ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩16〔小山宿〕

2019-01-29 09:19:34 | 地域活動・つながり
寒さが増した大寒の25日に、日光街道12番目の宿場町「小山宿」を訪ねた。
小山駅に10時の到着、西口を出て間もない旧日光街道を左折し南に歩き出す。
そこは、本陣1軒脇本陣2軒と旅籠74軒を有した宿場ながら名残は全くない。
少し進んだ右側の「脇本陣跡」には、「明治天皇行在所」の石碑があるのみだ。
旧道を進んで右折、並木参道を西に進むと4号国道を越えた所が「須賀神社」
「平将門の乱」を鎮めた俵藤太(藤原秀郷)が、天慶三年(940)に 京都の八坂神社
から分霊創建したと云われ、現在まで近郊六十六郷の総鎮守となってきた。

4号国道を北に歩き、市役所敷地内にある軍議の場「小山評定跡」に立寄った。
徳川家康が上杉討伐に向かう途中、ここで評定を行い関ケ原に軍を向かわせた。
市役所の北側広場は、徳川将軍家が日光社参の際に休息した「小山御殿」の跡。
評定跡まで戻り 役所の裏側に出ると、駐車場の西は思川の堤防になっている。
その一角に、小山繁栄の基礎を築いた「小山政光・寒川尼」の夫婦像があった。
堤を北に進むと小山城の「城山公園」で、現在は展望や桜の名所になっている。

公園の途中を右に下って 家並みに出て、左折し進むと 古刹「天翁院」がある。
俵藤太の7代目の子孫が小山政光で、この地に移って小山姓を名乗り 源頼朝に
に加勢し功をあげ、鎌倉幕府の設立後はその地位を確立してこの寺を創建した。
参拝して国道を南に市役所まで戻り、左折し駅前に来たら丁度12時半だった。
駅前の小路を南に行った所のビストロで、オムレツのランチメニューでの昼食。
『今回は、宿場町散策と云うよりも 郷土史探訪だった 』と、ひげ爺の独り言。
昔「五街道の交差地」で栄えた小山、現在でも 新幹線を含めた交通の要衝だ。
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