あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

リンゴを収穫してあれやこれや思ふ

2020-04-25 | 日記
今年は庭のリンゴが豊作である。
たぶん300個ぐらいは実をつけたと思う。
品種はフジ。
10年以上前に僕が植えて、この庭で最初に自分で植えた木だ。
冬の間に枝を選定するぐらいで特に手入れはしていない。
ニワトリエリアにあるからだろうか、鶏糞で栄養たっぷりなのだと思う。
間引きをするわけでもないが、大きい実がたわわに成る。
実は甘く、蜜がたっぷり入っている。
だが全体の半分ぐらいは虫に食われている。
と言っても、切る時にそこの部分だけ除ければ済む程度の話だ。
だが商売物としては駄目だろう。
店に出回っている物はやはり農薬とか使っているんだろうなあ。



家の近所に大きなカリンの木の家がある。
今年はそこの庭先にダンボール箱が置かれ、カリンが入れられ後丁寧にレシピまでコピーして入れてあった。
使う人は勝手にどうぞ、というわけだ。
散歩の時にそこを通ったら、箱ごと持って行けとたくさんのカリンをいただいた。
その家の人とも言葉を交わすのは今回が初めてだ。これもロックダウンのおかげだな。
カリンのお返しにうちのリンゴをいくつか持っていった。
梨も収穫の時だったので、次の日は梨という具合に持っていった。
その翌日に郵便受けに、お礼の手紙と手作り黒スグリのジャムが入っていた。
カリンのお宅の人がリンゴと梨のお礼にと、散歩のついでに置いて行ってくれた様だ。
黒スグリはブラックカラントと言う、フランス語ではカシスだ。
頂き物のジャムは甘すぎることがよくあるのだが、これは絶妙のバランスでとても旨い。
次の日にまたリンゴを持っていって、ジャムのお礼をした。
向こうもうちのリンゴは甘くて旨いと大喜びだ。



庭のリンゴは熟して風の強い日はボタボタ落ちるので、先日全て収穫した。
今年はカリンのお宅を見習って、大小30個ほどダンボールに入れて家の前に置いてみた。
ロックダウンで散歩をする人が多いからか、数日で全て無くなった。
仲の良い友達とか目に見える人にあげるのも良いが、こうやって見知らぬ人におすそ分けをするのも良い。
よく家で取れたものを無人販売で売る家はある。
そうやって子供の小遣い稼ぎにするのであろう、それはそれで否定はしない。
だが我が家では自分の庭で取れたものは売らない。
僕はかなり気前良く人にいろいろなものをあげるが、お金は受け取らない。
これは自分のポリシーであり生き様である。
そしていただく物も遠慮なくいただく。
自分が色々あげた人、そうでない人、関係なくいただく時はいただく。
いただいた時は「すみません」ではなく「ありがとう」なのだ。
人に物をあげる時に気をつけることは、自分の心の中に「自分はこれだけあげているのに」という見返りを求める感情を持っていないかどうか。
それがあるならやらない方が良い。
基本は相手が喜んでくれるかどうか、その行為が媚になっていないか。
そして何かあげたらその事を忘れる、これが無償の愛というものだと思う。



本田健という作家がユーチューブで話をしているのを見て、ナルホドなと思うことが多々ある。
その中で彼が視聴者に言った言葉で、今なにをするべきかという質問に答えた。
「人にあなたが持っているものをあげてください。あげるものを持っていない人は笑顔をあげてください。」
世の中はグチャグチャになってしまっているが、そこに光があるならばこれだと思うのである。
人間の行動は元をたどれば、愛か恐れかどちらかになると言う。
恐れというものはそこから不安、恐怖という感情になっていく。
そしてまた不安や恐怖は人から人へ移る。
感染するのだ。
病気は感染しなくても、不安はネットやテレビなどを通じて感染する。
そういう人の書き込みはなんとなく分かるので、最近は見ないようにしている。
思うに、笑いやユーモアというものは恐れや不安を中和するのではなかろうか。
笑いというものが病気を治すと言うのはすでに実証されている話だ。
こんな時だからこそ、笑いとユーモアが大切なのではなかろうか。
ただそれも受け取り手にも関係がある。
ある事柄一つでも笑える人と笑えない人はいることだろう。
そこで必要なのがバランスとタイミングだろうな。
まあなにを見ようが聞こうが、悪く取る人は悪く取るし、笑い飛ばす人は笑うだろう。
僕が2ヶ月前に作った歌も、今では当てはまる人が多すぎて公表できない。
そのうちに落ち着いたらまた宴会芸で歌うことにしよう。
ちなみにその歌のタイトルは
『あんたの心が感染源』

