実力があれば驚くことは無い!
外資系の会社の内容に前回若干触れた。
今日の部長も明日は平社員と言うことも十分ありうる。
平家物語の「盛者必衰の理」
そして昨日まで使っていた部下が部長になり、
今日から部下が上司になることも余り気にしない。
仕事が出来ればどんどん昇格するが、
一旦ダメだとレッテルが貼られると、徹底して降格していく。
奈落の底の表現がぴったりである。
絶えずリストラクチャを試みている。
だから、一旦平社員になっても、そのあと良い仕事が出来れば、
敗者復活のチャンスがやってくるのはいうまでも無い。
栄枯盛衰は世の習いである。
男女平等もはっきりしている。
仕事さえきちんとできれば、女性がどんどん昇格していく。
若いお姉さんに顎で使われ、
「ハイ、これコピー頼みます!」
といい年のオッサンが使われているのも珍しくない。
その昔、アメリカへ研修旅行で行ったとき、
事務所のレイアウトが、日本と全く違うのに気がついた。
日本では、机と机が並んで間に仕切りは無いが、
アメリカでは、机と机の間に仕切りがあり、
机に向かって仕事をしていれば、向かいの人とも左右の隣人とも、
顔をあわせることは無い。
困った顔をしようが、へらへら笑っていようが、顔は見えないし、
少し小声で話せば、電話で話している内容も聞こえることは無い。
それだけに仕事に熱中できる。
個室にいるようなものである。
それが日本でも外資系の会社は、
同じように机と机の間は仕切られており、立ち上がらないと相手を見ることは出来ない。
少し離れたところからは、頭だけしか見えない。
今はどうか知らないが、少し前まで、年功序列の日本では、
降格させるにしても、時期を見て行い、
少なくも同じ部署に配置するなどということは無かった。
その点では、情状が酌量される。
日本でも、仕事の出来不出来により、昇格、昇進の差は出てくる。
学歴も入社年月も同じでも、
一方は部長に、一方は課長で、あるいは、平社員のまま終わってしまう人もいる。
個人差は止むを得ない。
サラリーマンが収入を増やそうとすれば、
昇格していく以外に方法が無い。
そうでなければ、悪いことと知りながら、
会社を食い物にして横領でもする以外に収入を増やすことは難しい。
悪いことは必ず露見して新聞種になっている。
これは避けなければならないのは、いうまでも無い。
外資系では、トップ人事も同じだ。業績が上がらないと、即刻、首をすげ替えられるが、
さすがに、これは決算時期に合わせて行われる。
日本のように創業者だからと、絶大な権力があった経営者だからと、
あるいは一時期、相当な実績を上げたからなどと、情状酌量はされない。
仕事の上で実績が上がれば、極端な話が今までの敵対相手の会社であろうと、
高給ですっぱ抜いて連れて行ってしまう。
極めてドライだ。
日本も今や未曾有の不景気の中にあり、
景気も少し上向きかけたかな、という時期にさしかかっている。
企業は躍起になって営業努力をし、不良企業からの脱出を図っている。
したがって、利益向上のためには、恥も外聞もなく、義理人情もなく、
社内の再構築に迫られている。
売上高ー経費=利益の構図は不変であるから、
売り上げを増やすか、経費を少なくするかを採用して利益を増やそうとする。
年々増えてきた経費の中で、一番大きな割合を占めるのは人件費であるため、
人減らしを考えるのが、一番手っ取り早い。
だから、いてもいなくてもあまり影響のない人から、
しかも出来るだけ高給取りから、減らそうとする。
この中で一番近くにいるのが、中高年である。
社員想いの会社は、今辞めたほうが得になるくらい沢山の退職金を出して、
退職者を募集する。
発表と同時に締め切らなければならないほど応募者が多いこともある。
こんな会社は、その後残った社員もリストラにおびえることもなく、
会社に忠誠心を持って仕事をするだろう。
ところが先見性のない経営者のいるところでは、
経営がもうどうにもならないところへ来てから、リストラを試みるので、
社員を優遇することが出来ない。
社員は辞めないでしがみつくことになる。
こんな会社では、残された社員も、いずれ我が身と思い、
機会を見て脱出を図ることを考える。
最近では、日本でもこんなことが起きるようになり、
社員の忠誠心は無くなってきた。
ぼやぼやしていれば降格も当たり前の時代だから、
社員も潮時を見計らって、競争相手会社にも異動していってしまう。
そんな時代になった。
しかし、異動できるのは、それなりに実力があり、
有能な人であることは確かである。
どんな時代になろうと、地道に確かな仕事をして、実力を身につけてきた人には敵わない。
そんな人であれば、リストラされようと、部署を変えられようと、
何処でなにが起きようと、嘆いたりしないし、
どんな場合でもキチンと変化に、対応できるものである。
どんな組織の中にいても、あの人がいれば大丈夫。
あの人がいなくなると困る。あいつはどうしても必要だ。
といわれるような人になれれば、リストラの嵐にあおうと、
首になろうと心配することはない。
どこかで、誰かが、そんなあなたを必要としているのだから!
そのためには、いつも何処でも、必要とされる人間でありたい!
