あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ヤマトダマシイ

2024-11-30 | 
最初にその男の噂を聞いたのはもう半年も前になるか、秋が深まり冬が始まる前のことだった。
町のマーケットでブロークンリバーのマネージャーのレオにばったり会い、今年は日本人のスタッフがいるぞと聞いた。
へえ、どんなヤツなんだろうと思い、スキーシーズンが始まった。
シーズン中は何かと忙しく、なかなかブロークンリバーへ行く機会がなかったが8月も終わり頃にやっと自分の時間が持てた。
昔からの仲間のカズヤと娘の友達のヤサと3人で、雪が降ったばかりのスキー場へ行った。
雪が降ると山道の除雪をしなくてはならなのだが、その山道が今までにないぐらい綺麗なのである。
駐車場の除雪もビシッと行き届いていて気持ちが良い。
後から知ったことだが、それが彼の仕事だったのだ。
その日は彼は街へ降りる日だったので山では会えずじまい。
会う時には簡単に会うし、会えない時にはどうやっても会えない、人のご縁とはそうやってできているものだろう。

9月の半ばにブロークンリバーでバーベキュー大会と自家製ビール大会というのがあり、僕は毎回出場している。
大会と言っても出るのは数人だが、皆で競い合い上手い物を食おうというものだ。
結果から言うと、豚肉の手前味噌漬け焼きキャベツ添えを出して、僕は見事今年のチャンピオンとなった。
その時に初めてヤマトに会った。
漢字で書くと大和だがカタカナで書くとヤマト、僕の世代だと宇宙戦艦ヤマトを思い浮かべてしまうがそれはそれでかっこいい。
それまでは弟子達や娘がブロークンリバーに行きヤマトに会った話を聞いていたが、会えるべきタイミングでやっと会えた。
バーベキューとビールをご馳走して彼の話を聞き、僕は一発でこの若者に惚れ込んでしまった。
何と言っても目が生き生きしている。
実力と行動力を兼ね備えた男の顔だ。
面白いのはヤマトが今までブロークンリバーに来たどの日本人ともタイプが違うことである。
スキークラブのメンバーを20年もやっていれば、ここで働いた日本人とは全て繋がっている。
みんなスキーをしたくてニュージーランドにやってきて、ブロークンリバーが好きになり何かのご縁で働いたりした。
そういった若者が今まで10人ぐらいいただろうか、共通点はスキーやボードに夢中な所だ。
ところがヤマトはスキー場で重機のオペをしたくて応募して採用された。
スキーで滑ることが第一目的ではなく、スキー場で働くことが目的なので自分のスキー板も持っていないが、そこはそれ何とかなってしまうのがこの業界。
「スキーがないって、じゃあスキー板を使え、何だボードもするのか、じゃあこのボードを使え」という具合である。
しかもワーホリで初めてニュージーランドに来て、クラブフィールドの事も何も分からないままブロークンリバーで働いた、荒唐無稽というか波乱万丈というのか、とにかく面白いヤツである。
聞くと中卒であちこちで働いて、土木関係の仕事も長く経験し重機の運転もでき、ガーラ湯沢でスキーパトロールの経験もある。
中身が無く実力も無いが口先だけは上手い若者が多い昨今だが、実力のある人間の言葉には重みがある。
一言で言えば職人気質なのだろう、仕事をきちっとやるから周りにも認められる。
雪が降った時の除雪だって、ただ機械を運転すればいいってもんじゃない。
原生林の中を通る山道なので、雪がふると気が倒れ道をふさいでしまうこともよくある。
誰も人がいない真っ暗な山の中でチェーンソーや斧で木をぶった切り倒木を片付け車が通れるようにして、機械を操縦して除雪をする。
そういった人知れずの苦労あっての事なのだ。
スタッフもそれが分かっているからチームの一員として認められる。
僕は除雪の丁寧さを褒めに褒めたが、本人はまだまだ納得がいかないようであった。
やはりヤツは職人なんだな。



スキーシーズンが終わりスキー場の片付けなどの仕事を終えてヤマトも山から下りてきた。
一度うちに遊びに来いよ、という事で娘経由でメッセージをやりとりして、我が家に遊びに来たのが10月の初旬。
この後はオーストラリアへ行くのだが、クライストチャーチを出るまで1週間ぐらいあると言う。
「それならうちに滞在しろよ。俺も今は仕事もないし」「えー、いいんですか?」「もちろん」
そんな具合で我が家に転がり込んだ。
たまたま女房が日本に帰っていた時で、僕と娘とヤマトの3人で面白おかしく楽しい時を過ごした。
ビールが好きでお酒が好きというので一緒に飲むわけだが、とにかく話が噛み合う。
先ずはブロークンリバーで1シーズンを過ごしたというところからして話が早い。
クラブのメンバーの誰それが何をしてというような噂話もできるし、スキー場運営の裏話もできる。
さらに土木や建築の仕事をしていたので、そういう方面での話も合う。
何よりも僕がよーそこの若いのに言う「自分が出来る事やるべき事をやりなさい」「恩返しをするのでなく恩送りをせよ」というような事を自分から言う。
確かにブロークンリバーでもヤマトは自分が出来る事をやってきて、現在がある。
こういう生きのいい若者がいると無条件で応援してしまいたくなる。
学歴は中卒だが、人生の経験値がずば抜けていてそんじょそこらの若者とは比べものにならない。
僕も高卒で色々な仕事を経験してきた、学歴よりも職歴という人間である。
学校教育という物を否定するわけではないが、人間は学ぶという事を学校だけでするという考え方から脱却するべきだ。
学校で学ぶ事ももちろん大切だが、若い時に仕事を現場で学ぶことも同等に重要視すべきだ。
現場を知らない人が机上で練った案が使い物にならないというようなことは、この世の中にはそれこそ星の数ほどある。
こんな若者のために自分ができることとは、美味い物を腹一杯食わせ酒を飲ませるぐらいのものだ。

季節はちょうど春ということでアカロアへ一緒に行き山歩きをしてワカメ漁もした。
ヤマトの出身は岐阜県で太平洋へも日本海へも車で数時間かかる。
だからなのだろう、海を見るとテンション爆上がりなんだそうな。
先日やった仕事で中国人の留学生をワイナリーに連れていく物があったが、彼らのリクエストに応えてビーチに連れて行った。
こちらでは何の変哲もないビーチなのだが、海からはるか彼方に住む彼らには最高のご馳走であり、そのはしゃぎっぷりはすごかった。
これは自転車で行ける距離に海がある土地に育った自分には、頭で理解できても感覚では永久にわからないものだ。



ワカメ漁は以前からやりたいなと思っていて、ダニーデンに住む友達に話は聞いていたが、やっとクライストチャーチ近辺で簡単に取れる場所を見つけた。
仕事の合間に試しに取ってみて、家に帰り食ってみたらこれが美味かった。
引き潮の時に行けば足を濡らすぐらいで取れる。
ニュージーランドでは魚介類の採取の制限はあるが、ワカメについては何もないようである。
そもそも外来種であり、タダでいくらでも取っていけ状態なのだ。
これは誰も食わないということなんだろう、実際に海藻を食う話はあまり聞かない。
ある説によれば日本人は海藻を分解するDNAがあるのか高いのか、要は海藻を食う能力が高い選ばれし民族なのである。
人間が食い切れなかったらニワトリが喜んで食うし庭の肥料にもなる。
自給自足を目指す身としては、それ以前の狩猟採取という思考と行動は外せない。
ヤマトと二人で10分ぐらい漁をして、これでもかというぐらい大量に取った。
家に戻り下処理作業、茎と葉っぱに分け軽く茹でる。
ワカメは熱湯に通すと見事に緑色に変わる、それを半分は干して半分は塩漬けにした。
もちろんその晩から数日間の食卓はワカメづくしだ。
ヤマトが自分で言う特技だが、出された物を旨そうに食うことだと。
確かに何を出してもバクバクと旨そうに喰らう。
そういう姿を見るとこちらも嬉しくなって、さあこれを食え、次はこれだと色々出してしまう。
豪快に物を食うというのは若者の特権だな。



ヤマトの滞在期間、女房は日本に行っていた。その女房殿からドライブウェイの草むしりをやってくれという指令が来た。
ヤマトに任せてたらきっと丁寧にきれいにやってくれるんだろう。
実際に庭の芝刈りを任せたらとてもきれいに丁寧にやってくれた。
早いけど仕事が雑なトモヤとはえらい違いだ。
雑草取りでチマチマとやるならいっその事、雑草を一掃して生えてこないようにすればどうか。
庭のドライブウェイは過去にコンクリート舗装をやってきて、最後のセクションが雑草まみれになっている。

土木工事1
土木工事2
土木工事3
土方



そこはいつも女房が雑草取りをして、悩みの種だ。
ヤマトに庭のコンクリート舗装を見せ、今までの経緯を説明した。
ヤマトは長いこと土木に従事してきたのでコンクリート打ちの経験ももちろんある。
素人ながらにやってきた現場を見せたらすぐに納得して、細かい話になった。
二人で土を削る段取りやコンクリートの厚さや鉄筋の手配やあれこれ相談をして天気も安定していてこれなら行ける、ということになり急遽作業が始まった。
ドライブウェイコンクリート舗装計画第4弾、コードネームは『メデューサの道』
先ずは下地作りから。ヤマトが土を削り僕が一輪車でせっせと裏庭へ運ぶ。
今回は枠を作らずレンガを並べてそこにコンクリートを流し込む。
ヤマトが土を削りレンガを並べ、僕が鉄筋を買ってきて準備が整った。
やはり二人でやると作業が早い、僕が一人でチマチマやったら2週間ぐらいかかるだろう。
体積を計算して天気の良い日を選びコンクリートを手配して、コンクリートを均す道具のレンタルなどの段取りが済んだ。
当日の朝にコンクリートミキサー車が来て作業開始。
過去数回の経験でなんとなく段取りは分かっているが、今回はヤマトがいるので彼の指示に従い作業を進める。
1時間半ぐらいでコンクリートを流し込んでミキサー車には帰ってもらい、後は自分たちで均して仕上げる。
均しと仕上げは完全にヤマトに任せて、僕は残ったコンクリートの処理や道具の洗浄など。
コンクリートは乾くと固まってこびりつくので、使った道具はすぐに水で洗わねばならない。
前回までは自分で決断して行動して家族や友人に手伝ってもらってやったが、今回は裏方に専念できた。
自分もコンクリート打ちの経験はあるが所詮はシロートであり、そこは経験豊富な強力助っ人ヤマトのおかげでスムーズに仕事がはかどった。
最後に娘の手形と日付をいれて終了だが、これまた記念にヤマトにも自分の名前を入れてもらった。
道具を全て洗ってレンタルの道具を返却して、夕方までに作業終了。
その後は完成したコンクリート舗装をニヤニヤ眺めながらビールで乾杯である。言うまでもなく美味い。



そんな事をやっていると1週間があっという間に過ぎる。
ヤマトはこの後オーストラリアに渡り鉱山で重機オペの仕事を探すと言う。
ただでさえ時給の高いオーストラリアで重機オペなんてものすごく稼ぐのだろうな。
ただし奴の真の目的は金を稼ぐ事ではない。
確かに金は無いより有る方が良いのだが、それよりも色々な経験をしてみたい、自分が得意な重機を操縦したいという明確なビジョンを持っている。
だからニュージーランドのブロークンリバーという特殊な場所で、彼の人生において忘れることのできないような貴重な経験をした。
雪が無い時は他のスタッフと一緒に西海岸へ行ってロッククライミングをしたりトレッキングをしたと言う。
スタッフにアウトドアの先生なのかその卵なのか、とにかくそういう人がいて、話を聞くだけで羨ましくなるような経験をした。
シーズン中は自分が出来ることをきっちりとやり、日本人として恥ずかしくないどころか誇りになるような仕事をした。
さすがヤマト、その名もヤマト、日本が大好きな堂々たる大和男児だ。
狭いコミュニティの中で日本人という存在を意識しないことはない。
今までブロークンリバーで働いた数々の日本人を思い浮かべても、みんなよくやってきた。
そういうところに日本人の評判というものが出来ていくのだろう、たとえそれが小さく狭い社会だとしてもだ。
アフガニスタンで亡くなった中村哲先生の言葉『一隅を照らす』とはそういうことだ。



彼のお母さんが僕と同世代で昔ニュージーランドにワーホリで来てたと言う。
そのお母さんがヤマトに出した条件が「先ずはクライストチャーチへ行け」というものだった。
最初はお母さんの知り合いを頼り、日本食レストランで働いた。
その後はすでに書いた通り、ブロークンリバーで働きシーズンが終わり、オーストラリアへ行くまでの1週間我が家に転がり込んだ。
全てご縁で繋がっていて、そのきっかけがお母さんの指示「クライストチャーチへ行け」だった。
「いやさヤマト、人のご縁って不思議なものだけど、全てお母さんの言葉から始まってんだな。あっぱれ母さんだな」
「本当にそう思います。来て良かったなあって」
そんな会話をしながら何回乾杯しただろうか。
ヤマトも最初こそは母の知り合いを訪ねたが、そこからは自分の力で切り開いて他人とは違う経験を積みあげてきた。
ワーホリってそういうものだろう。
そこにあるのは実力と判断力と行動力、それらが合わさった人間力である。
人とのご縁でこの世は成り立っているのだが、そのご縁を掴むのもその人の力であり、運も実力のうちとはそういうことだ。
それにしてもヤマトも弟子のトモヤとケースケもその友達のジャカもそうだが、みんな生き生きした顔つきをしている。
そういう日本の若者を見ると、この世は大丈夫なんだろうなと思う。
もちろんろくに挨拶もできない若者、闇バイトに走る若者、無気力な若者などなど、おいおい大丈夫かよと思うような人も存在する。
だが我が家に来るような若者達は、自分の人生を自分で切り開こうという気概にあふれ、明るく楽しく正しく人生を謳歌している。
そんな彼らの姿からは明るい光しか見えない。
人間とは明るいニュースより暗く悲惨な話を好む生き物だ。
人の悪い噂はあっという間に広がるが、善行をしたというような話は広まらない。
テレビのカメラマンは人が助かった話と殺された話が同時にあったら迷わず殺された現場へ行く。
そういうものなのだ。
だがその輪廻から脱却する時が来ている。
未だ来ぬ未来の不安より今現在の明るい光に焦点をあてるべきだ。
ちなみにその将来の不安とは、造られてさらに利用されているものだ。
そんな今だからこそ、ゆけヤマトよ、未来はお前の手の中にある。
やっぱりと思ったけど、宇宙戦艦ヤマトみたいな締め方になったな。






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弟子二人

2024-10-18 | 
トモヤという弟子ができた事は去年のブログで書いた。
スキーがしたくて無鉄砲に日本を飛び出したのはいいが、雪がなくどうしようか途方にくれていた所に娘のつてで我が家に来た。
来たのはいいが、来てそうそうに僕の車と家のフェンスを壊すという大失態をやらかし、色々あって弟子となった。
トモヤから双子の弟なのか兄なのかケースケの話は聞いていて、日本に行った時に白馬で会い、みんな一緒にカズヤの家で世話になった話も最近のブログで書いた。
そんなトモヤとケースケがニュージーランドにやってきたのが8月の初旬。
ボロボロのエスティマを買い、その車に二人で寝泊まりしてスキーをしてフリーライドの大会にも出た。
今回はそんな二人の話である。



一卵性双生児という人達がここまで似ているというのを目の当たりにして、人間って面白いなあと思った。
体や顔つきや声や話し方などが一緒で、よく間違われると言うのも納得だ。
僕も電話で話す時などあらかじめどちらと話すか分かっていて会話をするからまだいいが、もしもそれがなかったらどちらか区別できない。
カズヤなどはもっとひどく、直接会って話をしていてもどちらと喋っているか分からないと言う。
カズヤの場合はそもそも認識する気もなく「どっちでも大差ないっしょ」といういい加減な理由からである。
二人と一緒に話をしていて二人とも納得いく話になった時に「ああ〜」という相槌のタイミングが全く一緒なのも面白い。
そして二人ともに同じタイミングで『ああ、またやっちまった』という顔をするのも面白いのである。
それでもじっくり話をしていると、やはり性格とか人格は違うのだなというのが見えてくるものだ。
ケースケは明確な目標を持ってそれに向かって突き進んでいくタイプ、トモヤはとりあえず行動を起こすタイプ。
自分もどちらかと問われればトモヤ型であり、旅をする時にはできるだけ決めないでできることなら棒を投げて向いた方向に進みたい、風の向くまま気の向くままにやりたい人だ。
どちらかが良い悪いという話ではなく、そういうタイプが存在するという話だ。
人間とは自己正当化する生き物なので、自分と違うやり方を否定する傾向にある。
まずは自分と違うものを認めるところからコミュニケーションというものが始まるのだろう。



