あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

今日の食卓

2015-03-31 | 日記
毎日毎日、庭の仕事、そして犬の散歩、家事仕事などをやっている。
今日の我が家の献立は夏野菜の煮込み、ラタトーユのパスタ。
娘はこれが好きではないので、娘用にカルボナーラ。
マッシュルームのスープ。
そしてサラダである。
先ずはラタトーユ。
これは我が家の野菜のオンパレードである。
庭からはニンニク、ローリエ、セロリ、人参、ピーマン、ズッキーニ、唐辛子、そしてトマト。
トマトは縦長のローマという種類。
これは食べてもあまり旨くないがソースにすると美味い。
ナスは昨日収穫して焼き茄子にして食っちまったので今回は無い。
僕は自分で野菜を作って、それで料理をする。
今回はズッキーニとトマトが多かったので、そういうラタトーユを作った。
庭以外からはベーコン、アンチョビ、玉ねぎである。
レシピ通りに作ろうとすると、物が余ったり足りなかったりして困る。
だがそこはそれ、常にアドリブで作ってしまう僕はそこにある材料で仕上げてしまう。
ズッキーニも半分腐りかけている物を収穫して半分を使う。
そのまま放っておいたら全部ダメになってしまう。
そこにある物を使う。これが基本。
娘のカルボナーラは丁度一人分だけクリームが残っていた。
卵はもちろん家の卵。
美味くないわけが無い。

今朝も犬のココを連れて散歩に行ったら、またマッシュルームを見つけてしまった。
あると欲しくなってしまうのが人情。
人間とは欲張りな生物だ。
傘が完全に開ききっていない15cmぐらいの上物があったので収穫。
その周りにまだうじゃうじゃあったので収穫。
あっというまにビニール袋半分ぐらいになった。
収穫したら責任を持って消費。
取るだけ取って無駄にする事は許されない。
初めての試みだがマッシュルームスープを作ってみた。
これが想像以上に旨くできた。
スープにしておけば冷凍にして保存もきく。
大地の恵み、無駄にせん。

サラダは温室のレタスと人参のサラダ。
野菜を作る人と調理人が一緒というのは理想の形だと思う。
畑を見て多い野菜、食べごろの野菜、旬の野菜で料理を作る。
こういう食べ物を食べていれば病気もしない。

食後にココを連れて散歩に出かけたら、近所の庭で花梨を発見。
数日前に友達から花梨をいただき蜂蜜漬けにした。
我が家では毎年、咳止めに花梨を蜂蜜で漬ける。
今年は頂いたカリンがちょっと少なくて、壜に入れたらちょっと足りなかった。
あと一つぐらいあったらちょうどいいのになあ、と思っていたら近所に花梨の木があった。
一声掛けてからもらおうかと思ったが、たわわに実っている花梨を見たらバカバカしくなって、落ちていた大きな実を黙っていただいてきた。
泥棒だ。泥棒であるが、カリンを一度でも収穫した人なら分かるだろう。
地面に落ちたら直ぐに傷んでしまい使えなくなるこの果物。
見た目はいいがそのまま食べても旨いわけでもなし、シロップ漬けぐらいしか使い道のないこの果物。
それを黙っていただいたところで、どうこうなるものでない。
何より数十個の実が木に実っているのだ。
それよりも丁度一つ分欲しいな、と僕が思っていたらそこに落ちている。
このタイミング、これぞ大地の恵み。
必要な物は必要な分だけ、向こうからやってくる。
ありがたくいただきます。

こうして今晩も我が家は大地の恵みのご馳走だった。
ありがたや、ありがたや、だけど写真は無い。


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秋の味覚

2015-03-29 | 
クライストチャーチの家に帰ってきてからの日課は犬の散歩である。
近くの公園まで朝と晩、自転車に乗っていく。
常にビニール袋は携帯して、人さまの家の前で糞をしたら拾い、そうでなかったら公園の中でゴミを拾う。
最近は犬も分かってきたのか糞はいつも牧場の中でする。
近頃公園に駐車場ができて車が入りやすくなった。
こうなるとすぐにゴミが増える。
マクドナルドのゴミが多いのは、それを食べる人の性質に関係があるのかもしれないな。

