あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

マオリ 3

2015-04-12 | 過去の話
ある雨の夜、テラスでぼんやり山を眺めているとダニエルが声をかけてきた。
「ヘッジ、下へ来て一杯やらないか?」
「うーん、どうしようかな。もうちょっとのんびりしたら行くよ」
正直ちょっとおっくうだった。
行けばそれなりに楽しいだろうが、仕事の疲れが多少残っていた。
こんな日は家でゴロゴロとヘナレが借りてきたカンフー映画でも見ようと思っていた矢先だ。
いやいや、こういったチャンスは逃してはいけない。自分に言い聞かせて重い腰をあげた。
彼らの家に入るとダニエルの兄ナイロがギターを抱えていた。
ナイロは数日前にロニーと入れ替わるようにクィーンズタウンへやって来たばかりだ。
巨漢のダニエルに比べれば一回り小さいが、がっしりした体格でジャージの上下など着ているものだからまるで体育の先生のようだ。
後で聞くとマオリの武術をやっているとの事。納得。
右目の上にピアスがぶら下がっているのは何か意味があるのだろうか。
兄弟の会話は英語半分マオリ語半分で、僕には全く理解ができない。
唄う歌はマオリの歌だけだ。意味はわからないが音の響きが実に心地よい。
それに加えナイロのギターが素晴らしく、思わず聞きほれてしまう。
彼はぎっちょなのかギターを右向きに持つ。
小さい時からそれでやってきたのだろう。ギターは右利き用のままで器用に弾く。
ダニエルやロニーのギターも上手いと思ったがそれとは次元が違う。
周りでは若いヤツラがビールを片手にナイロのギターに合わせて唄う。
のってくると床を踏み鳴らし、腕を振り回しマオリのダンスを踊りながら唄う。
女の子達はポイと呼ばれるヒモの先にボールが付いた物をパタパタと器用に回しながら唄う。
女達のポイも男達のダンスも何十回かマオリのショーで見たことはある。
思い込みとは恐ろしいもので、こういったものをやるのはショーの時だけだと思っていた。
ショーが終りメイクを落とすと普通の兄ちゃん姉ちゃんであり、この家では普段着の彼等が誰に見せるわけでもなく自分達の為に唄う。
パケハの文化に屈服しないマオリの文化はこうやって生きる。
僕は一人観客となり彼等の音楽を楽しんだ。
歌を終え各自ビールやお茶を飲む。僕はテラスでナイロと山を眺めた。彼と2人きりで話すのは初めてだ。
「ナイロ、君のギターは素晴らしいよ。今夜はいい思いをした」
「そう言ってもらうとうれしいな」
彼はスパイツをがぶりと飲んで言った。
「うん、このビールも悪くないな」
ナイロは南へ来てまだ日は浅い。ロニーが去り、入れ替わるようにやって来たのだ。
「普段は何を飲んでいるんだ?トゥイか?」
「いや、ワイカトだな」
トゥイもワイカトラガーも北のビールだ。
「南ではみんなスパイツだろう」
「ああ、このビールもなかなか良いぞ。悪くない」
「ここでは安いしね」
「本当はウィスキーが好きなんだ。グラスに氷を浮かばせて飲むのが好きだ」
「ナイロ、オレはウィスキーは飲めないんだ」
「ふーん、他には何を飲む?サケか?」
「ああ、美味いサケはいいぞ。飲んだことはあるか?」
「オレが教えてもらったのは、オーブンに入れて温めて飲む。あれも美味かったなあ」
「ナイロ、本当にいいサケは冷やしても美味いんだぞ。そうだなちょうど白ワインみたいにな。そうだ、今度日本の土産に上等のサケを買ってくるよ。びっくりするぜ」
「それならオマエが帰ってきたらウェルカムホームのライブをやろう」
「うわ、そりゃ嬉しいや」
ビールを持った手を軽く上げて、僕の目を見ながら彼は言った。
「なに、これが俺達マオリのやりかたさ」

ある午後、仕事を終え家へ戻るとナイロがいた。
「キオラ ブロ ノー マヒ トゥデイ?」
彼等との会話にはマオリ語が混ざる。キオラは挨拶、ブロはブラザー、兄弟、マヒは仕事のことだ。
「おう、ちょうどマヒを終えた所だ。家へ来てお茶でも飲むか?」
