あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

クレソン万歳

2014-11-25 | 
クレソンの存在に気がついたのは去年ぐらいだったろうか。
ルートバーンに行く途中の水路にびっしり生えている植物を見て、あれはクレソンじゃないか、と思ったのだが何となく止まることもなくシーズンが過ぎ去ってしまった。
だが今年は違う。
シーズン始まってそうそう、仲良くなったお客さんに尋ねた。
「あの、すみません、5分、いや3分だけ時間をもらえますか?」
「どうしたんですか?」
「いやね、実はここにクレソンが生えていましてね、いつか機会があったら採りたいなと思っていたんです。」
「どうぞどうぞ、やってください」
僕は水路にかがみクレソンを取った。
だが岸からでは手が届きにくい。
ドサッと取るには足を水に入れなくてはならない。
靴を濡らすのか。迷うこと2秒。靴は乾かせばよいことだ。
僕は水に足を踏み入れた。
一歩踏み入れてしまえば、あとは取り放題。
引っ張れば根っこごとスルスルと抜ける。
そうかクレソンは水草なんだな。
根っこはその場でちぎって捨て、あっというまにビニール袋いっぱいのクレソンが取れた。
その場でお客さんにも味見をしてもらう。
「本当だ、クレソンだ。美味しい~。いいですね、こんなのが簡単に取れるなんて。」
「でしょう。豊かとはこういう事なんです」
「うちにもちょっと貰ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ、大地の恵みはみんなでね」

さて、どっさり取ったクレソンをどうしようか。
知り合いや友人に配ってもまだまだたくさんある。
最初にやったのは白あえ。
豆腐が残っていたのでね。
クレソンはちょっとした苦味があるが、白あえにしたら臭みも消え、絶品。
次に試したのは鍋物。
これだと何の野菜か分からなくなってしまうな。でも旨い。
鳥の唐揚げを作った時にはどっさりと付け合わせ。
なるほど、これは肉料理に合うぞ。
生のシャキシャキ感と微妙な苦味が肉と一緒に食べることで中和される。
ううむ、やるなクレソン。
他にも、さっとゆでてゴマ味噌あえ。
これもうまい。

人間の欲とは果てしないもので、毎日のようにクレソンをたっぷり食べても、仕事の行き帰りに水路にびっしりと生えているクレソンを見ると採りたくなってしまう。
そろそろワラビも取れる時期で、今年はたくさん取って塩漬けにして保存しようと目論んでいるのだが、仕事が忙がしくなってきてブログの更新もままならない。
たかだがこれだけの文を書くのでさえ、気がついてみたら一週間以上もかかっている。
これからはもっと忙がしくなりそうで、ブログの更新もできなくなるかもしれないが、みなさん気長に待っていてください。
僕はクレソンを食べながら元気にやってます。
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夢のお告げ

2014-11-10 | 日記
繰り返し同じ夢を見る場合は何かを示唆している事がある、と何かの本で読んだ。
僕の場合、20代後半にスキーパトロールをしていた夢をよく見る。
それも2回や3回ではない。20回、30回という頻度なのだ。
夢というのはおぼろげな物が多いのだが、この場合は登場人物もはっきりしていて場所も明確。
ストーリーはその時々で変わるのだが、ドリフのコントのようなノリで面白いものが多い。
場所は新潟の妙高の辺り。
アライというスキー場に3シーズンいて、僕は人間関係のゴタゴタからその会社を去った。
未練はない、と思っていたのだが、これだけ頻繁に夢を見るというのは未練タラタラな証拠なのかもしれない。
しかも9月にやった仕事で、奇遇にもアライで出会っていた人とここニュージーランドで出会った。
これは何かあるか。
夢のお告げなのか。
そろそろ里帰りをする時なのか。
思い起こせば最後に日本に帰ったのは、9年前。
あの伝説のブロークンリバーウィークの時である。
正直な気持ち、9年も帰らないと、もう帰らなくてもいいかな、などと思ってしまうが、そろそろ帰るタイミングなのかなと思う気持ちも半分。
父親からは「死んでから帰ってくるな、生きているうちに会いに来い。」と言われたので「じゃあポックリ死んでくれ」と頼んだのだが、いまだに往生しないで生きているということは自分が行く時なのであろう。

