ロックダウンがあろうとなかろうと時は流れるものである。
毎日、散歩やら庭仕事やらをやり、ロックダウン川柳だのオンライン飲み会などやってるうちにもどんどん時間は経っていく。
本人だけがそれに気づかないのである。
なんといっても仕事が無い。
庭仕事や家事仕事という労働はあるが、普通に働きに出てお金を貰うという仕事が無い。
仕事があればカレンダーに、この日はどんな予定があるなどと書き込みもするのだが、そういったことも一切無い。
なのでこの一ヶ月、カレンダーというものを全く見なかった。
かろうじて社会の暦と自分の生活を結び付けているものは、1週間に一度のゴミ出しぐらいであろう。
僕がのんべんだらりんとそんな生活をしている間にも、ニュージーランドではロックダウンがレベル4からレベル3になった。
諸々の規制が多少緩み、ゆっくりと元の生活に戻していこうということだ。
かと言って今の僕の生活に劇的な変化があるわけでなし、買い物が多少しやすくなったという程度だ。
うれしい事にホームセンターで買い物ができるようになった。
買い方はオンラインで商品を選びカードで決算をして、日にちと時間を店を選び、こちらが取りに行くというものだ。
ペンキや薄め液が足りなくなったので買い、翌日に取りに行った。
時間を見ながらそれに合わせて行動する、という行為自体がかれこれ一ヶ月ぶりのことなので時計を見ながらソワソワしてしまった。
普通に社会の中で生きていくということは、時計と共に生きることでもあるのだなあ、などと思ったりもした。
僕の今の生活は時計というより太陽の動きに合わせて生きている。
夜明け前、家族が寝ている時間にこうやってブログなぞを書く。
周りも静かだし、一人だと集中できるということもある。
たとえ一人の時でも、太陽が出ている時には机に向かう気にならない。
お日様が出ている時は、自然と庭であれやこれや過ごしてしまう。
朝日が昇るころに犬のココを連れて散歩に行く。
クライストチャーチで好きなことの一つは日照時間の長さだ。
平野にある町なので、太陽はかなり低い角度から上がる。
天気予報で出てくる日の出の時間がそのまま当てはまる。
これがクィーンズタウンのような山合いの場所だと、日の出の時間が来て空は充分に明るいのだがお日様は山の向こう側という具合だ。
以前ちょっとだけ住んだ家では、お昼まで全く日は当たらず真夏でもけっこう寒かった記憶がある。
朝日というものは神々しいもので、僕は手を合わせて拝むことが多い。
お日様という言葉があるが、ぼくにとって太陽は神様である。
お天道様という美しい日本語も好きだ。
朝日を見ていると厳粛な気分になり、なおかつ力が涌いてくるような気になるのである。
そして祈る。
道行くトラックを運転している人が1日気持ちよく仕事ができるように。
病で苦しんでいる人の痛みが和らぐように。
生活に困難している人が上手くいくように。
子供たちが笑って暮らせるような社会になるように。
その他諸々のことを、神々しいお日様に手を合わせて拝み祈る。
まあそんなところが朝の散歩の日課だ。
日中は天気が良ければ何かしら庭のことをやっている。
天気が悪い時には気分が乗らないので、家の中でビールを造ったりあれやこれや作る。
かといって常に忙しく働き続けるわけでもなく、昼寝もするし漫画を読んでゴロゴロする時もある。
基本的に日の光を浴びて何かしらやっているのだ。
太陽の光を浴びると体の中でビタミンDという物質ができ、これが免疫力をあげるのだそうな。
何よりも気持ちいいじゃないか。
気持ち良いって感覚、それって科学の話あーだこーだ よりも大切。
アウトドアってのは雑誌で取り上げられるようなおしゃれでかっこいいものだと思いがちだが、外での全ての行動がアウトドアなんだ。
そしてアウトドアと太陽は切っても切れない関係だと思う。
まあ日の光が強すぎると皮膚がん云々という話になるのでほどほどに。
何事もほどほどという事もこれまた大切。
そして夕方になれば、再び犬を連れて散歩。
太陽は遠く離れた山の向こうに沈む。
朝日とは違うおもむきがある。
この時間の太陽も僕は好きだ。
何かしらはかなげで、哀愁漂い物悲しく、次の日の再開を誓いながら終える。
そんな夕日に向かってまた手を合わせるのだ。
空が広いと朝日から夕日までがドラマなのである。
太陽崇拝教信者 みたいな話になってしまった。
ロックダウンのレベル4から3になって、簡単なハイキングができるようになった。
早速女房と犬のココで近くの丘へ歩きに出かけた。
散歩は毎日していたものの平らな公園である、起伏のある山歩きにココは大喜びで大興奮である。
クライストチャーチは平野の町なので、ちょっと登っただけで景色がドカンと広がる。
平野の向こうには雪を載せた山並みが横たわり、遠くには真っ青な太平洋。
市街地を見下ろしてみると、先月自転車で走った潟も見えた。