リンゴの話がとんでもない方向に行ってしまった。
まあいいか。
恐怖は伝染するが、その反対側にある愛というものも、人から人へ伝わる。
物をいただいてお礼を返すこともあるが、そのお礼の気持ちを別の人へ贈り、そこからまた次へと繋がることもある。
そういう繋がりがある時には、何かほのぼのと暖かいものを感じるのだ。
きっと我が家のリンゴも、散歩する人にもらわれてその家を幸せにすることだろう。



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小さな旅

2020-04-20 | 日記


ロックダウンの日々は続く。
危険を伴うアウトドアのアクティビティはご法度だが、散歩とサイクリングはOK。
先日は娘と一緒にハグレーパークまで行ってきた。
普段は町の中の移動は車なので、自転車でしか行けない小路もあり、車では見えないものも見える。
こんな所にこんな物があるんだとか、こんな場所があるんだ、というような発見が嬉しい。
天気の良い午後、思い立って一人でサイクリングに出かけた。
クライストチャーチはエイボン川とヒースコート川、二つの川が市内を蛇行して流れている。
近所の公園は元々遊水地でヒースコートリバーの源流でもある。
川沿いには道や遊歩道があり、そこを走っていけば海に繋がる。
車で所々は通ったことがあり、こんな所をのんびりとサイクリングしたら楽しいかな、などと思っていたのだ。
今はロックダウンで車はほとんど走っていないし時間はたっぷりある。
今がそのチャンスでもある。
こうなればいいなあ、と思うことは実現するのだ。




源流はいつもの散歩の公園。原生の木も鳥も多い。



公園の中を川は流れる。川の右手は個人のお宅の庭。お宅拝見みたいな雰囲気だが、ジロジロ覗きこまないのもマナー。



川には歩く人と自転車用の橋がいくつも架かっている。橋を渡って川の右と左を行ったり来たり。



川のほとりに小さな公園、緑地、遊歩道がある。



中流ぐらいまでくると徐々に川幅も広がってくる。



季節は秋。紅葉もちらほら。



途中で線路の下をくぐる。線路は港へ続く貨物列車用である。



下流に近づいてくると、街の雰囲気も山の景色も変わってくる。



きれいごとばかりではない。場所によっては落書きやゴミが多く、荒れた雰囲気の場所もある。



下流にこんな水門があった。



リトルトンの港へ続く自動車専用道路。普段は交通量も多いが、今は車もまばらだ。



最下流になると周りに住宅地もなくなる。ロックダウンなぞ知るか、という顔で馬がのんびりとたたずんでいた。



川はそのまま潟へと変わる。その先でさらに大きな潟へ繋がる。



クライストチャーチ市内を流れるもう一つのエイボン川とこの潟で合流。
その先は太平洋だ。








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散歩散歩散歩

2020-04-12 | 日記
ロックダウンであろうがなかろうが、毎日の日課は散歩である。
さて散歩に行くか、となると犬は全身で喜びを表現する。
ついでに言えば飯時も同じだ。とても分かりやすくて良い。
僕が靴下を履き始めると「あれ、ひょっとして、お散歩?」ソワソワし始める。
まだこの時点ではそのまま農作業に入ることもあるので、期待感だけだ。
靴を履き、ウンコ用のゴミ袋をカサカサし始めると、期待度アップ。
僕がリーシュを手に取る時には、喜びは極限に達し「早く行こう、早く行こう」とせかす。
かくして今日もまた散歩に出かけるわけだ。



家から公園の入り口までは5分ぐらいだろう。
実際には我が家の向かいの家の向こう側が公園で距離にすれば50mもないのだが、その向こうに小川が流れており、川を渡る橋まで5分ぐらいなのだ。
ロックダウン中なので車はほとんど通らない。
車の交通量が減ったので、街が静かでベルバードの鳴き声なども響く。
天気が良いと散歩に出る人も増える。
ロックダウン以前に比べて、挨拶をする割合が増えたような気がする。
たまに通る車を運転する人も、目が合うと会釈をする。
昔のニュージーランドってのは、こんな感じだったよなあ。



