ヒックリジョー釣り日記

このブログは、釣り大好きサラリーマンの面白くも悲しい釣り日記です。

トラウトフィッシングにハマっていた頃・・・

2017-06-25 22:48:47 | 昔々
シェイクスピアスプーンにアワビ貼りチューンをする際、昔使っていたトラウト用バッグを取り出しました・・・

タラスブルバのショルダーバッグです。

キャンバス生地にヌメ革をあしらってあり、最初は普段使い用に購入したのですが、やがてルアーフィッシング用に使う様になりました。
久しぶりに取り出したのでヌメ革がカサカサになっていたため、ミンクオイルで手入れしておきました!

1985年頃から鹿児島の池田湖で巨大なトラウトが釣れ出し、「アングリング」に特集が載ってからは池田湖参りが続くようになり、1986年に76cm、1987年に77cmのモンスターブラウンを釣った時もこのバッグを携えていました・・・

そういえば、ドコモのギャラクシーのCMで山崎賢人が携帯を落とした湖は池田湖でしたね・・・
バックに映った開聞岳を見て懐かしさがこみあげてきました。

バッグの中に入れていたタックルケースを開いてみました。

こちらはスプーンのケース、左側が一軍のケースで、スミスの廃版スプーンプリズナーやクロコダイル、そして池田湖では定番と言われていたチヌーク(赤金)なんかが入っています。

右側のケースにも、今となっては廃版品のスプーンがびっしり。
ダイワのチャム、シェイクスピア、リトルクレオ、トビー、サラマンダー、スヌッセン、チヌーク等・・・

こちらはミノーのケースです。

オリジナルのジョー・ミノー、フローティングラパラ等、湖のトラウト用ミノーがびっしり!

オリジナルのジョー・ミノー12cm、13cmバージョンです。

このサイズはもちろん大型狙いとゆう事もありますが、#6、#4のトリプルフックが3本セットできるために必要なサイズで、ブラウンがヒットしたのもこのサイズでした!

こちらは、当時通っていた江川ダム用にダウンサイジングした10cmバージョン!

ウッド製でリトリーブで良く泳いでくれましたが、残念ながら江川ダムではトラウトのヒットは無く、バスが沢山釣れた思い出があります。

九州では大型のトラウトが釣れるフィールドは少なくなりましたが、北海道では先日訪れた支笏湖でも大型トラウトが釣れるロマンがあります。

機会があれば、このタックルを携えて再び彼の地を訪れてみたいと思います。

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鷲のマーク!

2011-08-27 20:01:47 | 昔々
「鷲のマーク」と言えば、昭和のテレビっ子世代だと「鷲のマークの大正製薬」とゆうキャッチコピーのCMが思い出されます。(今の子は知らんか・・・

中でも「リポビタンD」のCMは、昭和52年の勝野洋・宮内淳コンビから歴代配役を変遷しながら、今でも「ファイト~・一発(いっぱぁ~っ)」とゆうおなじみのキャッチコピーで続いています。

時には崖をよじ登り、倒木を持ち上げる登場人物たちを見て私の師匠は「こぎゃん元気な者は、リポビタンDば飲まんで良かッ!」と言い放ったのを覚えています。

話は変わって、ベテランのルアー・フライアングラーの中で「鷲のマーク」と言えば、
もちろんこれ・・・

ご存知、「フェンウィック」です。

アメリカのロッドメーカーの老舗で、現在でもオリジナルでロッドの製造をしている大御所であります。
ロッドのジョイントで、バットのオス側にティップのメス側のフュルールが入る日本でいうところの「逆印籠継」は今では主流なのですが、このスタイルはフェンウィックが「フェラライトフュルール」として世界で最初に開発しました。(アメリカでは1965年に特許取得)

国産メーカーでは、まだ本格的なルアー、フライロッドが少なかった1971年、ティムコが日本へフェンウィック製品の輸入を開始し、この「鷲のマーク」は当時のルアー少年達の憧れでした。

