あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

内在神

2014-09-25 | 日記
温室の中に神棚を作った。
そこにルートバーンで拾ってきたブナの神様の枝を載せ、拝んでいる。
我が家のご神木である。
国立公園からは何一つ持ち出してはいけません、とガイドはよく言うが僕は言わない。
そもそも国立公園だから何をしてはいけない、国立公園だから何をするべきだ、という考え方が嫌いだ。
国立公園の中だろうが外だろうが、いかに人の道に沿う行動をするかだと思う。
ルートバーンの山小屋のそばにブナの大木があり、僕はブナの神様と呼んでいるのだが、ある時に風で大きな枝が落ち、レンジャーがそれを片付けたのを一ついただいてきた。
知らない人が見ればただの木の枝だが、ぼくにとってはご神木である。
「あなたはぁ、神をぉ、信じますかぁ?」という質問を街角でされたことはないが、もし聞かれたらこう答えるだろう。
神とは私であり、あなたである。
この世に存在する全ての人、動物、虫、植物、目に見えないバクテリアのようなものが神だ。
大地も海も空もそこを駆け抜ける風も神だ。
キリストも仏陀もアラーも、その辺の人も皆、神様。
星も太陽も宇宙全部が神なのだ。
大切なのは、意識。
信仰する心があればその対象は何でもいい。
木の枝だろうが、魚の頭だろうが、神になる。
あなたがキリストを信じるのはあなたの勝手だ。どうぞおやりなさい。
だけどそれを人に押し付けるのは、どうかと思うね。
通行人の足を止め人に煙たがられるくらいなら、その辺りのゴミでも拾ったら?

僕はよく太陽に向かって手を合わせ拝む。
インカの神は太陽だ。
それから山にもよく手を合わせ拝むな。
山岳信仰というものは古来あり、山は神様という考えは世界のあちこちにある。
朝、ニワトリに餌をやり卵を取る時にも拝む。
手を合わせ「ありがとう、オマエ達の卵は美味しいですよ。そのうちにオマエ達を食っちまうけど今は元気に卵を産んでください」と言って拝む。
僕にとっては我が家のニワトリは神の使いであり、同時に貴重な蛋白源だ
野菜にも拝む。
「大きくなって下さいね。我が家だけでなく、友達のところでも美味しく食べてもらって幸せにしてください」と話しかける。
その声は野菜たちに伝わりすくすく育つ。
美味しい所は僕達人間が食べ、キャベツやレタスなどの外側の葉っぱはニワトリ達が喜んで食べ、芯や根っこは微生物の餌となり土に還る。
もちろん神棚の神木にも拝む。
神棚の棚はオノさんの引越しの時に、いらない木で使えそうなやつをもらってきたものだ。
わざわざ金をかけて見栄えの良い物を買うのでなく、リサイクルの物で作ってしまうというのが僕のやり方だ。

ある人の言葉でこういうのを読んだ。
「私は人の言葉を信じない。その人のやっている事を見る」
ナルホドね、一理あるわな。
行動という物を見れば、その人というものが見える。
自然保護をうたいながらゴミを拾わない人。
金ではない、と言いながら金に縛られている人。
ロハスだエコだと言いながら何もしない人。
そういう人が次に言うセリフは「だって忙しいから」「だってお金がかかるから」
行き着くところは自分の正当化だ。
幸いな事に僕の周りにはそういう人はいない。
皆、言いたい事を言い、そして行動がついていっている。
山が好きだという人は、山を歩きガイドをやっている。
スキーが好きだという古い友人はパウダーばかり追いかけて、今や立派なスキーガイドとなった。
サーフィンが好きな友達は、海の近くに住んで今も波に乗っている。
みんな、自分がやるべき事をやっている。
僕はと言えば自給自足を目指す生活に目覚め、あれこれとやっている。
そういった諸々の行動の原動力はどこにあるか?
それは各自の心の奥。
それこそが内在神という神なのである。
そこに沿っていれば必要な物が必要な時に手に入る。
温室が欲しいと思えば、その材料が目の前に現れる。
あとは行動。
行動あるのみ。
行動でも誰かに強制されて行う行動は違うと思う。
自分の責任の所在があやふやになり、失敗した時に人のせいにできる。
そうではなく、自分の心の奥から湧き上がるもの。
直感でピンと来るものに間違いはない。
友達のカズヤは白馬で家を衝動買いしたと言う。
僕はその家を見た事はないが、好い家だと感じる。
深い所で心の繋がりがある友人が直感で選んだ家だ。悪い気が見当たらない。
行かなくても良い家だと分かる。
話を聞くと、とんとん拍子でその家を買う事になったと。やっぱりね。
そういった諸々の行動にブレーキをかけるのも自分の心。
やるのも自分。
やらないのも自分。
やっぱり行き着く所は自分自身なんだなあ。


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親方物語 10

2014-09-23 | ガイドの現場
7月28日

頭が痛い。
久々の二日酔いだ。
昨日は嬉しくて飲みすぎた。
普段は仕事があってもなくても朝4時とか5時に起きる僕だが、今日は娘に起こされるまで寝てしまった。
こんなことはめったにない。疲れがたまっていたのかな。
撮影が無事終わり、最後の片付けの日なので朝はゆっくりできる。
娘と女房を送り出して、天気が良かったので犬と自転車で走りに行った後、オフィスへ行った。
オフィスはみんなが泊まっているホテルの一角にある。
ちょうど親方もオフィスへ顔を出す所で、挨拶を交わした。
親方も昨夜の後半はあまり記憶がないそうだ。お互い様だな。
今日の僕の仕事は雑用、頼まれるままに動く。
みんなの買い物に付きあい、そのままお昼をごちそうになり、レンタカーを返して一度家へ戻り、娘が学校から帰ってきたので自分の車に乗せてもう一度オフィスへ。



娘を車で待たせ、最後の精算を済ませ、親方の部屋へ挨拶に行った。
行ったはいいが、言葉が上手く出てこない。
何をしゃべろうとその場で色あせてしまう。
気持ちだけが溢れ言葉が付いてこない。
「今回は・・・本当にありがとうございました。」
それだけを言うのが精一杯だった。
そしてそれ以上の言葉は必要がなかった。
握手をしたら涙が溢れてきた。
涙というのは浄化の一環なので泣きたい時はボロボロ泣くのがよいのだが、さすがにそれも恥ずかしい。
涙がこぼれる前に作り笑いをして、そそくさと部屋を出た。
部屋の外で僕は泣いた。
車で待っていた娘に茶化された。
「お父さん、あのおじさんと別れて泣いちゃったの?」
「そうだ、泣いた。でもな、この涙は別れるのが悲しいからじゃないんだ。あのおじさんと出会えたことが嬉しくて泣いたんだよ。」
「ふうん」
娘が少し嬉しそうな顔をした。
こうして僕の夢のような十日間が終わった。



その後、山に雪が降り、僕は自分の現場である雪山に戻った。
きっと親方は日本で忙しく働いている事だろう。
一人で山に登りながらも、思い出に浸る。
いつでも僕の意識は、シーンごとの瞬間に戻る事が出来る。
終わってしまったわけではない。
瞬間とは永遠に存在し続けるものだ。
僕は又一つ経験という財産を得た。
こうして僕の心は豊かになり、その想いは人を幸せにする。
瞬間ごとに自分がやるべき事をする。
その積み重ねの上に今の自分が居る。
僕は妙に澄んだ気持ちになり、山に向かって手を合わせた。


