ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩20 〔浦和宿〕

2020-10-06 07:20:14 | 旅行・秘湯・巡礼 
新型コロナウイルスの感染は続くが、社会活動も再開せざるを得ない状況でもある。
コロナの対策と生活回復を考えながら、夫婦での「街なか散歩」を行うことにした。
10月4日の日曜日、JR南浦和駅の西口におりて「中山道浦和宿」の散策を始めた。 
武蔵野線に並行して西に15分、旧中山道を右折し北に向かうと「焼米坂」がある。
旅人に焼き米をふるまう茶店があったそうで、渓斎英泉の宿場絵にも描かれている。
さらに進み15分で「調神社」(つきじんじゃ)、鳥居のない社には 狛犬ならぬ狛兎。
さらに進んだところが「浦和宿」の中心で、開発が進んだ今は昔の面影が全くない。
浦和駅前通りとの十字路先の左側に、真新しい「中山道浦和宿」の碑があるのみだ。
その先の門前通りを左折し、真言宗「玉蔵院」の地蔵堂を参拝して北に少し歩いた。

時刻は11時半すぎ、お目当てのそば処「分上野藪かねこ」で天せいろを賞味した。
場所が分かりにくいお店ながら、食べ始めるころには行列待ちの状態になっていた。
店から東に向かって街道に戻り、急ぐ旅ではないから食後のコーヒータイムとした。
北に少し歩くと左側奥に「仲町公園」、そこはビルに囲まれた小さな広場的ところ
ながら浦和宿本陣跡で、「星野本陣跡の説明板」と「明治天皇行在所跡碑」がある。
街道を4~5分進むと慈恵稲荷社、そこは宿場が設置される前の戦国時代から市場
があったところで、細長い敷地に二・七市場跡碑とご免市場の杭柱が残されていた。
そこからは浦和宿を外れるが、そのまま街道を歩き「北浦和駅」から帰路に就いた。
『今回の散策は街道に面した表側だけ、ウラワ歩かなかった』と、ひげ爺の独り言。
埼玉県の県都である浦和ながら、宿場の面影が全くなく歴史観が弱いことは残念だ。
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ブログ再開と八丁の湯

2020-09-12 18:56:49 | 旅行・秘湯・巡礼 
  休眠していたブログを、一年ぶりに再開しました。
昨年の6月から、北川辺で家庭菜園や地域活動などをしながら 大宮住まいと
の二拠点生活をしてきたが、年齢や健康と将来を考えて終活をより進めるた
め大宮への完全移住を決断、身の回りを整理しながら年明けの1月にさいた
ま市大宮区に正式転居、コロナ対応をしながら 旧住宅の始末を進めてきた。
種々の整理が一段落したので、これから新たな隠居生活が始まることになる。

夏が終わるも酷暑が続いている、しかし 余暇を有意義に過ごしたいとは思う。
コロナ給付金やGoToキャンペーンを活用し、経済貢献の夫婦旅行を計画した。
三つの密を避けて、自家用車で奥鬼怒温泉の「八丁の湯」に行くことにした。
旅行先は山の中の秘湯で交通は自家用車と徒歩、お供はかみさん一人である。
朝9時に出発し佐野SEで休憩、昼食は日光今市の「三たて」で4合のお蕎麦。
鬼怒川を経由し 女夫淵駐車場に2時35分到着、宿のバスで3時過ぎ入館。

ログハウスの洋室に入室、電話もテレビもないから景色を眺めてのんびりだ。
滝見露天風呂へ行くと貸切り状態、滝を眺めながら至福のひと時を過ごした。
夜の食事も朝の食事も、秘湯とは思えない心づくしのメニューに舌鼓を打つ。
朝9時に出発、鬼怒川に沿う1時間半の歩行は相棒に合わせてゆっくり歩行。
11時前に女夫渕を愛車で出発、大笹牧場のジンギスカンで昼して4時帰宅。
『温泉は八丁でも、私は「手八丁口八丁」ではない!』と、ひげ爺の独り言。
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街なか散歩19 〔蕨宿〕