ロゴの鷲が掴んでいるのはフライロッドで、同社のフライロッドはハーフウェルズのコルクグリップと独自のフックハンガーがオリジナリティ溢れてましたね~。
HMGグラファイトでいち早くグラファイト素材を導入し、これは現在のグラファイトロッドの草分けでもありました。

私が、憧れのフェンウィックロッドを手に入れたのも、社会人になって給料をもらうようになってからでした。

ロッドケースも特徴的でしたね。

フェラライトグラスのブラウンのブランクに「鷲のマーク」と独自の飾り巻き!

上がスピニングのFS55、下がベイトでFC60!
FC60はモデル名のプリントが擦り消えちゃっています・・・

世代的には、グリップやガイド等のパーツが富士工業製に変わった頃の製品ですが、この太いスウェルドバットがグラスロッドのアクションに絶妙に効いていました。

FS55はカーディナル33とセットで渓流用にしていましたが、グラスロッドでもバットが効いてくれるのでバス釣りで酷使するようになり、ガイドのスレッドにクラックが入ってしまいました・・・

FC60はトップウォータープラグのバス釣りには、まさに「テッパン」で、アンバサダー5000Cとのセットで多くのバスをトップウォーターで釣ったものでした。

その後、私のメインロッドの座はスピニングはスーパーパルサー、ベイトはスーパーストライカーと国産タックルに移り変わって行きましたが、この「フェンウィック」のロッド達は青年時代にたくさんの思い出を作ってくれました・・・

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サーフェースプラッガー

2010-07-31 22:30:24 | 昔々
日本にトップウォーターのバス釣りを紹介した先達「則 弘祐」氏がご逝去されたそうです。
私も少なからず氏のスタイルに影響を受けた一人として、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

氏の著書「ブラックバス釣りの楽しみ方」は、産報出版の月刊誌「フィッシング」の特集記事に加筆して刊行された本で、まだ九州でもバスが釣れる場所が少なかった頃ルアー少年だった私のバイブルでもありました。(1冊目はボロボロになってしまい、たしかこれは2冊目です)

サーフェースプラグのフリークを「サーフェースプラッガー」と呼び、タックル紹介の写真を見て、いつかはこんなタックルが欲しいと夢見たものです。


その後、時代の変遷に合わせて「トップウォーターバス釣り ガボッ」として内容を刷新して再販され、バスがプラグの下に浮いて来ている写真を見てモヤモヤしたものです。


社会人になってから揃えたサーフェースプラッギングのタックル達も、今ではなかなか使わなくなってしまいましたが、久しぶりにクローゼットから出してみました・・・


せっかく出したので、久しぶりにアブのアンバサダーもメンテナンスしちゃいます。


いつかまた、このタックル達でのんびりとバス釣りを楽しんでみたいと思います。

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「釣りキチ三平」!

2009-02-11 21:08:56 | 昔々
今日はいい天気の祝日でしたが、仕事でした・・・

仕事帰りに書店に寄ったら、フィッシングフィネックの「釣りキチ三平」特集号が出ていました!
3月に映画も公開になるとのことで、中古釣具の大型チェーン店もタイアップするなど、最近話題になっております。


私もリアルタイムで読んでいた世代なので、懐かしくて思わず買ってしまいました。
漫画の中で三平少年が使用するタックルにも憧れて、小遣いを貯めてダイワの投げ竿「ジェットスポーツ」を買った思い出があります。

改めて振り返ってみると、この「釣りキチ三平」が初めて連載されたのが1973年で今から35年前、いやはや月日の経つのは早いものです・・・

私と同世代の釣り人の多くは、少なからず三平少年の影響を受けているのではないでしょうか・・・
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「釣りキチ三平」映画化!

2008-08-14 23:02:39 | 昔々
今日「釣りキチ三平」の映画化のニュースを見ました。(ちょっと乗り遅れたかな?)
しかも実写で映画化!