外資系の会社の内容に前回若干触れた。
今日の部長も明日は平社員と言うことも十分ありうる。
平家物語の「盛者必衰の理」
そして昨日まで使っていた部下が部長になり、
今日から部下が上司になることも余り気にしない。
仕事が出来ればどんどん昇格するが、
一旦ダメだとレッテルが貼られると、徹底して降格していく。
奈落の底の表現がぴったりである。
絶えずリストラクチャを試みている。
だから、一旦平社員になっても、そのあと良い仕事が出来れば、
敗者復活のチャンスがやってくるのはいうまでも無い。
栄枯盛衰は世の習いである。
男女平等もはっきりしている。
仕事さえきちんとできれば、女性がどんどん昇格していく。
若いお姉さんに顎で使われ、
「ハイ、これコピー頼みます!」
といい年のオッサンが使われているのも珍しくない。
その昔、アメリカへ研修旅行で行ったとき、
事務所のレイアウトが、日本と全く違うのに気がついた。
日本では、机と机が並んで間に仕切りは無いが、
アメリカでは、机と机の間に仕切りがあり、
机に向かって仕事をしていれば、向かいの人とも左右の隣人とも、
顔をあわせることは無い。
困った顔をしようが、へらへら笑っていようが、顔は見えないし、
少し小声で話せば、電話で話している内容も聞こえることは無い。
それだけに仕事に熱中できる。
個室にいるようなものである。
それが日本でも外資系の会社は、
同じように机と机の間は仕切られており、立ち上がらないと相手を見ることは出来ない。
少し離れたところからは、頭だけしか見えない。
今はどうか知らないが、少し前まで、年功序列の日本では、
降格させるにしても、時期を見て行い、
少なくも同じ部署に配置するなどということは無かった。
その点では、情状が酌量される。
日本でも、仕事の出来不出来により、昇格、昇進の差は出てくる。
学歴も入社年月も同じでも、
一方は部長に、一方は課長で、あるいは、平社員のまま終わってしまう人もいる。
個人差は止むを得ない。
サラリーマンが収入を増やそうとすれば、
昇格していく以外に方法が無い。
そうでなければ、悪いことと知りながら、
会社を食い物にして横領でもする以外に収入を増やすことは難しい。
悪いことは必ず露見して新聞種になっている。
これは避けなければならないのは、いうまでも無い。
外資系では、トップ人事も同じだ。業績が上がらないと、即刻、首をすげ替えられるが、
さすがに、これは決算時期に合わせて行われる。
日本のように創業者だからと、絶大な権力があった経営者だからと、
あるいは一時期、相当な実績を上げたからなどと、情状酌量はされない。
仕事の上で実績が上がれば、極端な話が今までの敵対相手の会社であろうと、
高給ですっぱ抜いて連れて行ってしまう。
極めてドライだ。
日本も今や未曾有の不景気の中にあり、
景気も少し上向きかけたかな、という時期にさしかかっている。
企業は躍起になって営業努力をし、不良企業からの脱出を図っている。
したがって、利益向上のためには、恥も外聞もなく、義理人情もなく、
社内の再構築に迫られている。
売上高ー経費=利益の構図は不変であるから、
売り上げを増やすか、経費を少なくするかを採用して利益を増やそうとする。
年々増えてきた経費の中で、一番大きな割合を占めるのは人件費であるため、
人減らしを考えるのが、一番手っ取り早い。
だから、いてもいなくてもあまり影響のない人から、
しかも出来るだけ高給取りから、減らそうとする。
この中で一番近くにいるのが、中高年である。
社員想いの会社は、今辞めたほうが得になるくらい沢山の退職金を出して、
退職者を募集する。
発表と同時に締め切らなければならないほど応募者が多いこともある。
こんな会社は、その後残った社員もリストラにおびえることもなく、
会社に忠誠心を持って仕事をするだろう。
ところが先見性のない経営者のいるところでは、
経営がもうどうにもならないところへ来てから、リストラを試みるので、
社員を優遇することが出来ない。
社員は辞めないでしがみつくことになる。
こんな会社では、残された社員も、いずれ我が身と思い、
機会を見て脱出を図ることを考える。
最近では、日本でもこんなことが起きるようになり、
社員の忠誠心は無くなってきた。
ぼやぼやしていれば降格も当たり前の時代だから、
社員も潮時を見計らって、競争相手会社にも異動していってしまう。
そんな時代になった。
しかし、異動できるのは、それなりに実力があり、
有能な人であることは確かである。
どんな時代になろうと、地道に確かな仕事をして、実力を身につけてきた人には敵わない。
そんな人であれば、リストラされようと、部署を変えられようと、
何処でなにが起きようと、嘆いたりしないし、
どんな場合でもキチンと変化に、対応できるものである。
どんな組織の中にいても、あの人がいれば大丈夫。
あの人がいなくなると困る。あいつはどうしても必要だ。
といわれるような人になれれば、リストラの嵐にあおうと、
首になろうと心配することはない。
どこかで、誰かが、そんなあなたを必要としているのだから!
そのためには、いつも何処でも、必要とされる人間でありたい!