あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ブーメランの法則

2009-07-29 | 日記
「ブーメランの法則って知ってるかい」
僕は2人のお客さんと一緒にテンプルベイスンのロッジでビールを飲みながら話していた。
お客さんは毎年のように帰ってくるリピーター。今までにもブロークンリバー、オリンパス、ハンマースプリングス、ライフォルドとクラブフィールドを滑ってきた。
今年はクレーギーバーンを滑り、テンプルベイスンも滑りたいというので1泊2日でやってきた。
今日1日ガンガン滑り、夜はまったりと居心地の良いロッジでビールを飲み交わしていた。
「ブーメランの法則とは、人に親切にすれば親切が還ってくる。人にやさしくすればやさしくされる。逆に人に悪いことをすれば悪いことが自分にかえってくるというものなんだよ」
2人はフムフムという感じで僕の言葉を聞いていたが、その時横のテーブルで飲んでいたグループの1人がビールを持ってきて言った。
「さっきはありがとう。助かったよ。まあ1本飲んでくれ」
僕は一瞬、何でこの人がビールをくれるんだろう、と戸惑ったがすぐに思い出した。
その日の午後ガンガン滑っているときに、1人の男の人がスキーを流して困っていた。あまり上手でない彼は一人ゲレンデの真ん中で立ち往生していた。
その友達がロープトー乗り場にスキーを持ってやってきて、居合わせた僕が彼の所にスキーを届けたのだ。
僕にとっては何てことなく、当たり前のことをしただけだったので、その出来事をすっかり忘れていたのだ。
「おうおう、ありがたく頂くよ。乾杯」
彼は自分のグループに戻っていき、僕はお客さんにビールを見せて言った。
「ホラね、還ってきたでしょう」
あまりのタイミングの良さに笑ってしまった。
その晩は遅くまで僕らは楽しく飲み続けた。

次の日は天気もパッとしないので滑らないで山を下ろうとなった。
朝、マウンテンマネージャーのベンが麓から上がってきた。いつも明るい彼なのだが暗い顔をして言った。
「ヘッジ、オマエの車もやられたぞ。車上荒らしだ」
テンプルベイスンの駐車場は国道脇にあるので、誰でも入ってこれる。
国道と言っても夜は車は全く通らない。
悪いヤツらが来て、窓ガラスを割り中の物を盗むのだ。
この日も僕の他に数台の車が被害にあった。
朝からロッジの中は憂うつな雰囲気となった。
山を下り駐車場へ着いて、車を見た。
横のスライドドアの大きなガラスが割られ、中にガラスの破片が散乱している。
荷物という荷物は盗まれていた。
お客さんの荷物も盗まれた。
ショックは大きかったが犯人を憎む気は起きなかった。
むしろ可哀相だと思った。
山を愛する人達を傷つけた罪は大きい。
それはブーメランの法則にのって自分の所に還ってくる。
天に向かって吐いた唾は己の顔に落ちる。
人を裁くのは人ではない。
天が人を裁くのだ。
純粋に山を愛するスキークラブの人達に、無用なストレスを追わせた犯人はこれから手痛いしっぺ返しが来るだろう。
それを考えると可哀相な気にもなる。
だがそれは彼等が自ら引き起こした事だ。
同情はしない。

帰りの車の中でお客さん同士が話をしていたのを聞いた。
「俺たちも荷物を盗まれて大変だけど、もっと大変なのは聖さんだよ。こんなに車を壊されて」
その言葉で僕の心は癒された。
僕はこういうお客さんを持って幸せだと思った。
この仕事をやっていてよかったと思った。
お客さんとの距離がまた一歩近ずいた。

後日、友人のタイの車がテンプルベイスンの駐車場から盗まれた。
数日後、僕はブロークンリバーのマウンテンロードでボロボロになったヤツの車を見つけた。
犯人達が乗り回して捨てていったのだろう。
犯人達の行動は何の関係もないブロークンリバーのメンバー達にも暗い影を落とす。
自分達の愚かさに気付かないまま、いつかは還ってくるであろう天罰というブーメランを大きくしている。

人が人を裁くのではない。
天が人を裁くのだ。

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誕生日

2009-07-21 | 日記
今日は僕の41回目の誕生日である。
昨日女房に「誕生日プレゼントに何が欲しい?」と聞かれた。
「うーん・・・・・・・。別にないなあ」
物欲が無いと言えばウソになる。
いい音のギター、いい車、があればいいなあと思うが、今のギター、今の車でも満足している。
欲しい物かあ、そうだなあ。
『どこでもドア』これは欲しい。
どこでもドアがあれば好きなときにパウダーが滑れる。
パウダーに飽きたらその足で南太平洋の島でダイビングなんてのもいい。
それから『タイムマシン』
タイムマシンがあったら、江戸時代の日本を旅してみたい。そのころの日本はきっときれいだっただろう。
エジプトのピラミッドを作ってる作業現場だって見たいし、ナスカの地上絵を描いている風景も見てみたい。
人間が入ってくる以前のニュージーランドをトレッキングなんてのもいいなあ。
あとは『スモールライト』これで地球上のゴミ問題は一挙に解決だ。
話が飛びすぎた。

欲しい物かあ。う~ん、やっぱりないなあ。
何故なら、欲しい物は全部持っているから。
そこそこのギターもあるし、身分相応の車もある。
スポンサーのおかげで高価なマウンテンギアも持っている。
借家とはいえ、居心地の良い家はある。
料理が上手できれいな女房もいる。
最近は生意気になってきたが可愛い娘もいる。
庭ではおいしい野菜ができるし、ニュージーランドでは水も空気もうまい。
アウトドアで遊ぶのに必要な健康な体もある。
毎年のように来てくれるお客さんもいる。
かけがえのない友人もたくさんいる。
他に何が必要だ?
何も要らない。
今あるものだけで充分満足だ。
つくづく僕は幸せだと思う。

無いものもある。
ストレス無し。
悩み無し。
迷い無し。
不安無し。
憂い無し。
40を越えて髪も無くなってきた。
借金やローンも無ければ、貯金も無い。
強いてあげれば隣りのクソ猫が家庭菜園にクソをすることが悩みの種だ。

人間とは何を持って幸せとするかだ。
最近読んだ本で、腎臓病の話があった。
そういう人は人工透析を受け続けないと死んでしまう。
長い旅行などはできないし、水分の摂取も限られる。
ビールやお茶をガバガバ飲めて、おしっこがたくさん出るというのは幸せなことなのだ。
世の中にはぜんそくに苦しむ人もいる。
当たり前に呼吸ができるということは幸せなことなのだ。
世界のある地域では食べる物が無い。
お腹一杯食べられるということは幸せなことだ。
国の政策などで家族が離ればなれに生きている人達もいる。
家族でそろって住めるということは幸せだ。
僕は当たり前のことに幸せを感じて生きていきたい。

こうやって書いている時に深雪が起きてきた。
「誕生日おめでとう」
僕にカードを手渡した。どれどれ。
『おとうさんへ おたん生日おめでとう。きょうクリップandクライム(インドアクライミングウォールへ家族で行くことになっている)楽しみだね。スキーつれていってくれてありがとう。I love you みゆき』
『聖様 お誕生日おめでとう。41歳楽しんで過ごして下さい。早くどこでもドアをつくって下さい。で、3人で日本に行きましょう のり子』

目頭が熱くなった。
僕はやっぱり幸せだ。

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ケプラー日記  5

2009-07-20 | 
翌朝、暗いうちに起き出す。
コーヒーを入れているうちに辺りが明るくなってきた。
コーヒーカップを片手に朝の散歩に出かける。
一面真っ白な朝もやに包まれ、木、シダ、コケ、土、岩、クモの巣、全ての物が細かい水滴をつけている。ベルバードの声が森に響く。美しい世界だ。
数時間前の夜の世界と同じでありながら違う世界。
朝の森のエネルギーを深く吸い込み深呼吸。文字通り深い呼吸は瞑想に通ずる。
小屋に戻ると何人かは起き出して行動を始めていた。ミホコ父もそこにいた。
「いやあ、おとっつぁん、お早うございます。よく寝られましたか?」
「ええ、もう、ぐっすりと」
「良かった良かった。お父さんは、今日は次の小屋までですよね。」
「そうです。もう一泊です。」
「じゃあ今日はゆっくりですね。昨日みたいなペースで歩いたら早く着いちゃうでしょうからね。まあ森を楽しみながら歩いてみて下さいよ。お父つぁんともここでお別れかあ。まあ、またどこかで会えますよね」
「ええ、ま、そうですね」
朝食を済ませ、荷物をまとめて小屋を出るときに親父が見送ってくれた。
「そんじゃ、おとっつあん、また会いましょう。気をつけて楽しんで下さい。」
「ええ、聖さんも気をつけて。あの・・・聖さん」
「ハイ?」
「あの・・・ミホコをこれからもよろしくお願いします。」
その言葉は僕にでなく、トーマスにだろう、と思ったが、それをその場で口に出すほどヤボではない。
「いえ、あの、そんなヨロシクだなんて・・・。それはこちらこそですから・・・」
あらためて言われるとドギマギしてしまうが、親の素直な気持ちだろう。僕の父だってこっちへ来た時に、僕の友達全員にそう言っていた。
その時の僕の言葉はゴニョゴニョと小さくなってしまったが、今ならはっきり言えるだろう。
「だーいじょーぶ、だーいじょーぶ、おとっつぁん。小屋の中にアンタの娘がしっかりやってる証拠があったじゃないの。娘さんは他の場所でのほほんと生きてるヤツより、よっぽど充実した生活をしているから」