というわけで日本に一時帰国することを決め、ここに発表する。
時期は来年4月頃。
場所は実家のある静岡、東京、横浜、長野、新潟、北海道の予定。
期間はまだ決めていない。
ふと思いついたことなのだが、ライブトークなんてどうだろう。
講演会なんてのはガラじゃないし、それならこじんまりとした場所で少人数でのライブ。
あおしろみどりくろ、トークライブ。
気分が乗ればギターを持ってマオリの歌なんかもありで。
自分で言うのもなんだが僕は現役のガイドである。
お客さんを楽しませる話術はあるし、噺のネタは数多い。
ここで出会ったお客さんは僕の話を喜んで聞いてくれる。
トークライブ、面白いと思うんだけどな。
まあ、なる時はパタパタと話がまとまるだろうし、ダメな時はだめだろう。
というわけなので、誰かこんな僕を呼んでくれる人はいますか?
受け身なのだが、呼ばれる所へ行こうと思っている。

本当なら自分の守護神である大国主命の祭ってある出雲大社にも行きたいし、ルートバーンの森に似ているという屋久島だって行ってみたい。
オッサンに大阪を案内してほしいし、四国や九州も旅してみたい。
元厚生大臣が招待したいと言った青森も行きたい、まあ政治家の言うことだから話し半分で聞いておくけどね。
昔、何シーズンか過ごした磐梯山の辺りも行ってみたいし、1シーズンだけ過ごした飛騨高山の辺りも懐かしい。
そういえば白樺湖の辺りでも何シーズンか過ごしたなあ。あの辺りはどうなっているんだろう。
なんだなんだ、もう帰らなくてもいいかな、なんて言っておきながら行きたい所だらけじゃないか。
これは未練か執着か。
でもそうやって考えると日本も魅力的な国だよな。
きっと今までに見えなかった日本が見えると思う。良い面も悪い面も。
それが今から楽しみだ。


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夏シーズン

2014-11-05 | 日記
山小屋が去り、一週間。
僕も旅立つ時が来た。
夏の仕事のためクィーンズタウンへ移動をする。
その日、娘と一緒にバス停まで犬の散歩をした。
娘も来年から高校生(日本では中学だが)で近所の高校に通う。
そうなったら父親と一緒に散歩なんてこともなくなるか。
家に戻り、女房を送り出した後、一人で出発の準備をした。
犬のココが感ずいたのだろうな、さびしそうに眺めている。
僕は犬に言った。
「俺がいない間、この家を守ってくれ。頼むぞ。」
ココに別れを告げ、僕は家を出た。

クィーンズタウンはその日、雪が降り冬並みの寒さだった。
夏の仕事が始まろうとしているのに雪景色。
冬に雪が降らなくてこの時期に雪、と言うのもなんだな。
ともあれこの夏はどういうシーズンになるか。
ブログの更新がおろそかになるかもしれないけど、気長に待っていてください。
明日は今シーズン初のルートバーンハイキング。
最低気温1度最高気温15度。
天気は晴れ。
新たなシーズンの幕開けである。
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山小屋が去った。

2014-11-02 | 
それにしてもこの1週間、僕らはよく飲みよく食いよく語った。
互いの家族の話、生活の話、山の話、旅の話、社会の話、過去の話、未来の話。
深い所で繋がっているので話を摺り合わせる必要がない分、話が早くさらに深い話ができる。
ニュージーランドへ来るまでのヤツの懸念は、ニュージーランドで中国人がやりたい放題の事をして嫌われ、日本人の自分もアジア人ということで一緒くたにされて差別を受けると。
それぐらいヤツが住む場所では大陸系の中国人が傍若無人のふるまいをしているらしい。
ここでも中国人とは断定していなかったが、アジア人の運転するレンタカーが道路の右側を走り、地元の車と正面衝突をして死亡事故があった。
観光バスの停まる場所では吸殻とゴミが増えたが、日本のそれと比べるとまだマシのようである。
山小屋のところでは、順序良く並んで待っている人のところへ団体で中国人が割り込んだり、大型バスを駐車場へ横付けして他の車が入れないようにしたりとか、聞いていて気が滅入ってしまう。
あげくの果てにはまともな事を書いても、それが元でトラブルに巻き込まれてしまう。
あわててその記事を削除する始末だ。
ではここで僕のブログの読者も一緒に毒見をしよう。
山小屋訪NZ記念ブログスペシャル、幻の記事をあなたに。





