あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

山小屋が来た。

2014-10-28 | 
山小屋という男。
もちろん本名ではない。
北海道で『ガイドの山小屋』というガイド会社を営み、バックカントリーのスキーガイドをする男で「山小屋さん」とか「山小屋」とか呼ばれている。
この人は毎年自転車で長距離の一人旅をして心と体を鍛えていて、オーストラリア縦断5000キロとかニュージーランド南島一周3000キロの旅とか、そんな事をやっている。
ヤツとの付き合いもかれこれ8年ぐらいになるか。
ある時にひょんなことからヤツのホームページを見つけ、その内容にそのまま同調。
連絡を取り合い、クィーンズタウンのユースにヤツが滞在している時に押しかけ、そのままユースの庭で七輪焼肉をやり、そのまま兄弟の杯を交わした。
それ以来、ニュージーランドに来る時にはクライストチャーチの我が家から旅を始め、クィーンズタウンでは僕がフラッティングしている家でしばらく留まり、クライストチャーチの僕の家から去る、というようなつきあいだ。
ヤツとは同じ年で背格好も似ており、山のガイドという共通点がある、がそれだけではない何かがある。
波が同調する時に余計な言葉は要らない。
心の奥で繋がる物を感じ、そこに意識を向けて相手と接する。
生まれ育ち、家庭、職場、その他もろもろの相違点もあり、考え方に違うところもあるが深い所で繋がることができたこの男を僕は兄弟と呼ぶ。

ヤツが最後に来たのは3年前。
それからもメールやブログのコメント、たまに電話をしたりとつきあいは絶えずに、互いに自分がやるべき事をやっていた。
ずいぶんとやられているなあ、と感じたのはこの日本の夏だった。
ヤツのところは7月8月の2ヶ月が一番忙しい時なのだが、最近は大陸系の中国人が大挙押しかけるようで、トイレを壊されたり、無理難題をふっかけられたり、お客さんでもない人にゴミを駐車場に捨てられたりとか、まあいろいろと気苦労が絶えないようだ。
遠くに居てもソウルブラザーの兄弟である。
そういう人達にエネルギーを奪われているんだ、という事が僕にもひしひしと伝わってきた。
「がんばれよ、兄弟」心の中で僕はつぶやき、ヤツは多忙な夏を乗り切り、そしてニュージーランドにやってきた。
3年ぶりの我が家である。
ヤツも最初は遠慮をしたのだろうな。
卵が大好きだが食べたいと言いづらかったのだ。
「なんだよ、お前、卵が食いたかったら食いたいって言えよ。こんなにたくさんあるのに」
「いやさ、北村家の物だからさあ」
「まだ分かってないのか?オレの物はオマエの物。オマエの物はオマエの物。ここはオマエの家でここの食い物は全てオマエの物でもあるんだぞ。一々聞かないで何でも好きなものを食え。」
「そうか、分かった。遠慮なくもらう」
「それでよし」
遠慮をする人は追い出すというのが我が家の家訓である。