親父に別れを告げ、僕は朝もや立ちこめる森を歩き始めた。
今日は1日森歩きだ。全体的に緩やかな下りでリラックスして歩けそうだ。
歩いていてもコケの美しさに見とれたり、ちょっとしたのり面で土ボタルのいそうな所で探したりするのでなかなか進まない。
しばらく歩いた所で森が開けた。頭上の雲は厚いが、朝もやは晴れて山は見える。
午前のポイントビッグスリップである。
トラックを離れ、岩場にザックを下ろし休憩。まだ歩き始めて1時間も経っていないのだが休憩。
気にいった場所があると迷わず休んでしまう。なかなか進まないわけだ。
目の前の大きな崖崩れは1984年1月の大雨でおきた物だ。ルートバーンにもその時にできた大きな崖崩れがある。
他にあちこちにも、僕の知らない所でこんなのがあるに違いない。
一体その時に何本の木が死んだのだろう。もしこれだけの人間が死ねば世間は大騒ぎなんだろうが、物言わぬ木が倒れても、それは自然界の一つの出来事なのである。
進行方向を向けば、遠くに谷の出口、そしてその向こうに雲に覆われた広い空が見える。あのあたりがマナポウリか。
旅も終わりに近づいてきたな。
僕は立ち上がり、大地にしっかり足をつき、深く息を吸い、止めて、ゆっくりと吐く。
見えないパイプは地球の核から僕の体を貫き、頭上の厚い雲を突き抜けその上にあるであろう青空、さらに上へ伸び無限の広がりの宇宙へと繋がる。
大地のエネルギーと天のエネルギーが胸のチャクラを開く。そのエネルギーは手足の隅々まで行き渡り、手がビリビリとしびれてくる。
こうなると、もう怖い物なしである。『木の気』も感じ取ることができる。
ブナの葉の上に手をかざすと、何かフワっとした暖かいものを感じる。
シダの葉っぱはもっと暖かい。これがコケだとフワっとした感覚はひんやりとしている。
植物によって気はちがうものなのだ。
気のせい?そう『気』のせい。ひょっとすると『木の精』なのかもしれない。
歩きながらでも、葉っぱの上に手をかざし木の気を楽しみながら歩く。
知らない人が見れば、何やってんだろこの人、と思うだろう。
ひょっとすると気味悪がられるかもしれない。
いい年したヒゲ面の親父が、歩きながら葉っぱに手をかざし、「おお」とか「わお」とか「うーん」とか「これはこれは」などと言い、ニヤニヤしてたら普通の人は寄りつかないだろう。
そんな歩きをしていると、ちょっとした台というか数mの段差になっている場所に出た。
一面クラウンファーンの森だ。休憩、休憩、僕はなかなか進まない。
クラウンファーンはその形が、昔の王様がかぶる冠のような形なのでクラウンファーンだ。ひねりは無い。
このシダが一面、森の奥、目の届かない場所まで地表を覆い尽くしている。
いろいろなシダが交ざるのもきれいだが、このように一つの種類がとてつもなくたくさん生えるのも幻想的で美しい。
無数のシダの葉は森を抜ける風にさわさわと揺れ、緑色の波をつくる。
そんな風景を見ながら昼飯。ハムチーズきゅうりサンドのランチも今日までだ。
歩き始めてすぐに森を抜けロッキーポイントという、文字通り岩がゴロゴロしている場所に出た。これまた休憩。
川に出て流れる水を手ですくい、飲む。
ウマイ水だ。
流れている水をそのまま飲める喜び。
南米ペルーを旅した時に、アンデスの山を歩いた。
きれいな清流が流れていたのだが、地元の人に飲んじゃダメだよ、と言われとても残念だった。
見た目にはきれいでも、人間には害のある菌かなにかがいるのだろう。
この国ではどこでも飲める。
これだけのことで僕は幸せになれる。
要はどれだけ水を飲むという単純な行為に意識を集中できるか。その時を深く味わえるか。
こういうことをするために僕はこの国に住む。
できればここでコーヒーでもいれてボンヤリしたいが、先はまだ長い。
僕は再び歩き始めた。

道はなだらかに下る。
トラックはよく整備され、道の脇には側溝がほってある。これがあれば雨の時に水は側溝に流れ道が痛まない。
日本ではこういう配慮がないようで、ミホコ父がしきりに感心していた。
ケプラートラックではケプラー・チャレンジという山岳レースがあるのでも有名だ。
これだけドラマのあるコースを早い人は6時間ぐらいで駆け抜けてしまう。
彼等は走るときにかなり神経がとぎすまされていて、そんなスピードで走りながらも、ここにこんな花が咲いているとか、この鳥がここにいたとか感じ取れるらしい。
ランナーのお客さんと一緒にルートバーンを歩いた時には、こんな所を走れたら気持ち良いだろうなあ、としきりに言っていた。
マウンテンランニングか。気持ちいいだろうなあ、それは。
自分もあと10キロ体重が少なかったらやるか?
いやいや、きっとその10キロ分はザックの中のビールとなり、あいかわらずえっちらおっちら山を登ることだろう。
視界の開けない森を歩いているうちにも、木々の向こうの山が遠くなっていくのが分かる。
標高も低くなってきた。今までなかったリムも姿を現す。
「やあやあ、リム君、ここでも会えたね」
細い棒状の葉を手で包む。この感触が好きだ。
まもなく急に視界が開け湖に出た。マナポウリだ。
水面は穏やかに静まり、厚い雲に覆われた空を映し出している。
遠くに見える対岸は人の住む世界だ。
湖から始まった旅は、山、森を経て湖に戻ってきた。
湖沿いに歩いていくと山小屋にたどり着いた。モツラウ・ハットだ。
この小屋にもやはりミホコの笑顔が貼ってある。親父よ、嬉しかろう、という思いを抱きつつ小屋を後にした。
すぐにシャローベイ・ハットの分岐点である。『レインボーリーチ1時間半、ハット25分』の看板。
寄り道、寄り道。将来、ひょっとするとシャローベイ・ハットを使う時が来るかもしれない。下見は必要だ。
僕はザックをシダの中に置いた。身が軽くなり、足取りも軽くなる。
道は一度湖に出て再び茂みに入りシャロー・ベイに着いた。ローカルのおじさん2人と会話を交わす。
こぢんまりとした小屋は定員6名。暖炉もある。薪になるような木はどこにでもありそうだ。
シャロー・ベイ、浅い入り江の名の通りなんだろう。子供が泳ぐのにも良さそうだ。
湖の向こう正面は、今日自分が下ってきた谷間、そしてラックスモアも見える。
ふうむ、悪くないな。駐車場から1時間半ぐらいで来れるだろうし、問題はサンドフライか。

いろいろな想いを持ちつつハットを背にする。
荷物の場所まで戻り、ザックを担ぎ先へ進む。
あと1時間ぐらいでこの旅も終わる。
湿地帯に脇道あり。開けた場所から山が見える。
風がでてきた。のんびりと休むような気分になれない。
疲れてきたのだろうか。今を集中するよりも、この先、旅の終わりに意識は向いてしまう。
その先で吊り橋を一つ越える。フォレスト・バーン。昨日の昼飯を食った場所から流れだしている川だ。
川面を見つめること数分。
想いは昨日の尾根歩きへ飛んでしまう。今この瞬間ではない。
そろそろ潮時だろう。
このトラックはレインボーリーチで終わった方がドラマチックだな。トーマスの言う通りだ。人の話は素直に聞くもんだ。
見慣れたワイアウ川沿いの森を抜け、レインボーリーチの吊り橋を渡り、僕は一つの山旅を終えた。


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ケプラー日記  4

2009-07-19 | 
下りは早い。
トラックが整備されているのであっという間にさっき見えたジグザグ道の上に出てきた。
ここから数分で森の中に入ってしまう。小屋までは1時間ぐらいでつくだろう。日はまだ高い。
ビューポイント10分の看板。僕は迷わずビューポイントへ向かった。
ザックを置き、岩の上に腰を下ろす。アイリスバーンの谷の彼方にマナポウリの湖が見える。
ラックスモアの山頂から違う角度でこの湖を眺めたのがわずか数時間前。ずいぶん長い旅をしたような気分だ。
今回の旅もドラマチックだ。これがこの国の素晴らしさだ。わずか数時間でのドラマチックな景色の変化、さすがグレートウォークである。
尾根から道はジグザグに下る。さっき休んだシェルターから見えていた道だ。
森に入れば景色はなくなる。ふと足を止めシェルターを見上げ、僕は森に入った。