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親方物語 9

2014-09-22 | ガイドの現場
7月27日
撮影最終日。
いつものように親方を迎えに行き、今日は娘のマルちゃんも一緒に現場へ行く。
現場は昨日と一緒の場所、サムナーの住宅地。
昨日は50年代の設定だったが今日は現代の設定。
道路標示の看板も現代風のものだし、道路の脇にはバスケットボールのゴールも置いた。
エキストラも今時の格好をした人達。
ロスっぽいのかどうか分からないが、ストリートバスケの小僧とかマウンテンバイクに乗った高校生ぐらいの女の子、スケボーとかスクーターに乗った子供達など。
車は現代の大きなアメリカっぽいトラックとシボレー。
親方とマルちゃんがいつものようにアメリカのナンバープレートを貼り付ける。
そしてガムテープで車のロゴを隠す。
車を使うシーンではこの作業を親方は毎回やっていた。
僕は気になっていた質問をした。
「このシーンはアメリカでしょ?シボレーが走っていても何もおかしくないじゃないですか。何故ロゴを隠すんですか?」
「これはね、車の会社がスポンサーになる時に他の会社の車だとうまくないのでその対策なんだよ」
「へえ、そうですか。それで今回はスポンサーに車の会社があるんですか。」
「イヤ、それはまだ決まっていない」
「え?じゃあ車の会社がスポンサーにならないかもしれない?」
「ならないかもしれない」
「その時にはこの作業は意味がない?」
「そう、全く無意味な作業なんだよ。オレがこの作業をしてる時に背中から哀愁が漂っているでしょう?」
「うん。思いっきり漂ってる」
「いつもバカバカしいなあ、と思いながら仕事をしてるんだよ」
確かにバカバカしいし無意味な作業だ。
例えばトヨタの車のロゴを隠して撮影してスポンサーがトヨタになった、なんてことになったらイヤになっちゃうだろうな。
つきつめて考えると、歪んだ社会の一部が垣間見える。
クリエイティブな人が余計な事を考えず、クリエイティブな事に専念して生きていける。
ガイドがガイドに専念して生きていける。
僕が夢見るのはそんな世界だ。



シーンはLAの住宅地。
シボレーが走り、スケボー少年が道を横切りマウンテンバイクの女の子が通り過ぎ、その横からバスケ小僧がパスをしながら女の子を見て「かわいいじゃん」みたいな顔をして、大きなトラックが通る。
というような、いかにもアメリカっぽいカットなのだが動きが多いのでタイミングがなかなか合わない。
そうか、当たり前だがこういうシーンも全部作るんだよな。
何回も同じ事をやって、エキストラも大変だなあ、などと思って見物していた。
親方が言う「この国の人達は皆、人が良いなあ。エキストラの人達だって何回も同じ事をやらされても最後までニコニコやってくれて。他だったらこうはいかないよ。直ぐに態度に出てくるから」
自分の住んでいる所が誉められると素直に嬉しい。
車のロゴを隠す作業の時もナンバープレートを貼りかえる時も、車のオーナーが作業を見張るというようなことはない。
ガムテープを切るときにカッターナイフを使うのだが、神経質な人だったら「こいつオレの車に傷つけるんじゃないか」などと考えそうなものだが、こちらの人はあっけらかんと「どうぞどうぞ、好きにやって」みたいな感じで、本人達は撮影を見物に行ってしまう。
こういう『人の良さ』というのがニュージーランドが観光でも人気のある理由なのだと思う。



昨日と同じくフェリーミードへ移動して昼食。
そして撮影は続く。
午後は南米のシーン。
エキストラもコロンビア人。
僕らの仕事は物売りの人のバスケットの用意。
小道具担当のジョシーが近くのスーパーでフルーツを買ってきていた。
バナナとかマンゴーとかパイナップルなどのラベルをはがして、布を敷いたバスケットに飾ってできあがり。
エキストラのコロンビア人と片言のスペイン語で会話をする余裕もある。
撮影ツアーもまもなく終了、めまぐるしく走り回ったジェットコースターも停車に近づいてスピードを落としたようだ。





そして最後のシーンを撮りに街中へ移動。
最後は大聖堂広場の一角で今度はパナマのオリンピックオフィスの設定。
これもホテルの看板の上に用意しておいたサインを両面テープで貼るだけ。
僕がやる事は何もない。
ここで娘と女房が撮影を見に来た。
親方にもきちんとご挨拶。
今日は『バレメシ』(業界の用語で各自バラバラにご飯を食べる事をバレメシと言うそうだ。)なので、仕事が終わったら我が家へご招待してある。
親子で撮影を眺めていたらゴードンがマフィンを持ってきてくれた。
ありがたや、娘と女房に一つづつもらった。
ゴードンの肩書きはユニット・マネージャー。
彼のトラックの中はエスプレッソマシーンがあり、ロケ中いつでもコーヒーが飲める。
このコーヒーが旨く、そんじょそこいらのカフェより美味い。
トイレの無い現場では簡易トイレを用意するのも彼の仕事だし、何もない場所ではテントも立てて椅子を出しヒーターもつけて休憩所を用意する。
そして十時三時にはお菓子やちょっとしたおつまみ、フルーツなどを用意して皆に配って歩く。
関係者だけなんてケチ臭いことは言わないで、その辺で見ている見物人にも「はいどうぞ」。
こういう配慮が嬉しい。
昔は撮影の照明をやっていたそうだが、第一線を引退して今はこういう仕事をしている。
撮影現場を陰で支える好々爺という存在だ。



娘が何かモジモジしている。
聞くと学校の先生にそっくりな人がエキストラにいるのだと。
「どれどれ、どの人だ?あの綺麗な人か。じゃあお父さんが行って聞いてきてあげるよ。『カークウッド(娘の学校)の先生ですか?』ってさ」
「やめて、恥ずかしいから」
「はあ?オマエ何を恥ずかしがっているんだ。別にいいじゃん。」
「イヤだ。絶対にイヤ」
そういわれるとちょっと意地悪をしたくなる。
「『うちの深雪がいつもお世話になっています』って言うぞ」
「やめて、本当にやめて」
そんなやりとりをしながら眺めていると、監督のOKが出て撮影終了。
場にほっとした気が流れた。



その後、買い物をして親方をホテルへ送り届け一度家へ戻った。
親方もマルちゃんも道具を梱包する作業が残ってるので2時間後ぐらいに再び迎えに行く。
家に戻ると女房が晩飯の仕度をしていた。
今日のメニューは餃子とチキンライス。
我が家のニラ、シルバービート、ニンニクが入ったNZで一番美味い餃子だ。
今年は唐辛子が豊作だったので、それで作ったラー油も絶品である。
おつまみに僕が玉子焼きを作る。
自分ができる事で、その場にあるもので、一番美味い物を出すのがもてなしの心である。
金がない僕が高い食材を買ってもてなしたら本質からはずれてしまう。
それはもてなしではなく、見栄であり、へつらいだ。
そんな事をしなくても家には美味い野菜と美味い卵がある。
そして自分は玉子焼きが焼ける。
たかが玉子焼きと馬鹿にすることなかれ。
卵の質、調味料の量、焼き方だって鍋の温度や裏返すタイミングなど奥は深いのだ。
いい加減に作ればそれなりの味だし、真剣に作ればご馳走になる。
僕は小学校3年生ぐらいの時から玉子焼きを焼いていたし、よく弁当のおかずに入れるので得意ではある。
自分のできる事をする上で大切なのは、自分を知ることだ。

日が落ちてから皆を迎えに行く。
今晩は親方と娘のマルちゃん、そしてオークランド在住で僕と同じように雇われたユカちゃんも来る。
ユカちゃんもこういう仕事は初めてで、衣装とかメイクの方で通訳も兼ねていろいろと仕事をしていた。
機転がきく女性でエキストラの面倒などもよく見て、初めてとは思えない仕事っぷりは日本のスタッフからも評判は良かった。
彼女もオーガニックとか自給自足などに興味があるようで、僕の庭を見たいと言っていたのだ。
家に着いたら先ずはガーデンツアー。
暗くなっているのでトーチで皆様をご案内。
ニワトリ小屋、菜園、温室をまわり、そしてご馳走の待つ暖かい食卓へ。
まずはビールで乾杯。そしてワインへ。これが僕らの打ち上げだな。
酒も食べ物も美味く、話は弾む。
これも撮影が無事に終了したからこそ。
あの時にああすればもっとよかったなあ、と自分を反省する所もあるが、まあ素人のやる事というわけで許してもらえる範囲だろう。
それより僕は目の前の親方と我が家で飲める事が嬉しくて、どんどん杯を重ねてしまった。
あげくの果てにギターを引っ張り出して『美術の親方の唄』なんぞを即興で歌ったようだ。
というのも、その頃には僕はベロベロに酔っ払ってしまって、記憶が断片的にしか残っていない。
夜も更けタクシーを呼び、皆を送り出す時に握手をしようとしたら親方が僕を抱きしめた。
うわあ親方、やめてくれ、そんな事をされたら涙があふれてしまうじゃないか。
そうでなくとも最近は涙腺がゆるくて、すぐに涙ぐんでしまうのに。
その夜は前後不覚、泥沼のような眠りに落ちた。