お気に入りの公園はとにかくだだっ広い。
外周で4キロぐらいあるだろう。
遊水地も兼ねており、池があり黒鳥、雁、鴨、などの水鳥も多い。
公園の中には牧場もあり、羊が普通にいる。
牛や羊の競りを行う場所もあるし、乗馬の施設もある。
ニュージーランドに居ても都会に住んでいれば、日々の暮らしの中で羊など目にすることはない。
普通に羊がいて、遠くに山が見えるこの景色が好きだ。



公園の一角には、キャンピングカーが大量に停めてある。
ロックダウンが始まってすぐに運び入れたものだ。
国境は封鎖しているが、海外にいるニュージーランド人が帰国した時に、このキャンパーバンで2週間ほど隔離して暮らす。
これはとてもいいアイデアだと思う。
ホテルの部屋で2週間暮らすのと、だだっ広い公園でキャンプ生活をしながら過ごすのではだいぶ違うことだろう。
今の所、入っているのは一人なのか一組なのか。
自家用車とゴミ箱が、キャンパーバンの脇においてあった。



公園の外周、住宅地と反対側は高速道路に接している。
道路に沿って、自転車と歩行者用の道がある。
この高速道路が完成したのも8年ぐらい前だったか。
完成間近の道路をココと一緒に散歩をして、これからはここを大型のトラックなんかがビュンビュン走るんだろうなあ、などと思った。
開通してからはそこに車が通るのが当たり前の景色となったが、ロックダウンで車が少なくなり開通前の時を思い出した。



今、ニュージーランドでは非常事態中なのであるが、のんびりと羊を見ながら散歩をしているとそんな事も忘れてしまう。
国という社会において非常事態宣言が出され、そこに住む人としてそれにしたがっているが、少なくとも今の僕の生活は非常事態ではない。
僕は過去に2回、この街で非常事態を体験した。
1回目は9年前の地震の時だ。
電気も水道も止り、さすがにあの時は非常事態という感じだった。
2回目は去年の3月にテロがあった時だ。
その時も街はロックダウンされた。
僕は何も知らずに呑気に公園を散歩していて、通りがかりの人に「テロがあってロックダウンだから早く家に帰った方がいいよ」と教えられた。
女房は勤め先で何時間も閉じ込められ、町中でパトカーが走り回りヘリコプターがバタバタと飛び、とてもじゃないが外に出歩くような雰囲気ではなく、非常事態というものを肌で感じた。
それらの時に比べれば、水道も電気も通っているし散歩に出ることは許されている。
外食は一切できないし買い物は不便になったが、スーパーに行けば食べ物は豊富にあり、飢え死にする心配はない。
毎日規則正しい生活をして、庭仕事をして自作のビールを飲み、庭でバドミントンをしたりジグソーパズルをしたり、生活は平和そのものだ。



では一体、非常事態とは何だろうか、と考えてしまう。
個人の暮らしでは平和でも、国で考えると非常事態なのか?
それか世界中で非常事態だから非常事態なのか?
それよりなにより気に入らないのは、マスコミが使う「コロナとの闘い」といった言葉だ。
まるっきりコロナを悪者扱いして、そこに立ち向かう人類という、ハリウッド映画にありそうな設定が気に入らん。
仲良くしろとは言わないが、あまりに人間本位に物事を動かしているのが見え隠れしている。
ちなみに中国では豚の伝染病が流行って、何百万頭かの豚が処分されたそうだ。
豚から見れば一番怖いのは人間だ。
そんなこともボーっと散歩をしていると考えてしまうのだ。
もっともそれ以上のこともたくさん考えているが、それを書くと炎上しそうだな。



散歩の話だった。
この時期の散歩の楽しみは収穫。
収穫の秋である。
公園には栗の木があり、散歩の途中に栗拾い。
また雨の後にはマッシュルームも出てくる。
このマッシュルームが味が濃くて旨いのである。
収穫のタイミングを逃すとあっという間に笠が開き虫だらけになってしまう。
こういうのも毎日散歩をしていると分かるものだ。
公園への道では大きなカリンの木があり、そこでカリンをいつももらってくる。
レモンも近所の友達の家で散歩がてらもらってくる。
そんな散歩にいつも付き合ってくれるココはやはり幸せそうだ。
ロックダウン万歳と心の中で思っていることだろう。




