(はじめまして!)
ボクの会社から下宿先までの通勤路は、
道玄坂を歩いて渋谷駅へ、
東急玉川線の路面電車(ちんちん電車:通称玉電)に乗って、
三軒茶屋経由、下高井戸方面へ行き、松蔭神社駅で降りて、徒歩数分。
今では電車も田園都市線などと言って、
しゃれた名前があり、地下を走っている。
電車でなければ、渋谷からバスで世田谷通りを下り、
世田谷一丁目で下車、歩いて数分であった。
ボクがカミさんと出逢ったのは、
会社から渋谷駅までの道玄坂を下る会社からの帰り道であった。
駅まで約十分ばかりの間に、
彼女が母一人娘一人の家庭であることを知った。
父親は戦争で無くなっている。
死んだかどうか不明のままらしい。
まだ18歳で目の大きな、世間知らずで素直な可愛い女の子という感じであった。
そのうち仕事のことで、
どうしても資料作りをしてもらう必要が出てきてきた。
まだ会社に入って間もないボクには、
仕事を依頼する権限も無く、
仕事の合間を縫っての資料作りを彼女にお願いした。
上司に内緒であったが、彼女は気持ちよく引き受けてくれた。
内容はこうだ。
ある商品が在庫日数を60日超すと、
販売利益が損(赤字)になるという原則に気がついたからである。
その証拠となる資料作りを彼女に依頼した。
60日を超えて販売された商品の全てと
その損益を洗い出す作業であった。根気の要る仕事であったが、
お陰で資料作成が出来、
この商品については、60日以内に利益を度外視して売り切るルールが出来た。
会社は、以後損を計上することなく、
売り上げをあげることが出来ることになったのは、いうまでも無い。
さらに、商品を分析して、商品の入荷から販売完了まで、
60日以上かかりそうな商品の特徴を見極め、
手早く販売に見切りをつけ、通常の50%の利益でも、
あるいは利益0円でも、入荷と同時に販売することにより、
更に利益確保(赤字より儲け無し)に、貢献することになった。
そして数年後には、業界全体にこの原則は取り入れられ、
業界全体に貢献することになった。
さて、話を戻そう。
結果としていろいろ接触する機会が増え、
休みの日曜日にも資料のことで話さなければならぬ事が出来て、
電話でやり取りもするようになった。
そんな時、たまには映画でも観ようかということになり、
さらに接近していった。
ある日曜日、彼女がボクの下宿先へ遊びに来るという。
ノーという理由も無く、彼女は遊びに来たが、
御存知の通り、男やもめに蛆が湧くほど汚い四畳半のアパートの部屋であった。
その頃のボクは、両親を亡くし、誰にも迷惑はかからぬと、
散々遊び歩いている最中であった。
ボクは26歳、彼女は20歳の時のことである。
この模様は以前書いた。
部屋の中は、布団は敷きっぱなし。埃が立つから、
ほこりの上に新聞紙を重ね重ねして一ヶ月経つと掃除をするという生活であった。
下着類、靴下もゆうに三十足は超えて、
着るもの、履くものがなくなると洗濯をするという生活であった。
彼女が遊びに来るというので、
とりあえず汚れ物は、押入れに突っ込んで、
曲がりなりにも部屋は掃除をしたが、
彼女は汚いといって、掃除を始めた。
四畳半であるから、掃除を始めると、一人で十分。もう一人は邪魔になる。
そこでボクは部屋の外で、隣の下宿人と世間話をして暇をつぶした。
その内、雑巾は何処にあるかと思い、彼女が部屋を探した。
探すところは、押入れしか他には探すところは無い。
押入れを開けたら、洗濯物が山ほど出てきた。
今度は洗濯をするという。
遊びに来たはずが、掃除洗濯になって一日が終わり、彼女は帰った。
これに懲りてもう来るなんて言わないだろうと思った。
次の日曜日、先週のお礼に昼食を御馳走することにした。
食事後、ボクの部屋へ掃除に来るという。
こんなことが、何週間も続いた。
そして、これが結婚する最初の出会いであった。
結婚後、この話をして、「ボクの部屋へ、よく来る気になったね」と話すと、
「お兄ちゃんの部屋を掃除する気分」であったそうだ。
なお、独身時代に持っていた、下着、靴下、パジャマ、布団のシーツなどは、
結婚後汚れ物として、すべて廃棄処分されていた。
ボクの知らぬ間に...