ケースケもトモヤも出生時には同じで同じ幼少期を過ごしていただろうが、高校ぐらいからスキーの道に入ったケースケと、一時は大学に入ったものの自分の進むべき道はここにはないと中退してスキーの道に入ったトモヤ。
親元を離れて数年で違う道を歩み、それぞれの出会いや経験がありそれぞれの人生観や倫理観を持っている。
こうやって書くと二人とも立派な若人のようであるが、ダメダメなところはダメダメだ。
トモヤの大失態は去年さんざん見たが、今年は大した失敗はしでかさなかった。
ブログのネタになるようなことがなく、それはそれでつまらない。
ケースケは僕に対しては頭が上がらなくなるようなことはしなかったが、キャンプ中にスキーブーツのインナーブーツをなくした。
商売道具のスキーブーツをなくす、それもインナーだけってどういうことだ?と思ったが本人が言うには自分でもどうやってなくしたか分からないと。
それで困るのは自分だから仕方ないが、どうやってなくなったのか自分でも分からないから困るとボヤいていた。
♩よーそこの若えのこんな自分のままじゃいけねーぞと頭かかえているそんな自分のままでいけよ、と竹原ピストルが歌っているが
どうしようもないものはどうしようもない。
カズヤが二人の違いをこう表していた。
「一見ちゃんとしてそうに見えて本当はダメダメなのがケースケ。一見ダメそうに見えて実はやっぱりダメダメなのがトモヤ。結局二人ともダメダメじゃーん」
言い得て妙だし身も蓋もない話だが的を得ている。





そんな二人も滞在中に我が家へ立ち寄り、何回か飯も食わせ一緒に酒も飲んだ。
若い者の食いっぷりは見ていて気持ちがいい。
大会前に「お前ら頑張れよ、兄弟で一位二位取って来い」と激を飛ばせば二人揃って同じタイミングで「自分が勝ちます」と意気込む。
そんな二人の姿に僕は希望を見出す。
何の希望かと問われれば人類の未来への希望である。
随分と大きな話になったぞ。
そもそも競うとはどういうことか?
これは相手がいて、その相手よりいい結果を出したいという願望から来る人間本来の性質だ。
極論を言えば、無人島で一人で暮らしていれば競い合いはない。
だが人間は一人では生きていけず、社会というものの中で生きている。
今こうやって文明社会の中で生きていけるのも競うということがあったからだ。
石器時代に狩猟採集をしていた時だって誰がたくさん獲物を捕るとかはあっただろうし、農耕を始めても誰がたくさん収穫をするとかそういう競い合いはあり、今でもある。
文明が発展してから競う対象は全ての事柄となり、いつの頃からか競い合いは競争となっていった。
そもそも向上心があって競うわけであり、争うということは別物のはずだ。
だが勝負になればどちらかが勝ちどちらかが負ける。
勝ち組や負け組という言葉も最近流行ったな。
結果至上主義となり、勝つためには手段を選ばないということになる。
互いに高め合うための競い合いは、相手の足を引っ張り引きずり下ろし合う醜い争いになった。
今の人類に必要なのは競うための争いではなく、互いに自分を高める真の競う姿だ。
自分を高め相手に勝つためには自分を知り相手を知らなくてはならない。
己を見つめ切磋琢磨して正々堂々と勝負に挑む姿こそが日本の武道の真髄、ひいては武士道の精神につながる。
そういう意味で二人の若者の姿に明るい未来の光を見るのだ。



9月の初めマウントオリンパスの大会の前に二人が我が家へ来て一緒に飲んだ。
「二人とも自分が出来ることで精一杯やってこい。結果はついてくるものだぞ」
そんな言葉で二人を送り出した。
結果はケースケが16位でトモヤが17位。
ここでも大差がつかず僅かな差で兄弟仲良く順番に並ぶのが面白いと言えば面白い。
勝負の話に戻るが、負けがあるから勝ちがある。
勝てば嬉しいし負ければ悔しい。
その悔しさをバネにして次に向けて人はがんばる。
負けた人がかわいそうだからという理由で一位をつけない運動会なんてものをやった学校の話を聞いたがバカバカしいのにもほどがある。
そんなのは本質が見えていない馬鹿な大人のタワゴトである。
子供の遊びの中にも大人の社会の中にも勝ち負けは常に存在する。
これはスポーツに限る話ではなく、学校の成績、ゲームの上手い下手、会社の運営や店の売り上げ、芸術の世界、いたるところに勝ちがありそれ以上の数の負けがある。
現代社会の結果至上主義は勝ちが全てであり負けることは意味がないととらえる。
だが長い歴史を勉強すれば、どんなに栄えた大帝国も全て滅び、どんなに強い大将軍でも全て死ぬし、どんなに強いスポーツ選手も老いれば若い者に倒される。
諸行無常であり勝者必衰のことわりを表す、という平家物語の一文に書いてある。
だからといって何もしないというのはこれまた違う。
もがいてあがいて打ち倒されるが、また這い上がって立ち上がる、その姿の中にこそ真の美しさがある。
結果はあとからついてくるものであり、その過程こそが大切だ。
最近では過程を重視したプロセスエコノミーなどという動きもある。



マウントオリンパスでの大会が終わり帰国までの数日間、兄弟は我が家に滞在した。
ちょうど自分も仕事がなく、二人と一緒にカヤックで花見をしたり市内観光に連れて行ったり楽しい時を過ごした。
夜は酒を飲みながらダラダラと話をするが、構造的に物を考える話をしている時にトモヤが音をあげた。
「自分はアホだからそういう難しいのはわからないッス」
「トモヤ、お前はアホではないぞよ。問題なのはそうやって考えることを放棄してしまうことだ」
ケースケが横から言う。「そうだよ、お前はいつもそうだ」
「うっせーな!おめーに言われたくねーよ。むかつくな」
と兄弟喧嘩が始まるが、それさえも愛おしい。
確かに同じ事柄でもこいつには言われたくないということが誰にも存在する。
それは自分に近い存在であればあるほど顕著に現れる。
僕の言葉を聞いて二人は違う捉え方をしてもそれは当然であり正しい答えなどない。
本当の答えなど風の中にしかないのだ。



今回の滞在中にケースケが自分のスキー板を折ってしまった。
スキーを折るってどういうこと?と思うだろうが超急斜面を滑り崖を飛び降りるようなスキーをしていれば折れることもある。
一般の人には理解できないかもしれないが、彼らがやっているスキーとはそういうものだ。
壊れた板を日本に持って帰っても使えるわけでなし、NZに捨てていくことになる。
「あーあ、この板好きだったんですよねー」とケースケがぼやくので「それならこの庭の好きな所に貼っていけ。一生かざってやるぞ。そうだな、ついでに何か一言書いていけ。お前たち二人がビッグになってプレミアがついたらネットオークションに出してやる」
「一生かざってくれるんじゃないんですか?」
「それぐらいになるようにガンバレってことだよ、バカヤロー」
そんなことを言いながら兄弟があーだこーだ言いながら物置の上と温室の柱に貼り付けるのを眺める。
そんな彼らの姿に、僕は明るい将来しか見えない。
これから奴らの進む道には勝利の栄光も敗北の挫折もあるだろう。
今はたとえダメダメでポンコツで世間知らずで間抜けでろくでなしでおっちょこちょいでトンチンカンで昼行燈でアンポンタンで無駄飯食らいだとしても、心の奥の向いている方向さえ間違っていなければ何の問題もない。
奴らの心の奥にチロチロと小さく燃える光は、これから大きな炎となりこの腐りきった世の中を明るく照らすであろう。
こういう若者達がいる限り、日本はこの世界は大丈夫なんだろうなと心底思う。



それなのにトモヤなんぞは「でも、そんな事言っても」とボヤく。
「お前は何を心配してるんだ?師匠のオレが大丈夫って言ってんだぞ。師匠の言う事は絶対じゃないのか?」
「絶対です」
「じゃあ、いいだろそれで」
「でもお」
「だーかーらー、オマエは俺がこれほどまでにオマエ達を認めているのに、なーにが気に食わん?」
「でも、そんな事言っても」
「オレがオマエを信じているのに自分が自分を信じないでどうする」
「それはそうなんでけどお」
僕もトモヤも酔っ払っているので、何が大丈夫なのか何を否定しているのか自分達も訳が分からなくなっている。
横でケースケが偉そうにウンウンと頷くものだから、またトモヤがカチンと来る。
「うっせーな、おめーに言われたくねーんだよ。『自分は分かってます』みたいな顔しやがって、それがむかつくんだよ」
こうして堂々めぐりの話をしながら夜は更けていく。
師匠の自分が若い弟子達にできることは腹一杯食わせることと背中を押してあげること、あとは竹原ピストルの「よーそこの若いの」を歌ってやるぐらいのものだ。
スキーを教えるほど自分はスキーは上手くないので、スキーの事は別の人に聞けと言ってある。
思想や思考法は伝えはするが強制する気もさらさらない。
今はたとえ分からなくても、あの時に言っていたのはこういうことかと理解する時がやってくる。
あとはそうだなあ、自分が出来ることをやれとは常々言っている。
そんなもんだろう。



奴らが去り、庭に直筆サイン入りのスキー板が残る。
Free Ride World Tour 出場 手塚慧介
おめーに言われたくねーよ‼︎ 手塚智也
宝物が一つ増えた。






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いろんな意味でゲイの人 

2024-03-29 | 
毎度毎度のことだが、実際に会ってみるまでどんな人がお客さんなのか分からない。
知らされるのはお客さんの名前と人数。
時に親子であるとか家族旅行とかそういう情報も来るが、ほとんどの場合は分からない。
ニュージーランドは初めてなのか前回もきたことがあるのか、どこの出身だとか、仕事は何をしているのかとか、そういう事をお客さんに聞きながらツアーを進めるわけである。
この日の仕事は男のお客さん一人でテカポまでの日帰り往復。
前日ぐらいに急に決まった仕事であり、僕は普段通りに指定されたホテルへ向かった。
お客さんは30代後半ぐらいの男の人で、アウトドアとは無縁そうな都会に住んでいるような人だった。
車を走らせてすぐに自己紹介をして話を聞くと、当初の予定は友達4人でキャンパーバンでニュージーランドを回る予定だった。
クライストチャーチに着いて最初の晩に車で寝ようとしたのだがあまりの狭さに全く寝られず、友達とキャンプで巡遊というプランをあきらめ一人で行動する事にした。
というような話をディテールまで細かく、こちらが聞いていない事までベラベラと語ってくれた。

住まいは新宿(東京ではなく新宿と言うのだ)とか飲み屋を何件かやっているという伏線バリバリなのだが、僕はそのあたりの勘がとても鈍く、都内で飲食店をいくつも経営しているちょっと風変わりなやり手の人と捉えていた。
ツアーが始まり1時間ぐらいとりとめもない話をしていたのだが、向こうがカミングアウトした。
「実は私ゲイでして新宿2丁目でゲイバーをやっています」
そこまで言われてやっと納得した。
名前は男だが男っぽくない仕草とか話し方とか、新宿に住んでいるとか、車内でも靴を脱いでスリッパを履いている様子だとか、全部当てはまるじゃん。
我ながら自分の鈍さを思い知った。
うちの女房殿はその辺の嗅覚というか勘が鋭く、街を歩いていてもあの人はゲイだとすぐに気づくようだ。
だからと言ってそれで態度を変えるとかそういうのではなく、ただ単に気づいてしまうのだと言う。
それからカツラを見破る能力、整形をしているかどうか見分ける能力に長けている。
そういう実生活に全く役に立たない能力もあるのだなあと感心をする次第だ。
ちなみに僕は相手がゲイだろうがオカマだろうがお鍋だろうが中華鍋だろうが圧力鍋だろうが気にしない。
接する相手の性別、肌の色、年齢、社会的地位、財産や権力の有無によって態度を変えない。
そういうのよりも、金に目が眩んでいる奴、暴力で相手を支配している奴、マウントを取ってくる奴、人を利用しようとする奴などは軽蔑する。
心の中心に愛と平和があれば誰でも友達になれるし、そうでない人間を見抜く能力はあると思う。
「それから堀プロというところでお笑い芸人もやっています」
「ええ?誰かと組んで漫才みたいなの?」
「いえ、芸はピンでやっていて芸名はカタカナでユーマです」
ここまでさらけ出してくれたら、こちらも本音で話ができる。
それまでは「⚪️⚪️さん」と本名で呼んでいたが、そこからは芸名のユーマさんと呼び、車内での話も弾む。
ちなみに実際に話す時には失礼のないようさん付けだが、この話ではユーマと記す。
ユーマはニュージーランドに来る前にシドニーでゲイの祭典マーディグラに行きゲイパレードを歩いたと嬉しそうに語った。
この国でのゲイの立ち位置や社会がゲイをどう見ているかという話をしたらユーマは喜んで聞いてくれた。
ニュージーランドでは男同士や女同士の結婚が認められていて、その法案が決まった時の国会議員のスピーチが素晴らしかった。
意訳をすると「誰かに迷惑をかけているわけじゃなかろうし、本人たちがそれで幸せなら結婚したっていーじゃん」というようなものだった。
ゲイの国会議員もいるし、子供の学校の制服も男女どちらでも選べる。
自分はゲイではないが、ゲイの人には住みやすい社会なんだろうなと思う。
そもそも歴史を振り返ってみても同性愛というのは当たり前に存在していて、同性愛者が変な目で見られるようになったのはつい最近の話である。
このあたりはコテンラジオの性の歴史を最初から最後までもう一度聞きなおしてみた。
世界史ではキリスト教の宗教改革のあたり、日本では明治維新以降の話だ。
平安貴族も鎌倉武士も戦国武将も江戸時代の大名も一般庶民も男色というのは当たり前にあった。
だが明治維新で西洋の文化を取り入れるという話のときに同性愛を迫害する流れが付いてきたというわけだ。
世界史でも同性愛を罪とする話はキリスト教の教えであるが、当のキリスト本人は同性愛について何も言っていない。
その弟子が「売春も同性愛も快楽の為の性行為も全て罪だ」と言い始めて、それ以来そうなってしまった。
一言で書くとそういうことだが、その背景には科学、宗教、社会、文化、哲学、人間の欲望、政治、病気、医学、全ての事柄が複雑に絡み合っている。
その上で今の僕らが住む社会は成り立っている。

定番のフェアリーのパイ屋でパイを食べ、テカポへ。
目の前に湖が広がる景色にユーマは大興奮でキャーキャーとはしゃいでいる。
それはそうだろう。雑多な街新宿に住む人にとって、テカポのような場所自体が最も普段の生活からかけ離れた存在だ。
非日常を味わうために人は旅をする。
僕にとっての日常はお客さんにとっての非日常であり、それを暖かく見守るのが務めだ。
たとえ自分が何百回訪れた場所であろうと、お客さんに取ってはかけがえのない1回だ。
その瞬間を共有する感覚は一期一会に通ずるものがある。
自分はここのローカルだから何でも知っている、という態度を取る人はその時点でガイド失格だ。
あるベテランスキーインストラクターの言葉を借りる。
「スキーインストラクターという仕事は、その人が人生で初めて雪の上を滑るという体験に立ち会う事ができる素晴らしい仕事である」
その思考法が大切なのはどんな仕事にもあてはまる。