遠くから兄弟が来たのである。
そりゃ厚くもてなすわな。
まだ夏の仕事の前で時間に余裕もある。毎日毎日、日替わりでいろいろな所へ連れ回すのだ。
まずはリカトンのサンデーマーケット。
行ったことがあるかと思いきや、「ない」と言うので家族で一緒に行ってみた。
ぼくらにとっては当たり前にあるものでも、旅行者にはご馳走である。
物を捨てないニュージーランドの、観光者向けの体裁を整えた面ではなく、地元の人が集うマーケットである。
ガラクタも多いが、男心をくすぐるような物も多い。
案の定、ヤツは大喜びである。
そして平日は庭仕事の手伝い。
ヤツの今回の課題は門を直す事。
うちの門が古くなりガタがきている。
3年前にヤツが来た時にある程度の修理をしてくれてのだが、また壊れてしまった。
壊れたと言ってもなんとか使える程度なのだが、何かしらの手を入れなければならない。
僕は自分が直すイメージは湧かず、ヤツが来るのを待っていたのだ。
先ずはリサイクルのエコショップや建築廃材の店を回り門に使えそうな物を探す。
こういった店も自分でやらない人には「ふーん」で終わってしまうだろうが、自分で何でもやる人には宝の山だ。
そこでおあつらえ向きの門を発見。お値段は$15、即決。毎度あり~、ちーん。
次にニワトリの小屋に使うオガクズを買いにガーデンセンターへ。
トレーラーをその場で借りて、ホイールローダー一杯分のオガクズを積んでもらい、家へ運ぶ。
オガクズはニワトリ小屋と産卵の小部屋に敷き詰め、余った物を袋に詰めて保管。
空になったトレーラーに木の枝を切ったものを満載して、ゴミ処理場へ行って捨てる。
ついでに家の物でリサイクルできる物もそこで引き取ってもらう。
作業を兼ねた社会見学である。
「どうだ兄弟?ここの社会のシステムはいいだろ?」
「うん、いい。あー、今日はすごい癒されたよ。」
「癒されたか。そりゃよかった。」
見る人が見れば、この社会の合理性というものが分かる。
僕がよく言う『成熟した大人の社会』というやつだ。
それを経験させることが僕流のもてなしでもある。
もてなしをするがお客さんではない。
餃子の皮を作り、深雪がそれを包む。
二人で仲良く作業をしているのが微笑ましい。
庭の門も直してもらったし、芝刈りもやってもらった。












天気の良い日には軽く近所の山へ犬を連れてハイキング。
ここは牧場の中を歩くのだが、犬専用のゲートがあり、人間と一緒でないと犬が入れないようになっている。
こういうシステムが好きだ。
山からの下り道ではワラビを発見。
そういえば去年もこの場所でワラビを取ったな。
二人でガサガサと収穫。これは山小屋があくを抜きキンピラ風に煮付けた。絶品。
山を歩けば犬も喜んでついてくるし、人間も気持ちよく汗を流した後はビールも美味い。
運動をした翌日は御馴染みオノさんの整体でボキボキとやってもらう。
僕はこれから夏の仕事で体を使うし、山小屋はこれから何千キロも自転車で走る。
その前に体を整えておこうと二人連続でやってもらうのだが、一人はギュウギュウやられてウーとかアーとか言い、もう一人は観客でそれを見るわけだ。
オノさんも観客がいるほうが乗るのかそれともサービス精神か、いつもより痛い時間が長いぞ。
二人でフラフラになり、オノさんも仕事を終えて一緒に飲むビールが又美味い。

続く

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春の庭

2014-10-18 | 
春である。
日は一日ごとに長くなり、桜は散り木の新芽が芽吹く春。
うちの庭にも春が来た。
リンゴの花がつぼみをつけ、梨はすでに満開、イチジクが小さな実をつけ始めた。
温室の中ではえんどう豆がすごい事になっている。
冬の間に育ったマメは2Mぐらいの高さになり、さやをたわわにつけて収穫が間に合わない。
取っても取っても食べきれないぐらいのえんどう豆。
さやえんどうは収穫の時を逃すと、さやが固くなってしまう。
スジっぽくなって美味しくない。
だが葉っぱが生い茂ると、その陰にかくれていたりするのでそのまま放置して豆を収穫する。
最近はちょっと食べ飽きたかな、というぐらいで友達にもどんどんあげる。
ソラマメのさやも膨らんできたのであと1週間ぐらいで収穫だ。
そうなったら今度は食べきれないぐらいのソラマメだ。
温室の中ではシソが大きな葉っぱをつけトマトが花を咲かせ始めた。
温室万歳ですな。