困ったものです。

海外のある旅行ガイド媒体や個人ブログ等にこのような記事があり、インターネットで拡散しているといいます。
要約するとこのような内容。

「日本(北海道)で困ったことがあったら、通りがかりの日本人に電話をかけてくれるよう依頼しなさい」
「日本人(北海道人)は親切なので、力になってくれます。」
「あなたのモバイル(携帯電話・スマホ)は使わなくても結構。高い電話代を払う必要はありません。」

一見、正論に見えますが、ちょっと違和感ありませんか?
いったい何の意味が隠されているんでしょう。

大抵の観光客は英語を話します。
また宿などの観光施設はだいたい英語を話しますので、ご本人が直接電話してきても何も問題はないのです。
ではなぜ、彼らは通りがかりのひとや地元のひと(場合によっては民家に飛び込む)を利用するのでしょうか。
ひとつは、日本人(北海道人)が親切だから。
親切心は、付け込みやすいのです。


こういうケースがありました。

あるカフェは毎週○曜日が定休日。
でもお客さんが知らずに来る。
CLOSED?怒!(本来、怒る場面ではないはずですが)
彼らは自分の電話は使わずに、たまたま目に入った近所の家にいく。
呼び鈴を鳴らし、対応したご近所さんに、ココに電話するように依頼する。
その旅行者が困っていると感じた住人の方は力になってあげようと閉店しているカフェに電話をする。
休日で休んでいたカフェオーナーは、表示された電話番号から近所の人からの電話だと思って出る。
すったもんだの結果、かわりに電話をかけているご近所の方は、
「困っているんだから店をあけてあげてもいいじゃないか!」と腹をたててしまう。
ご近所の方に迷惑をかけていることに困惑してしまい、結局、お店をあける。
彼らは貸切の店内で勝ち誇り、自分たちのスマホで記念撮影。ピース。
日本人ちょろい。

・・・。

朝早く到着した。
宿にチェックインしたいけれど、チェックインの時間は午後4時。いまは午前11時。
宿に電話したらやっぱり断られた。
そこで、近くにいたひとに宿に電話をかけてもらう。
以後、そのひとが代わりに交渉することになる。
それでもチェックインは不可。埒があかない対応にいら立つ交渉人。
ついに怒りだす。
困っているじゃないか。女の人は体調が悪いといってる!
(いつの間にか、ひとりが病人になってます。よくあることです。)

結局、宿の主人は渋々受け入れざるを得なくなります。
いつの間にか悪人にされてしまって、お気の毒なことです。
そして今回もうまくいきました。上場首尾。
日本人ちょろい。

・・・。


ガイドの山小屋も例外ではありません。
今シーズン、上記と似たことが、すでに10回以上発生しています。
まさに急増、です。
ある人など、レンタサイクル屋の当店にやってきてタクシーを呼んでほしいと頼むのです。
本末転倒ですがモメるのは嫌なので、こういうケースのために作ってあるタクシー会社の電話番号リストのコピーを渡して
公衆電話の場所を教えます。徒歩1分。
でもダメなのです。公衆電話はダメ、自分のモバイルもダメ。
ちなみにそのひとは英語を話します。私とのコミュニケーションは英語です。ちなみにタクシー会社の予約電話は英語可。
でも彼らは承知しません。

こういうこともありました。
宿に予約電話をしてほしい。
素直に応じたら、やられました。
宿にはとうとう現れなかったそうです。
無断キャンセルによる損害は私たちが被らなければなりませんが、それは免じていただきました。
しかし、その宿との関係は悪くなってしまいました。
まったく、ひどい目にあいました。

昨日のケース。
家族4人。途中でお母さん(推定40歳代)が自転車で転んでしまった。
「もう嫌!」すっかりご機嫌を損ねたお母さん。フラフラの重病人になってしまう。
迎えにきてほしい、という電話。もちろんその場に居合わせた方の携帯で、その方が代理でかけてきました。
以後、交渉はその方が代理で行います。
お迎えは有料です。1時間後に迎えにいきますと伝えたところ、交渉の雲行きは急変しました。
板ばさみになった交渉役の方が苛立ってしまい、
お客さんに対してひどいんじゃないか、という空気になってしまいました。
そのとき、ガイドの山小屋の店頭にはお客さんが大勢いて受付の順番を待っていました。
お店を閉めてお迎えにあがれるような状況ではありませんでした。たまたま、この日は私がひとりですべて対応していました。