お昼時になり湖畔レストランで名物サーモン丼を食べようということになった。
サーモン丼が運ばれてきて、いただきまーすというタイミングでユーマがスマホをテーブルの上に置き、食べながらラジオの収録をしようということになった。
えええ?いきなりですか?まあ自分のポッドキャストもいつもバーで飲みながらだからいいけど。
「ユーマの新宿二丁目ゲイバーラジオ、それそれー❤️」
えええ?そんなノリで始まるの?
他のお客さんもいるし店員さんもいるからあまり大きな声ではできないけど、サーモン丼を食べながらの収録である。
途中で店員さんがお茶のお代わりを持ってきてくれるところが録音されるのも、自分のポッドキャストと同じだ。
面白いので是非聞いてほしい。
なぜユーマが一人でニュージーランドを旅する事になったのかも、この前回の話でしゃべっている。

【第490回】テカポ湖に来ました!面白いツアコンの人と出会いました! - ユーマの新宿二丁目ゲイバーラジオ | stand.fm

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人間同士のコミュニケーションで大切なのは心理的安全性である。
簡単に言うと思った事を包み隠さずに話し合える間柄、ということだ。
僕は割とホンネで語るほうだが、お客さん相手の商売だから常にそうとも限らない。
だがこの日は全て本音で話が出来て、ユーマも色々と人生を語ってくれた。
聞くと2年半付き合っていた彼氏と別れてしまって、まだその人の事が忘れられなくて、でも私は身を引いた方がいいかもしれないし、でも今回の旅行で新しく出会った人もいてひょっとするといい関係になるかもしれないし・・・・・
そんなような話を車の中で語るのだ。
ゲイの恋愛相談なんて、そうそう出来るものでもないぞ。
そちらの世界の事は何も知らないので自分の答えがどれだけ当てはまるのか分からないが、向こうはただ話したいだけなのかもしれん。
悩んでいる人には申し訳ないが、面白おかしく話を聞いて、ブログネタにするのも承諾してもらった。
僕も新宿二丁目というものがどういう場所か知らないので色々と聞かせてもらうのも面白い。
「そういうゲイバーという店は普通の人も行けるものなんですか?」
「中には専門のお店もあってノンケの人はお断りという所もあるけど、ノンケもいいわよというお店もあってそれはいろいろよ」
「へえ、そういうものなんだ。僕は日本にいた時は田舎というか山奥にいたから都会にほとんど出なかったんです。今度行ってみようかな。」
「是非是非来てぇ、新宿二丁目をガイドしちゃうわよ」
「それは嬉しいな。日本にいつ帰るか分からないけど、その時はお願いします」
そんな話をしながらクライストチャーチに着いて、とても興味深く楽しい仕事が終わった。

家に帰りさっそくユーマでググってみたら真っ先に出てきたのは、未確認生物や未確認動物といったネッシーみたいなものの総称UMAのユーマ。
いやいやこれじゃないぞよ。
お笑い芸人をつけてみたらそこで彼が出てきた。
おお、いろいろ動画が出てるな。
ステージ上でのゲイの芸もある。
へえこういう芸風なんだぁ、下ネタで面白いぞ。 
そうやって見ているうちに一つのネタで考えてしまった。
普通の人がどうのこうのというセリフの後で「じゃああたしたち普通じゃない」と笑いを取るネタだった。
そういえば自分もユーマに「普通の人もゲイバーに行くんですか?」と質問したのを思い出した。
彼らを差別する気はもちろんなく、ノンケとかストレートとかいう専門用語なのか業界用語がとっさに出てこなく普通の人という言葉を使った。
感覚的には業界の人と一般の人という具合だが、そこで考えた。
普通って一体何だ?
自分たちは知らず知らずのうちに大多数派と少数派を区別していないか?
そこでまたコテンラジオの性の歴史を思い出した。
男らしさと女らしさという概念は、なんとなく大昔から続いている考え方だと思っているが、実は明治維新の後にでてきた考え方なのだと。
多分世の中の大多数の人も僕と同じように考えていることだろう。
そういう大きな錯覚の上にこの世はある。
自分がこうだと思っていた事柄が実は違うんだ、という事に気づく楽しさは最近増えているが、ここでもその事にいやおうなしに気付かされた。
そしてまた改めてコテンラジオを聴き直し想ったのだが、歴史というのは全て男の視点で男が記したもので成り立っている。
聖書だって経典だってお経だって数ある歴史書だって、みんな男が書いたものじゃないか。
その上に今僕たちが住む世界が成り立っている。
そして今僕たちはそれに気がつき、新しい世界、今までの価値観を覆す社会を作っていかなければいけない。
古い価値観が全て悪いとは思わないが、より広い視野を持たなくてはならないのである。

長い歴史の中で、女性は物扱いされたりして実質的に人権はなかった。
これは女性に限らず子供にも身体障害者にも人権はなかった。
これは社会的弱者というカテゴリーであって、そういった人々は一緒に社会を形成する存在として認識されていなかったということだ。
そもそも昔はその社会という概念さえもほとんどの人は持っていなかったのだろう。
ニュージーランドでガイドをやっていてネタにするのだが、女性の参政権の世界初はニュージーランドですと。
また世界初の女性の学生もニュージーランドですと。
そのようにこの国では割と早くから女性の社会的権利が認められてきた。
その結果、女性が管理職になりやすい国だとか、女性が政治家になりやすい国として認められてきた。
僕の経験でも女性が上司とか会社の社長とかは何人かいた。
こうやって書くと、女性が声を張り上げて自分の主張を要求するようなイメージを持つかもしれない。
だがこの社会を見ているとそういう抗議活動や闘争の上に成り立っているのとはちょっと違う気がするのだ。
もっと緩やかで自然な流れでできてきたような気がする。
女性だからこうあるべきみたいな感覚があまりないのは男性にもあてはまる。
男の専業主夫というのもよくある話であり、夫婦間でお互いにそれで納得してるならいーじゃん、というノリなのだろう。
同性間の結婚もそれと同じ話で、二人がそれでハッピーならいーじゃん、ということだ。
今の日本ではどうかよく分からないが、頭の固い人が「男が専業主夫なんてみっともない。男は外へ出て働くべきだ!」という考えを持つような社会では同性愛も認められないだろうなと想像はつく。
また身体障害者を見ても、この社会は甘やかさずに本人ができる事は本人にやらせる。
当然本人にできない事は助けるが、『可哀想な人』ではなくその人の個性ぐらいの感覚で人と付き合う。
何年も前に日本で行ったトークライブジャパンツアーの根底にあるのは成熟した大人の社会の話であり、そこは今も変わっていない。
変わった事があるとすれば、この国の社会でもいい事ばかりでなく裏側の闇は深く暗い事に気がついたぐらいだろう。
そしてこれは自分自身の中での変化だが、闇がある事に気がついたとしてもそれを悪として捉えることなく、そこに存在するものという見方ができるようになったことぐらいか。

今回ユーマと出会ったことで自分も影響を受けて、コテンラジオを聴き直したりいろいろかんがえることもあった。
だがやはり根底にあるのは愛であり、そこがあるからこそユーマとのつながりを持った。
男と女というのは人類の永遠のテーマだと思うので簡単に結論が出る話でもない。
そして考え方の鍵としては男の中の女性性と女の中の男性性、これを認めずにして次のステップへは行けない。
男とか女とかそういうの関係なく、人としてどうあるべきか。
愛を心に持ちつつバランスを取って生きて行く。
難しい話のように見えるが実は簡単な事であり、簡単な事が一番難しい。
そんな禅問答のような話で今回の話を締めようか。

ああ、そうそう、ユーマの新宿二丁目ゲイバーラジオ 面白いから聞いてみてね❤️
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南場のおっさん

2020-04-02 | 
僕がこの世でブラザーと呼び合う男が何人かいる。
どいつも価値観が似ていて、どいつも酒飲みで気前良く、どいつも男気があり、どいつもおっさんである。
その一人がこの南場というおっさんだ。
日本では売れっ子添乗員、ニュージーランドではマウントクックでガイドをする。
いつのころからか僕らは知り合い、いつのころからか酒を酌み交わす仲となった。
僕がマウントクックで泊まりの日は向こうで飲み、シーズン頭やシーズン終わりには向こうがこっちに来て飲む。
互いにおっさんと呼び合う、そんな関係が何年か続いている。



時系列が混乱してしまうが、このおっさんが手下のユイと一緒にアロータウンの家にやってきたのが、僕の最後のツアーが終わった日。
キャンプして焼肉やろうぜ、と南場のおっさんが奮発して熟成肉だのラムラックだの買い込んでスキッパーズへ出かけたが雨が降り出したので撤退。
結局いつものようにアロータウンの家で、七輪炭火焼肉の宴となった。
その時点ですでにニュージーランド航空は日本行きの飛行機は3月30日まで、その後は6月30日まで飛ばさないという発表をしていた。
ちなみにこのおっさん、もともとの帰国予定は3月14日だったが、ちょっと延ばして遊んでいこうと予約を変更した。
予約を変更した日付が3月31日なのだ。
3月30日以降の予約の人は、こちらから連絡をするから待てと。
ちなみに日本で買ったチケットなのでオンラインでは予約の変更ができないらしい。
電話をしてもなかなか繋がらず、予定日の72時間前まで連絡するなというメッセージになってしまうようだ。
しかもマウントクックでの仕事の契約が終わったので寮に居続けることもできず、フラフラとキャンプ生活をしている。
その時はまだこんなに大事になるなんて思っていなかったので、酔っ払いながらおっさんの唄を作った。
タイトルは『日本に帰れない・・・オレ』
そしてさらに演歌調の『南場エレジー』 キーはCm 1番と2番の間に語りが入る。

 日本に帰っても 仕事は無いし
 そもそも会社が つぶれそう
 30日までは飛行機が飛ぶのに
 俺のチケット その次の日

 やることなすこと 裏目裏目でござんす
 齢54歳にて 住所不定無職となりやした。
 流れ流れてニュージーランド
 明日は風の向くまま 気の向くまま

 NZにいても 仕事は無いし
 住む場所さえ 無くなった
 黄色い車で 眠ればいいさ
 財産はバックパックとカセットコンロ

こんなどうしようもない唄をゲラゲラ笑いながら作って、その場でレコーディングまでした。
ちなみに歌は僕が歌ったが、語りの部分は本人に語らせた。
手下のユイが録音してPVを作るそうだ。
おっさんとユイはそのまま南の方へキャンプへ出かけ、僕はバンドのメンバーと楽しい週末を過ごしたのが、つい先週の話。



そこからは先の話に書いた通り。
僕はクライストチャーチに戻り、その日の夕方におっさんも我が家へやってきた。
おっさん同士が集えば飲むしかないだろう。
その日のメニューは我が家の餃子。例の絶品の餃子だ。
晩遅くには娘もウェリントンから帰ってきて、一気に我が家は賑やかになった。
犬のココちゃんは尻尾を振りながらおっさんの傍に寄り添っているのが良い。
おっさんのチケットは相変わらず31日のまま。
日本のニュージーランド航空に電話したら、せっかく繋がっても待機の音楽が流れている間にお金が無くなって切れてしまったそうな。
次の日にダメモトで空港へ行く、それも一人では心もとないから僕が一緒に行くということで、その晩は飲みつぶれたのだ。



ロックダウン前日
こんな長期のロックダウンなんて初めてである。
もっとも僕だけでなく全ての人にとって初めての体験であろう。
これから1ヶ月、スーパーで買える物以外で買っておくものを考える。
ホームセンターや大型の家電ショップなどだろうか。
ギターの換えの弦とドラムのスティックは前日に楽器屋で買っておいた。
家族会議を開き必要な物をリストに上げる。
それから南場のおっさんの黄色い車のタイヤがパンクしてるので、それも今日中にやってもらう。
やることはいくらでもある。
ホームセンターではフェンスを塗るペンキ、予備の電球、野菜の苗など。
その近くの家電ショップでは女房は探していたアイパッド、僕はブレンダーを即時に購入。
時間は1日しかない。安い物を探して店をはしごするわけにはいかない。
魚屋に行ったら活きのいい鯵があったので買った。最後の一匹だったらしい。ついでに冷凍の秋刀魚も。
肉は手に入るが新鮮な魚はこの先に手に入るかどうか分からない。
ジャパレスをやっている友達に連絡して、石鹸を作る為の油をもらいに行く。
彼の店もこれからは閉店。サーバー内のビールを処分するというので、みんなでその場で立ち飲み。
「ああ、ここでラーメンとおつまみにチャーシューなんか注文したくなっちゃったよ」
これから最低1ヶ月は外食もできない。

昼飯の後、おっさんと一緒に空港へ向かった。
列で待たされている間に、係員のおばちゃんにあれこれ聞かれて事情を説明するも「オンラインで予約を変更しろ」の一点張り。
それができないからこうやって来ているのに、頭が固い人というのはどこの世界にもいるものだ。
幸いカウンターの人は日本人女性で、説明すると話を聞いてくれてチケットを調べてくれた。
と彼女の表情が曇り、何やら同僚と話し始めた。
彼女が言うことには、おっさんのチケットは予約がキャンセルされてクレジットに変更されている。
誰がいつそれをやったのかは分からないし、そこのカウンターでは変更できない。
おっさんが泣きついて、そこのカウンターの電話で日本のニュージーランド航空へ電話してもらった。
彼女はカウンター業務があるので、そこからはおっさんが日本の人と延々1時間ほど話をした。
僕はその間ウロウロと待っていたのだが、さすがに建物内にいるのが嫌になり外で待った。
いい加減待ちくたびれた頃におっさんが出てきて言うには、どうにもできないから自分で新しくチケットを予約して、とにかく日本に帰ってからなんらかの手続きをすると。
「危ねえ、危ねえ、そのまま馬鹿正直に向こうからの連絡を待っていたら、帰れなくなるところだったぜ。」
「全くだな。それが分かっただけでも空港に行った価値はあるじゃん」
その後、ビールの材料を買い足して夕方に帰宅。
これでやり残したことはないはずだ。

帰ってから、南場のおっさんは帰りのチケットを予約するという大仕事がある。
ニュージーランド航空のサイトでは空席が出たり、それがすぐに売れたりという状態らしい。
よその国を経由して帰るという選択も、今の情勢では難しかろう。
確かにこの状態ならどこも混乱しているはずである。
今を逃せばこの先最低3ヶ月は帰れない。
その先のことも誰にも分からない。
空席が出ておっさんが喜び、それを買おうとしてモタモタしているうちに売れてしまって落胆して、というのを鯵を捌きながら見ていた。
見るに見かねて女房が助けを出して、なんとか翌日の席を確保したところでイヤミを一つ。
「なんだあ、明日か。じゃあビール作りもこんにゃく作りもペンキ塗りもできないじゃん」
我が家に滞在する間は、家の事を何でも手伝うと豪語していたのだ。
僕としてはこのままおっさんが日本に帰れなくなって家に居候なんてことになったら、それはそれで面白いなと思ったがなかなかそうはいくまい。
「ゴメンゴメン、この埋め合わせは絶対するからさ」
「よし、じゃあ、まずは乾杯だな」
ビールで乾杯して、鯵のなめろうを肴に日本酒を飲んだ。

翌朝、僕はおっさんを空港まで送っていった。
早朝だからなのか、ロックダウンだからなのか、車の通りはほとんどない。
空港のドロップオフの場所で握手をして別れた。
ダラダラとチェックインまで付き合うようなことはしない。
おっさん同士の別れはドライだ。
黄色い車を我が家に人質にして、おっさんは旅立って行った。
この車、燃費も良いし荷物も積める、買い物には便利そうだし、街乗りの足として使わせてもらおう。
余談だがその後、ロックダウンが始まりNZ国内の移動も難しくなり、28日以降の予約だったら本当に日本に帰れなくなるところだった。
サダオがコメントでうまい事を言っていた。
「あの人、こういう船に乗り遅れそうっていうふうに見えて、周りの人をドキドキハラハラさせながら、上手ーくギリギリで乗っかってっちゃう人ですね。良い意味で。こういうキャラが良い味出してて、俺は大好きです!」
まさにその通りだな。それも人徳。
この日の夜、成田のホテルで風呂に入って浴衣を着てキリンビールを飲んでいる写真が送られてきた。
こうしておっさんは無事日本に帰り、ニュージーランドではロックダウンが始まった。





