あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

マラソンの日

2015-11-24 | ガイドの現場
クィーンズタウンでも去年からマラソンの大会が行われるようになった。
コースはアロータウンからクィーンズタウンまで、途中で湖をぐるっと回ると42kmぐらいになる。
それに出るおじさん2人が今回のお客さん。
前日の観光を兼ねた下見、そして当日はおじさん達をスタート地点へ送った後、先回りして走っている姿を写真に撮るという仕事だ。
コースのほとんどはサイクルトレイルを使い、車道は閉鎖されるので車で行ける場所も限られる。
僕はこの辺りの道は全て自転車で走っているので、どこの道がどこに抜けられるか知っている。
交通規制などの状況に合わせ歩いてコースを見に行き、みんなが走る姿を眺めるのは悪くない。
天気は曇りで時々晴れ間が覗く、暑すぎず寒すぎず良いコンディションである。
去年は寒くて途中でリタイヤする人も多かったと聞く。
アローリバーから車道を横切る所で渋滞していたので車を道端に置き、少し歩いて給水所の所へ行った。
ボランティアの人達がランナーに水を渡している。
派手な格好をしたおじさんが水を渡しながらみんなに話しかけている。
走る人も働く人も楽しそうだ。
マラソンの仕事は初めてだが、こういう角度から見ると又違うものも見える。
おじさんランナーに声をかけ写真に撮り、次のポイントへ。
その頃になると集団もばらけ車も少しずつだが進むようになった。

次のポイントはレイクへイズ。
レイクへイズはビューポイントで応援がかけつけやすい。
駐車場もちゃんとしていて、給水所もある。
湖と山をバックにランナーの写真が絵になる場所だ。
朝なので風もあまりなく、鏡のようにではないけれどぼんやりと山が湖面に映る。
このコースも何回も自転車で走っているし、お客さんと一緒に歩いたことも何回かある。
見慣れたいつもの風景も状況が変わると違って見える。
ポイントには生のバンドも入っていて、程よい大きさの音で場を盛り上げている。
うむ、こういうのもいいな。
犬と一緒に走っている人もいて、これもニュージーランドらしくてありだな、と思った。
コースは湖を一周するので、対岸に速い集団が走っているのも見える。
おじさん達を待つ間、ボケッと山を眺めながら、ランナーを見るのも楽しい。
相撲の着ぐるみのようなもの(空気で膨らましてある)を着て走っている人がいて、いやがうえでも目立つのだが、この人がなかなか速い。
そうそう、そういうバカなことは一生懸命やらなきゃ。
目立つので後何分ぐらいでおじさん達が来るのか目安になる。

レイクへイズを出て次はショットオーバーという川の河原沿いがポイント。
そこまでの移動は国道を通る。
マラソンコースは交通量の多い国道と重ならないような設計なので、渋滞もなく次のポイントへ行ける。
川を渡るのも自動車の橋と別に昔の橋があり、歩行者と自転車用に使っている。
この国のこういう所が好きだ。
マラソンコースは昔の橋を渡り、川に沿って下る。
そこの河原でまたしばしボンヤリとマラソンを眺める。
当たり前だが一人一人にはそれぞれ、自分が主人公のドラマがあり、その一部を垣間見るのはちょっと楽しい。
日本人のランナーが来た。
見ず知らずの人だがゼッケンに名前が書いてあるので日本人だと分かる。
「がんばってください」と言うと、最初は驚き、そしてそれが笑顔に変わった。
ああ、こういうのもいいね。
マラソンが行われるのは知ってたし、ある程度どんな具合か想像できたけど、それと自分の身をそこにおいて感じるものは別だ。
ランナーを待つ間、時間はたっぷりあるので色々な事を考えられる。
こういうボケっとした時間が本当は大切なんだろうな、などと思うのだ。
おじさんランナーがやってきた。
マラソンも中盤を超え、ペースが多少落ちたようだ。
川をバックに記念撮影をして、併走しながら言葉を交わす。
「マラソンが終わった後でマッサージを頼みたいだけど。誰かに頼めませんか?」
「分かりました、僕の友達がマッサージをやっていますので聞いてみます。がんばってくださいね」
おじさんの後姿を写真に撮り、友達のトモ子にメッセージを入れた。
とも子という人はとても多くて僕の知っているとも子もしくはとも子さんだけで10人以上いる。
このカタカナ表記のトモ子は昔からの友達で、15年ぐらい前にヤツが初めてニュージーランドに来た時にブロークンリバーへ連れて行った仲だ。
トモ子の話だけでブログが一つかけるぐらいのヤツだが、今はケトリンズでロッジを運営するかたわらマッサージとサーフスクールをやっていて、このマラソンでマッサージのボランティアのためにケトリンズからクィーンズタウンにきた。
前日はアワビを手土産にうちに来て、一緒に酒を飲み、昔話をしたのだ。

