あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

竹原ピストルのライブを見に行った話。

2019-05-31 | 




今回は4年ぶりの帰国である。
久しぶりの帰国なので日本でしかできない事をしたいな、と思っていた。
真っ先に考えたのが、大好きな竹原ピストルのライブを見に行く。
調べると滞在期間では、実家清水に近い所で甲府でのライブがあった。
それも一人での弾き語り。それこそ一番見たいものだ。
甲府?行く行く行っちゃう。ニュージーランドからの数千キロに比べたら、清水甲府間の100キロぐらいなんて目と鼻の先だ。
だがすでにチケットは売り切れ。
そうか縁が無かったかと思いきや、あるサイトを見つけた。
それは音楽スポーツ芸能その他もろもろのチケットを転売するものだった。
昔はダフ屋だったが、今はこういうものになっているのか。時代も変わっているのだな。
それによると竹原ピストルの甲府公演のチケットが8000円で売っていた。
ちなみに定価は3800円である。
買う、買う、買っちゃう、オレ。
竹原ピストルのライブなんてニュージーランドに居たら絶対に見れないものだ。
いつもユーチューブとかで見て、こんなの生で聴けたらいいなと思っていた。
それが実現するなら8000円は高くない。
結局のところ、保険、送料、税金、その他もろもろで9800円となった。
ライブ会場で出会った人の話だと、それぐらいが相場なんだそうな。
ネットで予約したはいいがカードでの支払いが上手くいかず、清水の姪に連絡してコンビニで支払ってもらい、めでたくチケットを手に入れた。







ライブ当日、僕はお昼ごろの汽車を選んだ。
ちなみに静岡の古い人は、清水と静岡間を走る静岡鉄道のことを電車と呼び、昔の国鉄で今のJRのことを汽車と呼ぶ。
特急ふじかわ5号甲府行き。
清水駅近くの魚河岸でネギトロ丼、名物ハンペンフライ、それにビールを買い込んで僕は車上の人となった。
平日の車内はガラガラで4人がけのシートを独り占めする。
清水から富士までは東海道線。
右手には駿河湾が広がり、遠くに伊豆半島の山が見える。
正面には雲の上から富士山がチラチラと頭を出す。
海と山のある景色が僕の故郷の景色だ。
海と山と言っても日本海側とは全く違う。
上手く表現できないが、東海道の景色なのだと思う。
そんな風景を眺めながらビールを開ける。
興津、由比、蒲原、海沿いの町を抜ける。
普段ならこの時期は桜海老の時期で、蒲原あたりには桜海老を干すピンク色があちこちに見られるのだが今年はそうではないらしい。
今年は桜海老がとんでもない不漁で全く取れないと言う。
そのおかげでとんでもなく高い物となってしまい、僕が大好きな桜海老のかき揚げも1回しか食べれなかった。
地元の物で好きな物でベスト3は桜海老、しらす、そして黒はんぺんである。
その好きな黒はんぺんを肴にビールを飲みつつ、列車は富士川を渡った。
富士川は前日の大雨の影響でかなり増水していた。
前日は日本中どこも大雨で身延線も運休だった。
1日ずれたら東京まで出て、そこから中央本線で甲府までと、とんでもなく遠回りをする羽目だった。
富士からは東海道線から身延線へと変わる。
富士宮あたりの地形は富士の裾野であり、広くなだらかな勾配の大地が広がっている。
そこから列車は山間部へ入っていき、富士川に沿って走る。
窓からは農家の人が働いている様子が見え、田植えが済んだ田んぼが太陽の光を映す。
そういう景色を眺めながらビールを飲みつつ弁当を食らう。
僕が求めていたローカル線の旅であり、速さだけを求めた新幹線の旅とはおもむきが違う。
身延、下部温泉、鰍沢と越えていき、甲府盆地へ入り終点甲府へ着いた。






