昨日の午後のことです。私は淡々と報恩講ご案内の印刷と宛名シール張りをしていました。
そこへ電話が鳴り
☎の向うで「ハセヤマさん?」と私を確認する声が???
どなた?えっと~なかなか名字から思い出せませんでしたが・・・・
聞くと87歳(大坊守と同じ年) ご主人と二人暮らし
あきる野市在住の扇城高校(大分県中津市・東九州龍谷高校)の先輩のようです。
4年ほど前の霞が関ビルでの同窓会で会ったときに隣同士のお席で初対面の方と思い出しました。
学校からは安部校長先生が駆けつけてくださいました。
同窓会で私の旧姓から祖父(鬼木 誓)が三毛門小学校教員のときの教え子(78年前)と解りました。
あの同窓会から数年経ち・・・
私は その方の名字を忘れていました。
その方はその時の事をず~と覚えていたらしく
「このあたりに扇城高校の同窓生がいなくてね~淋しく長谷山さんにお電話したくなってね~」と
「今日、あきる野別院へお参りにいったけど中津出身の職員が築地本願寺へ転勤になり会えなかったのよ~でも親切な職員が駅まで車で送ってくれてね~」・・・・あきる野の報恩講のことも・・・
3年前は扇城高校へも行ったらしく・・・校長先生 副校長先生方から歓迎され 残りわずかの校章デザインの指輪をいただいたの 毎日それをはめているのよ~(昔むかし 祖母が女学生のころ その指輪が生徒に配られたと聞いたことがあります)・・・
(私も前から欲しいと思っていたのです。いいな~)
実家の祖父の思い出話・・・優しい祖父のことを覚えていてくださる方に ここで話ができるとは思ってもないことです。
「鬼木先生から可愛がっていただきました。尾家さんが級長で私は副級長でね~・・・」
~扇城高校の作法室のこと~バレーボールのテレビ中継が唯一母校を感じることができるとも・・・
静かにゆっくりとお話しされ・・
近かったら会いたいね~と
本当にそうです。
ここにも同級生も同窓生もいません。
よくぞ☎をかけてくださいましたとお礼をのべ
ご主人は、いても淋しく 心のどこかで郷里の話 同窓の話をしたくなるのでしょうね~
私で良かったら いつでも☎かけてきて~と優しい声の先輩に伝えておきました。
そして豊前の母へこの話をしましたら 涙声でご主人がいても故郷から離れると淋しいんやろうね~
秋は人恋しくなるのでしょうね~
☎をかける勇気
恩師を慕う心
同窓を喜ぶ心
母校を大切に思う心
ご門徒を大事に思う心
いろいろな方々そして電話をくださった先輩に感動し感謝した一日でした。
私ごとの長い話にお付き合いくださり 真にありがとうございました。
明日から11月
なんまんだぶ なんまんだぶ