森に入っても下る下る。この区間はコース上、もっとも急な場所だ。
と言っても道はジグザグに切ってあるので急勾配の坂ではない。気持ちよく下れる程度の坂だ。
あっというまに森の密度が濃くなる。
コーケキコキキョ、キョンキョンキョンキョン。ベルバードの鳴き声が森に響く。この谷間のベルバードの声はこうなのか。
ベルバードという鳥は谷間ごとで鳴き声の音程、要は歌声が違う。
ルートバーンとミルフォードでは違うし、ここケプラーでも違う。
平野部では何となく標準の歌のようなものがあるが、狭い谷間では代々歌い継がれたベルバードの歌があるのだ。
小屋に着き、荷物を置き、滝を見に行く。歩いて20分ぐらい、川沿いの平坦な森歩きだ。
アイリスバーンの川は緑色だ。ルートバーンの川も緑色だが、それとは明かに違う緑色だ。
緑と一口に言っても、明るい緑もあれば暗い緑もある。黄緑もあれば青みがかった緑もある。
僕がよく言うのは、この国の森はくすんだ緑色、という表現だ。
だがこの川の緑を何て言えばいいのだろう。
ちょっと深みがかった、それでいて澄んでいる緑とでも言おうか。
開高健ぐらいボキャブラリーがあれば、きっとうまい言い回しもあるのだろうが。言葉というのはどうしても限界がある。
滝へ行く途中でミホコ父と出会う。
「あらー、おとっつぁん。どうもどうも。何時位に着きました?」
「4時20分ぐらいかな。上は風が強くて寒かったのでわりと早く下りてしまいました」
「そうですね、今日は寒かったですね。まあ、又後で小屋で一杯やりましょう」
アイリスバーンの滝で顔を洗い、水を飲む。水は冷たく目が覚めるようだ。
ブーツを脱ぎ蒸れた足を水に浸す。足の感覚はすぐになくなり、つま先がしびれてくる。冷たい水だ。
小屋へ戻り荷物を整理して、ビールを片手にテラスへ。
小屋の前は森が開けていて、その向こうに山が見える。日はかげってしまったが周りはまだ明るい。
ミホコ父はすでに手持ちの酒で一杯やっているところだ。
今日もまず大地に、そして親父と乾杯。
「すみません、おとっつぁん、今日はもうビールが1本しかないので、これはゆずれません」
「いやいや、私は今日はこれです」
親父は日本酒をカップにつぎチビチビとやりながら言った。
「今日は風が冷たかったですねえ。出発前に娘が『寒くなると困るだろうから』と帽子と手袋を貸してくれたんですが正解でした」
「そうですね、この国は真夏でも雪が降りますしね。僕は標高の高い所へ行く時は夏でも、冬並みの装備をします」
「私は日本で岩山とかをやっていたので、正直トレッキングというものをバカにしていたところがあったんです。でもこの国を歩いて、こういう山の楽しみ方もあるんだなって思いました」
「そう。バカにできないでしょ。景色の変化とかもすごいし。それに一歩間違えば遭難だってありますね。今日の尾根なんかもっと風が強くなれば吹き飛ばされることだって考えられますよね。この国の自然はなめると痛い目にあいます。僕も何回か痛い目にあってますよ。ガハハ」
親父頷く。
「それから、昨日から見ていたんですが、色々な人が色々な物を食べているなあって」
「そうですね。人によってはカップラーメンだけなんて人もいますし、ちゃんと肉と野菜を持ってくる人もいる。ほとんどの人はフリーズドライでしょうね。日本なんかフリーズドライの美味しいのがあるんじゃないですか?」
「ええ、次回来る時はおいしい携帯食をもっと持ってきます」
「まあ何をどう食べるかはその人の価値観次第ですね。僕はビールが最優先ですけど。ガハハ」
横で本を読んでいたおばちゃんが話しかけてきた。
「あなたがた、日本人?」
「はい、クィーンズタウンでトレッキングガイドをしています。この人は友達のお父さん」
「ずいぶんくつろいで、ローカルみたいだわね」
僕はビールの缶を目の高さに上げおばちゃんに見せた。ラベルにはPride of south (南の誇り)の文字。
「こいつを20年近くも飲んでるんですよ」
「まあまあ、じゃあすっかりキウィね」
「おばちゃんは、どちらから?」
「オーストラリアのメルボルンよ。私は旦那とアウトドアショップをやっていて、今回は店で売っている物を自分達で使うためにトレッキングに来たの」
「どうりで良いギアを持ってると思った」
「あなたのそのジャケットだって良さそうじゃない。ニュージーランドでは売っていないでしょ」
「これはスウェーデンのメーカーですね。日本の代理店がスポンサーで、用具を提供してくれるんですよ」
「そう、いいわね。私達が日本に行ったときにシガのホテルで見たわ」
「シガって志賀高原?スキーで」
「そう。あそこはいいわねえ。それ以外にもノザワとかハクバとかで滑ったわ」
「へえ、オージー(オーストラリア人)はみんなニセコに行くもんだと思ってた」
「私達は日本に何回も行ってるけどニセコには行ったことがないわ。知り合いで日本に詳しい人がいて、その人はガイドではないんだけど、ニセコ以外のスキートリップの手配をしてくれるの。滑ってはいないけどトガクシにも行ったわ」
オージーにもこういう人はいる。
「ふうん、似たような人はいるんだな。僕の友達はキウィだけど日本へのスキートリップをやっています。妙高、野沢、白馬、わりとマイナーな場所に行くツアーでね」
こうなると僕の専門分野だ。話はあっというまに盛り上がる。日本のパウダースキーの話、ニセコに大挙しておしかけるオージーの話。そしてニュージーランドのクラブスキー場の話。
一通り話が盛り上がった後、おばちゃんが小屋の中へ入っていった。僕は再びミホコ父と酒を飲む。
「今のおばちゃんは日本へ滑りに行ったそうです。野沢とか白馬とか志賀とか戸隠とか行ったそうですよ」
「そうですか。私の在所もあの辺でね」
「へえ、おとっつぁん、もともと長野だったんですか」
「ええ、まあずいぶん前に横浜に出てきたんですがね」
「ぼくはあの辺りはあまり詳しくないけど、戸隠は好きです。何か力強いパワーがありますね」
何年も前に戸隠へ行ったが、その時感じた何かは今でも忘れられない。
森、山、神社などの人の営み。街のどこからも気が漂い、不思議な空間だったことを覚えている。日本にも良いところはいくらでもあるのだ。
「聖さん、何で戸隠っていうか知っていますか?」
「知らない、知らない。教えて下さい」
「天照大神が天の岩戸に立てこもった話は知っていますね。その時、岩屋を塞いでいた戸が落ちてきた場所が戸隠。戸を隠す、ですね。」
「なるほど。それで戸隠ですか。あそこは神社の奥のほうから登山道がありますよね。僕は登山道の入り口までしか行ってないんですが、道沿いにお地蔵さんみたいなのがたくさんあって不思議な雰囲気だったのを覚えています。いつかは歩いてみたい場所の一つです」
親父が頷き、酒をちびりと飲む。時間はゆったりと流れ、僕らを包む。

この小屋の中にもミホコの写真が貼ってある。
親父はさぞかし嬉しかろう。誇りに持つだろう。
親が子供に求めるものは何だ?
無理矢理自分のそばに住まわせ、自分の老後の面倒を見させることか?
違う。それは自立できない老人のエゴだ。子供に依存している。
子供がどこに住んでいようが、毎日を明るく楽しく正しく幸せに生きる。それこそが親が子供に求めるものだろう。
娘が孫を背負って山を歩き、地域のコミュニティの中で居場所を見つけ、やるべきことをやり、周りから認められている証しの写真がどの小屋にも貼ってある。
山をやる親父にとって、これほどのプレゼントはない。
これこそが親孝行である。
僕の思惑など知らない、というように、ポスターのミホコは輝いていた。

小屋の消灯は10時だ。
僕は一人、夜の散歩に出かけた。
森の中に入り、小屋から少し離れた辺りでヘッドライトを消す。
森の奥でキーキーと笛のような声がする。キウィだ。
別の方向からはモーポーク、ミミズクのホーホーという声。
黒い森の中で青白い光が目に入った。土ボタルだ。
道の脇、側溝の中にいるのだろう。上から草が覆い被さるように生えているので、立ったままだと見えにくい。
しゃがんで視線を低くして、闇の中の淡い光を眺める。
じっと息をひそめて光を見ていると、光は上下に動いたりあるところでは左右に動いたり、かなり活発だ。
土ボタルはホタルと言っても日本のホタルのように空を飛ばない。
小さなミミズのような蚊の幼虫が、洞窟などの天井からぶら下がり光を出し、光に寄ってきた虫を捕まえて食ってしまう。
その幼虫だって成虫になり卵を産めば別の虫に食われてしまう。
人間にとって幻想的に見えても、弱肉強食の世界なのである。
洞窟や崖っぷちのハングになっている所から、縦糸が何本も垂れ下がり横糸で繋がれる。土ボタルはこの糸を伝い上下左右に動く。
腹が減っているヤツは光を強く出し活発に動く。
止まっている光は「ワシは今そんなに腹減ってないけんね。ちょっとゆっくりしよ」といった感じでじっと動かない。
夜の森で一人。僕はこの瞬間を楽しむ。人生の意義とは、どれだけその時を深く感じ取れるかだ。そしてそれは手の届く所にある。
ライトの明かりを頼りにブラブラと歩く。野生動物に脅えることなく安心して時間を過ごせる。この国は楽園だ。
今日下ってきた道を少し上り再びライトを消す。
山ののり面にチラホラと淡い青白い光が浮かぶ。
上からの視点だと草の影で光りが見え隠れするが、山際に来ると視点が変わり、わりと遠くの明かりまで見える。
また別の方向でキウィが鳴いた。
青白い光達、昼とは違う鳥の声、木々のざわめき。
森の住民達の夜の営みは、ここに僕がいようがいまいが毎晩行われる。
そのうちの一晩、この身を夜の森に浸す。
よそ者である僕を森は暖かく包んでくれる。
ゆっくりと、深く呼吸を繰り返す。
股の下から伸びている見えないパイプは地球の中心まで届き大地と自分を繋げる。
同様に頭のてっぺんから伸びているパイプは頭上の雲を越え、夜空を貫き、無限の広がりの宇宙へ繋がる。
落ち着いて、呼吸を繰り返すごとに地のエネルギーと天のエネルギーが体に入り、胸の辺りで繋がる。
なんとなく胸の辺りで何かを感じる。これが本に書いてあったハートチャクラか。
気のせい、といえば気のせいだろうが、それはホントに『気』のせいなのかもしれない。
森が与えてくれたこの瞬間を僕はこころゆくまで楽しんだ。

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ケプラー日記  3

2009-07-15 | 
翌朝、暗いうちに行動を始める。
昨日の晩リチャードが、日の出は8時ぐらいだと言っていたのだ。
コーヒーを入れているうちに東の空が明るくなってきた。早起きの人達もポツリポツリと起き出した。
コーヒーを片手に日の出がよく見えるポイントへ向かう。
小屋から2,300m離れると展望が開ける。テアナウの街明かりも良く見える。
しまった、なぜ昨日の晩ここに来なかったのだろう。
テアナウの夜景が見られるなんてめったに無いことなのに。
雲は多少あるがおおむね晴れ、ただし風はある。東の山の上にある雲がピンクに染まる。この美しさは一瞬のものだ。そう思った通り、すぐに色はあせてしまった。
そして今度は、日が出るだろうという場所の雲が金色に輝き始める。山の連なりから一筋の光が高い角度でその上にある雲を照らす。光の筋は徐々に角度を変え僕のいる場所までやってきた。
光は神々しく輝き、一筋だったものが量を増やし横に広がる。やがてはっきりと球体の一部という確認ができるような大きさとなり、さらに量を増す。光はさらに昇り半円から完全な球体となった。夜明けだ。
何千万回、いや何億回この神々しい儀式は繰り返されてきたのだろうか。そのうちの1回を僕は体験した。
僕がこの場にいようがいまいが日は昇る。だが今日という日のこの瞬間は二度と来ない。この瞬間を味わい肌の奥で感じ取る。その幸せは永遠に続き、この感覚こそが自分の生きる証しでもあるのだ。
満ち足りた想いで小屋に戻り朝食。朝飯はポリッジ、押し麦を煮たものだ。
こちらの人はこれに砂糖やはちみつをかけ甘くして食べるが、僕はこれに味噌汁の元を直接入れ、おじやのようにして食べる。
日本のお客さんにもこの味噌ポリッジは評判が良い。腹持ちも良く体も温まる。お通じにも良い健康食品なのだ。
ミホコ父は荷物をまとめ一足先に出発。僕に頼らないで、自分のペースでやってくれるので楽だ。こちらも余計な気を使うこともない。