僕は甲府は初めてで、この町のことは何も知らない。
♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい、という昔の歌があったなあ。
今は情報が先走りする世の中なので、どこかへ出かけるにしても瞬時に見所やおすすめスポットが分かる。
でも僕はそういうスタイルではない。
もし見逃したとしたら、それはそれで縁がなかったのだろう、と考える。
思いもがけず、いい場所、いい店、いい人に出会うこともある。それもまた縁。
先ずはホテルへ行くのだが、駅を出てすぐに城跡が目に付いた。
ライブは夕方からなので時間はたっぷありある。
ホテルと同じ方向だし、先ずは登ってみた。
登ると言っても城が残っているわけではない。
小高い丘に登るぐらいのものだ。
それでも丘からは盆地が一望できた。
確かに完全に山に囲まれた見事な盆地だ。
僕は今回の旅から地形をよく見るようになった。
この山はどういう形をしているか、その横の谷はどうやって流れているのか。
ここまで山が張り出しているので町がどこにできたのか、そんな地形の見方をするのがなかなか楽しい。
武田信玄もここからこの地形を見ていたのだろうな。
ボランティアガイドの人が話しかけてきて、少し話をしてホテルへ向かった。
ホテルで自転車を借りて、ライブ会場の下見。会場までは自転車で5分ほど。
そのまま自転車で市内をぐるっと廻ってみたのだが、町並みもありふれた地方都市という感じで、これと言って面白いところもなくホテルへ戻ってきた。
身支度を整え、ライブ会場へ向かった。
いよいよだ。



全席自由席というのでかなり早くから並ぶのかと思いきや、会場はガランとしている。
開場時刻になると人が集まってきて、整理番号順に呼ばれた人から入っていく。
そういうシステムかあ、ちなみに僕は96番。
最後から4番目の入場だった。定員は100人らしい。
それでも運よく4列目中央やや右、わりと良い席がポッカリ空いていた。
開演時間となり竹原ピストルが出てきて一曲めのオールドルーキーを歌いだした。
思い起こせば数年前にタイが家に来た時に教えてもらってから、はまりにはまり毎日のように聞いていた。
自分でもコピーをして何曲か歌を覚えた。
その本人が目の前で歌っている。
感動と、はるばるここまで来た想いが混ざり、涙があふれて止まらない。
ライブで泣いたのはJCと武道館へクラプトンを見に行った時以来だ。
あの時も二人してボロボロと泣いたものだった。
ライブが進むうちに僕も落ち着いてきた。
ギブソンのギターが良い音を出す。
一人での弾き語りなので、とことんじっくり彼の世界に浸れる。
知ってる曲を何曲もしたし、新曲もいくつかあった。
曲と曲の間、MCでピストルが喋る。
「今度8月ぐらいに新しいアルバムが出るんですけど、今の歌もそれに入っているんです。」
僕は大きな声で叫んだ。「買うよー!」
「それを言わせたかったんだよねー」
暖かい笑いが会場に流れる。
こんなやりとりができるのも小さいライブハウスならではの物だろう。
ハーモニカのキーが違っていて、曲の途中でハーモニカをすり替えるハプニングもライブのうち。
「ハーモニカ間違えたままで終われるか」と言ってから再び熱唱。
アンコールに応えて再び現れてから、6曲ぐらいは演っただろうか。
いつもユーチューブで動画を見ながら、こんなの生で見れたらいいなあ、と思っていたものが現実となった。
人間には物事を実現させる力がある。
いつかその時がくれば、と思っていればその通りになる。
夢を見なければ事は始まらない。
僕はライブ会場を後にし、自転車で一人、夜の甲府の街へ飲みに出た。


