先日興味深い記事を読んだ。
欧米では寝たきり老人がいないという記事である。
日本には寝たきり老人が200万人もいるそうな。
老人が老人を介護するというのが社会問題にもなっている。
ニュージーランドではあまりそういう話を聞かない。
これは物の考えの違いなのだろうが、体が動かなくなった時に子供に面倒をみてもらうという考えがない。
子供に面倒をみてもらうぐらいなら死んだほうがましだ、くらいの事は考えているかもしれない。
まず、老人でも自分ができる事は自分でやる。
老人が自立しているのだ。
社会のシステムの違いにもよるが、ここには定年がない。
そもそも終身雇用とか正社員とかそういう概念がない。
だから老人でも働く。
それが生活に追われて働くという感じではなく、自分の体が動くから働くという感じで楽しそうに生き生きと老人が働く。
そういう老人を見て若い人は、自分もこういうふうに年を取りたいと思うだろう。
僕はブロークンリバースキークラブに所属しているが、そこの爺さん達が自分の目標でもある。
孫を肩車してスキーをする爺さんに自分はなりたいと思う。
そうなりたいと思えばそうなる。
自分は無理だと思ってしまえば無理だ。
どう思うかは自分の心次第。
逆にこうはなりたくないな、という人を見てもそうなってしまう。
最初にお手本があり、それを後から否定しても結局最初に戻ってしまう。
反戦運動を続けていても戦争がなくならないのと同じ理屈である。
僕のお客さんは多くの人が高齢者で、ほとんどの人が老いる事に不安を持っている。
心の奥にあるのは恐怖だ。
今や日本の社会というものがそういうふうに老人に夢を与えないように仕向けられている。
寝たきり老人が200万というのがその現れだ。
反論があるのを承知で書くが、寝たきりになって物が食べられなくなったら人は死ぬべきだと思う。
そんなので平均寿命が伸びて嬉しいか?
少なくとも自分ならチューブで栄養を取りながら生きたくない。
人が死ぬ時が来ているのに殺さないのが日本の社会だ。
その社会を作ってきたのは自分達だ。
ではその老人に聞こう。
「今の自分を見て、若い世代に夢を与えていますか?」
「自分が若かったら、自分みたいな老人になりたいですか?」
これは老人に限った話ではない。
自分は40も半ばを超えたが、若い自分が見たら素敵だなあと思うような年の取り方をしていると思う。
こういう生き方もありなんだ、という事を若い世代に伝えたい。
それが年配者のやるべき事だろう。
自分の生き様、それが他人に影響を与える。
時にはその人の人生さえも変えることかもしれない。
一つ自分の体験を書こう。
僕が初めてニュージーランドに来た時は18歳だった。
クィーンズタウンに住んでおり、当時その町に日本人は20人ぐらいだった。
そこに日本人の夫婦が移り住んだ。
年のころは40半ばぐらい。
子供はいなくてオーストラリアに何年も住んでいたが、ニュージーランドの方が住みやすそうだから、それだけの理由で移住してきた。
僕はその人の話を聞いて心が軽くなった。
それでいいんだ。自由でいいんだ。
それまで出会った大人は暗い顔をして「そんなことで将来どうするの?」と問うような人ばかりだった。
そういうような大人になりたくなかった。
だがその人達は、不安はあったかもしれないがそれを僕に見せず、明るく楽しく生きていた。
僕の心を縛っていた鎖が解けた。
その人達は僕にどうせよと言ったわけではない。
ただ自分達がやるべき事をやっていただけだ。
その生き様が教えとなった。
教育とはそういうものだと思う。
よく子供の教育について云々と大人は言うが、親の生き様を、親の背中を見せてみろ、と言いたい。
親が自分自身を見て子供に恥じない生き方をしているか?
