あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

フォークス日記 6

2011-04-30 | 


ふと辺りが明るくなった。
厚かった雲の切れ目から薄日が差し込み氷河の青を照らす。
なんて美しいんだ。
「ほらね晴れたでしょ。笑っちゃうよね。」
いつ雨になってもおかしくない気圧配置で、この晴れ間はボーナスだ。
やはりボクは晴れ男である。行く先々で晴れる。もしくは行動中だけ天気が保つ。
ルートバーンを仕事で歩いていて、雨が降っていてもかろうじてカッパを着ないで歩ける位の雨だったり、歩き終わると同時に雨脚が強くなるなんてのはザラだ。
友達は自称『雨女』なのだそうで、曰く行動中必ず一回は雨が降るそうだ。
こういう人は自分で雨女と言うことで雨を引き寄せてしまう。まあ森にとっては雨はありがたいことなので、こういう人がいると森も嬉しいだろう。
ボクみたいな人ばかりだったら、晴ればかりでコケがカラカラに干からびて森が可哀想だ。



ある場所で人が詰まっていた。何があるんだろう?
人が退くのを待つとその先には氷のトンネル。そこを滑り台のように抜けられる。
なるほどみんなここで写真を取っていたから時間がかかったんだな。
ガイド業はサービス業だ。お客さんが喜ぶ場所で記念写真を撮るのも仕事のうちである。
もちろんボクらも写真を取る。
それにしても氷の形は複雑で同じ物は何一つない。
自然が作り上げる物は人間の想像の範囲を遙かに超える。
その中で人間が入っていける所というのは実にちっぽけなものだ。
その限られた場所の中で、いかに面白いコースを決めるというのがガイドの腕の見せ所だ。
帰ってそのことをタイに話すとヤツは言った。
「そうなんですよね~。ガイドによって道の作り方が違うんです。腕のいいヤツは楽しいコースを造るんだけど、ヘタクソがコースを決めるとただの移動の道になっちゃうんですよ。」
これは氷河ガイドに限らず、山歩きの道もそうだ。
短いショートウォークでも変化に富んだ素晴らしいコースはある。ここは上手く作ったなあ、と感心してしまうような場所もあるし、こんな作り方しかできないのかねえ、とガッカリすることもある。
いいコースの裏には設計した人のセンスが見えるし、さらにその奥には設計者の自然を愛する心が見える。



夕方近くなり1日ツアーの人々もそろそろ帰り始める時間になった。
ぼくらはゆっくり時間を取り、ツアーの人々が去るのを待った。
スキー場の最終パトロールみたいだ。
人気のない氷河の上を生暖かい風が吹き抜ける。
この氷河はどれくらいの時間、生き続けてきたのだろう。
時間と空間は常に同時にある物で、それを切り離して考えることに今の人間の過ちはある。
大きな空間には長い時間が流れ、小さな空間には短い時間がある、とはサダオが言った言葉だ。
なるほどね、上手く言ったものだ。
こういう大きな自然の中に身を置くと、人間の小ささというものについて考えさせられる。
都会にいると、この小ささを人は忘れ自然の大きさを忘れる。
目先の利益に注意が向き、自然の中で住まわせて貰う喜びや畏敬の念をも失ってしまう。
そして自然はある時、人間の予想を越える動きを見せ、人間の生活にダメージを与える。
それをどうとらえるかは、ちっぽけな人間次第だ。
氷河の最終パトロール。
誰もいなくなった氷河をゆっくりと下る。
氷河という生き物の上で今日も1日遊ばせてもらった。
その瞬間ごとに世界はある。いや、その瞬間の中に全てがある。
それを受けとめ、感じ取ることが自分のやることである。
いい1日だ。天気もなんとか最後まで保ってくれた。
山の神に感謝である。



家に帰り、とことん自然の中で遊ばせて貰った日に飲む最初のビールを少しだけ大地にこぼす儀式、通称『大地に』をする。
最近ではこの儀式をすることも少なくなってしまった。
それだけ忙しくなったのだろうか。
『大地に』の後は乾杯である。
共に遊ばせて貰ったマー君、そしてガイドを務めてくれたキミと乾杯をする。
こんなビールが不味いわけがない。
家に帰る頃にパラパラと降ってきた雨が、乾杯をするうちに本降りとなり、あっという間に土砂降りになった。
天気の神様は今日も味方してくれた。
感謝感謝である。
雨を見ながら飲むビールも良い。自分が濡れない場所でという条件つきだが。
雨に煙る西海岸の森に僕は語りかける。
「いやいや、どもども、リム達よ。今日も楽しく遊ばせてもらいました。ありがとね。この場所も昔は氷河だったんだねえ。氷河が溶けて君達が生えてこういう森ができたんだねえ。すごいなあ。」
リムの森に雨の音がただ響く。
そうやっているうちに仕事を終えたタイが帰ってきて、再び乾杯をしフォークスの夜は更けていった。