2019-07-09 07:32:41 | 旅行・秘湯・巡礼 
南九州では豪雨被害が発生し、関東でも避難への心構え等が報じられている。
梅雨空が続くものの、この日は曇りという予報を頼りに「蕨宿」に出かけた。
10時半にJR埼京線戸田駅を降り、東口から市役所南通りを東に歩き出した。
20分程歩くと国道17号に出て、左折し北に進むと間もなく二股路になる。
そこには大きな「中山道蕨宿」碑があり、蕨宿の「木戸」があった所らしい。
斜め右のやや細い道が旧中山道で、江戸から2番目の宿場町「蕨宿」になる。

旧街道を北に進むと、左側に古民家を利用した「歴史資料館分館」があった。
その先を右に入った左に長泉院、「おしゃみの鐘」で有名ながら確認できず。
旧街道に戻って北に歩くと そこは宿場の中心地で、本陣の一つ岡田家を新改
装した「歴史民俗資料館」があり、隣に「蕨本陣」のモニュメントがあった。
幾つかの古い建物を見ながら進み、国道17号に出たところが宿場の終わり。
昼食をとって街道を離れ、北東側の小路に入り「徳丸邸のはね橋」を訪ねた。
さらに東に進むと 真言宗智山派「三学院」で、格式ある古刹であり建物も立
派な大寺院ながら、境内の芝生や色鮮やかな本堂など明るい洋風感も漂わす。

さらに東南に進むと「和楽備神社」で、近郊の18社を合祀した神社という。
続いて中世の渋川氏館跡の蕨城跡公園と市民会館、そこは戦後間もなくの昭
和21年に、全国に先駆け日本初の成人式(成年式)が行われた場所という。
その先の中央商店街を左折し、10分ほどでJR蕨駅に出て散策は終了した。
『地名の由来は「蕨」か「藁火」で、和楽備でないことは確か』と、独り言。
宿場町の建物/遺構は少ないが、地域が街道/歴史を大切にしている事に好感!
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高齢者達がゆく奥飛騨路

2019-06-13 20:02:48 | 旅行・秘湯・巡礼 
気象情報では梅雨を報じていたが、6月9日の信州松本は薄日が射していた。
JRの特急を降りたのは、決して心がけが良いとは言えない高齢者7人の集団。
お昼を迎えていたので、弁当を買って松本電鉄に乗り換え車中で昼食を摂る。
新島々駅からバスで上高地へ、上空に雲はあるものの穂高の山並みも見えた。
河童橋周辺を歩いて一休みしたが、雨は降らずにカッパ橋でも合羽は要らず。
バスで安房トンネルを越えて、飛騨の地に入り平湯温泉の宿に5時過ぎ到着。

夜中に雨が降っていたが翌朝は曇り空、徐々に雲が上がり明るくなってきた。
8時40分発のバスで西穂高へ、頂上部分に雲があるが9合目までは望めた。
二階建てのロープウエイで行くと。標高は2156mで気温は12度だった。
芽吹いたばかりの新緑と残雪の北アルプスを眺め、11時半発のバスで飛騨
高山に行って昼食、バスを乗り継いで隣町「飛騨古川」の古い街並みを散策。
古川は小雨が降っていたが、それが「打ち水」を打ったような風情を見せた。
ドラマ「さくら」の舞台の店で「和ろうそく」を買って、JRで高山に戻る。

この日の宿は 高山を代表する和風旅館、旅情を満喫しながら「旅館ライフ」
を楽しむも、宴会場でのカラオケは全員「奥飛騨慕情」だけの限定歌唱大会。
翌日は快晴、先ず朝市を見学しいったん宿に戻ってから市内の散策に向かう。
「八幡宮」「祭り会館」から、上三之町周辺の古い街並みをそぞろ歩きして
宿に戻り、高山駅前でラーメンを食べて「長距離バス」で新宿に帰ってきた。
『ほとんど雨に降られず、日程を予定通り消化できた充実の旅』と、独り言。
歌も古けりゃ街並みも古く、そこに行く旅人達も古い仲間で姿は後期高齢者。