続く
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親方物語 8

2014-09-21 | ガイドの現場
7月26日
クライストチャーチの撮影はサムナーとフェリーミードで行う。
現場へ行く車の中で親方から面白い話を聞いた。
「以前やった映画で『それでも僕はやってない』という痴漢の冤罪のドラマをやったんです。今ね日本の電車は怖いですよ。誰かに『この人痴漢です』と腕をつかまれたら最後、自分がやっていようがやっていまいが連れて行かれて『やりました』と認めればその日に放してもらえるけど『やっていない』と言い張ったらそのまま拘留されるんです。その間に社会的地位はパアですね。裁判をすれば費用もかかるし、例え無罪になっても失う物が大きすぎる」
「はあ、何か本でそんな話は読んだことがあります」
「だからね私は満員電車でも両腕は下げない。片方はつり革か何かに掴まってもう片方は顔の前で本を読むとかします。そうすれば誰かが近くで騒いでも『私の両手はここにあります』と言えるから。ホント怖いですよ」
「そんなじゃ、通勤の時も大きなストレスですね」
「そう、満員電車で女の人に近くに来てもらいたくないもの。『お願いだから、あっちに行ってください』と思っちゃう。それが今の日本なんです」
社会の歪みとでも言うのか、ここで生活をしていると遠い世界の出来事だ。
後日、女房にそれを話したら、「オヤジ専用車両があればいいのに」と言った。
ナルホド、女性専用があるならオヤジ専用だってあっていいはずだ。
女性しか専用車両がないのはオヤジに対する差別だ。
そんなのができたら親方は喜んでそこに乗ることだろう。





この日はサムナーの撮影から。
ちょうど朝日が海から昇ってくる時で、スタッフも写真などを撮る余裕もある。僕も朝日に向かって拝んだ。
この日のシーンは50年代のロス・アンジェルス。
道路標示の看板を古いものに付け替えて、現代っぽい壁を植木で隠し、クラッシックカーを用意すると、サムナーの住宅害がLAになった。
親方が車のナンバーを貼りかえるのに付き合っていると、向こうから親子連れがやって来た。
僕が所属するブロークンリバー・スキークラブのメンバーで、娘も僕の娘と同じ年でかれこれ十数年のつきあいか。
彼らがサムナーに住んでいるのは知っていたし、ひょっとすると会うかもな、とは思っていたがこうもあっさり何気なく出会うとはね。
「あらあら、こんな所で何をしているの?」
「日本のテレビドラマの撮影で働いていてね。見物していくといいよ。この向こうの道は50年代のLAだよ」
「へえ、それは面白いわ。撮影はここだけ?」
「いや、昨日まではオアマルで四日間、その前はセントラルオタゴで二日間だったよ」
「そうなの。次に会うのは山で会いたいわね」
「全くだよ。じゃあね」
彼女の家族と会うのはいつも雪山だ。街で出会う事は珍しい。
今年は雪が無くスキー場が開いていないのでこういう事もある。
もしも例年通りに雪が降っていたら、彼女の家族はこんな週末には滑りに行っているだろうし、僕もどこかの山へ行っていてこの仕事をしていないだろう。
そうなったら当然親方にも会っていないわけで、そう考えると雪が降らないことにも感謝というべきところだが、スキーヤーの僕は諸手を挙げて、というわけでもない。
複雑な心境である。
それにしてもこの仕事をしていて、よく知り合いに会う。
日本人のエキストラは知った顔がほとんどだし、オアマルの街でセットを作っていたらクライストチャーチの友達家族にばったり会った。
同じ街に住んでいながら普段は全然会わないのにこんなところで出会うとは。
「ニュージーランドは人が少ないから知り合いにもよく会うんですよ」と親方には冗談半分で言ったが、こういう何気なく嬉しい出会いがあるのは、自分が良い状態にいる証しと僕は見る。





午前の撮影が終わると場所をフェリーミードへ移し昼食後は南米のシーンの撮影だ。
チンチン電車の看板をスペイン語の物に代えたり、小さな旗を飾ったり。
細々した仕事をしてフェリーミードの撮影を終了。
その後、全員で街中のホテルへ移動。
そこでこの日の最後の撮影が終わり、その後はそこのホテルのレストランで食事。
俳優のOさんと女優のTさんの撮影がこの日に終わったので全員で食事会。
撮影はもう1日残っているので打ち上げというわけではなく、あくまで食事会だそうな。
僕は親方と離れ撮影班の人達と並んで座った。
横に座った高橋君は30をちょっと超えたぐらいか。初NZどころか初海外が今回の仕事だと。
その高橋君が話してくれた。
「僕達は仕事の時は全体の出発時間より15分早く撮影班は集合するんです。準備とかいろいろあるので。僕が新人だった頃はそれよりも15分早く来て機材のチェックとかしました。言われたわけではないけど早く一人前になりたかったし、先輩に誉められたら嬉しいし。でも最近の新人君はそうじゃないんですよね。言われたままの集合時間に来るだけなんです」
「ああ、それと全く同じような話を聞いたことがあるよ。言われたことだけはそつなくこなすけど、それ以上は何もしないというのは今の風潮なのかねえ」
近くにいたADの田中さんが話し出した。この人も面白い人だ。
「この前なんか、うちの若い子が遅刻してきたものだから『どうして遅刻したの?』って聞いたら『家を出るのが遅れました』って言われちゃって・・・。」
「アハハハ」
「今のご時世、暴力なんかは絶対ダメだし、きつく言ってもパワハラなんて言われちゃうから、やさしく『家を出るのが遅れたのは分かったけど、じゃあ何故家を出るのが遅れたの?』って聞いたのさ。そしたら『何かいろいろやってたら、遅れちゃって・・・』とお話にならないんです。僕らが若い頃は遅刻したら『スミマセン、スミマセン、スミマセン』と平謝りに謝ったものだけど、今の若い子ってのはそういうものらしいねえ」
「いや若いとかそういう問題じゃないでしょう。人間としてどうなの?という問題じゃないですか。親の顔が見たいとはこういう事ですよね。」
親の顔が見たい、という言葉はあるが親を見たくない時もある。
親方は会社の社長をしているので、新入社員の面接もやるという。
その面接に母親がついてきて、あれこれ自分の子供のアピールをするのだと。
そういう親がいるというのは、何かの記事で読んだ事はあるが実際に面接でそういう親が来たという話を聞くとリアルさが増す。
「お母さん、残念ながらあなたのお子さんは不採用です。その理由はあなたです。自分の行動の判断と責任という、人間にとって一番大切な芽を摘み取っている事に気がつかない、あなたのような親が育てた子供に人並みの仕事が出来ますか?自分の事を自分でするという当たり前の事、自分の面接を自分だけで受けるという当たり前の事をさせないのはあなたです。それを許す父親も父親です。子離れできないバカ親とはあなたのような人のことです。いい加減に目を覚まして、子供への依存を止め、あなたが自立しなさい。」
僕がもしも面接官だったらこれくらいの事は言ってしまうだろうな。
そしてバカ親からすぐに苦情が来てクビになるだろう。
そういう親に育てられた子供が仕事に遅刻して謝る事もせず、上司は叱ることさえもできない。
一昔前なら「バカヤロー」って怒鳴られ、時にはゲンコツの一つでも貰って自分から気づいたのだろうが、歪みに歪んだ社会はそれも許さない。
可哀そうだ。みんな可哀そうだ。
自分の愚かさに気づかないバカ親も可哀そうだし、そんな親に育てられた子供も可哀そうだ。
そして自立できない部下を持つ田中さんもかわいそうだし、面接について来るバカ親の相手をしなければならない親方もかわいそうだ。
でも、早く一人前になりたいからと、自ら進んで早出をする高橋君のような若者も存在する。
歪んだ社会の闇だけではなく、明るい光もあることを忘れてはならない。