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自給半足

2011-04-26 | 日記
自給自足という言葉は英語ではself sufficient とかself sustainableというような言葉になる。
自分で充分に保つとか、持続可能な、というような意味合いである。
ボクも自給自足を夢見ているが、完全な自給自足というのは普通の生活をしている上では不可能だ。
それでも自分で食べる物を、使う物をできるだけ自分で作っていこうとは思っているが限界もある。
味噌を作ったのは数年前だったか。
糀を育てて味噌を仕込んで作った味噌は、そりゃ旨かったさ。
だけど手間もかかった。味噌作りより糀を作るのが面倒くさい。
作るならある程度まとまった量を作る方が良い。
そんなことを考えていたら友達のゴーティーがネルソンで味噌造りを始め販売するようになった。
ゴーティーは以前トレッキングガイドをやっていた人で本職の板前さんだ。
家で野菜も作っていて、ニワトリも飼っているし、石けんも作る。まあボクと似たようなことをやってるわけだ。
この人の作る物はなんでも旨い。
味噌はネルソン産の大豆とブレナム産の塩を使っている。もちろん旨い。
値段は市販の味噌の倍近い値段だが、それに値する価値はある。
安くはないが高くもないと思う。高いと思う人は買わなければよい。それだけだ。
なんと言っても出所の分かっている材料と作っている人の顔が分かるというのは、食品を買う上でとても大切なことだ。
中国で取れた豆を日本まで運び、製品にしてそれをニュージーランドまで持ってくる。これってグローバル?
それよりもニュージーランドで取れた豆と塩でニュージーランドで作られる味噌。それを食べればいいじゃん。
地産地消という言葉があるが、とても好きな言葉だ。
ボクは最近、物を買うときは多少高くてもできるだけニュージーランド産の物を買うようにしている。
テレビのコマーシャルでも「ニュージーランド産のモノを買いましょう」と言っている。自分の会社の商品名を連呼するだけが広告ではない。広告とはこうあるべきだ。
そして北島産より南島産。同じ物なら遠い所より近くで取れた物を。
エネルギーの無駄使いはできるだけ省く。
ボクはこの味噌を食べて思った。
ああ、もう味噌作りはやめよう。友達がこんなに旨い味噌を作るならそれを売って貰えばいいや。
その分の自分のエネルギーは別の事へまわせばいい。
豆腐も同じこと。
自分で豆腐を作ることもちょっとは考えたが、クライストチャーチで美味しい豆腐を作っている豆腐屋さんがいるので、そこのを売って貰う。
残念なことはこの豆腐屋さん、この前の地震で被害に遭い今は豆腐を作っていないそうだ。
トマトケチャップを作ったこともあったが、これはトマトがタダ同然というぐらいでないと割が合わない。今ではお店で市販品を買っている。
自給自足とは楽ではなく、非常にエネルギーが要ることなのだ。
だが目指す物は自給自足だが、ちょっと肩の力を抜いて、自足を半分。
自給半足というのはどうだろう?
この言葉はとある自給自足の場で見つけた物だが、脱原発と同じぐらいボクの心に響いた。

先週は新たにニワトリのひなを2羽買った。
去年からいるニワトリはヒネとミカンと言う名だが、ペケとプクという新しい家族が我が家に加わった。
ニワトリを2羽飼うのも4羽飼うのもたいして変わらない。
取らぬ狸の皮算用、ではないが数ヶ月後、上手くいけば1日4つの卵が手に入る。
新鮮で安全な卵が食べられる。体にも良いに決まっている。
ある知人は、そういう卵を売って欲しいと言った。
自分の家で食べきれない分は買って貰ってもいいな。ニワトリを飼うのだってエサ代などお金はかかるのだから。
ボクは納豆も自分で作っているが、それを譲ってくれという人もいる。
電話で注文が来て、納豆1kgとかそういう単位で買ってくれるのだ。
ありがたいことである。
お金はありがたく頂くものであり、荒く稼ぐ物ではない。
頂いたお金は、感謝の気持ちと共に別の人へ廻る。
そうやってエネルギーは人から人へ廻るものだ。

クィーンズタウンを去る前に、ある日本人の集まりでボクは納豆を売った。
クィーンズタウンでは納豆を作っている人はいない。冷凍納豆はお店で買えるが、出来たての納豆は手に入らない。
納豆は貴重で、その時もボクの納豆は飛ぶように売れた。
その時にある人はこう言った。
「高いなあ。でも買ってやるよ」
ボクは正直カチンときた。まだまだ人間が出来ていない。
「高いと思うのなら買っていただかなくても結構です。ボクが作る量には限りはあるし、この値段でも欲しいと言ってくれる人はたくさんいます」
物を買う方も売る方も、どういう気持ちを持つかで言葉も変わってくる。
『買ってやる』という言葉の裏には、あきらかに自分が上という上下関係がある。
逆に『売ってやる』と言えば、これは殿様商売でやはり自分が上だ。こんな商売は上手く行くわけがない。
日本では物を売る商売人は低いもの、という感覚がある。これは士農工商という身分制度から来ているのだろうか。
物の売り買いはエネルギーの交流の場だ。そこに身分の上下はない。
「買ってやる」のではなく「売ってもらう」
「売ってやる」のではなく「買ってもらう」
「売ってもらう」「買ってもらう」の後に続く言葉は「ありがとう」だ。
人々がこういう意識を持てば、世の中も丸くなるのになあ。

話がそれてしまった。
自分で作れるモノは作れば良い。
それを欲しいという人には、代償としてお金をいただけばよい。
餅は餅屋、ではないが全てを自分でやらずに人に頼るのもよい。
だが出来るだけ自分で、生きていく上で必要な物を作っていく。
理想は高く、それでいてプレッシャーにならないぐらい。
自給半足でもいいし、自給4分の1足でもいいし、100分の1足でも10000分の1でもいい。
大切なことは、自分ができることをする。
その意志を持つかどうかで人生は変わる。
どうでしょうか、こんな自給半足の勧め?
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スクールホリデーの1日

2011-04-21 | 日記
栗拾いをした後、南風が強く吹き冷たい雨が降り、また一歩冬が近づいてきた。
外を吹き荒れる風を見ながら、あの木ではボタボタと栗が落ちているのだとイメージが湧いた。
こうなると又、栗拾いに行きたくなる。
あの食べ物を採る楽しみを子供にも教えてあげたい。そんなイメージも湧いた。
深雪の友達のサクラに電話をいれると興味がありそうだ。
よし、じゃあ今日は子供と一緒に栗拾いだ。
家から車で3分、長靴持参で『栗の道』へ向かう。遠くに見える山もすっかり冬化粧だ。
予想通り、昨日の風雨で栗はたくさん落ちている。
「なるべく大きいのを拾えよ。足でイガをグリグリやると大きいのがあるからな」
「あった!こんなに大きいの」
嬉しそうだ。いつの時でも子供が喜ぶ姿は良いものだ。次から次へ拾う。
「な、食べ物を採るって楽しいだろ?」
「うん。すごく楽しい」
「よろしい。どうだ、この木の周りはほとんど取ったか?」
「うん。だいたい取ったよ」
「じゃあ次はあっちの木だ」
「あっちにもあるの?」
「そうだ。来てみろ。ほらこの木も栗の木だぞ」
「ホントだ、こっちにもたくさん落ちてる」
「さあ拾え。どんどん拾え」
そしてまた次の木へ。あっというもにスーパーの袋が重くなっていく。
駐車場に落ちた栗は車に践まれつぶれてしまっている。
どうせゴミになるのなら自分達が食べたほうが栗も喜んでくれよう。
取るのは自分が消費出来る分だけ。この分量は友達にお裾分けをするのも含まれる。
大地の恵みはできるだけたくさんの人と分かち合うべきだ。
あらかた取り終わったら、栗の木にお祈り。
「栗の木さん、ありがとうございました。あなたの実はおいしく頂きます。」
ボクと深雪とサクラの3人で手を合わせ目を閉じ感謝の言葉を告げる。
深雪とサクラが木の幹から出ている小さな枝を握り握手をしている。実によろしい。

