ADAの成立した時は、日本の障害者運動にも大きなインパクトを与えた。
東京都中途失聴・難聴者協会は、アイ・ビー・エムウェルフェア・セミナー「中途失聴、難聴者のリハビリテーション」で故大阪府立大学社会福祉学部・定藤丈弘教授を招いて、成立したばかりのADAの内容について、報告してもらったことを思い出した。
ADAは別名、コミュニケーション法といわれるくらい、公共建築物のアクセスにも聴覚障害者に分かるような機器の設置や通信のアクセスにも電話リレーサービスなどを義務つけるなど聴覚障害者サービスを規定している。
先日、アメリカの障害者雇用均等機会委員会のQ&Aが出されたことを報告したが、ADAが成立して2年後その当時の状況が報告されたものがある。
筆者の久保構造氏は、ADAの成立に大きな力となった全米障害者協議会の議長のフランク・ボウ氏の日本招聘に力を果たした。フランク・ボウ氏は、1981年の国連国際障害者年の有名なスローガンである「障害者の社会への完全参加と平等」に、聴覚障害者にとって「完全」が必要であると主張した人としても知られる。彼は難聴者だ。
http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/ada-shakaifukushikenkyu.htm
久保耕三氏は、エンパワメント研究所の主宰メンバーでもある。障害者福祉専門の出版社・書店である有限会社スペース96も経営する。
http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/index.htm
各種文献は国連特別委員会で採択された障害者権利条約案などを考える際にも役立つだろう。
ラビット 記