい出して咲く 桜かな」という小林一茶の俳句から。こういう句もあった。「いざゝらば 死(しに)げいこせん 花の陰」 見事な桜の花を見て日本人はどういうわけか死を連想するようである。お釈迦様の入滅が2月15日(涅槃会)ということに関係しているのかも知れない。こんな句もあった。「ちる花を屁とも思はぬ御顔哉」、「ちる花や土の西行もうかれ顔」、「大川へ 吹なぐられし 桜哉」、「ちる桜 けふもむちゃくちゃ くらしけり」、「日本は 這入口から さくらかな」、「桜花 何が不足で 散りいそぐ」、「なまけるな いろはにほへと 散桜」・・・。まだまだ、たんとあるらしい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


薄雲る 庭にざわめく 山桜

2018年04月04日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月4日(水曜日)九日目
 103-57-74  36.1  99  61.0

 薄曇り。昨夜は痛みが少ないので、痛み止めが欲しいといえなくて、安定剤をお願いしたが、恒例の、11時半、0時半、2時半、3時半と4回のトイレで済んだ。あとは6時過ぎまで寝ていた。寝るしかないのだから、こんなに寝ていても誰も何も言わない。

 

 6時半にもなったので、デイ・ルームに行って体重を計ってみた。61.05Kgということで、昨日よりも250g多かった。胸水のせいかなぁと思うばかり。確証は何もない。で、朝の恒例となった、リンゴジュースの氷入りを飲んでみた。氷水の冷たさが気持ちよかった。

 

 今日は、実におしっこが出る。150ccほどの尿が20回以上は出ている。単純計算で3,000ccである。もっと出ているかもしれない。ここで、はたと思い当たった。【胸水が溜まっていないときには、おしっこがよく出る】ということだった。

 

 確かに、尿の出方も回数も量もよくなって退院したら、すぐに我が家では、「おしっこが出ない」とブログに書いた。案の定、香川医大では胸水が目いっぱい溜まっていて教授を驚かせた。おしっこが出ないから「腎不全」と診断された。もとは、「胸水」なのだった・・・。そう、考え付いたならば、過去のいろんなことが、ハタと合点がいくではないか。

 

 ここ(県立病院)で、肺をふくらませて、胸水のたまり場をなくしたら、行き場を失った胸水は腎臓に贈られて、尿となって排水されている。これでいいのだ。これでいいのだ。それだから、日浦Drは近寄らないのだし、外科部長も、5日の朝のレントゲン写真ばかりを気にしているのか。

 

 だとすれば、「胸水」というものが克服されてしまったら、もう、ここにいる必要がないではないか。外科部長は、それを踏んでいるのかもしれなかった。看護師さんが、「この点滴は、明日のお昼でおしまいですよ」と漏らしたのは、そういうことなのかもしれない。

 

 ただ、その肺の様子がいつまで続くものやら。いつ、胸水が復活することやら。ただ、そういう不安ばかりが押し寄せては来る。ま、心配ばかりしてても仕方がないことなのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「死に支度 致せ致せと 桜かな」という小林一茶の俳句から。小林一茶の桜の句を探していると、こんな句も作っていた。 散る花やすでにおのれも下り坂/花さくや欲のうき世の片隅に/夕ざくらけふも昔になりにけり/ 死に支度致せ致せと桜かな。一茶の人生観の一端を垣間見るような句ばかりだ。この中で、特に最後の桜が、一茶に対し、「死に支度」をお前もした方が良いと 迫っているという句が気に入っている。滑稽味の中に怖さがあって面白い。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山桜 散りゆく時を 忘れずに

2018年04月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月3日(火曜日)八日目
 105-49-60 36.2 100 60.8

 薄曇り。昨夜も痛み止めの「カロナール500」を飲んで寝たが、恒例の、11時半、12時半、0時半、1時半、2時半、3時半と6回もトイレに起きた。あとは5時過ぎまで寝ていた。その後も寝ていたらいいのだが、なんとなく起きてしまった。で、代り映えしないテレビを見ていた。

  

 5時半にもなったので、デイ・ルームに行って体重を計ってみた。60.8Kgということで、昨日よりも500g多かった。胸水のせいかなぁと思うばかり。確証は何もない。で、朝の気分転換ということで、リンゴジュースの氷入りを飲んでみた。90円である。リンゴのさっぱりさと、氷水の冷たさが気持ちよかった。

 

 夜、ぐっすりと寝ていないぶん、すぐに寝てしまう。夜だと、まぶしいと文句をいうクセに、昼間だと明るさが気にならないのは不思議だ。

 

 今日は身体拭きとパジャマの交換日だったが、看護師さんの人柄か、背中を拭いてくれただけだった。パジャマの上は、昨日、三回も着替えたのでそのまま。ズボンだけ交換した。

 