家に帰って長靴を脱ぐ前にもう一仕事。
理科の授業だ。
「さあ、庭に来なさい。イモ掘りをしよう。庭にジャガイモがあります。さあどれでしょう?」
「あっち?あれ?」
「違う。ヒント、ジャガイモは白い花つけます」
「白い花?あった、あれだ。」
イモは花が咲くときが収穫の時だ。
「そう。じゃあこっちへおいで。普段ボクらが食べているジャガイモは根っこの部分で、地面の上はこういう植物なんだよ」
「へえ、初めて見た」
ボクは鍬でなるべく土がついている状態でジャガイモを掘り、子供達に渡した。
「さあ、ジャガイモを取ってごらん。」
「あった、あった。大きいのもあったよ」
経験、これに勝る教育はない。
自分が普段食べている物がどういう状態で育つのか知ることは大切だ。
イモを取った茎と葉っぱはコンポストの入れ物へ。
根っこの所はまとめて土に埋める。ひょっとするとそこから芽がでるかもしれないし、そのまま土になるかもしれない。それはイモが決めることだ。
作業をしながらボクは1本ずつに話しかける。
「大きく育ってくれてありがとう。君達のイモは無駄にせず美味しく頂きます」
大人がどういう姿勢で植物と向かい合うか。それを見せることで子供は学ぶ。
次に掘ったジャガイモの土を払い落とす。
子供にやらせてみたら芝生でゴシゴシこすり、きれいなジャガイモができた。
大人が全て指示するのではなく、自分達で工夫をしてやり方を見つけるのも大切だ。
ボクも芝生でこすることは考えなかった。子供から習うこともある。

休み時間、深雪とサクラは家の中でおやつを食べ、ボクはジャガイモを掘った場所を耕す。
さてここには次は何を植えようかな。
家の中に入り次は家庭科の時間だ。
子供達がお人形で遊ぶ間、ボクは取ってきた栗の皮に包丁で切り込みを入れる。
ある程度剥けばあとは爪で皮をはがせる。
「さあ子供達よ、次は栗の皮を剥くぞ。爪ではがして剥いてみろ」
3人でぺちゃくちゃおしゃべりをしながら栗を剥く。
「さてこの栗で何を作ろうかね?モンブランなんかどうだ?」
「モンブラン食べたい」
「じゃあ、モンブランってどういう意味か知ってる?」
「知らなーい」
「モンブランはフランス語でモンとブランの2つの言葉なんだよ。これがスペイン語だったらモンテ・ブランコだな」
「どういう意味?」
「モンはなんだと思う?スペイン語のモンテの方が英語に近いぞ」
「え~分からない。」
「ヒント。クライストチャーチの近くにもあります。」
「あたし行ったことある?」
「あるよ。さっきも見えたよ」
「分かった。マウンテンでしょう。」
「そう、当たり。ブランは英語とは似てないな。これは白って意味なんだよ」
「じゃあホワイト・マウンテンだ」
「そうそう。なんかお菓子の形が山みたいに見えるでしょう。」
「うん。あたしモンブラン作りたい。」
「あとで時間があったらやってみよう」
深雪もサクラが一緒だと文句を言わずにやる。実によろしい。
皮を剥いた栗は水に浸しておく。
こうすると渋皮が水を含み、剥きやすくなる。

午後はお菓子作りだ。
子供達がビスケットを作りたいと言いだした。モンブランは遠いがビスケットは近い。
よし、やろう。
ニュージーランドの家庭ならどの家にもある、エドモンドのクックブックに作り方は書いてある。
深雪が主体になってやりサクラが手伝う。
ボクはなるべく手を出さず、あくまで子供が自主的にやる。これが大切。
ボクも深雪の年には1人でマドレーヌを作っていた。
オーブンで火傷をしたこともあったが、痛い思いをするのも経験。経験は学習である。
子供達はビスケットの生地を作り、ボクは上に乗せるクルミを剥く。
クルミは友達の家から貰ってきた物だ。
子供達が好きな形にビスケットを作る。ボクは注意点だけを教える。
「あまり厚すぎると中まで焼けないからな。同じくらいの厚さにすること」
ネコの形にしたり、クルミで目鼻をつくったり、なかなか楽しそうだ。よろしい。
オーブンに入れて20分。
自家製ビスケットの出来上がり。

次は栗の薄皮を剥く。
これもぺちゃくちゃ喋りながら3人でやる。
爪楊枝を使うと薄皮がパリパリと剥ける。
綺麗に剥いた栗は脳みそみたいだ。
木の実を自分で取り、自分で加工して食べられる状態にする。
手間はかかるが、食べ物をこうやって作るということを学ぶことは、人間としてとても大切なことだ。
夕方になり、時間切れ。今日はここまで。
モンブラン作りは次回だな。
お土産は自分で取った栗、自分で掘ったイモ、そして自分で作ったビスケットである。
「またおいで。次はモンブランを作ってみよう」
「ありがとう、バイバイ」
ボクはその夜、栗の甘露煮を作った。
家に蜂蜜がたっぷりあるので、砂糖少なめ蜂蜜たっぷりのシロップ煮だ。
これにつけ込んでおくと栗も美味くなる。
煮て崩れてしまった物は、次回に裏ごしをしてモンブランを作ろう。
学校の勉強は教えないが、経験と実践の学習の1日。
ボクはこういう日を聖塾と呼んでいる。
学校の勉強も大事だけど、ボクは子供にこういう教育をしていきたいと思っている。
そしてそうなればいいなあと思うことは実現することを、ボクは知っている。