続く
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親方物語 7

2014-09-20 | ガイドの現場
7月25日
朝、モーテルを引き払い出発。
今日でオアマルの撮影は終了、その後クライストチャーチへ移動である。
移動日とあって内容は軽めのようだ。
先ずは車で5分ぐらい、丘のうえで景色の良い邸宅。
ここがメキシコの主要人物の屋敷となる。
今度はメキシコですか、もうどこへでも連れて行って下さい。という気分だ。
美術班の仕事は門の所の看板を外し、メキシコの国旗をつける。
アンディが撮影に付き合い、その他のメンバーは昨日の片付けと移動の準備だ。
その仕事は10分で終わり、後はぼんやり撮影を見たり、天候待ちの時にはスタッフとおしゃべりをする余裕もある。
僕が自分の庭で飼っていたニワトリを食べた話をすると女優のTさんが以前どこかで締めたばかりのニワトリを食べさせてもらってそれがたいそう美味かったとか、モンゴルかどこかの国でロケをした時には大草原についたて一つ立てて、見渡す限りの草原の中で用を足したなどと単なるお嬢さんではないような話を聴いた。



親方は監督やカメラマンと何か話をしている。
ふと思ったのだが、今回の撮影チームの中でうちの親方はかなり重要なポジションにいるのではなかろうか。
ひょっとするとこの業界では名の知れた人なのかもしれない。
そういえば、こういうこと(テレビとか映画とかの美術の仕事)をやる会社の社長とか、働く人も百人ぐらいいるとかって言ってたな。
だからといってどうこうの問題ではないが、僕の今までの経験だと、どの業界でもトップに立つような人はその事に対して全く自慢をしないし、どちらかと言うと謙虚な人が多い。
元厚生大臣もJTBの会長もオリンピック選手も青年実業家も大物人気俳優も、人間として対等のところで話ができた。
上下をつくるのは周りの取り巻きだ。
そしてうちの親方も、会社の社長さんでも現場に出続ける姿はかっこいい。そして決して偉ぶらない。
スターウォーズのダースベーダーのように一つの艦隊の指揮官をフォースの力で殺せるぐらいの絶対的権力を持ちながら、何か事が起これば「オマエ行け」ではなく「オレが行く。ついて来い」というような徹底現場主義。
燃え盛るドラム缶を動かすのに、「オマエ動かせ」ではなく自分でさっさと動かしてしまう行動力。
この時には僕はすっかりこの親方に惚れこんでしまっていた。



お昼を食べにベースに戻ると、エキストラで雇われた友達のシゲさんと息子のリクが来ていた。
シゲさんとは十数年の間柄、普段はなかなか会う事もできないので、一昨日の晩に家に遊びに行った。
その時にエキストラの話は聞いていた。
息子のリクは数年前にクィーンズタウンに遊びに来た時から知っている。
その時さくらんぼ狩りに連れて行ったのだが、ふざけてさくらんぼを投げて落とすので雷を落とした。
食べ物を粗末にする事は自分の子だろうと他人の子だろうと許さん。
悪がき小僧だったリクも今は17、人の子が大きくなるのは早いものだ。
二人の役は日系ブラジル人。
撮影は市内の教会をブラジルの教会に見立てて行った。
ここでは美術班の出番は無し。
今日は楽だな。
他の人の手伝いをする余裕もでてきた。
衣装の人が洗濯をしたいというので、モーテルまで送迎したり買い物に付き合ったり。
撮影が長丁場になるとみんな着替えなどもたいへんだろうな。
ちなみに今回親方は15日間の滞在になるそうで、パンツも15枚持ってきたそうな。
洗濯から帰っても撮影は続いている。
現場に近づくと周りのスタッフが口に指を当て、静かにというサインを出した。本番中なんだな。
覗いて見るとシゲさんが俳優と向かい合って何か話をしている。
おおお、シゲさんセリフ付きの役ですか、と思いきや何かが違うぞ。
よく見るとその声は録音されたものでシゲさんは後ろから映されている。
後ろ頭が映るのでこの為に髪も染めたとか。
日本で撮ったカットと、このカットと繋ぎ合わせて一つのシーンを作るのだろう。
ふーん、いろいろあるんだなあ。



撮影が終わると荷物を車に積み込みクライストチャーチへ。
ベースも引き払うので皆てきぱきと片付けをしている。
昨日のゲリラのアジトは当然ながら跡形も無く、倉庫の片隅、何の変哲も無い空間があるだけ。
確かにこれだけのことをやって一々感傷に浸っていたら何も進まない。
だけど素人の僕だから感じる『何か』もある。
それが何かは分からないが、自分の心の奥にある想いとリンクしていて、それが自分という存在の一部でもある。
経験、それは自分の大いなる財産。
この年になっても貴重な体験という財産ができた。
ただひたすら、ありがたやありがたや、なのである。



親方とマルちゃんを乗せて車を走らせる。
この二人の会話はまるで親子のようだ。
きっと前世のどこかでこの二人は親子だったのだろう。
親方がうちの娘、と言うのが分かる。
そういえば、スタッフの誰かも親方のことをパパと呼んでいた。
親方には自分の子供はいないそうだが、みんなから慕われるお父さんなんだな。

続く
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親方物語 6

2014-09-19 | ガイドの現場
7月24日
朝いつものように親方をホテルでピックアップしてベースへ行き、ぎょっとした。
衣装とメイクの間にライフルや機関銃がずらりと並び、その周りには軍隊で使うような物が置かれてる。
その一角だけ即席軍用品展示コーナーがあるようだ。
そういえば今日はキューバのゲリラのシーンがあるような事を言っていたな。
そのために色々な物を借りるんだろう。軍事マニアらしきおじさんが緑色の軍服を着てそこにいた。
全く毎日毎日いろいろあって楽しい。





その日の撮影は中米の町並みから。ベースから歩いて数分の距離だ。
スペイン語の看板はすでに用意されているし、交差点のストップサインを隠す看板も用意済みで、本番の時にちょいと引っ掛けるだけ。
段取り八分現場二分、あわてることもなくスムーズに撮影に入った。
『いつもこうありたいものだ』という僕の願いはこの後、見事に吹き飛ばされるのだが目隠しジェットコースター状態の僕にはそれを知る由もなかった。



中米の町並の撮影が終わると次は南米の客車のシーン。
僕らのベースの建物の裏はほとんど車の通りのない道がありその向こうは線路、そしてその先は海だ。
オアマルでは今でもたまに蒸気機関車を走らせており、今回の撮影も蒸気機関車を出してもらった。
そのシーンでは美術班の仕事はなく、次のセットそして今晩のセットの準備へと向かった。