いっぽう現地では、とうとう救急車まで呼んで大騒ぎになったようです。
急を知らせる一報がもたらされました。

これには参りました。

救急隊は、搬送しようとしたようですけど、本人は拒んだようです。(明日の札幌観光がパーになるし、入院させられたらお金がかかる、という理由)
簡単な処置だけをして、救急隊はまもなく去ったそうです。
しかしながら急を要する事態になり、私は追い込まれました。
午後からの大型バス2台の受け入れを断り、大勢のお客さんを追い払うようにして店を閉めなければならなくなりました。

そして駈けつけてみたら、おばさま無傷。
ただ、大袈裟に大根役者芝居をしているおばさんがいる。
「かわいそうな私」を精いっぱい演じていらっしゃいました。

それにしても、もうちょっとマシな演技できないんでしょうか。
こういう方をこれまで70人くらい見てきたのですが、
みなさん一様にまったく同じ芝居をします。
当の本人は一世一代の大まじめな芝居なので、平素は一応騙されて差しあげるのですが
さすがにこの日は笑えませんでした。

私はバスの受け入れを断り、店頭のお客様を追い払いました。
閉店の時間中もきっと何人もの方が来店されたと思います。

この一件で私の店は一気に信用を失いました。
大型バス受け入れは契約の上でのことですから、当然今後の取引は停止になります。
場合によっては慰謝料請求の可能性もあります。
そして、追い返したお客さんは、大変怒っているでしょうね。

大根役者おばさん。
なぜそこまでして回りを巻き込むのでしょうか?

呼んだタクシーに上機嫌で乗って、去っていかれました。


今シーズンは何かおかしい。

某海外ガイドブックの「親切心に付け込んでうまくやれ!」指南の存在。
これは大変困ったことです。
これからも被害は各地でどんどん拡大していくと思います。

巻き込まれるのは宿や観光施設だけにとどまらず、通りがかった旅行者、ご近所の方、電話をかけさせられるすべての人が巻き込まれます。
1円も使わずに要求のすべてを手に入れた彼らが高笑いを残して去ったあとに残されるのは、
電話をかけあった当事者の間の深い不信感の溝。

なぜ、私たち日本人(北海道人)同士がこうならなければならないのでしょう?

なんかおかしいですよね。
みなさん、どうか気をつけて。

自分のモバイルを使えばいいんじゃない?と突き放すことが大事だと思います。
ぎゃあぎゃあ大袈裟にわめいたり泣いたりしますけれど、それはほとんどの場合、大根芝居です。

騙されてはいけません。
関わってはいけません。
触らぬ神に祟りなし。です。

どういうケースでも、ご自分のモバイルで直接、私たち当事者に電話してくれたら、
すべて解決します。
彼らは必ずアイフォン持ってます。普及率は日本人以上です。
当たり前ですが、そのアイフォン、ちゃんと日本で使えます。
ただ、海外ローミングサービス(外国で自分の携帯電話を使用する)は、自国よりも割高なので、
使いたくないだけ。電話代も「親切な日本人」に払わせるわけです。
日本人ちょろいですから。

ただ、
外国人に慣れている観光施設の私たちは、そう簡単には騙されません。
電話してきても、サラリとかわされます。

だからこそ、彼らは中間に日本人(北海道人)を関与させて板ばさみにして利用するのだと思います。
うまくやろうとするんですよね。

本当に、外国人観光客はしたたかです。

ただ、勘違いしてはいけないのは、これは一部の観光客のすることです。全員じゃない。
国もアジア系というだけで特定できるわけではありません。
ただ、旅行ガイドの指南、個人ブログでの成果報告(?)の影響で、いままで姑息なことをしなかった人までもが
真似するようになった、ということが問題だと思います。