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栗拾い

2011-04-18 | 日記
ある知人のブログに栗拾いの記事が出ていた。
そうか、もうそんな時期かあ。
秋が深まってきた。
日本語って何て美しいんだろう。
秋が深まっちゃうんだよ。
普段何気なく使っている言葉の中に美しさがある。
家の近所に行き止まりの道があり、そこに何本か栗の木がある。
去年もそこで栗拾いをした。
小雨の土曜日、家族で買い物をした帰りに女房が提案した。
「ねえ、栗を拾いに行こうよ」
ボクは正直、乗り気ではなかった。小雨は降っているし、帰ってゴロゴロするほうが楽だ。
「ええ~?入れ物とかある?」
「さっき店で貰った袋があるし、行こうよ」
「じゃあ、行ってみるか」
車を止めて栗の木の下へ行くと、あるわあるわ。大きな栗の実がゴロゴロ転がっている。
僕らは夢中で栗を拾い始めた。
深雪は栗拾いよりも、さっき図書館で借りてきた本に夢中で、車の中で本をむさぼり読んでいる。
まあいいだろう、こういったことはやりたい人がやればいい。
去年は靴でイガを践んで実を出したがあまり大きなものは無かった。今日は践まなくても自然に落ちて、もう目の前にゴロゴロあるのだ。
梨もぎ、梨はもぐもの。
リンゴ狩、キノコ狩、ブドウ狩、キノコやリンゴやブドウは狩るもの。
そして栗拾い。栗は拾うものなのだ。
日本語は美しい。
食べ物を採る、という作業は実に楽しいものだ。
ボクは思わず声に出して言った。
「うわあ、楽しいなあ」
「さっきはあんまり行く気はなかったでしょう?」
妻はするどい。
「ハイ、その通りです」
「何かねえ、ピンときたのよ。栗がたくさん落ちてるんじゃないかなあってね」
「おみそれしました」
今回は女房の直感が大当たりだ。
僕らが拾っている間にも、栗はボトボトと落ちてくる。
自然に落ちたイガから大きな粒がコロリと転がり出す。
いかにも美味そうだ。
こうやって風もないのに自然に落ちるということは、その実が熟して落ちたくなったのだ。
それが食べ物の一番美味しい時期、すなわち旬なのである。
女房と2人で20分ほど拾っただろうか。スーパーの袋一杯の栗が採れた。
栗ご飯なんかいいかな。
甘露煮にしたらこれも保存食になる。煮たときに崩れてしまったものは、裏ごしして生クリームと砂糖と混ぜ、洋菓子の材料になる。
先人の知恵は遠慮無く使わせて貰おう。

次の日の知人と会う時に、庭の野菜と一緒に栗を持っていったら、たいそう喜んでくれた。
なんでも近所の公園に栗拾いに行った時には、競争が激しくてそこにいた中国人に嫌がらせをされたそうな。
これはイカン。
大地からの恵みはみんなでシェア、分け与えるべきだ。
それも自分の木ならまだ分かるが、公園の木である。
公園はみんなのもの、そこにある木も木についた実もみんなのものだ。
中国系の八百屋で栗を売っているのを見たことがあるが、これらはこういう場所から来たのだろうか。
公共の場所で取れた大地の恵みは売ってはいけない。
先ず自分が食べる分を取り、それ以外は人にゆずるべきだ。
自分が食べる分なんてのはたかが知れている。
それ以上に貪欲にもっと欲しい。もっともっと。もっとたくさん採れば、それを売ってたくさんお金が入る・・・・・・。たくさん取るには競争相手は蹴散らさなくていけない。人が取ったら自分の取り分が少なくなってしまう。
自分さえ良ければいい、というエゴだ。こういう意識の流れが見えてしまう。
競争社会というのも根本的にはこれだ。

日本にはお裾分けというこれまた美しい言葉がある。
頂いた物の一部を人に回すというものだ。分かち合う心である。
自分さえよければいいのではない。他人にも感謝の気持ちと共にエネルギーを回していく。
競争社会と対極の位置にあるのが日本の心だと思う。
何回も書いているがこれからの社会は競争ではない。
共存共栄の社会である。
それを引っ張っていくのは日本をはじめとする、自然宗教を持つ少数民族の民であろう。
共通することは自然を敬い恐れ尊ぶこと。
僕達はこの地球に住まわせて貰っている存在だ。
そこにある物を、ありがたく頂く身である。
栗拾いを終えた後、ボクと女房は手を合わせ栗の木に感謝の言葉を唱えた。
こういうことを夫婦でやるのもいいな。
さてこの栗をどうやって食べようかな。
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フォークス日記 5

2011-04-16 | 
氷の上を生暖かい風が吹き抜ける。クレバスの近くを通るときは一転、冷たい風が隙間から出てくるのを感じる。
目に見えない空気は、複雑に立体的に入り組んだ氷の合間を抜ける。
氷河を作っているのは水だけではない。空気も重要な要因の一つだ。
先へ進むと一つのグループが止まっている。
ここでカッパを着る。
いよいよ今回の目玉、ブルーミストである。これを歩くためにここに来た。



縦に伸びた氷の裂け目の中に入る。先が見えない。
足元にはかき氷のような細かい氷が敷き詰められている。
氷の回廊。
青く透明な氷の壁にはさまれた回廊が先に伸びる。
この青さはどう表現したらいいのだろうか。
どんな言葉を並べても氷河の青というのは人に伝えられないだろう。
こんな時のためにカメラを借りて持ってきたのだ。パチパチと写真を撮りながら回廊を進む。
このクレバスは今年できたもので、深くそして長い。
極端な話、ここを通らなくてもツアーは営業出来る。
だがお客さんを楽しませるため、自分達が楽しむために、氷の隙間に何トンもの氷のかけらを落とし、隙間を埋めて人が通れるようにした。
1週間がかりで何人ものガイドが作業をしたと言う。
ガイドというと聞こえはいいが、やっていることは土方だ。
つるはしでクレバスの上部を削り氷を落とすのだが、人力ではらちがあかないのでチェーンソーで氷を切って落とし溝を埋めていった、とタイは言う。
それだけの苦労があり、ボクらはそこを歩ける。



クレバスは深く、出口は急な上りだ。氷の壁にアイススクリューでアンカーを取り、ロープを渡し手すりを作ってある。
ロープを握りながら氷の裂け目からはい出る。マー君も満円の笑みで出てきた。
なんとまあ……言葉が上手く出てこない。
「スゴイなあ」
とんでもない自然を前にするとスゴイという言葉しか出てこない。言葉が感動に追いつかないのだ。
やれやれ、今回も又この国の自然にやっつけられてしまったか。
氷河ハイクは初めてではない。3回目だったか。だがいつ来ても違う感動がある。
ボクの気持ちを代弁するようにキミが言った。
「いつ来ても氷河はいいなあ」
地元に住んでいる人だってそう思うのだ。