「いいねえ兄弟、御馳走になるよ」
お茶を煎れながら僕は言った。
「とっておきのグリーンティーをいれてあげよう。オレのホームタウンから送られてきたものだ」
ナイロは日本の味がとても好きだ。
イクラを漬けた時にも、ダニエルや彼女のエレナはダメだったがナイロはウマイウマイと食った。
サンマを梅干と一緒に煮たもの、豚汁、カレー、セロリのキンピラ。
僕が料理を作っているところにヤツが来ると必ず味見をしていく。たいていのものは喜んで食べる。
お茶を飲みながら彼が言った。
「実はオレ、今日が誕生日なんだ」
「へえ、そうか。それはおめでとう。いくつなんだい?」
「31さ」
「本当かあ。オレより年上だと思っていたよ。それならビールでも飲むかい?」
「いやいや、今はこのお茶が御馳走だよ。ありがとう兄弟」
「いやいや、どういたしまして兄弟」
テラスでお茶を飲む僕達を午後の日差しが優しく包む。目の前にはワカティプ湖が広がる。
ワカティプというのはマオリ語で『巨人が横たわる』というような意味がある。
この湖を地図で見ると、人間が膝を抱えてゴロンと転がったような形をしている。
マオリの神話では、巨人が焼け死んだ所に水がたまって出来たのがこの湖だということになっている。
その話をそのまま鵜呑みにするとその巨人は身長70キロメートルにもなってしまう。
いくらなんでもそこまで大きい人間というのは考えにくい。カミサマなら別だが。
その日ナイロが話してくれた事はもっと理にかなったものだった。
「もともとこの辺りには巨人が住んでいたのさ。背丈は4mから5mぐらいかな。マオリのマントがあるだろう。あれは脇の下から地面まで、と長さが決まっていてその人の慎重に合わせて作る。そいつが3m以上あるのがちゃんと記録に残っている。それを考えると身長は4mぐらいになるわけだ。それに石で出来た武器があるだろう。マオリの決まりであれは片手で扱う物なんだ。あれも巨大なものが残っている。とても普通の人間なら片手で持ち上げられないような大きな物だ。だが4mの身長の人が持つにはちょうど良いサイズだ」
「そうかあ、4mの人間だったらあの辺の山なんか簡単に登れちゃうね」
僕は目の前に構えるセシルピークを指差して言った。
「そうそう、オレ達が歩くよりはるかに楽にこの辺りの山を歩いていたのさ」
ワカティプ湖は鉤型に曲がっていて、空からでないと全体を見渡す事はできない。
地図で見ると確かに人がゴロンと転がっているように見える。
だが西洋の文明が入ってくる以前、航空機や正確な地図がない頃、人々は自分の足で山々を歩き、この湖の形を知り巨人が横たわると信じた。
「食べ物の変化などで巨人はどんどん背が縮み普通の人のサイズになってしまったのさ」
「その話は説得力があるよ」
「他の人達は迷信と言うかもしれない。だが俺達マオリは今でもここに巨人が居たと信じている」
山を見ながらナイロが呟いた。
僕等の目の前でフラックスに鳥が止まる。
フラックスは刀のような歯が2m程、地面から草のように生える。
葉は繊維質で強く、マオリはこの葉を編んで、カゴや腰蓑など色々な物に使っていた。
花は葉よりも一段高い所に咲く。トゥイやベルバードなどの鳥はこの花の蜜を好んで吸う。
ものの本によると、鳥のクチバシが花の形に合っていて、密が吸い易いようにできていると。ナルホド、納得である。
自然界には人がどう考えても『何故こんなことになっているのだろう』と思うものと『見れば納得、ナルホド上手く出来てるなあ』というものが混在する。
これらの鳥の鳴き声は素晴らしい。鳴き声を集めたCDもあるぐらいだ。もちろん僕の家にもある。
同じ種類の鳥でも谷間が変われば別の音色を奏でる。ルートバーンなどの森とクライストチャーチの林では全然違う。開けた所に住むベルバードの音階はわりと似通っている。鳥の声にも地方訛りと標準語がある。
特に森の中だと音が響いて雰囲気をより盛り上げる。トレッキング中の最高のBGMだ。