午後の予定はキューバのゲリラのアジト、そして夜はキューバの廃墟のような町並みとのことだが、それを聞かされても僕にはイメージが湧かない。
ベースの建物は昔の羊毛の倉庫で、太い柱に白い石を積み上げた壁、高い天井に板敷きの床という造りである。
この一角に厚手の布を吊り下げ、天井から裸電球をぶら下げ、弾薬や武器を入れるような木箱を並べるとナルホドそれらしくなった。
だがこれだけで終わりでなく、壁にスローガンを書いたり、キューバの地図やスローガンを書いた紙を貼ったりというような細かい作業がある。
だがゲリラのアジトは作業途中のまま放って置かれ、美術班は建物の外で今晩のセットの作業をやっている。
この国の人達は気ままな所があって、物事をノリでやる。
だからそのノリとタイミングが合えば全てスムーズにトントン拍子に行くのだけれど、筋道だって考えて行動するのは苦手だ。
夜の撮影のセットはまだ時間があるのだから後でやって、先に午後から始まるセットを仕上げるという、素人の僕でも分かる事ができない。
気分は外のセットへぶっ飛んでしまって、ゲリラのアジトは遠い忘却の彼方へ押しやられてしまったようだ。
そんな忘れられたゲリラのアジトに親方と二人。
ボチボチと作業をしながらちょっと心配になり親方に聞いた。
「あのう親方、彼らを呼んできましょうか?」
「イヤ、ちょっとこのままやらせてみましょう、ジョンなりに考えがあるだろうから」
ジョンというのは美術班のボスだ。
ちなみに美術班は常時5人、ボスのジョン、僕の古くからの友達のサイモン、看板やサインを作る純朴ペインターのアンディ、小道具などを担当するジョシー、そして雑用のヘイディという顔ぶれである。
そのまま作業を続け、撮影の時間も近づいてくる頃、美術班のメンバーもボチボチとアジトに戻ってきた。
そしてお決まりのドタバタ劇だ。
8時だよ全員集合のコメディが終わって歌謡曲に移る時のあの音楽、あれがBGMに欲しいぐらいである。
壁にでかでかと[Todo por la Revolucion](全ては革命の為に)という文字を書くのだが、当初のイメージでは基本黒文字でRevolucionだけ赤文字、とアンディに伝えたのだが全部黒文字で書いてしまった。
水で流せば消えるペンキだがやり直している時間はもうない。
「もうしょうがないからRevolucionのところだけ黒の上から赤でなぞって」
そしたらアンディ、今度は黒字の周りに赤で縁取りをしてしまった。
「あーあアンディ、そうやっちゃったか。うーん、じゃあ黒の周りを赤でベタベタ塗っちゃえ。」
現場合わせもいいとこだが、アンディが塗ると、どうしても芸術っぽくなってしまう。
「それじゃあちょっとポップだぞ、軽すぎる。革命なんだから、もっと力強く」
ポップというのは和製英語なのか?うまくアンディに伝わらない。
このあたりは僕の英語にも問題がある。ポップな字体、というような感覚を伝えきれない。
おまけに時間がなくてアンディも僕もあたふたしている。
結局は親方自ら筆を取って壁にペンキで力強くどかっと。
それでアンディも納得したようで、その後を引き継ぎなんとか壁のスローガンができた。
天井からロープを垂らし鉤をつける。
キューバの国旗と革命軍旗を飾る。
コーヒーで汚した地図を貼る。
そして軍事マニアから銃を借りてきて弾薬箱の前に飾り、なんとかゲリラのアジトができあがった。



撮影が始まると親方は床に水をまいたり煙を焚いたりあれやこれや忙しそうだが、僕の出る幕ではなく基本ヒマだ。
撮影の様子を見物したり、強面ゲリラが旨そうにデザートを食べるのを写真に撮ったり、他のスタッフとおしゃべりしたり、そんな余裕も出てきた。
ジェットコースターだってゆっくり走る時もあるさ。





午後丸々かけて撮影は続き、その間に外のセットの準備をする。
土のうが着いたというので行ってみると、軍用トラック一杯に土のうが積んである。
ただし中身はおがくず。本物は土を入れるがそれだと重いからね。
土のうを積み上げ塹壕をつくり、そこに機関砲を据え付ける。
こちらは本物だろうな、かなり重たかった。



夕食後は夜の屋外シーンである。
ゲリラのアジトと関連があるのだが、設定はキューバ革命時の廃墟のような町。
道端の車からは煙が流れ、塹壕の脇には無骨な軍用テント。
木箱が無造作に積み上げられ、民兵がドラム缶で焚き火をする。
建物の壁にはキューバ革命のスローガンがベタベタと貼られ、その横で革命軍の旗がなびく、というようなセットを美術班が作った。
夜空に照明が煌々と焚かれ、撮影が始まった。
美術班も配置に着く。
遠くに置かれた車から白い煙、近くの車からは黒い煙ということで、白い煙はスモーカーという機械を使い、黒い煙は大きな皿に燃料を入れて燃やす。
黒い煙の役目は旧友サイモンなのだが、こいつがやらかした。
気をきかして車のボンネットの中から煙を出そうとしたんだろうな、ゴムの部分が焼けてしまい本物の黒い煙がモクモクとふき出し臭い匂いが辺りにただよった。
そんな事をやってあわてて消したものだから、今度は次のテイクで間に合わなくなりあたふた準備をしなおすというドタバタ劇。
そのうちに焚き火をしているドラム缶からの火が弱くなり、サイモンが燃料をぶちこむ。炎が上がる。やけに嬉しそうだ。
それを見て親方が言う。
「人間って火を見て興奮するタイプと冷静になるタイプがあるんですよ。サイモンは典型的な興奮型だな」
ナルホド、僕も興奮する方だな。
サイモンが担当する黒い煙は、普段消しといて本番に合わせて点火ということになったのだが、またやってくれた。
いざ本番、さあ黒い煙を出せ、いう所で煙が出ない。どうしたサイモン。
見るとあのバカ、よっぽど興奮したのか女の子と話に夢中で無線も聞いちゃいない。
近くにいた小道具のジョシーがプンプン怒りながら言った。
「全くあいつは最低!どうしようもないわ。クロムウェルの市場の飾りつけの時からずーっとそうだったのよ」
美術班の中でも人間関係は色々あるようだ。親方にそれを伝えると言った。
「サイモンみたいなタイプは力仕事とか大きな仕事はいいけど、こういうタイミングを合わせて動くというような細かいことは苦手なんだろうな」
ごもっともである。
実際サイモンはスキー場では圧雪車のオペレーターだったし、今でも普段は重機を使った土方をやっている。



撮影の合間、カメラの位置か変わる時に細かい指示が出る。
焚き火を焚いているドラム缶の位置をずらせと。
熱々のドラム缶をどうやって動かすんだ、と思って美術班の全員がお互いに顔を見回していると、親方がどこからか木の棒を持ってきて、それでズリズリと動かしてしまった。
現場上がりの親方は強し、そしてかっこいいぜ。
僕だけでなく美術班全員が親方の事を認め、そして尊敬していた。
ちなみに親方はビッグボスと呼ばれ僕はリトルボスと呼ばれていた。
親分と子分みたいなものだな。
こうしてキューバの廃墟の撮影もなんとか終わった。



帰り道、一昨日撮影をした八百屋の前を通った。
当たり前だが八百屋の面影は全くなく、ここにあの店があったという事が夢のように感じられた。
それがわずか数日前なのだ。
そこから僕はベネズエラ、ブラジル、チリ、カリフォルニア、中米のどこかの町、そしてキューバ革命を旅した。
あまりに毎日がめまぐるしく変わるので、まるで現実ではない夢の世界で生きているような錯覚さえも覚える。
後で親方にそれを言ったら、笑いながら「これが現実ですよ」と言った。
うーん、まあそうだけど、こんな事を年がら年中やってそれが現実だというのもそれはそれですごい世界だな、などと思うのだ。


続く

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親方物語 5

2014-09-18 | ガイドの現場
7月23日
撮影四日目。
オアマルの街の中心近く、昔の倉庫が並んだ味のあるエリア。
オアマルストーンという白い石造りの街はニュージーランドの中でも他の街とは違う雰囲気を持っている。
まるで半世紀前にタイムスリップしたような、そんな一角が今回僕らのベースでもあるしロケ地でもある。
昔の羊毛を扱った大きな倉庫が今はパーティールームとしても使われており、その建物がベース、基地である。朝、昼、晩とも食事はここだ。
数十人が食事ができるダイニングエリアもあれば、キッチンもあるし、もちろんトイレもある。
その奥の倉庫は衣装の広間、小道具置き場、メイクアップのテーブル、更衣室、そして一角は室内ロケにも使われる。
今回のニュージーランドロケでは色々な国のシーンを全部ニュージーランドで撮っちまおう、というわけで、アメリカのユタ、カリフォルニア、メキシコ、パナマ、ペルー、ブラジル、キューバ、ベネゼエラ、コロンビア、チリ、などのシーンを撮る。
ちなみにこれだけやってニュージーランドのシーンは無い。



