またまたウナギの産地偽装が
ニュースになっていた。
こう暑くなれば、
ウナギのかば焼きの出番。
その出鼻をくじかれた格好の話題である。
それで思い出した。
弁当仕出し会社に勤めていた時、
土用の日を目標に、
春先から
いつもの仕事を終えると、
ウナギのカット作業にかかった。
一日に5~600切れ近くカットして、
ふたたび冷凍庫へ。、
冷凍のウナギは中国で加工された片身。
タレもついた調理済み製品。
作業を手早くやらないと、
解けだして手やまな板がべちゃべちゃになる。
といっても、
冷凍庫から出したばかりのウナギは、
まるで石みたいに硬い。
押し切りするしかない。
手にタコができてはつぶれる繰り返しだった。
当時、一緒に作業するのは、
日系ブラジル人と中国研修生の同僚たち。
ブラジルのアミーゴは、
とにかく腕力は抜きんでていた。
少々凍ったものでも、
顔色ひとつ変えず、スコスコ!
中国の若者たちは、
ある程度解凍するまでペチャクチャ!
そして、
わたしたち日本人は、
要領よく、
段取りや差配しながら、
カットしやすい状態を見極めたものだった。
三者三様で、
半年近くウナギのカットを続けた。
あのころ、
かば焼きの切り落としは、
作業員にはつまみ食いにもってこい。
あのたれは美味かったなあ。(笑)
中国産とわかっていても、
別に気にならなかったっけ。
そして土用の日、本番になると、
ウナギ弁当のノルマ分を
買わされる羽目になった。
10個も買うと、
結構な金額になったものだ。
かくいう私、
あまりウナギは好きじゃない。
まだアナゴのほうがいい。
だから買わされた弁当は、
妻や子供のほかに、
隣近所に配りまわったものだ。
あの悲喜こもごも思い出の詰まった
弁当製造会社も倒産して、
今はなくなってしまった。
平田弘史の
武士の生きざまを描いた
壮絶な物語。
なぜか引き込まれて読んでしまった
青春時代があったんだなあ。