たまに若い人がウォークマンを聞きながら歩いているのを見る。人に迷惑をかけない限りその人がどう歩こうとその人の勝手だ。
しかし、つい『ああ、もったいないなあ』と思ってしまう。大きなお世話と言えば大きなお世話だ。
そんな鳥たちが僕達の目を楽しませてくれる。フラックスを見ながら僕はナイロに聞いた。
「あのフラックスの根本にゼリー状のものがあるだろう」
「おう、あるある」
「あれはマオリの人達は使うのかい?」
「おう、普通に使っているよ。フラックスのジェルは皮膚病、火傷によく効く」
「じゃあアロエみたいなものだね。日本では医者要らずって名前だ」
「医者要らず、面白いじゃないか。フラックスの葉は細工物を作る。オレの家にあるだろう」
「うん。あるねえ」
「それから葉を煎じて飲むと胃腸薬にもなる」
「へえ、それは知らなかった。オレもためしてみようかな。他には?」
ナイロはどの木がどんな薬になるか、どの植物が食べられるか、いろいろな例をあげて説明してくれた。
まったくためになる勉強で、ヤツはとても良い先生だ。
そういえば、実際にどこかでマオリの講師をやっていると言っていたな。納得。
「オレが好きな日本の言葉で『医食同源』というのがある。もともと中国の言葉だけど、『食べる物と医療の物は元を正せば同じ物』という考えだ。どこかしら通じるものがあると思わないか?」
「医食同源ねえ。いい言葉だなあ。人はそうあるべきだろうな」
「なあナイロ、今オレ達が生きているのは西洋の文明の中だろ」
「どういう意味だ?」
「うん、この家だって、テレビ、コンピューター、自動車、飛行機、電気、ガス、全て西洋のものだろう。マオリとか日本のアイヌとかアメリカンインディアン、エスキモー、アンデスのインディオ、そういった文化とは違うものだよな」
「ああ、そうだ」
「この文明のおかげでオレ達はすごい楽に生活ができている。水一つとっても、蛇口をひねれば水は出てくるわけだ。それが無ければ湖や川へ水をとりに行かなければならない」
「その通り」
「それどころかもう一つの蛇口をひねればお湯まででてくる。火を起こして水を温める手間を考えれば、とんでもなく楽だ」
「フムフム」
「今さら人間は原始の生活にもどる訳にはいかない。だけど、この西洋の文明が行き詰まりになっているんじゃないか、と思うことがよくある」
ナイロは深く頷いて言った。
「それはもう目に見える形であらわれているじゃないか」
「えっ?どんな形で?」
「考えてみろよ。目に見えているよ」
「うーん、何だろう。戦争か?」
「違う。ガソリン代の高値だ」
「あ」
僕は言葉を失ってしまった。ジグソーパズルをはめるように全ての質問の答えがつながっていった。
ナイロが続けた。
「人々は今までとは違うものが必要だ」
「そこでだ、オレはこういったマオリの知恵やアメリカンインディアンの教え、その他迷信や神話と呼ばれていたものが大切になってくるのだと思う」
「よく言った。兄弟。その通りだ」
「人というのは結局、自然の中の一部だろうとオレは思う。木とか鳥とか動物などと同じ。オレもオマエも全体の一部なのさ」
「その通り、全体の一部だ。オマエがそれを分かっていれば大丈夫だ、兄弟」
ナイロはマオリのテレビにも出ていて、マオリの世界ではかなり有名な人らしい。
クィーンズタウンに来て間もない頃によく「あのテレビに出ていた人かい」と声をかけられたと言う。
その度に「シッ、ここにいるのは内輪だけの話だよ」とやったそうだ。
一度彼が指揮したカパハカをビデオでみせてもらった。
カパハカとは部族ごとに歌やハカと呼ばれるマオリのウォーダンスなどを披露する大会が何年かに一回開かれるものだ。
ナイロのグループは彼自身が歌を作り、振り付けなども彼が指揮した。
彼自身はその部族の酋長となり、マオリの呪文を唱え、周りの人を引っ張る。
伝統衣装のマントを羽織り杖を持ち頭に羽根飾りをつけた様子は立派なマオリのリーダーだった。
それには弟のダニエルも出ていた。
彼は酋長の号令に従う若き戦士だったのだ。