各シーンでその場所や年代に合わせた看板や小物などを使うわけだが、現地で調達する物もあれば日本から持ってくるものもある。
美術の衣装ケースにはそういった小物がぎっしりと入っている。
車のナンバープレートも然り、シーンごとのナンバープレートがきちんと整理されていて、その都度それを取り出して車に両面テープで貼り付ける。
こういうのも日本でちゃんと段取りよくやってくるんだろうな。
この日の撮影はべネズエラの街のシーンから始まった。
美術の仕事は車のナンバーを貼りかえるぐらいで親方の表情も心なしか和らいでいる。
昨日も一昨日も朝からドタバタ劇だったが、毎日あんなのが続いたら身も心ももたない。
僕ものんびりと撮影を見物。





撮影をしている間、美術班の次の仕事はブラジルのリオの市場作り。
ベースの直ぐ脇の路地の歩道にゴチャゴチャと南米っぽい小物を並べてそれらしい雰囲気を作るのだ。
「マーケットの場所はここまで。このカフェの爺さんが撮影反対派で気をつけなけりゃ」親方が細かい指示を出しながら言った。
ナルホド、そういう流れも当然あるんだろうな。
僕達が作業をしていると、そのカフェの前で一人のおじいさんがタバコを吸いながら憎々しげにこちらを見ている。
言われなくても『ああ、この人なんだな』と分かった。
「こいつら、こんな所で撮影しやがって。気に入らないぜ」というオーラが体中から溢れている。
全体的にニュージーランド人は人が良く親切で撮影に協力的だが、中にはこういう人もいる。
それでもここニュージーランドは他所に比べて撮影は楽な方だと思う。
親方も盛んにそれを口にしていた。
「日本だと街でロケをしているとうるさいんだよ色々と。その辺の人が警察に通報したりしてね。そうすると警察も出てこなけりゃいけないでしょ。ここはそういうのがないからいいな。」
ここでは警察はのんびりと見物なぞしている。
日本でスキーパトロールをやっていて分かったのだが、スキー場でスキーパトロールがヒマだということは安全で良い状態の証明なのだ。
それを日本ではサボっていると言われてしまう。
ここニュージーランドでもオアマルの警察がヒマでのんびり撮影を見物する、なんてのはこの地域が安全で安定している証拠だ。
それに街はずれでスピード違反の取締りなんかするくらいなら、撮影でも見ていた方がよっぽどみんなも喜ぶはずだ。
警察、消防、救急車がヒマというのは良い状態なのである。ついでにスキーパトロールもね。
ちなみにアメリカでは「ここからここまでならいくら」「この先の道までならいくら」と料金がはっきりとあり、お金を払えばその場所は警察がついて交通を遮ってくれると言う。
だから金さえ払えばニューヨークだろうとサンフランシスコだろうと撮影ができるわけだ。
そういえば、映画キャメラマンのゲンさんが「ミシシッピにかかる橋を2時間閉鎖して沈む夕日を撮った」って言ってたな。
そういうお金がいくらかかるか知らないし知りたくもないが、それはそれで実にアメリカ的でいいんじゃないの、と思った。





ブラジルのリオのマーケットから50m先の街角がチリのオープンカフェである。
ちなみにその先20mが昨晩のカリフォルニアの警察署だ。
オープンカフェの場所にはサイモンがテーブルと椅子を置き傘を立て、ベースの建物から水差しやグラスやカップなどを借りてきた。
ロバもどこからかやって来て50年代のチリのひとコマできあがり~。
ちなみにロバを借りるのは1日8万円かかるそうな。
そこの撮影が始まる前に、僕と親方は次の現場、チリのホテルの一室へ。
美術班がある程度用意したがチェックしてほしいと連絡があった。
親方は現場を離れても大丈夫なようなのでそちらへ向かう。
場所は俳優や監督など首脳陣が宿としているホテルの一室。
それも親方の部屋のとなりの部屋だ。
チェックすると調度品など親方のイメージと違うらしい。
命ぜられるまま親方の部屋のサイドテーブルを運び入れる。公私混同もいいところだ。
そしてテーブルと椅子が必要だがそれらしい物がホテルに無いというので車で近くの古道具屋へ借りに行く。
段取り八分現場二分、そして最後の最後は現場あわせ、なのである。
それにしてもホテルの部屋でチリをあらわすというのは難しいと思う。
と言うのはホテルの部屋の内部なんて、チリだろうがお隣りアルゼンチンだろうがその向こうのウルグアイだろうが大して変わらない。
若い時にその辺を旅したのでそれは分かる。
枕元に置いた小さなモアイの像が親方の苦肉の策だったんだろうな。



撮影は順調に進み、暗くなる頃に終わった。
皆でベースに戻り夕食を食べる時に親方に呼ばれた。
「聖さん、飯を食ってからでいいのでうちの娘をモーテルへ送ってくれないか?」
親方が言う娘とは、小道具担当で親方と一緒に仕事をしている女の人だ。
丸山という名前だが親方からはマルと呼ばれている。なかなかの美人である。
「マルが風邪をひいたみたいで具合が悪そうだから、ちょっとお願い。オレは歩いて帰るからさ。それで今日はあがってください」
「了解です。お任せ下さい」
食後、ガソリンスタンドで買い物をして彼女を送り届け、今日の仕事は終了。
まだ7時ちょっと過ぎだ。今回の仕事で初めてこんなに早く終わった。
その晩はオアマルに住んでいる友達のシゲさんを訪ね、軽く一杯。
オアマルに泊まる機会なんてほとんどないので昔話に花を咲かせるにはちょうど良い。
撮影も中盤に入り落ち着きをみせた。
だが僕を乗せた怒涛のジェットコースターはまだまだ走り続けるのであった。

続く
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9月17日 The Day  

2014-09-18 | 最新雪情報
シーズンを通じて山にいると「この日が今シーズン最高の日だ」と感じる時がある。
その日のことを僕らは『The Day』と呼ぶ。
それは雪はもちろんのこと、天候、そしてそこに集う人、その日の出来事、そういった全てをひっくるめての『The Day』なのだ。
8月半ばに降雪があり何とかオープンできたスキー場もそれ以来まったく雪が降らず、閉めてしまったスキー場も出る中、今回の嵐が来た。
ブロークンリバーで新雪42cm。
公式発表はそれだが深いシュートの中は50cmを越える雪が積もっていた。
『The Day』を感じるのは僕だけでなく、この日のBRにはそうそうたる顔ぶれが集まった。
いつものクラブメンバーはもちろんだがそれに加え、お馴染みブラウニー、キングスウッドのスキーメーカーのアレックス、伝説のパトロールのヘイリー、オリンパスのマネージャーのトッド。
凄腕スキーチューンのハンピー、マウントライフォルドのベン、ニュージーランドから日本へスキーツアーをやっているレネ、西海岸からタイも来たし、マリリンおばちゃんも当然のようにいる。
パウダーは午前中にあらかた食い尽くされ、午後からはパーマーロッジで宴会のようなノリとなった。
ひょっとするとこのままクローズか、という噂も飛び交ったBRだがこの雪で息を吹き返した。
9月にドカ雪が降る、という僕の予想も外れにすんで一安心なのである。


