今の冬 一番の寒さを迎えた15日、旧日光街道「杉戸宿」の散歩に出かけた。
「東武動物公園」駅 に降りたが、この駅は 昭和56年まで「杉戸」駅 と云った。
でも駅の所在地は宮代町で、100m先の古利根川を越えると 杉戸町になる。
「旧杉戸宿」は直進なのだが、古川橋を渡って右折し川に沿って東に進んだ。
15分歩いて清池橋北から住宅街に直進し、公園脇を左折して「清池三丁目」
に出ると、そこが「旧日光街道」で 昔は杉戸宿の隣村に位置したところになる。
街道筋を 江戸寄りに進むと、民家の生垣内に「三本木の一里塚跡」の表示板。
街道を戻り西に進むと、宿場の手前に 江戸時代からの造り酒屋 「関口酒造」。
その先は「杉戸宿」に入るのだが、都市化によって 昔の面影はほとんどない。
それでも、新設「高札場」や「近津神社」「明治天皇ご休息跡石碑」等があった。
駅前通りの「本陣跡地前」から、古川橋まで戻って鰻の老舗「高橋屋」で昼食。
午後は本陣跡地前に戻って 街道を西北に進み、開宿400年の「のぼり」が見
られるなか、「本陣長瀬家の門」と「関宿街道道標」と 古民家の数軒を眺めた。
つづいて宿場町特有の「カギの手」に、米穀問屋「角殻」の建物が残っている。
北進し「宝性寺」をまわってから、街道のその先にある立派な旧家「渡辺家」を
外から眺めて左折し、江戸時代の用水路を示す「南側水路跡歩道」を越える。
古利根川左岸に出てから東に歩み、河原橋詰め東側「浅間神社」の「富士塚」
にある「芭蕉の句碑」を探し見てから、駅に戻って今日の日程を終了した。
『バショーの句だけに、刻んだ石碑のバショ が判らない 』 と、ひげ爺の独り言。
碑は判ったが文字が良く判らず、たとえ文字が判っても 句の意味は判らない。
「東武動物公園」駅 に降りたが、この駅は 昭和56年まで「杉戸」駅 と云った。
でも駅の所在地は宮代町で、100m先の古利根川を越えると 杉戸町になる。
「旧杉戸宿」は直進なのだが、古川橋を渡って右折し川に沿って東に進んだ。
15分歩いて清池橋北から住宅街に直進し、公園脇を左折して「清池三丁目」
に出ると、そこが「旧日光街道」で 昔は杉戸宿の隣村に位置したところになる。
街道筋を 江戸寄りに進むと、民家の生垣内に「三本木の一里塚跡」の表示板。
街道を戻り西に進むと、宿場の手前に 江戸時代からの造り酒屋 「関口酒造」。
その先は「杉戸宿」に入るのだが、都市化によって 昔の面影はほとんどない。
それでも、新設「高札場」や「近津神社」「明治天皇ご休息跡石碑」等があった。
駅前通りの「本陣跡地前」から、古川橋まで戻って鰻の老舗「高橋屋」で昼食。
午後は本陣跡地前に戻って 街道を西北に進み、開宿400年の「のぼり」が見
られるなか、「本陣長瀬家の門」と「関宿街道道標」と 古民家の数軒を眺めた。
つづいて宿場町特有の「カギの手」に、米穀問屋「角殻」の建物が残っている。
北進し「宝性寺」をまわってから、街道のその先にある立派な旧家「渡辺家」を
外から眺めて左折し、江戸時代の用水路を示す「南側水路跡歩道」を越える。
古利根川左岸に出てから東に歩み、河原橋詰め東側「浅間神社」の「富士塚」
にある「芭蕉の句碑」を探し見てから、駅に戻って今日の日程を終了した。
『バショーの句だけに、刻んだ石碑のバショ が判らない 』 と、ひげ爺の独り言。
碑は判ったが文字が良く判らず、たとえ文字が判っても 句の意味は判らない。