レースも後半になると列もばらけ歩く人も出てくる。
僕もゴール地点でおじさんを待つ。
ゴールには友達のトモ子がいるが、彼女はボランティアの仕事で忙しそうだ。
次々とランナーがゴールをするのを眺める。
彼らの心境は走らない僕には分からないが、見ていてほのぼのするのは悪くない。
そうしているうちに、おじさん達がゴール。
記念撮影をしてカメラを返し、あとは歩いてホテルに帰るというのでそこでお別れして僕の仕事も終わった。
帰り際にトモ子のいるマッサージテントを覗いたが順番待ちの人が列を作っている混雑振りで、話しかけるのもなんだしそのまま家に帰った。
いばらくして家でビールを飲んでいるとトモ子から電話がきた。
「もしもしひっぢ、あのね、あのおじさん、すごく喜んでたよ」
「そうか、そりゃ良かった」
「あんな、何回も写真を撮ってくれて、応援もしてくれて、嬉しかったって」
「そうか、そりゃ良かった」
「ガイドさんがすごく良かったって誉めてたよ」
「そうか、そりゃ良かった」
「あんまり何回も良かった良かったっていうから、こっちも嬉しくなっちゃってね。ウフフフ」
「そうか、そりゃ良かった ワハハハ」
ビールが一段と美味くなった。
ガイドにとって、お客さんが喜んでくれた時のビールに勝るものはない。
幸せのバイブレーションは人から人へ伝わり自分のところへ帰ってくる。
純粋な愛が根底にある行動は関わる全ての人を幸せにする。
客商売とはお客さんあってのものだが、一歩間違えると媚を売るということになる。
媚を売ることなく、その人が喜ぶことをする。
自分にできる範囲で無理をすることなく、自分も同時に喜びながら仕事をする。
ガイドの条件として、ガイドが楽しまなければいけないと僕はよく言うが、自分だけが楽しんでしまってもいけない。
自分ができることをやり、お客さんと楽しみや喜びや感動を分かち合うこと。
それがおもてなしの心であり、それこそが愛であり、それが僕達日本人が持つ精神性なのである。
こういう仕事もいいもんだ。





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山男の家

2015-11-16 | 日記
夏が始まった。
始まったと同時に忙しくなったのでブログの更新もままならない。
今年は行き当たりばったりで何も決めずにクィーンズタウンに来て、ボス(と呼ばれるのを彼は嫌う)の家にしばらくやっかいになり、数日でフラットが決まった。
家主のサトシは元ガイドの山男で何年も知っている仲なのでなにかと話しは早い。
男の一人暮らしの家は木を基調とした山小屋風の作りで、インテリアは流木とか川で拾ってきた石とかが無造作に置いてある。
こぎれいな部屋は適度な乱雑さで、汚れ過ぎず潔癖すぎず、そのバランスがよい。
キッチンの隅の自家製ビール醸造キットがコポコポと音をたてている。
この音を聞くのが好きだ。
サトシが作ったビールがガレージにどっさりあるのが嬉しい。
去年作ったビールも旨かったが、今年の夏はどんなビールを作ろうか。楽しみだな。
家の裏は斜面を上手く利用して畑もある。
それこそ限られた環境で上手く野菜を作るのは百姓のDNAがなせる技だ。
サトシにとっても彼が留守の間、畑の面倒を見てくれる人は助かる。
コンポストもちゃんとやってる。フムフムこういう仕組みか。
庭を見ればその人がどのくらいの力をいれてやっているか良くわかる。
えらそうな事を言って行動を起こさない人の庭は見ればすぐに分かる。
DVDの棚にはストーンズをはじめニールヤング、U2、REMなど、音楽のセンスは合わないより合う方が良いに決まってる。
ここへ来た初日の晩に酔っ払って、ビートルズよりストーンズが良いということについて語り合うような深さで音楽センスが合うと素直にうれしい。
天気の悪い日はブルースブラザースでももう一度見ようかな。
壁には山の写真とレトロなスキーのポスター。
本棚には山の本と地図がほとんどで、好みが分かる。
サトシもギターを弾くので、アコースティックギターが僕のを入れると2本。
部屋の隅にはザックなどの山用具が無造作に置かれ、真ん中の暖炉の前でお香も焚く。
キッチンのフライパンは重たくて実用重視。
包丁は良く研いであり切れ味抜群のナイフが一本。
シンプルだが必要なものは全てある。
自分も、もし一人暮らしだったらこんな感じだろうな、というような空間は心地よい。