「釣りキチ三平」といえば、私が小学校のころ少年マガジンに連載開始され、現在も特別編として「平成の三平シリーズ」が掲載される、矢口高雄先生の人気釣り漫画であります。(年齢が判ってしまいます・・・
連載開始当時は、まだ少年誌での「釣り漫画」とゆうジャンルは無いに等しかったのですが、作者の強い思いにより釣りのディテールもきちんと描かれており、少年マンガにありがちな荒唐無稽のストーリーだけじゃ無い「人間ドラマ」もちゃんと織り込まれていました。

私も子供のころからの釣りキチで、主人公の三平少年とはちょうど同年代だったこともあってひときわ思い入れも強く、「釣りキチ三平フィッシングクラブ」にも入会し、会員だけが購入できるオレンジ色のフィッシングキャップを被ってよく釣りに行ったものでした。

今回の映画では、主演の三平役に映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズに出演していた13歳の須賀健太君が選ばれたそうで、どんな三平を演じてくれるのか今から楽しみです。(一平じいさんと魚紳さんの配役はちょっと???)

「釣りキチ三平」は一度アニメ化されTV放送になったのですが、釣りのシーンでの魚の質感の表現の雑さ(当時のアニメではいた仕方ない?)と、リールサウンドのエフェクトがどのリールでも同じだったりして、どうもいただけませんでした。

今度の映画は「夜鳴き谷の巨大魚」のお話だそうですが、釣りのシーンでの考証や1メートルの巨大岩魚をどこまでリアルに表現できるのかも楽しみであります。
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釣堀考

2008-07-21 21:58:12 | 昔々
その昔、私の父がまだ若かった時代、佐賀市内の歓楽街に「釣堀センター」なるものがありました。
その店では屋内に作られた生簀のようなプールに青く着色された水が張ってあり、お客さんはのべ竿で(餌は赤虫)釣り上げた鯉をお店が魚の重さに応じて買い戻すとゆうシステムで、いわゆる大衆娯楽のひとつでありました。
父はもちろん私と同じ釣りバカのDNAを持っており、若いころはこの「釣堀センター」でだいぶお小遣いを稼いでいたのではないかと思います。

そういえば、熊本市内にもこれと同じようなシステムの釣堀があり、釣り上げた鯉の重さで賞金が出るとのことで昔行ったことがありました。
結果は「200両」・・・
そう、この釣堀だけで使える割引券でした。
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GWも終わり・・・

2008-05-11 23:46:19 | 昔々
GWはどこに行っても人ばかりで、渋滞するのが嫌なため、最近では日帰りの小旅行に出かけるのが我家の主流であります。
今年は中津江村へデイキャンプでバーベキューに行っただけで、釣りは「ナッシング~」でありました。

そういえば、昔は家族揃って釣りに出かけて子供と釣りをする事が結構多かった気がします。
そんな昔の写真をいくつか・・・

我家はひとり娘なのですが、幼少の頃から釣りの英才教育を施してきました。
そのため、「ダイワヤングフィッシングクラブ」に自ら加入するほどの釣り好きに育ちました。


もちろん淡水の釣りだけでなく、海釣りも大好きであります。
(本人曰く、根魚の釣りが一番好きだそうです)



この写真は「釣具のポイント」のHPにも採用されました。
(残念ながらHPの写真変わっちゃいました・・・)

そんな娘も今では中学3年生!
最近は勉強とクラブ活動で忙しく、なかなか一緒に釣りに行く機会が少なくなりました。
子供と釣りに行ける時期とゆうのは、意外と短いなとゆうのが最近の実感です。
私との「釣りの思い出」が娘の心の中にどれだけ残っていくのでしょうか・・・
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若気の至り(その3)

