ブログを初めてもうすぐ1年になる。
ブログを始める前にはミクシーをブログ代わりに使って、時々日記を書いていた。
ミクシーの日記だとミクシーを使っている人しか読めない。
そこでやっとブログを始めたわけだが、そのブログをミクシーに登録すると、今度は以前のミクシー日記が読めなくなった。
このまま封印してしまうのはもったいないので、過去の日記をコピーして自分のファイルに取り込んだら、結構な量になった。
数年前の日記だが、なかなかエラソーに書いていて面白い。「やるじゃん、オレ」と思ってしまった。
こんなのをブログに載せない手はない。
言っておくが、ネタがつきた訳ではないぞ。
ブログを毎日更新しないのは、書くのが間に合わないだけだ。
ネタは書ききれないぐらい浮かんでくる。だがそれを文にするにはエネルギーも必要なのだ。
昔、世話になったKさんが言っていた。
「オレの頭にパソコンをコードでつないでピピピっとやればすごい文が書けるのに~」
そりゃそうだ。
残念ながら今の科学はそこまで進んでいないので、Kさんのすごい文もKさんの頭の中でしか存在しない。
ともあれミクシー日記を載せる。写真はその時の物、深雪6歳の話である。
親バカ 2007年7月6日
僕は親バカである。
自分の子供が世界で一番可愛い。愛しくて愛しくて仕方が無い。目の中に入れても痛くない。
これが親バカであり、人間として当たり前の感情である。
世界中の人が親バカであるべきであり、親バカになれない人、自分の子供を愛せない人がいかに多いかニュースを見ていれば分かる。
自分の子供を虐待する?自分の子供を殺す?
何故そんなことができる。そんな奴らは平気で他人の子供だって殺すだろう。
親バカでないということはこういうことだ。
僕は親バカであるが、バカ親ではない。
世の中にどれだけバカ親が多いかちょっと冷静に考えればすぐ分かる。
欲しい物をすぐに買い与える親は、子供に我慢をさせるという教育を放棄している。
その結果、我慢のできない子供ができあがる。
欲しい物を全て与える事が愛だと思っているのだろう。バカ親もいいところだ。
深雪があるおもちゃを欲しがった。理由はみんな持っているから。僕は深雪に言った。
「みんなってのはクラス全員か?クラス全員がそのおもちゃを持ってオマエが最後になったら買ってやる」
「どうして他所の子はあるのにうちは無いの?」
「他所は他所、うちはうちだ。ヒトはヒト。オマエはオマエだ。欲しい物があったらオマエが大きくなって自分で金を稼いで買え。悔しかったらさっさと大きくなって大人になれ」
僕は30年前に親父に言われた言葉をそのまま娘に言った。
バカ親の決定的なものとして教育ママという物がある。
一流の学校に行くこと、一流の会社に入ることが子供の為だと信じていて、子供のしたいことをさせず勉強ばかりやらせる。それが愛だと勘違いしている。
子供から『考えて判断する』という自由を奪い、何でもママの言うとおりやってればいいのよ、というタイプだ。こういう人は子供が成人しても子離れができない親になる。
子供の為という切り札を出せば何でも許される。自分の見栄の為であっても。
深雪と同じ位の年で、夜遅くまで塾だ、家庭教師だという家だってあるんだろう。可哀相な話だ。
子供にある程度の方向性を与えるのは必要だ。しかしそれをやるかどうかは子供の判断に任せるべきであり、決して押しつけてはいけない。
日本は横一列に線を引きたがる国だ。そこにたどりつかない者は落ちこぼれであるし、その線から飛び抜ければ優越感と安心感を得られる。だからとにかくその線、周りの平均値にたどりつくよう努力する。
他所がやってるからうちもやるという考えであり、ヒトと同じことをやっていれば間違いないという安心感である。
子供の教育だって同じ事だ。何歳までに立ち上がらなければならない、何歳までに言葉をしゃべらなければならない、何歳までに読み書きが出来なければならない。育児の本を読むとそんなのばっかりでうんざりだ。
横一列の見えない線に子供達は向かわされ、親はそれを見て一喜一憂する。
他所より少しでも遅れると心配で心配で仕方がない。
「先生、うちの子は1才になるのにまだつかまり立ちができないんです。隣の○○ちゃんはもう歩いているのに」
こんなことになってしまう。
その結果、良く笑い表情が豊かとか、良く鼻歌を歌うとか、ハイハイのスピードがとても早いとか、食べ物(甘いお菓子ではなく健康的な食べ物)をよく食べるとか、そういった肯定的なサインは無視され、見えない線にたどりつけない不安と心配ばかりになってしまう。
親が不安な顔、心配顔をしていて子供は笑うだろうか?