日本人ちょろい。
なんか、悲しいです。



※7月14日 記事の一部を加筆修正しました。

※7月17日 反響の大きさに驚いています。また同様の被害が各地でも広がりを見せていて、評判が低下することを恐れて誰にも相談できす悩んでいる方たちが多くいらっしゃることにも共感いたしました。
ただ、みなさん勘違いしないでいただきたいのです。親切心に付け込む人は日本人にもたくさんいらっしゃいます。親切をアダで返すニッポン人など珍しくもありません。外国人だからけしからん!というヘイトな考え方は全く見当違いだと思います。
今回は嫌なお話を書きましたが、ちょっと胸を打つようなお話やアジア系外国人青年の勇気のある感動的な行動など、私たちのお店だけでも数多くの「ちょっといい話」がございます。それらは相手のあるお話なので迂闊には書けませんが、「ひどい話」と同じだけの「よい話」があるということを言わせていただきたいのです。
特に台湾人の若者たちの言動や礼儀などにはハッとすることがあり、私たち日本人が忘れかけている「義の心」を見る思いをすることがございます。
私たち日本人は、ごく一部の外国人観光客の異常行動に怒りの声をあげるよりもむしろ、社会問題になっている一部の凶暴な高齢者など日本人のなかの理解不能な人たちを何とかしなければならないのではないでしょうか。私事ですが一部の凶暴な人たちのほうが私の店では脅威です。
インターネットの旅ブログやSNSなどに書かれてあった「成果報告」を真に受けて真似をしたり、「かわいそうな私」を大袈裟に演じたら想像以上に回りの反応が大きすぎて引っ込みがつかなくなったり。無邪気といえば無邪気なこと、私たちのごく身近にもよくある話ではないでしょうか。私は酷い目に遭いましたが、だからといって「外国人だからけしからん!」とは思っていません。日本人であろうと外国人であろうと、純朴な北海道民の親切心を逆手にとって利用し嘲笑うかのような行為は許せません。
借りたお金は返さなくてもいいなど、国や地域によっては私たちには奇怪と思える習慣があったりすることはよく知られています。日本人のハラキリやカミカゼもまた欧米人にとってはキチガイです。今回の記事では、「近隣の国にも私たちの常識とは違った価値観があり常識がある。小さな親切心はこういう手口で利用されることがある。旅人だからとつい警戒を緩めて手を差し伸べたら知らぬ間に巻き込まれてしまうことがあるのでご注意を」ということを言いたかったのです。
歪んだ形で解釈されないことを切に願っております。


以上転載終了



ふう、まあお茶でもどうぞ。
まともな事を書いてるじゃん。
これのどこがおかしいの?何故消さなきゃならないの?
と思って山小屋に聞いたらこういうことだって。
メールをそのまま転載する。






この記事、
なんだか全国的に話題になってしまって。
これが、拡散っていうんだね。
嫌韓嫌中の連中の恰好のネタになってしまってねえ。

ちなみに、韓国人はすごく礼儀正しいよ。
一般的な台湾人よりもむしろ礼儀はしっかりしてると感じる。
それにおれ全然、嫌韓じゃないし。

この記事が拡散していろんな電話があった。
地方自治体、政府系、商社系、いちばん困ったのは、報道機関の取材が始まったこと。
ブンヤさんが、来るんだわ。
忙しい時期に勘弁してよ。

記事になったらどうせ中国人けしからん、っていう記事書くんだろうね。
一部を切り取って大袈裟にわめきたてるのが彼らの仕事だからね。

中国人だって8割はまともな人なんだよ。
まあ、8割を低いとみるか高いと見るか。そこは微妙だけどね。

報道大手系は記事を消したうえで各社に説明して落着したんだけど、
こんどはスキャンダル系のいやらしい記事を書く出版社が張り付いてきそうになったので
記事を消したあとも、いろいろ大変だった。

いろんなところで同じ事件が同時多発で発生していることがどんどんわかってきて、
こちらの自治体(美瑛町)から北海道庁や政府観光局に対策の要望を出すことになった。

いやらしい系の出版社はコチラの自治体が話をつけてくれて、なんとかなった。
俺の筆が滑ったせいで、いろんなひとに世話になり迷惑をかけた。

本当の敵は、実は日本人だったというオチまでついちゃった。
ニッポンに住んでると、本音が書けない。
面白いこと書くネタはいっぱいあるけど、言葉を選ばないといけなくなってきたし、
例えば「きょうの中国人けしからん」なんて書くと、客足が半減して収入激減して
NZ旅どころじゃなくなるし。

ほんとはね。
「ガイド日誌」じゃなくて「きょうの事件簿」っていうブログを書くと
めっちゃおもしろいんだけどなー!

