難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の手話「指導」の中身

2009年12月06日 19時39分48秒 | エンパワメント
難聴者が初めて手話を学ぶ時に、最初から手話ありきではない「指導」が必要。

難聴者は誰でも普通に生きる権利がある、普通にコミュニケーション出来るし、自分に合った方法でかまわないということ、難聴者が主体性を持っているということを自覚して、「自立をともに進める」立場で手話の学習を支援するということ、自分たちが教えることにしないといけないということを今日話し合った。


ラビット 記

難聴者への働きかけ、組織化

2009年12月06日 16時04分45秒 | 日記(つぶやき)
社会には、聞こえや補聴器等の知識や相談出来るところが少ない。

病院や区市の福祉事務所に来られていない難聴者は補聴器を購入する前にいろいろ悩んでいるが、都レベルや区市レベルでも、こうした方々に働きかける取り組みはない。

NPO法人の難聴者協会の取り組みが行政や民間機関のできないところを行うにふさわしい。
自治体の協力も得やすい。


ラビット 記

難聴者は補聴器の情報を持たない

2009年12月06日 15時36分48秒 | 日記(つぶやき)
社会の中に、補聴器のことを知るための情報が行き渡っていない。

補聴器店には日々最新の情報が入るが、補聴器を装用した難聴者は普通補聴器が壊れるかその補聴器で聞こえにくくなるまでは補聴器店に行かない。

必然的に情報の量や質は販売店側にかなわない。
補聴器販売店は言ってみれば、自分の恣意的な販売が出来る。
難聴者は知識も主権者意識もない状態、補聴器や支援を必要とする人。権利擁護が必要な存在。
難聴者の権利を守って最大限の利益を与えるためにはきちんとカウンセリングできる人、意識を持った人が当たる人が必要。
認定補聴技能者の養成に当事者は関わっていないが大丈夫だろうか。

それが出来なければ、補聴器を販売するには販売と選択する場を切り離したシステムが必要になる。


ラビット 記
三鷹市の八幡神社

障害者政策研究全国集会自立支援分科会と難聴者問題

2009年12月06日 13時41分03秒 | 日記(つぶやき)
この集会に参加したのは初めてだったが、DPI日本会議や周囲の研究者(大学)の取り組みの内容がわかった。
際の施策に反映させようとしている姿勢はみならわなくてはならない。

午後の自立支援分科会のパネリストは全国自立生活センターの中西氏を除いて、障害当事者ではなかったが、
「ニーズ中心の福祉社会を」、「総合福祉サービス法の展望」などの執筆をしている。
これらの考えを取り入れて、難聴者自立サービス体系を築かなくては。

難聴問題は、特に児童は耳鼻科の医療やオージオロジー聴覚医学の面から取り組まれてきたために、生活支援、本人へのエンパワメントという視点が弱い。
聴覚補償か手話かということにもつながり、聞こえの保障(補聴器と補聴援助システム、通訳の普及)に支援が偏っている。

これは、もっと大きな視点で支援のあり方を見直さなくてはならない。
エンパワメントの一つとして、機能訓練と生活訓練を組み合わせたプログラムの開発が必要だし、難聴者問題に精通したソーシャルワーカー、言語聴覚士、ピアメンターの養成も課題になる。


ラビット 記