あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

7月27日 Porters

2023-07-28 | 最新雪情報
待ちに待った雪が降った。
いつもの事ながら雪が降らないというのは嫌なニュースである。
スキー場で働く人や近隣の宿やドライバーなど、直接的に収入が減る。
そしてシーズン券を持っている人も、宝の持ち腐れでなんだかなぁという気分になる。
スキーをしない人には雪はない方が生活が楽だが、スキーヤーやスノーボーダーには人生を左右するぐらいに大切なものだ。
気候変動を肌で感じる人種と言っても過言ではない。
雪不足のモヤモヤを吹っ飛ばすような大雪でスキー場も上までオープン。
遅ればせながらスキーシーズンが始まった。


空は限りなく碧く、雪はひたすらに白い。


山頂は風が強かったんだろうなあ。


娘は今シーズンはリフト係として働いている。


娘のお昼休みに1本一緒に滑った。


雨が降りガチガチに凍ったバーン。


圧雪バーンは快適なのだ

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55歳になった日にブログでも書いてみよう。

2023-07-21 | 日記
誕生日を迎えて55歳になった。
若い時には自分が年を取ることに具体的なイメージがわかなったが、僕がぼんやりと生きている間も太陽は輝き地球はその周りを回り年月は過ぎていく。
自動的に自分も年をとっていくわけだ。
自分自身を見てみて、まずまずの人生を送っているのかと思う。
体のあちこちにガタがきているが、それは年相応の物だろう。
病気もほとんどしないし、山歩きは普通に出来るくらいの体力はある。
スキーもできるが、今年は雪が少なく自分が行くスキー場は未だオープンできないのは自分だけのせいではなかろう。
貯金はないが借金もない。
庭では美味しい野菜も卵も取れる。
最近は山芋、蒟蒻芋、菊芋、里芋が取れて、食物繊維たっぷりの食生活で体の内側から健康である。
人間関係でも不思議なことにイヤな人や付き合いたくない人との接点はほとんどない。
それよりも色々な人とのご縁で楽しい出会いは増えている。
友達はみな生き生きと楽しそうに生きているし、弟子達は僕の言いつけ通り「親より先に死ぬな」と「自分がやるべきことをやれ」を実践している。
家庭内でもたいした問題はなく、娘も大人となり自分の人生を楽しそうに過ごしている。
今のところ、個人的な面では悩みや不安は一切ない。
この先にひょっとすると大病を患うかもしれないし、大怪我をするかもしれないし、破産するかもしれない。
だがそれはそうなった時に全力で対処する覚悟があるので、自分にとって不安の材料にはならない。
こうやって見てみると、良いことづくめではないか。
個人的には何の問題もないが、懸念は社会のことであろう。
特に我が祖国、日本の狂いっぷりには呆れてしまうばかりだ。
政治家と言うものは昔からどうしようもないヤツらだと思っていたが、最近は輪をかけてひどくなっている。
政治が腐敗して人民から金品を巻き上げ大衆を苦しめる、なんてことは古今東西ひっきりなしに繰り返されてきたことであり、今もなお続いているのを見るとニンゲンという種族は学習しない生き物なのかと思ってしまう。
政治家がひどけりゃ、大企業もマスコミもみんなひどいという点では一緒だ。
自分がニュージーランドに住んでいる日本人ということで、目が向くのは日本とニュージーランドだが、世界を見ても規模が大きくなっているだけで構造は同じだ。
偉そうに言っているが、自分も社会を支えている大衆の一部であり、社会が狂っている責任は何十億分の一ぐらいで自分にもある。
世界のあちこちで起きている狂ったニュースを見て憂いを感じることしか自分にはできない。

宗教を広める時に使う考え方で天国と地獄という概念がある。
善い行いをすれば天国に行けるし、悪い行いをすれば地獄に行って苦しむというものだ。
昔の宗教というものは世の中を表す全てのものであり宗教が絶対だった。
宗教は今で言う情報源であり社会規範であり道徳であり科学であり経済であり学問であり哲学でもあった。
今の世の中で人々が信じている民主主義、資本主義、科学信仰から個人の生き方まで、全て宗教が説明してくれた。
逆に言えば個人は何も考えずに、盲目的に宗教のエライ人が言っていることを信じれば良い、そういう時代もあった。
そういうエライ人が言う功徳を積めば天国に行き、悪行をすれば地獄に行くという概念が大衆に広まるのも理解できる。
何と言っても死後の世界は誰にも分からないので証明できない。
この世で苦労している人があの世でも地獄で苦労するとなったらそりゃ報われない。
そうやって長い間、死後の世界の天国地獄の概念で道徳というものができていった。
良い悪いというステレオタイプの思考や、勧善懲悪という全ての人が喜ぶ分かりやすいストーリーもここが原点なのだろう。
今は時代が違う。
宗教の力は弱まり儀式的なものとなった。
それ以上に社会を動かしているものは金であり権力であり情報であり地位や名声や知名度だ。
それを悪いという気はなく、そういうものだと言いたいだけだ。
そして何を言いたいかと言うと、天国地獄はあの世にあるのではない。
イヤひょっとすると本当にあるかもしれないが、それは死ねば分かることだ。
今僕らが生きている目の前の世界が天国にもなれば地獄にもなる。
それは個人個人の思考と行動に表れる。
個人ごとに判断する事柄なので、万人に共通する物差しはない。
ただ今の自分に言えることは、こうやって誕生日の朝に静岡のお茶を飲みながらブログを書き、窓から朝日が差し込のを見て「ああ平和だなあ」などと独り言をつぶやく状況が天国であるのだ。
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7月7日 Mt.Hutt