小屋を出てからは昨日見えていた斜面を登る。あいかわらず風は強い。
ビール4本、食料などを消費したのでザックも心なしか軽くなっている。
一段上のテラスに出ると先を行く人が見える。あそこへ登るのか。
見た目には遠く見えるが、いざ自分が歩いてみると15分ぐらいでそこの場所へ来てしまう。
これがこの国の山歩きの不思議なところで、かなり遠くに見える場所でも歩いているとあっというまについてしまう。
景色はどんどん変わり、歩いていてあきさせない。ほどよい変化、これがいいコースの条件だ。
斜面の途中で立ち止まり、後ろを振り返る。ラックスモア・ハットはもう見えず、ずーっと下のテアナウ湖。
湖の脇の森には小さな湖が点在し空を映している。ヒドゥン・レイクス、隠れ湖だ。
昨日通ってきた森の奥にはあんな場所がある。隠れ湖の名の通り、地上からは見えない。そこへ行く道もない。高台に出て初めて存在を現す。
この国にはこんな場所がたくさんある。奥が深いのだ。人間が簡単に行けて見えるものは、ほんのわずかだ。
一つのコーナーを曲がるとテアナウ湖のサウス・フィヨルドが視界の奥へ伸びる。幅は2,3kmぐらい。ここだけ見て、川だ、と言われればそう思ってしまう。この支流だって見えているのは10kmぐらいだろうか。見えなくなってまだ10km以上も支流は続く。奥は深い。
マウント・ラックスモアの北側の斜面をトラバース気味に登る。
リンドウが弱々しく、夏の終わりにしがみつくように花を咲かせている。
足元にはごま塩を振ったような花崗岩のかけらが目立つ。
すぐにラックスモアの山頂が見えてきた。道は右から回り込むように延びている。まっすぐ登っちゃえば近いのに、と思うと看板が出てきた。
『ラックスモア山頂への道 400m先』みんな考えることは同じようだ。
400m歩くと分岐点である。山頂10分、の看板。
どうせここに戻ってくるのだからザックを置いて行くか、と一瞬考えるが、いたずら者ケーァがうろうろしている。
チンパンジー並みに知能が高いヤツらは人がいなければザックのファスナーを開け、中の物を盗んでいく。
以前ロブロイをガイドした時に、お客さん用のビスケットを袋ごと持って行かれたことがある。
たいした距離でもない、ザックは背負ったまま歩こう。
分岐からはゴツゴツした岩場を登る。尾根上の風はさらに強く、突風が吹くとザックごと体を持って行かれそうになる。
今日は南風が入っているのか、風が冷たい。僕は毛糸の帽子、マウンテンジャケットに手袋のいでたちだ。
そんな中、Tシャツ一枚、小さなザック一つの日本人らしき青年が登ってきた。あっというまに僕に追いつき言葉を交わす。
「寒くないのかい?」
「少しだけ」
そして青年はあっというまに山頂に向かっていった。数分後、僕がえっちらおっちら登っていると青年が下ってきた。止まって言葉を交わす。青年は日本人でオーストラリアにワーホリで来ていて、ニュージーランドには3週間いると言う。日本では八ヶ岳の山小屋で働いているようだ。
「こういう山歩きをしていると3週間じゃ足りないでしょう?」
「そうですね、良さそうな所はたくさんありますね」
「このコースだって君の体力なら1日で1周できるだろうけど、そうなるとこういう所で止まってじっくり景色を見るということもできなくなる」
「そうなんですよ」
「例えばここにエーデルワイズが咲いているでしょう」
僕は足元を指さして言った。岩場の隙間にひっそりとエーデルワイズが白い花を見せている。
「へえ、これがニュージーランドのエーデルワイズなんですか。日本のとは違いますね」
「うん、僕は日本のエーデルワイズは知らないけどね。この花を触るとフワフワして気持ちいいんだよ。僕はこういう時間をとるのが好きでね。まあ次回はたっぷり時間をとっておいでよ」
「そうします。それでは又」
「うん。又どこかで会おう」
青年はあっというまに視界から消えていった。
百人いれば百通りの山歩きがある、というのが僕の持論だ。人がどういう歩き方をしようが、それはその人次第であり他人が口をはさむべきではない。自分の楽しみを見つけ、自分の体力や時間にあった山歩きをすればよい。
人生もまた然り。己を知るというのは山でも人生でも共通する。

マウント・ラックスモア、1472mの山頂に立つ。
今まで何回この山を麓から見たことだろうか。
ここからの景色は写真で見たことがある。友人も何人もここを歩いており、話は聞いている。
人は話を聞いて映像を見て、まるで自分がそこに行ったような錯覚におちいってしまう。だがこの身をその場に置くというのは完全に違う物だ。
道はよく整備され難しい山ではない。アクセスも良く、日帰りでだって簡単に行ける。
だが簡単に行ける山ゆえに、いつでも行けるという気持ちもわく。
登るという確固たる意志がなければ、どんなに簡単に行ける山でも遠い山になってしまうのだ。
感覚というものを人に伝えることはできない。
僕がこの山に登り、この景色の中に身を置く感覚。これは自分だけのものだ。そしてこの瞬間を感じ取る、これこそが人生の意義でもある。
深く呼吸を繰り返す。大地からのエネルギー、そして空、宇宙からのエネルギーを感じ取り、自分の中で融合させ心を通して手足に送る。
これはハトホルの呼吸法というもので、一種の瞑想のようなものだ。僕は自然の中でこれをやるのが好きだ。
今回もハトホルの書という分厚い本がザックの中に入っている。
山頂は風が吹き荒れているが、風下の岩陰に入ればピタッと止む。こんな場所なら何時間でも居られる。
そうだ、テアナウベースのトキちゃんに電話をしてみよう。ここなら電波の通りも良いはずだ。電話をするが留守番メッセージになってしまった。
「えー、トキちゃん。只今ラックスモア山頂に居ます。天気晴れ。北西の風、強風。テアナウの街が良く見えます。トキちゃん家の庭のレモンの木まで良く見えます。ではまたね」
実際には遠すぎて家など見えないのだが、ホラとマラはデカイ方がいい。すぐにメッセージが返ってきた。なになに?
「うちらはいつも通り公園で遊んでいます。ヒッジが山頂でまったりしてるのが見えるよ。気をつけて楽しんでね」
公園から息子のジョッシュが山を見上げているだろう。文明の利器とは便利なものだなあ。
やがて僕より遅れて小屋を出た人達も到着し、山頂付近は賑やかになった。
するとそれを待っていたように6羽ぐらいのケアも姿をあらわす。
ヤツらは明かに風を楽しんで遊んでいた。
風は岩壁に当たり真上に吹き上がる。
その風に乗り垂直に上昇する者。山頂の標識のてっぺんにくちばしを差し込み、それを支点に風を受け体を浮かす者。風に乗りものすごいスピードで急降下する者。
人々はそれを見て喜び、写真を撮りまくる。
ケアは明らかに人を意識して風に舞う。自分達はこんな事ができるんだぞ、というデモンストレーションだ。
地を這う人間は指をくわえてそれを見るのみ。

いつまでもここにいるわけにもいかないので強風の吹き荒れる中、僕は再び歩く人となった。
右手にはテアナウ湖、遠くには今日これから行くトラックが見える。
尾根に出たり山を巻いたりアップダウンを繰り返しながら進む。
下りになると損得勘定がはたらき『この先まだ登るのに』と何か損したような気分になる。
人間の心とはあさましいものだ。
そんな歩きをしていると、馬の背のような場所にフォレスト・バーンのシェルターが見えてきた。
ここでランチストップ。
風がかなり強いので尾根から数m下りたタソックの中にどかっと腰を下ろす。
わずか数m尾根から離れただけで、周りは静かな世界となる。
満ち足りた気持ちでハムチーズきゅうりサンドを作りほおばる。
目の前に広がるのはフォレスト・バーンの谷間、その先の湿地帯。
その先はテアナウとマナポウリを結ぶワイラウ川へ流れ込む。
川は遠くに見えるコブを巻くように蛇行して流れる。
明日はこの流れを越えるはずだ。
右手には壁のような山があり、今日泊まるアイリスバーンはまだまだ先だ。
僕はここでもハトホルの呼吸をする。これの良いところは10秒もあればできることだ。
心を落ち着かせ深く息を吸い、胸で大地のエネルギーを感じ取る。ため息のように息を吐き、今度は頭のてっぺんから深い呼吸と共に天のエネルギーを取り入れる。
10秒でできるが瞑想状態になればいつまででもやっていられる。こんなことをやっていると時間がいくらあっても足りない。
再び尾根上に出ると、今までの静けさがウソのような強風とテアナウの湖面。
そんな景色を見ながら大きな斜面をトラバースしながら登る。
先行く人がちょっとした脇道で見晴らしの良さそうな場所に立っているのが見える。よし、あそこへ行ってやろう。
本道はでっぱりのような丘を迂回して下るが、こういうサイドトラックは行くべきである。
でっぱりまで行って景色を眺め深呼吸。
シーナマコト風に言うと、頭のすぐ上を雲がグワングワンと流れる。
エバーラスティング・デイジー、花の寿命が長いので『永遠に咲き続ける菊』と呼ばれる花もシーズン終わりを迎え、半分枯れた花が強風の中で揺れている。
秋だ。
タソックの中を下り、本道に合流。すぐにハンギングバレーのシェルターに着いた。ここもまた休憩ポイントなのだ。
ハンギングバレーというのは吊り谷という物で、氷河が造り上げる地形の一つだ。
大きな氷河は重さも多いので地面を深く削るが、小さい氷河は軽く深くは削れない。
大きな谷間の横の壁から一段高い所に吊るように谷があるので吊り谷と言う。
ここへ来れば吊り谷が良く見えるだろうと思っていたが、どの谷も見方によっては全て吊り谷。
目の前の谷も吊り谷なら右手の尾根の向こうも吊り谷、向かいの山にいくつかある谷も吊り谷。そんな場所だ。
ここから道は今まで通ってきた本尾根から支尾根へ向きを変え下る。登りはもうない。
下の方には森の中へ入るジグザグの道が見える。
「あそこか」
僕は独りつぶやいた。
シェルターを出て下り始めたら、昨日と今日つきあってくれたテアナウともお別れである。
僕は何となく湖に向かって手を合わせ頭を下げた。
40にもなると今まで出来なかったことも自然とできるようになるものだ。
下り初めて数分、道の脇に白い物発見。ティッシュのカスだ。
ティッシュはそんなに汚く見えなかったのでゴミ袋に入れて持って帰ろうと思い、拾おうとした瞬間、僕は見てしまったのだ。
何か茶色っぽい物がティッシュについているのを。
その茶色い物が土なのか他の物体なのか知らないし、そんなの確認するのなんて絶対イヤだ。そこまでやる義理もない。
僕の『ゴミを持ち帰ろう』という気持ちはヘナヘナと萎え、棒きれで草の下に押し込み石をのせた。
「全くもう、こんな所に捨てやがって」
僕は一人、毒づいた。
しかしこの世には善悪などなく自分の心があるのみ。その心さえも無にしてしまうのが禅の教えだ。
こんなことぐらいで腹を立てているようでは悟りにはほど遠い。まだまだ40ぐらいじゃ人間はそう簡単にできないようだ。