国道から見たブロークンリバー。小さな雪崩が起きてるな。


念のためチェーンをつけて。


ロッジの辺りにも雪はたっぷり。期待が膨らむ。


天国への階段を登り、いざ天国へ。


今日の朝一。


メイントー付近


シュートを滑る人がいた。


ヘイリーとアランズベイスンへ。


この男と一緒に滑るのも久しぶりだ。


ケアのおもちゃになっちゃうよ。


お馴染みブロークンリバーラガー。山の物は高いというのが定説だがジャグで14ドルはクィーンズタウンの飲み屋より安い。


この人が凄腕チューナーのハンピー。毎年毎年僕のキングスウッドを治してくれるので8年も使っている。


パウダー狂ばかりでなく、こういう人もいるのがいいな。


ブラウニーが酒を注ぐ。ヘイリーはいつもの場所だ。


午後にはパウダーはあらかた食い尽くされた。


パーマーロッジではまったりと宴会のような雰囲気。


帰りはアランズベイスンを下まで滑り歩く。


昔はここを毎回歩いていたんだよな。
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親方物語 4

2014-09-17 | ガイドの現場
7月22日
撮影3日め。
オアマルでは4泊する。連泊はやはり楽だ。
撮影隊の宿は3箇所に別れた。
まず俳優や監督など首脳陣は街の中のホテル、セットまで歩いて5分。親方もここだ。
僕達ニュージーランドクルーは中心からちょっと離れたモーテル。
残りの人達はもっと遠い町外れのモーテル。
一番遠いモーテルからセットまで4kmほど。4kmというのは普通に歩いたら1時間の距離だ。
朝一番で親方をピックアップしていざセットへ。
セットでは大工がまだ働いている。
親方の表情から、仕事が遅れているのが分かった。
僕達はできることをやって店の内側とか飾りをつけていくが、外の大工の仕事がなかなかはかどらない。
ぼちぼちとスタッフが集まり始めて来て、本来はもう片付けを済ませてカメラとか照明がセットする頃だろうなというのは素人の僕にも分かるが、まだ軒をのこぎりで切ったりしている。
親方は落ち着いて作業を続けている。
僕は親方に恐ろしい質問をした。
「あの・・・こんなことって・・・撮影の世界では・・・よくあること・・・でしょうか?」
「絶対にありえません」
「そうですよね・・・スミマセン」



あげくの果てにニュージーランドの美術班のアンディが遅刻。
ヤツが看板などを持っていて、ヤツが来ないと何もできない。
遅れてきたアンディに言い訳も言わさず、親方は即作業に入らせる。そして自分も実によく働く。
予定より多少なのか大幅になのか、とにかく遅れてなんとか八百屋が出来た。
撮影が始まるとしばらくはヒマになる。のんびりと撮影を眺めたり写真を撮る余裕もできる。
シーンが変わるときにちょっとセットを変えるぐらいで基本的にブラブラだ。



遅刻をしたアンディが言い訳をしに来た。
「聞いてくれよ、昨日のセットで携帯を地面に落としたら壊れちゃって、街にいるのに圏外になっちゃうんだ。おまけに時間も合わなくて、今朝も目覚ましが鳴らなかったんだよ」
「アンディ、俺にそんなに一生懸命言い訳しなくてもいいよ。もう済んだんだから。それよりもう寝坊するなよ。ボスはオマエさんの事を好きだって言ってたぞ」
アンディはいいヤツなのだが、あわてると細かい作業ができなくなる。指先がもつれてしまうのだ。
親方曰く、純朴なヤツだそうな。




シーンの一つで、ケンカになり飾ってあったみかんがボロボロとこぼれる場がある。
その時にはわざと崩れやすくミカンを積み上げ、ミカンに貼ってあるシールが不自然なのではがす。
親方がミカンを箱に入れてそれを山の上から転がし、誰かが後ろからミカンの山を突き崩す。
「ハイハイハイ、僕がやります、やらせてください」
別に大したことではないが、何となく面白そうだ。
カメラをセットして「せーの、どん」ボロボロボロボロ。
ドラマの中では1秒、2秒のシーンだろうが、あとで娘に自慢できるな、などと考えた。



昼食後も撮影は続く。
僕は親方の後ろを金魚のフンのごとくついて回る。
ちなみに金魚のフンのことをこっちのスタッフに教えたら大爆笑だった。
昼過ぎに町外れのビンテージカークラブへ車を見に行く。
ボロボロにさびた車とか古いタイヤとか錆びたボディなんかをそこから借りるのだ。
親方はその辺の物を見て「このタイヤを30個」とか「この錆びたホイール20個」などと注文をする。
バリバリと仕事をする姿はかっこいいな。
明後日のシーンでこれらを使うそうな。
親方の頭の中では、これからの先も段取りができているのだろう。まあそうでなけりゃ困るのだが。
僕は段取りどころか、この直後にも何が始まるのか分かっておらず、まるで目隠しをしてジェットコースターに乗っているようなものだ。
そして目隠しをしながら全速力で駆けるのを楽しんでいる自分もいる。





現場に戻ると撮影は続いていた。
八百屋の外のシーンの撮影が終わり、店内での撮影も終わるとすぐさまバラシが始まる。
このお店を借りるのは今日だけで、明日からは通常営業なのだ。
今回使った野菜はもう使わない。袋に入れて持って帰る人もいる。地元のスタッフとか知り合いに配ってしまう。
ゴミもたくさん出る商売だが、こうやって地元の人にも還元できることもあるのだから、これはこれでいいのだろう。



夕飯を食べた後は夜の撮影。
近くの建物の看板を張替え、星条旗を飾りカリフォルニアの警察署になった。
その建物の前に年代物のクラッシックカーを置いてそこはアメリカになった。
その撮影の時に思わぬ外野がいた。
ペンギンである。
さすがに撮影で明かりを煌々と焚いている中には入ってこないが、そのすぐそば、距離で言えば10mぐらいの街角の暗がりに数匹。
スタッフも俳優も手が空いた人は見に行く。僕も見に行く。
ペンギンがいるのは知っていたし、近くにペンギンのコロニーがあり、それを見に行くツアーがあるのも知っていた。
だが街角のこんな場所でこんなに簡単に見られるとは思わなかった。
スタッフが入れ替わり立ち代りでペンギンを見に来るのだが、フッと間が空き女優のTさんと二人っきりになった。
しばらくペンギンの話などをしていたのだが会話も途切れ、そのまま二人でペンギンを見ていた。
暗がりで美女と2人。
だからと言ってロマンスに発展するわけでなし。当たり前だ。
でもこの人のファンから見ればそうとうに羨ましい状況なんだろうな、などと下世話な事も考えた。



ある時、ドジなスタッフに監督の雷が落ちた。
「何回も同じ事を言わせるんじゃねえ!」
怒鳴り声が響き、周りの空気が凍りついた。
僕は日本人エキストラの人達と一緒にいたのだが、皆びっくり半分、自分が叱れたような気分が半分で空気がよどみかけた。
その瞬間、女優のTさんが僕らに向かい笑顔で言った。
「すみませんねえ、殺伐とした雰囲気になっちゃって」
一瞬で場が和んだ。
ああ、この人はこういう細かい配慮ができる人だ。
素直に好感を持った。
単なる美人だけでなく、内面からにじみ出る美しさというものを持っている人だ。
ちなみに内面からにじみ出るブスというものも存在する。
たいてい人の悪口や嫌味を言う時にそれは出る。
そしてたいていの場合、本人はそれに気づいていない。