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帰郷

2019-05-16 | 日記
急遽、日本に帰ることに決めた。
何かあったのか?と思う人も多いだろうが、単に里帰りである。
親父は常に「オレが死んでも帰ってくるな。生きているうちに顔を見せに来い。」と言っていた。
もっともな話である。
ならば生きているうちに会いに行こう、と思いついて前回行ってからすでに4年が経った。
「たぶんこれが今生の別れになるだろうから、ポックリ死んでくれ」と別れてから4年。
これがなかなかくたばらない。
憎まれっ子 世にはばかる、を地でゆく親父だ。
たまに電話をかけてもすぐに「おい、今、揚げ物やってるから切るぞ。」プツンと一方的に切られてしまう。
遠くにいる息子からの電話よりも、目の前の揚げ物の方が大切なのである。
去年も今年も娘が一人で日本へ行き、父親そして兄家族に会った。
息子が来なくても孫が来たほうがいいだろう、などと思っていたが気が変わった。

最近読んだ本で、主人公が実家に15年も帰らず父が死んでから帰り、父の話を周りからいろいろ聞く、という話だった。
そうだよな、たまには帰ろうかな。今年は忙しく働いて多少蓄えもできたし。
5月のゴールデンウィークで夏の仕事が終わり、6月末に冬の仕事が始まるまで、ほとんど仕事がない。
これは僕に限ったことではなく、NZで旅行業に携わるもの全て同じである。
なのでこの時期に一時帰国する人は多い。
今年は6月の頭に仕事を頼まれていたので、帰るとすればその前か後。
6月に入れば梅雨で暑そうだし5月にしようか、などと考えていたらニュージーランド航空で安いチケットが出た。
こういうのもタイミングだろう。
ほとんど衝動買いのようにチケットを取ってしまった。
今さらの話だが、昔は旅行代理店に出向くか、電話でやり取りをして航空券を取ったものだったなあ。便利になって何よりだろうけど、不便だったあの頃が懐かしくもある。
こうやって簡単にチケットが取れる世の中になり、世界は小さくなったのだが、故郷への道が一番遠い。
ふるさとは遠きにありて思ふもの、そしてかなしくうたふもの、なのだろうか。

5月頭にクライストチャーチでツアーの仕事が終わったので車を一度クィーンズタウンへ戻さねばならない。
そして夏の棲家の片付けなどをしてクライストチャーチへ戻ってきて、一段落してから日本か。
日本から5月終わりに帰ってきて6月頭の仕事をして、6月一杯かけてゆっくり冬の準備などすればいいな。
秋から冬にかけてはそんな具合かな、と思って日本行きのチケットを取ったのだ。
その直後に酒蔵の杜氏デイビッドから連絡が来た。
「そっちの冬が始まるまででいいから働いてくれないか?」」
ううむ、そう来たか、運命の神様よ、やるのう。
薄々、打診されていたが、前回に蔵で会った時にその話が出なかったので、僕は勝手に無い物だと思っていた。
さらにその直前には、7月頭に始まるスキーツアーのスケジュールが送られてきていた。
オハウというスキー場で1週間泊り込み、オーストラリアの高校生のスキー旅行の仕事だ。
6月に酒蔵で仕事となると、クライストチャーチの家の事が何もできないでそのまま冬シーズンに突入することになる。
正直な話、非常にあわただしくなるのだ。
このタイミングでこれかあ。
嫌ならやめればいいだけの話である。ノーと言える選択肢もある。
でもこれはこれで面白い。
こういう流れの時は、身の周りの物、全てがそれに合わせて動いていく。
目の前でバチバチとテトリスが組み合わさり予定が埋まっていく感覚である。
なにより直感がゴーサインを出している。
求められる所で働くのは嬉しいものだし、自分がやるべき事という感覚がある。
アロータウンの家は6月の間、空き家なので僕が入ればちょうどよいと言う。
それにこうやって杜氏に恩を売っておけば、一般には売りに出していない旨い生原酒をもっと飲ませてくれるかもしれない。
ただしせっかく帰ってきたのに、また家を空けるというのでは家族に負担がかかる。
女房殿に話をすると、二つ返事でOKが出た。
亭主元気で留守がいいと思っているのか、遠洋漁業の漁師とでも思っているのか、とにもかくにも出来たカミさんだ。
女房と漬物は古い方がいいと昔の人も言っている。
こうやって白紙だった予定が2ヶ月先までパタパタと決まった。