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街なか散歩18 〔板橋宿〕

2019-03-26 09:14:38 | 旅行・秘湯・巡礼 
我々夫婦の出かる日には、雨は降らないという 絶対的な神話が生きている。
この日も 雨予報を無視して決行、9時半にJR板橋駅に到着し東口に出た。
まずは駅前の「近藤勇墓所」へ、そこには 近藤勇像や墓石や石碑があった。
土方歳三や永倉新八の名もあり、新選組が庶民に慕われていたことが判る。
北に家並を入ると 平尾一里塚があった所、そこから西に街道が伸びている。
それが旧中山道で、埼京線の踏切を越え マンションが並ぶ街道を西に進む。
間もなく「平尾宿」の名に出会う、この辺は「板橋宿」の一部分だった所。

中山道最初の宿「板橋宿」は、平尾宿/中宿/上宿と 続く細長い宿場だった。
その先で 国道を斜めに越え、平尾宿の中心地右側にある「観明寺」を参拝。
さらに進むと「仲宿」ゲート、旧街道と板橋宿の雰囲気が 今も残っている。
情緒ある仲宿商店街が続き、遍照寺を過ぎた左奥に「板橋宿脇本陣跡」碑。
開発され 古い建物はないが、付近が「板橋宿」の中心地だったことが判る。
街道筋は 下町情緒を残しているが、歴史的案内表示が少ないことは残念だ。

先に進むと石神井川で、そこにかかるのは 宿場名由来の「板橋」という橋。
車が通行する現在の橋も、板目を使うなど 往時を想わせる姿になっていた。
板橋を渡ると「上宿」に入り、少し進んだ右側に「縁切り榎」の祠がある。
江戸最強の縁切り神社とは云うが、今でも 祈願絵馬の多いことにびっくり。
夫婦の縁が切れないうちに離れ、その先の環七通りを左折して 昼食にした。
『縁切榎のお陰なのか、最後まで コーモリ傘に縁はなかった』と、独り言。
板橋本町から三田線で新板橋駅へ、板橋駅まで歩き 埼京線経由で帰宅した。

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街なか散歩17〔巣鴨〕

2019-03-12 08:19:12 | 旅行・秘湯・巡礼 
春を感じる暖かさのなか、10時に駒込駅に到着し本郷通りを南に歩き出す。
不忍通りの手前を右折し、柳沢吉保が造園した大名庭園の「六義園」に入る。
入園料が高齢者は半額、得した気分で築山回遊泉水式の園内をゆっくり散策。
梅の花は満開ながら、園内の桜やツツジの「華やかさ」はまだ時期ではない。
園を出て西に歩き、JTB時代にお世話になった「天心聖教」前で 一礼してか
ら白山通りに出て横断、北に歩き「徳川慶喜公屋敷跡」から巣鴨駅前に出る。

駅前の山手線上を過ぎると、なぜか急に「おばちゃん達」の姿が増えてきた。
その先の斜め左の道が旧中山道で、「地蔵通商店街」のゲートが迎えている。
左脇角の江戸六地蔵「眞性寺」を参拝し、旧中山道である商店街を北に進む。
このあたりは「おばちゃんの原宿」と云われる街で、我々高齢者にとっては
昔懐かしい雰囲気があり、店構えや掛け声などに「味のある街」が楽しめる。
途中右側の「みずの」で、名物塩大福とお茶をいただき昼食は後回しにした。
その先の「とげぬき地蔵・高岩寺」を参拝、願えば「痛みを抜き取る」との
ご利益に期待して、最近痛み出した膝と腰に加えて頭が衰えないよう祈った。

遅い昼食は軽いお蕎麦にし、さらに北に進み猿田彦を祀る巣鴨庚申塚を参拝。
その先の「庚申塚駅」から都電に乗り、レトロな気分を大塚駅まで味わった。
下車して西に歩き、「天祖神社」を訪ねてから駅前に戻ってコーヒータイム。
英語/中国語/スペイン語の会話を耳に、日程を終了したら3時を回っていた。
『とげぬき地蔵で、頭と腰が衰えないように祈願した』と、ひげ爺の独り言。
そんな私の隣に、何事も「アタマゴシに云わないでね」と注文する人がいた。
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新春に常陸の国を旅する

