あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

今日の夢

2010-08-30 | 日記
夢を見た。
うちのニワトリのヒネとミカンが大きな卵を産む夢だ。
ヒネとミカンはすくすくと育ち、羽根の色つやもよくとても元気である。
最近は庭で雑草状態で生えている白菜や水菜もバクバク食う。
早ければ8月半ば頃に産むかも、と考えていたがまだ卵は産まない。
ニワトリは卵製造マシーンではない。
人間の思惑通りにはいかない。
大切なのはニワトリが元気な状態でいること。
その時が来れば自然に美味しい卵を産んでくれることだろう。

ずいぶん前のことだが、マンガ『美味しんぼ』で卵料理の話があった。
山岡司郎と海原雄山が卵料理で対決をする話だが、海原雄山が用意したのが初卵。
そのニワトリが人生(鶏生)で初めて産む卵である。
ニワトリを世話する人が毎日鳥の様子を見ながら、「今日産むか、明日産むか」と待ちに待った卵だ。その卵を使った料理こそ至高の料理であるという話だった。
その時は、ふーん、そりゃ、まあウマイだろうなあ、と軽く考えていたのだが、まさか自分がそういう卵を待つ身になるとは思ってもいなかった。
至高の料理が出した物は、ゆで卵の黄身のみそ漬け。
究極の料理は半熟卵のトリュフだかフォアグラソースかけだったと思う。
トリュフもフォアグラも自分には全く縁がないのでこちらはパス。
黄身のみそ漬けもうまそうだが、白身も一緒に食べたいしなあ。
とことんシンプルに卵かけご飯か。

卵かけご飯の想い出を一つ書こう。
ボクが初めてニュージーランドに来たのは23年前、高校を出てすぐ、18歳の時だった。
オークランドで3ヶ月ホームステーをしながら英語学校に通った。
当時は日本食などほとんどなく、オークランドには日本食レストランは2つしかなかった。ホームステーでは毎晩ジャガイモ。茹でたり揚げたり焼いたりしてもジャガイモはジャガイモ。
それが3ヶ月続き、さすがに飽き飽きした頃、友達の家で味噌汁と卵かけご飯をご馳走になり、涙が出るほどうまかった。
食べ物というものは人を感動させる力を持っている。

夢の話だった。
夢というのは現実を映し出す鏡の時もあるし、違う世界の出来事を映し出す時もある。
未来を見れるし過去も見れる。
夢の中で人や自分を傷つける時は、現実世界でそれをやらなくてもよくなる。
見方によっては夢の世界が現実で、今僕らが信じているこの世界が夢ともいえる。
それぐらい夢とは精神の部分において大きい位置がある。
たいていの人は起きれば夢を忘れてしまうので、あまり深く考えない。
最近はさぼり気味だが夢日記をつけたこともある。
ボクの夢で繰り返しでてくる映像は、緑あふれた大地に高い3つの建物が建っている。
建物同士は渡り廊下で繋がっていて、自由に行き来できる。
建物はすっきりしたデザインで機能的な美しさがある。
その中ではいろいろな人が働いているが、誰も仕事に追われていることはない。全ての人が自分のやるべきことを楽しくやりながら社会を動かしている。
建物は近代的だが、その周りは緑があふれ空気は澄み、そしてきれいな水が川となって流れている。
そういう夢を良く見る。
違う世界なのか、将来の姿なのか分からないし、それをこの世界で追求することは意味がない。
今回見た卵の夢は、明らかに近い将来を映し出したものだ。
夢は確信となりこの現実を作る。

庭のニワトリは今日も元気に土をほじくっては虫をついばんでいる。
こうなればいいなあ、と思うことは次々に実現する。
You can always get whay you want.
ミックジャガーの歌声が聞こえてくる。


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ネット通信

2010-08-26 | ミクシー日記

2008年4月30日のミクシー日記より


とある掲示板を見ていて今さらながら思った。

インターネットって怖いな。

それは『こういう所で人を批判したり、バカにしたりするのはどうなんスかね~、なんとかならないんスか?』というようなボクから見ればごくごく当たり前の質問だったのだ。
最初はボクから見て「ナルホドと」か、「フムフム」とか、「いいぞいいぞ」だったり、「え~そうかあ?」とか、「こういう人もいるわな」、「まあねえ・・・そういう見方を君がするなら、それはそれで仕方ないさ」ぐらいだった。
それがだんだんと、「ちょっと待てや、」「ホンマか、それは」「それを言うたら、あかん」「なに言うとんねん、ボケ」「よっしゃ出るところ出たろ、その代わり分かってるやろな?」「しばいたろか」となってしまった。
関西弁ってこうやって読むと怖いなあ。
それくらいあっという間に批判したりバカにしたりの世界になってしまったのだ。
たぶん、そんなのはボクが知らないだけで他にはいくらでも似たような話はあるのだと思う。