親バカの話を書くはずだった。
深雪の担任と面談のため学校に行った。
先生が言うには、ミユキは生活態度も勉強の成績も良く非の打ち所のない子供だと。
「先生、うちにはテレビが無いんです。というよりあえて置いてないんだけど。そのかわり図書館によく行って、深雪に自分が読みたい本を自分で選ばせるようにしています」
「それでミユキは読書が好きなのね。テレビが無いのはいい事よ」
「実は僕が子供の頃、テレビのチャンネルをめぐって兄貴と兄弟ゲンカしていたんです。そこに親父がやってきてテレビを持ち上げ僕達の目の前に叩きつけて壊してしまったんです。高校を卒業するまでテレビは無かったんです。本ばかり読んでいました。今から考えればそれがとても良かったと思ってます。」
「そうね、他の親もテレビの害についてもっと考える必要があるわ。あと教育方針で何かあるかしら」
「そうですね、できるかぎりマオリの文化を習わせたいです。僕自身もマオリから学ぶことは沢山ありますし」
「ゼイド(深雪の同級生でマオリの子)のおばあちゃんが今度クラスでマオリの話をしてくれるわ」
「それはいい。宜しくお願いします」
家に帰り深雪に言った。
「オイ、オマエ。先生が言ってたぞ、ミユキはいい子だってな」
僕は深雪の通信簿を開いて言った。
「ホラ、良いことしか書かれていないだろ」
通信簿はほとんど優。まさしく優等生だ。
ぼくが深雪位の頃の通信簿には悪いことしか書かれていなくて、通信簿を見せると親に説教されるので隠したりしていた。
遅刻、忘れ物は常習犯で、女の子のスカートをめくって泣かしたり、クラスの子とのとっくみあいのケンカは日常茶飯事だった。アパートの空いている部屋に忍び込んで出られなくなったり、空き地で石投げをして他の家のガラスを割ったり、こんなのはいくらでもでてくる。
今考えても僕みたいな子を持った親は大変だっただろう。
「オレがオマエぐらいの時には先生に怒られてばかりいたのに、なんでオマエみたいな良い子が生まれてきたのかな?」
「だってヒトはヒトでしょう」
「そうだ、その通りだ。でかした深雪、よく言った。ヒトはヒト。オマエはオマエ。オレはオレだ」
僕の信条はヒトの生き方に干渉をしない。たとえそれが親子であってもだ。
ヒトとは自分とは違うものであり、同じモノである必要はない。いやそれよりもヒトに自分と同じものを求めてはいけない。
僕は知りうる限りの言葉で深雪を褒めた。
深雪は嬉しそうに笑った
やっぱり僕は親バカである。
ブログを始める前にはミクシーをブログ代わりに使って、時々日記を書いていた。
ミクシーの日記だとミクシーを使っている人しか読めない。
そこでやっとブログを始めたわけだが、そのブログをミクシーに登録すると、今度は以前のミクシー日記が読めなくなった。
このまま封印してしまうのはもったいないので、過去の日記をコピーして自分のファイルに取り込んだら、結構な量になった。
数年前の日記だが、なかなかエラソーに書いていて面白い。「やるじゃん、オレ」と思ってしまった。
こんなのをブログに載せない手はない。
言っておくが、ネタがつきた訳ではないぞ。
ブログを毎日更新しないのは、書くのが間に合わないだけだ。
ネタは書ききれないぐらい浮かんでくる。だがそれを文にするにはエネルギーも必要なのだ。
昔、世話になったKさんが言っていた。
「オレの頭にパソコンをコードでつないでピピピっとやればすごい文が書けるのに~」
そりゃそうだ。
残念ながら今の科学はそこまで進んでいないので、Kさんのすごい文もKさんの頭の中でしか存在しない。
ともあれミクシー日記を載せる。写真はその時の物、深雪6歳の話である。
親バカ 2007年7月6日
僕は親バカである。
自分の子供が世界で一番可愛い。愛しくて愛しくて仕方が無い。目の中に入れても痛くない。
これが親バカであり、人間として当たり前の感情である。
世界中の人が親バカであるべきであり、親バカになれない人、自分の子供を愛せない人がいかに多いかニュースを見ていれば分かる。
自分の子供を虐待する?自分の子供を殺す?