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マオリ 2

2015-04-11 | 過去の話
隣にはダニエルとエレナのカップル、そしてダニエルの友達のロニー、マオリの3人が住んでいる。
3人ともパケハの物差しで言えばとんでもなく太っている。
だが白人の病的な太り方と違う、健康的に太っているとでも言おうか。
これがマオリの血なのだろう。
彼等も数十年後立派なマオリのオジサンオバサンになっていくのだ。
ダニエルは図体と髭もじゃの顔に似合わずクリクリした目を持っている。そのアンバランスさが可愛い。
たまに日本の歌『瀬戸の花嫁』をマオリ調で歌う。お母さんに教えてもらったそうだ。
♪セトワーヒグレテーユーナーミコーナーミー。
こんなのは日本とマオリの文化の産物などと呼んでもいいのだろうか。
ダニエルと名コンビなのがロニー。
彼はベーシストなのだが、ベースを弾く人に多い落着いた雰囲気が全く無い。
マオリの唄には日本の民謡みたいに合いの手が入る。
ロニーは合いの手が好きで、いつも歌の合間に陽気に叫んでいる。
彼のベースギターの前面にはびっしりとマオリの模様が彫刻されている。芸術的な彫りだ。
「ロニー、これどうしたの?自分で彫ったの?」
「違うよ。親父にやってもらった」
「へえ、すごいねえ。こんな彫りは時間がかかるでしょう。丸1日ぐらいかかった?」
「全然。ちょいちょいって15分ぐらいでやっちゃったよ」
「え~?15分?」
彫るところを見てみたいものだ。
ロニーは近々ここを去り北島へ帰る。代わりにダニエルの兄ナイロがやってくる。
出会いは偶然であり、別れは必然なのだ。
僕もヘナレも彼等の唄が大好きで、彼等が友達を呼んでパーティーをやると「ダニエル!もっと大きい声で歌え。聞こえないぞ」と野次をとばす。
ヘナレの家は彼等の家より一段高い所にあるので、自然彼等を見下ろすようになる。
寝る時はベッドルームの窓を開け、ヤツらの唄を聞きながら寝る。最高のBGMだ。
ニュージーランドではノイズコントロールというものがある。
パーティーなどで夜遅くまで騒いでいる家へ行き「もしもし君達ちょっとうるさいよ。近所から苦情がきてます。もうちょっと静かにしなさい」と言ってくれる人だ。
「ノイズコントロールに電話しようぜ。『あのう、隣の家なんですけど、もうちょっとボリューム上げるように言ってくれませんか』ってな」
「ワハハハ。そりゃいいや」
もちろん僕等が彼等の家へ行き、唄を聞かせてもらうことも多い。
僕は37才、ヘナレは35才。彼等とはひとまわり以上年が違う。
言葉には出さないが、彼等の立振舞いで何となく年上の人への敬意があらわれていて居心地が良い。
クリスマスの日には朝からバーベキューである。ラム肉、牛肉、ソーセージ、目玉焼きそしてサラダを皿に山盛りにしてガツガツ食う。手掴みで骨に付いている肉を歯で削ぎ落とす。骨の髄をチューチューと吸う。
パケハの社会では眉をひそめるような食べ方だが、ここでは見ていて気持ちが良い。
物を食べるという全ての生き物に必要な事。これを若い彼等にあらためて教えてもらった。そんな気分で僕もモリモリと食べた。
ダイエット?そんなのどこかの誰かが言っている事だろう。俺達には俺達の食い方がある。
マオリの血は強い。

クィーンズタウンは湖に面した街だ。
その対岸にヒドゥンアイランドという島がある。
隠れ島というその名の通り、クィーンズタウンからは背景に隠れてしまい、どこに島があるのか全く分からないが、一段高い所へ上れば島をはっきりと見ることができる。
ある休みの日、ヘナレが言い出した。
「いい天気だなあ。ボートで島でも行かないか?」
「ボートがあるのか、行こう、行こう」
彼のボートは近所の友達のガレージに置いてある。
ボートといってもサーフレスキューに良く使う、小さいゴムボートにエンジンがついたやつだ。
4人も乗れば一杯になってしまうが僕等にはこのサイズで充分。