続く
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親方物語 3

2014-09-16 | ガイドの現場
7月21日 誕生日。
撮影二日目。
美術班の朝は早い。誰よりも先にホテルを出る。
だが僕は元々朝が早く、仕事の無いときでも朝4時とか5時に起きるたちなので何の苦でもない。
早朝の道が凍っているかもしれないのでスピードは控えめ。ボスとおしゃべりをしながら現場へ向かう。
昨日の現場はどうなっているんだろう、ちゃんと作業は進んだのか、それとももう来てやってるか、だけどキウィの大工だから当てにならないかも・・・など考えが浮かぶ。
しかも現場に近づくに連れ、雪も降りだした。
現場に着いてみると、辺り一面雪野原。ちなみに今日のシーンの設定は夏だ。
朝7時から始めると言っていた大工は当然のようにいない。やっぱりね。
親方も呆然と立ち尽くしている。その後ろで僕は何と声をかけていいか分からない。
昨日打ち合わせしたゲートはかろうじてできているものの、小屋の方は昨日のまま作業中断したんだろうな。何も変わっていない。
こちらの大工は時間を守らないとか、できると言っておいてできないという事がよくある、という話をよく聞くが、まさか自分の身に降りかかるとは。昨日の晩のイヤな予感がここで当たってしまった。
ボスの鈴村さんがひっきりなしに電話をしている。こちらの状況を説明しているんだろうな。
それでも30分もすると大工達もやってきて作業を始めた。
撮影隊はまだ着いていない。道に雪があるので到着が遅れるだろう。それがせめてもの救いだ。
「あの鈴村さん、ここって雪があってもいいんですか?」
「ダメです。夏なんだから」
「どうするんですか?」
「どうするんでしょうねえ」
他人事のように言うもんだ。
「撮影ができなくてプランが変わるという事もあるんですか?」
「そういうこともあります。ただね、そうなると大事になるんですよ。色々な物がすでに手配済みだし、下手をするとホテルや飛行機の変更なんて話にもなっちゃう。」
「まあ、とんでもないことになるのは見当がつきます。でも夏のシーンですよね」
「夏のシーンです」
「雪があってはダメですよね」
「ダメです」
振り出しに戻る。
ボスが言葉をつないだ。
「でもね天気とか雪とかでダメって場合もあるんだけど、小屋の準備とかできていないと『でも美術だって出来ていないじゃん』とこっちに飛び火する事もあるんです。そういう面倒くさいのに巻き込まれたくないのよ。」
「ああ、分かりやすい説明だ。じゃあ小屋の回りとか片付けて、作業がほぼ終わっているように見せた方がいいですね」
「そうですね。それでお願いします」
人がたくさん集まるといろいろと面倒くさい人間関係も生まれてくるんだろうな。
本来ならばこんな時、別の美術のスタッフにもっと早い段階からこの現場を任せ、自分はその先へという段取りができると言うのだが、今回は鈴村さん一人で全部の現場を見て廻らなくてはならない。
莫大な仕事の量だ。
「昨日もう少し残って見ていけばよかったな」
ボスがつぶやいた。本音だろうな。
それにしてもこの人は怒らない。ここで美術の監督が怒りまくるなんてことになってもおかしくないシチュエーションである。
そして怒鳴り散らすような人もいるだろうな、ということは容易に想像できる。
多分この人はここで怒っても事態は何も良くならない、むしろ悪い方向へ行ってしまう、という事を知っているのだろうな。
遅れてきたスタッフを叱るわけでもなし、言い訳も言わさずすぐに作業に入らせる。そして自分も黙々と作業をする。
かっこいいぜ、ボス。
そうこうしているうちに撮影隊が着いた。
ボスは監督やカメラマンなど首脳陣と協議をしている間、現場は急ピッチで仕上げに入る。
時間が立つにつれ青空も出てきて日も差し始めた。雪も少しずつ解けてきた。
小屋もなんとか完成。最後などやっつけ仕事なもんだからペンキの塗り残しなどもあるが遠目には分からない。
分からないだろうが作る方としては納得がいかないだろうな。でも時間もない、他の作業もある。
妥協、あきらめ、やりきれなさ、そういった想いがボスの背中からにじみ出ていた。



撮影が始まる頃、やっと一息つく余裕ができた。
今日のロケでは日本人のエキストラも何人も雇われており、クィーンズタウンの知り合いも多く来ている。
こういう非日常の場で友達に会うのはちょっと嬉しい。
「あれ、聖さんがこんな所で働いているよ」と話していたらしい。
ここに長くいるといやが上でも知られた顔になってしまう。
おまけにこの風貌なので一回見ただけで向こうは僕の事を覚えてしまうし、僕は絶望的に物覚えが悪い。
「初めまして、聖と言います」と挨拶をすれば「何回も会っています」と言われてしまう。
『どこで会ったっけかなあ、この人』と考えながら当たり障りの無い話をしていると「いつも、どこで会ったかなあって顔をされますね」と言われてしまう。
自分は相手のことを知らず(忘れる自分が悪いのだが)相手が自分を知っているというのは怖いものだ。
そう考えると俳優なんてのは何と恐ろしい職業なんだろう。
エキストラの友達は、50年代のアメリカの設定なのでそれなりの衣装を着ているのだが妙に違和感がない。
ただしシーンの設定が夏なので衣装も夏服。
天気は日が射したかと思えばすぐに吹雪になったりとコロコロ変わる。
待っている間は厚手のジャケットを着ているが、撮影の時は夏服、これも辛そうだ。

撮影中も美術班は忙しい。
注文しておいたキャベツ500個が届き、それを畑に並べる。
届いたキャベツは余計な葉っぱを取られ商品として売られる状態で届く。
それをそのまま畑に並べても違和感があるので周りの葉っぱを何枚かはがして広げ本物の畑のように見せる。
一つ一つ手作業だ。いろいろな人に応援を頼むが、親方もせっせとキャベツを並べる。
筋書きでダイナマイトを投げ込まれるシーンがあるのだが、その時には窓からガラスを外しそれを割って破片をいくつか窓に戻してそれらしく見せる。
また爆発であいた穴ということで、地面に穴を掘り黒く色をつけてその周りに木を割ってちりばめる。
まあ大変と言えば大変だが、面白いと言えば面白い。
爆発の穴を掘っていると、エキストラで来ていた友達のエイジさんが手伝いに来てくれた。
この人は夏は山小屋の管理人をやっていて、昔からのつきあいだが夏はお互いに忙しくてなかなか会えない。
「穴掘りなら得意だから手伝わせてよ、待っているのも寒いから」
「ありがとう。助かるよ」
「この前は2mぐらいの穴を掘ってねえ」
「それって、ロングドロップ?」
ロングドロップとは、ぼっとん便所の事である。
「そう。大きさは1m四方で深さ2m。いっぱいになると穴を掘るんだよ」
さらっと言うが大変な作業だぞ。
「手掘りなんだあ。誰かが掘るのかなあって思ってたけどさ・・・」
そんな話をしながら穴を掘っていると親方がやってきて言った。
「穴はそれぐらいの大きさでいいです。後で埋め戻さなきゃならないから」
エイジさんはもっと堀りたそうだったがあきらめると、今度は向こうの畑でキャベツを並べている人を手伝いに行った。



役者が使う小物が足りないからその場で作れ、なんてこともある。
バスケットに布を敷いて、サンドイッチを紙袋に入れて、ジュースを今時のペットボトルから昔のビンに入れ移して、果物は昔も今も変わらずだからよし。全部をバランスよく飾って持っていったら使われなかった、なんてね。
ある時、親方が作業をしながらこう言った。
「俺達のやってることって本当に無駄が多いんだ。ゴミばっかり出るし、全然エコじゃないんだよ」
確かにそうだ。そのとおりである。
その点で言えば自給自足の方向にいる僕とは対極、一番遠い所とも言えよう。
でもそれを意識しながらやっているのと、気づかずにやっているのでは大きな違いがある。
だから普段は接点が全く無いようなところにいるが、今回のような出会いにも繋がる。
親方の肩を持つわけではないが、夢を作る仕事とはそういうものだと思う。



今日のロケ地、プールバーンから次の街オアマルまで車で3時間ちょっと。
多忙な親方は次へ次へと先の事を心配しなくてはならない。
明日のセットは八百屋、一晩で八百屋を作り上げるわけだが、借りる店の営業が終わり作業を始められるのが夕方。
なので6時ぐらいにはオアマルに着きたい、それにはプールバーンを3時ぐらいには出たい、というのが当初の予定。
夕暮れ迫る中、未だ撮り続けている撮影本隊を横目に見ながら現場を出たのが6時頃だっただろうか。
途中で親方はビール、僕は眠くならないようレッドブルを飲みながら夜道を3時間かっとばした。
オアマルに9時ぐらいに着き、その足で簡単な晩飯を取り、すぐにセットへ。
セットでは足場が組まれ1日限りの八百屋が作られていた。大工達は徹夜仕事になるだろう。
セットで僕達も仕事をする。さっきは土方のように穴を掘り、今度は八百屋になるのだ。
昨日クロムウェルの市場のセットで使った野菜を、今度はこちらの八百屋で使う。
2時間ぐらい仕事をしたか、撮影本隊がオアマルに着いたと連絡があり、僕らもホテルへ向かった。
彼らは僕達が出た後も真っ暗な中、撮影を続けたんだな。寒かったろうに。
モーテルへ着きベッドにもぐりこんだら12時を廻っていた。
46歳の誕生日はすごい勢いで駆け抜けたが、一生忘れる事はできない経験となった。
天がくれたプレゼントだと僕は考える。
ありがたやありがたや。
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