離婚するためにローマ法王庁から破門され、イギリス国教会を設立したヘンリー8世は生涯に6人の妻を娶った(うち2人は処刑)というのがチューダー朝の歴史の通説となっているがそれに異を唱える説が出てきた。合わせて、ヘンリー8世にまつわる所説についても誤りがあるという。オックスフォード大学のDiarmaid Maccullochによれば、通説は全くの誤りで、
1、ヘンリー8世は3度しか結婚していなかった。あとの3人とは、結婚は無効だったという。したがってもしヘンリー8世に何度結婚したかと聞けば3度だけだ、それ以外は完全に無効だ(すなわち結婚はしていない)と答えるに違いない。結婚が無効だったということは単純に別離を宣言すればよいだけ。
2、では、いずれにしても6人の女性との関係は、ヘンリー8世が女好きだったからかというと、当時の貴族は多くの愛人を囲うのが通例であり、ヘンリー8世はそのような愛人を作らず、きちんと結婚したという意味では節度があったといえる。
3、ヘンリー8世は梅毒には罹っていなかった。通説では。彼が梅毒のために後年、精神的に異常をきたしたということになっているが、Diarmaid Maccullochによれば、若い時分の槍による試合で、槍の先端の一部が体内に残り、それが激痛をもたらして彼の性格の変化につながったのではないかという。
そのほかにもいくつかの誤りが指摘されている。たとえばその時の貴族はきれいな歯をしていた(言い伝えでは歯科衛生は当時極めて貧困だったといわれている)。それは当時は砂糖をほとんど食べなかったためと思われる。
一方、言い伝えとして正しいと思われるのは、ヘンリー8世の2番目の妻でその後不義密通・魔女ということでロンドン塔で斬首された、後のエリザベス1世の母、アン・ブーリンの右手の指が6本あったということだとDiarmaid Maccullochは言う。もっとも、きちんとした指が6本があった多指症ではなく、何らかの手の変形であろうと(多合指症)いうことだが、この説は誤りとは言えないという。
ヘンリー8世を中心とするチューダー朝はイギリス史のなかでももっとも興味をひかれる時代だが、まだまだ分からないことが多く、事実よりも伝説のほうが支配しているようだ。
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