ヘナレが言い出してから30分後、僕等はヒドゥンアイランドに来た。
ヘナレは魚を探し先に歩いていった。
彼はフィッシングガイドをするぐらいの腕前だ。僕とは格が違う。
僕も一時期釣りをはじめた事があった。
2年間がんばったあげく、釣果3匹という結果を残し自分には釣りのセンスが無い事を悟った。
いつの日かカヤックを手に入れたときには再び始めるかもしれないが、今の自分には山歩きの方が楽しい。
僕は座るのに手頃な岩を探し、腰を下ろした。
今まで行ったあちことの山々が別の角度で見える。
そこからこの島を見た事を思い出し、イメージを立体化して自分をその中に置く。楽しい時間だ。
そしてまた、この場所へ来てこの湖を創った氷河の大きさを感じる。体感というやつだ。
こんな場所ではセルフエンターテインのできない人はダメだ。
『何も無い所』としか映らない。
自らを楽しませる術を持った人には、ボーっと山を眺める、本を読んだり文を書いたりする、ひたすら雲を眺める、『人生とはなんぞや』と考える、波の音を聞きながら昼寝をする、俳句をひねる、などなどやることはいくらでもある。
視界の片隅に一つの山がとびこむ。マウントクライトン、去年登った山だ。
去年のクリスマス、クィーンズタウンは浮かれだった人で溢れ、街中が騒然としていた。
あまのじゃくな僕はクリスマスの日に誰とも会いたくなく、その山に登った。
このルートは地図にも載っていない。
頼りない踏み後をたどり、急なガレ場をトラバースして山頂に着いた。
眼下には山上湖が白い雪をのせてじっとたたずみ、反対側にはワカティプ湖が真っ青な空を映し、大きく蛇行していた。
その日僕は希望どおり誰とも会わずに、自分だけの時を過ごした。
その時のトラバースした斜面が正面に見える。
二つの点で自分の居た場所が確認できると嬉しい。
例えば、木曽御岳の山頂に登り、そこから乗鞍を見る。この二つの山は高原を挟んで立っているのでお互いに良く見える。後日乗鞍に登り、御岳を見渡せば『あそこに登ったんだ』という楽しみがあるだろう。
この手の楽しみは自分で歩いた人にしか分からない。
ヘリなどを使えばもっと簡単にその場に立つことはできるが、こういった感動は味わえない。
そのためには時間と労力が必要なのだ。時間と労力の大きさに比例して感動は大きくなる。
その日の夜、ヘナレと天気予報を見る。予報は無風快晴。
彼が尋ねた。
「明日は仕事はあるのか?」
「いいや、休みだ」
「じゃあ、明日の朝もう一度行ってみないか?」
「よしきた」
夜のうちに支度を済ませて、次の朝7時前に家を出た。
「じゃあ今朝の目的は島でコーヒーを飲む。これでどうだ?」
もちろん異議は無い。
ボートで数分、あっという間に島に着き、湯を沸かしコーヒーをいれる。
昨日きたばかりだが、時間が変われば雰囲気も変わる。飽きる事は無い。
予報どおり無風快晴。朝日が湖を照らす。
早起きは3文の得、ではないが、この為なら早起きする価値はある。
面倒臭い、とベッドから出ないのは楽だ。しかしこの感覚は味わえない。
それがライブ、生でしか感じることが出来ないものだからだ。
この感覚を味わう為に僕は生きる。
遠くで子供の声がする。見るとカヤックに乗った10歳前後の子供が7人ほどこちらに向かってきた。
パドルさばきはぎこちないが全員楽しそうだ。そりゃそうだろう、こんな場所でこんな時間だ。
カヤックの一団は島に上陸。それぞれに島を歩き、去っていった。
付き添いのお父さんが後からゆっくりとボートで追う。
ここの子供は幸せだ。大人がおせっかいをやかない。
子供の自主性に任せ、何かあった時には手を貸す。
子供が子供らしく育つには、大人が大人でなければいけない。
自然の中で大人に行動力が無ければ、説得力は無い。
こんな環境で育つとヘナレのようになる。
アウトドアの達人一丁できあがり、というわけだ。
帰り道でヘナレが言った。
「時計を見ろよ。まだ十時前だぞ」
わずか3時間、まさに朝飯前の散歩がてら島へ行く。