子は親の鏡と言うが、親が真っ直ぐならば子も真っ直ぐ育つ。
親が歪んでいれば子も歪む。
今に始まったことではないがバカ親(毒親という言葉もある)というものは子供をコントロールしようとして自分自身を見ない(もしくは持っていない)。
子供や他人ばかり見ているものだから自分自身が見えないのは当たり前で、意識は常に外へ向き、内観というものができていない。
そうやって心が歪んでいく。
そういう心の歪みは社会の歪みとなり、結局自分の所へ還ってくる。
馬鹿は死ななきゃ治らないのだが、今の社会は馬鹿も簡単に死なせてくれない。
何年か前にミルフォードトラックで一人の日本人男性が死んだ。
年はいくつか覚えていないが高齢だったらしい。
峠のてっぺんで心臓発作か何かで逝ったようだ。
「可哀そうにそんな所で・・・」そんな声も聞こえたが、僕の考えは正反対だ。
最高の死に方じゃん。
一人で参加するぐらい行きたかったミルフォードトラックのマッキノン峠のてっぺん、一番景色のいい所であの世に逝っちまう。
これ以上ないってぐらいの死に方じゃないか。
そりゃ家族とか周りの人は大変さ。
でも人が死ねばどんな形でも周りは混乱する。
それならば本人がやりたいようにやって死ぬのが一番。
すくなくともチューブ漬けになるよりこの爺ちゃんは幸せだったと思う。
もう一つ自分の経験を書こう。
昔マウントハットで働いていた時、二十代半ばぐらいの話だ。
日本の大学生がスキーの事故で死んだ。
聞けばレースキャンプのトレーニング中、フリーランで同じチームの人と衝突して亡くなったそうだ。
僕はその人の事は知らなかったが、日本から遺族が来るということでドライバーの仕事がまわってきた。
クライストチャーチの空港へ行き遺族に出会い、アシュバートンの葬儀場で遺族と娘の対面をした。
僕は離れて待っていたが父親が「娘を見てやってください」と言うので棺桶を覗いた。
娘さんはまるで眠っているような綺麗な顔で横たわっていた。
自分と大して年が違わない、見ず知らずの人の死に涙が溢れた。
聞けば大学からスキー部に入り、楽しみにしていたニュージーランドのスキー合宿中の事故だったらしい。
その後、僕は遺族を連れてマウントハットに上がり、事故現場に花を供えた。
辛く悲しい仕事だった。
子が親より先に死ぬことほど悲しいことはない。
これは自分が親になって実感する。
若い世代にああしろこうしろとは一切言わない僕だが一つ言うとしたらこれだ。
「親より先に死ぬな」
どんな形でも生きろ。
まずは死なない事、それが親孝行なのだから。
これは自分にも言い聞かせている事である。
僕の父親は自立していて「オレが死んでも帰ってこなくていいぞ」と日頃から言っている。
「そりゃ助かるな、じゃあポックリ逝ってくれ」と頼んであるし、死んだらブログのネタにしようと思っているのだがなかなか逝ってくれない。
「死んでから帰ってくるぐらいなら、生きているうちに会いに来い」とも親父は言っている。
まあもっともな話なので、4月に里帰りをする。
かれこれ9年ぶりだ。
まずは死なないことが親孝行で、次に来るのは『たまには顔を見せろ』というところか。
4月に帰ることは決めたが予定は全て未定。
航空券さえまだ取っていない。
まあなるようになるわな。
老いる話が里帰りの話になってしまったが、こういうのもまあいいか。
欧米では寝たきり老人がいないという記事である。
日本には寝たきり老人が200万人もいるそうな。
老人が老人を介護するというのが社会問題にもなっている。
ニュージーランドではあまりそういう話を聞かない。
これは物の考えの違いなのだろうが、体が動かなくなった時に子供に面倒をみてもらうという考えがない。
子供に面倒をみてもらうぐらいなら死んだほうがましだ、くらいの事は考えているかもしれない。
まず、老人でも自分ができる事は自分でやる。
老人が自立しているのだ。
社会のシステムの違いにもよるが、ここには定年がない。
そもそも終身雇用とか正社員とかそういう概念がない。
だから老人でも働く。
それが生活に追われて働くという感じではなく、自分の体が動くから働くという感じで楽しそうに生き生きと老人が働く。
そういう老人を見て若い人は、自分もこういうふうに年を取りたいと思うだろう。
僕はブロークンリバースキークラブに所属しているが、そこの爺さん達が自分の目標でもある。
孫を肩車してスキーをする爺さんに自分はなりたいと思う。
そうなりたいと思えばそうなる。
自分は無理だと思ってしまえば無理だ。
どう思うかは自分の心次第。
逆にこうはなりたくないな、という人を見てもそうなってしまう。
最初にお手本があり、それを後から否定しても結局最初に戻ってしまう。
反戦運動を続けていても戦争がなくならないのと同じ理屈である。
僕のお客さんは多くの人が高齢者で、ほとんどの人が老いる事に不安を持っている。
心の奥にあるのは恐怖だ。
今や日本の社会というものがそういうふうに老人に夢を与えないように仕向けられている。
寝たきり老人が200万というのがその現れだ。
反論があるのを承知で書くが、寝たきりになって物が食べられなくなったら人は死ぬべきだと思う。
そんなので平均寿命が伸びて嬉しいか?