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ケプラー日記  2

2009-07-14 | 
道を先に進むがなかなか小屋は見えてこない。大きなテラスの手前を道が登っているのが見える。小屋はあの上かなと思いながら歩いていると、急に山小屋が目の前に現れた。
あ、もう着いちゃった。
小屋の手前に分かれ道があり、洞窟まで10分、の小さな看板。
小屋は二階建てで下がキッチン、リビング、テラス。トイレとバンクルーム(寝室)は二階だ。
荷物を置き、ヘッドランプを片手に洞窟へ向かう。洞窟までは10分ほど、なだらかな丘を越えていく。道の脇には石灰岩のかけらがゴロゴロしている。
入り口の急な階段を下り中へ入る。入り口付近は外の光が差し込むが、その奥は真っ黒い闇が口を開いている。
「青白緑黒の黒だ」
僕は思わず叫んだ。洞窟内に声が響く。
青白緑黒とは、以前から書きためたニュージーランドでのアウトドアの話を自分でコピーして折って穴を開けヒモで綴った本である。全部手作業の自費出版ならぬ家内制手工業出版のボクの本なのだ。この地球上に約50冊ぐらい存在する。
「青白緑黒ってどう読むんですか?」と聞かれるが、深く考えることはない。『あおしろみどりくろ』そのままである。
僕がこの国で遊びながら見てきた色。青は空の青、海の青、湖の青、氷河の青。白は雲の白、雪の白、花の白、緑は森の緑、コケの緑、シダの緑、木の緑。黒は闇夜の黒、そして洞窟内の闇の黒なのだ。
その真っ暗な黒が目の前にある。
トーチの明かりを頼りにそろりそろりと入っていく。
本来なら予備の明かりを持つべきだが、あいにくと持っていない。かろうじて外の光が届くあたりまで、進んではトーチを消して振り返り確認して、ということを繰り返しながら進む。
たいして進んではいないが、もうこのへんでいいだろう、という所で止まる。一人というのはどうしても限界がある。
ライトに照らされた岩壁は、パイプオルガンのように白い岩のひだが並ぶ。自然の造り上げる物は美しい。
ライトの光が届く奥にも洞窟は続き、不気味な黒を見せている。
ライトを消し、独りしばらく黒い世界に身を浸す。
人間とは何とちっぽけな存在だろう。
地球上では人間の意識は外へ外へと向かっている。
海、山、大地、空、その外の宇宙へ。
だが自分の足元にもこういう世界は存在する。地球内部のことも本で読み映像で見て、知った気になっている。が、人間の能力で行ける所まで行き、その世界に身を置く事も大切なことなのだ。
僕は黒い闇を見ながらボンヤリ、そんなことを考えていた。
 
洞窟から出て、再び光の世界、目に見える世界に戻ってきた。闇に慣れた目には外の世界はまぶしい。そしてまた、外の世界は色々な色があるものだ。空の青、雲の白、湖の青、そして木々の緑。
こうやって色を感じるのも闇を知ればこそ、なのだろう。
小屋へ戻る途中に道を外れた踏み跡があった。それは斜面の途中にある凹みへ続き、水音が聞こえる。
誘われるように踏み跡をたどると小さな水の流れがあり、凹みの中央から地中へ消えていた。
ここにも別の洞窟があるが、入り口が狭く人間は入っていけない。さっきと同じような洞窟がこの辺にはいくつもあり、地中で迷路のようになっている。迷路の岩はさっき登ってきた時に見た巨大な石灰岩へ続く。
水をすくって二口、三口。ウマイ水だ。
安心して飲めるうまい水。きれいな空気。人間という動物が生きるのに大切なものがここにある。豊かとはこういうことを言う。
小屋へ戻る途中で初老の日本人男性がやってきた。ミホコの親父だ。
「こんちは。覚えていますか?ミホコの結婚式でアロハでギターを弾いた者です。」
「ああ、どうもその節は」
「娘さんに会って話は聞いてます。僕もほぼ同じ行程で歩きます。どうぞよろしく。お父さん、今から洞窟へ?僕は今行ってきた所です。まあ、小屋で待ってますから一杯やりましょう」
挨拶をして小屋に戻り、荷物の整理。この小屋は水が豊富にあるのだろう、外のテラスには流しっぱなしの水道がある。ビールを冷やすにはことかかない。豊かだ。
ちょうどビールが冷える頃、ミホコ父が帰ってきた。
「いやあ、お父さん、お帰りなさい。お疲れ様でした。ときにお父さん、お酒は好きですか?」
「ええ、まあ、お酒ならなんでも好きです。」
「じゃあこんな景色を見ながらビールなんてどうですか?一杯やりましょう」
「かつぎあげたんですか?」
「ええ。もうほどよく冷えていますよ。じゃあ日の当たる場所でやりましょう。
秋の日はすでにかたむき、小屋のテラスは影の中に入ってしまった。山では影に入ったとたんに冷える。10mほど離れたヘリパッドが一番日当たりが良い。先客にドイツ人らしき女の子が一人で編み物をしている。
「やあ、ここはハットの中で一番の場所だね」
僕らはヘリパッドの橋に座りビールを開けた。今日のビールはスパイツだ。
「おっと、今日は『大地に』だな。お父っつぁん、僕はねこうやって地球で遊ばせてもらった時に飲む最初のビールを、こうやってまず大地にささげるんですよ」
いつもの儀式をやる。ミホコ父がじっと見る。
「そしてカンパイですね。かんぱーい、お疲れ様でしたー」
ほどよく冷えたビールがのどを潤す。炭酸の刺激がここちよい。
「プハー、ウメー」
至福の瞬間である。
「ウマイっすね、おとっつぁん。僕はね、この時間、この瞬間にこういう場所に身を置く。この感覚が大好きなんですよ」
親父がうんうんと頷く。感覚を分かち合うのにたくさんの言葉はいらない。
「おとっつぁん、日本の山はあちこち登りましたか?」
「ええ、若い時には岩登りなんかもやりましたしね。だけど私はあちこち行くんではなくて同じ山に何回も登っちゃうんですよ」
「そうですか。同じ山でも季節が変われば顔も違いますしね」
「そうそう」
「トレッキングも同じです。毎日同じ所を歩いていても、昨日つぼみだった花が今日咲いているとか、昨日立っていた木が今日倒れちゃったとかね。いろいろな変化があるもんなんですね」
「うんうん。じゃあ親御さんも山やってたんですか?」
「ええ、冬山はやらなかったみたいだけど。それで僕の名前の聖はあの聖岳からもらったんです。名前ををもらうだけもらって、まだ登ったことはないんですけどね」
聖岳は日本の南アルプス、長野と静岡の県境にあり3000mをちょっとこえる山だ。いつかは登らなくてはならない山だ。
「実はねワタシも。ミホコのホは穂高の穂なんです」
ここにも山バカオヤジがいた。ミホコはそのことを知っているのだろうか。
「聖さんのご両親は健在で?」
「父は生きてますが、母は10年以上前に山で死にました」
「え?それはどうして?」
「滑落です。中学生の遠足で行くような簡単な山へ僕と両親と3人で登ったんですが、帰りに道を踏み外して・・・。」
「そうですか・・・。ワタシも仲間が何人も山で死んでいます」
場の雰囲気が湿っぽくなった。こういうのは苦手だ。
「まあ、即死だったので苦しまなかったから良かったと今では思っています。一つ心残りがあるとしたら、自分が山歩きのガイドなのに母親をこういう場所に連れて来れなかった事ですね。普通の観光はしたんですが、できることならこの国の山に連れてきたかったですね」
「なるほど」
「親孝行 したい時には 親は無し って言いますよね。それで何年か前に父に電話をして言ったんです。『今、アンタに死なれたらオレが後悔するから、もう一度ニュージーランドに来てくれ。どういう所で仕事をしているか見てくれ』それで父が来まして、僕と娘と父で南島をぐるっと回ったんです。もう年なのでこういう泊まりがけの山歩きはできなかったけど、日帰りのハイキングをあちこちやりましてね、それで父に言いました。『こういう景色をアンタが死ぬ前に見せたかったんだ。もうオレがどういうことをやっているか分かったでしょ。あとはいつ死んでもいいよ。死ぬ時はポックリ逝ってくれ』そしたら『オレだってポックリ逝きたいわ。オレが死んでも日本に帰ってこなくていいからな。死んであわてて帰ってくるぐらいなら生きているうちに帰ってこい』ですって。まあ、子離れできた親で助かります」
いつのまにか僕のビールが空いた。
「おとっつぁん、場所を移してもう一杯やりましょう」
一度小屋に戻りビールを出す。空いた缶をつぶしゴミ袋に入れる。
「おとっつぁん、それもつぶしますからボクにください」
「いや、まだ入っているんです」
貴重なビールだ、チビチビやっていたんだろう。
「えーっ!まだ残っているんですか?でももうそんなにたくさんないでしょう。もう一本ありますから、飲み干しちゃって下さいな」
僕らは新しいビールを持ち、100mほど離れた場所に移った。ここの方が景色が良い。
タソックの上に座り、2本目のスパイツを開ける。2回目は『大地に』は無しだ。足元にはテアナウ湖の支流が細長く広がる。
「おとっつぁん、ニュージーランドは歩きましたか?」
「ええ、何年か前にミルフォードトラックを。今回はこれが終わったらルートバーンを歩く予定です」
「それはいい。だけどねお父さん、ミルフォードもルートバーンも泊まる小屋からこれだけの景色が見える所は無いんです。ミルフォードの小屋はみんな谷の中だったでしょ?」
「そう言われてみればそうですね」
「ルートバーンも2日めの小屋は高台にあるけど、これだけの景色はないですね」
「そうですか」
「楽しみましょう。この瞬間を」
僕が今まで行った小屋でここより景色が良いのは、ハンプリッジのオカカハットだろう。
「下から上がってくると、ここで小屋が見えてくるじゃないですか。その時に思ったんですよ。もっとビールをたくさん持ってくれば良かったってね。そうすればもっと景気良く飲めたんですけどね」
「いえ、もうこれで充分です」
「今日は星もきれいそうですね」
「ええ、テアナウで星を見て思ったんですが、ここは星が大きいですね」
星が大きいと表現する人に初めて会った。