僕達はたっぷり密度の濃い時間を過ごした。

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マオリ 1

2015-04-09 | 過去の話
この夏、僕にマオリの名前がついた。
ヒ・ティリティリという。
ナイロというマオリの男がつけてくれた。
僕の名前はひじり、ニックネームはヘッジ。はりねずみのヘッジホッグからきている。
日本人の友達はヘッジと正しく発音する人もいるが、ヒッヂと呼ぶ人が多い。たまにヒッチと呼ばれる事もある。ヒジリ君とかヒジリさんと呼ばれる事も多い。
僕としては呼びやすいように呼んでもらえればそれでいいので一々訂正はしない。
福島のスキー場で働いていた時にはローカルの発音でヒジリがシジリとなり最終的にスズリとなった。
その時の友達は今でもスズリ君と僕を呼ぶ。
日本語の名前、聖は静岡と長野の県境にある南アルプス南端の3000mを越える山、聖岳からもらったものだ。
僕はまだこの山へ登ったことが無い。
日本とニュージーランドを往復していた頃は冬を追いかける生活をしていたので日本の夏山を僕はほとんど知らない。
山と云えばスキー板を担いで登るものだと思っていたのだ。
山仲間のトーマス曰く、聖岳は谷が深くアプローチが大変で他の山の様に俗化が進んでいない、良い山なのだそうだ。いつか時間を見つけて登りたい山だ。
僕のお客さんは山に登る人が多いので、聖岳の聖です、と自己紹介すればすぐに分かってくれる。
この名前を付けてくれた親に今では感謝をしている。
子供の時には、ケンとかカズとかマサとかそういう普通の名前がついた友達が羨ましかった。なんで自分だけ変な名前なんだろうと、子供心に悩んだものだった。
全ての人が聖岳を知っているわけではないので「どういう字を書くのですか?」と聞かれる事もある。
なので「松田聖子の聖です」と答える。
たぶん今、松田聖子と道ですれ違っても僕は気が付かないだろうが、彼女の名前の効き目はてきめんでほとんどの人が納得してくれる。
「ひじりなんて、エライお坊さんのようですね」
そんなことも言われる時がある。しかし時代によっては乞食とか浮浪者の事をもそう呼んだのだ。
京都のお菓子で聖というものもある。生八つ橋で粒餡が入っていて肉桂の香りが良い。緑茶にとても良く合う。大好きなお菓子の一つだ。
ある日ナイロと飲んでいると名前の話になった。
「ヘッジ、オマエの日本語の名前は何だ?」
「ヒジリと言う」
「意味はあるのか?」
「セイントとか僧侶とかそういう意味だが、オレの場合は山から名前を貰った」
「そうか。ヒジリ、ヒジリ、ヒティリ、ティリティリ、ヒティリティリ、ヒ・ティリティリ!オマエの名前はヒ・ティリティリだ」
「ヒ・ティリティリか、いいな。どういう意味だ?」
「意味は無い。音が良いだろう」
そんな具合で、ヒ・ティリティリという名前がついたわけだ。
僕にとってこの夏はマオリと関係が深かった。
マオリの言葉も多少覚え、唄も歌えるようになった。ボイルアップというマオリの料理も覚えた。
同時に十数年この国に住んでいながら、マオリの事を何も知らない事に気が付いた。

ある夏の夜、僕はいつものテラスでボケッと山を眺めていた。時間は午後9時を過ぎたところだが、空は充分明るい。
日中は西日が差すこの場所は日没後の数時間が一番心地良い。
日が出ている時にはTシャツだが、太陽が沈むにしたがって気温が下がるのでフリース、ニット帽、山用ジャケットとどんどん着込んで山に居るような姿でテラスに座る。
目の前には氷河が削った跡がそのまま残っている山、曲がりくねり横たわる大河のような湖。
自分のいるこの場所も数万年前は氷の中だった。
西にある稜線がポッカリ、シルエットで映る。
今年の夏、何十回ここからこの景色を見たのだろう。
湖を走る蒸気船が黒い煙をたなびかせる。絵になるとはこんな景色だ。
部屋の中から尺八の音が聞こえてきた。尺八という言葉はいろいろな意味があるが、楽器の尺八である。