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西の男

2019-06-12 | 
2005シーズンの数少ないパウダーの日、僕はブロークンリバーにいた。
この年は記録的な暖冬で八月半ばまでまともな降雪はなく、地元のスキーヤー、スノーボーダー、山のスタッフはじりじりしながら天の恵みを待っていた。
人々の期待に応えるように、南島を低気圧に伴う前線が通過した。山々は1日で冬化粧を終えた。
前日までの雪は夜のうちに止み、朝の光が厚いパウダースノーを照らす。
いきなり大量の雪が降った後は雪崩の起こる確率も高い。となりのクレーギーバーンや、反対側のチーズマンから盛んに発破の音が響く。ここブロークンリバーでも早朝から爆薬を使ったアバランチコントロール、雪崩管理が行なわれている。
中心になって動いているのはヘイリー・グリーンその人である。
ここで一番、新雪を滑るという意味での力を持ち、この山にいる全員からの厚い尊敬、信頼を得ている。
彼は多くは語らない。
しかし一度口を開けば周りの人達は会話を中断し、彼の言葉に耳を傾ける。長い間、現場に立ち続ける男の言葉には重みがある。
そんな彼がオープンを待っている人々のはるか上、山頂近くにいる。
突然彼が立っている場所から数メートル下で煙が上がる。次の瞬間、山に爆音がこだまする。そして煙が上がった場所を頂点に雪の波が斜面を下る。
幅数十メートル、雪崩の規模としてはそれほど大きいものではない。しかし人間が埋まるには充分な大きさだ。
人々が見守る中、雪崩は数百メートルほどで止り、全員の期待と興奮の混ざったため息が聞こえた。
ヘイリーはそこから一つ奥の斜面に移り、純白の雪面に自分の跡を刻み込む。人々から歓声があがる。
この瞬間、この山はヤツのものであり、ヤツこそ一番先に滑るべき人間なのだ。少なくとも自分にはそう映った。
下に下りてきたヤツを全員が注目する。オープン看板を持ちながらヤツは言った。
「気をつけろよ。今日の雪は昨日と違うぞ」
その場の空気が一瞬で凍りつく。『そんなに雪崩が危ないのか』全員がそう思ったはずだ。目の前で雪崩を見た直後なのだ。
次の瞬間ヤツはニヤリと笑った。
ニコニコでなく、ガハハでもなくニヤリなのだ。
凍った空気は一気に解け全員の気持ちが一つになる。『そんなにおいしいのか?』
雪崩の危険が高いイコールおいしい、という事はここにいる全員知っている。みんなの期待が一気に盛り上がる。
ヤツはそれ以上語らず、看板を持って上がって行った。
数分後、その場に居合わせた全員がヤツのニヤリの意味を知った。
にくいオヤジだ。ヘイリー・グリーン、彼の存在なくしてこの山は語れない。

シーズンも終わりに近づくと人々の間でも「夏はどうする?」といった話が多くなる。
ブロークンリバーのパーマーロッジで日向ぼっこをしながら話をする。
「なあヘイリー、シーズンが終わったら遊びに行ってもいいか?」
「おお、いいぞ。テントは持っているか?」
「もちろん。よーし!西海岸でキャンプだ」
「今はホワイトベイトの時期だ。チビも連れてくればいい。どうだミユキ、おじさんの家にキャンプに来るか?」
ヘイリーは深雪に話し掛けた。娘はテレて僕の後ろに隠れてしまった。
「なあ深雪、お前ヘイリーのうちにキャンプに行きたいか?」
僕は日本語で話し掛けた。
「行きたい!」
娘は力強く答えた。
「だったらヘイリーにちゃんとあいさつしなくちゃダメだぞ」
この時点で、娘が保育園以外で英語でしゃべれるのは、僕の友達のマリリン一人、それもサンキューのみ。
マリリンもブロークンリバーのクラブメンバーで、僕がメンバーになったのは彼女のおかげなのだ。
毎回毎回彼女の店に行く度にチョコレートをもらい続け、2年目でやっとサンキューと言えるようになった。
「マリリン大好き」などと僕には言うが、本人を目の前にすると恥ずかしくなってしまうらしい。
ブロークンリバーの人達とも話しをしたいが、英語で喋るのが恥ずかしいのだ。

後日、僕は娘と西へ向かった。
キャンプに備え買い物をする。家の近所の肉屋では、自家製のハムホックやベーコンなどがある。
ハムホックとは豚の脛を燻製にした物で、骨の周りの肉をナイフで削いで食べる。魚でも肉でも骨の周りの肉は美味い。しっかりとした肉の味で、他の部位にはない旨さがある。皮は煙で茶色く燻されていて、骨と一緒に煮てスープを取る。捨てるところが全く無いというのが好きだ。これで1本$4・50、全く庶民の味方の肉屋だ。
ベーコンはというと、ヒモでぐるぐる巻きにした肉の塊が3本ほど大きなまな板の上に転がっていて、客は好みに合わせ肉を選び、欲しい分だけスライスしてもらう。
最初に2~3枚スライスして厚さを見せてくれる。サービスとはこういうものなのだ。
買い物をしていて実に気持ちが良い。個人的には、やや薄切りが好きだ。これもきっちりと煙の匂いがする。
スモークチキンもあなどれない。
鳥の胸肉はどちらかといえばパサパサしがちである。僕は焼くのも油で揚げるのも腿肉が好きだが、この燻製は胸肉がぴったりだ。鳥の胸肉をこれ以上美味しく食べる方法があるならば、是非とも御馳走してもらいたい。
スモークサーモンだって自家製だ。
ニュージーランドのスモークサーモンはコールドスモークとホットスモーク、2種類ある。コールドスモークは燻してあるが基本的に生だ。薄切りにしてケッパーと一緒に食べると旨い。一方ホットスモークは完全に火が通って身はうすいピンク色になる。
この店ではホットスモークだけだ。コールドスモークが無いのか尋ねると店のオヤジが言った。
「コールドスモーク?うちは作らん。スモークサーモンを一番美味く食うのは断然ホットだ」
肉屋のオヤジにはこだわりがあった。もちろんウマイ。どれもみな素朴な燻製の味なのだ。
郊外ではアスパラガスの無人販売に立ち寄る
道端に冷蔵庫がドンと置かれ、中にアスパラガスが山盛りにある。
使い古しの冷蔵庫には電気が通じてないが保冷庫として利用する。物を捨てないニュージーランド気質がここでも見られる。
数年前初めてこの場所を見つけた時には、冷蔵庫の中にアイスの空箱があり、客はお金を箱に入れ、お釣が必要な時には各自で小銭を箱から持っていくというシステムだった。
「へえ、これでもお金が無くならないんだ。まさにオネスティーボックス(正直の箱)だね」
そんな会話をJCとした。
同じ年のこと、小銭もなくお釣もないけど、どうしてもアスパラガスを買いたかったので、敷地の中へ入り直接売ってくれるように頼んだ。でてきたおばちゃんが僕達に尋ねた。
「あんたたち、ちょくちょく買ってくれるわね。生のアスパラガス食べた事ある?」
「ないない」
「じゃあちょっと、ついておいで」
おばちゃんについてビニールハウスへ入ると、アスパラがニョロニョロと地面から何本も生えている。おばちゃんはおもむろに数本を切り取り、僕達に渡した。そのまま恐る恐るかじってみた。甘い!野菜とはこんなに甘くて旨いのか。フレッシュというのは最高の調味料だ。
次の年、冷蔵庫の横に鉄の箱が据え付けられた。
「ああ、やっぱり誰かお金盗んだんだ。悪いヤツはいるんだね」
おかげでお釣を取れなくなった。
さらに次の年こんな張り紙が貼ってあった。
『アスパラガスを持っていくならお金を払いなさい。私達はほとんど儲け無しで無人販売をやっています。お店に出した方がはるかに高く売れます。今後アスパラガスを盗むようなら無人販売を止めます』
もっともなことだ。幸い無人販売はまだ続いている。値段はその時から一束$2・50で変らない。

僕は車を走らせながら娘に尋ねた。
「お前、スプリングフィールドに行ったらちゃんとマリリンに挨拶できるか?」
「うん。大丈夫。マリリンがチョコレートフィッシュをくれるの。それでサンキューマリリンって言うの」
「本当かあ?又いつもみたいにオレの後ろに隠れるだろう」
「ちょっと恥ずかしいの。でもがんばる」
「そうだぞ。お前これから大きくなったらスキークラブの人達とも話しをするんだぞ。ブラウニーとかヘイリーとか」
「ワザーとか?」
ワザーはヘイリーと一緒にパトロールをしているワイルドなヤツで、なぜか娘のお気に入りなのだ。
「そう。ワザーとか。できるか?」
「うん。フォーになったらね」
「フォーになったらできるのか?」
「うん。フォーならできる」
娘はあと数ヶ月で4歳になるが、4つになると色々な事が出来るようになる・・・らしい。
マリリンの店ではお約束のように魚の形をしたチョコレートをもらい、これまたお約束のように僕の後ろに隠れてしまう。
「マリリン、今からヘイリーのうちへ行くよ」
「あら、良いわね。ミユキを連れて行くには良い所よ。それに今ならホワイトベイトの季節ね」
「うん、今年は冬が早く終わったからホワイトベイトの漁が長いらしい」
「そう、気を付けて行ってらっしゃい」
「ほらお前、マリリンにバイバイって言え」
僕は娘の頭を小突いた。
「バイバイ」
娘は恥ずかしそうにうつむきながら、小さな声で言った。やれやれ。
アーサーズパスを越える頃には雨が本降りになってきた。今日はこの前線が通過し、明日からは上り坂だ。
今晩は雨のキャンプだ。まあ娘には良い経験だろう。
アーサーズパス近辺にはシェルターと呼ばれる避難小屋が点在する。その一つでキャンプをする。シェルターは三方を壁に囲まれているので雨でも平気だ。外では土砂降りの雨が、地面と屋根を強く叩く。夜の雨を見ていると、自然の営みというものを感じる。
七輪で火を起こし、お気に入りのベーコンを焼く。白い脂身が徐々に透明になり、油が絞り出て下にジュージューと落ちる。炭の上に落ちた油は白い煙となり再び上の肉を燻す。ベーコンを一番旨く食べるのがこれだ。アスパラも一緒に焼く。ベーコンとアスパラはゴールデンコンビだ。娘も大好きでガツガツと手掴みで食っている。僕らはキャンプに来ているのだ。上品に食う必要は無い。
「なあお前、キャンプに来て楽しいか?」
「うん。楽しい」
「雨が降っていても?」
「雨はイヤだけど楽しい」
「明日はどこへ行く?」
「ヘイリーのうちにキャンプに行く」
「よし。それならお前、自分のことは自分でやるんだぞ。それができなかったら帰るからな」
「うん」
「返事は?」
「ハイ」
「よろしい」
その晩、娘を寝かせようとした時、あることに気が付いた。娘の着替え一式を入れたバッグが無い。
「あーあ、やっちまった」
思わず声に出してしまい、娘と向き合った。
「どうしたの?」
「うん、お前の着替えを家に忘れてきちゃった」
「ふうん」
「それでだ、どうだお前、服を取りに家に戻るか?」
「イヤ」
「それならグレイマウスへ行ったら下着だけ買おう。あとは今着ているのと、この一着だけだからな。汚さないようにしろよ」
「うん」
「あーあ、それにしても忘れるとはなあ」
「ダメねえ」
「うーん、ダメだなあ。いいか、これからお前が大きくなったらこういうことも自分でやるんだぞ。山に行くってことは全てなんでも自分でやるってことだぞ」
「うん。フォーになったらね」
「お前なあ・・・まあいいか。よく聞け、オレがダメだったら深雪がしっかりするんだぞ。自分で出来る事は自分でやれ。しっかりしなかったら帰るぞ」
「わかった。しっかりする」
「よろしい」
世の中の不条理については、これから学んでいくことだろう。

次の日グレイマウスで買い物を済ませ、西海岸を北上する。
パパロアナショナルパークは小さい国立公園だが、好きな場所である。
西海岸でも南のフィヨルドランド、中央のウェストランドとは雰囲気が違う。こうやって色々な所をほっつき歩いていると、国立公園の個性のようなものが見えてきて楽しい。
この公園ではニカウパームという椰子が多い。ニュージーランドに唯一ある椰子だ。地元民はニカウトゥリーと呼んで親しんでいる。庭にこの木を植えている人も多い。
以前、オークランドに行った時にこの木が多いのに驚いた。たぶんそこに住んでいる人にとっては、僕達がキャベッジトゥリーを見るぐらいに何てことの無い木だろうが、ディープサウスに住む者には、とても新鮮なのだ。この辺りが植生域の南限なのだろう。
オークランドの木は葉の根元の脹らみが少ないが、ここの木はポテッと脹らみ、独特のシルエットが海をバックに浮かぶ。単純に美しい。
娘は、ニカウトゥリーニカウトゥリーと見つけては喜んでいる。なかなかよろしい。
ここの国立公園の目玉はプナカイキと言う場所のパンケーキロックだ。文字通りパンケーキを重ねたような形の岩が、海岸に突き出す場所がある。
トレッキングとしては物足りないが、素敵なウォークで子連れにはちょうど良い。
二カウパームの多いブッシュを抜けると岩場に出る。幾筋も横縞の入った岩が下の海に直接落ちている。波が打ち寄せ岩に当たり、岩の隙間から間欠泉のように吹き上がる。太陽を背にすると虹が現われる。ブローホールと呼ばれるものだ。
ここは観光トラックとなってしまったがそれには訳がある。
良い所だからだ。
国道に近いところでこんなステキな所があれば、車を止めて歩きたくなるのは人間の自然な感覚だ。
トラックはきれいに整備され、サンダルでも歩ける。ループになっているので人とのすれ違いが少ない。一つの道を往復するより、適度に人が分散され多くの人が楽しめる。手すりを止めている岩もパンケーキの形になっていて周りの景色と調和している。こういう場所を設計する人のセンスが好きだ。
タスマン海の彼方で水平線がくっきりと空との境を分ける。
西海岸に戻ってきた。
ウェストポート、人口二万ほどの町だ。
西の港、ひねりも何も無い、西にある港町である。
近くには石炭の鉱山があり、鉄道でアーサーズパスを越え、東のクライストチャーチへ運んでいる。
町から10分も走れば人がほとんど住んでいない牧場の風景が広がる。さらに5分も走れば行き交う車は無くなり、道は砂利道になる。
海岸線を道は進み、海を見下ろすように、家がポツリ、ポツリと建つ。自分が何も知らないでここに迷い込んだら『いったいどんな人がこんな所に住んでいるんだろう?』絶対そう考えるだろう。そんな家の一つがヘイリー・グリーンの家で、苗字のまま、緑のポストが目印だ。
ポストからはブルドーザーで切っただけの道をゴトゴト進む。数百mほど進むと建物が見えてきた。駐車場の脇には赤白青の六角形の派手なトレーラーハウス。一体こりゃなんだ?
家へ行くと長女のハンナが出てきた。ヘイリーはホワイトベイトを取りに行ったらしい。車で数分の川へ僕らも行ってみた。
河口では茶色いウェーダーに身を包んだヤツが漁の真っ最中だった。バケツの中には取れたばかりのホワイトベイトが透明な体をくねらせている。
短い挨拶を交わし、娘とそのへんをブラブラと歩く。娘が僕に尋ねた。
「ねえ、もうひとつのヘイリーは?」
「ん?それを言うならもう一人だろ」
「うん。もう一人のヘイリーはどこ?」
「アレがヘイリーなんだよ。ヘイリーは一人しかいないんだぞ。ブロークンリバーで会ったのと同じだぞ」
「ふーん」
娘は雪山でしかヤツを見たことが無い。確かに山で会うヤツとは雰囲気が違う。娘が間違うのも無理はない。
そうこうしているうちに車が1台やってきた。運転しているのはさっき会ったハンナ。助手席には奥さんのジューが乗っている。ハンナは14歳、クラッチ付きの車の練習中だ。ちなみにオートマチックはもう運転できる。ここでは車を運転するということは生きていく為に必要なことなのだ。
子供を機械から遠ざけるのではなく、機械を運転させて危険性を教え正しい使い方を教える。教育とはこういうことだ。
家に戻りテントを張る。娘が手伝うと言っているが、3歳の子供になにが出来るわけでない。僕の後にくっついて、ペグを渡すぐらいだが、本人は仕事をしたつもりで満足そうだ。
家に入り、ジューにお土産の燻製とアスパラを渡す。
「あら!ありがとう。この辺ではアスパラは貴重よ。あたしもここで育ててみたけどダメだったの。この辺りは土が湿っていて、地温が上がらないから育たないのよ」
家の前のテラスには居心地の良い空間があり、海を見渡せる。ヘイリーはサーファーでもある。波をチェックするには絶好の場所だ。あんなにあこがれた海に沈む夕陽だって見える。まさにここはスィートパラダイスだ。
まもなくヘイリーが漁から戻ってきて、近くのパブに一緒にビールを買いに行く。深雪もヘイリーの末娘、トメカも一緒だ。
パブでは何はともあれ乾杯である。
鉱夫の黒、といういかにも炭鉱のある町らしい名前のビールである。他の街ではお目にかかれない地ビールなのだ。
グレイマウスのモンティースのオリジナルとブラックの中間ぐらいの濃さで、こちらのほうがシンプルにウマイ。一口飲んでこの旨さに惚れ込んでしまい、何杯もお代わりをした。
誰かがこの国のビールは麦の味がする、と言っていた。そりゃそうだ、ビールとは麦から作る物なのだ。
この辺りの水がうまい、というのもビールが美味い条件なのかもしれない。それくらいここのビールは美味い。
残念なことは、ここでしか売っていないことなのだが、逆にそれが良い所なのかもしれない。このビールを飲みたかったらここへ来ればよい。
ラベルは炭工夫がヘルメットにヘッドライトをつけビールを飲んでいる絵で、これもまた良い。良いこと尽くめのビールだ。
ほろ酔いで家に帰り晩飯だ。メニューはもちろんホワイトベイトなのだ。
ホワイトベイトは日本の白魚のような物で、この時期になると川を遡る。岸に近い所をゆっくりと泳ぎ、それを人間が大きなタモですくうのだ。
以前はたくさん取れたのだが最近は乱獲がたたって数が減っている。その影響で値段も跳ね上がり、都会では1キロあたり$100~$120ぐらいで売られている。庶民が簡単に食べられる値段ではない。
食べ方は卵を溶いたところに塩コショーと魚を入れフライパンで焼きレモンをかけて食べる。
ニュージーランドの春の味覚だ。
91年に西海岸を旅した時、グレイマウスに立ち寄った。ちょうど町の祭りの際中でホワイトベイトの屋台が出ていた。
ためしに一つ買ってみると、厚さ1センチぐらいのパテにはぎっしりと小魚がつまっていて、それを食パンではさんで食う。ゴーカイでシンプルで実に旨い。
値段は$1・50、安いからお代わりをした。
『なんだホワイトベイトって安いんだ』その時はそう思ったが、以来そんなぎっしり詰まったパテにはお目にかかれない。
今、店でホワイトベイトを注文すると、パテの中に十匹ほどかろうじて入っているぐらいのものだ。ホワイトベイトより小麦粉と卵のほうがはるかに多い。それをサラダとチップスと一緒に食べる。
グリーン家の晩飯は昔ながらのパテだ。つなぎをほとんど使わないのでホワイトベイトはバラバラと崩れる。上品に食うことなどしない。
一口食べ、あまり美味さに絶句。
「くーっ!うめえ!」
娘はガツガツと手掴みで口にほお張る。
ヘイリーが嬉しそうにそれを見て笑う。
至福のひと時である。