なんてことない山歩きなのだが、平野での散歩と景色を眺めながらの歩きは違う。
やはり変化というものは大切なんだな。
山道は牧場の中を行くので、途中に羊や牛もいるのもこの国らしくて良いな。
牧場には羊の糞だの牛の糞だのが当然ある。
時には乾燥した糞を踏んだりもするが、そんなのいちいち気にしていたらこの国ではやっていけない。
ある程度の汚さ、というものも必要であろう。
消毒消毒 果ては無菌室、という環境がどれだけ弱い人間を作るのか分かるだろう。
子供には泥んこ遊びをさせよ ということだ。
ロックダウンで常に家にいるので楽しみは飲み食いだ。
時間はたっぷりあるので、手を抜かずにきちんと美味しい物を食らう。
クックパッドというレシピのサイトがあるが、そこにすごく出てくるキーワードが 簡単 美味しい である。
僕も時々そのサイトを見るのだが、しょうもない情報が多く欲しい情報が埋もれてしまっている。
手抜きというものを簡単という言葉の中に隠していることに気がつかない。
出来合いの物を使ったレシピを、よくもまあ恥ずかしげも無く載せるもんじゃわい、まあ昨今の風潮じゃろう。
文句があるなら見なけりゃいいだけの話なのだが、最近思考がどんどん爺臭くなっている。
山歩きの晩は炭火焼。
焼き物は庭で取れたナスとししとう、焼き鳥、サンマ。
炭をおこすのだって一手間なのだが、ビールを飲みながらじっくりやる作業は嫌いではない。
ちなみにビールはラガー、ロックダウン中に仕込んだので名前はストレートに『ロックダウンラガー』
頭文字を取ってLDLと王冠(という言葉も死語だなあ)に書いた。
出来は上出来、あまりホップは利かさずすっきりさっぱり系のビールである。
炭火で焼けば何でも美味くなる。
簡単 おいしい のである。
秋ナスの旨いこと。焼き鳥のタレは女房が作ったものだし、極めつけはサンマの塩焼き。
そこに自分のビール。こりゃたまらんぜよ。
自分で作ったものを旨い旨いと言いながら飲み食いするのだから我ながら幸せ者だと思う。
幸せとは他人の価値観の中にあるのではなく自分の心の中にある、と思いつつ5月になってしまった。
毎日、散歩やら庭仕事やらをやり、ロックダウン川柳だのオンライン飲み会などやってるうちにもどんどん時間は経っていく。
本人だけがそれに気づかないのである。
なんといっても仕事が無い。
庭仕事や家事仕事という労働はあるが、普通に働きに出てお金を貰うという仕事が無い。
仕事があればカレンダーに、この日はどんな予定があるなどと書き込みもするのだが、そういったことも一切無い。
なのでこの一ヶ月、カレンダーというものを全く見なかった。
かろうじて社会の暦と自分の生活を結び付けているものは、1週間に一度のゴミ出しぐらいであろう。
僕がのんべんだらりんとそんな生活をしている間にも、ニュージーランドではロックダウンがレベル4からレベル3になった。
諸々の規制が多少緩み、ゆっくりと元の生活に戻していこうということだ。
かと言って今の僕の生活に劇的な変化があるわけでなし、買い物が多少しやすくなったという程度だ。
うれしい事にホームセンターで買い物ができるようになった。
買い方はオンラインで商品を選びカードで決算をして、日にちと時間を店を選び、こちらが取りに行くというものだ。
ペンキや薄め液が足りなくなったので買い、翌日に取りに行った。
時間を見ながらそれに合わせて行動する、という行為自体がかれこれ一ヶ月ぶりのことなので時計を見ながらソワソワしてしまった。
普通に社会の中で生きていくということは、時計と共に生きることでもあるのだなあ、などと思ったりもした。
僕の今の生活は時計というより太陽の動きに合わせて生きている。
夜明け前、家族が寝ている時間にこうやってブログなぞを書く。
周りも静かだし、一人だと集中できるということもある。
たとえ一人の時でも、太陽が出ている時には机に向かう気にならない。
お日様が出ている時は、自然と庭であれやこれや過ごしてしまう。
朝日が昇るころに犬のココを連れて散歩に行く。
クライストチャーチで好きなことの一つは日照時間の長さだ。
平野にある町なので、太陽はかなり低い角度から上がる。
天気予報で出てくる日の出の時間がそのまま当てはまる。
これがクィーンズタウンのような山合いの場所だと、日の出の時間が来て空は充分に明るいのだがお日様は山の向こう側という具合だ。
以前ちょっとだけ住んだ家では、お昼まで全く日は当たらず真夏でもけっこう寒かった記憶がある。
朝日というものは神々しいもので、僕は手を合わせて拝むことが多い。
お日様という言葉があるが、ぼくにとって太陽は神様である。
お天道様という美しい日本語も好きだ。
朝日を見ていると厳粛な気分になり、なおかつ力が涌いてくるような気になるのである。
そして祈る。
道行くトラックを運転している人が1日気持ちよく仕事ができるように。
病で苦しんでいる人の痛みが和らぐように。