まもなく夏の仕事が始まり忙しくなるので、今のうちにできる事をやる。
先日は卵を産まなくなったニワトリを絞めた。
いつもどおり木にぶら下げて血を落とし羽根をむしった。
首の辺りの皮がやぶれていて羽根と一緒にくっついていたのだが、周りをウロウロしていた犬のココがムシャムシャと食べてしまった。
「オマエそんなものまで食べちゃうのか、じゃあこれはどうだ」
ニワトリの足を手斧でぶった切り、それをあげたら喜んでバリバリと食べてしまった。
「ワイルドだなあ、生で食っちまうんだ。じゃあこれもいっちゃうか?」
頭をあげたら、それも喜んでバリバリやっている。
さすがにそれは見たくなかったので、僕はせっせと羽をむしる。
いつもは足も頭も一応火を通してから犬にあげるのだが、生で喜んで食うのなら手間が省ける。
はらわたは臭みを消す為にしょうがと一緒に甘辛く煮て、モツその他はさっと茹でて犬のエサ。
ガラはスープを取ってこれまた犬のエサ。
実はスジを取って叩いて、おろししょうが、塩、醤油、ミリンを加えて肉団子にして油で揚げてみた。
これが又、美味い。そのままでもいけるし、酢豚のように野菜と一緒に炒めてもいけそうだ。
こうして犬を含め我が家で、一つの命を跡形もなくいただいた。



春は新しい命の季節でもある。
種から芽を出させ育てるのだが、これが又一手間かかる。
大根、人参、などは地面にパラパラと蒔くのだが鳥に食べられないようにネットをしてあげなければならない。
それから大きな種のものはポットに入れて発芽させる。
ズッキーニ、きゅうり、ひまわり、おくら、そういったものは温室で育てるのだが、夜の間にネズミに種を食べられてしまった。
昼間は暖かい温室で育て、夜は家にいれてと、何かと手間がかかる。
これは人間も動物も鳥も同じで、生まれて直ぐの物は弱い。
弱い故に親とか誰かが面倒を見てあげなければならない。
芽が出始めても水の勢いでダメージを与えてしまうこともあるから、水遣りも丁寧にやらなければならない。
そうやって考えると種から育てるより苗を買った方が楽である。
僕も全ての物を種から育てるのではなく、苗も買ってきて植える。
まあバランスを取りながら、自分にできることをやるのだ。
何でもかんでも自分でやろうとしたら大変だからね。



今年の新作はイチゴ畑。
苺は今までもやっていたのだが、さらに改良を重ねた。
どの果物でもそうだが木で熟した物は甘い。
だがその辺は鳥も分かっているので、食べごろになると鳥に食べられてしまう。
今まではネットをかけたりしたが、今回はその場所を常時苺畑と断定する金網を設置。
そして苺は地面に接すると直ぐに傷んでしまう。
なので藁を買ってきて苺の隙間に敷き詰めた。
その前には徹底的に雑草の駆除に肥料をたっぷり、そして株分け。
その辺にあった大きめの石を踏み石として置いた。
金網は温室の残りの材木で開閉式。
収穫の時だけフタを開けて中へ入る。
こうして立派な苺畑のできあがり~。
すでに赤い実をつけ始めている。
今年は甘い苺が食べられるぞ。





卵は相変わらず毎日4個。
シルバービートとか春菊は雑草のようにあちこちで生えている。
豆は取っても取っても食べきれない。
食べ物に囲まれた暮らしというのは、餓える心配がないという安心感でもある。
そこで心から湧き上がる想いは感謝。
何に対してか?と問われれば、大地の恵みに、いただく命に、安心して住める社会に、母なる地球に、明るい家庭に、そして生かしてもらっている自分自身に。
ありがたや、ありがたや。





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10月11日 Broken River

2014-10-13 | 最新雪情報
おかしな年、としか言いようのないシーズンだった。
振り返れば、4月に季節外れの雪が降り、それ以降はぱったりと雪が降らなかった。
なんとかスキー場がオープンできたのは8月半ばだ。
それ以降も雪は降らず9月の半ばにパウダーを楽しめるぐらいの雪が降った。
雪が多く、盛り上がった年ならば学校の春休みもスキー客で賑わうのだが、今年はそれもなく尻切れトンボのようにあっけなくほとんどのスキー場はクローズした。
ブロークンリバーも普段なら「雪がある限り滑り続けるぜ」というノリなのだが今年は「もういいよ」という雰囲気が漂い、毎年恒例のスタッフのお別れ会も少人数で寂しかった。
それでも9月半ばのパウダーは当てたし、古くからの友人カズヤとポーターズでのパウダーセッションは思い出に深く刻まれる1日だった。