数年前のある日、僕はブロークンリバーにいた。たまたま運良くオープンしたばかりのバーンに立った。前の晩の降りからして、腰ぐらいのパウダーは間違い無さそうだ。
どこを滑ろうか、上から眺めていると数十m先でスキーパトロールが手招きした。
ついて行ってみると、まっさらな斜面に大きな穴が一つ。朝のうちにパトロールがダイナマイトを投げ込んだ場所だ。雪は安定しているらしく雪崩の跡は無い。
パトロールが爆弾を仕掛ける場所は、一番雪崩が起きそうな場所、一番危険な場所であり、一番おいしい場所でもある。
「おー!よさそうじゃないか」
「お前にやるぞ」
「いいのか?ありがとう」
短い会話を交わし、僕は深い快楽に身をゆだねた。せっかくパトロールにもらったこの場所だ、思いっきり味わわせてもらおう。
小細工は一切無し。板を思いっきり深く潜らせ、反動で浮上させる。そして次の下降へ。自然の重力、雪の抵抗、自分の体が一つになる。このために自分は生きていると感じる瞬間だ。予想通り雪は腰まであり、体で押し分けられた雪の断片が胸にかかる。一定のリズムでターンを繰り返す。自分の眼下にはまだまだ人が踏んでいない雪面が続いている。
快楽、陶酔、放心。エクスタシーを感じるのはSEXだけではない。
何本かそんな滑りを繰り返し、パーマーロッジへ戻るとさきほどのパトロールがいた。
マオリ独特の浅黒い肌が、雪焼けでさらに黒ずんでいる。長髪を束ねたマレットと呼ばれる髪が帽子の後ろからぶらさがっている。
あごの周りはヒゲでおおわれ、雰囲気としては山男のレゲエのおじさんだ。
「ありがとう。良かったよ」
「そうだろう。今日の雪は美味いんだ。グフフフ」
「紹介が遅れたな。オレはヘッジ。何回かは会っているよな」
「ああ。オレはヘイリーだ」
僕らは固い握手を交わした。
まさかその時には、家に遊びに行って家族ぐるみの付き合いになるとは夢にも思わなかったが、いやはや人生とは面白いものだ。

その夜テントに入ると娘が泣き出した。
「どうした?」
「ここが痛いの」
娘は泣きながら右あごを指差した。あごは真っ赤に腫れ上がり、熱もかなりあるようだ。何が起こったのだろう。僕は慌てながら言った。
「よし、いいか、オレはヘイリーに薬があるか聞いてくる。お前はここで待っていろ」
娘は不安そうにうなずいた。
ヘイリーに事情を説明し痛み止めの薬をもらい、急いでテントに戻る。テントの外からも娘の泣き声が聞こえる。
娘に薬を飲ませようとしたがうまく飲めない。普段は甘い子供用のシロップを飲んでいて、錠剤を飲み込むという動作は生れて初めてなのだ。薬を味わってしまい、あまりの不味さに口から出してしまう。
「マズイのは分ってる。だけど今はこれを飲むしかない。それがいやなら医者に行くか?」
娘はシブシブ泣きながら薬を飲んだ。
十分後、薬が効いたのか、あごの腫れは引き熱も下がってきた。娘も落ち着き再び眠りについた。その後、朝まで起きる事は無かった。
次の朝テントの中で娘と向かい合ってあごの様子を見た。多少腫れているが気にするほどではない。熱は完全に下がったようだ。一体何だったのだろう。
「お前どうする?家に帰るか?医者に行くか?」
「イヤだ」
「だけど痛かったら帰らなきゃならないんだぞ。昨日みたいになったら嫌だろう」
「でも今は痛くないよ」
「夜、又痛くなるかもしれないぞ」
「又薬飲む」
「うーん、じゃあこうしよう。あごが痛くなったらすぐにオレに話す事。それで様子を見てここにいるか、医者に行くか、家に帰るか決めよう。いいか、ちょっとでも痛くなったらすぐに言うんだぞ」
「うん」
「返事は?」
「ハイ」
「よろしい」
ケガや病気を恐れて外に出ないより、そういったハプニングを乗り越えながら進む方がよっぽど前向きだ。
以前本で読んだか人に聞いたか忘れてしまったが、笑うという動作が人間の病気の進行を止めるもしくは直すという話を思い出した。それなら試してみる価値はある。
「じゃあ今日は汽車に乗りに行こうか?」
娘は汽車が大好きなのだ。
「行く行く!」
娘はすでに大はしゃぎで昨晩の事は1秒で忘れてしまったようだ。
午前中はヘイリーが近くにあるアザラシのコロニーを案内してくれる。30分ぐらいのショートウォークだ。
「ミユキ、あそこにベイビーアザラシが見えるだろう。お前と同じで小さいな」
ヘイリーは娘を抱いてアザラシが良く見えるように、手すりの上に座らせる。落ちる事の無いよう娘の肩に手を乗せている。ヤツの暖かさがヒシヒシと伝わる。後ろから見ていて実に微笑ましい。娘も満更でも無さそうにヘイリーの説明を聞いている。
「ここは西海岸ではかなり北だけど、ここからもクックとタスマンは見える。ここから南は海岸線が曲がっているので、山は海に浮かんで見えるのさ。グフフフ」
ヤツの笑いは独特なのだ。
「この辺もやっぱり雨は多い?」
「それがだな、ここは山から離れているだろ。だから他が雨でもここだけ晴れる事が良くあるんだ」
「そうかあ、前にハーストでキャンプした時には、オレのすぐ後ろで雨になってたよ。オレはビーチにいたから湿気だけが素通りしていったよ」
ヤツは目を見開いてうなずいた。
「ここの岩場では何が取れる?」
「マッスル(ムール貝)なんかどこにでもある。あとはパウア(あわび)だな。キナ(ウニ)もとれるぞ」
「フーンいいなあ。キナなんか白人は食べないだろ」
「ああパケハは魚貝の食い方を知らん」
 パケハとはマオリ語でヨーロッパ人、白人のことだ。
「それなら日本は面白いぞ。オレは港町で生まれ育ったからな。魚は朝昼晩と食ってた。鰯とか鯵とか鯖などが多いな。日本では青い魚って言うんだ。こっちではあまり出回らないけどな。その他ウニ、カニ、エビ、イカ、タコ、貝、海藻、軟体動物、毒の無いものならなんでも食う」
ヘイリーは魚貝類が大好きだ。それも西洋風のホワイトソースなんかよりも、塩コショーをかけて焼くだけというシンプルなものを好む。
来年ヤツを日本へ連れて行く予定があるが、日本の魚市場など見せたら喜びそうだ。
家に帰ってきて、僕は気になっていた事を聞いた。駐車場にある派手なトレーラーのことだ。
「なあこのトレーラーは一体何だ?」
「ああ、それはオレの夏のビジネスだ。さっきのアザラシの所にアイスクリームの店を出すのさ」
「なんとまあ、これはアイスクリームショップか。それはいいなあ。夏は忙しいだろ」
「ああ、結構な。だけど波が良いと店を女房に任せてサーフィンに行っちまうけどな。グフフフ」
「聞いたか深雪?ヘイリーは夏はアイスクリーム屋のおじさんだってよ」
「ちょうど良い、ミユキ、アイスでも食べるか?」
娘は目を丸くして僕を見上げた。
ヘイリーは六角形のトレーラーショップからアイスを出してくれた。
「ほら、深雪。ちゃんとヘイリーの顔を見てプリーズって言え」
「プリーズ」
「OK、ミユキ。いい子だな」
そして娘にアイスを渡す。僕は促がす。
「もらったら何て言うんだ?」
「サンキュー」
「聞いたかヘイリー?マリリンには2年かかったことを、2日間でしゃべったぞ」
ヤツは嬉しそうにグフフと笑った。
午後は約束通り汽車に乗りに行く。といっても片道数キロのトロッコ列車だ。
普段はトレッキングで歩く森の中をトロッコは行く。
実際このコースはトレッキングトラックと並行する。歩く道は何回か線路を横断しながらいく。歩いても1時間ぐらいのコースだ。
娘は満足そうに森を眺める。ひょっとすると森の力が娘の痛みを治してくれるのではないか。何となくそう思った。
線路は川に沿って続く。対岸には巨大な船の舳先のような岩がそびえ立つ。
ここはパパロア国立公園の飛び地なのである。森の植生は他の西海岸の場所に似ているが、この辺りは石灰岩の崖が数百mの高さで並ぶ。ここにはここの良さがある。
列車はゴトゴトと周りのシダをかすめながら進む。
終点からはトレッキングのコースが続く。数分で河原に出る場所もあるし、さらに足を延ばせば洞窟もある。その洞窟を歩くツアーや、浮き輪に乗ってプカプカ森を眺める川下りもある。
その他、近くにはゴムボートによる急流下りホワイトウォーターラフティング、洞窟の暗闇の中を土ボタルを見ながら下るブラックウォーターラフティングなどなど、全くこの国の人が自然の中で遊ぶセンスとアイデアには感心する。
ちなみにヘイリーも以前は洞窟ツアーのガイドやラフティングのガイドをしていたのだ。
今日は娘の保養に来たので、娘に行き先を任せる。森の奥は怖くてイヤだというので河原でのんびりと石を投げる。
樹齢数百年の木々が僕達を見下ろす。BGMは水のせせらぎ、そして数々の鳥の声。太陽は柔らかく降り注ぎ、綿のような雲が浮かぶ。平和な春の午後である。
帰りには街に寄り、子供用の甘いシロップの薬を買う。娘の様子は大丈夫そうだが、万が一の為だ。使わない事を祈りつつ店を出た。
晩飯はやはりホワイトベイトである。
娘は手掴みで貪り食べ、ヘイリーが嬉しそうにそれを見る。
食事の後、娘はハンナとトメカとバービー人形で遊んでいたが、パタンと寝てしまった。ヘイリーは娘を部屋の隅に移し、毛布をそっと掛けた。そして照明がまぶしくないようにライトの向きを変える。
その後僕らは様々な事について語り合った。彼はマオリの事について語り、僕は日本のことを話す。どこかしら共通するところがあり面白い。
テントに戻る時には僕が娘を抱きかかえ、彼がトーチで足元を照らしてくれる。そしてテントの入口を開けてくれるのだ。これは僕らが帰るまで毎日続いた。
娘を寝かせ、テントの外で礼を言うと
「カパイ」
マオリ語で良い、という意味の言葉を一言残し闇に消える。ニクイほどかっこいいオヤジだ。
娘はスヤスヤと寝て朝まで起きなかった
幸運な事に買った薬は最後まで使う必要がなかった。森の力が治してくれたのだろう。 
楽しいキャンプも数日が過ぎ、帰る前日ブロークンリバーのスタッフ達が続々と集ってきた。冬の間に見知った顔が揃ったので娘は大喜びである。
娘のお気に入りのワザーも来た。娘の目下の目標はワザーに「ファニーネーム」(変な名前)と言うことである。ワザーのいない所で何回か練習をするものの本人を目の前にすると恥ずかしくなって僕の後ろに隠れてしまう。
全員が母屋には泊まれないので各自適当な所にテントを張る。グリーン家はいきなりキャンプ場のような雰囲気になった。
末娘のトメカが不平をもらす。
「また今晩もホワイトベイト?もう飽きたわ」
この時期、ヘイリーの家ではお客さんが来ると必然的に晩飯はホワイトベイトになる。
余所者から見ればなんと贅沢なグチだ、と思うが、ここに住んでいる子供の正直な心だろう。
夜になると自分達を含め総勢20名ほどのパーティーとなった。
男達は外でビールを片手にバーベキューを焼く。女たちは家の中でガンガン音楽をかけダンスを踊る。振動で家が揺れるほどだ。そんな騒ぎのすぐ脇では娘がスヤスヤと眠る。
ヘイリーがやさしく毛布をなおす。親戚のおじさんのようなあたたかさが伝わる。
家からヘイリーが出てきて次のビールを開ける。
「ヘイリー、ホワイトベイトは日本にもあるんだぞ」
「本当か?どうやって食う?」
「そうだな、生で生きているまま噛まないで飲み込む。オレはやってみたけどあまり味がしないからなあ。スープにいれたりもするな。それよりオレのホームタウンには漁港があるんだ。そこではな、ホワイトベイトよりもっと小さいのを食うぞ。これぐらいのサイズだな」
手でシラスの大きさをつくる。ヤツは興味深そうに肯く。魚を食う話は大好きなのだ。
ぼくは続ける。
「この魚を沖で取る。新鮮なら生だな。ショーユに生姜をまぜてな。それから茹で上げたのも美味い。おれが一番好きなのは茹でたやつだ。その他スープに入れたり、油で揚げたり、天日で干したりいろいろあるぞ」
「それはいいなあ。ここの料理は卵を溶いて焼くだけだからなあ」
ビールをあおりヤツは続ける。
「ここでもホワイトベイトは沖で見られる。法律で決められていて沖で取るのは禁止だ。ゼリー状に固まって泳いでいるんだ。それが河口付近でバラバラになり、淡水にしばらく体を慣らし川を遡る。そこにオレがいて、とっ捕まえてここで食う、というわけだ。グフフフ」
確かにここのホワイトベイトは美味い。他所で取れるものよりはるかに大きい。これだけ大きいと味は白身魚に近くなる。かといって完全に白身になってしまうのではなく、ホワイトベイトの味は十二分に残す。
ああ、こんなのテンプラにしたら美味そうだ。
「今度、うちに来いよ。日本食を御馳走するぜ」
「それは楽しみだな」
いつのまにか話は日本の話になった。
「ヘッジ、日本の宗教は何だ?仏教か?」
「うーん、一応仏教だけど、それは葬式の時など、主に特別な時の為のものだな。こことあまり変らんよ。それよりもだ、その仏教は日本古来のものじゃあないんだ。もともとはインドかどこかだろ?」
「そうだな仏教はインドで始まったんだな」
「仏教が日本に来る前には、ジャパンオリジナルがあったんだ。シントーって言うんだ。知ってるか?」
「いいや、知らない」
「まあそうだろう。こんな言葉がある。八百万の神の国」
横で話を聞いていたワザーが口を挟む。
「なんだ!日本ってのは神サマもそんなにいるのか。多いのは人間だけじゃあないんだな。まあ1億も人がいるなら神サマが800万くらい居てもおかしくはないわな」
「茶々を入れるなよ、ワザー。まあ考え方はだな、この世の全てが神だ。太陽、海、空、火、星、月、水、風、雪、岩、木、花、鳥、動物、とにかく全てだ。神と呼ぶより魂というようなものかな」
ヘイリーが低い声でしみじみと語る。
「マオリも似たような考えだ。森で木を切る時には木の神に伺いをたててから切る」
最近ではマオリと日本人は、起源は同じという説がある。
「面白いのはだな、いろいろな神サマがいるだろ、中にはチンポコの神様なんてのもあるし、オメコだってもちろんある。神様と言っても人にとって悪いものもいる。死神、疫病神、貧乏神なんてものもある。空気のように実体のないものだってある。おならの神サマだっているんだぞ。ワザー、お前の神サマだな」
ひとしきりの笑いの後、ヘイリーが続けた。
「マオリでは、シダの中心から生えてくる丸まった所をコルと呼ぶ。新しい命という意味だ」
その事を知っていたが、彼の口から出る言葉には重みがあった。日本ではそれを喜んで食う、とは言えない雰囲気になってしまったので黙っていた。
その後、ブロークンリバーのスタッフが手土産に持ってきたアワビ、ムール貝などをバーベキューで焼く。トレッキングのついでにどこかの岩場で取ってきたのだ。ワイルドなヤツらが集るキャンプはとても楽しい。
そして次のスパイツを開け、西海岸の夜は更けていくのであった。
次の朝、昨晩のパーティーの余韻が残る家では、ヘイリーが朝飯を作っている。
メニューはやっぱりホワイトベイトだ。
「ヘイリー、女房にお土産を持っていきたいんだ。ホワイトベイト、売ってくれないか?」
「ああ、いいよ。ちょっとついて来い」
彼は床下の物置へ向かった。中には大型の冷凍庫がある。蓋を開けながらヤツが尋ねる。
「いくつ欲しい?」
「2つぐらいかな」
二つの包みを新聞紙でくるみ僕に手渡した。包みは思ったより重く、1キロ近くあるだろうか。
「いくら?」
「いいよ、持っていけ」
「え~、そんなわけにはいかないよ。さんざん世話になって。ここの相場で買うよ」
「いいから、持っていけ」
「良くないって。町で幾らで売っているか知ってるだろ。どっちみちウェストポートで買うつもりだったんだからさあ」
「いいから、ここで取れたものだから」
チクショー、カッコ良すぎるぞ、オヤジ。
胸に熱いものが込み上げる。
ニュージーランドという国、そしてそこに住む人との暖かいふれあい。そんな甘っちょろいものではない。
どっぷりと頭の先から足までつかり、深く、深く、どこまでも深く潜って行くようなもの。
自然の持つ奥深さと共に人間の世界の深さを見せつけられた。
ここでも僕はこの国にやっつけられてしまった。
熱い思いと手土産を持ち、妻の待つ東海岸に車を走らせた。

