納涼祭
地区の納涼祭でマレットの表彰があるので参加した。堂々のホールインワンであったが、昨日は7人出たそうだ。少ないと価値が大いに高まるが7分のⅠではなーーー
昔、役員をやってた頃皆さんで作った山車が主役の座を追われ、会場隅に置かれていた。紙がぼろくなってるので絵も換えたら・・・と言われたが・・・・もう役員も卒業したし・・・
地区の納涼祭でマレットの表彰があるので参加した。堂々のホールインワンであったが、昨日は7人出たそうだ。少ないと価値が大いに高まるが7分のⅠではなーーー
昔、役員をやってた頃皆さんで作った山車が主役の座を追われ、会場隅に置かれていた。紙がぼろくなってるので絵も換えたら・・・と言われたが・・・・もう役員も卒業したし・・・
朝ドラで教師をしている主人公が土曜日に実家による場面をやっていた。「土曜は休みですから・・・」とか言ってた。
そういえば、当時も現在のように土曜は休みだった。
大人になって知ったけど「63制野球ばかり強くなり」と言葉があった。言われるように、戦後野球が村でも盛んで学校でも野球ばかりしていた。石ばかりのグランドもだんだんグランドらしくなって野球がやりやすくなってきた。グローブも学校でそろえていた。軍手のような平なグローブであった。
バレーボールは女の子のやるもので、男子はボールにもさわらなかった。
トイレを借りるために、買うふりしてコンビニによる。トイレも暗かった。どこにいっても節電だ。すごく意識が高まっている実感だ。
松本の小路をはいると人形が店、店につるしてあった。カメラを忘れたので残念。
紙の男女の人形だ。七夕様に着物を貸せるといって、軒に子どもの着物をつるす行事の名残だろうか。
7月16日は探検家アムンゼンの生まれた日だ。南極点初踏破をめざし宿敵スコット隊に破れ帰路南極で亡くなった。
こういう話は100年前の話ですが、南極を思い出すと涼しいかも・・・・・・と思ったがスコット隊の最後を読むと何とも言えない。
寒いと言えば、お化けや幽霊の季節になってきたが、最近は映画やテレビで気持ち悪い化け物が登場するので、日本古来のお化けも影が薄い。のんびりした時代がなつかしい。
「ひっこめ!」というお化け屋敷のお化けはかえってがんばる。ひっこんだら後誰がやるのか。誰がやっても同じだしなーーーーともつぶやいている。
紙の男女の人形だ。七夕様に着物を貸せるといって、軒に子どもの着物をつるす行事の名残だろうか。
7月16日は探検家アムンゼンの生まれた日だ。南極点初踏破をめざし宿敵スコット隊に破れ帰路南極で亡くなった。
こういう話は100年前の話ですが、南極を思い出すと涼しいかも・・・・・・と思ったがスコット隊の最後を読むと何とも言えない。
寒いと言えば、お化けや幽霊の季節になってきたが、最近は映画やテレビで気持ち悪い化け物が登場するので、日本古来のお化けも影が薄い。のんびりした時代がなつかしい。
「ひっこめ!」というお化け屋敷のお化けはかえってがんばる。ひっこんだら後誰がやるのか。誰がやっても同じだしなーーーーともつぶやいている。
昨日畑から収穫した。・・・・ま結構な出来だ。イモはそろそろかと掘ってみた。結構実がついていた。ヨーロッパでは果物の王様は「りんご」だったので、ジャガイモは「土のりんご」と呼ぶそうだ。ポム・ド・テールと言うそうだ。・・・・どうでもいいけど。
イランではスイカのことは「ヘンダワネ」と言うそうだ。ペルシャ語ということかな。どちらにしろどうでもいいことだ。
ふるさと通信
ふるさとに墓とか家の周りの草刈に行ってきた。
ふるさとで暮らした時間よりも、現在のところで暮らす時間の方がはるかに多くなった。
さびれた建物は、歩いて30分ほどの駅前である。この鉄道が開通し、ここに食堂ができた。町場にでる時ここでラーメンを食べるのが楽しみだった。味は今考えるとどーーってことないが、めずらしさも手伝ってーーー極上だった。残った汁は又なべに戻して使うとかという噂もあった。現在は廃屋である。
ここを越えるとすぐ家です。道標がたってハイキングコースみたいですが、塩を運んだ牛がころげ落ちたという難所もあり人はめったの来ない。塩の道を歩いたとか言う人は平なとこを道と思っている。林は間伐され、林の風とおしが良くなった。これも森林税のおかげ様です。
塀にかこまれたサツマイモ畑は隣のおばさんチのです。これはイノシシの攻撃を防ぐもの。この戦いで勝った方がおいしいイモのありつけるのです。
家の周りの池が、道路ができたりして水源も変わり水がこない。沼みたいになったらセリが池をおおってしまった。トンボやカエル、タニシなどにとって「人生の楽園」になっている。
ふるさとに墓とか家の周りの草刈に行ってきた。
ふるさとで暮らした時間よりも、現在のところで暮らす時間の方がはるかに多くなった。
さびれた建物は、歩いて30分ほどの駅前である。この鉄道が開通し、ここに食堂ができた。町場にでる時ここでラーメンを食べるのが楽しみだった。味は今考えるとどーーってことないが、めずらしさも手伝ってーーー極上だった。残った汁は又なべに戻して使うとかという噂もあった。現在は廃屋である。
ここを越えるとすぐ家です。道標がたってハイキングコースみたいですが、塩を運んだ牛がころげ落ちたという難所もあり人はめったの来ない。塩の道を歩いたとか言う人は平なとこを道と思っている。林は間伐され、林の風とおしが良くなった。これも森林税のおかげ様です。
塀にかこまれたサツマイモ畑は隣のおばさんチのです。これはイノシシの攻撃を防ぐもの。この戦いで勝った方がおいしいイモのありつけるのです。
家の周りの池が、道路ができたりして水源も変わり水がこない。沼みたいになったらセリが池をおおってしまった。トンボやカエル、タニシなどにとって「人生の楽園」になっている。
安曇野の田んぼも苗が青々として、そこの風が入ると波だって平和な風景だ。
これは「青田波」と呼ぶそうだ。
「青田刈り」とか「青田買い」言う言葉もある。人材確保のため採用側は、なくたけ早めに採用オーライをとる現象だ。国ではここからとルールを決めたりしている。大学を出たけれど・・・という厳しい世の中になった。わたしなどは採用されたのは3月末で、あと数日で4月だった。卒業式はとっくに終わっていて下宿も追い出され、家で通知を待っていた。来ないかも知れないと思ったら来たと言う感じだった。あわててフトンをチッキで送り、汽車に乗った。・・・・チッキは死語だな。
もともと秋の稔りを待てず、泣く泣く「青田売り」をしたと言う悲しい出来事が「青田」にあるのだ。・・・・・わたしのは「遅田刈り」と言うのだ。
一点の偽りもなく青田あり
誓子
版画は白馬の東側の山をすこし入ったところの集落・野平の風景です。かやぶき屋根は実際はトタンでおおっています。