吹いているのはフラットメイトのヘナレだ。
フラットメイトとは同居人のことである。
ニュージーランドではフラットシェアというシステムがある。
一つの家を何人か共同で使うことだ。キッチン、リビング、バスルームなどは共有スペースで、ベッドルームは個人のスペースだ。
大体どこの家でも子供が学校を出ると親元を離れフラットに住む。
友達と住む事もあれば、赤の他人と住む事もある。電話代、光熱費、食費などは住む人が話し合って決める。
時には話が合わなくてケンカをする事もあるだろうし、ひどいヤツに当れば全く家事をしないとか家賃をふみたおされることもある。
そうやって他人と住む事により、共同生活のモラルを身に付け大人になっていく。
とても良いシステムだ。いつまでも親離れできない日本の若者とは大きな違いである。
僕が今いる家はヘナレの持ち家で、彼と日本人の彼女のイクと2人で住んでいる。
そこに僕がフラットメイトとして入った。
テラスからの眺め、あかあかと燃える薪ストーブ、木を組んだ壁に当る間接照明、立て掛けられる4つのギター、テレビの上の燭台、葦を編んだ敷物、木彫りのマオリの神サマ、羊歯の幹を彫った門柱、軽石を釣り糸で結んだインテリア、白い革張りのソファー、家にあるすべての物が調和する。
これがヘナレのセンスだ。
ヘナレとは去年2回ぐらい会っただけだったが、今年から一緒に住むようになった。
スキーに対する考え、山に対する考え、人生観、音楽の趣味が重なり、一週間で十年来の友達のように意気投合してしまいお互いにブラザーと呼び合うようになった。
ヘナレは不動産セールスのかたわら、夏はフィッシングガイド、冬はヘリスキーガイドもこなす。
普段はスーツで仕事ヘ行くが、フィッシングガイドの時には釣り用のベストを着込み嬉々として家を出る。
生粋のマオリだがマオリ語は片言しか喋れない。ちなみに日本語も片言だ。
夏の夕暮れはゆっくりと光を落とし、西の空がオレンジ、白、そして藍色の三色に染まる。
ヘナレがテラスに出てきた。
「美しい。今晩もきれいだな」
「オレはこの時間が一番好きだな。夕方と夜の狭間だ」
「トワイライトゾーン、たそがれどきだよ」
再びヘナレが尺八を吹き始めた。竹独特の音色が辺りに木霊する。
ヘナレが日本に行った時、誰かが吹いているのを見て欲しくなり楽器屋へ行って尋ねた。
「スミマセーン、シャクハチクダサイ」
最初の2軒では若い女性の店員が顔を赤らめながら言った。
「そんな事、言っちゃダメです」
3軒目でやっと尺八を見せてもらい、値札を見た。18000円。
「・・・・・・クソ、高いな」
思わず呟き、尋ねた。
「アノ、ベツノヤツアリマスカ?」
「ノーノー、オンリーワン」
1時間悩んで買った。
音が出るまで1週間かかった。
僕は1ヶ月ほどやって音さえ出せなくてあきらめてしまったが、ヤツはちゃんとメロディーを奏でるくらい上手くなっている。
10mほど離れたお隣さんからギターの音とマオリ語の唄が聞こえてきた。
隣にはマオリの若いヤツらが住んでいる。年は20代前半。とてもきれいなハーモニーでマオリの唄を歌う。
僕はヘナレに言った。
「なあ、ヘナレ。民族音楽ってあるだろう。オレは世界のあちこちで民族音楽を聞いてきた。南米のアンデスではフォルクローレがぴったりだった。中国の西の外れ、イスラムの地では名前も知らないビワみたいな楽器の物悲しい音が、辺りの雰囲気に溶け込んでいた。そしてここだ。この景色、この空の色にはヤツラの唄が合うんだよ。だから唄の意味は分からなくても好きなんだ」
「分かる。分かるよ、その気持ち」
「いいお隣さんを持ったな」
「本当だ。これでパケハ(白人)のティーンエイジャーがここにいて、ドンドンってベースの効いた今時の音楽なんかかけたら最悪だろ?」
「そりゃ最悪だ」
僕達は顔を見合わせて笑った。


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