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えーちゃんとの会話から

2017-03-21 | 
久しぶりにえーちゃんに会った。
えーちゃんとは北村家二軍筆頭のえーちゃんである。
以前にも書いたのでもう説明はいいだろう。
クィーンズタウンで少しだけ時間があったので遊びに行きお茶をご馳走になった。
エーちゃんが言うには、クィーンズタウンの中心あたりに淀んだ空気があるような気がして、それがここ数年で増え続けているような気がする。
町の中心で働いている彼だから余計に気がつくものかもしれないが、僕も全く同意見である。
それは人々が作り上げる念のようなものかもしれない。
クィーンズタウンは綺麗な場所大きなだし人々がここを訪れるのも分かる。
自分も30年前にこの場所の綺麗さに惚れて居続けた口だ。
その場所の綺麗さとうらはらに人間の欲が渦巻いている。
今年はアロータウンに住んでしまったので、仕事以外ではクィーンズタウンに行くことはない。
行っても車を停める場所はないし、道路は常に渋滞しているし、レンタカーは多いしイライラするばかりだ。
なので町にはほとんど出ずに山小屋風の家で目の前の巨木を眺めながらお茶を飲むのだ。
なんか爺さんみたいだな。

みんななにかおかしいと感じながら生きつつ、何をどうしていいか分からない。
その『おかしい』という感じは一人歩きしながら大きくなっている。
これはニュージーランドの片田舎の観光地だけの話ではなく、世界のどこも同じような悩みを抱えている。
えーちゃんと大統領のトランプの話になったが、彼が言うには自分を支持してくれた人の望みを自分はやっているのだと。
それが本当ならアメリカとメキシコの国境にフェンスを作るなどという馬鹿げた事を多くのアメリカ人は望んでいるのか。
そこまでアメリカ人はバカなのか。
アメリカ人も大統領もバカ野郎なら、そんなアメリカに50兆もの大金を手土産に持っていく日本の総理大臣も大馬鹿野郎だ。
そんな金があったら福島の原発をなんとかしろ、熊本の地震の被害にまわせ、ついでにJRの日高線を直してやれ、その他もろもろ日本の中で困っている人に日本の金を使え!
アメリカの大統領も馬鹿だし、日本の総理大臣も馬鹿だし、それをバカバカと言ってる僕もバカなんだろう。
馬鹿は死ななきゃ治らないので、そういう人たちには早く死んでもらおう。
死ねばバカも仏様になれるのだから。

えーちゃんとお茶を飲んでそんな話をしていたら宗教の勧誘の人達が家に来て宗教のこととか社会のこととか尋ねていった。
うまくあしらって帰ってもらったえーちゃんが言った。
「いやあ、まいりましたよ。子供も連れて来られちゃって」
ひどい話だ。
人が何を信じるかは自由だが、それを個人宅まで来て広めようとする態度は嫌いだ。
そんな事をする時間があったら、街のゴミ拾いをしたほうがよっぽど世のため人のためになる。
ましてや子供を連れてくるなんて、やり方がきたない。
子供には子供の人生があるべきで、人生の大切な時間をそんなことに使わされる子供がかわいそうだ。
まあ親の背を見て子は育つので、親がそういう人なら子もそうなるのかもしれない。
それはそれでその人の人生をあれこれ言うことこそ、大きなお世話というものだ。
でもお願いだからうちには来ないでね。

こんなことを書いていたら面白い話題を見つけた。
僕が普通のニュースを見たり見なかったりするが、『地球最期のニュース』というサイトはよく見る。
この日の話が、サイコパスとその理念が世界を動かしている、というもの。
サイコパスとはなんぞや?
精神病質とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。
その精神病質者をサイコパスと呼ぶ。のだそうだ。
これじゃ分からないぞ、と思ったら親切に具体的な説明があった。

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアによるサイコパスの定義

・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的

ふむふむ、それで?

「自分のナルシズムを満足させるためには他人をどれだけ傷つけても構わないし、無慈悲で冷酷で共感の気持ちもない。しかし、人をコントロールする魅力と能力を兼ね備えている人物」

ああ、イヤな奴だね。
だけど、こういう人が企業のトップに多数いる。
そしてそういう理念のもとに企業は動いており、世の中がそうなっている。
詳しくはこちらを読んでいただきたい。

なるほど、ニュージーランドにもそういう会社はあるよな。
クィーンズタウンを牛耳っている会社の大ボスがまさにそれだろう。
そして小さい会社でもそういうようなボスの会社は多数ある。
これを読んで、僕が働いている会社のボス連中はこういう人じゃなくてよかったなと思うのだ。
こういう話を書くと、じゃああいつが悪い、というように結び付ける人がいるがそうではない。
誰が悪いと言う話ではなく、今の世の中がそういう理念によって動いているという話なのだ。
そしてそれこそがエーちゃんが感じた、なにかモヤモヤした淀んだ空気なのだろう。
今日も世の中はモヤモヤした空気に包まれて廻っている。



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山小屋、旅立つ。

2016-10-29 | 
山小屋という名前はもちろんニックネームである。
北海道で「ガイドの山小屋」というお店をやっていることから「山小屋さん」と呼ばれているこの男。
僕と同じ年で仕事も同じようなことをやっているし、物の考え方も同じなので僕らは兄弟と呼び合っている。
ヤツは1年おきにNZに来ては2ヶ月近く自転車の旅をする。
かれこれ10年近くのつきあいになろうか。
前回、日本に行った時にはヤツの家に転がりこみ、2週間ほど飲んで食って気が向いたら自転車の乗ってという日々を過ごした。



ヤツの旅の最初と最後は我が家で過ごすのが常である。
今回もいつものようにやって来て、ビールをたらふく飲み美味い物をたらふく食って過ごした。
ただ飲み食いしていたわけでもない。
庭木の剪定、トレーラーに切った枝を積み込み捨てに行ったり、ガレージの土間の修繕などなど、できる男なのだ。
自家製ビールも一緒に作り、オノさんの所で二人仲良くボキボキやってもらい、その後でビールも飲んだし、プチ観光もした。



そんな山小屋が地図を見ながら悩んでいた。
旅のルートを決めかねていたのだ。
今回は2ヶ月ほどかけて南島を1週する。
クライストチャーチを基点に北上する時計回りのルートか、南下する半時計周りのルートかで悩んでいた。
基本的に雨の時は走らないので、心境としては晴れが続く時に出発したい。
だが天気は不安定で1日後には強い雨雲が来そうだ。
そうなるとそこで停滞になるので、それなら出発を延ばそうかな、という気になるのも分かる。
またこの国の場合、局地的に天気が変わるので、ここから南は雨だが北は晴れ、ということもよくある。
それがはっきりしてれば踏ん切りもつくのだろうが、今回は北へ行っても南へ行っても同じような天気なのでまた迷ってしまう。



山小屋と僕とは似通っているところも多いが、違うところもある。
ヤツは旅のプランに関してはわりと細かく、ノートに時計回りだとこれぐらいにクィーンズタウンを通過してとか、反時計回りだとこうなってとかいろいろとシュミレーションを書き込んで計算している。
出発して方向が決まれば、選択も少なくなるのだが出発前だと選択が多い。
選択が多いと人は迷うものである。
僕が提案した、分岐に来たら棒を投げて出た方向に進むという案はあえなく却下。
僕の旅は行き当たりばったりで、この前日本に行った時もギリギリまでプランを決めず、自分をニュートラルな状態に置くことを意識した。
いろいろな友人知人宅に泊めてもらうことも多かったし、トークライブなんてこともしたので事前に連絡もしたが、基本は行き当たりばったり。
それで全て上手く行ったのだから、我ながらたいしたもんだと思う。
最近は旅をする機会も減ったが、いつかは知らない街で棒を投げて出た方に向かって進む旅をしたいものだ。



さてそんな出発前に頭を悩ましている山小屋に悪魔のささやきを一言。
「まだアフガニスタン料理、食ってないだろ?」
あえなく滞在決定。
その晩は二人でアフガン料理を買いに行き、親父に「ハウメニピーポー」と聞かれ、今回はそれに「マイフレンド」という言葉がついた。
メシは文句無く美味く、ニュージーランドに居ながらにして中央アジアの味に兄弟も満足。
とんでもなく美味い物を食うと「ムフフフ」と気味の悪い声を上げるのがヤツの癖だ。
4人前の料理がその日の晩飯と次の日の朝飯と昼飯でやっとなくなった。



我が家での滞在も1週間になり、ヤツの奥さんの由美ちゃんが「まだ聖さんの所に居るの?」と言い出す頃、山小屋の重い腰も上がった。
うちとしては1ヶ月でも2ヶ月でもいてもかまわないのだが、そうもいかない。
曇りだが暑くもなく寒くも無く風は無風、出発にはまずまずの天気に、ココの散歩を兼ねて一緒に自転車で走った。
公園の外周道路は車と交差しないのでチャリダーに優しく、犬も喜んで一緒に走れる。
公園の外れで僕とココは山小屋を見送った。
2ヶ月で3000キロぐらい走るのだろうか。
僕にはとてもまねできないが、それによって見えるものもある。
次にヤツと合流するのはクィーンズタウンでだ。
さてと僕もそろそろ夏の準備でもしようか。

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体のメンテ

2016-06-11 | 
季節が移り行く中、南半球では着々と冬に向かっている。
僕は夏は山歩きや観光、冬はスキー関連の仕事をするのだが、その合間にはいろいろとやることが目白押しだ。
庭仕事ももちろん、保存食や石鹸を作ったりという生活のための仕事はいくらでもやることがある。
そして来たるべくスキーシーズンに備えて用具の点検整備、そして体もである。
1年に2回、僕は近所のオノさんという整体指圧の人にボキボキとやってもらう。
以前もブログには書いたのだが、この人の施術は痛いのである。
どれぐらい痛いかというと、大の大人が泣きわめき叫び声を上げるぐらい。
普通のマッサージだと「あ、そこ痛い」と言うと力を緩めてくれる。
ところがオノさんの場合「あ、そこ痛い」などとと言おうものなら
「そうだろうな、痛いだろうな。痛いだろうけどこの奥はもっと痛いんだよ、ほら」
なんて話しながら、奥のツボをグリグリとやる。
僕は台の上で七転八倒したいところだが、押さえられているので動けず足をバタバタするのだ。
今は変わりつつあるかもしれないが、西洋医学というものは基本的に悪いところだけを診る。
膝が悪かったら膝だけを診るのだし、腰が悪かったら腰だけを診る。
どこも悪くなかったら、診るところが無いので診ない。
オノさんは悪いところも診るが全体を診る。
オノさん曰く、人はみんな悪くなってから治してくれって来るんだけど、悪くなってから治すより悪くならないように施術をする方がよっぽどいい。
言いえて妙、理にかなっている。
僕は腰が悪く、昔はぎっくり腰をやって何週間も動けなかったこともあったし、真っ直ぐに立てないような時もあった。
オノさんと出会ってから8年になるが、ひどい腰痛は無くなり、何とかやっている。
なので僕は年に2回、時間を見つけて通うのだ。
風邪をひいた時に無理にこじらせるより、風邪のひき始めにさっと治してしまう方がいいし、何より風邪をひかない方のがベストだ。
予防医療とでも言うのか。
仕事が忙しく疲れてくると腰もそうだが体全体が強張る。
そんな時に体中ボキボキやってもらうと、痛くて気持ちよく、グニャグニャになる。
なんといってもその後のおしっこが気持ちよい。
なんか体の毒素が洗い流されるような、そんな感覚である。

