あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

裏山のある家

2016-12-22 | 日記
毎年のことなのだが、クィーンズタウンで住む家を決めずに行く。
夏の間はクィーンズタウンでフラッティング、要は一部屋、間借りをするわけだ。
友達の家に住むこともあるし、知らない人の所に行って友達になったこともあった。
あらかじめ住む所が決まって行く時もあるが、ここ数年は行ってから見つけてみようとあまり決めないで行く。
なんか自分の運試しをしているようで、そういうのが妙にワクワクするのだ。
今年は何の縁かアロータウンに住むことになった。
家主は前から知っている人で別ルートからその人にたどりつき、とりあえずその人の家を見せてもらった時からその家に一目ぼれした。
もうこれはピンときた、なんてものではない。
ピストルで胸をズキューンと撃たれたような、ううむそんなものじゃあ足りないな。
そうだなあ、強いて言うならばヤマトの波動砲で惑星ごと吹き飛ばされたぐらいの衝撃。
それぐらい強い直感で、この家に引き寄せられた。

庭には畑がありビニールハウスもある。
クライストチャーチに比べ寒いので、ズッキーニ、きゅうり、トマトはハウスの中で育つ。
もちろんコンポストもやり放題。
イチゴが植えられて鳥よけのネットがかぶせてある。
庭を見ればその住人がどれぐらいの気持ちでやっているか分かる。
見た目だけの人も居れば、真剣に取り組んでいる人もいる。
畑は空いていたので、とりあえずキャベツを植えた。
ログハウス調の木を組み合わせた家は山小屋の雰囲気をかもし出している。
そしてなんと、自家製の燻製器まである。
スモークサーモン、スモークチーズ、これならベーコンも作れるか。
夢は広がるぞ。

家の中の本棚には日本語の本もどっさり。
本棚の片隅には宮崎駿のナウシカの漫画が全七巻。
おおおお、ナウシカかあ、二十年ぐらい前に一度読んだか。
ニュージーランドでナウシカなんていいじゃあ、ありませんか。
雨の日にゆっくり本を読むなんて楽しみもできた。

場所がまたいい。
アロータウンの町外れで、車の通りはほとんどない。
とにかく静かなのだ。
家の周りではトゥイがきれいな声でさえずり、この声で目が覚めるのは1日の活力源だ。
トゥイの泣き声は独特で綺麗な声の中に時折ギジギジというような音が混ざる。
7種類ぐらいの音を出すと、何かの本で読んだ覚えがある。
友達のトモコは初めてニュージーランドに来た時にキャンプをして、朝この鳥の声で目覚めた時に、宇宙人かUFOがやってきたと勘違いしたそうな。
確かにこの鳥の声は電子音のようにも聞こえるし、これがたくさんいればそんな夢も見るだろうな。
ここは鳥の国なのだ。

裏側はすぐに山で5分も行くと展望台があり、おあつらえ向きにベンチなぞ置いてある。
この国のこういうところが好きだ。
夕暮れ時にボーっとするにはもってこいの場所である。
町を見下ろす高台という雰囲気で人は殆ど来ない。
たまに来るのは地元の人だけで観光客が全く来ない。
クィーンズタウンは観光の町なので賑やかなのは仕方ない。
だがここ数年、街の喧騒にうんざりしていた感はある。
昔は街のど真ん中、モールになんぞ住んでいたこともあったが、その家は今やおしゃれなバーになっている。
特にクリスマスから年末年始にかけては、街にいたくない。
郊外の家なら静かでよかろうと思うが最近ではそうでもなくなってきている。
若ければ街に繰り出しパーティーもいいが、年をとったのか落ち着く場所で飲むことが多くなった。
ここの家はまさに隠れ家。
家の横は墓地だが、日本的なヒュードロドロ「恨めしや~」というものは一切なし。
ただひたすらに静かな場所であり、裏山へも墓地を通っていく。
家の正面は教会で、日中は人を見かけるものの夕方になれば誰もいない。
食卓の窓から教会の白い壁と大きな木が見えて、この雰囲気もまた良い。
とにかくすべてが気に入ってしまった。

難点というか悩みと言うのか、忙しすぎてほとんどこの家に帰っていない。
帰ってきて一泊してすぐに次のツアーといった具合で、フラットメイトと御飯を食べたのも数回だ。
そうこうしているうちに年の瀬がそこまで来ている。
ナウシカも燻製もしばらく先になりそうだな。
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光陰矢のごとし

2016-12-10 | 高座
え、毎度のお運びで、あたくし清水亭聖笑と申します。
ああ、うれしいですね。
パソコンの向こう側、ネット回線を通じて「よっ、待ってました!」なんて声が聞こえてまいりました。
こんなろくにアップもしないようなブログにお付き合いしていただくなんて、つくづくファンの皆様は酔狂なもので、いえいえ、ありがたいものです。
実に久々の高座でありまして、最後に出てきたのはいつだったでしょうかね。
もう思い出せないぐらい昔のことでしょうか。
きっとどうでもいいんですね、そんなこと。
たま~に出てきて、毒にも薬にもならないどうでもいいことを喋って、「次の出番はいつかな」と思いつつ消えてゆく。
あたしなんてそんな存在なんです。
でもね、そんなどうでもいいようなことが大切だったりもするわけなんです。
世の中四角ばっかりじゃつまらない。
三角もあれば丸もある。
楕円もあれば星型もあり、いろいろな形と大きさがある。
その隙間を埋めるのがあたしの役目。
今回もちょいとばかしお付き合い願います。