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ロックダウン日記。

2020-04-07 | 日記
南場のおっさんの話を書いて、ロックダウンが始まり10日が経った。
毎日の生活に変化は無く、規則正しい生活を送っていると言えよう。
朝は日が昇る前に起きだして、ブログを書いたり、ニュースを見たり。
そうしているうちに女房殿が起きてくるので、お茶を飲み、女房と一緒に犬の散歩。
近くにはだだっ広い公園があるので、たっぷりと散歩をする。
帰ってきて今度はコーヒーなど飲みながら、本を読んだりジグソーパズルをしたり家の中のことをしたり、まったりと過ごす。
そうしているうちに昼時だ。
昼食後は庭仕事。
連日朝のうちは曇り、昼から晴れてくるといった天気が続く。
晴れてくると気温も上がり、庭仕事にも気が入る。
汗をかいて庭仕事をして、夕方になったらそのまま犬の散歩。
これまたたっぷりと公園を歩く。
帰ってきてシャワーで汗を流し、ビールを飲みながらそのまま夕飯に突入。
夕食後はジブリの映画なんぞを家族で見て、時間が早ければその後にドラマなどを見て寝る。
ほぼ毎日こんな具合に過ごしている。
もともと早寝早起きの体質である、お日様が昇る前に起きてお日様が沈んだら寝る。
その生活のサイクルはたぶんこれからも変わらないだろう。

ロックダウンというものがいかに悲惨であり辛いものであり、大変なことなのだというニュースをよく聞く。
たしかに、ある人にとっては行動を制限されて大変なことなのだ。
だがある人にとっては嬉しいことにもなる。
例えばゲームが好きで好きでたまらない、なんて人は毎日朝から晩までゲームができる。
家に居て外に出歩かない、という事が褒められる事であり、お上の御触れなのだ。
テレビが好きな人は1日中テレビを見ていていいし、とにかく家から出なければ非国民にならないわけだ。
こういう時に何をするか、というのは人の生き方そのものなので、他人の生活に干渉するべきでない。
僕の場合は庭仕事が好きなので、毎日庭仕事ができるのが嬉しい。
夏の間、忙しくてなかなかできなかった庭仕事がはかどり、畑もだいぶきれいになった。
温室があるので天気が悪くても温室の中で作業はできる。
それに天気の悪い時は、ビール作りや石鹸作りなど家の中での仕事もある。
庭仕事も家の中の仕事も、全て直接的にお金を稼ぐ仕事ではないが、人間が生きていくために必要な仕事である。
僕自身どちらかといえば、そういうお金を生まない仕事が好きだ。
好きな仕事なので退屈はしない。
やることはいくらでもある。
これを機会に庭のフェンスのペンキ塗りをしようとペンキを買った。
だがその前にフェンスの周りを綺麗にして、古いペンキを落とさなくてはならないし、よくフェンスをみるとけっこうガタがきている。
女房がその辺りの雑草をむしって、ぼくがフェンスの修理なぞしているとそれだけで1日が終わってしまう。
ううむ、こんな具合でやっていたら、ロックダウンの4週間では足りないかもしれないなあ。



でも今回のロックダウンで一番喜んでいるのは、我が家の愛犬のココであろう。
それまでバラバラだった家族が、なぜか分からないが急に戻ってきた。
以前は一人で留守番という事も多かったが、今は家族が常に家に居るので寂しい思いもしない。
なにより大好きな公園の散歩を朝と晩、たっぷりと歩ける。
このままロックダウンがずーっと続けばいいのに、と思っているに違いない。

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南場のおっさん

2020-04-02 | 
僕がこの世でブラザーと呼び合う男が何人かいる。
どいつも価値観が似ていて、どいつも酒飲みで気前良く、どいつも男気があり、どいつもおっさんである。
その一人がこの南場というおっさんだ。
日本では売れっ子添乗員、ニュージーランドではマウントクックでガイドをする。
いつのころからか僕らは知り合い、いつのころからか酒を酌み交わす仲となった。
僕がマウントクックで泊まりの日は向こうで飲み、シーズン頭やシーズン終わりには向こうがこっちに来て飲む。
互いにおっさんと呼び合う、そんな関係が何年か続いている。