生活に困難している人が上手くいくように。
子供たちが笑って暮らせるような社会になるように。
その他諸々のことを、神々しいお日様に手を合わせて拝み祈る。
まあそんなところが朝の散歩の日課だ。
日中は天気が良ければ何かしら庭のことをやっている。
天気が悪い時には気分が乗らないので、家の中でビールを造ったりあれやこれや作る。
かといって常に忙しく働き続けるわけでもなく、昼寝もするし漫画を読んでゴロゴロする時もある。
基本的に日の光を浴びて何かしらやっているのだ。
太陽の光を浴びると体の中でビタミンDという物質ができ、これが免疫力をあげるのだそうな。
何よりも気持ちいいじゃないか。
気持ち良いって感覚、それって科学の話あーだこーだ よりも大切。
アウトドアってのは雑誌で取り上げられるようなおしゃれでかっこいいものだと思いがちだが、外での全ての行動がアウトドアなんだ。
そしてアウトドアと太陽は切っても切れない関係だと思う。
まあ日の光が強すぎると皮膚がん云々という話になるのでほどほどに。
何事もほどほどという事もこれまた大切。
そして夕方になれば、再び犬を連れて散歩。
太陽は遠く離れた山の向こうに沈む。
朝日とは違うおもむきがある。
この時間の太陽も僕は好きだ。
何かしらはかなげで、哀愁漂い物悲しく、次の日の再開を誓いながら終える。
そんな夕日に向かってまた手を合わせるのだ。
空が広いと朝日から夕日までがドラマなのである。
太陽崇拝教信者 みたいな話になってしまった。
ロックダウンのレベル4から3になって、簡単なハイキングができるようになった。
早速女房と犬のココで近くの丘へ歩きに出かけた。
散歩は毎日していたものの平らな公園である、起伏のある山歩きにココは大喜びで大興奮である。
クライストチャーチは平野の町なので、ちょっと登っただけで景色がドカンと広がる。
平野の向こうには雪を載せた山並みが横たわり、遠くには真っ青な太平洋。
市街地を見下ろしてみると、先月自転車で走った潟も見えた。
なんてことない山歩きなのだが、平野での散歩と景色を眺めながらの歩きは違う。
やはり変化というものは大切なんだな。
山道は牧場の中を行くので、途中に羊や牛もいるのもこの国らしくて良いな。
牧場には羊の糞だの牛の糞だのが当然ある。
時には乾燥した糞を踏んだりもするが、そんなのいちいち気にしていたらこの国ではやっていけない。
ある程度の汚さ、というものも必要であろう。
消毒消毒 果ては無菌室、という環境がどれだけ弱い人間を作るのか分かるだろう。
子供には泥んこ遊びをさせよ ということだ。
ロックダウンで常に家にいるので楽しみは飲み食いだ。
時間はたっぷりあるので、手を抜かずにきちんと美味しい物を食らう。
クックパッドというレシピのサイトがあるが、そこにすごく出てくるキーワードが 簡単 美味しい である。
僕も時々そのサイトを見るのだが、しょうもない情報が多く欲しい情報が埋もれてしまっている。
手抜きというものを簡単という言葉の中に隠していることに気がつかない。
出来合いの物を使ったレシピを、よくもまあ恥ずかしげも無く載せるもんじゃわい、まあ昨今の風潮じゃろう。
文句があるなら見なけりゃいいだけの話なのだが、最近思考がどんどん爺臭くなっている。
山歩きの晩は炭火焼。
焼き物は庭で取れたナスとししとう、焼き鳥、サンマ。
炭をおこすのだって一手間なのだが、ビールを飲みながらじっくりやる作業は嫌いではない。
ちなみにビールはラガー、ロックダウン中に仕込んだので名前はストレートに『ロックダウンラガー』
頭文字を取ってLDLと王冠(という言葉も死語だなあ)に書いた。
出来は上出来、あまりホップは利かさずすっきりさっぱり系のビールである。
炭火で焼けば何でも美味くなる。
簡単 おいしい のである。
秋ナスの旨いこと。焼き鳥のタレは女房が作ったものだし、極めつけはサンマの塩焼き。
そこに自分のビール。こりゃたまらんぜよ。
自分で作ったものを旨い旨いと言いながら飲み食いするのだから我ながら幸せ者だと思う。
幸せとは他人の価値観の中にあるのではなく自分の心の中にある、と思いつつ5月になってしまった。
昨年11月末にルートバーントラックの日帰りツアーに参加させてもらった金岡というものです。
日本はまだまだ外出自粛が続いていますが、
家でのんびり時間を過ごすと、いかに今まで時間に縛られて過ごしていたのかを考えさせられます。
聖さんの文章にいつも元気もらってます!
また事務所のそばのブリュワリーでご一緒できたら嬉しいです♪
ニュージーランドいきたいなあ。。
こんにちは。
ブログ読んでいただきありがとうございます。
いろいろなニュースを見ていると、日本は大変そうだなあと思います。
そんな中でも自分らしさを失わず、美味しいビールを飲んでください。
次回来られる時は聖ビールをご馳走します。
いつかまた遊びに来てください。