先日牧場の中を歩いているとマッシュルームを見つけた。
ビニール袋がそのまま収穫の袋となる。
マッシュルームはわりと固まって生えるので、一つ見つけるとその近くにいくつも生えている。
秋はきのこ狩りの時期だな。
今日で3日連続、毎日かなりの量のマッシュルームが採れる。
野外で食べ物を収穫する作業は楽しい。
人間の本能に基ずく行動なのである



このマッシュルームがとても旨い。
店で売っているものとは味が違う。
シンプルにバターで焼いただけのものがご馳走である。
しかもタダ。
散歩のついでにこんなのが採れるなんて、なんと良い環境なのだろう。
普段公園のゴミを拾っている自分にご褒美だな。
大地の恵み、ありがたくいただきます。
ありがたや、ありがたや。
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土作り

2015-03-27 | 
クライストチャーチに帰ってきて毎日野良仕事をしている。
農業の基本は土作りである。
ここ数日はその基本をせっせとやっている。
うちでは肥料は3種類。
一つは家庭内で出る生ゴミをボカシという物で混ぜ、さらにニワトリエリアの土と混ぜ地中で寝かせる。
もう一つは大きめな穴に野菜の茎や葉っぱや根っこなどをどんどん入れていき、いつかは土に還るもの。
もう一つは鶏糞である。
ニワトリ小屋にはオガクズを敷き詰め、毎朝小屋の糞を拾いドラム缶サイズの容器にためておく。
だいたい半年でそれが一杯になる。
それをボカシ粉と混ぜ地中の穴に埋めてさらに半年寝かせる。
半年前にためた鶏糞肥料は袋に入れて小屋に保管。
畑を耕した時や、野菜を植える時に使う。
こういう作業をだいたい春と秋、年に二回行う。
ニワトリの餌にもEMを使っているので匂いもほとんどしない。
さらに1年も寝かせているので、臭さは全く無くオガクズもほどよく分解され良い土ができる。
畑の雑草はニワトリエリアにどんどん投げ入れ、それをニワトリが食う。
土が必要な時にニワトリエリアに穴を掘って土を取り、その穴にはニワトリが食わなかった雑草の茎や根っこなどを入れて、それがまた土に還っていく。
こうやって庭で還元サイクルが出来るのは、やっていて気持ちが良い。

温室のキュウリ、トマト、ズッキーニは絶好調で食い飽きるほどだ。
ぜいたくな話だ。
カボチャも大きな実がいくつも出来て、まだまだ育っている。
レタスも順調、サラダに事欠かない。
リーク(ポロネギ)長ネギには土を盛り、秋から冬にかけて収穫できるだろう。
その他、もろもろの野菜たちは庭ですくすく育ち、食卓をにぎわせてくれる。
ありがたや、ありがたやと大地の恵みに感謝をするのだが、同時に自分の行動も必要だ。
雑草を抜く作業は常にあるし、トマトには青虫がつき葉っぱを食ってしまうので一つ一つ手で取る。
青虫はニワトリの大好物で争って食べる。
農薬を使わない分、こういった作業は必要だ。
家庭菜園だから自分でやっていられるが、大きな農園ではやってられないだろう。
カボチャやトマト、キュウリも実がつきやすいように剪定をして、蔓などはコンポストへ。
こういう行動なくして旨い野菜は育たない。
行動、そこに加えて感謝の心、というか心から行動がくるのか。
その結果が庭の食べ物である。
今日もまた、ありがたや、ありがたや。
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シーズンオフの修行

