12月2・3・4日の2泊3日で木曽、飛騨方面に出かけてきました。
子供たちと夏休みの家族旅行で飛騨高山には行った事があるのですが
何しろ20年も前の事で記憶も薄れていました。
紅葉も終わりシーズンオフの観光はゆったりかな~と思いきや
海外からの観光客の皆様で賑わっていました。
江戸から京都まで69次の中山道。
我家の近くも通るお馴染みであちこちにある旧中山道。
東海道ほど過密や川の氾濫の危険もなく旅行者に好まれ
京都の姫君の江戸への輿入れの行列もこの道筋を通る事が
多く姫街道とも呼ばれていたようです。
1987年に国の史跡に指定され「歴史の道」として整備された
「妻籠宿」「馬籠宿」に行ってみました。
昭和43年に始まった集落保存事業は「売らない、貸さない、壊さない」
伝統的建造物214件、田畑や樹木、岩などの環境物件13件が
国指定の特定物件として文化財となっています。
何処のお宅も花の飾りつけを工夫されています
沢山見かける五平餅と蕎麦の文字
並んで買ったおやきを(くるみ)半分こしました。
その後はもちろん・・・
初めて食べた「半分青い」の五平餅は
くるみ味噌が香ばしくてとっても美味しかったです。
面白い洋服屋さん
保存事業の中で観光客が予想以上に押し寄せ観光地化により
築き上げてきた景観が壊されてしまう恐れが出てきたたため
行き過ぎた商業化を防いだのだそうです。
こんなに観光客が多いならもっと商売をしてお金を落として
もらったら村ももっと潤うのにと思うのは浅はかな考えなのですね~
ここは民家で住まわれている場所です。
玄関が開いて中が見えたお宅がありました。
外観は変える事が出来ないのでどこのお宅も統一されていますが
中は今風にリフォームされていたのが見えました。
古い家を守って行くのは大変ですね。
次は妻籠宿から約7キロの場所にある
馬籠宿
(江戸から43番目の宿)
ここも明治以降の国道や国鉄の開通で宿場の役割りが終わり
陸の孤島となって村の経済が寂れてしまいました。
観光地化して脚光を浴びだし島崎藤村の生誕地として記念館を訪れる
人が飛躍的に増加する中で外部資本による破壊や俗化から
守るために妻籠宿と同じように保存運動に取り組ました。
ここは妻籠宿よりは新しい感じを受けましたが、明治と大正に大きな
火災があり焼けてしまったのだそうです。
街並みの景観整備のために昭和53年から2年がかりで住民パワーが
電柱撤去に取り組み今のような街並みを作り上げました。
それまでは26本の電柱から電線と電話線が蜘蛛の巣状態に
張り巡らされていたそうです。
街道から見えるテレビアンテナや自動販売機も規制があるようです。
この観光客の7割位は海外からの方と感じました・・・
日本人だけだったら今の時期静まり返っているでしょうから
これはありがたいと思った方がいいのでしょうね。
1日目はここまでで宿泊地は下呂温泉です。
駅前に行ってみました。
2日目は郡上八幡から荘川、白川郷に。
つづく
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