少なくとも自分ならチューブで栄養を取りながら生きたくない。
人が死ぬ時が来ているのに殺さないのが日本の社会だ。
その社会を作ってきたのは自分達だ。
ではその老人に聞こう。
「今の自分を見て、若い世代に夢を与えていますか?」
「自分が若かったら、自分みたいな老人になりたいですか?」
これは老人に限った話ではない。
自分は40も半ばを超えたが、若い自分が見たら素敵だなあと思うような年の取り方をしていると思う。
こういう生き方もありなんだ、という事を若い世代に伝えたい。
それが年配者のやるべき事だろう。
自分の生き様、それが他人に影響を与える。
時にはその人の人生さえも変えることかもしれない。
一つ自分の体験を書こう。
僕が初めてニュージーランドに来た時は18歳だった。
クィーンズタウンに住んでおり、当時その町に日本人は20人ぐらいだった。
そこに日本人の夫婦が移り住んだ。
年のころは40半ばぐらい。
子供はいなくてオーストラリアに何年も住んでいたが、ニュージーランドの方が住みやすそうだから、それだけの理由で移住してきた。
僕はその人の話を聞いて心が軽くなった。
それでいいんだ。自由でいいんだ。
それまで出会った大人は暗い顔をして「そんなことで将来どうするの?」と問うような人ばかりだった。
そういうような大人になりたくなかった。
だがその人達は、不安はあったかもしれないがそれを僕に見せず、明るく楽しく生きていた。
僕の心を縛っていた鎖が解けた。
その人達は僕にどうせよと言ったわけではない。
ただ自分達がやるべき事をやっていただけだ。
その生き様が教えとなった。
教育とはそういうものだと思う。
よく子供の教育について云々と大人は言うが、親の生き様を、親の背中を見せてみろ、と言いたい。
親が自分自身を見て子供に恥じない生き方をしているか?
子は親の鏡と言うが、親が真っ直ぐならば子も真っ直ぐ育つ。
親が歪んでいれば子も歪む。
今に始まったことではないがバカ親(毒親という言葉もある)というものは子供をコントロールしようとして自分自身を見ない(もしくは持っていない)。
子供や他人ばかり見ているものだから自分自身が見えないのは当たり前で、意識は常に外へ向き、内観というものができていない。
そうやって心が歪んでいく。
そういう心の歪みは社会の歪みとなり、結局自分の所へ還ってくる。
馬鹿は死ななきゃ治らないのだが、今の社会は馬鹿も簡単に死なせてくれない。
何年か前にミルフォードトラックで一人の日本人男性が死んだ。
年はいくつか覚えていないが高齢だったらしい。
峠のてっぺんで心臓発作か何かで逝ったようだ。
「可哀そうにそんな所で・・・」そんな声も聞こえたが、僕の考えは正反対だ。
最高の死に方じゃん。
一人で参加するぐらい行きたかったミルフォードトラックのマッキノン峠のてっぺん、一番景色のいい所であの世に逝っちまう。
これ以上ないってぐらいの死に方じゃないか。
そりゃ家族とか周りの人は大変さ。
でも人が死ねばどんな形でも周りは混乱する。
それならば本人がやりたいようにやって死ぬのが一番。
すくなくともチューブ漬けになるよりこの爺ちゃんは幸せだったと思う。
もう一つ自分の経験を書こう。
昔マウントハットで働いていた時、二十代半ばぐらいの話だ。
日本の大学生がスキーの事故で死んだ。
聞けばレースキャンプのトレーニング中、フリーランで同じチームの人と衝突して亡くなったそうだ。
僕はその人の事は知らなかったが、日本から遺族が来るということでドライバーの仕事がまわってきた。
クライストチャーチの空港へ行き遺族に出会い、アシュバートンの葬儀場で遺族と娘の対面をした。
僕は離れて待っていたが父親が「娘を見てやってください」と言うので棺桶を覗いた。
娘さんはまるで眠っているような綺麗な顔で横たわっていた。
自分と大して年が違わない、見ず知らずの人の死に涙が溢れた。
聞けば大学からスキー部に入り、楽しみにしていたニュージーランドのスキー合宿中の事故だったらしい。
その後、僕は遺族を連れてマウントハットに上がり、事故現場に花を供えた。
辛く悲しい仕事だった。
子が親より先に死ぬことほど悲しいことはない。
これは自分が親になって実感する。
若い世代にああしろこうしろとは一切言わない僕だが一つ言うとしたらこれだ。
「親より先に死ぬな」
どんな形でも生きろ。
まずは死なない事、それが親孝行なのだから。
これは自分にも言い聞かせている事である。
僕の父親は自立していて「オレが死んでも帰ってこなくていいぞ」と日頃から言っている。
「そりゃ助かるな、じゃあポックリ逝ってくれ」と頼んであるし、死んだらブログのネタにしようと思っているのだがなかなか逝ってくれない。
「死んでから帰ってくるぐらいなら、生きているうちに会いに来い」とも親父は言っている。
まあもっともな話なので、4月に里帰りをする。
かれこれ9年ぶりだ。
まずは死なないことが親孝行で、次に来るのは『たまには顔を見せろ』というところか。
4月に帰ることは決めたが予定は全て未定。
航空券さえまだ取っていない。
まあなるようになるわな。
老いる話が里帰りの話になってしまったが、こういうのもまあいいか。