2015-03-24 | 日記
夏の仕事を終えてクライストチャーチの我が家に帰ってきた。
犬のココは尻尾を振って熱烈歓迎、娘の深雪は少し生意気っぽくなりそれなりに歓迎。
女房の手料理は旨く、いつもの言葉「やっぱり家がいいのお」
クィーンズタウンでの最後の数日はあわただしかった。
仕事もそれなりにあったしトークライブもやったし、タンケンツアーズの飲み会やら知り合いのパーティーやら、昼も夜も充実だ。
トークライブは友達を含め、初めての人も来てくれた。
手ごたえは上々。想像どおりできたところが八割、あとは課題が残った。
やっぱり実際にやってみると、上手く行かない所が見えてくる。
そして改善するためにやるべき事が見えた。
これは大きな収穫だったと思う。
行動、これこそが全て。
失敗を怖れて行動に移せないというケースは多々ある。
先ずはなんでもやってみること。
僕は今までなんでもそうやってきた。
石鹸を作るのも、納豆を作るのも、野菜を育てるのも、ニワトリを飼うのも、その他もろもろ。
一回で上手く行った時は「なんだ思ったより簡単だったな」案ずるより産むが易し。
上手く行かなかった時は、欠点が見つかり改善してその後上手くいった。失敗は成功の母である。
それもこれも全て行動から。
僕がスキークラブの老人を尊敬するのは、彼らが実際に行動をしてきて、なおかつ今もやり続けているからだ。
そりゃ誰でも体は衰える。
だが衰えたら衰えたなりに行動を続ける。
そういう老人の言葉には重みがある。
自然と敬う気持ちが生まれる。
「昔の自分はすごかったんだぞ」と過去の栄光にすがる老人にはなりたくないね。
言うは易く行うは難し、ということわざもあるぐらい行動できないのが人間か。
その行動の奥にあるのは判断と責任。
成功すればいいが失敗するのも自分の責任。
判断と責任を持っていない人に行動せよというのは無理がある。
結局、行き着くところは自分の心の中なのだな。

さて我が家に戻って来たはいいが、やる事は山ほどある。
毎日の炊事洗濯掃除などの家事仕事に菜園の仕事。
日本に行く前にクライストチャーチでもトークライブを聞きたいという声もあるのでどこかでやろうと思う。
知り合いには寄稿を頼まれているし、このブログを楽しみにしている人も少なくない。
日本行きの準備、留守をする前にやっておく事などなど。
だがどれもおろそかにしてはいけないと思う。
そういった全ての事がリンクして自分という人格を作り上げていく。
作務とは禅僧が日頃の家事から悟りを学ぶこと。
家事に限らず、日々の全ての行いが修行なのである。
修行などと書くと滝に打たれるなど苦しいイメージが湧くが、それは苦行。
苦しいものもあるにはあるが、修行を楽しんでならぬということはない。
要は森羅万象全てのものに感謝をしつつ、瞬間ごとに自分のやるべきことをやることではないか。
常に行動あるのみ。
だから楽しい庭仕事も修行。
楽しく料理をするのも修行。
拡大解釈でビールを造るのも修行。
実によろしい。


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トークライブ

2015-03-19 | 日記
以前から考えていたこと。
トークライブをやろうと。
僕はギターも弾くし歌も歌うが、それは宴会芸で場が乱れた時にやる程度のものだ。
僕の得意は語りだろう。
なんといってもガイド歴は長い。
ニュージーランドでドライバーガイドをやっていると同じお客さんと何日も一緒になる。
そこで色々な話をするのだが、これが結構受ける。
これならば会場みたいなところで話をしてもいいんじゃないか。
そう思ったわけだ。
トークライブ、堅苦しく言えば講演会。
これを日本でやってやろうと考えてブログに載せたらすぐに昔の友達から連絡があり、来てくれというような話になった。
たぶん日本に滞在中、あちらこちらで話をするだろう。
さてそのトークライブの第一回を練習を兼ねてクィーンズタウンでやることになった。
場所はマン・ストリートの突き当たりのキャンピング・グラウンド内、入っていくと右側にランドリーがあるのだがその横。
Japanese Family society of Queenstown の建物で、21日の土曜日午後3時から2時間ぐらい。
入場は無料、寄付を募って集まったお金を建物の使用料にしようと思う。
タイトルは『成熟した大人の社会、ニュージーランドに学ぶ人間のありかた。』
もしも行ってみて場所が分からなかったら電話をください。
0274-388-890 聖まで。
さてさて、どうなることやら。
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休みの日の独り言