 10時半過ぎ、環(たまき)外科部長がトイレまで探しに来た。で、部屋に戻って診察を受けた。部長は、昨日にグルグル巻きにした縫合個所の保護用材をはがしてしまった。もう、液漏れはないだろうと、小さなシールに張り替えた。そんなに簡単に接合できるもんだ。

 

 今日も、過去ブログ更新用のデータ整理やら論文の修正作業をやっていた。パソコンがあれば退屈せずに遊べるから大丈夫。ネットができれば、さらに最高なんだけれど。

 

 午後からは、論文を飾る、我が家の家系図をワードで書いていた。これまた、面倒な作業だった。なぜ、私の心臓が、こうなったのか・・ということを証明する家系図である。

 

 テキストボックスを多用するもので、エクセルだったら楽だったのかなぁと思いつつ、ワードの文章中に1ページだけエクセルというのも面倒だなとばかりに。

 

 14時から胸部X線検査は、すぐに終わった。昨日は月初めの月曜日・・・ということで混雑していたが、今日は静かなもの。結果、環外科部長の診断では、胸水の滞留なし、右肺臓も大きく膨らんでいて順調とのこと。明後日の胸部X線検査を期待しているとのこと。今日は日浦ドクターはオペなのか姿を見せなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「ちるサクラ 残る桜も散る桜」聞き飽きた言葉だけれど、時期的なことばなので掲示しておく。この句は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている俳句である。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」というように受け取れる。要するに限られた「いのち」ということである。今の世の中はさまざまな悩み事が多くあるもの。仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のことなど、幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっている毎日ではないだろうか。しかし、物事にはすべて結果があることは言うまでもない。無常にも時間は止めることができない。ならばどう時間を過ごすのかを考えること。 即ち、限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでをいかに充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事だと思うのである。また、この良寛和尚の句から親鸞聖人が得度をされる時にお詠みになられたと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌 を連想させられる。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのような心境で親鸞聖人は慈鎮和尚に得度を願われたことと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山桜 真実一路の 花の色

2018年04月02日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月2日(月曜日)七日目
 105-46-60 36.5 99 60.2

 花見にはいい天気だ。昨夜も痛み止めの「カロナール500」を飲んで寝たが、恒例の、11時半、12時半、0時半、1時半、2時半、3時半と6回もトイレに起きた。あとは6時過ぎまで寝ていた。

 

 10時過ぎに、胸部X線検査に車いすで行ってきた。今日は月曜日とあって、たくさんの方が待っていた。アサイチで検尿があった。9時過ぎには採血もあった。で、あとは眠たいばかりのお昼寝モード。

 

 食事前に、環部長が荒々しくやってきて、チューブを保護してあるシールをはがし、パイプを抜いてしまった。その傷跡にステップラーを打ち込むのだが、これが痛い。部長は「ホッチキスで留める」と言ったが、「ホントに“ホッチキス”社のものなのかなぁと考えていた。“ホッチキス社はアメリカの機関銃メーカーなのである。で、ドレインを外して持って帰ってしまった。

 

 「肺は大きく膨らんどります。あとは心臓(の弁)をやり替えたし、薬も変わったし、効果に期待しましょ。もう、二度と、パイプを刺すことはありません。あとは心臓のお仕事。病院の食事をきちんと食べて、規則正しい生活をやってください」「あ、そうそう、パジャマが濡れたら連絡ください」と、言って帰ってしまった。

 

 昼食後の歯磨きをしていて、つい、くしゃみをしたとき、激しく傷跡から水しぶきが出て、パジャマが濡れた。ま、報告がてら・・ということで、男性の看護師経由で部長に連絡したら、すぐさまやってきて、傷跡のやり直しになった。局所麻酔をし、打ち込んだステップラーの針を抜く。これが一本や二本ではない。

 

 夕方、尿の片づけをしていて、つい、くしゃみをしたとき、またも傷跡から水しぶきが出て、パジャマが濡れた。たまたま居合わせた男性の看護師経由で部長に連絡したら、すぐさまやってきて、傷跡のやり直しになった。局所麻酔をし、打ち込んだステップラーの針を抜く。これが一本や二本ではない。そして、さらにステップラーを連続して打ち込むのだからたまらない。そして、何層にもガーゼを当ててテープ張りしてある。

 

 そうして傷跡をやりかえてからは、くしゃみをしても液体が噴き出すことはなくなった。これで、「胸水」の件は、一件落着なのだろうか。「小さな大手術やったねぇ」と看護師さんがつぶやいた。まだまだ、半信半疑。明後日のレントゲン検査で確認するということだった。

 

 今日はシーツの交換日だった。それにしても、「春眠暁を覚えず」なのか、一日中眠たくてたまらない。

 