時系列が混乱してしまうが、このおっさんが手下のユイと一緒にアロータウンの家にやってきたのが、僕の最後のツアーが終わった日。
キャンプして焼肉やろうぜ、と南場のおっさんが奮発して熟成肉だのラムラックだの買い込んでスキッパーズへ出かけたが雨が降り出したので撤退。
結局いつものようにアロータウンの家で、七輪炭火焼肉の宴となった。
その時点ですでにニュージーランド航空は日本行きの飛行機は3月30日まで、その後は6月30日まで飛ばさないという発表をしていた。
ちなみにこのおっさん、もともとの帰国予定は3月14日だったが、ちょっと延ばして遊んでいこうと予約を変更した。
予約を変更した日付が3月31日なのだ。
3月30日以降の予約の人は、こちらから連絡をするから待てと。
ちなみに日本で買ったチケットなのでオンラインでは予約の変更ができないらしい。
電話をしてもなかなか繋がらず、予定日の72時間前まで連絡するなというメッセージになってしまうようだ。
しかもマウントクックでの仕事の契約が終わったので寮に居続けることもできず、フラフラとキャンプ生活をしている。
その時はまだこんなに大事になるなんて思っていなかったので、酔っ払いながらおっさんの唄を作った。
タイトルは『日本に帰れない・・・オレ』
そしてさらに演歌調の『南場エレジー』 キーはCm 1番と2番の間に語りが入る。

 日本に帰っても 仕事は無いし
 そもそも会社が つぶれそう
 30日までは飛行機が飛ぶのに
 俺のチケット その次の日

 やることなすこと 裏目裏目でござんす
 齢54歳にて 住所不定無職となりやした。
 流れ流れてニュージーランド
 明日は風の向くまま 気の向くまま

 NZにいても 仕事は無いし
 住む場所さえ 無くなった
 黄色い車で 眠ればいいさ
 財産はバックパックとカセットコンロ

こんなどうしようもない唄をゲラゲラ笑いながら作って、その場でレコーディングまでした。
ちなみに歌は僕が歌ったが、語りの部分は本人に語らせた。
手下のユイが録音してPVを作るそうだ。
おっさんとユイはそのまま南の方へキャンプへ出かけ、僕はバンドのメンバーと楽しい週末を過ごしたのが、つい先週の話。



そこからは先の話に書いた通り。
僕はクライストチャーチに戻り、その日の夕方におっさんも我が家へやってきた。
おっさん同士が集えば飲むしかないだろう。
その日のメニューは我が家の餃子。例の絶品の餃子だ。
晩遅くには娘もウェリントンから帰ってきて、一気に我が家は賑やかになった。
犬のココちゃんは尻尾を振りながらおっさんの傍に寄り添っているのが良い。
おっさんのチケットは相変わらず31日のまま。
日本のニュージーランド航空に電話したら、せっかく繋がっても待機の音楽が流れている間にお金が無くなって切れてしまったそうな。
次の日にダメモトで空港へ行く、それも一人では心もとないから僕が一緒に行くということで、その晩は飲みつぶれたのだ。



ロックダウン前日
こんな長期のロックダウンなんて初めてである。
もっとも僕だけでなく全ての人にとって初めての体験であろう。
これから1ヶ月、スーパーで買える物以外で買っておくものを考える。
ホームセンターや大型の家電ショップなどだろうか。
ギターの換えの弦とドラムのスティックは前日に楽器屋で買っておいた。
家族会議を開き必要な物をリストに上げる。
それから南場のおっさんの黄色い車のタイヤがパンクしてるので、それも今日中にやってもらう。
やることはいくらでもある。
ホームセンターではフェンスを塗るペンキ、予備の電球、野菜の苗など。
その近くの家電ショップでは女房は探していたアイパッド、僕はブレンダーを即時に購入。
時間は1日しかない。安い物を探して店をはしごするわけにはいかない。
魚屋に行ったら活きのいい鯵があったので買った。最後の一匹だったらしい。ついでに冷凍の秋刀魚も。
肉は手に入るが新鮮な魚はこの先に手に入るかどうか分からない。
ジャパレスをやっている友達に連絡して、石鹸を作る為の油をもらいに行く。
彼の店もこれからは閉店。サーバー内のビールを処分するというので、みんなでその場で立ち飲み。
「ああ、ここでラーメンとおつまみにチャーシューなんか注文したくなっちゃったよ」
これから最低1ヶ月は外食もできない。