ブルーミストを抜けさらに氷河の上部へ。
そこで1人つるはしを振っているガイドと挨拶を交わす。
氷河ガイドの仕事というのは、ただお客さんと一緒に歩くだけではない。
斜面を登る人のために氷をつるはしで階段状に削りながら進む。
先のグループのガイドがステップを切っても何人も歩けば階段は崩れてしまう。
なのでその都度つるはしを振りステップを切りながら進むのだ。
お客さんをガイドしていなくても、他のグループの為に1人コツコツと氷を削る仕事もする。
正直、大変な仕事だ。こんな仕事を毎日やる若き友をボクは誇りに思う。
ブルーミストは氷河に対し縦、氷河の流れる方向に氷が割れているが、先へ進むと今度は横向きに氷が割れている場所に出る。
下から見ると何重にも氷の壁が立ちはだかっている。
ツアーコースはその中へ入っていく。まるで巨大迷路だ。こんな所でかくれんぼをしたら楽しいだろうなあ。ただし命がけのかくれんぼだ。



お昼は氷の上で食べる。
ツアーの人達も近くにいるが、氷の形は複雑なので、ちょっと離れると自分達の空間がすぐにできる。
のんびりと氷の上の時間は流れる。
ランチはキミが朝作ってくれたおにぎりだ。昨日の照り焼きサーモンの残りが中に入っている。文句なしに美味い。
デザートはセントラルオタゴのネクタリンである。木で熟したフルーツというのはとことん甘い。
おむすびを包んでいたアルミホイルを持っていたのだが、一陣の風がそれを奪っていった。
ボクはあわてて追いかけたのだが、大きな氷の穴の中に吸い込まれていった。
回収は不可能。仕方がないあきらめるか。
ボクは行く先々でゴミを拾いながら歩いているが、そんな自分もゴミを作ってしまった。
まあ故意にすてたわけではないし、ひょっとすると氷河も人間が持っているキラキラした紙切れみたいな物が欲しくなったのかもしれない、ととことん都合良く解釈をする。



午後もツアーの合間を行く。
氷の壁に挟まれた場所を歩いていると、壁に穴があいていることに気が付く。
大きさは1mにも満たないものだ。
中を覗くと鍾乳洞のように上から氷がたれ下がり、それを伝い水滴がポタポタと垂れている。
水滴は底にある小さな水たまりに落ち、小さな波紋を作る。
美しい。
この小さな穴の中に均整のとれた美がある。
こんなのいつまでも眺めていられそうだ。
自然はこんな巨大な氷河の中に、小宇宙を作り上げている。
きっとこんな箱庭が何百、何千と氷河の中にあるのだろう。
それらのほとんどは人目にふれることなく生まれては消えていく。
僕達が住むこの地球も宇宙から見ればこの箱庭みたいなものではないか。
その箱庭の中で人々は愛し合い、同時に傷つけ合い、いがみ合っている。
「こんな所に小宇宙、こっちの壁にも小宇宙。ああ小宇宙、小宇宙。」
バカみたいにつぶやきながら歩くボクをキミが暖かく見守る。
氷にはさまれた空間というのは不思議なものだ。
森を歩くのと同様、これは感覚のものであり、自分の身をそこに置かなくてはつかめない。写真やビデオでは感じられないものだ。
氷の切れ目はなまなましく、エロチックでもある。クレバス、割れ目という言葉だってそうだ。
氷の中へ入っていくのは女体へ入っていくのを思い起こさせる。
氷河は女だ。
それを帰ってからタイに言ったらヤツはこう言った。
「そうそう、氷河は女なんですよ。手のかかるところなんかそっくり。やさしく包んでくれる時もあれば、ダメなときは絶対ダメってのも似てますね」
ガイド連中は氷河のことをヒネと呼ぶそうだ。
ヒネはマオリの言葉で娘を意味する。
ちなみに家で飼っているニワトリもヒネである。

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脱原発

2011-04-11 | 日記
今回、原発に関して色々なことが起こった。
悪い話は山ほどあるが良い話はあまり聞かない。
安全性、資本家のエゴ、政治との癒着など悪い話は他で書かれているのでこれ以上ボクが書く必要はないだろう。
良い点については、人々がエネルギーというものについて考える機会ができたことだ。
自分達が使っている電気がどこから来ているのか。それはどういう状態で作られているのか。それが破壊されれば自分達の生活にどういう影響を与えるか。などなど。
原発の事に関しては政府をはじめ電力会社などの本音はこうだろう。
『人々にあまり関心を持ってもらわずジャカジャカ電気を使ってもらい、電気が足りなくなるという理由で次から次へと原発を建てたい』
安全性という最大のネックについてはひた隠しにし、御用学者を巻き込んでとにかく安全です、の一点張り。
それが今回の件で明るみに出てしまった。
そういった影に隠されていた事が明るみに出たことにより、人々の意識が高まった。
ボクはもう何年も前から言っているが、「電気代がもったいなから節約するのか、電気がもったいないから節約するのか」この言葉の真の意味を考える時が来たのである。
人間というものは物事を失って初めて気が付くものだ。
病気にならないと健康のありがたさに気が付かないのと一緒だ。
今回は関東と東北で影響が出たが、他の地域では今まで通りの暮らしをしている人も多いはずだ。
そういった人達が、「自分には関係ない」と思うか「自分達も今、考えてみよう」と考えるかはその人次第だと思う。
デマも飛び交う。
「復興支援の為にも影響のない場所では電気を今まで通り使い続けるべきだ。」
そうか~?
必要な所では使えばよいよ。だが不必要な電気をジャカジャカ使うことが大切か?
それが本当に復興の支援になると考えるのならよっぽどおめでたい頭だ。
こういうことが外国で事故が起きたらどうだろう?
原発のある場所に住んでいる人は当然原発に反対するだろうが、エネルギーというものを考えるだろうか?ましてや原発から遠く離れた場所に住んでいる人は?