2019-01-15 07:59:41 | 旅行・秘湯・巡礼 
お節料理から七草粥も過ぎて、本格的な寒さがくると 鍋料理が美味しくなる。
冬の「鍋料理」は、地域によっていろいろあるが今回は水戸市内の街なか散歩
を兼ねながら、季節の「あんこう料理」を求めて 常陸へ出張することにした。
圏央道を経由し 水戸南ICまで進み、水戸の弘道館正面の駐車場に車を入れた。
そこから城跡の散策を開始、弘道館は九代藩主徳川斉昭公が建てた日本最大の
藩校で、天保から明治5年まで約30年にわたり 武芸学問の伝習場となった。

館内を見学したあと、大手橋を渡ると再建途中の大手門で その奥が二の丸跡。
白壁塀に沿う道を進むと、空堀と杉山門があり その先が本丸跡になっている。
現在は水戸一高の敷地であり、その入り口に 茅葺銅板覆いの薬医門があった。
道を戻り 三の丸小前の銀杏坂を下り、そこのホテルでランチメニューの昼食。
午後は 三の丸の空堀・土塁や旧調練場を見て、駐車場に戻り散策を終了した。
水戸から東に40分走って大洗へ、大洗磯前神社を参拝してから石段を下って
海岸を歩き、磯の上にある鳥居を見てから 車に戻りこの日のホテルへ向かう。

夕食はあんこうが目的だから、宿おすすめの 「あんこうの贅沢御膳」を注文。
「アンコウの七つ道具」を食べるフルコースで、鍋の最後は「雑炊」で〆た。
翌日は 原子力の街東海村まで北に走り、村松大神宮と隣の虚空地蔵尊を参拝。
戻って 那珂湊に立ち寄って、「おさかな市場」を散策しながら土産品を購入。
昼はお刺身大盛定植で満腹、珈琲で眠気を祓いながら 北関東道経由帰宅した。
『お元日はお汁粉でアンコ、今日は鍋料理でアンコウ 』と、ひげ爺の独り言。
年末から 食べ過ぎ続き、アンコン(アンダーコントロール)どころではない。
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ゆったり旅 「高湯温泉」

2018-10-23 07:53:48 | 旅行・秘湯・巡礼 
かつて秘湯めぐりをしてきた仲間達が、開始10周年を記念して再集合した。
ザックを背に山を歩く秘湯の会は、会員の体力を考え5年前に解散していた。
ところが、久しぶりに昔を懐かしみながら秋の紅葉と温泉を楽しもうと云う。
秘湯とは言えないが、高湯温泉を目指し鈍行電車を乗り継いで行く旅である。
参加者は4人、上野駅で一人が乗った電車に久喜や栗橋から3人が加わった。
宇都宮・黒磯・新白河・郡山と乗り継いで、福島駅に13時27分到着した。

福島での遅い昼食は、喜多八が定休日だったので「よしなり」の手打ち蕎麦。
3時過ぎの送迎バスで高湯温泉へ、山に向うと紅葉も天候もあまり良くない。
「高湯温泉/玉子湯」到着は 4時前、そこは露天の岩風呂で有名な宿である。
さっそく源泉かけ流しの野天岩風呂「天翔の湯」へ、部屋を出てゾウリに履
き替え庭園を進み、茅葺屋根の小屋で浴衣を脱いで乳白色のお湯につかった。
夕に夜にと温泉に向うこと計3回、婦人用を除いてすべてのお風呂に浸った。

翌朝はあいにくの小雨、温泉神社までの往復を散歩した後もまたまた温泉だ。
スカイライン道路は不通だから、ゆったり過ごし10時半に送迎バスで出発。
帰りも普通電車を乗り継ぐ旅、郡山で途中下車して 観光案内所で薦められた
バーレストラン「PETIT/GREEN」で、グリーンカレーのセットメニューで昼。
地元産の食材を使い、有名店で修業したシェフ提供の一品は納得の味だった。
そしてまた普通電車で、新白河・黒磯・宇都宮と乗り継いで最後は流れ解散。
温泉と鈍行を満喫、「ゆったり旅」は「湯っ足り旅」だった』と、独り言。
奥州三高湯とは、信夫高湯(高湯)と 白布高湯(白布)と 最上高湯(蔵王) のこと。
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初秋の北陸周遊記〔上〕