昼飯の後、おっさんと一緒に空港へ向かった。
列で待たされている間に、係員のおばちゃんにあれこれ聞かれて事情を説明するも「オンラインで予約を変更しろ」の一点張り。
それができないからこうやって来ているのに、頭が固い人というのはどこの世界にもいるものだ。
幸いカウンターの人は日本人女性で、説明すると話を聞いてくれてチケットを調べてくれた。
と彼女の表情が曇り、何やら同僚と話し始めた。
彼女が言うことには、おっさんのチケットは予約がキャンセルされてクレジットに変更されている。
誰がいつそれをやったのかは分からないし、そこのカウンターでは変更できない。
おっさんが泣きついて、そこのカウンターの電話で日本のニュージーランド航空へ電話してもらった。
彼女はカウンター業務があるので、そこからはおっさんが日本の人と延々1時間ほど話をした。
僕はその間ウロウロと待っていたのだが、さすがに建物内にいるのが嫌になり外で待った。
いい加減待ちくたびれた頃におっさんが出てきて言うには、どうにもできないから自分で新しくチケットを予約して、とにかく日本に帰ってからなんらかの手続きをすると。
「危ねえ、危ねえ、そのまま馬鹿正直に向こうからの連絡を待っていたら、帰れなくなるところだったぜ。」
「全くだな。それが分かっただけでも空港に行った価値はあるじゃん」
その後、ビールの材料を買い足して夕方に帰宅。
これでやり残したことはないはずだ。

帰ってから、南場のおっさんは帰りのチケットを予約するという大仕事がある。
ニュージーランド航空のサイトでは空席が出たり、それがすぐに売れたりという状態らしい。
よその国を経由して帰るという選択も、今の情勢では難しかろう。
確かにこの状態ならどこも混乱しているはずである。
今を逃せばこの先最低3ヶ月は帰れない。
その先のことも誰にも分からない。
空席が出ておっさんが喜び、それを買おうとしてモタモタしているうちに売れてしまって落胆して、というのを鯵を捌きながら見ていた。
見るに見かねて女房が助けを出して、なんとか翌日の席を確保したところでイヤミを一つ。
「なんだあ、明日か。じゃあビール作りもこんにゃく作りもペンキ塗りもできないじゃん」
我が家に滞在する間は、家の事を何でも手伝うと豪語していたのだ。
僕としてはこのままおっさんが日本に帰れなくなって家に居候なんてことになったら、それはそれで面白いなと思ったがなかなかそうはいくまい。
「ゴメンゴメン、この埋め合わせは絶対するからさ」
「よし、じゃあ、まずは乾杯だな」
ビールで乾杯して、鯵のなめろうを肴に日本酒を飲んだ。

翌朝、僕はおっさんを空港まで送っていった。
早朝だからなのか、ロックダウンだからなのか、車の通りはほとんどない。
空港のドロップオフの場所で握手をして別れた。
ダラダラとチェックインまで付き合うようなことはしない。
おっさん同士の別れはドライだ。
黄色い車を我が家に人質にして、おっさんは旅立って行った。
この車、燃費も良いし荷物も積める、買い物には便利そうだし、街乗りの足として使わせてもらおう。
余談だがその後、ロックダウンが始まりNZ国内の移動も難しくなり、28日以降の予約だったら本当に日本に帰れなくなるところだった。
サダオがコメントでうまい事を言っていた。
「あの人、こういう船に乗り遅れそうっていうふうに見えて、周りの人をドキドキハラハラさせながら、上手ーくギリギリで乗っかってっちゃう人ですね。良い意味で。こういうキャラが良い味出してて、俺は大好きです!」
まさにその通りだな。それも人徳。
この日の夜、成田のホテルで風呂に入って浴衣を着てキリンビールを飲んでいる写真が送られてきた。
こうしておっさんは無事日本に帰り、ニュージーランドではロックダウンが始まった。





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