「我は生き人か?死に人か?」脳死をテーマにした能「無明の井」で、
心臓を提供した脳死の漁師と移植を受けた娘が、命の井戸水を争い、
漁師が発した言葉です。生命の誕生も死もはっきりとした線がなくなりつつある中、
日本人ならではの死生観を踏まえ、個人個人の選択をしなければならない時代となりました。
どのように生きたいか?と同時に、どのように死を迎えたいかを元気な内に、
自身で考え、家族と相談し、選択が出来る時代であると考えられるのではないでしょうか?
人工呼吸器や胃瘻などの延命治療や臓器提供についての知識を深めて、
自身も家族も納得のいく選択と決断が出来れば、医療も変わり医療費の削減につながると考えます。
また、今までの日本の施策は病気がなく、長生き出来ることが健康の指針でしたが、
これからは、病気でも障がいがあっても限られた命を生き生きと生きる事が重要視される時代です。
例えば、子宮頸がんの治療で、命は助かったが、子宮を全摘して子どもが産めなくなった時・・
幸せと言えるのか?生き生きとその後の人生を生きていけるのか?
という視点で考えると、検診方法に問題が無いのかまで掘り下げて考える必要があると考えます。
皆さんは、「どう生きたいですか?どう逝きたいですか?」
義母、義父、実父を看取り、今日の医療の提言記事を読み、また深く考える課題となりました。