こうなると世間は一気に反原発のムードが高まる。
戦争があると反戦デモが起こるのと同じだ。
反原発なんてものは今に始まった物ではない。
うちの親父は何十年も原発の反対運動をしている。
ぼくの個人的な意見は、核をエネルギー源に使うことに反対である。それは間違った使い方であり、間違った方法は悪ではない。
前にも書いたが、核のエネルギーは基本的に破壊のものでそこから何かを作ることに無理があるのだ。無理があることをやっちゃいかん。
反原発の運動で気に入らないのは、原発=悪と決めつけることだ。
そんなこと言ったら可哀想じゃん、原発が。せっかく作られてきたのに。
可哀想じゃん、ウランが。地球上に存在する物質として。本来ならただそこに在るだけの物なのに。
可哀想じゃん、周りの植物や動物や魚や虫たちが。住む所が汚染されて。
可哀想じゃん、そこで一生懸命働く人が。
繰り返して言う。原子力は悪ではない。
正しい使い方と間違った使い方があるだけだ。
もう気が付いたでしょう。原発を人のいない場所に作ればいいって問題ではないのだよ。
だけどしゃあないやん。もう作っちゃったものは。
そう。だから今ある物はそのまま無事を祈りながら働いてもらって、その間に別のエネルギー源に注目するべきだ。
新しい原発をこれ以上作らずに、少しずつ減らしていっていずれはなくなるのが理想だ。
反原発ではなく脱原発である。
ボクは脱原発という言葉が気に入ってしまった。
脱原発の言葉の裏にはこれからのエネルギーを考えさせる要素があるからだ。
限りあるエネルギーを大切に使いながら、誰も不幸にならない新しい物に取り組んでいく。これが科学の在るべき姿だ。

庭でボーッとエネルギーの事を考えていた。秋の日差しが暖かい。
そう、ボクらには太陽がある。
これからはもっと太陽エネルギーの開発が進んでいくべきだ。
30年以上も前に宮崎駿は未来少年コナンで描いている。
ずばり太陽エネルギーの平和利用がテーマの話である。
このマンガこそ今見るべき物だ。
これを30年以上も前に描いたのだから、宮崎駿という人はスゴイ人だ。
「そんなこと、できない」と言った時点でその人の前からその世界は消える。
時間はかかるだろう。だができる。
出来ると信じれば出来る。
それをやるのは日本だ。だって日の本の国だよ。
世界で最初に核エネルギーの犠牲者になったのには、今回こういう地震があったのには、こういう意味がある。
日本がこれからやってくれることをボクは信じる。やると言ったらやる。
これからの地球を引っ張っていくのは日本だ。
「だって…」や「でもさあ…」は無い。
こうなればいいなあ、と思ったことは実現する。
大切なのは各自がやるべきことをやりながら、それを夢見ること。
夢物語とは馬鹿げた話というイメージがあるが、そうではない。
夢は繰り返し想うことでビジョンへ変わっていく。ビジョンが見えたらできるだけ細部までそれを想像する。
そしてその時が来たら、そうなるだけの話。
昔からの言葉で「段取り八分現場二分」というものがある。
仕事は段取りが8割方で残りの2割を現場でやれ、という言葉だが段取りの中にビジョンを見ることも含まれる。

競争は競い争うこと。共存共栄は共に在り共に栄えることだ。
競争社会から共存共栄の社会へ。
競い合いはあるが、争いのない世界。
それは僕らが夢を見て、作り上げていくものだ。






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フォークス日記 4

2011-04-09 | 
フォークス2日め

朝の明るさがテント越しに感じられる。
ファスナーを開け、空を見る。
雲は厚く広がり、いつ雨が降ってもおかしくない空模様だ。
まあこれも天気予報どおり。低気圧がすぐ近くにあり、雨が降らなければラッキーといったところだ。
だがボクには確信があった。
今日一日天気はもつのではないか、という根拠のない自信があった。
だってボクは晴れ男だから。
それに今日はキミがガイドとなって氷河を案内してくれることになっている。
こういう強い光を持つ人の行く所は晴れるのだ。
数年前にタイがクィーンズタウンに遊びに来た時のことだ。
南島に前線が居座り、どこへ行っても大雨という日だった。
僕らはダメでもともとでルートバーンのそばのレイクシルバンの森へ行った。
クィーンズタウンから車で移動する間ずーっと土砂降りだったが、山を見渡せる場所でボクらは自分の目を疑った。
どこもかしこも雨で真っ白に煙る中、ボクらが行こうとしている場所だけ雨が降っていないのだ。
きっかり2時間、僕らが歩く間だけかろうじて天気は保ち、歩き終えると同時に雨が降り始め、すぐにそこは周囲と同様まっ白な雨に煙ってしまった。
こういう人が集まると、1+1が2どころか3にも10にも1000にもなる。いや考えようには無限大にもなり、局地的には天気さえも変えてしまう。
このごろはそういうことが良くあるのであまり驚かなくなった。
ただありがたく空の神に感謝をしつつ、その場を楽しむのみである。




タイとフラットメイトのブレンダが仕事に出かけた後で、キミが朝飯を作ってくれてランチの用意までしてくれた。至れり尽くせりだ。
準備を整え、いざフランツジョセフへ。
タイが働く会社へ立ち寄りクランポン(アイゼン)を借りる。
こういった細々したこともガイドさん(キミ)がやってくれる。ガイド付きツアーは楽だ。
そして氷河へ。氷河までは車で15分ぐらいだ。
「ここに新しく自転車用の道を作ったんですよ」
キミが言う。なるほど車の道に平行して細い道が木々の向こうに見える。
これは良いアイデアだ。ぼくだってこの道は車より自転車で走ってみたい。森の中を走ったら気持ちいいだろう。
そのうちにフランツジョセフの街にもレンタルバイクの店ができるんだろうな。
雲は低く垂れ込み氷河の上部は見えないが、今日歩く辺りはクリアーに見える。




車を置き30分ほど川原を歩くと氷河の末端部に着く。
そこまでは平坦な歩きで家族連れの旅行者の姿も目立つ。ボクも何年か前には5歳の深雪を連れてお隣フォックス氷河の末端部まで歩いた。
氷河のすぐ近くにはロープが張られこの先は自己責任ですよ、という立て看板もある。
この先はガイド付きツアーで行く人か、クランポンなど装備を持った経験者が入れる。
実際には行政機関には人がそこに行くのを止める力はない。行かない方がいいですよ、というアドバイスはできるが、やめなさいとは言えないわけだ。
国立公園というものはみんなのものだ。人はそこを歩く権利がある。その権利は誰にも遮られない。
ただしその権利の裏側には『自分の身は自分で守る』という重い責任が常につきまとう。自己責任というやつだ。
あれは去年だったか、フォックス氷河で若い兄弟の旅行者2人が氷河に近づきすぎて氷の崩落に巻き込まれて死んだ。
自然を甘く見た、と言えば厳しい言い方だが他に言葉が見つからない。
自分は大丈夫という何の根拠もない想いか、はたまた何も考えていなかったのか、とにかく2人は氷につぶされ死んでしまった。
この事故で可哀想なのは両親だ。親より先に子が死ぬ、これほどの悲劇はない。
楽しいニュージーランド旅行をしているはずの息子2人を同時に無くしてしまったのだから。
死んだ人はもう天国へ行って痛みも苦しみもないはずだが、残された両親は辛い哀しみと共に生きていかなければいけない。
死んだ人を可哀想だと人は言うが、本当に可哀想なのは生き残った人だ。