以前、ここに住むMさんという人とオノさんの施術について話したことがある。
僕の話を聞いてMさんはこう言った。
「じゃあ、あなたの身体においてオノさんがいなくなったら困るじゃないか」
うーん、困ると言えば困るんだろうけど、ちょっと違うかな。
困ると言うなら、Mさんの外的に要因を持ってくる考えの方が困る。
それはあたかもオノさんに依存しているように捉えられてしまったのだ。
依存をするのではなく、今ある状況で1年に2回ぐらいやってもらうのが自分の身体にベストなのでやってもらう。
いなくなったら?そりゃ相手も人間だからいつまでもやっているわけでもなかろうに。
なくなったらなくなった時に考えて、その時のベストを選択をすればいいだけの話だが、こういう人とは話がかみ合わない。
外に要因を見出す人は外ばかりを見て、内を見ない。
内とはすなわち心、意識である。
自分の身体を自分で治すワークショップ、というのを先日、友達の星子が来た時に彼がやったのだが、根底で繋がっている。
そこにあるのは自分の意思、それも確固たる意思であろう。
その意識がなければ、痛い所があればお医者様に診てもらって治してもらうとか、薬で症状を抑えるというような外的に頼るやり方になるだろう。
そして良くならなかったら、良くならないと文句を言うのだろう。
人間というのものは、自分で自分の身体を治す力を持っている、と星子は言う。
確かに僕もそう思う。
そう思うのだが、自分でできないこともある。
背中のツボをグリグリとやるのはできない。
これは逆立ちしても、天と地がひっくり返ってもできないものはできない。
本人だって言っていた「俺は自分で自分の身体をできないんだよな。たまに他の人にやってもらうんだけど、『ああ、いいな、もうちょっと深く』という所でやめちゃうんだよ、みんな」
本人でさえできない所、それをオノさんにやってもらうのだ。
それは依存ではなく、意思による選択である。
たぶん他の患者さんもそうなのだろうが、その意思があるからわざわざお金を払って痛い思いをしにオノさんの所へやってくる。
いや、まあ、痛いのを求めて来るわけではないだろうな、SMクラブではあるまいに。
その人の身体にベストだと知っているから、痛いのがあるのを承知で来るのだ。
だから来ない人は1回で来なくなると言う。
まあ、それもありだろうな。
AさんにとってのベストがBさんにとってのベストではない。
ちなみにMさんとは今はつきあいはない。
波が合わないとはこういうことなんだろう。

オノさんとはまあ波も合い、プライベートでもつきあいはある。
オノさんちのペンキ塗りを手伝ったり、引越しの手伝いをしたり、うちへご飯を呼んだり、家族共々のお付き合いである。
お付き合いと言えば、年に2回の施術の後は二人でビールを飲みに行くのが習慣になっている。
オノさんもそれを楽しみにしているところがあり、僕の予約はいつもその日の最後だ。
1日の終わりに僕をボキボキやって、その後オノさん行きつけのパブでビールを飲む。
グニャグニャになったところに冷たいビールをキューっと。
ビールはジャグで頼むのだが、このパブはジャグもキンキンに冷えている。
ジャグとは1リットルぐらいの入れ物で、日本だとピッチャーなどと言うがここではジャグと言う。
ビールを買うのがこれが一番安いのだが、クィーンズタウンあたりの洒落た店では最近ジャグを置いていない店が多い。
そしてまたお決まりで、つまみは塩ピーナッツ。
席はいつも競馬中継をやっている場所、別に賭けるわけではないがそこが定位置なのだ。
二人で近況報告やら、あーだこーだ話しながらビールを飲む。
一杯目はスパイツを飲み、二杯目はハーフアンドハーフ。
半分はオリジナルを入れてもらい、残り半分は黒。
オノさん曰く、これは同じ会社のビールでやらなけらばダメだそうな。
ここのパブでオノさんがそれを注文したらみんなが真似をしてやりだしたと言う。
確かにダークほど濃いのはいらないな、というときに半分ぐらいのコクがあるというのはいい。
お店にしても値段が変わるわけではないので、イヤな顔をせずにやってくれる。
そうやってビールを飲んでいるとおしっこが近くなる
連れションでトイレに行くといつも8年前を思い出すのだ。
まだオノさんとの臭い関係もまだ続くだろうな。





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永住権

2016-05-21 | 
僕たちニュージーランドに住む、と言うか海外全てそうなんだろうけど、避けては通れない問題でビザの件がある。
小麦粉を練って薄く焼きその上にチーズなどの具を乗せて焼く食べ物ではないぞなもし。
パスポートにポンと押される、最近ではシールになっている書類のビザの話だ。
そもそもビザなんてものは国境があるから存在する問題で、僕の最終ビジョンには国境はないのでパスポートもないしビザも戸籍登録も住民票もない。
今の世は人間が国境を決めて、それであーだこーだやっている。
なんともはや人類というのは無駄なところにエネルギーを使っているものだ。
これだって原因を突き詰めていけば欲、利権、エゴという人の心にあり、政治、経済、教育、食、宗教、全てが絡む話なのだ。
政治家が悪いと言って人を指差していれば済む話ではない。
誰も悪くないし誰も良くない、自分を含めた全ての人に責任はある。
また話が脱線して違う方向に行きそうだな。
話を戻して、イタリアに立っている傾いた塔の話だったっけ?
しつこいね、ビザの話である。
ニュージーランドの場合、ほとんどの人は最初は観光かワーキングホリデー、そしてワークビザ、最終的には永住権を取ってここに住む。僕もそうだった。
この永住権というやつがやっかいもので、ほとんどの人はこれで苦労する。
苦労するのだが中には苦労しない人もいる。
友達のタイは1週間で取れたし、サダオもあっという間に取れた。
昔は住所があって仕事をしていればワーホリだろうが不法就労だろうが永住権を貰えた時もあった。
僕の場合は女房がすでに持っていて、結婚をして永住権をもらった。
僕がやったことといえば簡単な健康診断だけだ。
そうやって簡単に取れました貰えましたでは話が終わってしまう。
そこはそれ、話を盛り上げるためにえーちゃんに登場してもらおう。

北村家二軍筆頭のえーちゃんは以前にもこのブログのどこかに出てきているはずだ。
マウンテンバイクで骨折したり、買ったばかりの車で事故ったり、ブロークンリバーのロープトーにぶつかって肋骨を折ったり、バンジージャンプに行って一緒に行った女の子は飛んだけど自分は飛べなかったり、と言った武勇伝は数知れず。
自分が痛い思いをしてネタになる、おっちょこちょいでお人よし、落語に出てくる与太郎のような存在のえーちゃんである。
えーちゃんと一緒に住んだのは9年ぐらい前になるか、男3人で絶景の一軒家をシェアした時があった。
その時からえーちゃんはおみやげ屋さんで働いていたのだが、彼の英語力はひどいもので「ここに住んでいてそれはさすがにヤバイでしょ、えーちゃん」というレベルだった。
それでいて日本人以外のお客さんにも接客してしまうのだから、人柄と言うか心と心と言うか、まあコミュニケーションというものはなんとかなってしまうのだ。
ちなみに英語がからっきしでも友達が多い人はいるし、英語がペラペラでも友達がいない人もいる。
結局は人柄、人間性なのだな。
そんなえーちゃん、この国に惚れ込みここに住みたいと永住権を取ることにした。
それはいいのだが、取るにあたり電話でビザの係の人と対応しなくてはならない。
その時の事はまさに『お話にならない』ような状態だったようだ。
面と向かって話をすれば、目と目が合い心と心が繋がるえーちゃんのコミュニケーション能力も役人相手の電話ではどうしようもならない。
そこから彼は英語の猛勉強。
それまでは夜型の生活だったのだが、朝早起きして仕事前に英語の勉強をするという生活に切り替えた。
英語圏に住んでいながらわざわざフィリピンに行って英語の勉強をする?という努力を繰り返し、なんとか英語力もあがった。
ビザの審査に落とされては再度申請をしてと、そこには涙ぐましい努力があった。
「えーちゃんは取れるよ、ただしそこまでにはかなり険しい道のりがあるけどね」と予言すれば
「そうなんですよね、俺もそんな気がするんですよ」と返ってくる。
その言葉通り、山あり谷ありの苦節8年半。
一緒に住んでいる彼女も同時に申請した。
去年の暮れに飲んだ時には、コンピューター上では一応OKが出た、今は向こうからの連絡待ち。
あとはパスポートを送れという手紙が来るはずだと。
「コンピューターではOK出てもねえ、『ゴメンゴメン、やっぱ間違いだったよ、悪いけどもう一度これをやってくれる?』なんてことはあるかもね」
ワインを飲みながらそんな話をしたら「そうなんですよね、この自分なのでそんな笑えない事が起きそうで怖いんですよ。やはりこの目で見るまでは安心できないんですよね。」
今まで散々痛い思いをして笑い話のネタを作ってきたえーちゃんの言葉は信憑性がある。
夏が終わり、クライストチャーチに帰ってくる前に、彼の家でシーズン終わりの酒盛りをした。
「いよいよビザがおりましてパスポートも郵送されて、今日明日中には着くと思うんです」
「じゃあいよいよだね、今夜は祝杯かな」
「そうっすね、でも自分のことなので、やはり最後の最後まで自分の手にとってみるまで安心できないんです」
「そうだよなあ、えーちゃんのことだからな。郵便の車がどこかで事故にあってえーちゃんのパスポートだけが湖の底に沈んじゃったとか、他の郵便に紛れてパスポートがどこかへ行っちゃったとか」
「そうならないことを祈ります」
そんな感じでその晩は遅くまで飲んだ。

翌日の朝、僕が自分の荷物を車に運んでいる時のことだった。
黄色い郵便配達の車から人が降りてきて、その場に居た僕が包みを受け取った。
これってひょっとすると・・・
「おい!えーちゃん、来たぞ来たぞ!」
えーちゃんが包みを開き、パスポートを取り出しビザの確認。
彼女と喜びを分かち合う、感動の瞬間である。
「おめでとう!えーちゃん、ついにやったね」
「ありがとうございます。これもひとえにひっぢさんのおかげです。」
「いやいや、俺は何もしていないって」
えーちゃん曰く、ニュージーランドに来てから、人生の節目ごとに何らかの形で僕が居たり現れたりするんだそうな。
今回も又、感動の瞬間に居合わせたということだ。
たまたまそうなった、の『たまたま』は必然の流れ。
今までがんばってきたのもこのためにある。
山にたどりつく道のりが険しく長く辛いほど、登頂した喜びは大きい。
それはその人にしか味わえない感動である。
「永住権を取ることがゴールになってはいけない」という台詞はきっとイヤというほど聞いてきたことだろう。
それを分かっているえーちゃんはスタート地点に立った、と言った。
確かに新しいスタートでもある。
就労ビザでは決められた場所でしか働けないが、永住権があれば法律上はどこででも働ける。
実際に望んだ会社に雇われるか、望んだ場所で働けるかどうかはこれまた別問題だが。
少なくとも世界は開けた。
それに今までそれを取るために費やしたエネルギー、それはお金であったり時間であったり精神的な余裕であったり、膨大なものだろう。
そのエネルギーを別のことに使うことができる。
いずれお店をやりたいというえーちゃんはそのエネルギーを使いお店をもつことだろう。
ただしえーちゃんのことだから、紆余曲折山あり谷ありだろうが。
それでも精神的なストレスからは開放され気持ちに余裕ができるのも間違いない。
スタートに立ち、何をやるか。
何をするのも自由だし、何もしないのも自由である。
あとは本人次第であろう。
嬉しそうなえーちゃんを後に僕はクライストチャーチの家に帰ってきた。
そう言えば、今シーズンえーちゃんとフリスビーゴルフの勝負をして、何年ぶりかにえーちゃんに負けた。
えーちゃんの連続敗戦記録40ぐらい(数えるのがバカバカしいから数えない)を止めたのも、何かお告げのようなものだったのかもしれないな。

嬉しいことは続くものである。
オークランドに住む友達Mも永住権が取れたというニュースが入ってきた。
彼はクライストチャーチの地震の後で知り合った。
しばらく同じ会社で働き事、事あるごとに我が家へ遊びに来ていたが、ビザが下りず日本へ帰っていった。
日本へ帰ってからももやり取りは続き、去年日本へ行った時には浅草で寄席、屋形船、彼の高級マンションのレインボーブリッジを見下ろす最上階のペントハウスでお泊りとフルコースの歓待を受けた。
そんな都会の生活をしていた彼もニュージーランドの夢を捨てきれず、再びやってきてオークランドで仕事を探し、今回の永住権へ繋がった。
そのニュースを聞く前、4月の終わりに彼がクィーンズタウンへ遊びに来た時には一緒に部屋で飲み、「1年前はねえ」などと話をしたのだ。
彼の場合はかかった期間は4年半、えーちゃんの8年半にはかなわないが、長ければスゴイという話でもない。
そこで人と比べることに意味はない。
その人にはそれぞれのドラマがあり、自分の決断と行動、心の葛藤、人との縁、もろもろのタイミング、全てが揃い喜びの瞬間がある。
ビザが取れたら嬉しいのは当たり前だが、それを取ることは成功で取れなかったら失敗か、と言うとそうでもない。
そこで成功と失敗と区別することが間違っている。
勝ちと負けとに分けて考える世の風潮と似ているな。
我が家を訪れた人の中には、ビザがどうしても下りずに日本へ帰っていった人もいる。
僕が彼らに説いたのは、きっと日本でやるべきことがあるのだろうと。
そのうちの一人とはこの前日本で会ったのだが、生き生きとして北海道の生活に溶け込んでいた。
ここでなければ幸せではない、と言うのは何か間違っている。
ここでなければ幸せでないと言う人はどこに居ても幸せになれない。
ここに居ることが当たり前になってしまい、それがどんなに恵まれているのか気づかない愚か者にはなりたくない。
どこそこに住むというのは自分の意思はもちろんあるのだが、導かれてその場に来ることもある。
本人の意思さえも本人が気づかないまま大いなる流れの一環かもしれない。
たまたま偶然は全て必然。
僕がここにいるのも、あなたがそこにいるのも全て必然。
これもご縁というものだろう。
そうやって縁があった場所で、人として自分がやるべきことをする。
それこそがこの世に生まれてきた人生の意味なのだろうと思うのだ。













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山小屋が去った。

2014-11-02 | 
それにしてもこの1週間、僕らはよく飲みよく食いよく語った。
互いの家族の話、生活の話、山の話、旅の話、社会の話、過去の話、未来の話。
深い所で繋がっているので話を摺り合わせる必要がない分、話が早くさらに深い話ができる。
ニュージーランドへ来るまでのヤツの懸念は、ニュージーランドで中国人がやりたい放題の事をして嫌われ、日本人の自分もアジア人ということで一緒くたにされて差別を受けると。
それぐらいヤツが住む場所では大陸系の中国人が傍若無人のふるまいをしているらしい。
ここでも中国人とは断定していなかったが、アジア人の運転するレンタカーが道路の右側を走り、地元の車と正面衝突をして死亡事故があった。
観光バスの停まる場所では吸殻とゴミが増えたが、日本のそれと比べるとまだマシのようである。
山小屋のところでは、順序良く並んで待っている人のところへ団体で中国人が割り込んだり、大型バスを駐車場へ横付けして他の車が入れないようにしたりとか、聞いていて気が滅入ってしまう。
あげくの果てにはまともな事を書いても、それが元でトラブルに巻き込まれてしまう。
あわててその記事を削除する始末だ。
ではここで僕のブログの読者も一緒に毒見をしよう。
山小屋訪NZ記念ブログスペシャル、幻の記事をあなたに。





困ったものです。

海外のある旅行ガイド媒体や個人ブログ等にこのような記事があり、インターネットで拡散しているといいます。
要約するとこのような内容。

「日本(北海道)で困ったことがあったら、通りがかりの日本人に電話をかけてくれるよう依頼しなさい」
「日本人(北海道人)は親切なので、力になってくれます。」
「あなたのモバイル(携帯電話・スマホ)は使わなくても結構。高い電話代を払う必要はありません。」

一見、正論に見えますが、ちょっと違和感ありませんか?
いったい何の意味が隠されているんでしょう。

大抵の観光客は英語を話します。
また宿などの観光施設はだいたい英語を話しますので、ご本人が直接電話してきても何も問題はないのです。
ではなぜ、彼らは通りがかりのひとや地元のひと(場合によっては民家に飛び込む)を利用するのでしょうか。
ひとつは、日本人(北海道人)が親切だから。
親切心は、付け込みやすいのです。


