体質なのだろうか、冷たい風に吹かれると目が過剰に反応して涙が出てくる。目が冷たさを感知すると、涙が出てきてそのうち目じりのほうへ吹き寄せられるようになってそこから零れ落ちる。こういう時に知り合いにあったりすると何か怪訝な顔をされたりするから厄介だ。後ろ暗いところがあるわけではないのに、いい歳をしてそんな涙目で歩いているところを見られたりするとだれだって気になってしまうだろう。
ふと、人は求めるものが得られないことより、持っているものを失うことの方がおそろしく感じる、と言う話を思い出した。確かに欲しいものが手に入らないことは辛いけれどもそれ以上に今手元にあるものを失うかもしれない、と思うと、胸が押しつぶされるような感じはある。
子供の頃、スキー場に行って滑り出すと決まって大粒の涙が出たものだ。そのころはゴーグルなどを付けずに滑っていたのでまるで凸レンズ越しに雪面を見るようなことになり自分の足さえも良く見えなくなる。まして微妙なこぶなどは、多分この辺にあるだろうという、ほとんど勘で滑っていたようなものだ。それでも大きなけがもせずにいたのだから、子供の体は柔軟だったのだろう。そうして滑っているときには、どうにでもなれと言うような無謀な気持ちにもなっていた。大袈裟に言えば破滅願望のような。
スキーがだんだんとスピードが増してくると自分が制御できる限界に近づいてくる。その時にその限界を僅かに超えたあたりまで突っ切ってしまうのが自分の癖だった(多分子供は誰でも皆そうだ)。考えてみると、仕事でも人との付き合いでもいつもそんなことの繰り返しだったようにも思う。しかし、これまでこんな無茶ができたのは、自分には未来があると思っていたからではないか。手元にはほとんど何もなかったから、失うという恐怖心も無かったのだろう。
ニューヨーク・ロックフェラーセンターのクリスマスツリー
(2003)
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