春休みも終わるという週末、娘の深雪と旧友ブラウニーでBRへ行った。
深雪は今シーズン2回目のスキー。
ちなみに1回目はマウントハットへ学校のスキー授業で行った。
クラス分けの時にスキーインストラクターにスキー歴を訪ねられ「ブロークンリバーのメンバーだけど好きなバーンはポーターズのビッグママ」と答えたらそのまま有無を言わさず上級クラスへ放り込まれたそうな。
最近は一丁前に「パウダーじゃなかったら行かない」などとほざく。
行ったら行ったで楽しいのだが、なんとなく面倒くさい。
大人でもそう思う時はある。
山が遠くなる時だ。
BRも今週末でクローズが決まっていて、天気もまずまずなので半ば強引に娘を連れ出した。

午前中に何本か滑り、あとはパーマーロッジでバーベキューとブロークンリバーラガーの宴会。
ブラウニーが仕留めた鹿肉のたたきが絶妙に美味くビールが進む。
ほろ酔い気分で一人、ロープトーに乗った。
ナッツクラッカーが滑車を通る時のカチャンという音が心地よく響く。
ロープに引っ張られながら、妙に感傷的になり、いろいろと想う。
去年はケガもしたが僕はやっぱりこのリフトが好きだ。
こうして僕はこの山と共に年を重ねていく。
記録的に短かったこのシーズンも数年後には笑い話になるだろう。
その時には世の中は僕達が考えている以上に変化をしているだろうが、それでもこの山は今と変わらぬ姿で、集う人を受け入れてくれるだろう。
そこに居る自分を想う。
そして山に別れを告げた。
冬が終わった。


この姿を見ればシーズンも終わりだなあ、と思う。


ブラウニーと深雪が一緒に滑るのも久しぶりだ


結局この日はアランズベイスンにも行かなかった。


メイントー付近が良かったので数本ここで滑る。


そしてお昼のバーベキュー。


今日のランチ、ピリ辛ソーセージ、ミートボールのベーコン巻、そして焼きおにぎり。


何でこんなに嬉しそうな顔をしているんだろう。


ブラウニーが獲ってきた鹿肉。タタキをわさび醤油で食う。絶品。


バーベキューが終わり、皿を片付けた後もマリリンは飲む。


パーマーロッジ前も雪がないので通路を作った。


老メンバーのジョニーが帰るときもマリリンは飲む。


夕方になって天気も崩れ、皆が帰り始めても、マリリンはまだ飲んでいる。


さあ、下ろうか。


ブラウニー、50歳のオジサンだが中身は子供だな。


帰り際、ポーターズの看板の横にチェアリフト発見。ポーターズには来年チェリフトがかかる。
オジサン二人でよじ登り、記念撮影をパチリ。




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テレビドラマ

2014-10-10 | 日記
7月の終わりにやった親方物語のドラマが11日に放映される。
タイトルは、東京にオリンピックを呼んだ男。
1964年の東京オリンピックから50年、2020年の東京オリンピックに向けて民衆意識をそっちへ向けようという陰謀の匂いがプンプンしているようなドラマだが、そんなのはどうでもいい。
僕にとって興味があるのは、自分が関わった仕事がどのような映像になるのか、ということ。
親方物語でも書いたように、制作の現場に携わったわけでそれがどういう作品になるのか、とても楽しみである。
プールバーンのロケの時にCGの技師に話を聞いた。
予定では僕らが並べたキャベツ畑を基に、はるか彼方の山のすそまでキャベツ畑を入れると言った。
セントラルオタゴの殺伐とした茶色い大地が、広大な緑の農園になるのだと。
それはそれで面白そうだ。