こんな感じで僕の夏が始まった。
今年もまた面白そうなことがありそうな気配がバンバン来る。
クィーンズタウンに来る前は大丈夫かな?という不安も多少あったが、その不安よりも強く「大丈夫、なんとかなるさ」という想いが強かったので自分を信じてみた。
そして今、夕方の山を見ながらサトシのダークビールを飲んでいる。
過信して散漫になるのは良くないが、もっとみんなも自分自身を信じてもいいと思う。
常に高い意識を保ち、瞬間ごとにやるべきことをする。
やるべきことをする、これとても大切ね。
そうすれば・・・みんなうまくいくさ。


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神の国の旅 4

2015-11-09 | 
極論を言おう。
本州と北海道では全く違う神が住む。
スピリチュアル的に言えば、一緒くたに同じ国であることがおかしい。
行ったことはないが、多分沖縄も同じことで琉球の神がいるのではないかと思う。
極論を続ける。
北海道、独立すれば?
だってもともと倭人の土地ではないでしょうに。
江戸時代に青森から倭人が来てアイヌを追いやって開拓をした。
それまでは日本から見れば未開の地で、たぶんアイヌが平和に暮らしていたのだろう。
アイヌから見れば、ある日突然日本人がやってきて、ここを開拓するからお前らどこか行け、と理不尽に追いやられた。
欧米諸国がやってきたこととなんら変わらない精神構造、それは全て自分達さえよければいいというエゴだ。
イギリスやフランスが黒人を奴隷として扱ったこと、スペインがインカやアステカを滅ぼした事、アメリカがインディアンを迫害したこと、オーストラリアがアボリジニを追いやったこと、中国がチベットやウイグルでやったこと、みーんな同じ。
日本もアイヌや琉球民族に対し同じ事をやってきた。
そしてそれは今もなお続いている。
他人のことは言えないぞ。



北海道は独立してもやっていける国だろう。
でも今の日本政府は絶対にそれを認めないことも理解できる。
それは権力や経済、その他もろもろが中央に集まる社会の構造にも問題がある。
社会の構造を作っているのは人間の思考だ。
東京に住む人が地方を低く見るのと同様、北海道の中でも同じようなことはある。
札幌という中央まで新幹線を開通させようとやっきになって、地方のローカル線はないがしろにされている。
程度の大小はあれど、根本は同じことだ。
いつの世も末端は犠牲にされ、中央で資本家をはじめ権力者は肥え太っていく。
今まではそうだった。
だがこれからは違う。



北海道も沖縄も独立して自分らしさというのを表にあげていく社会というのを僕は夢見ている。
それはアメリカの価値観を押し付けるグローバルというものと正反対に位置する。
グローバルが平ら、均一にするものに対し、僕が唱える物は凸凹だ。
地域性や民族性という物を重視して、違うことを互いに認める。
それにはやはり精神性の高さが必要だ。
人を差別する心が少しでもあったら成り立たない。
相手を認めるということは自分も認めることであり、客観的に自分の内面を見なくてはならない。
自分自身に対して恥ずかしくない生き方をしているか、自分を正当化して言い訳をしていないか、自分がやるべき事をやっているか、そういった自分自身によるチェックを全ての人がクリアーしないと先の世界はない。
新しい世界には国境もパスポートもなく、今の世でいう国という概念はない。
国はないが、地域性や民族性は色濃く存在し、互いにバランスを保ちながらやっていく。
地域性、民族性で独立できるぐらい際立った場所、分かりやすい例だと大阪なんかそうだろう。
北海道や沖縄より先に大阪、独立すれば?
バチカン市国だってあるんだから大阪市国、あってもいいんじゃない?
こういう話をすると「難しい問題だ」と分かったように言う人がいる。
全然難しくない、難しい問題にしているのはその人の心だ。
実際には簡単なことなのだが、人間はわざわざ難しくして物事を複雑化させている。
そしてまた、一番簡単な事は一番難しい事でもある。
ああ、また禅問答になってしまった。



