今年はいつになく早く春が到来した北海道だったが、5月に入ってから寒い日が続いていつの間にか例年通り、今、庭の藤の花が見ごろを迎えた。この家が建てられたのとほぼ同時期に植えられたこの藤はいまでは庭の一番目立つところで棚一杯に花をつけている。毎年すこしづつ花が大きくなっているようにも感じる、もう茂り始めた若葉の下に一斉に咲く藤の花は少しの雨や風でも散り始める。庭燈に照らされているとそこだけが明るくなるような気がする。
老いてこそ春の惜しさはまさりけれいまいくたびも逢わじと思へば
橘俊綱
この歌は桜の花の散るのにかけてつのる春への惜別をうたったものだが、すぐにも散りそうな儚げな藤の花を見ていると、段々と歳をとってきた自分はあと何回この光景に出会えるのだろうかと思ってしまう。
半世紀以上前の高校一年の5月、同級生の母親が亡くなってクラスを代表して自宅にお悔やみにあがったことがある。入学したてでまだ顔と名前も一致していないその級友の、玄関のそばの藤が満開だった。泣き濡らした彼女の瞳と真新しいセーラー服姿が今でも鮮やかに思い出される。その後、父親が再婚したという話を聞いた。ほとんどが大学に進学するその高校で、また、父親は大企業の社員だったにもかかわらず彼女は卒業してすぐに銀行に就職した。
卒業アルバムでのどこか憂いを含んだような、色白で少ししもぶくれのその顔は他のクラスメートより大人びて見えた。風の便りでは、就職してほどなくして社内結婚したと。卒業してから一度も顔を合わせたことはない。
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