ある時、親方が言った。
「オレたちの仕事ってのは何から何まであるんだよ」
仕事というのは美術班が作り上げるセットのことだが、ナルホドと思った。
ドラマのだろうがドキュメンタリーだろうが『場』となるもの。
これは現実の世界の場と同じ数だけある。
ありきたりな会社から、商店、工場、農家、市場、一般家庭、学校、病院、娯楽施設、体育館、ホール、乗り物の中、果てはヤクザの事務所まで、何から何まで。
これに現在過去未来という時間軸が加わる。
現在のものは問題なしとして、過去のものは時代設定によっても変わる。
未来なんて・・・よう分からん。
それこそ星の数ほどの現場がある。
何から何までとはそういう意味だ。
大変と言えば大変だが、面白いと言えば面白い仕事だ。
そうやって作った『場』も撮影が終われば取り壊されて跡形もなくなってしまう。
僕が夢のように感じた、あれだ。
僕の夢は親方の現実で、僕のように一々感情を移入していたらそれこそ仕事にならない。
『場』は消え去ってしまうが、映像としてそれは残る。
適当な仕事をすれば適当な、きちんとした仕事をすればきちんとした映像が残る。
パッと見は分からないようでもその筋の人が見れば分かる、なんてこともあるはずだ。
あるカメラマンが言っていた。
「自分では全く納得がいかない作品もあるけど、悲しいかな、そういう物も残ってしまう」
ナルホドね。ある意味、残酷とも言えるな。

僕が今回やったのは美術班の手伝いだが、もちろん『場』だけではダメだ。
そこで俳優が演技をして、音声とか音楽とか入り、CGとかその他よく知らんが、いろいろと編集をして一つの作品になる。
台本にはキャストや製作スタッフの名前が入っているのだが、その中でも制作班と技術班と美術班に別れている。
制作班は監督、プロデューサー、助監督、制作など。
技術班は撮影、照明、音声、編集、など。
そして美術班のセクションという項目には、美術、美術進行、大道具、組み付き大道具、装飾、持ち道具、衣装、メイク、かつら、特殊メイク、とこれだけの仕事がある。
名前の出てる人の数で24名。
知っている名前は親方と娘のマルだけだ。
親方の名前がそれらの一番上に書いてある。
友達のリエコは以前、ヘアの仕事をしていたようで親方の会社を知っていた。
その業界ではかなり大きな会社のようで、そこの社長さんなんて、やはりスゴイ人らしい。
でも僕にとっては、新しく知り合った信頼できる親方なのである。



台本というものがあることは知っていたが、本物を見るのも初めてだ。
シーンの場所と番号がふってあり、シーンごとの人の動きやセリフなどが全て書かれている。
ページの下半分に文が書かれていて上半分は空白。
きっとスタッフはここに自分でいろいろ書き込み、仕事をするんだろうな。
僕の台本は一回目を通しただけなのできれいなままだ。
まあいろいろと知らない世界を経験するのは楽しくもあり、勉強にもなったし、ブログネタにもなった。
そのドラマがいよいよ放映。
できることなら日本で酒でも飲みながら見てみたかったがそれもかなわず。
でも放映後にDVDのコピーはもらえるらしい。
以前やった映画の時にはプロデューサーにコピーをもらえるか聞いたら「買ってください」と言われちゃったからな。
まあ自分の名前もエンドロールに出たので結局買ったけど。
テレビは洗脳の道具、などとテレビを目の敵にしている僕が言うのもなんだが、日本の皆さん、僕の分までテレビドラマを楽しんでね。
       
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今年の風邪

2014-10-06 | 日記
風邪というものにも流行り廃りがあり毎年ごとに症例が違うようである。
「今年の風邪は関節に来るようだよ」とか
「今年の風邪は頭が痛くなるようだ」とかそういう話をよく聞く。
家の場合、先ず娘がどこからかもらってくる。
若い者は流行に敏感なのだろう。
そして治りかけた頃、女房や僕に移す、というパターンだ。
今年の風邪はせきが止まらない。
発熱や悪寒といった風邪の症状もでるのだが、なおりかけてからも咳がいつまでも続く。
昼間は普通でも夜になると咳が出て眠れない。
僕はそれほどひどくはないのだが、女房は咳がひどい状態が2週間も続き、たまらず医者に行った。
2時間半も待たされて診察の結果「ただの風邪です」と言われ薬も出なかった。
きっと同じような患者がたくさんいるのだろうな。
効くどうか分からないような薬を出されるより良心的とも言えるかもしれないが、何とかして欲しいというのが人情だ。
結局は人間の治癒力に任せるしかないのだろう。

