我々夫婦の出かる日には、雨は降らないという 絶対的な神話が生きている。
この日も 雨予報を無視して決行、9時半にJR板橋駅に到着し東口に出た。
まずは駅前の「近藤勇墓所」へ、そこには 近藤勇像や墓石や石碑があった。
土方歳三や永倉新八の名もあり、新選組が庶民に慕われていたことが判る。
北に家並を入ると 平尾一里塚があった所、そこから西に街道が伸びている。
それが旧中山道で、埼京線の踏切を越え マンションが並ぶ街道を西に進む。
間もなく「平尾宿」の名に出会う、この辺は「板橋宿」の一部分だった所。
中山道最初の宿「板橋宿」は、平尾宿/中宿/上宿と 続く細長い宿場だった。
その先で 国道を斜めに越え、平尾宿の中心地右側にある「観明寺」を参拝。
さらに進むと「仲宿」ゲート、旧街道と板橋宿の雰囲気が 今も残っている。
情緒ある仲宿商店街が続き、遍照寺を過ぎた左奥に「板橋宿脇本陣跡」碑。
開発され 古い建物はないが、付近が「板橋宿」の中心地だったことが判る。
街道筋は 下町情緒を残しているが、歴史的案内表示が少ないことは残念だ。
先に進むと石神井川で、そこにかかるのは 宿場名由来の「板橋」という橋。
車が通行する現在の橋も、板目を使うなど 往時を想わせる姿になっていた。
板橋を渡ると「上宿」に入り、少し進んだ右側に「縁切り榎」の祠がある。
江戸最強の縁切り神社とは云うが、今でも 祈願絵馬の多いことにびっくり。
夫婦の縁が切れないうちに離れ、その先の環七通りを左折して 昼食にした。
『縁切榎のお陰なのか、最後まで コーモリ傘に縁はなかった』と、独り言。
板橋本町から三田線で新板橋駅へ、板橋駅まで歩き 埼京線経由で帰宅した。
この日も 雨予報を無視して決行、9時半にJR板橋駅に到着し東口に出た。
まずは駅前の「近藤勇墓所」へ、そこには 近藤勇像や墓石や石碑があった。
土方歳三や永倉新八の名もあり、新選組が庶民に慕われていたことが判る。
北に家並を入ると 平尾一里塚があった所、そこから西に街道が伸びている。
それが旧中山道で、埼京線の踏切を越え マンションが並ぶ街道を西に進む。
間もなく「平尾宿」の名に出会う、この辺は「板橋宿」の一部分だった所。
中山道最初の宿「板橋宿」は、平尾宿/中宿/上宿と 続く細長い宿場だった。
その先で 国道を斜めに越え、平尾宿の中心地右側にある「観明寺」を参拝。
さらに進むと「仲宿」ゲート、旧街道と板橋宿の雰囲気が 今も残っている。
情緒ある仲宿商店街が続き、遍照寺を過ぎた左奥に「板橋宿脇本陣跡」碑。
開発され 古い建物はないが、付近が「板橋宿」の中心地だったことが判る。
街道筋は 下町情緒を残しているが、歴史的案内表示が少ないことは残念だ。
先に進むと石神井川で、そこにかかるのは 宿場名由来の「板橋」という橋。
車が通行する現在の橋も、板目を使うなど 往時を想わせる姿になっていた。
板橋を渡ると「上宿」に入り、少し進んだ右側に「縁切り榎」の祠がある。
江戸最強の縁切り神社とは云うが、今でも 祈願絵馬の多いことにびっくり。
夫婦の縁が切れないうちに離れ、その先の環七通りを左折して 昼食にした。
『縁切榎のお陰なのか、最後まで コーモリ傘に縁はなかった』と、独り言。
板橋本町から三田線で新板橋駅へ、板橋駅まで歩き 埼京線経由で帰宅した。
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