2023-07-10 | 最新雪情報
今年も冬が来た。
お隣オーストラリアや北島ルアペフでは雪が降ったという話を聞いたが、カンタベリーは今年は出足が遅いようだ。
まあ今までもこういう事はあったし、逆にこっちは大雪で向こうが降らない年もあった。
そういうものだろう。
ハットは雪が少ないながらもオープンをしているので、兄弟子オトシ、弟弟子トモヤ、娘の深雪と一緒に行ってきた。
オフピステは滑れる状態ではないので、1回歩いて登ってゆっくり滑って降りるという、山スキーのような気分である。
雪山を移動する手段として考えるとスキー以上の物はない。
歩いて行動するよりはるかに速くて安全だ。
それにハットの登りは景色の良いところを歩くので、とても良いコースだと思う。
若くて体力を使いたくてウズウズしているトモヤを先に行かせて、残りの3人でゆっくりと登る。
娘の深雪は今年からポーターズでリフト係をするが、ポーターズは雪が少なくて全面オープン出来ず休みの日が多い。
こういう形で娘に山のことを教えるようになるとは思わなかったな。
冬はまだはじまったばかりである。


深雪が白馬で働いた時にオトシには世話になった。
それがこうやって一緒に歩いて登っている事に運命を感じる。


チェアリフトって速いなあ。


トモヤの滑りをはじめて見た。スキー技術に関して僕が教える事は何もない。


そしてヤツはシーズン一発目でニュージーランドの洗礼を受けた。
このスキー板も以前オトシの店で扱った物だという事で、これまた運命のような物だろう。


尾根を歩く道は日当たりも景色も気分も良い。
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内弟子トモヤ

2023-07-05 | 日記
日本から生きのいい若者が来た。
名前はトモヤ 若干二十歳である。
日本の白馬で働き、オーストラリアのスキー場で働こうとしてワーホリを取ってオーストラリアに来たものの、期待していた仕事がダメになった。
メルボルンのバックパッカーで腐っていたが、娘の紹介でニュージーランドの我が家にやってきた。
娘とは白馬のスキー場で繋がっていて、娘と一緒にスキーパトロールの見習いをした。
トモヤからすれば藁にもすがる思いでニュージーランドに飛び込んできたのだろう。
話を聞くと、東京の大学に入ったが、本当にやりたいことはスキーだということで大学を中退し白馬のスキー場で働き始めた。
子供の頃からスキーの競技をやっていたというので、スキーの基礎は出来ている。
これがスキーを全く知らない、スキー業界を知らないという人なら、こちらも考えてしまうが経験者なら話は早い。
何よりやりたいことのために、とりあえず日本を飛び出した無鉄砲さが気に入った。
自分もそうだったが、今では白馬のレジェンドスキーガイドになっているカズヤだって昔はそうだった。
年を取ってくると守らなければならない物が増えて行動を起こすのが億劫になるが、若い時は失う物が何もない。
そういう意味で若いというのは特権なのかもしれない。
若い時の経験は財産、というのはそういう意味も含む。



トモヤが来て色々と話をして思ったことは、真っ直ぐな人間なのだろうと。
これは親の人間性もそうなのだろうと想像できる。
子は親の鏡である。
子供の立ち振る舞いを見れば、親の人生観や生き方もなんとなく見える。
「この世は金が全てで、人に騙されるぐらいなら人を騙せ」という親の人格なら子供もそうなるだろう。
子供というのは親が言うようになるのではない。
親がなるように子供はなる。
きちんと挨拶ができる、目を見て話ができる、玄関の履物を揃える、トモヤのそういった振る舞いを見て弟子となることになった。
内弟子というのだが、師匠の家に住み込みで家事仕事をしながら修行する弟子のことである。
弟子と言っても、僕はスキーの技術や山の技術など教えられない。
そもそもスキーなど人様に教えるほど上手くない。
今まで弟子と認めた人達にもそうだったが、人としてのあり方みたいなところだろう。
先ずは「親より先に死ぬな」そして「自分がやるべきことをやれ」
基本的にはこの二つぐらいだろう。



トモヤがニュージーランドに来たものの雪は降らず、スキー場のオープン予定日が来ても雪不足でオープンは延期となった。
その間、庭でテント生活をしながら漫画の岳を読み、僕が休みで山に行く時には連れて行き、僕が仕事の時には一人で自転車で街を走るというそんな生活をした。
ペールエールを飲ませた時には美味さに感動してこんな美味いビールは飲んだことがないと言った。
確かに日本ではラガーやピルスナー主体なのでエール系のビールは少ない。
なのでラガーとエールの違いから教えることとなり、実際にビール造りを手伝わせた。
食べる物もうちはちゃんとした食材できっちりと作るので、それを見学させ時には調理も手伝う。
全てが修行である。



そんなトモヤが来て三日目だったか、派手な失敗をやらかした。
日本でも運転しているし、国際免許を持っているというので、うちのスバルを運転させた。
バックでドライブウェイから出る時に、庭のフェンスにフロントバンパーを引っ掛けてそのまま引き剥がした。
この時のトモヤの落ち込み具合がすごかったな。
まあ気持ちも分かる。
知らない人の所で寝食の世話になっているのに、さらに車まで壊してしまうというていたらく。
泣きそうな顔で平謝りをするトモヤを見て、可愛いなと思った。
そしてまた愛おしくも思った。
この若者がどう育っていくのか見たいと思った。
子供が育つのには大人の愛が必要不可欠である。
よく子供が「見て、見て」とアピールするのは、愛を求めているからなのである。
大人の愛は、親からの愛が最大なのだがそれだけでなく、祖父母や親戚のおじさんおばさんといった家族の愛。
そして社会においては学校の先生やスポーツチームのコーチ、習い事の先生、隣近所のおばさんなどなど、いろいろな人の愛を受けて子供は育つ。
ホモ・サピエンスという種族は社会で子供を育てる生き物とも言えよう。
それならばこの若者が育つのに自分も一役買うべきではなかろうか。
思い起こせば自分だって子供の時も成人してからも、色々な人のお世話になって生きてきた。
恩返しをするのも良いが、恩送りと言って次の世代にそれを受け継いでいくこともあるのだと、昔働いていた会社の先輩に教えてもらったこともあった。



「申し訳ありません。自分は日本へ帰って働いてお金を作って弁償します」と言うトモヤ。
「ダメだ、それは許さん。お前はここに何をしに来た?スキーだろ?お前がやるべき事は日本に帰ってお金を作ることではない。今まで以上に一生懸命修行をしてスキーをすることだ。」
「でも…」
「デモもストもない。返事はハイだ。分かったか。」
「ハイ、分かりました」
「その代わり、これもネタにするぞ」
「ハイ。ネタでも何でもしてもらって結構です」
「よし、このネタで一生お前をいじってやろう。頑張ってビッグなスキーヤーになってくれ。そうしたら『アイツが若い頃にうちの車を壊してな』とネタにしてやるから」
そんな会話をして話がついた。
これが人を巻き込む人身事故だったり車を廃車にするような大事故ならまだしも、大したことのない車のかすり傷なら勉強代というものだ。
この件でトモヤを責める気は一切なく奴に運手をさせた自分の責任だと思っているし、いつ自分がそういうことになるかもしれないという戒めでもある。
ただバンパーが外れた車というのは見た目がひどく、見せしめのために何日間かそのままにしておいた。



2週間ほど家で弟子見習い期間を過ごし、トモヤはスマイリーズというスキー宿へ移った。
そこで宿の手伝いをしながら、空いた時間にスキーをする
薪割り、ベッドメーク、掃除、皿洗い、などなど全てが修行だ。
そしてまもなく兄弟子でもあるオトシが日本からやってくる。
オトシの事は今までのブログでも書いているのでくどくど書かない。
兄弟子と弟弟子という兄弟関係すなわち上下関係もそこでできる。
構造的に言えば北村聖を頂点とするヒエラルキー構造の一部なのである。
二人とも白馬を拠点に生きる人間なので面白い繋がりになるだろう。
ちなみに白馬のレジェンドスキーガイドのカズヤも今年はNZに来るかもしれないと。
カズヤは僕にとっては弟子ではなく弟のような存在だが、やはり若い頃にヘマをして面倒を見て、生涯奴隷になるとヤツが宣言した。
なので北村家一門の中では(いつから一門になったんだ)カズヤの立ち位置は奴隷ということで最下層であり、弟子のトモヤより下である。
トモヤの双子の弟がカズヤと一緒に働いていて8月ぐらいに来る予定だということで、これまた人との繋がりが面白おかしく成り立っていく。
そんな具合に若いトモヤはただいま絶賛修行中。
師匠としては、車を壊した直後のトモヤの泣きそうな顔を写真に撮って残さなかったことが心残りである。

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