本州での八百万の神、そして北海道のアイヌの神を肌で感じ、ニュージーランドに帰ってきた。
それから半年、時間が思考を熟成させるのか、僕は以前にも増して神という物を考えるようになった。
それは目に見える物、キリスト像や大仏や神棚を拝むだけでなく、目に見えなくともそこに存在する物、それは自分自身の心の中にあり、自分の存在も神なのである。
私が神ならあなたも神、あいつもそいつもどいつも全て神だ。
ちなみに自分で言うのもなんだが、僕は福の神である。
その証拠にお昼時など、数あるお店でどれにしようか迷い、あまり混んでいないお店に行き注文をするとお客さんがどやどやとやって来て満席になる。
そんなことがとてもよくある。
お店の人は僕が福の神などとは知らないものだから、普通に料金を取る。
間違っても「ああ、あなたが福の神さんですか。今回のお代は無料とさせていただきます」なんてことにはならない。
なんたって七福神の一人、大黒様が守護神だもの。
いかにも福っぽい姿かたちじゃあーりませんか。
行くとこ行くとこで人に幸せをもたらす福の神。
これからも人を幸せにしていくように、そして幸せのバイブレーションは波紋のように万人に広がっていく。
その先には常に明るい光あり。
八百万の神もアイヌの神もマオリの神も僕の背中を押してくれる。
神に背中を押され、前に進んで行こう。



全ての民に光あれ。


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神の国の旅 3

2015-11-08 | 
鉄道で北海道へ渡り、北海道では富良野の辺りを拠点として車で回った。
一ヶ月ほど北海道に滞在したのだが、その間に訪れた神社の数、ゼロ。
本州では出雲大社や戸隠のように自分からそれが目的で行ったものもあれば、町を散歩していて小さな神社を見つけ立ち寄って手を合わせる、なんてこともあったのだが、北海道へ渡ってからは全く巡り合わない。
町をぶらぶら散歩しても神社がない。
いや、神社はどこかにはあるのだろうが、僕のブラブラ歩きのコース上にない。
なんだろうなこれは、と思っていたら巫女さんの家系の人が教えてくれた。
北海道には神社はあるがその中に神様はいない、建物だけで中はからっぽだと。
なるほどねえ、どうりで引き寄せられないわけだ。



ガイドの山小屋という兄弟分の男がいて、そいつと道東を巡る旅をした。
オヤジ二人で辺境の地をさまよう様は、それはそれで面白かったのだし感ずることも多くあった。
旭川方面から大雪山の北側を抜けオホーツク海へ向かう途中、道を間違えて引き返すことになった。
そこは夏ならば遊歩道がある場所だが、春の訪れが遅い北海道ではまだ雪に閉ざされている。
何の変哲も無い笹におおわれた山道なのだが、そこでやはり手がピリピリと震えた。
「ああ、ここに何かいるな」それは原生林の中などで気が高い所で僕が感じるもので、ニュージーランドの山でもよくある。
目には見えないが、もののけ姫に出てくる木霊のようなものかと思っている。
その後、車で本道に戻り、北見峠という見晴らしの良い場所で一休みをした。
その時に、僕は不意に感じた。
神があそこにいる。
あの山だ。
ピンポイントでそれを感じた。
そこはさっき道を間違えて引き返す時に、何かを感じたその先にある山だった。
ああ、なるほど、こういうことか。
これがアイヌの神なんだな。
僕がポイントしたその山へは登山道はなく、笹に覆われ簡単に行ける所ではない。
ニュージーランドで感じるのと似たような感覚の山の神に、僕は手を合わせ拝んだ。