2015-03-17 | 日記
せっかくの休みだが天気もいまいち、風は冷たく山に行く気にもならないので、こうしてブログなんぞを書いている。
日本行きのチケットを取り、その事を書いたらFacebookで思わぬ反響があった。
僕に会いたいという人が結構いるのだと。
家に泊りで来てくれ、という話も多い。
ありがたいことである。
ありがたや ありがたや。

これだけ多くの人に会うとなると、やはりある程度予定を決めなくてはならないだろう。
できればみんなが僕に会いに来てくれればこちらとしては楽なんだけど、そんなこと言ったら怒られてしまうな。
自分としては棒でも投げてその方向に行くという本宮ひろしの『俺の空』のような行き当たりばったりの旅をしたいのだが、会う人や泊めていただく家の都合もあるのでそうもいかない。
ネットでフェリーや列車の時間や料金を調べてみたが思いの外に移動にお金がかかりそうだ。
日本に居た時には車があったが、今回は鉄道を主体に旅をしようと思っている。
JRパスという日本国内乗り放題のキップがあり、海外に住む日本人ならばそれを買える。
それがあれば、新幹線でも特急でも鈍行でもJRバスでも乗り放題。
『のぞみ』は乗れないらしいが、ニュージーランドの田舎に住む身にとっては『ひかり』は光速だ。
これなら大阪だって日帰りでも行けるし、実家のある静岡から札幌までだって1日で行ける。
若い時に青春18きっぷで旅をしたが、その豪華版のようなものか。
ただこれだと、乗らなきゃ損、というような自分の心の浅ましさが出てしまうようで、じっくりと時間を取るのが難しいかもしれない。ううむ・・・。
鉄道の旅もローカル線で駅弁でも食べながら外の景色を眺め、乗り合わせたおばあちゃんとかと話をしつつ、なんていう旅は今や過去の遺品となってしまったのかも。

今のところ決まっているのは千葉のお友達の家まで、首都圏で数日過ごすかそのまま実家へ帰るか。
そして考えなければならないのはゴールデンウィーク。
この間の移動は大変そうだ。
なので北海道に行くのもゴールデンウィークが明けてから、と漠然と考えている。
ともあれ、旅というのは行く前からどうしようか、ああでもないこうでもないと色々考えるのも楽しみなのだと思うのだ。
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日本行き

2015-03-16 | 日記
クィーンズタウンの夏の仕事もあと1週間。
ここもすっかり秋の風が吹くようになった。
うだうだと悩んでいた日本行きのチケットをやっと予約した。
4月19日の夕方に成田に着く。
その晩は千葉の友達の家に世話になるだろう。
そいつとはかれこれ25年ぐらい前からのつきあいか。
クィーンズタウンで若さにものを言わせハチャメチャにやっていた、そんな時もあったのだ。
25年というと四半世紀か、自分も年をとっていくわけだな。

千葉の後は東京、横浜あたりで人に会い、実家の静岡へ行く。
どれぐらい滞在するか決めていないが、その後は白馬、新潟、そして北海道に行くかな。
ひょっとすると何かに呼ばれて西日本に行くかも知れないが、それはその時のお楽しみといったところだろう。
以前のブログで書いたライブトークも、あらかじめ予定を組んで云々というわけでなく、その場で決めるような形でいいと思う。
たくさんの人に来てもらわなくても、たとえそれが一人であろうと、僕は呼ばれるところへ行き出会うべく人に出会い、僕の話を聴きたい人に話をするだろう。
もちろん都合がつかずに会えない人もいるかもしれないが、会えないのはそれもまた縁だと思っている。

とりあえず行きのチケットは予約したがそれは片道キップ。
ニュージーランドへの帰りは日本に行ってから決めようと思っている。
こちらの冬もあるので帰るのは一応6月頭ぐらいを考えているが、もっと早くなるかもしれないしもっと遅くなるかもしれない。
北海道の山小屋の家のあたりのトマト農家で働くかもしれないし、どこかで土かたをやるかもしれない。
自分というものの芯から外れず、行く先々で自分がやるべきことをしていけば、きっと全てがうまくいくだろう。

というわけで日本の皆様、遠くない将来にお会いしましょう。
行ご期待。



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