あああ、参ったね。

10月最終週にお世話になる予定でありますので
スパイツかDBそれからギョウザをお願いします。

山小屋



以上、メールの転載終了。
そうかそうか、そりゃ大変だな兄弟。
よっしゃ分かった、餃子とスパイツは任せておけ、と着いたその日に我が家の餃子でおもてなしをした。
その後1週間かけてヤツが「きょうの事件簿」に書きたいという事などを聞いたのだ。
それからこのブログにも書けないような、日本の田舎の人間関係のしがらみなど。
兄弟よ、お主、疲れておるな。
それならここで、素敵な人間関係を紹介してあげよう。
というわけで、週末にはリトルトンまでドライブしてマーケットへ。
友達の正平がバスキングをするということで、そこで落ち合い息子とオヤジと一緒に何曲か僕も参加。
息子の海人はギターのセンスがあり、オヤジよりギターは上手い。
将来はロックスターかと思いきや、本人はサッカー選手になりたいと。執着しないところがまた好い。
海人の小学校の校長先生がバンドマンで生徒を集めてロックバンドを組ませるなど、ニュージーランドらしくのびのびと育っている。
ゆとり教育ってこういうことじゃないのか?
娘のマナが小さいギターで参加。路上ライブデビュー。
あと数年すれば兄弟でユニットを組み、ステージにあがるかもしれないな。
正平家族とも波が合う気楽さで、互いの家を行ったり来たりする関係は数年になるか。







山小屋と正平を会わせたい、と思っていたらパタパタと話がまとまり、我が家で晩餐の流れとなった。
会うべく時というのは簡単に話がまとまるし、会わない時はどうやっても会えない。
正平が散らし寿司を作るというのでどんなのが来るかと思いきや、豪華絢爛な散らし寿司が来た。
白身魚の刺身のヅケ、ムール貝、エビ、イワシを濃い目に甘辛く煮たもの、我が家の庭からさやえんどうと錦糸玉子。
正平はここではレストランのシェフだが、日本で板前をやっていたのだ。
ここにあるものでこんな和食のご馳走ができる。
要はやる気と行動力。
山小屋と正平も案の定、意気投合。
波が合う人というのは話が早く、打ち解け合うのに時間がかからない。
気を使うことなく、酒と肴は旨く会話は楽しく、互いを高めあう。
互いが自分の芯を持っていると、他人を羨むとか妬むとか僻むとかそういう話にならない。
バカ話もあるが、明るく楽しく建設的な話ができる。
僕はいつものように酔っ払ってしまい、細かい所は覚えていないのだが、オヤジ3人で兄弟の契りのような話をした、ような気がする。
正平ともそれまでは「マサさん」「聖さん」とさん付けで呼び合っていたが他人行儀だし年も同じなんだし、お互い呼び捨てにしようと。
互いにオレ、オマエの関係だ。兄弟ならそうだろう。
呼び方というものは面白いもので、呼び捨てにされてカチンと来る場合と、呼び捨てにされて距離が縮まり心地よい場合がある。
それは互いの信頼感とか人間関係によるものなのだな。
正平はシェフ、僕と山小屋はガイドとジャンルは違えど深い所で繋がる絆は固い。
根底にあるのは、自分を見つめ自分ができる事をやり、媚びることなく相手をもてなす茶の湯の心。
自然から頂く恵みを無駄にせず、感謝を持ちながら美味しくいただく気持ち。
そして人としてどうあるべきかという想いからくる、自分自身に恥ずかしくない生き様。
その辺りが一致するとまあ世間で言う、馬が合うという間柄になるのだ。







楽しい時というのは時間が飛ぶように過ぎる。
あっというまに1週間が過ぎた。
我が家で癒され山小屋も心の充電もばっちり。
旅立ちの時が来た。
今回はクライストチャーチから北へ向かい南島の北の外れコリンウッドまで、そこから一度西海岸へ出てアーサーズパスを通りテカポ、マウントクック、そしてクィーンズタウンの王道コース、さらに南の外れインバーカーギルまで下りそこから北上クライストチャーチまでというルート。
何千キロになるのか知らないが、とにかく長い距離を自転車で走る。
旅立ちの日、北東の強風が吹き荒れた。
ちなみにヤツの進行方向は北東。
初日から思いっきり向かい風だ。
次に会うのはクィーンズタウンか。
それまでヤツはニュージーランドの風にもまれ、世間のしがらみを洗い流してくるだろう。
この旅はヤツにとって禊(みそぎ)の旅だな。
犬のココも別れを察知したのか、心なしか寂しそうである。
僕は山小屋に言った。
「兄弟よ、ありがとな、来てくれて」
「こちらこそありがとう」
「忘れるな。ここはオマエの家だぞ」
「おう、また12月に帰ってくるぜ」
そんな会話を交わし、ヤツは装備満載の自転車を向かい風に漕ぎ出した。







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