サロマ湖、網走、知床、摩周湖、屈斜路湖、釧路、帯広、襟裳岬と名前だけ聞いたことがある場所を巡る。
行くとこ行くとこで自然を満喫し、自然の中にいる神の存在を感じた。
屈斜路湖では三香温泉という所に泊まった。
この温泉宿が最高でロケーション、温泉、建物、宿のオヤジ、どれも申し分ない。
露天風呂から木立の向こうに湖が見える。
朝湯に浸かった後で、歩いてみた。
距離にすれば100mぐらいなんだが、辺りは沼地のような湿地帯でズブズブと膝ぐらいまでもぐってしまう。
人の手が入っていない場所とはこういうものなのだな。
それでもなんとか湖畔まで出てみると湖に突き出した半島が見えた。
妙にその半島に心が惹かれる。
あそこには何があるのだろうか。
旅館を発ち、車で5分ぐらいで半島の付け根の駐車場に着いた。
和琴半島というらしく、半島一周を歩くコースがあるので山小屋と二人で歩いてみた。
歩き始めて15分ほど、半島の先端近くに来ると僕の手が反応した。
ああ、きたきた、この感覚。ここでもアイヌの神がいるのか。
あるポイントで僕は強い『気』を感じたのだが、それは湖の向こう側から来るようだった。
ここだな。手のピリピリ感が最高になった場所で僕は湖に、『気』が来る方向に手を合わせ拝んだ。
さっき温泉からこの半島を見て心が惹かれたが、この場所に呼ばれていたのだろうか。
そこから歩き始めるとすぐにその『気』は感じられなくなる。
実に分かりやすく面白い。
そうやってあちこちで『気』を感じるところで拝むのだが、同行した山小屋曰く「オマエが拝む所では行者ニンニク(アイヌネギ)が生えている」と喜んでいた。
いやはや、人間の食い気とは何にも勝るものなのである。



アイヌという人達のことを僕は何も知らなかったが、マオリと遠い親戚のようなものという話を聞いたことがある。
成り行きでアイヌの人との交流があるかと思ったが、唯一あったのが屈斜路湖のアイヌコタンでお土産屋のおばちゃんと話をして、神とは自然であり自分達もその一部である、というマオリの言葉で繋がった。
アイヌの民族資料館にも行ったが、やはり本州の大和民族のものとは全く違う文化と生活があり、倭人に邪魔をされずに生活をしていた頃は平和だっただろうなと思った。
トーマスが教えてくれた言葉だが「世界で一番優遇、保護されている民族はマオリであり、世界で一番虐げられている民族はアイヌだ」と。
その虐げられた現場のニ風谷へも行った。
そこはアイヌの聖地だったのだが、日本政府はダムを作り村を湖に沈めた。
治水が目的のダムだと言うがそんなのは強者、権力者の理論。
少数民族の精神性の高さを怖れる権力者が、民族自体を力でねじ伏せるのは古今東西どこにでもある話だ。
ニ風谷に着く少し前に、相棒の山小屋が車の中で言いにくそうに僕に言った。
「あのさあ、できればでいいんだけど、迷惑でなければ、あのマオリの歌をあそこの場所で唄ってくれんかの?」
マオリの歌とは、僕がライブでいつもやる天の神に捧げる歌のことだ。
全くこいつはまわりくどい言い方をするヤツだ。
「できればでいいなんて言うなよ、水くさいなあ。喜んで演らせてもらうぜ、兄弟よ」
「そうか、そう言ってもらうと助かる」
北海道に住んでるヤツにはヤツなりの思いいれがあるのだろうか。
僕らは湖の湖畔へ行き、大きな石の上に座った。
繁忙期から外れた平日の午後、僕と山小屋以外は誰もいない。
穏やかな水面の下に存在したアイヌの文化、そこに心を馳せて僕はマオリの神の歌を唄った。
僕の歌は風に乗って山の向こうへ消えていった。
哀しかった。
こんな哀しい想いでこの歌を唄ったのは初めてだ。
唄い終わると涙がとめどなく溢れてきて僕の頬を濡らした。
「せつないな」
「ああ、せつないわ」
先祖の供養のような気分とでも言うのか、踏みにじられた民族の痛みなのか、穏やかの春の日差しとはうらはらに物悲しさが僕達の心に残った。