先日は若き友人のタイがやってきた。
1週間以上にも及ぶスキーガイドの試験の前に街で買出しを兼ね、我が家にやって来た。
ヤツが来てそうそう、僕は少し意地悪な質問をした。
「タイよ、ガイドで一番大切な事はなんだ?」
「うーんなんだろう、安全の確保ですか。」
「確かにそれも大切だが、もっと深い所でだ」
「えー?お客さんと一緒に楽しみ楽しませること?」
「それは安全の次に来るものだな。当たり前すぎて思い浮かばないことだぞ」
「えー?何だろう・・・?」
「では教えてあげよう。答は自分の健康管理。」
「あ、なるほどね」
「これはガイドの仕事に限らずなんだけど、当たり前すぎて皆そこまで考えないんだよな。お前はこれからガイドの試験を控えた大事な体なんだから風邪なぞひいたら大変だ。我が家では今、風邪が流行ってる。そこで予防をしておきなさい。」
我が家の風邪対策は先ずうがい手洗い。
そしてプロポリス溶液を鼻をつまんで飲む。
仕上げに薬効の強い(値段も高い)マヌカハニーを小さじ一杯。
これらを済ませ乾杯を交わした。
ガイドの試験では全員分の食事を作るのも試験の一環で、山小屋泊まりの時に鍋をやろうなどと目論んでいたらしい。
丁度うちの菜園の大根や春菊が食べごろだったのでそれを持って行ってもらった。
後日ヤツから連絡があり、ガイドの試験は無事合格。鍋は大好評でガイド歴30年の試験官から「今まで山で食べた夕食で最高の物」という言葉までもらったそうな。
うちの野菜も喜んでいることだろう。

我が家では毎年、秋になると友達の家から花梨をどっさりといただき、それを蜂蜜につけて咳止めのシロップを作る。
昨年はそれがあまるほどだったのだが、今年は娘のせきが止まらなかったので冬の途中で使い切ってしまい、春になっても家中でコンコンと咳をしている。
タイにはえらそうに言う僕も冬の終わりに風邪をひき一度は治ったのだが、先日まるまる一日雨の中での仕事があり、それでぶり返してしまった。
熱は出ないし体もだるくないのだが、咳が止まらない。
それも風邪の終わりに出るような黄色いタンが絡む咳が続く。
友達のマサと電話で話しをすると、彼の所でも同じようだ。
他にも似たような話をよく聞いた。
健康というものはあって当たり前で、病気とか怪我をしてあらためてそのありがたさを知る。
森羅万象、全てのものごとに感謝を捧げる身としては風邪にも感謝というべきところなのだが、残念ながらそこまで人間が出来ていない。
そういえば疫病神という言葉があったなあ。
病まで神様にしてしまうところが、日本語の面白くもあり素晴らしいところでもある。
でもそろそろ厄病神様にはご退散願いたい、と思うのが本心の今日この頃なのである。


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お金がない、と言う人。

2014-10-03 | 日記
あなたの周りにもいるだろう。すぐに「お金がない」と言う人。
この前友達と話をしたのだが、ある人は定期的な家賃収入があり車も家もある。
毎年のように日本に帰っていて、その友達よりはるかにお金はあるようなのだが「お金がない」と言い続けていると。
そう言われてみれば、自分の知り合いにもそういう人はいるなあ。
そういう人はどれだけお金があってもお金がないと言い続けるんだろうな。
もし世界が百人の村だったら、という詩から引用する。

銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
8人のうちの1人です。
自分の車をもっている人は
7人のうちの1人です。

だそうな。
一体、何をもってお金が無い、お金があると言うのか。
それは心の奥にある恐怖。
お金がなくなるかもしれないという恐怖。
お金がないと生きていけないという恐怖。
そしてまた、その恐怖は意図的に植えつけられたりする。
以前ある年輩の人がこう言っていた。
「今、日本では仕事がなくてお金がなくて食うのにも困っている人がいるんです」
ふむ、確かにそういう人は居るかもしれない。
「では、あなたの周りや友人にそういう人はいますか?」とは聞かなかった。
たぶんいないだろう。
それはテレビで流した情報だろうな、と思い話題を変えた。

