
Oさん、
昨日の職場はいろいろなことが重なって最悪でした。
月末に作ってもらった人工内耳のマップが人の声がまったく聞こえない。
そういう時に限って、派遣社員や上司が風邪か何かの感染症というのでみなマスクをしてしまったので口も読めない。
上司も体調だけでなく機嫌も良くない。
トラブルの元になりそうなことを連絡するためにメールしようとしたら、そんなのより電話しろ、間に合わないという。明確に伝えるためにとメールを書いたのは聞こえないので自分でも明確に聞きたいということもあったがそれは無視された気持ちになる。しかもそれはもう電話したと言う。口ではそうですかと言うしかない。「電話したから大丈夫です」と言えば良いのではないか。ストレスはたまる。
1日は会社の一泊研修で要約筆記を付けてもらう問題で管理部長と話し合ったが、守秘義務の話でもなければ、費用の問題でもないと言う。私の日頃のコミュニケーションが困難な説明を聞くと四六日中要約筆記を付けなくてはいけないかのようだ、みんなと一体になるのが研修の目的なので、講義部分は自分の聞こえる範囲で(そんなに聞かなくても良いのではないかと言うのと同じ)、要するに自助努力が足りないと言わんばかりだ。
結果的には要約筆記を認めてくれたが本当に困っていることが理解されないままなのが悔しい。
難聴者が日頃感じるのはその場の言葉が聞こえないというよりは、「疎外感」、「孤立感」ではないでしょうか。
その場にいながら起きていることが分からないので、判断も行動も出来ない。
そのことが「疎外感」や「孤立感」になります。
しかし、それだけではなく、「焦燥感」や無理解に対する「怒り」にすら転化されようとします。
こうした心の動きを何があってこう感じたのかその時々の言動を記録しておくことは事態に対する対応を考える際に大切です。
思い出したくないかも知れませんが、思い出す過程も大切です。覚えておかなくてはならないと意識することが冷静に考える元になります。
毎日、目の前で交わされる会話が何かわからないまま見て過ごすのが1日だけでなく、毎日、何年も続く苦悩は、聞こえる人には分からないでしょう。
ラビット 記