それにしても時が経つのは速いものですな。
ついこの前、年が明けたと思ったらいつのまにやら年の瀬。
あっというまに1年が経ってしまいました。
光陰矢のごとし、などという言葉もあります。
ええ、みんな急いで帰るんですよ。
仕事を終えた工場勤めの人が、びゅーっと。
え、ちがいますか?ちがいますね。それは工員。
月日が経つのが速いことです。
忙しいとなおさらのこと。
「今年は忙しくなるぞ」と親方には言われておりましたが、始まってみるとこれが目の回るような忙しさ。
毎日毎日あちらこちらを飛び回り、あっというまに11月が過ぎ、気がついてみれば12月の半ば、もう年の瀬です。
もっとも年の瀬と申しましてもこちらはニュージーランド。
日本のように師が走ることもなく、のんびりとクリスマスを迎えようという時期なのです。
けれどもあたしたちガイド連中は今が稼ぎ時。
今忙しくなかったら、いつ忙しいんだい、という具合ですから。
それにね、毎日お客さんを案内して大変なことは大変なんですが、この仕事は基本的に人を楽しませる仕事。
いいですね、こういう仕事は。
あなたハッピー、わたしハッピー、チップが弾めばもっとハッピー、そのチップで美味い物を買えば家族もハッピー。
みんながみんなハッピーになるのって、いいと思いませんか?
世の中には人の足を引っ張る仕事とか、人のアラを探すような仕事とか、人を陥れようという仕事もあるんです。
まあその道を選ぶのもその人の責任なので、あたしはそれ以上言いませんけどね。
その点あたし達のような噺家は、あ、いつのまにか噺家になっちゃいましたけど、ガイドも噺家も似たようなものなのでいいですよね。
あたし達は人を幸せにさせて、そのおかげでおまんまを食っている。
ありがたいことじゃあありませんか。
そもそもはたらくという言葉の語源は、はた=他人 らく=楽しむ だそうなんです。
すなわち、人を楽しませる、人を楽にさせるというのがもともとの意味。
それがいつのまにか、はたらく=金を稼ぐ というようになってしまった。
うーん、なんでこうなってしまったのか。
なのでね、みなさん、働いても金が稼げない噺家をもうちょっと見習いましょう。

以前知り合いになったホテルのマネージャーの方が言ってました。
「いいなあ、ガイドさんは。1日の終わりにお客さんが『ありがとう』って言ってくれる」
その方はマネージャーという役職なので、何か事あると謝ってばかりなんだそうですね。
ああ、確かにそう言われてみればそうだなあ。
お客さんがありがとうって言ってくれる仕事っていいなあ。
考えてみてください、駐車違反やスピード違反で罰金取られた時に「ありがとう」って言えますか?
泥棒に入られた時や詐欺にあった時にありがとう、って言えないですよね。
もっとも詐欺の場合は最後まで本人が気がつかなければ、それはそれで本人が幸せでいいのかもしれません。
お客さんがありがとうと言う、これは世の中においても大切なことだと思うのです。
ですからあたしはバスに乗った時にもドライバーにありがとうと言いますし、買い物をした時や食事をした時にも言うように心がけています。
あ、でもそれは、自分が納得のいくサービスを受けた時ですよ。
レストラン行って、不味い物食ってひどいサービスを受けて、ありがとうと言うほどあたしゃ人間できていません。
それにはサービスを提供する方も、きっちりとした仕事をしなくてはなりません。
噺家は稽古をしなくてはならないし、ガイドだって勉強しなくてはならないのです。
お客の方も、こっちは金を払ってるんだという態度ではいけません。
ええ、これでは上手くいく事もまとまらなくなっちまう。それは傲慢というものです。
かと言って「お金を払わせていただきます」というのも卑屈になってこれはいけないですな。
卑屈にならず、かといって傲慢にもならず。
ほどほどのところで軽い気持ちで「おっ、ありがとうさん」という具合に、これが粋ってもんじゃあないでしょうか。
お互いにありがとうと言い合う関係は社会の理想なのだと、あたしは思うんです。

さていつものように毒にも薬にもならないようなことをダラダラ書き連ねましたが、そろそろお時間。
ええ、あたしも今日からまたツアーの日々でございます。
こうやって仕事がたくさんあることもありがたいことでして。
旅行関係の仕事なんて地震があったり、政情が不安定だったりするとすぐになくなりますから。
ツアーというものは、行く先と出発する元、この二つが安定していて成り立つものなのです。
なのでね、お金を払ってくれるお客様にもありがたや。
支えてくれる家族にもありがたや。
段取りしてくれる会社にもありがたや。
自分自身にありがたや。
最後にすべてを乗せた地球にありがたや、ありがたや。

では最後に、
ガイド稼業と掛けて、海に漕ぎ出す小船ととく、その心は

波に揺られることでしょう。

ありがとうございやした。
どどん どんどん。


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