2008-03-24 23:03:37 | 昔々
昔、巨大なトラウトを狙って池田湖通いをしていた時代、トラウトゲームの世界ではハンドメイドミノーが一世を風靡していました。
バスプロでも有名な泉氏のH・M・K・Lや、リベット、ムラセミノー等、それはそれは綺麗でリアルなミノーが、魚だけでなくアングラーの心も捕らえて離しませんでした。

中でも私の心を捕らえたのは、遠藤アートクラフト製のウッドベイトとゆうミノーでした。当時ハンドメイドミノーの素材はバルサが中心で、アルミ貼りにエアブラシでカラーリングとゆうのが主流でしたが、ウッドベイト製作者の遠藤氏は家具職人でもあり、外材のアガティスとゆうハードウッドを使用し、鱗模様や鰓の造形もラパラナイフによる一刀彫りとゆう変り種でした。

元来、手作りが好きな私自身もウッドベイトをモデルにしたミノーを、ホウの木で多数作成しました。このタイプのミノーは鱗模様を一本一本ナイフで彫り込んでいくため作業には根気が要りますが、背中のカラーリングは掘り込んだ鱗模様のウッドに直接塗料を含蓄させる方法でエアブラシが不要のため、コンプレッサーやピースコンが買えなかった私にはうってつけの方法でした。
ただ、コーティング作業で毎晩夜なべしてセルロースセメントのディッピングを繰り返していたのを思い出すと、あの頃は若かったなぁと感じます。
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若気の至り(その2)

2008-03-22 12:26:28 | 昔々
その昔、ルアー(フライ)フィッシングが今ほどポピュラーでなかった時代には、当然のことながらインターネットなどある訳がなく、情報元といえばまだ数少なかった雑誌(当時はフィッシングと隔月刊のアングリング程度)と、その道のパイオニアの方々とのクラブを通じた交流等に限られていました。
当時、私もJLAAの九州北支部に所属しており、ルアー釣り業界で有名なY・T氏も同じ支部に所属していました。
やがて、九州各地のエリアでも様々なターゲットが開拓されるようになり、鹿児島の池田湖でモンスター級のトラウトが釣れることが話題になると、私たちも当然のように池田湖通いに明け暮れていました。
その結果、ミノーイングで1986年3月にブラウントラウトの76cm、1987年1月には77cmのブラウンを釣り上げることができ、当時のアングリングに掲載されましたが、同誌に本栖湖で釣れた82cmのブラウンが掲載され、上には上がいるもんだと感心したのを覚えています。
77cmのブラウンは剥製となり、今でも我家の玄関でにらみを利かせています。

大きな魚を釣ると、その魚は思い出となり、何度も何度も繰り返し思い返し心の中を泳ぐため「ライフフィッシュ」と呼ばれると聞いたことがあります。
残りの人生の中でも「ライフフィッシュ」と呼べるような魚と出会いたいと思う今日このごろです。
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若気の至り(その1)

2008-03-22 10:51:15 | 昔々
最近はあまり行かなくなりましたが、昔(かなり昔?)はバス釣りにはまっておりました。中でもトップウォーターでの釣りが大好きで、ゴムボートに始まりフローターを経てアルミボート(ジョンボート10f)まで購入する程の熱の入れようでルアーやタックルにかなりの散財をしておりました。
久しぶりに、昔使っていたタックルボックスを開けてみたら当時の記憶が蘇ってきました。当時はアムコのタックルボックスに溢れるほどルアーをストックするのがアングラーの憧れで、上段のトレイは狭かったので仕切りのプラスチックを削って詰め込んでいます。
写真のチャンピオングリップはスミスのスーパーストライカー(最初はこの名前で売り出されましたが商標権の関係でスーパーストライクに改名)のオリジナルで、バス釣りのブーム再燃時には、スーパーストライクFO-60にオークションで高値がつくような時代もありました。
バスを取り巻く環境も時代とともに変わってきていますが、また機会があれば、昔のタックルでのんびりとトップウォーターゲームを楽しんでみたいと考えています。
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