前回、日本に帰った時にはJRパスを使い日本中を飛び回った。
自分で言うのもなんだがこう見えても人気者で、僕に会いたいという人が数多くいるのだ。
できるだけ多くの人に会うために飛び回り、それはそれで楽しかった。
だが今回は期間限定、正味8日間の滞在で、あちこち行かずに地元静岡で大人しくしているつもりである。
会える人も限られてしまうが、何より主な目的は父親に会いに行く為。
でも会っても会話はいつもと同じで
「ポックリ死ねよ」
「バカヤロー、オレだってそうしたいわ」
というようなものだろうな。
「オレが死んでも葬式になんか帰ってくるな」
と常に言われて十何年にもなるので今回は言ってやろうかな。
「ほら、今だったらオレが帰ってきているからアンタの葬式に出れますよ。今が一生に一度のチャンスですよー。さあ元気よく三途の川を渡ってくださーい」
親父はどんな顔をするのだろう。



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夏の終わり

2019-05-09 | 日記
夏から秋へ。
季節は移り変わる。
今年はゴールデンウィークが10連休ということで、ニュージーランドに来る人も多かった。
連休の時期はまるで年末年始のような忙しさで、会社の予定表もびっしりと埋まっていた。
僕はツアーからツアーへという毎日で、非常にあわただしかったのだ。
この人とは二度と会わないだろうし会いたくもない、という出会いもあれば、たぶんまたこの人とは会うだろうというような出会いもあった。
今シーズン最後のツアーのお客さんは金持ちのお医者さん。
お客さん一人にガイド一人というものだった。
こういう時に相性が悪いと最悪だが、今回は波がバチっと合った。
本音で話しができる人というのは、一緒にいて楽である。
長いドライブの間でも話は尽きず、こちらも向こうも楽しい。
ビールとワインが好きというところでまた馬が合う。
食事も一緒に取るという仕事で、お客さんのおごりで高いワインを飲ませてもらった。
お返しに僕からは自家製ビールをご馳走したのだ。
へべれけにならない程度に飲んで、共に楽しい時を過ごした。
美味しい仕事とはこういうことを言う。



ツアー中、マウントクックに連泊した。
こういう時は天気も味方してくれる。
これ以上ないという晴天で山もばっちり見えた。
午後まるまる自由になったので歩きに出かけた。
行く先はマクナリティ・ターンズ。
どこでもそうだが、簡単に行けて景色がいい場所は観光客が多い。
そういう場所はゴミも多いし、うるさい。
じっくりと自然を味わうという気にならない。
それならば人の居ない場所へ行けばいいだけの話だ。
まがりなりにも山のガイドであるから、そういう場所も知っている。
この場所は存在しているのは知っていたが、遠目から眺めただけの場所だった。
歩き始めてしばらくは整備された道を行くが、そこからは踏み跡をたどるような歩きとなる。
そうやってたどり着いた場所は素晴らしかった。
村にわりと近い場所だが、人口構造物が一切見えないというのが良い。
もちろんゴミなど落ちていない。
完全なる自然の中に身を置く、という事は今の世の中では難しいことかもしれない。
自然の中にいると人間界の些細な出来事などちっぽけなことだと気づく。
山というのはそういうことを教えてくれるものだろう。



山の上にある池塘、小さな池は鏡のようにアオラキマウントクックを映す。
僕は手を合わせて拝む。
湧き上がる感情は感謝のみだ。
この天気に、こういう場所に歩いて来られる健康に、産んで育ててくれた親に、こういう仕事をくれた会社に、好きな仕事をさせてくれる家族に、そして山に。
手を合わせてありがとうございますとつぶやく。
この感情を持ち続ければ大丈夫だろうと、漠然と根拠無き安心感に包まれる。
こうして僕は夏の仕事を終え、家族が待つ家に帰った。
コメント (1)
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