氷河の末端には土砂がかぶっていて、ぱっと見は砂山だ。
そこを登っていくのだが、砂山には踏み跡がいくつもあり、どれを登って行ってよいのやら分からない。
キミが近くに居た氷河ガイドに聞き、道を教えてもらう。
普段は自分がガイドとなりお客さんを案内するのだが、今日はボクはお客さんだ。
全くもってガイドと一緒というのは楽である。ボクとマー君はただついて行けばいいのだから。そのガイドが友達とあれば言うことなしだ。
今日のキミのいでたちは、短パンにゲーター(スパッツ)という典型的ニュージーランドの山歩きのスタイル。ザックにはアイスアックス(ピッケル)が2本さしてあり、実に頼もしい。
とはいえキミはプロのガイドではない。毎日氷河を歩いているわけではない。氷の状況でルートは常に変わる。
こんな時に地元のプロガイドに道を聞けるというのはローカルの特権だ。
砂山から氷に変わる所でクランポン装着。いよいよ氷の上へ。
なだらかな氷の斜面を登って行くと氷の裂け目が見えてきた。
どうやらそこを通るようだ。
人1人が通るのがやっと、というような狭い隙間を行く。
長さは20mぐらいだろうか。
狭い隙間を通る時どうしても服が氷に付き濡れてしまう。雨が降っていなくてもカッパは着た方がいいかな。

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2011-04-07 | 
南半球ニュージーランドでは秋が深まってきた。
この国は赤道からかなり離れたところにあり四季がはっきりしている。
夏も終わり、秋そしてこれからは冬にむかっていく。
自然の営みは繰り返しながら、大地に恵みを与え、そこに住む人々の生活を支える。
秋は果物が美味しい時期である。
ニュージーランドへ来て、よく食べるようになった物の一つが洋ナシだ。
今は洋ナシが旬の時期だ。
近所の八百屋では洋ナシがキロ80セントで売っていた。
迷わず15コぐらい買う。
これだけ買って値段は1ドル50セント。
毎度あり~、チーン。
1個あたり10セント、日本円なら6円。とんでもなく安い。
自分が農家だったら、こんなに安かったら哀しくなってしまうな。
そしてこのナシがすこぶる美味い!
実はクリーミーで甘さと酸味のバランスがほどよく、口の中でとろける。
日本のナシのようなシャキシャキ感はないが、洋ナシには洋ナシの美味さがある。
深雪の毎日の弁当にも入れる。おやつも洋ナシ。健康的だ。
そのまま生で食べても美味いが、我が家ではこれを煮込んでデザートも作る。
定番デザートの洋ナシのコンポートだ。
レシピを紹介しよう。
鍋に水400CC、白ワイン200CC、砂糖150g、蜂蜜大さじ5はい、レモン汁2個分(庭のレモンならなお良し)、バニラエッセンス適量を入れ沸騰させる。
半分に切ったナシの皮を剥き、種のところをスプーンでくりぬき、弱火で10~15分ぐらい煮る。そしてそのまま冷ます。
これだけ。超かんたん。これがまた美味いのだ。
この分量でナシ10個ぐらい使う。
我が家ではシロップが残ると、もう1ラウンドする。
熱いうちにビンに入れて密封すれば保存食にもなる。
そのまま食べて良し、シリアルと一緒に食べて良し、アイスクリームと一緒なら立派なデザートだ。
生のナシとはまた違う美味さができる。
一度リンゴのコンポートや日本のナシ(今ではニュージーランドでも日本のナシを作っている)のコンポートも作ったが、イマイチだった。断然、洋ナシで作るのが美味い。
洋ナシだって普通はキロ3~5ドルぐらいか。その値段の時にボクはこのデザートは作らない。
まあ農家にしてみればそれぐらいの値段が妥当なんだけどなあ。

旬というのはその物が一番たくさん取れる時であり、一番安い時であり、一番美味い時である。
昔、南米エクアドルを旅したことがある。
エクアドルは赤道直下。四季がない。
ニュージーランドでの牧場のように、どこまで行ってもパイナップル畑とバナナ畑が続く。
四季が無いのでこれらの果物は一年中旬だ。
バナナはねっとりと甘く、パイナップルは切ると汁がビシャビシャ出て甘く味が濃い。
ボクはその時、感動にうちふるえた。ウマイ物は人間を感動させるのだ。
ニュージーランドでもそうだが、日本でもこれらの果物の本当の美味さは味わえない。
輸出する時は熟れていない物を取るからだ。
これはどんな果物、野菜でも同じこと。
旬、そして新鮮、これに勝る美味さはない。
本当に美味い物を食いたければ、そこに行くしかない。
エクアドルではボクは、バナナとパイナップルに感動したが、それはボクがよそ者だったからだろう。
それまで輸入物しか食べた事が無いからこそ、感動したのだと思う。
無いことを知っているから、ある有り難さを知る。
いろいろな事に共通することではないか。
文明は便利になり、ニュージーランドのスーパーでもパイナップルもバナナも1年中売っている。
ボクはこれらはほとんど買わない。
果物に遠い距離を移動させることはない、近場にあるもので美味い旬の物はある。
本当に美味いパイナップルを食べるには自分がそこに出向くべきだ。
なのでできるだけニュージーランド産の物を買うようにしている。
それも北島より南島の物、ファーマーズマーケットなどは大好きだ。
地産地消、これからの世界はこうなっていくことだろう。

ボクはニュージーランドに住み、季節の移ろいでいく様子を眺めている。四季があるということは何と素晴らしいことか。
これだけナシが美味いのも四季があるたまもの。
一年のエネルギーが凝縮しているのが旬の味だ。同時に時が過ぎればなくなってしまうはかないものも旬だ。
それがボクがよく言う『今』というものである。
木からの「今が美味しいよ、さあどうぞ」というメッセージ、それが旬でありこの瞬間だ。
四季のある場所で産まれた日本の文化の本質はこのへんにあるのだろう。
庭仕事をしている時にふと手を止めて「ああ、ここにナシの木があったらいいな。そのナシでコンポートを作ったらどんなにいいだろう」なんて想像する自分がいる。
こういうことを考えると、ピンと来るナシの木に出会ってしまう。
木も人と同じで出会うタイミングがある。
そしてイメージを作ったものは実現する。
そうか、次は洋ナシか。