こういうケースがありました。

あるカフェは毎週○曜日が定休日。
でもお客さんが知らずに来る。
CLOSED?怒!(本来、怒る場面ではないはずですが)
彼らは自分の電話は使わずに、たまたま目に入った近所の家にいく。
呼び鈴を鳴らし、対応したご近所さんに、ココに電話するように依頼する。
その旅行者が困っていると感じた住人の方は力になってあげようと閉店しているカフェに電話をする。
休日で休んでいたカフェオーナーは、表示された電話番号から近所の人からの電話だと思って出る。
すったもんだの結果、かわりに電話をかけているご近所の方は、
「困っているんだから店をあけてあげてもいいじゃないか!」と腹をたててしまう。
ご近所の方に迷惑をかけていることに困惑してしまい、結局、お店をあける。
彼らは貸切の店内で勝ち誇り、自分たちのスマホで記念撮影。ピース。
日本人ちょろい。

・・・。

朝早く到着した。
宿にチェックインしたいけれど、チェックインの時間は午後4時。いまは午前11時。
宿に電話したらやっぱり断られた。
そこで、近くにいたひとに宿に電話をかけてもらう。
以後、そのひとが代わりに交渉することになる。
それでもチェックインは不可。埒があかない対応にいら立つ交渉人。
ついに怒りだす。
困っているじゃないか。女の人は体調が悪いといってる!
(いつの間にか、ひとりが病人になってます。よくあることです。)

結局、宿の主人は渋々受け入れざるを得なくなります。
いつの間にか悪人にされてしまって、お気の毒なことです。
そして今回もうまくいきました。上場首尾。
日本人ちょろい。

・・・。


ガイドの山小屋も例外ではありません。
今シーズン、上記と似たことが、すでに10回以上発生しています。
まさに急増、です。
ある人など、レンタサイクル屋の当店にやってきてタクシーを呼んでほしいと頼むのです。
本末転倒ですがモメるのは嫌なので、こういうケースのために作ってあるタクシー会社の電話番号リストのコピーを渡して
公衆電話の場所を教えます。徒歩1分。
でもダメなのです。公衆電話はダメ、自分のモバイルもダメ。
ちなみにそのひとは英語を話します。私とのコミュニケーションは英語です。ちなみにタクシー会社の予約電話は英語可。
でも彼らは承知しません。

こういうこともありました。
宿に予約電話をしてほしい。
素直に応じたら、やられました。
宿にはとうとう現れなかったそうです。
無断キャンセルによる損害は私たちが被らなければなりませんが、それは免じていただきました。
しかし、その宿との関係は悪くなってしまいました。
まったく、ひどい目にあいました。

昨日のケース。
家族4人。途中でお母さん(推定40歳代)が自転車で転んでしまった。
「もう嫌!」すっかりご機嫌を損ねたお母さん。フラフラの重病人になってしまう。
迎えにきてほしい、という電話。もちろんその場に居合わせた方の携帯で、その方が代理でかけてきました。
以後、交渉はその方が代理で行います。
お迎えは有料です。1時間後に迎えにいきますと伝えたところ、交渉の雲行きは急変しました。
板ばさみになった交渉役の方が苛立ってしまい、
お客さんに対してひどいんじゃないか、という空気になってしまいました。
そのとき、ガイドの山小屋の店頭にはお客さんが大勢いて受付の順番を待っていました。
お店を閉めてお迎えにあがれるような状況ではありませんでした。たまたま、この日は私がひとりですべて対応していました。

いっぽう現地では、とうとう救急車まで呼んで大騒ぎになったようです。
急を知らせる一報がもたらされました。

これには参りました。

救急隊は、搬送しようとしたようですけど、本人は拒んだようです。(明日の札幌観光がパーになるし、入院させられたらお金がかかる、という理由)
簡単な処置だけをして、救急隊はまもなく去ったそうです。
しかしながら急を要する事態になり、私は追い込まれました。
午後からの大型バス2台の受け入れを断り、大勢のお客さんを追い払うようにして店を閉めなければならなくなりました。

そして駈けつけてみたら、おばさま無傷。
ただ、大袈裟に大根役者芝居をしているおばさんがいる。
「かわいそうな私」を精いっぱい演じていらっしゃいました。

それにしても、もうちょっとマシな演技できないんでしょうか。
こういう方をこれまで70人くらい見てきたのですが、
みなさん一様にまったく同じ芝居をします。
当の本人は一世一代の大まじめな芝居なので、平素は一応騙されて差しあげるのですが
さすがにこの日は笑えませんでした。

私はバスの受け入れを断り、店頭のお客様を追い払いました。
閉店の時間中もきっと何人もの方が来店されたと思います。

この一件で私の店は一気に信用を失いました。
大型バス受け入れは契約の上でのことですから、当然今後の取引は停止になります。
場合によっては慰謝料請求の可能性もあります。
そして、追い返したお客さんは、大変怒っているでしょうね。

大根役者おばさん。
なぜそこまでして回りを巻き込むのでしょうか?

呼んだタクシーに上機嫌で乗って、去っていかれました。


今シーズンは何かおかしい。

某海外ガイドブックの「親切心に付け込んでうまくやれ!」指南の存在。
これは大変困ったことです。
これからも被害は各地でどんどん拡大していくと思います。

巻き込まれるのは宿や観光施設だけにとどまらず、通りがかった旅行者、ご近所の方、電話をかけさせられるすべての人が巻き込まれます。
1円も使わずに要求のすべてを手に入れた彼らが高笑いを残して去ったあとに残されるのは、
電話をかけあった当事者の間の深い不信感の溝。

なぜ、私たち日本人(北海道人)同士がこうならなければならないのでしょう?

なんかおかしいですよね。
みなさん、どうか気をつけて。

自分のモバイルを使えばいいんじゃない?と突き放すことが大事だと思います。
ぎゃあぎゃあ大袈裟にわめいたり泣いたりしますけれど、それはほとんどの場合、大根芝居です。

騙されてはいけません。
関わってはいけません。
触らぬ神に祟りなし。です。

どういうケースでも、ご自分のモバイルで直接、私たち当事者に電話してくれたら、
すべて解決します。
彼らは必ずアイフォン持ってます。普及率は日本人以上です。
当たり前ですが、そのアイフォン、ちゃんと日本で使えます。
ただ、海外ローミングサービス(外国で自分の携帯電話を使用する)は、自国よりも割高なので、
使いたくないだけ。電話代も「親切な日本人」に払わせるわけです。
日本人ちょろいですから。

ただ、
外国人に慣れている観光施設の私たちは、そう簡単には騙されません。
電話してきても、サラリとかわされます。

だからこそ、彼らは中間に日本人(北海道人)を関与させて板ばさみにして利用するのだと思います。
うまくやろうとするんですよね。

本当に、外国人観光客はしたたかです。

ただ、勘違いしてはいけないのは、これは一部の観光客のすることです。全員じゃない。
国もアジア系というだけで特定できるわけではありません。
ただ、旅行ガイドの指南、個人ブログでの成果報告(?)の影響で、いままで姑息なことをしなかった人までもが
真似するようになった、ということが問題だと思います。

日本人ちょろい。
なんか、悲しいです。



※7月14日 記事の一部を加筆修正しました。

※7月17日 反響の大きさに驚いています。また同様の被害が各地でも広がりを見せていて、評判が低下することを恐れて誰にも相談できす悩んでいる方たちが多くいらっしゃることにも共感いたしました。
ただ、みなさん勘違いしないでいただきたいのです。親切心に付け込む人は日本人にもたくさんいらっしゃいます。親切をアダで返すニッポン人など珍しくもありません。外国人だからけしからん!というヘイトな考え方は全く見当違いだと思います。
今回は嫌なお話を書きましたが、ちょっと胸を打つようなお話やアジア系外国人青年の勇気のある感動的な行動など、私たちのお店だけでも数多くの「ちょっといい話」がございます。それらは相手のあるお話なので迂闊には書けませんが、「ひどい話」と同じだけの「よい話」があるということを言わせていただきたいのです。
特に台湾人の若者たちの言動や礼儀などにはハッとすることがあり、私たち日本人が忘れかけている「義の心」を見る思いをすることがございます。
私たち日本人は、ごく一部の外国人観光客の異常行動に怒りの声をあげるよりもむしろ、社会問題になっている一部の凶暴な高齢者など日本人のなかの理解不能な人たちを何とかしなければならないのではないでしょうか。私事ですが一部の凶暴な人たちのほうが私の店では脅威です。
インターネットの旅ブログやSNSなどに書かれてあった「成果報告」を真に受けて真似をしたり、「かわいそうな私」を大袈裟に演じたら想像以上に回りの反応が大きすぎて引っ込みがつかなくなったり。無邪気といえば無邪気なこと、私たちのごく身近にもよくある話ではないでしょうか。私は酷い目に遭いましたが、だからといって「外国人だからけしからん!」とは思っていません。日本人であろうと外国人であろうと、純朴な北海道民の親切心を逆手にとって利用し嘲笑うかのような行為は許せません。
借りたお金は返さなくてもいいなど、国や地域によっては私たちには奇怪と思える習慣があったりすることはよく知られています。日本人のハラキリやカミカゼもまた欧米人にとってはキチガイです。今回の記事では、「近隣の国にも私たちの常識とは違った価値観があり常識がある。小さな親切心はこういう手口で利用されることがある。旅人だからとつい警戒を緩めて手を差し伸べたら知らぬ間に巻き込まれてしまうことがあるのでご注意を」ということを言いたかったのです。
歪んだ形で解釈されないことを切に願っております。


以上転載終了



ふう、まあお茶でもどうぞ。
まともな事を書いてるじゃん。
これのどこがおかしいの?何故消さなきゃならないの?
と思って山小屋に聞いたらこういうことだって。
メールをそのまま転載する。






この記事、
なんだか全国的に話題になってしまって。
これが、拡散っていうんだね。
嫌韓嫌中の連中の恰好のネタになってしまってねえ。

ちなみに、韓国人はすごく礼儀正しいよ。
一般的な台湾人よりもむしろ礼儀はしっかりしてると感じる。
それにおれ全然、嫌韓じゃないし。

この記事が拡散していろんな電話があった。
地方自治体、政府系、商社系、いちばん困ったのは、報道機関の取材が始まったこと。
ブンヤさんが、来るんだわ。
忙しい時期に勘弁してよ。

記事になったらどうせ中国人けしからん、っていう記事書くんだろうね。
一部を切り取って大袈裟にわめきたてるのが彼らの仕事だからね。

中国人だって8割はまともな人なんだよ。
まあ、8割を低いとみるか高いと見るか。そこは微妙だけどね。

報道大手系は記事を消したうえで各社に説明して落着したんだけど、
こんどはスキャンダル系のいやらしい記事を書く出版社が張り付いてきそうになったので
記事を消したあとも、いろいろ大変だった。

いろんなところで同じ事件が同時多発で発生していることがどんどんわかってきて、
こちらの自治体(美瑛町)から北海道庁や政府観光局に対策の要望を出すことになった。

いやらしい系の出版社はコチラの自治体が話をつけてくれて、なんとかなった。
俺の筆が滑ったせいで、いろんなひとに世話になり迷惑をかけた。

本当の敵は、実は日本人だったというオチまでついちゃった。
ニッポンに住んでると、本音が書けない。
面白いこと書くネタはいっぱいあるけど、言葉を選ばないといけなくなってきたし、
例えば「きょうの中国人けしからん」なんて書くと、客足が半減して収入激減して
NZ旅どころじゃなくなるし。

ほんとはね。
「ガイド日誌」じゃなくて「きょうの事件簿」っていうブログを書くと
めっちゃおもしろいんだけどなー!

あああ、参ったね。

10月最終週にお世話になる予定でありますので
スパイツかDBそれからギョウザをお願いします。

山小屋



以上、メールの転載終了。
そうかそうか、そりゃ大変だな兄弟。
よっしゃ分かった、餃子とスパイツは任せておけ、と着いたその日に我が家の餃子でおもてなしをした。
その後1週間かけてヤツが「きょうの事件簿」に書きたいという事などを聞いたのだ。
それからこのブログにも書けないような、日本の田舎の人間関係のしがらみなど。
兄弟よ、お主、疲れておるな。
それならここで、素敵な人間関係を紹介してあげよう。
というわけで、週末にはリトルトンまでドライブしてマーケットへ。
友達の正平がバスキングをするということで、そこで落ち合い息子とオヤジと一緒に何曲か僕も参加。
息子の海人はギターのセンスがあり、オヤジよりギターは上手い。
将来はロックスターかと思いきや、本人はサッカー選手になりたいと。執着しないところがまた好い。
海人の小学校の校長先生がバンドマンで生徒を集めてロックバンドを組ませるなど、ニュージーランドらしくのびのびと育っている。
ゆとり教育ってこういうことじゃないのか?
娘のマナが小さいギターで参加。路上ライブデビュー。
あと数年すれば兄弟でユニットを組み、ステージにあがるかもしれないな。
正平家族とも波が合う気楽さで、互いの家を行ったり来たりする関係は数年になるか。







山小屋と正平を会わせたい、と思っていたらパタパタと話がまとまり、我が家で晩餐の流れとなった。
会うべく時というのは簡単に話がまとまるし、会わない時はどうやっても会えない。
正平が散らし寿司を作るというのでどんなのが来るかと思いきや、豪華絢爛な散らし寿司が来た。
白身魚の刺身のヅケ、ムール貝、エビ、イワシを濃い目に甘辛く煮たもの、我が家の庭からさやえんどうと錦糸玉子。
正平はここではレストランのシェフだが、日本で板前をやっていたのだ。
ここにあるものでこんな和食のご馳走ができる。
要はやる気と行動力。
山小屋と正平も案の定、意気投合。
波が合う人というのは話が早く、打ち解け合うのに時間がかからない。
気を使うことなく、酒と肴は旨く会話は楽しく、互いを高めあう。
互いが自分の芯を持っていると、他人を羨むとか妬むとか僻むとかそういう話にならない。
バカ話もあるが、明るく楽しく建設的な話ができる。
僕はいつものように酔っ払ってしまい、細かい所は覚えていないのだが、オヤジ3人で兄弟の契りのような話をした、ような気がする。
正平ともそれまでは「マサさん」「聖さん」とさん付けで呼び合っていたが他人行儀だし年も同じなんだし、お互い呼び捨てにしようと。
互いにオレ、オマエの関係だ。兄弟ならそうだろう。
呼び方というものは面白いもので、呼び捨てにされてカチンと来る場合と、呼び捨てにされて距離が縮まり心地よい場合がある。
それは互いの信頼感とか人間関係によるものなのだな。
正平はシェフ、僕と山小屋はガイドとジャンルは違えど深い所で繋がる絆は固い。
根底にあるのは、自分を見つめ自分ができる事をやり、媚びることなく相手をもてなす茶の湯の心。
自然から頂く恵みを無駄にせず、感謝を持ちながら美味しくいただく気持ち。
そして人としてどうあるべきかという想いからくる、自分自身に恥ずかしくない生き様。
その辺りが一致するとまあ世間で言う、馬が合うという間柄になるのだ。







楽しい時というのは時間が飛ぶように過ぎる。
あっというまに1週間が過ぎた。
我が家で癒され山小屋も心の充電もばっちり。
旅立ちの時が来た。
今回はクライストチャーチから北へ向かい南島の北の外れコリンウッドまで、そこから一度西海岸へ出てアーサーズパスを通りテカポ、マウントクック、そしてクィーンズタウンの王道コース、さらに南の外れインバーカーギルまで下りそこから北上クライストチャーチまでというルート。
何千キロになるのか知らないが、とにかく長い距離を自転車で走る。
旅立ちの日、北東の強風が吹き荒れた。
ちなみにヤツの進行方向は北東。
初日から思いっきり向かい風だ。
次に会うのはクィーンズタウンか。
それまでヤツはニュージーランドの風にもまれ、世間のしがらみを洗い流してくるだろう。
この旅はヤツにとって禊(みそぎ)の旅だな。
犬のココも別れを察知したのか、心なしか寂しそうである。
僕は山小屋に言った。
「兄弟よ、ありがとな、来てくれて」
「こちらこそありがとう」
「忘れるな。ここはオマエの家だぞ」
「おう、また12月に帰ってくるぜ」
そんな会話を交わし、ヤツは装備満載の自転車を向かい風に漕ぎ出した。







コメント (4)
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