 4月6日の高齢者講習の日程を変更してもらった。5月15日の午後からだというので早からず、遅からずだなあぁと納得した。これで当面の予定はからっぽになった。予定の「二週間」の圏内にはスケジュールはない。ゆっくりとできるといえばできる状況にはなってきた。しかしのかかし、今日、お寺から、この土曜日の七日、35名にご法話の予定が入った。さて、間に合うのか、外出許可で対応可能か。当面は14日の定例会である。それまでには退院できると踏んでいるのだけれど。そのあとには、17日のご法話会である。

 

 今日の掲示板はこれ。「正しい意見でも 思いやりがなければ 言われた人は傷つく」というもの。このことばも、誰のものかわからないが、お寺の掲示板多くありそうなことば。一方では、板尾創路(いたお・いつじ)さんがツイッターで書き込んで広まったとも。「板尾創路??」ってことでググッてみた。板尾 創路(いたお いつじ、1963年7月18日生 - )は日本のお笑いタレント、俳優であり、お笑いコンビ・130Rのボケ担当。相方は「ほんこん」で愛称は「イッツジー」。大阪府出身、父は川柳家の板尾岳人。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属。吉本総合芸能学院(NSC)4期生。既婚。ま、本文は読んでその通りのそのまんま。でも、正しいことは正しいと、会議や会合なんぞで堂々と自分の考えや主張を展開する人がいる。でも、言われた人が傷ついているかも・・・という思いやりは忘れて欲しくないものだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


口笛を 吹いて鳴らして 郵便夫

2018年04月01日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月1日(日曜日)六日目
 94-53-60 36.6 100 60.7

 花見にはいい天気だ。痛み止めを飲んだが、0時半から30分おきにトイレに急行。朝は6時まで寝ていた。

 

 今日から三月よ・・と聞いたと思うのに、早くも四月一日になっている。今年の1月18日から始まったこの騒動は四か月目に入ってきた。

 

 午前中、奥方と娘家族がやってきた。娘は五月の連休に遊びに行きたいので葬式は勘弁してほしい・・・という。今のところ、葬式は予定表には考えていない。心臓の手術も成功したし、守り刀のペースメーカーも装着したし。この胸水のかたがつけばOKのはず。

  

 孫のなぎちゃんは、高校通学用の自転車を買ったという。入院前に、お祝いのお金を渡しておいた。ヘルメットは?・・と聞いたら、高校生はヘルメットなんぞいらないの・・・とか。やっぱり、自転車だもの、いるやろ。そのほうがカッコいいぜ。

 

 昼過ぎ、外科の環(たまき)先生来室。肺からの排水量確認。明日、このドレーンは外すという。ホースも抜くという。一日にどれだけ溜まって、どれだけが肺に吸収されるのかを確認したので、400ccとか500ccも溜まれば増える一方なのだが、その反面、心臓の手術も済ませているので、そう、多くは発生しないはず。その効果も期待したい。

 

 明日のレントゲン検査を見て判断するが、気胸の空気は止まったはず。液体を抜いて、肺を大きくふくらませば、胸水の溜まるスペースはなくなるはず。とにかく、明日には、このコードは外して様子を見たい・・・とのこと。肺の圧力が強いのか、溜まる胸水の圧力が強いのかの勝負になりそうだが。

 

 池の水を抜いて、肺(水田本体)の部分の土手を修復しているみたいなもの。空気漏れや水漏れのないように、しっかりと土手を修復しておけば、体外へ出しているホースを外しても、肺の中へ水は入らないという考え方。

 

 保険二社へ、入院給付金の手続きを済ませた。はてさて、いくら戻ってくるものやら。高額医療費の手続きもきているのだが、一月の入院費の請求書が見当たらぬ。すぐに奥方にショートメールして探させて。「あったよ~」というので持ってきてもらって処理完了。奥方の手がすいた日に手続きに行ってもらうことにした。(高額医療費の手続きは4/2に処理済)

 

 よく、病院なんかでは、「頑張ってね」とか、「頑張れな」とか言われるけれど、私は頑張ることなんぞしたことがないし、頑張るほどの勇気もパワーもない。全ては、「なすがまま」。生かされるように生きていく。ただ、それだけ。皆さんが、私のために頑張ってくれているような気がする。

 

 仏教では、見返りを期待しないで行う厚意を〈布施〉という。いつでもどこでも誰にでもでき、心で言葉で行動で以てできる〈親切〉のことである。言い換えれば、自分がしてもらって嬉しいことをまわりの人にもしてさしあげるということでもある。例えば、日常の当たり前と思っている些細な事でも「ありがとう」と言うことから始めていく。「ご飯を作ってくれてありがとう」「洗濯してくれてありがとう」「元気でいてくれてありがとう」というように「ありがとう」を積極的に伝えていくのである。つまり〈求める心〉から〈与える心〉への転換である。


 ほめれば ほめられる
 愛せば 愛される
 感謝すれば 感謝される
 拝めば 拝まれる

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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