何故そんなことができる。そんな奴らは平気で他人の子供だって殺すだろう。
親バカでないということはこういうことだ。
僕は親バカであるが、バカ親ではない。
世の中にどれだけバカ親が多いかちょっと冷静に考えればすぐ分かる。
欲しい物をすぐに買い与える親は、子供に我慢をさせるという教育を放棄している。
その結果、我慢のできない子供ができあがる。
欲しい物を全て与える事が愛だと思っているのだろう。バカ親もいいところだ。
深雪があるおもちゃを欲しがった。理由はみんな持っているから。僕は深雪に言った。
「みんなってのはクラス全員か?クラス全員がそのおもちゃを持ってオマエが最後になったら買ってやる」
「どうして他所の子はあるのにうちは無いの?」
「他所は他所、うちはうちだ。ヒトはヒト。オマエはオマエだ。欲しい物があったらオマエが大きくなって自分で金を稼いで買え。悔しかったらさっさと大きくなって大人になれ」
僕は30年前に親父に言われた言葉をそのまま娘に言った。
バカ親の決定的なものとして教育ママという物がある。
一流の学校に行くこと、一流の会社に入ることが子供の為だと信じていて、子供のしたいことをさせず勉強ばかりやらせる。それが愛だと勘違いしている。
子供から『考えて判断する』という自由を奪い、何でもママの言うとおりやってればいいのよ、というタイプだ。こういう人は子供が成人しても子離れができない親になる。
子供の為という切り札を出せば何でも許される。自分の見栄の為であっても。
深雪と同じ位の年で、夜遅くまで塾だ、家庭教師だという家だってあるんだろう。可哀相な話だ。
子供にある程度の方向性を与えるのは必要だ。しかしそれをやるかどうかは子供の判断に任せるべきであり、決して押しつけてはいけない。
日本は横一列に線を引きたがる国だ。そこにたどりつかない者は落ちこぼれであるし、その線から飛び抜ければ優越感と安心感を得られる。だからとにかくその線、周りの平均値にたどりつくよう努力する。
他所がやってるからうちもやるという考えであり、ヒトと同じことをやっていれば間違いないという安心感である。
子供の教育だって同じ事だ。何歳までに立ち上がらなければならない、何歳までに言葉をしゃべらなければならない、何歳までに読み書きが出来なければならない。育児の本を読むとそんなのばっかりでうんざりだ。
横一列の見えない線に子供達は向かわされ、親はそれを見て一喜一憂する。
他所より少しでも遅れると心配で心配で仕方がない。
「先生、うちの子は1才になるのにまだつかまり立ちができないんです。隣の○○ちゃんはもう歩いているのに」
こんなことになってしまう。
その結果、良く笑い表情が豊かとか、良く鼻歌を歌うとか、ハイハイのスピードがとても早いとか、食べ物(甘いお菓子ではなく健康的な食べ物)をよく食べるとか、そういった肯定的なサインは無視され、見えない線にたどりつけない不安と心配ばかりになってしまう。
親が不安な顔、心配顔をしていて子供は笑うだろうか?
親バカの話を書くはずだった。
深雪の担任と面談のため学校に行った。
先生が言うには、ミユキは生活態度も勉強の成績も良く非の打ち所のない子供だと。
「先生、うちにはテレビが無いんです。というよりあえて置いてないんだけど。そのかわり図書館によく行って、深雪に自分が読みたい本を自分で選ばせるようにしています」
「それでミユキは読書が好きなのね。テレビが無いのはいい事よ」
「実は僕が子供の頃、テレビのチャンネルをめぐって兄貴と兄弟ゲンカしていたんです。そこに親父がやってきてテレビを持ち上げ僕達の目の前に叩きつけて壊してしまったんです。高校を卒業するまでテレビは無かったんです。本ばかり読んでいました。今から考えればそれがとても良かったと思ってます。」
「そうね、他の親もテレビの害についてもっと考える必要があるわ。あと教育方針で何かあるかしら」
「そうですね、できるかぎりマオリの文化を習わせたいです。僕自身もマオリから学ぶことは沢山ありますし」
「ゼイド(深雪の同級生でマオリの子)のおばあちゃんが今度クラスでマオリの話をしてくれるわ」
「それはいい。宜しくお願いします」
家に帰り深雪に言った。
「オイ、オマエ。先生が言ってたぞ、ミユキはいい子だってな」
僕は深雪の通信簿を開いて言った。
「ホラ、良いことしか書かれていないだろ」
通信簿はほとんど優。まさしく優等生だ。
ぼくが深雪位の頃の通信簿には悪いことしか書かれていなくて、通信簿を見せると親に説教されるので隠したりしていた。
遅刻、忘れ物は常習犯で、女の子のスカートをめくって泣かしたり、クラスの子とのとっくみあいのケンカは日常茶飯事だった。アパートの空いている部屋に忍び込んで出られなくなったり、空き地で石投げをして他の家のガラスを割ったり、こんなのはいくらでもでてくる。
今考えても僕みたいな子を持った親は大変だっただろう。
「オレがオマエぐらいの時には先生に怒られてばかりいたのに、なんでオマエみたいな良い子が生まれてきたのかな?」
「だってヒトはヒトでしょう」
「そうだ、その通りだ。でかした深雪、よく言った。ヒトはヒト。オマエはオマエ。オレはオレだ」
僕の信条はヒトの生き方に干渉をしない。たとえそれが親子であってもだ。
ヒトとは自分とは違うものであり、同じモノである必要はない。いやそれよりもヒトに自分と同じものを求めてはいけない。
僕は知りうる限りの言葉で深雪を褒めた。
深雪は嬉しそうに笑った
やっぱり僕は親バカである。