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庭の野菜達

2011-04-02 | 
前回の話でもちょっと書いたが、今は毎日畑を耕す日々である。
昨日はジャガイモを収穫した。
ジャガイモは今年初の試みだ。
庭の片隅、それまでニワトリコーナーだった所の雑草を抜き、ある程度ニワトリにも手伝ってもらい土を耕した。
それまではかなり広いニワトリスペースがあったのだがそれをちょっと狭めて畑にした。
この場所は何年も手入れをしていなかったのだろう。
雑草の根は土の中も伸び放題で、それを全部取り払い堆肥をまぜ畑にした。
春に種芋を買ってきて、その時遊びに来ていた山小屋が手伝ってくれて芋を植えた。
ジャガイモの地表に出ている部分は葉っぱも萎れ、もうこれ以上土の中のイモも大きくならないだろう。
土を掘ってみると大小のイモがゴロゴロと出てくる。
大きいのはもちろん、小さいものも余さず収穫する。
小さいジャガイモなどは店には出てこないが、これなどは良く洗って塩茹でにするとなまら美味い。
ムダにしない。これは我が家の家訓である。
作ったからには全部食う。もちろん手間はかかる。が、その手間を惜しんではいけない。
つぶやきでも書いたが、先日は立派なニンジンと太ネギを頂いた。
ニンジンの葉っぱはごま油で炒めて味噌汁に入れ、ニンジンとネギと家のジャガイモで肉ジャガを作った。文句なしで美味い。
たくさん作って、野菜をくれた友人におすそ分けだ。
その家でも肉じゃがは好評で、あっというまになくなったらしい。
ジャガイモ畑からはあちこちにシルバービートが勝手に生えてきている。家は当分、青菜にも困らない。
それから堆肥の中にカボチャの種が入っていたようで、これまた勝手に生えてきている。
すでに大きなカボチャを二つ収穫して、さらに次のヤツが今育っている。

昨日の晩ご飯はお好み焼きだった。
庭に生えているキャベツは春に植えて1回形のいいヤツを収穫した。
根を残しておいたら小さい形の悪いキャベツが出てきた。
これだって売り物にはならない。ボクだってお金を出して買う気にはなれない。
だが丁寧に葉っぱをはがし、綺麗な所を集めていったらボール一杯分のキャベツの千切りが出来た。
虫が付いたり、汚れてとても食べる気にならないところは庭の土に還る。
時間と手間を惜しめば捨ててしまうようなものでも、人間のやる気次第でもう1食分になる。
キャベツも喜んでくれよう。
ネギは庭の片隅にネギコーナーがあり、勝手に花が咲き種が落ちて勝手に育ってくれている。
ボクがここでやるのは雑草を取り、たまに液肥をあげるぐらいで次から次へネギが出てくる。
根こそぎ取らないで、包丁で根本近くから切るとそこからまた芽がでてくる。
切ったネギの葉っぱが黄色くしなびた部分や根本近くの薄皮はその場でポイポイと捨てる。
庭は雑草もかなりはびこっているので、こんなことをしても気にならない。便利だ。
ネギを何本かざくざく切り、キャベツの千切りに混ぜ、そこに庭で取れた卵を加え、あとは家にある物を適当に入れお好み焼きを作る。
こんなお好み焼きが不味い訳がない。

ズッキーニはまだ元気に実を付け、また黄色い花を咲かせている。
あと1ヶ月ぐらいの命だろうが、その間はズッキーニの命をいただこう。
トマトが食べきれないぐらいに出来ているのでトマトソースにして、夏に収穫したニンニクとズッキーニのパスタも作った。もちろん美味い。
ニラも順調に育っていて、シルバービートたっぷりの餃子はニュージーランドで一番ウマイ餃子だ。
シソは雑草状態。とても食べきれないからシソの葉の塩漬けでも作ってみるか。
庭の真ん中には芽キャベツも育っている。
良く見ると青虫がいるので丁寧に取って、虫はニワトリのエサに。
芽キャベツは今年初めての試みだが、うまく育っている。収穫も間近だ。
去年植えたリンゴの木、品種はフジ。
実を2つ付け、一つは落ちてしまったので既に食べたがめっぽう美味かった。
もう一つ残った実は手頃な大きさに育ち、日に日に赤くなっている。楽しみだ。
数年前に植えたレモンは葉っぱを虫に食われながらも小ぶりな黄色い実を5つほどつけた。
いちじくの木は鉢で一夏を過ごし、小さい実を一つ付けた。さてどこに植えてやろうかな。
桃もフィジョアもまだ木が小さいので実を付けるのはあと何年かかかるだろう。
こうやってみると我が家は色々な物が育っているなあ。

今年のプロジェクトは庭の真ん中に生えている木を切ったこと。
この木を切ったことにより、畑の日当たりがさらに良くなった。
今まで日陰で雑草ぼうぼうだった場所も近いうちに畑になるだろう。
木を切るのはいいのだが大変なのは根っこの処理だ。今はこの根っこと格闘をする毎日である。
それから菜園をやる上で大切なのは土作りだ。化学肥料や除草剤、防虫剤は一切使っていない。
うちではEMボカシで堆肥をつくっているし、ニワトリの糞も肥料にしている。
これらを庭の片隅でじっくりと寝かせ土に混ぜる。
じっくりと寝かせる時間も大切なのだ。
そして植物に話しかけること。植物にも意識はある。
ボクは庭でいつも野菜達に話しかけている。
「オマエ達大きくなって美味しい実をつけてくれよう」
「ありがとな、お前達の葉っぱも実もとっても美味しいよ」
枯れていく野菜達にもねぎらいの声をかける。
「今年もよく育ってくれてありがとな。君の命はうちで美味しく頂きました。あとは土に還ってください。」
ボクの想いは植物に通じ、結果美味しい野菜を提供してくれる。
想いは植物とは通じるが、隣りのクソネコとは通じない。
相変わらずクソネコはうちでクソをして、それを見てため息をつくボクなのであった。
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