日が沈むと気温はぐっと下がる。一番星が瞬き始めた。
小屋に戻り、夕飯だ。
ラックスモア・ハットは定員55人。今日は半分以下の23人。4月に入ると人も少なくなる。おかげで各自スペースがふんだんにありとても良い。
小屋の中で親父がうれしそうに言った。
「娘の写真を見つけました」
娘の写真とは小屋に貼ってあるボランティアのポスターのことだ。
ケプラートラックでは鳥を保護する目的で、動物のワナがいくつもしかけてある。ルートバーンやミルフォードのワナはトラックから少し離れた目立たない所にあるが、ここは道のすぐ脇にしかけてある。歩いていれば、いやがうえでも目に入る。
そうやって地元の人間が協力して自然を守っていこうというポスターに自分の娘が写っている。ポスターの中のミホコはワナの餌を代えている作業中。
これほどの親孝行はない。正直、ずるいと思ったぐらいだ。
親父はどんな気持ちでこれを見ただろう。
夜は満点の星空である。月は半月、ややまぶしい。小屋の影に入り星を眺める。
今回は夜、冷えるだろうとダウンジャケットを持ってきた。まるで寝袋を着ているようなものだ。これなら何時間でも外にいられる。
山小屋の管理人のリチャードが外にでてきて言葉を交わす。自分がトレッキングガイドだと告げると、会話はすぐにローカル同士の一歩踏み込んだ話になる。
これが一般の人との会話だと、ミルフォードトラックはどうだ?とかルートバーンは?などと質問攻めになる。シーズンも終わり近くになると管理人もそういった初歩手的な質問にあきあきすることだろう。
「あの日本人のおじさんは一緒に行動してるのか?」
「いや、たまたまここで出会った。あのおじさんはポスターに写ってる娘の父親だよ。ミホコはあったことはあるか?以前はテアナウ・ドックで働いていたんだけど」
「いや、オレはここは1年目だから知らないな」
「じゃあ、シンジはどうだ?知ってるだろ」
山友トーマスは僕らの身内ではトーマスだが、それ以外ではシンジで通っている。というよりもともとがシンジなのだ。
「おお、シンジか、よく無線で声を聞いているよ。今はマーチソンに入っているはずだ。うらやましい野郎だぜ」
「そのクソうらやましい野郎の義理の父親があのおじさんだよ」
月の明かりで山々がくっきりと浮かび上がる。半月でこれなんだから、満月だったらすごいだろう。
以前、満月の晩を狙って山に登りに行く、と言ってた友達がいたが、そのとおりだ。ただし生活をしていると、そうそうお月様に日程を合わせられるものでもない。
星が大きい、と言っていたミホコ父はどうやら寝てしまったようだ。

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ケプラー日記  1

2009-07-13 | 
ニュージーランドにはグレートウォークと呼ばれる山歩きのコースがある。
日本の百名山ほど多くはないが、ニュージーランドで山歩きをするならここでしょう、というようなコースが全部で9つある。どれも3~4日かけて山小屋やテントに泊まりながら歩くコースだ。
そのうちの一つはカヌーによる川下りで5日ぐらいかけながら川を下る。これもいつかはやってやろうと思っている。
一番有名なのは、なんてったってミルフォードトラック。誰が言い出したか知らないが『世界一美しい散歩道』なんて名前がついてしまったものだから、ニュージーランドの山歩きイコール、ミルフォードトラックと思っている人もいる。僕個人としては、ミルフォードがこの国の山歩きの全てだと思われるのがしゃくにさわるが、知名度とはそういうものなのだろう。
湖のはずれからU字谷をさかのぼり奥で峠を越え、別のU字谷の谷底を歩いていくと氷河で削られた入り江に抜ける。たしかにドラマチックだ。
次いでルートバーン。こちらは大きな斜面をトラバースして峠を越え、谷の中へ入っていく。山岳展望が素晴らしい。個人的にはこっちの方が好きだ。
その他、海岸線を歩くエイベルタスマン、スチュアート島を歩くラキウラトラックやヒーフィートラック、北島にも2つほどあるが、僕はまだ歩いていない。
そんなグレートウォーク、『偉大な歩き』の一つのケプラートラックを歩くチャンスが来た。これもずーっと、やることリストに入っていた事の一つである。
ケプラーはテアナウから出てループを作る尾根歩きのコースだ。景色が良いと人は言う。写真は見たことがある。テアナウ湖が一望できるようだ。

ボクが勝手にテアナウベースと呼んでいるトキちゃんの家に立ち寄る。
トキちゃんはテアナウが気に入って住んでしまった人で、最近二人目の子が生まれ二児のママになった。旦那のリチャードもトレッキングガイドで、居心地の良い古い家に家族4人で住んでいる。
僕はテアナウに行く仕事でもちょっとしたヒマがあると必ず立ち寄り、息子のジョシュと遊びながらお茶とかコーヒーとかごちそうになる。車をおかせてもらう時もあり、泊めてもらうこともある。まさにテアナウベース、基地なのである。
このテアナウベースという呼び方だって、初めて家に行き、出会った30分後にすっかり意気投合して、初対面だというのに馴れ馴れしく
「トキちゃんよお、この家すっかり気に入ったぜ。オレのテアナウベースにしていいか?」
「いいよ、いいよ、どんどん使って」
ということでその時からテアナウベースになった。
「やあ、トキちゃん、こんちは。元気かい?今からケプラーに行ってくるよ」
「あら~、いいわねえ。あたし実はラックスモアへ登ったことがないのよ」
「え~?こんな近くに住んでいて?」
「そうなのよ」
 テアナウベースの庭からラックスモアがよく見える。
「まあオレも富士山に登ったこともないしね」
「今回は1人?」
「そう。トーマスの携帯に電話かけたけど、留守電になっちゃうからどこか山に入っているんでしょ」
「そう言っていたわ。明日か明後日ぐらいに出てくるって」
「まあ、そういうわけで今回は1人さ。気ままな一人旅を楽しんでくるよ」
「気をつけていってらっしゃい」
「じゃあな、ジョシュ。また会おうぜ」
2歳の息子が嬉しそうに手を振った。彼の笑顔は素晴らしく可愛い。子は親の鏡だ。
旦那のリチャードが休みだったので、僕は車をトラック出口のレインボーリーチに置き、出発点のコントロールゲートまで送ってもらった。
ケプラーはループと言っても出入り口が2つあり、最後の区間はパスできる。もちろんがんばれば出発点まで歩きループを完成させることができるが、トーマスの話だとその区間はわりと単調であまり面白くないらしい。こういう忠告は素直に従ったほうが良い。

テアナウ湖の流れ出しにコントロールゲートと呼ばれる堰があり、その上を歩きワイアウ川を越える。ここからフィヨルドランド国立公園に入る。
僕は数年前にトーマスと一緒に途中まで歩いたことがある。その時は、今は使われなくなった旧道で、やぶをこぎながら急な坂を登った記憶がある
トラックは湖岸沿いに平坦な道である。ブナの森に木漏れ日が差し込み下の苔を照らす。道の上には細かいブナの葉っぱが敷きつまり、快適な森歩きだ。
チチ、チチ。聞き慣れたさえずりと共に鳥がやってきた。ファンテイルだ。日本語で『扇の尻尾』の名の通り、尻尾が扇子のように広がる。その尻尾でバランスを取り、8の字だったり円を描いたりとても複雑な飛び方をする。
別のガイドが、この鳥が尻尾で虫をパシッと叩いて食べるところを見たそうだ。できることなら飼い慣らしてトレッキングに連れて歩き、休憩する時にうじゃうじゃ集まってくるサンドフライを片っ端から食ってもらいたいものだ。
平坦な道をのんびり歩いていても植生は変わる。まず膝の丈ぐらいのシダの間にポンガと呼ばれる木のシダが現れる。
さらに進むとリムがでてきた。ボクがこの国で一番好きな木だ。
ボクが普段いる場所にこの木はない。だからこうやってこの木に出会えると、別の場所に来た実感がわく。
古い木の木肌はボロボロとめくれ曲線の模様が浮き出る。若木は細いスギのような葉が長くたれ下がる。この葉っぱを触るのも好きだ。
「やあやあ、リム君、君に会えてうれしいよ」
僕はリムに話しかけながら歩く。木漏れ日は淡く優しく僕とリムを包み、鳥の声が森にこだまする。僕は今、幸せだ。
そうしているうちにブロッドベイのキャンプサイトに着いた。ここでランチストップ。ランチのメニューはハムチーズきゅうりサンド。このランチメニューは明後日まで続く。
湖を見ながらサンドイッチをほおばっていると、サンドフライ達がうれしそうに集まってきた。
歩いていると気にならないこの虫も、休憩しようとするとワラワラと寄ってくる。
クマもヘビもいないこの国で唯一人間に危害を与えるのがこの虫だ。
それでも救いなのは皮膚が露出しているところしか刺さないこと。南米アマゾンを旅した時には、服の上からブスブスと蚊に刺されたが、それに比べればかわいいものである。

楽ができるのもここまで、ここから道は上り坂となる。テアナウ湖の標高200mから今晩泊まるラックスモア・ハットまで800mの高度差である。
道は急すぎずダラダラと登る。重い荷物を持った身には適度なこう配だ。
登りはじめるとポンガは姿を消しクラウンファーンが地上を覆い、ブナの森のところどころにリムなどの針葉樹がまっすぐ立つ。
トラックのすぐ脇に大きなリムを見る。止まって木の肌を触ってみたかったが、男女2人連れのカップルがそこで休憩をとっていた。そのカップルのわきで木をなぜて「グフフフ」などと笑い出したらさぞかし気持ち悪かろう、と思いそのまま通過。あのリムよ、次回は君の所で休むからそれまで待っていてくれたまえ。
なおも登っていくと、いつのまにかリムは姿を消しブナの森になっていく。視界は開けずもくもくと登る。
どこかでちょっと休もうかな、と思った頃、大きな木が倒れたのだろう、森が一部切れその向こうに湖が見えた。ここで休憩。
道の脇の倒木の中に使用済みティッシュ発見。
「誰だよ、こんな所に捨てていくヤツは」
僕は一人毒づいた。ここへ来るまでだってすでに2つ3つのゴミは拾っていた。それらは菓子の包み紙で、そのままポケットに入れて持ってきたのだ。それらを拾う度に『これがここに落ちているのは誰かが捨てたんじゃない。たまたまその人のポケットから落ちちゃっただけさ。』と自分をなぐさめながら拾ってきた。
だがこのティッシュは明かにここに捨ててあった。全くもう。
かといって誰かのおしっこのついたティッシュをこの先3日間も持ち歩く義理もないだろう。同じ状況でもうすぐ出口というならば、僕はたぶん持って帰るだろう。ティッシュがすごおく汚れていたら、それはその時に考える。
僕はその辺で立ちションをしながら考えた。
男の立ちションは簡単だ。男は小便をしてもティッシュを使わない。ブランブランと2,3回振って終わりである。ムダが無い。ゴミが出ない。
これがもし体の構造上、紙を使って拭かなければならないようなら、地球上のゴミはとんでもない量になっているだろう。
がさつな男にふさわしい排出物の出し方を創造主は与えてくれた。それと同時に立ちションの快感も与えてくれた。なんといっても気持ちいいのだ。
こんな事を書くと、世の女性達はヤーネと眉をひそめるが仕方がない。立ちションは男の特権である。
男なら誰だって、坂本龍馬だって織田信長だってナポレオンだって立ちションをやってきた。この場合の立ちションは立ってするおしっこという意味ではなく、トイレ以外のその辺でチョイとする立ちションである。
坂本龍馬などは親友の武市半平太の家から帰る時、必ず門の所で立ちションをして、武市の妻が臭いとこぼしたと言う。武市も「龍馬はそのうちでっかいことをするやつだから好きにさせておけ」と言ったそうな。
まあこうなると、その辺の気持ち良いところで適当にやる立ちション、というよりもマーキングに近い。犬が電柱でチョイとやるあれだ。
そんな気持ちの良い立ちションを終え、僕は再び歩き始めた。