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神の国の旅 2

2015-11-06 | 


松本からは三重へ行き、友達に案内されて伊勢神宮である。
伊勢神宮には内宮と下宮があるというのも行って初めて知った。
先ずは下宮からお参り。
駐車場で車から降りた途端に感じる気。
これだ、これこれ、僕はワクワクしながら中に入っていった。
伊勢神宮では何十年に一回の建て替えが行われたばかりで、真新しい社の横に今まで建物が建っていた場所が空き地のようにある。
そこはしめ縄で囲まれ真ん中には大幣があった。
そこを通る時にやはり感じた。
ああ、ここにもいるぞ、神様が。
僕の手はキタロウの妖怪アンテナの如く反応した。
いや、むしろ新しい建物よりも、その何もない場所の方が強いような気がする。
神様も新しい建物が出来たからと行ってサッサと引越しをするのでなく、時間をかけてゆっくりと移るものなののかもしれないな。
そして内宮を参拝。
内宮は半分観光地だな、外国人のお客さんも多い。
まあこれはこれでありなんだろうが、個人的には静かなたたずまいの外宮の方が好きだ。
内宮を回り、案内看板を読んでみると祭ってある神様は天照大神だと。
ちなみに僕の守護神様は大国主命で、祭られているのは出雲大社である。
行きたいな、という思いがムクムク湧きあがった。
内宮の参拝途中でそんな想いが浮かぶなんて天照大神さんに失礼な話だが、自分の思いは止められない。
その日にライブの予定があり、それが終われば本州でのツアーは終了。
北海道へ行くまで特に予定は無い。
しかも天下御免のJRパスがある。
これはチャンスかもしれないぞ。
翌日の昼に僕は出雲にいた。



出雲にはばくぜんと行きたいなと思っていたのだが、本当に実現するとは。
それも前日のお昼までは伊勢神宮にいて出雲大社の事など考えてもいなかったのに。
日本の神社のトップ2を2日で巡ってしまうなんて、という想いも浮かんだが神サマだってそんなケチ臭いことは言わずおおらかにゆるしてくれるだろう。
先ずは何はともあれ出雲大社である。
大社というだけあってでかいぞ。
しめ縄の太さだってケタ外れである。
ここでもやっぱり僕の手はピリピリと痺れっぱなしだ。
この日は何か特別な日らしく、いつもなら垂れ幕がありその中は入れないのだが、その日だけ中まで開放して参拝できると。
なるほどね、急にどうしても行きたい、と思ったのはこういうわけか。呼ばれたな。
一番奥までくると手の痺れも絶好調。
ピリピリではなくビリビリ、ジンジン痺れる。
やっぱりここは気の力が強いんだな。
お賽銭は奮発して千円。
お賽銭に紙幣を出したのは生まれて初めてだ。
そして普段お世話になっている守護神の大国天に長々とご挨拶。
「今まで護っていただいてありがとうございます。自分なりに生きていきますからこれからもよろしくお願いします。」
僕はブツブツと唱え、長い間手を合わせ目を閉じた。
今までの人生で、山でも街でも死にそうになったことは何回もあった。
単独行の岩場でバランスを崩し、なんとか踏みとどまったこと。
足元から雪崩が起き、巻き込まれそうになったこと。
居眠り運転の車がセンターラインをはみ出して来て、正面衝突しそうになったこと。
そういった場面の状況が次から次へ浮かび消える。
各場面でギリギリで助かったのは守られているからだ。
自分は護られている。
何か大いなる存在によって、生かされている。
この限られた命で、何をとは未だはっきり見えないが、自分がやるべき事をやっていくことを、僕は大国様に誓い、出雲大社を後にした。



よく神社仏閣めぐりなどと言い神社とお寺は一緒にされてしまうこともあるが、今回の僕の旅ではお寺はほとんど行かなかった。
唯一行ったお寺は先祖のお墓参りに行った地元のお寺と、最後の最後に鎌倉観光に寄った大仏の高徳院にあじさい寺ぐらいだ。
意識してそうしたわけではないが、気がついてみると神社ばかりに足が向き、人生でのお参りを凝縮したぐらいにあちらこちらの神社へ行き、祠や社などにも手を合わせたが、仏教のお寺には全く縁がなかった。
そういう流れなのか、今回はとことん八百万の神に触れてきなさいという、神様のはからいだったのかもしれない。
日本はやっぱり神の国なんだな、と思ったのも本州までだった。