あえて聞く。
本当に仕事はないのか?
答はイエスでありノーであるだろう。
田舎へ行けば、人間が生きていくために必要な食料を作るという大切な仕事はいくらでもある。
また3食昼寝つき時給5000円という仕事はない。
金のことは置いといて生きて食っていくための仕事はある。
楽して金儲けをする仕事はない。
まあ、こういうことだな。
仕事という物を金儲けだと思う人や企業にはこれからどんどんつらい世界になっていく。

今の世の中、日本に限らず都市部ではお金がないとやっていけないようなシステムになっている。
お金に依存した消費型の社会だ。
では聞こう。
今あるシステムの延長線上に明るい未来が見えるのか?
僕には見えない。
見えないのでこう思う。
こんなシステムぶっ潰しちゃった方がいいじゃん。
どうせこのまま進んでいけば、大地震か隕石か大火山か、もしくは世界戦争か放射能汚染、いずれかの理由で人類は絶滅する。
「そんなことあるわけないじゃん」と言う人よ。
思い出せ。
今までに何度も人類は同じ経験をしていることを。
ノアの方舟は単なる作り話ではない。
洪水が来るぞ、とノアが叫んでも人々はその声に耳を傾けず、最後の瞬間まで略奪、姦淫、享楽、怠惰な生活をやめなかった。
今がその時だ。
人類が絶滅するぐらいならば、今あるシステムなど潰してしまったほうがいいと僕は思う。
まあ、遅かれ早かれ金融のシステムは崩壊する。
大混乱は来るだろう。
金があるのに「金がない」と言っている人には何を信じていいのか分からないだろう。
たくさんの人が死ぬだろう。
それも仕方なかろう。
死という物が終わりだと思う人には死は恐怖だが、僕にとっての死とは脱皮して新しい世界へ行く事なので、死ぬ人も可哀そうだとは思わない。
ただ気づかずに死んでいく人は、『もう一度同じ事をするのか大変だな』という意味で可哀そうにと思う。

こういう事を書くとやれ陰謀論だ、やれ都市伝説だ、で終わってしますのだが陰謀論も都市伝説も現実を少しだけ混ぜて薄めてある。
何の為に?
気づかせないために。
「単なる迷信だよ。そんなことが起こるわけないじゃん。そんなこと本気で信じてたら生きていけないぜ」
と人々に言わせたいのだ。
「そんなことより新しい○○が出たよ」
「そんなことより、もっと金を稼ぐ事を考えなきゃ」
情報は操作され人々の意識もコントロールされる。
コントロールされている人はその事に気づかない。
それが洗脳だ。
御岳の噴火が最近起きたが、このように今までなかった事が起こるのだ。
クライストチャーチの地震もそうだった。
シンクホール、地割れ、強風、洪水、日照り、火山、地震、これらは全て地球からのメッセージだ。
今まで起こらなかったことがこれから起きますよ、というメッセージなのだ。
そろそろ目を覚ます時じゃないか?
自分の事だけ考えて「金がない」って言ってる場合じゃないだろう。
その先にあるのは破滅だぞ。
崖に向かって全力疾走している自分が見えないか?

世界の終わりが来たら・・・それはそれでしょうがないかな。
愚かな人間のやる事で破滅ならばそれも又、自然のなりゆき。
先にも書いたが僕自身は死に対する恐怖はない。
だが、今まで築き上げたこの世界が崩壊するのを見るのは辛いであろう。
美しい自然や人類が作り上げた数々の遺産、そういったものがすべて崩れ去ってしまう。
それは悲しいな。
それを見たくないが為に僕は生きる。
大難を小難にするため。
ここまで来て無難というわけにはいかないだろう。
何かしらは必ずある。
それが何か、分からない。
分からないから面白いとも言える。
その為に瞬間ごとに自分ができる事をやるのみ。
さすれば結果は後からついてくるだろう。

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