しばらく行くと上から日本人の女の人が下りてきた。山仲間トーマスの妻ミホコだ。
初めて彼女に会った時、僕は長距離バスの運転手をしていて彼女は乗客だった。短いバスドライバー歴の中でも最悪の酔っぱらい客が彼女の横に座って可哀相だったという記憶がある。当時彼女はワーホリで短い言葉を交わしたが、そんな彼女も数年前にトーマスと結婚して、今や一児の母である。
ミホコは背中に子供を背負いながら歩いてくる。まだ僕だとは気付いていない。
「キオラ!元気かい?」
ミホコは、なんでここに?という顔で目をパチクリさせている。
「あれえ!ひっぢさん。なんでここに?」
ホラね。
「ん、三日ぐらい休みになったから歩きに来たんだよ。」
「実は今日からうちの父が歩き始めるの。今も一緒に森林限界まで行ってきたのよ」
「へえ、お父さんがねえ。一人で?」
「そう、今日はラックスモア、明日はアイリスバーン、明後日はモトゥラウと4日かけて歩くの」
「じゃあ、アイリスバーンまでは一緒だ」
「ひっぢさんが居てくれたら安心だわ。結婚式の時にアロハを着てた人ですって言えばきっと分かると思うわ。面倒みてあげて」
僕は2年前トーマスとミホコの結婚式にアロハシャツで参列した。
「よっしゃ、まかせとけ。ビールも5本もあるしね。今日トーマスは?」
「山に入っているわ。明日出てくるの」
「そうか。今年はトーマスと一緒に歩く機会はなさそうだな。小娘はどうよ?ご機嫌か?」
僕は背負われている娘のほっぺたをつんつんとつついた。
「マキちゃんねえ、今日はずーっと何かしゃべってるの。ごきげんよねえ、マキちゃん」
「そりゃそうだ。自分で苦労して歩くことなくこんな自然のエネルギーたっぷりの所へ来れば、そりゃゴキゲンさ。なあ、オマエの名前は真っ直ぐな樹だもんな。この周りは真っ直ぐな木ばかりでオマエもうれしいだろ」
僕はプクプクのほっぺたをつついた。娘がニカッと笑った。
「あたしも家から出てきて良かったわ。リフレッシュになるし真樹もうれしそうだし」
「良い事じゃないの。あとは親のがんばり次第だからね。これからどんどん重たくなっていくんだから」
僕は娘に言った。
「オマエもこうやって楽に山に来られるのも一生のうちで今だけだからな。あと数年たったら自分で歩かなきゃならなくなるんだぞ。それまで母ちゃんにせがんで連れてきてもらいなさい」
娘が再びニカッと笑う。
「じゃあひっぢさん、気をつけて。くれぐれもお父さんをよろしく。もうすぐ森林限界だからがんばって」
「おう、ありがとう。また会おうぜ」
ミホコとわかれようとした時、上から若い日本人の女の子3人が下りてきた。山用のジャケットに身を包み、ストックを両手にすたすたと歩いてくる。
「わあ、赤ん坊だ。かわいい!」
彼女たちの目は生き生きと輝き、ニュージーランドの山を楽しんでいるのが良く分かる。
こういう娘たちと一緒に歩いたらずいぶん華やかだろうな。おじさんくさい考えをその場に置き、僕は再び歩き始めた。

まもなく大きな石灰岩の崖が現れる。トラックは岩の下をかすめるように続く。こういう変化があるとうれしい。
僕は立ち止まり、岩に手をあてた。ひんやりした感触の奥に大きな岩のエネルギーが伝わる。
「でっかいなあ」
一人つぶやき、さらに進む。
トラックはよく整備され、楽々と岩の上の台に乗り上げる。
ここまで来ると植生も変わる。同じブナでも標高の高い所に生える山ブナになり、木々は低く森林限界が近いのが分かる。どの木からもサルオガセがぶら下がり、風にそわそわとゆれている。幻想的な世界だ。
そしてカーテンを開くように森を抜けた。
そこは明らかに違う世界だ。空は青く澄み渡り視界を遮る物はない。見上げるような角度ではなく、やや上ぐらいにマウント・ラックスモアが見える。
道の脇に小さな看板。ラックスモア・ハット45分。
日はまだ高く、急ぐ必要は全くない。しばらく進み、見晴らしの良い岩の所にザックを置き、岩の上に腰をおろした。
眼下にはテアナウ湖が蒼い水を満々とため、その向こうは牧場が広がり、大地は遠い山へ続く
空はニュージーランド特有の少し白がかかった青。青というより空色という言葉が似合う。そんな青である。
辺りはタソック、膝の丈ぐらいの稲科の植物のうす茶色の葉が風に揺れる。ところどころにリンドウの白い花が混じる。もう秋だ。花の季節もまもなく終わる。
僕は深い感謝の心を持ちながら、この瞬間を楽しんだ。自分が身を置くこの状況を味わい、かみしめ、一瞬一瞬を深く、深く、深く感じ取る。
大地のエネルギー、そして空のエネルギーが自分の中で溶け合う。手はビリビリとしびれ、大きな明るい光が僕を包む。
僕はこの瞬間、幸せである。この幸せは永遠に続く。
たとえ自分がこの場から離れ、街に戻って行っても、時間空間が変わろうとも、この感覚は永遠の物なのだ。
ルートバーンを一緒に歩いたお客さんが言っていた。この森に身を浸した喜びはこれからの生活の支えになるだろう。自分は都会の団地に住んではいるが、地球の裏側にああいう森が存在し、そこに一度とはいえ身を置いた感覚は決して忘れないだろう。身は日本にいても心はいつでもルートバーンに戻って来られるんだから。
お客さんから学ぶことも少なくない。

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親子でスキー

2009-07-12 | 
深雪を連れてブロークンリバーへ行った。
BRは今シーズン初だ。
「深雪、今年からあのグッズリフト(荷物用リフト)に乗れるからな」
「うん、だけどあのブナの所を歩くのが好きなのになあ」
「じゃあ、歩くか?」
「ううん、やっぱり乗る。ねえねえあれに乗ったらどれぐらいで上に行けるの?」
「そうだなあ、4分ぐらいだな。速いだろ」
「うん、楽しみね」
そんな会話をしながら車を走らせた。
駐車場につき、身支度を整える。
「ねえねえ、みんな歩いているよ」
「どうしたんだろ、故障かな?とりあえず行ってみよう」
グッズリフトにスキーを積み込む。
ドアのロックの故障で人は運べないことが判明。
「仕方ないな。歩いていこう。」
2人で山道を歩く。
ブナの木に雪が積もり幻想的な景色だ。



だがこの登りは楽ではない。大人の足でも30分近くかかる。
普段は歩くのがわかっているのでスノーブーツで歩くが、今日はグッズリフトに乗れるつもりで来たのでスキーブーツのままだ。
去年までは歩くのが当たり前だった。
それがこのリフトに乗れるだろうという期待を持ったばかりに、歩くのが何か特別な苦労を強いられているような気分になる。
当たり前の事が考え方一つで当たり前でなくなってしまう。
人間の心とはあさましいものだ。
それでも深雪は文句を言わない。
文句を言っても始まらないことを7歳にして分かっている。
それよりも深雪の関心はブナに降り積もった雪だったり、地面の霜柱だったり。
歩きながらもこの状況を楽しんでいる。立派なものだ。



そんな登りをなんとか終え、ロープトー乗り場に着いた。
ロープトーに乗る準備をしていると、ひげ面のスキーパトロールが下りてきた。ヘイリーだ。
「キオラ、ブラザー。ホンギをしようぜ」
ぼくらはホンギと呼ばれる鼻と鼻をくっつけるマオリの挨拶をして、固い握手を交わした。
この男を僕は数年前に日本に連れて行っている。その話が今考えると夢のようだ。
山では非常に頼りになる男だが、街へ下りるとただの飲んだくれの酔っぱらいだ。
冬にしか会わない関係だが、僕らは心の深いところで繋がっている。
「キオラ ミユキ。ホンギをするか?」
ヘイリーが尋ねるが恥ずかしがってダメだ。
「深雪は最近学校でカパハカを始めてな、ポイダンスなんかも習ってるんだよ」
「ああ、うちのトメカと一緒だな」
トメカはヘイリーの娘で今は15歳ぐらいだろうか。ついこの前まで子供だと思っていたが最近はどんどん女らしくなって、このオヤジから、と思うぐらいきれいになっている。
そのトメカも今はスクールホリデーで、山に来ているようだ。



僕は腰にロープを巻きその先を深雪のハーネスに繋げる。
この作業も半年ぶりだ。
「Tバーの方が楽ね」深雪が言った。
「そりゃそうだ。Tバーならこんなハーネスだのグローブプロテクターだのは要らないからな。どうだ準備はできたか、行くぞ」
僕はロープを掴み、スキーを走らす。
ロープと同じスピードになったらナッツクラッカーをかけ、それに体重を預ける。
腰にまいたロープで深雪の体重を感じる。
数年前はバックパックに背負って運んでいたが、一昨年からロープで牽引するようになった。
こうやって牽引するのも来年ぐらいまでだ。そこからは自分で乗れるようになるだろう。
もう子供用のロープトーでは自分でナッツクラッカーを使う練習をしている。
親はどんどん楽になっていくが、同時に子供がどんどん離れていく。
うれしいような、さびしいような。複雑な心境だ。





