ウクライナ情勢の報道の中に、キエフで反大統領派がバリケードを築いて警官隊と対峙している映像があった。古タイヤやがれき、敷石などで作られたこの手作りのバリケードは、まるで「レ・ミゼラブル」に登場する防寨を思わせるものだった。はたしてキエフのこの防寨の中に、ガブローシュやマリユス、ジャヴェールはいるのだろうか?そしてこの防寨もシャンヴルリーとおなじく壊滅するのだろうか?
こんなことを考えていたら、最近読み返した「レ・ミゼラブル」と「谷間の百合」(いずれも岩波文庫)の主人公のことをことを思い出した。フランス大革命後のほぼ同時期を描いたこの作品は、いずれも長編(もちろんレ・ミゼラブルの方がはるかに長いが、谷間の百合も文句なく長編小説である)であることに加え、主人公が圧倒的な存在感を示している点でも共通している。そしてこの2人の主人公が極めて魅力的だ。ジャン・バルジャンとモルソーフ伯爵夫人。ジャン・バルジャンの超人的な一生も、モルソーフ夫人の貞淑一途な一生も。しかし、その人生を閉じる直前には2人とも死を前にして懊悩する、この人間らしさも共通している。
あえて、この2人を比較すれば、主人公をとりまく人達の違いは大きい。谷間の百合モルソーフ夫人に恋するフェリックス(・ド・ヴァンドネス)青年の如何に浅薄なことか、一方、ジャン・バルジャンをとりまく人達、コゼットや、なによりジャヴェール警視の存在感や深い人間性はどうだろう。奇しくもコゼットの母親であるファンティーヌを棄てたのも無責任な遊び人でフェリックス(・トロミレス)と名乗る青年である。
この二つの物語、一つは社会の最下層を、そしてもう一つは貴族階級と全く異なってはいるけれども、両作品に流れているのは、ミリエル司教の、ジャン・バルジャンの、コゼットの、そしてモルソーフ夫人の絶対的ともいえる愛である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます