あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

老人のありかた。

2015-02-26 | 日記
先日興味深い記事を読んだ。
欧米では寝たきり老人がいないという記事である。
日本には寝たきり老人が200万人もいるそうな。
老人が老人を介護するというのが社会問題にもなっている。
ニュージーランドではあまりそういう話を聞かない。
これは物の考えの違いなのだろうが、体が動かなくなった時に子供に面倒をみてもらうという考えがない。
子供に面倒をみてもらうぐらいなら死んだほうがましだ、くらいの事は考えているかもしれない。
まず、老人でも自分ができる事は自分でやる。
老人が自立しているのだ。
社会のシステムの違いにもよるが、ここには定年がない。
そもそも終身雇用とか正社員とかそういう概念がない。
だから老人でも働く。
それが生活に追われて働くという感じではなく、自分の体が動くから働くという感じで楽しそうに生き生きと老人が働く。
そういう老人を見て若い人は、自分もこういうふうに年を取りたいと思うだろう。
僕はブロークンリバースキークラブに所属しているが、そこの爺さん達が自分の目標でもある。
孫を肩車してスキーをする爺さんに自分はなりたいと思う。
そうなりたいと思えばそうなる。
自分は無理だと思ってしまえば無理だ。
どう思うかは自分の心次第。
逆にこうはなりたくないな、という人を見てもそうなってしまう。
最初にお手本があり、それを後から否定しても結局最初に戻ってしまう。
反戦運動を続けていても戦争がなくならないのと同じ理屈である。

僕のお客さんは多くの人が高齢者で、ほとんどの人が老いる事に不安を持っている。
心の奥にあるのは恐怖だ。
今や日本の社会というものがそういうふうに老人に夢を与えないように仕向けられている。
寝たきり老人が200万というのがその現れだ。
反論があるのを承知で書くが、寝たきりになって物が食べられなくなったら人は死ぬべきだと思う。
そんなので平均寿命が伸びて嬉しいか?
少なくとも自分ならチューブで栄養を取りながら生きたくない。
人が死ぬ時が来ているのに殺さないのが日本の社会だ。
その社会を作ってきたのは自分達だ。
ではその老人に聞こう。
「今の自分を見て、若い世代に夢を与えていますか?」
「自分が若かったら、自分みたいな老人になりたいですか?」
これは老人に限った話ではない。
自分は40も半ばを超えたが、若い自分が見たら素敵だなあと思うような年の取り方をしていると思う。
こういう生き方もありなんだ、という事を若い世代に伝えたい。
それが年配者のやるべき事だろう。

自分の生き様、それが他人に影響を与える。
時にはその人の人生さえも変えることかもしれない。
一つ自分の体験を書こう。
僕が初めてニュージーランドに来た時は18歳だった。
クィーンズタウンに住んでおり、当時その町に日本人は20人ぐらいだった。
そこに日本人の夫婦が移り住んだ。
年のころは40半ばぐらい。
子供はいなくてオーストラリアに何年も住んでいたが、ニュージーランドの方が住みやすそうだから、それだけの理由で移住してきた。
僕はその人の話を聞いて心が軽くなった。
それでいいんだ。自由でいいんだ。
それまで出会った大人は暗い顔をして「そんなことで将来どうするの?」と問うような人ばかりだった。
そういうような大人になりたくなかった。
だがその人達は、不安はあったかもしれないがそれを僕に見せず、明るく楽しく生きていた。
僕の心を縛っていた鎖が解けた。
その人達は僕にどうせよと言ったわけではない。
ただ自分達がやるべき事をやっていただけだ。
その生き様が教えとなった。
教育とはそういうものだと思う。
よく子供の教育について云々と大人は言うが、親の生き様を、親の背中を見せてみろ、と言いたい。
親が自分自身を見て子供に恥じない生き方をしているか?
子は親の鏡と言うが、親が真っ直ぐならば子も真っ直ぐ育つ。
親が歪んでいれば子も歪む。
今に始まったことではないがバカ親(毒親という言葉もある)というものは子供をコントロールしようとして自分自身を見ない(もしくは持っていない)。
子供や他人ばかり見ているものだから自分自身が見えないのは当たり前で、意識は常に外へ向き、内観というものができていない。
そうやって心が歪んでいく。
そういう心の歪みは社会の歪みとなり、結局自分の所へ還ってくる。
馬鹿は死ななきゃ治らないのだが、今の社会は馬鹿も簡単に死なせてくれない。

何年か前にミルフォードトラックで一人の日本人男性が死んだ。
年はいくつか覚えていないが高齢だったらしい。
峠のてっぺんで心臓発作か何かで逝ったようだ。
「可哀そうにそんな所で・・・」そんな声も聞こえたが、僕の考えは正反対だ。
最高の死に方じゃん。
一人で参加するぐらい行きたかったミルフォードトラックのマッキノン峠のてっぺん、一番景色のいい所であの世に逝っちまう。
これ以上ないってぐらいの死に方じゃないか。
そりゃ家族とか周りの人は大変さ。
でも人が死ねばどんな形でも周りは混乱する。
それならば本人がやりたいようにやって死ぬのが一番。
すくなくともチューブ漬けになるよりこの爺ちゃんは幸せだったと思う。

もう一つ自分の経験を書こう。
昔マウントハットで働いていた時、二十代半ばぐらいの話だ。
日本の大学生がスキーの事故で死んだ。
聞けばレースキャンプのトレーニング中、フリーランで同じチームの人と衝突して亡くなったそうだ。
僕はその人の事は知らなかったが、日本から遺族が来るということでドライバーの仕事がまわってきた。
クライストチャーチの空港へ行き遺族に出会い、アシュバートンの葬儀場で遺族と娘の対面をした。
僕は離れて待っていたが父親が「娘を見てやってください」と言うので棺桶を覗いた。
娘さんはまるで眠っているような綺麗な顔で横たわっていた。
自分と大して年が違わない、見ず知らずの人の死に涙が溢れた。
聞けば大学からスキー部に入り、楽しみにしていたニュージーランドのスキー合宿中の事故だったらしい。
その後、僕は遺族を連れてマウントハットに上がり、事故現場に花を供えた。
辛く悲しい仕事だった。
子が親より先に死ぬことほど悲しいことはない。
これは自分が親になって実感する。
若い世代にああしろこうしろとは一切言わない僕だが一つ言うとしたらこれだ。
「親より先に死ぬな」
どんな形でも生きろ。
まずは死なない事、それが親孝行なのだから。

これは自分にも言い聞かせている事である。
僕の父親は自立していて「オレが死んでも帰ってこなくていいぞ」と日頃から言っている。
「そりゃ助かるな、じゃあポックリ逝ってくれ」と頼んであるし、死んだらブログのネタにしようと思っているのだがなかなか逝ってくれない。
「死んでから帰ってくるぐらいなら、生きているうちに会いに来い」とも親父は言っている。
まあもっともな話なので、4月に里帰りをする。
かれこれ9年ぶりだ。
まずは死なないことが親孝行で、次に来るのは『たまには顔を見せろ』というところか。
4月に帰ることは決めたが予定は全て未定。
航空券さえまだ取っていない。
まあなるようになるわな。
老いる話が里帰りの話になってしまったが、こういうのもまあいいか。

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中国人を見て思うこと。

2015-02-23 | 日記
ツアーの時にお客さんと話をしていて、話題が中国人の事に触れることがある。
そんな時、かなり多くの人が嫌悪感をあらわにする。
すると場の空気はどんよりと重くなる。
人が人を嫌いになる時、人は嫌な気を発する。
そしてほとんどの人が、自分が嫌な気を出している事に気がつかない。

確かに中国人のふるまいは誉められたものではない。
そこらじゅうにゴミを捨てるわ、大声で喋るわ、レストランでは人のテーブルを覗き込む。
レンタカーに乗せれば運転はヘタクソ、そのくせ直線では150キロでぶっ飛ばし、カーブの途中で車を停め記念撮影なぞしている。
金に物を言わせ傍若無人の振る舞いをする、人が多い。
だが他の人の事が言えるか日本人?
バブルの時にどういう事をやっていた。
僕は28年前、クィーンズタウンのお土産屋で働いていたが、シープスキンがそれこそ飛ぶように売れた。
当時はニュージーランド観光の走りで、大型バスを連ねて走るような、そんなツアーも多かった。
今でこそ、日本の喫煙者は携帯灰皿を持っているが、当時そんな物使う人はなくタバコのポイ捨ては当たり前だった。
ヨーロッパでのブランド物の買い物ツアーなどはさぞかしすごかったのだろうし、アジア諸国への売春ツアーもよく聞いた。
自分がそれに参加していないからと言って、自分は関係ないとは言わせない。
民族の恥というものは多かれ少なかれ自分にも関係はある。
それを棚にあげて、中国人だからと偏見を持つのはどうかと思う。
第一、その中国人に個人で実害を受けている人がどれくらいいるのか。
山小屋のように観光業の商売をやっていて実害を受けた人が中国人を嫌いになるのは理解できる。
でも自分は被害にあっていないのに「テレビで言っていたから」とか「友達の友達が被害にあった」とか「話に聞いた」とかそういうレベルの人がどれくらいいるのだろう。
そしてそういう情報は意図的に操作されていることも多い。
洗脳というのはされている人が気づかないから洗脳なのだ。

旧正月の期間、クィーンズタウンにも中国人が溢れた。
街に入る交差点ではウロウロするレンタカーに腹を立てた人が鳴らすクラクションが終日続いたそうな。
人の良いニュージーランド人もさすがにうんざりという顔で中国人を見る。
やはりバランスの問題で、あまりに多くの人が同時期に集まったり移動したりするとろくなことがない。
それにしても当の中国人はそうやって嫌われているのに気がついているのだろうか。
あまりの無邪気さに可哀そうになってしまう。
僕が見ている中国像とは、可哀そうな国で可哀そうな民だ。
天に向かってツバを吐けば自分に落ちてくる。
今はまだ落ちてこないがそのうちに必ず落ちてくる。
それに気づかずにツバを吐き続けているのが今の中国だ。
可哀そうだがそれもまた自分がやっている事なので仕方なかろう。

若い頃、中国を旅したことがある。
長距離列車で一般の人と一緒に旅をした。
同じコンパートメントで一緒になったおばちゃんが親切にいろいろな物を分けてくれたり、いろいろと教えてくれた。
ああ、中国の人ってやさしいんだなあと思ったのだが、その優しいおばちゃんがある駅で駅員相手に鬼のような形相でケンカをしていた。
何に対してかは分からないが、すごい剣幕で言い争っていた。
この変わりようは何か。
自分の家族、友達、知り合いにはものすごく親切でとても厚くもてなすが、それ以外にはケンカ腰であったり冷たかったり。
その輪は時には家族であったり、時には自分の所属する社会であったり、時には友達であったり、その状況によって大きくなったり小さくなったりする。
それが最大になったものが国という感覚か。
そこでは線の内と外というように、常に境界線がある。
輪は時と状況で大きさは変わるが、常にその輪の中で自分が真ん中にいる。
それが中華思想だ。
そこに常にくっついているものがエゴなのだ。
『自分さえよければいい』というエゴは自分を中心とする輪が大きくなれば『自分の家族さえよければいい』というものになり『自分の友達さえよければいい』『自分の所属する社会さえよければいい』そして『自分の国さえよければいい』となる
それがお互いの国であれば戦争だし、輪が小さければケンカ、言い争いだ。
線の内にいれば心地よい関係だが、それがいつ線の外に放り出されるか分からない。
基本、他人は信用できないというような不毛な関係を作る。
だから親から子へ伝えられる言葉は「人に騙されるより人を騙せ」だ。
そして金が全ての拝金主義の国がある。
あーあ、孔子の教えはどこへいっちゃったんだろうね。

日本と同じで古い世代は考えが固く簡単には変わらないだろうが、若い世代で今一度考え直し自分を見つめ自分の国を見つめ、人として真っ直ぐに生きていこう、という人はいないのだろうか。
だがそれにしても、未だ天に向かってツバを吐き続け、民族としてのカルマを増やしている状態では灯りも見えないな。
近い将来、中国は失脚する。
痛い目にあうだろう。
その時に「ざまあみろ」と言うか「辛い思いをしたな」と労わるか。
自分の魂の成長がそこで試される。
その想いは自分自身だけが知る。






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庭の手入れ

2015-02-18 | 
週末から四連休、家で過ごした。
普段出来ない庭の手入れをした。
雑草を抜き、土を耕し、堆肥を入れ苗を植える。
陽射しはきつく汗が流れるが、それが気持ちよい。
手入れとは文字通り手を入れること。
土を触りながらそんな事を考えた。
人として大切なことがそこにあるのではないか。
土を触れば虫だってミミズだっているのに気づく。
見えないが微生物だっているのを感じる。
そういう虫達がいて野菜が育ち人がいる。
共生、人だけではなく、植物、動物、虫、微生物と共に生きるのだ。
現代人がこれほどまでに虫を嫌いになる理由はなんだろう。
快適で衛生的な無菌室のような空間で育つ事の恐ろしさを僕は感じる。

収穫そして保存というのも野菜作りの大切な仕事の一つ。
年末に収穫をして乾燥させておいたニンニクを女房殿に編んでもらった。
一年分のニンニクだ。
我が家ではこれをぶら下げておいて、使う分だけそこから取っていく。
また贈答用に五、六個の束も作る。
これがなかなか評判がよい。
大きな粒は来年の植え付け用に取っておく。
種などの自家採取は人類にとって当たり前の行動だが、アメリカではすでにこれは違法行為だ。
こんな当たり前のことが犯罪になってしまうとは世も末。
バカな世の中になったものだ。
幸いなことにここニュージーランドはそんな馬鹿ではない。
種を売っている業者でもちゃんとF1種はF1という表示がある会社もある。
表示が全くないところの種はF1と考えていいだろう。
日本に帰ったら野口の種を買ってお土産に持ってこよう。



庭を掘り起こしていたらジャガイモがゴロゴロとでてきた。
コンポストから勝手に育ったやつだ。
掘りたてのジャガイモでポテトサラダ。
玉ねぎも庭で取り残していたヤツだ。
そこに温室のきゅうりとトマト。
今年はズッキーニの出来が今一つだがきゅうりはよくできている。
パセリも花が咲いたが葉っぱも多少残っているのでみじん切りにして入れる。
自家製マヨネーズであえて庭のポテトサラダ完成。
当然ながら美味い。
チェリートマトなぞ木で実がはじけるほど熟しているので本当に甘い。
ほどほどに剪定もしているので食べきれないほどできる。
贅沢な話だな。

温室の中で紫蘇が生い茂っていたので適度に取ってクィーンズタウンの友達に持って行ってあげよう。
空いたスペースにはレタス、遅ばせながらズッキーニ、唐辛子などを植えた。
これらは秋になっても収穫できる。
リークも程よく育ってきたので盛り土をしてあげて、長ネギもまとめて植え替えて盛り土。
ネギ類は成長が遅いが保存もきき、長く楽しめる。
人参を間引きしたら見事に枝分かれして、足を絡めたようなヤツが取れた。
そんなことをやっていたらあっという間に四日間の休日が終わった。
先日、『百姓レボリューション』という本を読んだ。
これは大地震が来てほとんどの人が死に絶え、生き残った人があちこちで自給自足をしながら生きていく話しだ。
『日本沈没』のような暗さはなく、物語としても面白く一気に読んでしまった。
自分の中では『聖なる予言』以来の大ヒットだった。
半農半Ⅹという考えが基になって、半分農業をやり半分自分が得意とする仕事をしながら社会を作っていく話で、僕が考えている未来像と非常に似ている。
僕の今の状況も似ているところがあり、ガイドの仕事をしながらも野菜を作っている。
土を触る事により、いろいろな気づきがある。
それは自分の心を満たし、良い心理状況でツアーの仕事ができる。
野菜作りは自分の心を見つめる作業でもある
まっこと奥が深いぜよ。





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主観というもの

2015-02-15 | 日記
ツアーの合間に時間ができた。
クライストチャーチの家で4日間の休息である。
庭ではトマトが鈴生りで収穫を待っている。
きゅうりも大きく実り、早く取ってくれと言っている。
苺は大きく実り、真っ赤だ。葉っぱの陰のヤツは傷みかけている。それらはニワトリのご馳走になる。
木で熟した作物は甘く味が濃く、エネルギーも高い。
こういう食べ物を食べていれば病気にもならないだろうな。

久しぶりの我が家で、自分のパソコンに向かい文を書いているのだが、やはり使い慣れた道具だと文も進む。
クィーンズタウンでは友達からいただいたキンドルでネットをつないでいて、タッチパネルと言うのか、スクリーンに浮かび上がるキーボードで文を書く。
ちょっとしたメッセージぐらいならいいのだが、長い文を書くのにはちょっと使いづらい。
文の途中で変な所を触り別の画面に飛んでしまったり、変な字が出てしまいそれが消せないとか、そんなことをやっているうちに嫌になってしまう。
仕事が忙しいというのもあるがブログの更新もままならず、気がついてみれば2月も半ばになろうとするのに三つしか話を書いていない。
ネタになるような事は数あれど、文としてまとまらない。
まあ、これが本職ではないのでこのブログのファンの方にも勘弁してもらおうか。

今シーズンはテアナウのトーマスの家に世話になることが多い。
そこで面白い話を聞いた。
トーマスの姪っ子だったか甥っ子だったか、オークランドでワーホリをしているのだが、その人のニュージーランドに対する印象とはゴチャゴチャしてゴミが多い所なんだそうな。
何てことはない、オークランドの一部を見てそれがそのままニュージーランドの印象になっているだけの話だが、人の主観とはそういうものなんだろうと思う。
自分の見聞きした情報で人は判断をするのだが、それにはその人の背景という物が深く関係する。
僕は自分の生き様を通してお客さんに話をするのだが、別のガイドはその人の生き様で話をする。
否定的な物の考えを持ちながら生きている人はそういう話になるだろうし、楽しく生きている人は楽しい話になるだろう。
以前にも書いたが、バケツを逆さから見れば底が無く蓋が開かない入れ物だ。
人間というものは少ない情報で全体を把握しようとするところがある。
3日ぐらいこの国を回った人が「この国はどこに行っても日本人ばかりね」というようなことを平気で言う。
日本人ばかりなのではなく、「あなたが行く所が日本人が多い所なのだし、その多い日本人の中にあなたも入っているのです」、という事に気がつかないし僕もそこまで指摘しない。
僕の個人的なお客さんは、クラブフィールドへ行ったり、アーサーズパスや西海岸といった日本人どころか人間がいないような場所へ連れて行くので、「この国は~」というような言葉は出ない。
それは情報の種類なのだと思う。
周りが観光客でごったがえす場所だけを見るか、深い所でこの国を見るか、オークランドのような都会だけ見るのか。
それによって主観も変わる。
経験という情報が多ければ、見える角度も多くなる。
俯瞰で物を見るとはそういうことではないのだろうか。

トーマスの姪っ子はテアナウにしばらく滞在しケトリンズなども周り、こういう世界があることに気がついたらしい。
そこからどうするか、あとは本人次第。
バケツをどういう方向で見るのか、それがその人の生き様なのだろうから。




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ガートルートサドル

2015-02-04 | 
この国で自分のやりたいことリストというものがある。
未だ自分が行ったことのない場所や登ったことのない山で、歩いてみたいなと常々思っているコースがある。
スチュワート島のトレッキング、マウンットクックのボールパス、ヒーフィートラック、ワンガヌイジャーニー、トンガリロクロッシング、数を挙げていったらきりがない。
果ては土星の輪の上をマウンテンバイクで走るとか、まったく光が届かない海底の居酒屋で黄桜のカッパの姉さんと酒を飲むとか。
そこまでぶっ飛んでしまうと現実味にかけるが、わりと手の届くところでやりたいことは色々ある。
そのうちの一つにガートルートサドルの上でキャンプをする、というものがあった。
ガートルートはミルフォードサウンドに行く途中にある谷で、仕事で何回も近くを通ったことはあるが歩いたことはない。
日帰りでもいけるが、天気のよい時にテントを持っていきキャンプすると良い、というのは友人トーマスの意見だ。
こういう話は素直に聞くべきだ。



正月の喧騒が一段落したころ、2日間の休みがあった。
天気は上々、タスマン海にどかっと高気圧が張りだした。
こうなると安定した天気が続き、どこに行っても良いのでどこに行こうか迷ってしまう。
泊で山へ行こうとするとそれなりに準備が必要で、正直な話、面倒くさい。
日帰りでどこかへ行き、家に帰って来て飯を食いベッドで寝る方が楽だ。
こうやって山が遠くなっていく。
それでも大きなザックに寝袋とテントを入れると気持ちも入れ替わり、必要な物も見えてくる。
こういう山行でいつも悩むのは何を食い何を飲むか。
今回は一泊だけだし、寒くないだろうから、ガスや食器は無し。
夕飯はサブウェイのサンドイッチでも持っていくか。
あとはドライフルーツとナッツなどの行動食でいいかな。
酒は?景色の良いところでビールをプハっといくのがいつものやり方だが、尾根の上でビールを冷やす所があるかどうか分からない。
よって今回はワイン。
頂き物の上物のピノ・ノワールをザックに入れて家を出た。



テアナウのトーマスの所に立ち寄り情報収集、そして街で必要な物を買い足し、車を走らせた。
クィーンズタウンから車で三時間ちょっと、ガートルートの谷間に着いた。
駐車場で支度を整えていると、若い旅行者が話しかけてきた。
「車のバッテリーがあがっちゃったみたいなんだけど、何か持っていませんか?」
「おお、ジャンパーケーブルがあるぞ。どれ、繋いでやるからボンネットを開けてバッテリーを出してみろ。」
ダメ元で声をかけてみたけどという顔から、頼れるオジサンを見る顔へ急展開。実に分りやすい。
「ありがとうございます!助かります。」
僕の車には常に牽引用のロープとジャンパーケーブルは積んである。
自分が助けてもらうかもしれないし、人を助けることもできる。
その場で繋いでエンジンをかけてあげると、彼らは丁寧にお礼を言いにこやかに去っていった。
自分に出来ることをするのである。




午後も遅い時間に歩き始めた。
日没が9時近くなので、夕方からでも行動できるのがこの国の山歩きのいいところだ。
日本では雷を伴った夕立が多いので、とにかく早い時間に山小屋へ着くのが一般的だ。
日本には日本の歩き方があり、ここにはここの歩き方がある。
大きなU字谷の底を歩く。
今は夏だからいいけど、こんなところ冬は雪崩の巣で恐ろしいだろうな。
真横の岩の壁から何とも言えない威圧感を感じる。
岩がもつエネルギーというものだろうか、自然というものは美しくもあり同時に恐ろしいものでもある。
人間はそこでは圧倒的に無力だ。
無力な存在であればこそ、感ずる何かがある。



平らな谷底をしばらく歩くと、U字谷のどん詰まりにたどり着き、そこから登り始める。
この日は天気も良く、わりと多くの人が登っているようだが、この時間に自分より後に登ってくる人はいないだろう。
携帯は繋がらず、頼れるものは自分のみ。
単独行の時に感じるピリピリした緊張感は嫌いではない。
このコースはさほど難しくはないが、どんな簡単なコースでも山では人が死ぬということは分かっているつもりだ。
こんなとき旧日本式の考えだと、何かあったらどうするの?などという事を言うヤツらがいる。
不安という怖れから来る感情に縛られ何もできない人達、子供や孫に何もさせない人達がこの国をどんなつまらないものにしてきたか、本人達は分かろうとしないし死ぬまで分からないだろう。
「危ないからやめなさい」ではなく「こういう危険があるし、痛い思いをするのは自分だ。それを承知の上でやりなさい」と娘には言って育ててきた。
そして同じ言葉は自分にも常に言っている。





滝に沿って登っていくと平らで大きな岩に出た。
コースはその岩の上を行く。
オレンジマーカーは無いが、所々にケルンがある。
滝の横を上り詰めると小さな湖に出た。
きれいな湖の周囲をぐるりと岩が囲む。
そのなかでも比較的なだらかな場所に鎖がある。
斜度は30度ぐらいか。
上から人が恐る恐る降りてくる。
確かに上からは怖いだろうな。
転げ落ちたら、痛いでは済まないだろう。





岩は乾いていて靴のグリップが効くのでわりと楽に登れる。
ただし濡れていたり、もしくは雪が少しでも積もっていたら別の次元の話だ。
ハードな歩きを想像してたのだが、わりとあっけなくサドルに着いた。
そして向こう側の景色を見て息を呑んだ。
足元からは数百メートルの絶壁で真下は見えない。
そこからU字谷がクネクネと伸びている。
その先にはミルフォードサウンドが見える。
と言ってもミルフォードサウンド自体曲がりくねったU字谷なので全体はみえないが、スターリングの滝に舳先を突っ込んでいる観光船もはっきり見える。
何回あの船に乗ったことか。
それをこの角度から僕は見ている。
この経験は僕だけの物であり、こういう事をするために僕はここにいる。





サドルの上にテントを張り、着替えをしてくつろぎの時間。
登り始めの時間が遅かったが、わりと早く着いてしまったので日もまだ高い。
絶景を見ながらワインを開けた。
今日は大地に、だな。
大自然の中で徹底的に遊ばせてもらった日に飲む酒の最初の一口を大地に垂らす。
20年も前に相棒が始めた儀式をぼくは今でも律儀にやっている。
そういえば今シーズン初の「大地に」だな。
上物のピノ・ノワールが腹に染みる。
絶景に旨い酒。
後は何が要るのだろうか。



夜になって風が出てきた。
峠を吹き抜ける風がゴワンゴワンとテントを揺らす。
高気圧におおわれていても夜は風が出て寒い。
街にいると感じられない自然の営みがある。



朝になり周りの山に日が射し始めても、深い谷間には日が届かない。
やっと日が照り、温かくなる頃、テントから出た。
相変わらずとんでもない景色の中に僕は存在する。
次にミルフォードサウンドに行く時には向こうからこっちを見てやろう。
その時の自分は何を思うのだろう。



日が高くなり人もボチボチと上がってきた。
そろそろ潮時か。
僕は荷物をまとめ、山に手を合わせ拝み、下り始めた。




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