パーマーロッジでは元パトロールのワザーが出迎えてくれた。
深雪が2歳、初めてスキーを履かせたときに凹みに落ちそうになりワザーとあわてて押さえて止めたのも、このパーマーロッジの前だ。
そんなワザーも今や一児の父。シドニーに住んでいるが、一年に一回ぐらい滑りに来る。
この男ともヘイリーの家で一緒にキャンプをやったり、フォックスピークで一緒にハイクアップをして滑ったり、ここブロークンリバーでロープトーのロープ張り替え作業をやったり、いろいろあった。
「ようヘッジ、元気か?ビールは要るか?」
まずはこれだ。
「おお、断る理由などどこにもないな。ありがとう」
乾杯を交わし、近況報告。
そうしているうちにも見知った顔が集まってくる。
この場所は時が変わっても常に暖かく受け入れてくれる。
ここは自分のホームだ。





今日もまた、無風快晴新雪。こんな日に滑らない手はない。
「深雪、準備しろ。滑りに行くぞ」
僕はえらそうに言った。オヤジは常にえらそうなのだ。
ロープトーで深雪を牽引しつつ話しかける。
「なあ、深雪。おれはやっぱりこの山が好きだ。ここが一番しっくりくる場所なんだ。オレのホームはここだと思うな。」
「ホーム、スイートホームね」
「そうだ。オマエのホームはどこだろな」
「んー、わかんない」
「まあ、そのうちに分かる時が来るさ」
ロープトーを乗り継ぎ上に出た。
「さてどこを滑ろうか、オマエはどこを滑りたい?」
「ハッピーバレー」
「よしハッピーバレーに行こう」
ハッピーバレーは中級コース。斜度も比較的ゆるい。
ちなみにここでは中級コースだが、日本のレベルで言えば上級コースだ。
深雪がすべりながら言った。
「ハッピーバレーは、滑る人がみーんなハッピーになるからハッピーバレーなんだよね」
「そう、その通り。その証拠にオマエは今ハッピーだろ?」
「うん!みーちゃんハッピー」
「お父さんもオマエとこうやって滑れてハッピーだ。お父さんはオマエと一緒にスキーをすることが一番うれしいんだよ。ありがとな、深雪」
「何が?」
「お父さんと一緒に滑ってくれて」
「どういたしまして」
深雪が半分照れながら言った。





午後になり日は傾き、そろそろ帰る時間だ。
帰りは駐車場までのロングラン。
距離は2KMぐらいだが標高差は500M以上あるだろう。
これが全てパウダーランだ。
できるだけ斜度の緩やかな所を選んで滑る。
時に写真を撮りながら、時に止まって後ろを振り返り、2人で滑る。
このコースはあまり踏み荒らされていないので滑りやすい。
人が践んでいない新雪を滑るのは、気持ちがいいのだ。
その気持ちよさは子供も感じる。
深雪がトラバースをしながら言った。
「みーちゃんの名前はディープ・スノーだからスキーをするんだ」
よく言った、深雪。
僕は深雪の後ろを滑りながら娘の言葉をかみしめた。
山が暖かく僕達を見守ってくれた。
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家族でスキー

2009-07-10 | 
チーズマンに娘と女房の3人で行ってきた。
久々の家族スキーだ。
雪は軽く、空は青く、風は無い。
これ以上ないという状況だ。



会社のウェブサイトでは遠慮して深雪の写真も1枚ぐらいしか載せないし、親子の写真もない。
が、ここはそれ自分の世界である。
プライベートな写真もどんどん載せる。
深雪の写真もガンガン載せる。
単なるスキー好きな親バカ日記になりそうだが、それもいいだろう。
ああそうさ。オレは親バカさ。
深雪が世界一かわいい。
一生懸命スキーをやる我が子を誇りに思う。
一緒にパウダーを滑って、「オレは幸せ者だ」と感じる。
健康な家族、一緒に滑る時間、愛のある山。
欲しいものは全てある。
相変わらず金はないが、金で買えない物をオレは持っている。
ミックジャガーだって歌ってるじゃないか。
You cant always get what you want.



深雪はブロークンリバーで鍛えられているので長いトラバースも平気だ。
7歳にしてはスキーはかなり上手い。
日本の上級コースも難なく滑れるだろう。
日本の上級コースはこっちの中級コースだからね。
トラバースは上手くなったが、急斜面でのターンでシュテムターンになってしまう。
なのでパウダーの中ではちょっと大変そうだ。
来年は今使っている板が物足りなくなるので、キングスウッドジュニアを買おうと思っている。
やっぱりオレは親バカだ。




深雪はそこそこ滑れるようになったが、ここへ来るまでだっていろいろあった。
まず、徹底的な自己責任。
これを幼いころから叩き込んだ。
深雪が3歳ぐらいの時の話だ。
とあるプレイグループで男の子が木に登り始めて、深雪もやりたいと言い出した。
「危ないからやめなさい」とは言わない。これは僕が一番嫌いな言葉だ。
子供が危険を判断する機会を、親が奪っている。
「よし、やってみろ。その代わりに聞け。オマエが木に登れば落ちることも考えられる。木から落ちたらケガをするかもしれない。そうなった時に痛いのはオマエだ。オレじゃない。痛くて泣くのはオマエだ。オレじゃない。木に登るというのはそういう危険がつきまとうものだ。それを承知でやってみろ」
しっかりと目を見て言い聞かせれば、3歳だって理解はする。
ムチだけでなくアメも忘れない。
「どうだ、木登りは楽しいだろ?そう、こうやって遊ぶのは楽しいことなんだ。だけどその裏にはいつも危ないことだってあるのを忘れるな」

スキーを始めてすぐ、パウダーの中で転んでもがいている深雪が助けを求めた。
僕はその場で腕を組んで深雪を見下ろして言った。
「立て。自分の力で立ち上がれ。人に頼るな」
なんとかもがきながらも立ち上がったらアメの時間だ。
「エライ、深雪。よくがんばった。な、オマエはできるんだよ。オマエ位の年でこんな新雪の中で自分で起きられるヤツはそうそういないぞ。よくやった。いいか、スキーで一番大切なのは、どんな場所でも自分一人で起きあがれることだからな。それができたオマエはエライ。そうやってがんばる深雪を見るのがお父さんは大好きなんだ。いいぞいいぞ、よっ、世界一!」
これだけ誉めれば、転んで泣きべそをかいていたのだってすぐに忘れる。
それを繰り返すうちに自然と自分で起きあがるようになるのだ。
同じ年の子で、転ぶとすぐに親が助け起こす家族がいた。
その子は転ぶとすぐに親を呼び、自分で起きようとする努力を全くしなくなった。こうはなりたくない。

滑れるようになってある程度自信がついた頃、友人のタイと一緒にライフォルドへ行った。
タイの後ろをついていった深雪がスピードを出し過ぎ新雪につっこんで大転倒をした。
泣きながら「タイがあんなに早く行くから」という深雪に言った。
「タイのせいにするんじゃない。人が速く滑ろうが、自分のスピードは自分で管理しろ。スキーで大切なのはスピードのコントロールだ。こういう山ではスピードを出しすぎたら岩にぶつかるかもしれない。崖から落ちるかもしれない。そうなったら痛い思いをするのは自分だ。自分の身は自分で守れ」
次の1本では深雪はスピードをコントロールしてパウダーに入っていった。
「どうだ、新雪っていいだろ?きれいな雪の中をモコモコ、スキーが入って楽しいだろ?スキーって楽しいものなんだよ。それには人間が最低限の努力、この場合はスピードをコントロールするってことを覚えなきゃいかん。でもそれができたら楽しいモノだろ?」
「うん、パウダー大好き!」
こうなったら、しめたものである。
徹底的な自己責任。
大人でもこれができてないヤツはたくさんいる。
子供でもきっちりと教えれば理解をする。
教育とはこういうことだろう。



家族スキーの話だった。
帰り道ではレイクリンドンが凍っていたので、氷の上を歩いてみる。
恐る恐る歩くと氷にピシッピシッと亀裂が入る。
まあ、割れても濡れるのは足ぐらいだ。
氷の上を歩くなんて、普段街の生活をしていれば皆無だ。
子供と一緒に遊ぶ。
この感覚を僕は持ち続けたい。



帰り道では農家で取れたジャガイモ、リンゴを買って帰る。
こういう寄り道が大好きだ。
さて帰ったらポテトサラダでも作ろうかな。
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さて何を書こうかな

2009-07-07 | 日記
人生にはやることリストというものがある。
何かを作りたい、どこへ行きたい、何かをしたいというような数多くの欲求の中で身近なものからクリアーしていく。
ちなみに僕のやることリストの一番遠い物は宇宙の端を飛ぶことである。
ブログを書く、ということもしばらくやることリストに入っていたものだ。
人間というものは、不安、心配、面倒くささなどで新しい物事を始めるのにおっくうになることがよくある。
新しいことを始めるにはエネルギーが必要なのだ。
実行あるのみ。
やらないで口だけ出すのは大嫌いだ。
というわけでブログを始めてみた。

さて何を書こう。
言いたいことなど山ほどある。
環境問題、人生について、山の話、食べ物の事、身内ネタ・・・。
何を書くのも自由である。
又、何を書かないのも自由なのだ。
世の中にはブログのネタを売る人がいるそうな。
ということはそれを買う人がいるってことだ。
バカバカしい。
書くことが無い、伝えたいことが無いなら、やめればいいのに。
僕には全く理解できない。
というわけでこのブログだっていつまで続けるか分からない。
どうせ夏になったら忙しくてそれどころじゃなくなるだろうし。
まあ、気が向いた時に日記程度に書いていくのもよかろう。

それからどこまでホンネで書くか。
僕が思っていることを全て書くと、傷つく人もいる。
真実を突きつけられると、人間は傷つき落ち込む、もしくは逆ギレして怒り出す。
会社のホームページではある程度は抑えて書いてあるが、このブログは僕の世界。
北村 聖ワールドだ。
「てやんでえ、べらぼうめ、ガタガタ言うなら他所へ行きやがれ。味噌汁で顔洗って出直してきやがれ、この唐変木が」
ぐらいのことは言うかもしれない。
世の中、ある程度の毒は必要だ。
毒というのは使い方によっては薬にもなる。
僕の話を聞いて、楽になった、元気になった、という人は少なくない。
そういう人は僕の毒をうまく使って薬にしたのだろう。
しかしまあ僕の基本方針は『君の立場で言えば君は正しい。僕の立場で言えば僕は正しい』であり、他の人がどう言おうと知ったこっちゃない。
僕は僕が正しいと思った道を進み、僕の世界を作り上げる。
そんな北村 聖ワールドの始まり、始まり~。


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