2018-09-11 08:07:07 | 旅行・秘湯・巡礼 
台風が通過したその朝、吹き返し風が残るなか家を出て長野道から北陸道へ。
5日の午後1時半、金沢の「ひがし茶屋街」に到着し一休みしてからの散策。
そこは 加賀百万石城下町の一角、庶民にも「謡」を奨励した加賀藩の風情や
伝統が残った茶屋町街で、伝統的建造物群保存地区に指定された古い街並み。
車にもどって移動、金沢の中心繁華街である「香林坊」に近い 宿泊ホテルに
立ち寄り、荷物を預けて「兼六園」と「金沢城」の徒歩散策に向かう。
先ずは兼六園、真弓坂から根上松・雪見橋・コトジ灯籠を廻って寄観亭で一
休みして、織田信長配下の鬼玄蕃「佐久間盛政」が築城し 「前田利家」が改
修した「金沢城」に入り、石川門や三十三間長屋や 櫓や石垣などを廻って玉
泉院庭園に出て、近江町市場から武家屋敷の街並みを訪ねてホテルに戻った。

翌日は 雨の予報に反して曇り空、「勧進帳」で有名な「安宅の関址」を訪ね
てから「那谷寺」へ、 趣のある境内や庭園を観て 駐車場でかき氷を食べる。
続いて 石川・福井の県境にある「吉崎御坊」へ、 そこは一向宗(浄土真宗)
の布教本拠で、比叡山を追われた「蓮如」が下向して一大聖域としたところ。
高台の御坊本堂跡から吉崎別院や願慶寺を廻り、事情があってこの地で昼食。
少し走り日本海の断崖絶景「東尋坊」を眺め、1時間少々走って永平寺町へ。
そこの曹洞宗大本山「永平寺」は、道元禅師が 寛元2年(1244)に開山した名
刹であり修業寺でもあり、諸堂伽藍が形成されていて国宝など文化財も多い。
この日の観光はここで終了、門前でお土産を購入し福井市内のホテルに宿泊。
『地の魚ノドグロを鱈腹食べたが、私は決してハラグロくない』と、独り言。
台風のため一日遅らせた旅、1泊目の宿を3泊目に変更し傘を使わず大正解。
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朝ドラに誘われ「五平餅」

2018-07-03 05:36:56 | 旅行・秘湯・巡礼 
「五平餅」を美味そうに食べる朝ドラを見て、我が女房殿から「そんな美味
い物なら・・」と強く要望され、その日のうちに宿を手配し翌日には出発だ。
岐阜の西美濃地方は大雨という29日、目的地は岐阜県東美濃の岩村である。
中央道を伊那地方に入ると小雨、駒ヶ根から飯田では豪雨的な状態になった。
しかし岐阜県に入ると雨は止み、恵那ICから岩村に進むと晴れ間さえある。
町中の駐車場に車を停め、朝ドラの背景となった「古い街並み」散策に出発。
先ずは、「ふくろう商店街」のモデル西町商店街の「みはら」で五平餅の昼。
駅近くまで下ってから戻り、「かんから屋」で丸餅をつまんで左折し妙法寺
太鼓楼・藩主邸と廻って、常夜灯からナマコ壁を経由して駐車場に戻った。
本場の五平餅に満足し、3時間の街並み散策も終え恵那峡に移動し宿泊した。

翌日も朝ドラを見て出発、高速経由で駒ヶ岳高原に着くと山の上はガスって
いて真っ白、でも切符売り場のモニターは千畳敷の明るい景色を見せていた。
判断して登山靴に履き替え、決して安くはない一人3600円の切符を購入。
乗合いバス30分とロープウエイで9分、そこは日本最高地点にある駅の「
千畳敷駅」、標高2600m超の千畳敷カールは雲も上がって絶景を見せていた。
カールの底辺部を一周、途中で残雪を踏み コイワカガミ・ミヤマキンバイ・
タカネザクラなどの高山植物の花を見て、往路と同じルートで下界に戻った。
駐車場の愛車に戻って遅い昼をとり、午後2時半に駒ヶ根ICから高速に入る。
諏訪湖SAでもう一つの郷土食「おやき」を食べて、中央道・圏央道を帰った。
『スマホ持参を忘れた2日間、音信不通も時には良いかも??』と、独り言。
「見・食べ・遊」のるるぶの旅、宿の予約も当然「るるぶトラベル」。
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