初めてローマを訪れたのは40年ほど前、ロンドンに赴任して最初のクリスマス休暇直前になってどうやって休暇を過ごそうかと迷い当時セントポール寺院の隣にあった日系の旅行会社をたずねたところ、わずかに残っていたのがローマ行のパッケージツアーだった。一人でもOKということで気ままに旅行できると思い、費用はやや高目だったがほかに選択肢もないのでその場で決めた。
このツアーはローマ中心部の、スペイン階段の近くのホテルに泊まり、あらかじめ用意されていた観光バスに乗って、観光名所をガイドに引率されるという今思えば典型的な観光旅行。日本人にうける、主だったローマ時代の遺跡、コロッセオ、パンテオンやフォロ・ロマーノ、アッピア街道と言った古代ローマの名所を駆け足で巡るものだった。その当時は今ほどは観光客は多くなく、12月のローマはロンドンよりは明るく暖かいとはいえ、どこか底冷えのする街だった、という記憶がある。
それはともかく、古代ローマ時代の遺跡を見ていると2000年以上も前にこんなに豪壮な文化があったということにはやはり圧倒される思いだった。その後、何度か仕事でローマを訪れる機会はあったがいつも観光する時間はなく、したがって古代ローマ帝国に対する印象はそのままだったと言っていい。たとえ古代ローマが属州と呼ばれた植民地からの収奪や奴隷によって支えられていたにしてもその印象は必ずしも否定的なものではなかった。
今回、新聞の書評欄で目に留まった「ローマ帝国の誕生」を、700年のローマ共和制の歴史が一気にわかる決定版という見出しにひかれて読んでみた。この新書は、はじめは小さな都市国家だったローマが周囲の国々を次々と滅ぼして最後には空前絶後とも言うような広大な「ローマ帝国」になるまでを簡潔にまとめたものだがそこに描かれているローマ(帝国)は実に獰猛かつ狡猾、攻撃的で版図を拡大せずにはいられない、まるで憑かれたように地中海世界を征服してゆく姿だった。この本の中ではあれだけの遺跡が属州という名の植民地の搾取によって成り立っていることが繰り返し強調されている。その姿はまるで領土拡大に憑りつかれてクリミア半島を強奪しさらにウクライナ全土を手中にするためにキーウにミサイル攻撃を続けるプーチンロシアの姿の生き写しのように見える。2000年経っても人間とは少しも進歩していないものなのだ。