武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

白鳥残酷史

2008年07月11日 | Weblog
安曇野の写真を見る。
白鳥が飛翔する写真を見る。青い空に映えわたる白鳥の白さのコントラストは素晴らしい。平和だ。
信州にはじめてオオハクチョウが来たのは昭和24年の大町の青木湖であり、当時はカモ猟も盛んであった。禁鳥であるが、初物の大きな獲物は当然のごとく撃ち落とされた。当時の記録に「あんなまずい肉はなかった」とある。ハクチョウは安全の場所にしか来ない。それから十一年たって諏訪湖、野尻湖に来た。その時も撃たれてしまうが、新潟・青森ではエづけが成功している。信州でもそれが観光資源とはやめに気がつけば、はやくエづけがはじまっただろう。昭和40年一度撃たれたハクチョウがふたたび来た野尻湖でエづけがはじまり現在に至っている。・・・と信州白鳥残酷物語は語る。

アマガエル予報官

2008年07月10日 | Weblog
前に造ったものにバックに緑を刷り込んだ。

ジメジメの梅雨時である。
「アマガエル」が鳴くと雨。気象台に比べれば確率は低いらしいが、予報官として知られているのが楽しい。

大昔から「背背緑にして腹白く、大なるもの寸半に過ぎずまさに雨降らんとするときすなわち鳴く。ゆえに雨蛙と名ずく」と書かれている。

スパナドリ

2008年07月09日 | Weblog
グランドの駐車場にこわれたスパナが落ちていた。
なんとなく鳥に見え、鳥化してみた。

今日は施設のボランティアでビーバーで草刈をしてきた。手が足りないようで草も青々と茂っていた。近く祭りがあって助かりますとのこと。後はお茶会で公民館の山車とか人権学習のこと言われた。みなさんの公民館への関心度が高くなったと実感した。(わたしとの接点は公民館しかないということかも?)
お茶会もとりとめなく長かった。

かんぞうの咲く頃

2008年07月08日 | Weblog
野に咲くカンゾウ・・・・をノカンゾウ。葉の重なりが十二単のえりの重なりに似てるので女の子が遊びとしてひな人形を作った。昔の話・・ニンギョウソウとかオヒナクサとか読んだ。ヤブカンゾウってのもある。
このカンゾウは庭に咲いているのを写した。園芸用のカンゾウかな?

ある画家の日曜日

2008年07月07日 | Weblog
「ひまわり」という言葉が入っている俳句には、ゴッホがよく出てくる。

ゴッホの黄あしたは狂うひまわりです
ゴッホゆく向日葵畑の白昼夢
などあった。

ひまわりとゴッホのつながりは強烈だ。ゴッホ自体が日本に知られたのも強烈だったらしい。版画家棟方志功は油絵のことを「ゴッホ」と勘違いしていたとか。

とにかくゴッホは人気は高い。が生前は絵は一枚売れただけだという。

コモチカワツボ

2008年07月06日 | Weblog
庭の鉢で飼っている・・というかほってあるメダカは3000以上の方言異名があるそうだ。メザコとかウスキとかメメンジャコとか・・それはどうでもいいけど。この間犬の散歩途中用水路にタニシの子らしきものがたくさんいたので、とってきて離した。
これがやたらに増え、大きくはならない。?????もしかしたらこれは外来種のコモチカワツボではないかと疑っている。これは蛍を絶滅に導くという貝である。
蛍は通常カワニナを食べ育つ、コモチカワツボが増えるとこれを食べるようになる。これを食べると光源が減り、光で呼び合っての交尾ができなくなり、絶滅の道をたどるという。これがまたどこにでも住め、多産であるという外来種なのだそうだ。長野県もかなり入り込んでいるらしい。ハスの上にみえるのがそうだ。この疑りは正しいかな。ちがうかな。

日露戦争

2008年07月05日 | Weblog
ラジオを聞いていたら、昔の子どもたちが歌いながら遊んだ歌を流していた。心地良いリズムになんともいえない懐かしさがあった。

そこで手まり歌(二十まであるのですが時に十まで)
一れつ談判破裂して  日露戦争はじまった  さっさと逃げるは露西亜の兵  死んでも尽くすは日本兵  五萬の兵を引き連れて  六人残して皆殺し  七月八日の戦いは ハルピンまでも攻め落とし クロバトキンの首を取り 東郷大将万々歳・・・・・・・・・・・※写真はお手玉

倒れないキリン

2008年07月04日 | Weblog
雨がいい湿気と思うまもなく、じめじめと嫌な気分が襲ってくる。
暇にまかせて、そこらにある紙片を切る。
倒れないキリン。四つの頭のある狼と勝手に名をつける。
意外とこんなことがどこかで使えるヒントになるケースが多いのだ。

夜は公民館の補助金などの打ち合わせがあり、明日は退公の会議があり「ぐち」も出るが、かたや「ボケ防止に」とか言われる。

角の酒屋さん

2008年07月03日 | Weblog
昔も今も酒屋さんはある。
観光地の酒屋さんは民宿や旅館に卸す量が減ってなげいていた。簡単にコンビになどで買えるのがでかいとぼやいていた。
ひと昔の酒屋さんでは、仕事がえりの人たちが裂き烏賊などくわえていっぱい飲んでいる姿があった。片隅にそういうコーナーがあった。よくわからないが、そういうことも許されていたのだろうか。特に田舎では。

この版画は松本の市中の酒屋さんをモデルにしています。

春菊

2008年07月02日 | Weblog
春菊は地中海原産の野菜である。日本には300年から400年前に朝鮮半島を経て伝わってきたらしい。そういうわけで最初は高麗菊と呼ばれていたが、後に関西は菊名、関東は春菊と呼ばれるようになったそうだ。

今日は病院の待合室でそういう知識というか雑学を学んでいた。

さらに食べるのは中国、朝鮮、日本で原産のヨーロッパは鑑賞用の花だそうだ。