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神の国の旅 1

2015-11-04 | 
日本を旅してから数ヶ月経つが、その感動は衰えることなく僕の心に刻まれている。
今回は神のことについて少し書いてみようと思う。
旅は東京から始まったのだが、最初にお参りしたのが芝大神宮。
この存在を僕は全く知らなかったのだが、知り合いのお勧めで連れて行ってもらった。
浜松町の駅から少し歩き、旧東海道の通りから神社の方向へ曲がるとすでにそこには何かしらの気があった。
鳥居の外からでも感じる気。
具体的にどうなるかと言うと、手や指先がピリピリと痺れるのだ。
これは決して嫌な感覚ではなく、山歩きや森林浴をしていてもエネルギーの高い所だとよく起こる。
最近では僕はこの気を感じることを楽しんでもいる。
大都会の中でそこだけは凛と静まった空間があった。
そこの神社には気位の高い神様がいると言う。
なるほどね、僕が鳥居の外からでも感じた気はその神様のものだったのだな。
すぐ近くにはオフィス街があり高層ビルが並ぶのだが、近代的な空間とバランスを保つようにその神社は存在する。
ああ、この国はこうやって護られているんだろうなあ、となんとなく思った。
そうやって僕の旅が始まった。

9年ぶりの日本に全てが珍しく懐かしく、そして今まで見えなかった所も見えた。
友達のにしやんに会うために東京の中心で指定された駅を降りた。
溜池山王という聞いたことも無い駅で降りてウロウロしているとなにやら偉そうな建物があり警備の人がいて、偉そうな車が出入りしていた。
何だろうなここは、と軽く考えてその後西やんと会ったのだが、そこがどうやら首相官邸だったようだ。
西やン曰く「何かドス黒い気がただよう」首相官邸のそばに日枝神社があり、そこはこれまたドス黒い中でも異空間のごとく違う気があった。
なるほど、都会のパワースポットとはこういうようなもので、周りと上手くバランスを取っているのだな。
僕がここに行った数日後に、首相官邸でドローンが見つかり大騒ぎになっていたがきっとその時はあの辺りも報道陣やヤジ馬や警備の人で大変な事になっていただろう。
そして日枝神社の神様も呆れながら人間の様子を見物していただろうな。



もうかれこれ十数年前の話だが、当時つるんでいた相方JCと一緒に戸隠へ行った。
何故そういう流れになったのか全く覚えていないが、なにか不思議な場所という想い出がある。
その時には奥社の奥、登山道入り口まで行き、修行僧が登った山道を眺め、いつかまたここに戻って来るだろうなという想いを持ちつつ引き返してきた。
ニュージーランドに住むようになっても、何故か心が惹かれる場所が戸隠だった。
新潟へ行き友達に話をすると、奥社までの参道は最近のパワースポットブームの影響ですごいことになっていると。
観光シーズンにもなれば原宿の竹下通りのごとく、人で埋め尽くされるそうな。
友人曰く、確かに戸隠のパワーはすごいのだがそのパワーが薄まってしまっている、それぐらいの人らしい。
今回はゴールデンウィークも始まる前だったので人も少なく、パワーも薄れることなく戸隠を歩いた。
例によって行き当たりばったり、流れに身を任せる旅である。
戸隠山に登るか、と考えたのだが雪も残っていて登るには準備不足。
代わりにといってはなんだが、本来の参拝順路でもある5つある神社を巡ってきた。
友人に案内されて神社を巡ったのだが、ここでも行くとこ行くとこですさまじいばかりの気があり手はしびれっぱなしだ。
ああ、今回はきっちりと全ての神社を参拝することが目的だったんだな、と後になってから気がついた。
同時に次回はこの山に登りに来るだろう、とも感じた。
それがいつになるか分からないが、そのタイミングはいつか自然にやってくるだろう。



