自然
2013-06-30 | 日記
自然って何ですか?
この言葉も見る人の立ち位置でコロコロと変る。
漠然としたイメージでは緑の大地は自然で人工的な物は自然ではない、といったところか。
牧場の中を車で走っていて、お客さんが「わー、すごい大自然だ」と言う事がある。
「夢を打ち砕くようですが、この緑の牧草も羊も元々この国には無かった物で人間が持ち込んだのです。言うなれば人間が作り上げた景色なのです」
真実は時に人を傷つける。
なので実際のガイドの時には、お客さんが傷つかないよう丁寧に柔らかく説明をする。
「この国の本当の自然とはうっそうと生い茂った森、氷河の載った険しい岩山、そういうものがあるんですよ。でもこの景色も今のニュージーランドの景色だから自然と言えば自然ですよね」フォローもする。
間違っても「緑の牧場を見ただけで簡単に自然と言う、あなたの自然観とは一体何ですか?」などとは言わない。
自然保護とか自然を守ろうなどの言葉があるが、僕はきらいだ。
自然とはこんなちっぽけな人間に守られなくてはいけないものなのか。
それは人間の傲慢である。
裏を返せば、人間が自然をコントロールできると思っているからそんな言葉が出る。
自然とはそんなちっぽけな弱っちいものではない。
人間なんかに守られなくてもちゃんと自浄ができるものなのだ。
マクロな物の見方で言えば人間の存在も自然のものである。
人間が今も地球上で行っている乱開発、戦争、原子力発電、全部自然だ。
この調子で行けば地球の浄化作用で人類は滅亡するだろう。
それも自然。
自然災害という言葉があるが、これも人間から一方的に見た言葉である。
地震、火山の噴火、雷、土砂崩れ、鉄砲水、地割れ、津波、台風、雪崩、こういった現象は自然界では当たり前にある。
それによって人間の生活に被害をこうむれば災害となる。
自然が起こす物事は恐ろしい物なのだ。
そして同時に美しい。
子供の頃、夜の雷の稲光を飽きずに眺めていた。
火山の噴火は花火と比べ物にならないくらい美しいらしい。
雪崩が起きる様子はダイナミックであり美しいものだ。
全部自分が安全な場所に居れば、という条件がつく。
経験があるが山の中で雷に出くわしたら、それはそれは恐ろしいものである。いつ何時自分の所に落ちるのか分からないのだから。
僕は専門は雪山なので雪崩にも詳しい。
自分の足元からピキピキと亀裂が入りズズっと雪が滑りだしそのまま大きな雪崩になった、という経験も1回や2回ではない。
それに巻き込まれたら、数分で窒息死である。
けれど対岸でそれを見ていたら、それが大きければ大きいほど見ごたえのある見世物だ。
それぐらい人間は自然の中で無力な存在なのだ。
はるか昔から人間は自然を恐れながら敬い、その中から日々の糧をいただく有難い物だった。
文明が進み、人々は自然と切り離されて生活をするようになった。
そのうちに自然をコントロールできると勘違いもするようになった。
人間がいかに無力かという事を忘れ、文明という物の中で傲慢になっている。
それが今の現代人だ。
あげくの果てに『自然を守ろう』と来たもんだ。
ちゃんちゃらおかしいぜ。
今までは白人がこの世界を引っ張ってきたがそろそろお役御免、これからの世界では少数民族の考え、自然宗教が人類を救う鍵になるだろう。
イヌイットやアメリカンインディアン、太平洋に住む人々やアジアの少数民族、アフリカの民、マオリやアイヌの教えや日本の八百万の神の心もそうだ。
そういった人達がリーダーとなり新しい世界を作っていくだろう。
それは自分と相手の対立ではなく、自分も相手も全て自然の一部であるというワンネスの心。
これをなくしての将来はない。
でもそうなるまでに、もう一波乱か二波乱あるかな。
この言葉も見る人の立ち位置でコロコロと変る。
漠然としたイメージでは緑の大地は自然で人工的な物は自然ではない、といったところか。
牧場の中を車で走っていて、お客さんが「わー、すごい大自然だ」と言う事がある。
「夢を打ち砕くようですが、この緑の牧草も羊も元々この国には無かった物で人間が持ち込んだのです。言うなれば人間が作り上げた景色なのです」
真実は時に人を傷つける。
なので実際のガイドの時には、お客さんが傷つかないよう丁寧に柔らかく説明をする。
「この国の本当の自然とはうっそうと生い茂った森、氷河の載った険しい岩山、そういうものがあるんですよ。でもこの景色も今のニュージーランドの景色だから自然と言えば自然ですよね」フォローもする。
間違っても「緑の牧場を見ただけで簡単に自然と言う、あなたの自然観とは一体何ですか?」などとは言わない。
自然保護とか自然を守ろうなどの言葉があるが、僕はきらいだ。
自然とはこんなちっぽけな人間に守られなくてはいけないものなのか。
それは人間の傲慢である。
裏を返せば、人間が自然をコントロールできると思っているからそんな言葉が出る。
自然とはそんなちっぽけな弱っちいものではない。
人間なんかに守られなくてもちゃんと自浄ができるものなのだ。
マクロな物の見方で言えば人間の存在も自然のものである。
人間が今も地球上で行っている乱開発、戦争、原子力発電、全部自然だ。
この調子で行けば地球の浄化作用で人類は滅亡するだろう。
それも自然。
自然災害という言葉があるが、これも人間から一方的に見た言葉である。
地震、火山の噴火、雷、土砂崩れ、鉄砲水、地割れ、津波、台風、雪崩、こういった現象は自然界では当たり前にある。
それによって人間の生活に被害をこうむれば災害となる。
自然が起こす物事は恐ろしい物なのだ。
そして同時に美しい。
子供の頃、夜の雷の稲光を飽きずに眺めていた。
火山の噴火は花火と比べ物にならないくらい美しいらしい。
雪崩が起きる様子はダイナミックであり美しいものだ。
全部自分が安全な場所に居れば、という条件がつく。
経験があるが山の中で雷に出くわしたら、それはそれは恐ろしいものである。いつ何時自分の所に落ちるのか分からないのだから。
僕は専門は雪山なので雪崩にも詳しい。
自分の足元からピキピキと亀裂が入りズズっと雪が滑りだしそのまま大きな雪崩になった、という経験も1回や2回ではない。
それに巻き込まれたら、数分で窒息死である。
けれど対岸でそれを見ていたら、それが大きければ大きいほど見ごたえのある見世物だ。
それぐらい人間は自然の中で無力な存在なのだ。
はるか昔から人間は自然を恐れながら敬い、その中から日々の糧をいただく有難い物だった。
文明が進み、人々は自然と切り離されて生活をするようになった。
そのうちに自然をコントロールできると勘違いもするようになった。
人間がいかに無力かという事を忘れ、文明という物の中で傲慢になっている。
それが今の現代人だ。
あげくの果てに『自然を守ろう』と来たもんだ。
ちゃんちゃらおかしいぜ。
今までは白人がこの世界を引っ張ってきたがそろそろお役御免、これからの世界では少数民族の考え、自然宗教が人類を救う鍵になるだろう。
イヌイットやアメリカンインディアン、太平洋に住む人々やアジアの少数民族、アフリカの民、マオリやアイヌの教えや日本の八百万の神の心もそうだ。
そういった人達がリーダーとなり新しい世界を作っていくだろう。
それは自分と相手の対立ではなく、自分も相手も全て自然の一部であるというワンネスの心。
これをなくしての将来はない。
でもそうなるまでに、もう一波乱か二波乱あるかな。