ボクの会社から下宿先までの通勤路は、
道玄坂を歩いて渋谷駅へ、
東急玉川線の路面電車(ちんちん電車:通称玉電)に乗って、
三軒茶屋経由、下高井戸方面へ行き、松蔭神社駅で降りて、徒歩数分。
今では電車も田園都市線などと言って、
しゃれた名前があり、地下を走っている。
電車でなければ、渋谷からバスで世田谷通りを下り、
世田谷一丁目で下車、歩いて数分であった。
ボクがカミさんと出逢ったのは、
会社から渋谷駅までの道玄坂を下る会社からの帰り道であった。
駅まで約十分ばかりの間に、
彼女が母一人娘一人の家庭であることを知った。
父親は戦争で無くなっている。
死んだかどうか不明のままらしい。
まだ18歳で目の大きな、世間知らずで素直な可愛い女の子という感じであった。
そのうち仕事のことで、
どうしても資料作りをしてもらう必要が出てきてきた。
まだ会社に入って間もないボクには、
仕事を依頼する権限も無く、
仕事の合間を縫っての資料作りを彼女にお願いした。
上司に内緒であったが、彼女は気持ちよく引き受けてくれた。
内容はこうだ。
ある商品が在庫日数を60日超すと、
販売利益が損(赤字)になるという原則に気がついたからである。
その証拠となる資料作りを彼女に依頼した。
60日を超えて販売された商品の全てと
その損益を洗い出す作業であった。根気の要る仕事であったが、
お陰で資料作成が出来、
この商品については、60日以内に利益を度外視して売り切るルールが出来た。
会社は、以後損を計上することなく、
売り上げをあげることが出来ることになったのは、いうまでも無い。
さらに、商品を分析して、商品の入荷から販売完了まで、
60日以上かかりそうな商品の特徴を見極め、
手早く販売に見切りをつけ、通常の50%の利益でも、
あるいは利益0円でも、入荷と同時に販売することにより、
更に利益確保(赤字より儲け無し)に、貢献することになった。
そして数年後には、業界全体にこの原則は取り入れられ、
業界全体に貢献することになった。
さて、話を戻そう。
結果としていろいろ接触する機会が増え、
休みの日曜日にも資料のことで話さなければならぬ事が出来て、
電話でやり取りもするようになった。
そんな時、たまには映画でも観ようかということになり、
さらに接近していった。
ある日曜日、彼女がボクの下宿先へ遊びに来るという。
ノーという理由も無く、彼女は遊びに来たが、
御存知の通り、男やもめに蛆が湧くほど汚い四畳半のアパートの部屋であった。
その頃のボクは、両親を亡くし、誰にも迷惑はかからぬと、
散々遊び歩いている最中であった。
ボクは26歳、彼女は20歳の時のことである。
この模様は以前書いた。
部屋の中は、布団は敷きっぱなし。埃が立つから、
ほこりの上に新聞紙を重ね重ねして一ヶ月経つと掃除をするという生活であった。
下着類、靴下もゆうに三十足は超えて、
着るもの、履くものがなくなると洗濯をするという生活であった。
彼女が遊びに来るというので、
とりあえず汚れ物は、押入れに突っ込んで、
曲がりなりにも部屋は掃除をしたが、
彼女は汚いといって、掃除を始めた。
四畳半であるから、掃除を始めると、一人で十分。もう一人は邪魔になる。
そこでボクは部屋の外で、隣の下宿人と世間話をして暇をつぶした。
その内、雑巾は何処にあるかと思い、彼女が部屋を探した。
探すところは、押入れしか他には探すところは無い。
押入れを開けたら、洗濯物が山ほど出てきた。
今度は洗濯をするという。
遊びに来たはずが、掃除洗濯になって一日が終わり、彼女は帰った。
これに懲りてもう来るなんて言わないだろうと思った。
次の日曜日、先週のお礼に昼食を御馳走することにした。
食事後、ボクの部屋へ掃除に来るという。
こんなことが、何週間も続いた。
そして、これが結婚する最初の出会いであった。
結婚後、この話をして、「ボクの部屋へ、よく来る気になったね」と話すと、
「お兄ちゃんの部屋を掃除する気分」であったそうだ。
なお、独身時代に持っていた、下着、靴下、パジャマ、布団のシーツなどは、
結婚後汚れ物として、すべて廃棄処分されていた。
ボクの知らぬ間に...