トークライブの旅をしながらも行く先々で鎮守の杜、名も無い神社、小さな祠などもお参りした。
神様が降りてくるのがお祭りなのだが、日野祭りに遭遇したのは忘れられない思い出だ。
その後、松本で講演をした後、ちょっとだけ時間ができたので松本城へ行った。
ゴールデンウィーク明けで平日の朝ということで人も少い。
ちょうど開館の時間だったので、しばらく待って一番乗りに入った。
聞くとゴールデンウィークの時には入場に2時間待ちだったとか。
うーむ、自分だったら2時間も並ばないだろうな。
開場一番、僕はお城に入った。
係の人と挨拶を交わす。
「おはようございます。今日は人も少ないですから、ゆっくり見られますよ」
係の人もゴールデンウィークの混雑から開放されたのか、のんびりモードである。
天守閣に登り、1人。
誰も居ない天守閣で殿様気分で景色を楽しんだ。
町並みが一望でき、朝のラッシュ時の喧騒が聞こえてくるが、この空間は異次元の如く静かなたたずまいだ。
ふと気がつくと、ここでも手がピリピリ痺れる。神社で感じるアレだ。
天守閣と言っても景色はいいが今は何も置いていない小部屋だ。
何だろうな、と思ってふと上を見上げれば、あったあった立派な神棚が梁の上に居座っていた。
ああ、これなんだな。ここに神様がいるんだ。
僕はその場で手を合わせ拝んだ。
ここも人でごった返していればそんなものにも気付かなかっただろう。
朝の早い時間に1人でこの空間にいたからこそ気付いたものだ。
とことん、そういう流れなんだろうな、良い良い。
充分に1人の時間と空間を堪能した頃、他の観光客が上がって来る気配がして僕は天守閣を後にした。

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正夢にならなくてよかった話。

2015-11-01 | 日記
先週の週末、そして今週末の早朝、僕と娘は友達の家にラグビーのワールドカップを見に行った。
我が家にはテレビがないので近くに住むサムの家で観た。
サムは家族ぐるみの付き合いなので何の気兼ねも無く家に行ける。
熱狂なラグビーファンというわけではないが、ビッグマッチぐらいは見る。
28年前に第一回ラグビーワールドカップの決勝をスタジアムで見た時にはラグビーのルールさえ知らなくてただノリだけで見ていたが、今ではルールぐらいは分かるようになった。
ちなみに僕自身はラグビーというスポーツをしたことはない。
したことはないが、トップクラスのチームがやるのを見るのは好きだ。
結果から言うとオールブラックスが優勝して、ワールドカップニ連覇を果たしたわけだ。
人口400万人の小さな国だが、ラグビーは世界一なのである。すごいね。

一ヶ月くらい前、ワールドカップが始まる前に僕はある夢を見た。
それはワールドカップの決勝トーナメントの序盤でオールブラックスがボロボロに負けて、ニュージーランド中が失意のどん底に落ちるという夢だった。
縁起が悪いのでこれは誰にも言わなかったのだが、今やっとこれをネタにできる。
夢というのは違う世界を垣間見る時もあるので、今頃どこかのパラレルワールドではニュージーランドが負けているのだろう。
だが僕が生きているこの世界ではニュージーランドが勝ってめでたしめでたしというわけだ。
ニュージーランドから見ればめでたくてもオーストラリアから見れば「なろー、こんちくしょう」である。
テレビで決勝を見ていて思ったのは、やはり勝負の世界なんだなと。
ノーサイドという言葉があるが、負けて悔しそうな顔の選手を見ていたら、それは勝者の理論かもしれないなとも感じてしまったわけだ。
当たり前といえば当たり前の話であるが、勝てば嬉しいし負ければ悔しい。
負けて悔しいから勝つためにがんばる。
そういうものなのである。
そういえば自分自身を見てみると、最近何かに負けて悔しい思いをしたことが無いなあ。
我が道を突っ走ってしまっているからか、人と競うということがない。
勝ちもなければ負けもない。
自分も相手もなくノーサイド。
その延長線上にワンネスという意識があるのではないか。

まあそういう夢の話だったが、今朝の夢はすごかった。
どこかの会社で働く事になり、上司にアイフォン6を買えと言われ、その会社の食堂脇の売店で買おうかどうしようか迷い、でもやっぱり本当のところは欲しくないんだよな、というところで目が覚めた。
どこかのパラレルワールドの僕は、苦難の道を歩んでいるようである。


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