ボクが10年ぐらい前にネット初心者だった頃(今でも上級者ではない)ある友達とメールでやりとりをした。
彼女はニュージーランドに2回目。ボクがガイドをするというものだった。
彼女とメールでやりとりするうちに『なぜ、こんなになってしまったのだろう』と思えるぐらい関係は悪化してしまった。最後には友達に仲介を頼んだぐらいだ。
その時に思った。
ネットって怖いな。
たとえ友達でもこうやってケンカになっちゃう。これから気をつけよう。
それ以来、そういう失敗はしなくなったが、今でも自分の会った事の無い人、目を見たことのない人とのネット上のやりとりが苦手だ。
だけど、こういう場所から新しく友達ができる場合もあった。
きっちりと匿名ではなく、言葉に責任を持って語っている人とのつきあいは、人間と人間のコミュニケーションで大切なものなのだ。
そんな人とは1回飲んだだけで、充分お互いを分かりあえる。

ネット上では言葉は活字となって現れる。
そこに表情などは伴わない。
同じ言葉でも受取手によって大きく変わってしまう。
ささいな冗談だってケンカの売り言葉になってしまう。
だからだろうか、冗談のところ、「ハイみなさん、ここは笑うところですよ、真にうけて怒らないでくださいねえ」というところには(笑)が入る。
たぶん、あの(笑)がなかったら世の中もっと大変なことになっているだろう。
「オレは思わず笑っちまったぜ」という使い方もある。
人がやるのは気にならないが、自分は今までこれを文にいれたことがない。

一度でもボクと会った人ならば、ボクとはこういう人だって分かるだろう。
それで、「ああ、こいつは最近理屈っぽくなったなあ」とか「いいぞ、いいぞ、おまんの言う通りじゃけん」とか「まあたバカなこと言って、コイツは」とか「オマエらしいじゃん」とか「しばいたろか?」
とかいろいろとつっこんでくれる。
だが会ったことのない人は、ボクの書いた物を読んでボクのことを想像する。
だいたいの場合において実物よりカッコ良く想像する。
ネットの世界というのは相手が見えない。
繋がっているのはコンピューターを通した文字だけである。目と目を合わせるコミュニケーションでは無い。
疑い出せばキリがないが、ああいった匿名の掲示板の信頼性。
もちろんまともな意見だってたくさんあるけど、例えば、

「私はニュージーランドに来て3年、キウィのボーイフレンドができました。結婚しようか悩んでいます。みなさんどう思いますか?」

みたいな事を書いて出せばどうなるだろう。
もちろんやるならば、本当にそこに住んでいるようなもっと上手い書き方をするさ。そんな事意味がないからやらないけどね。
そうすると、それに対する答が山ほど出て、その中でケンカになっていったり、酷い中傷や批判も出てくるのだろう。
40近いオヤジが書いたものだと思わずにね。
顔の見えない世界ってそういう場所だと思う。
正直な話、あまり深く関わり合いたくない。
ミクシーをやっていても、会ったことの無い人間からのマイミクは断っている。会った事のある人でもたまに断る。

情報のソース(出所)というものがある。
ある情報がどこから来たのか?というものだ。
匿名の掲示版は情報の信頼性が無い。
全く無いわけではないが、それは受取手次第である。
例えば、この国に来て2~3年の人が持っている情報の中にはボクも知らない事があるかもしれない。それはその人の経験から来るものだろう。
だけどほとんどの場合は彼等が持っている情報とは、ボクにとって当たり前の事すぎて何の意味もない。
情報とはそれを発信する人の明確なる存在があって、初めて信頼性というものが伴う。
味オンチの人が教えてくれるウマイ店とシェフの経験を持つ人が勧める店だったらどっちに行く?
情報の交換というのは、お互いに同じレベルの情報を持っていてなりたつ。

情報のソースがはっきりしている、信頼できる情報にはそれなりの価値がでてくる。
「あの川のどのポイントにはどんな魚が居てどんな釣り方だとよく釣れる」
立派な情報である。
自分にはそれに対する情報は持っていない、交換できないというような場合、情報が必要な人はそれに対するお金を支払う。
ガイドと客の間で契約が交わされるわけだ。
以前にも書いたが、日本では情報は無料である。
サービスの一環としての情報である。
誰が書いたか分からないような情報が巷にあふれている。
それを読み判断するのは自分だ。

しっかしまあ、たかだか掲示板の事でこんなダラダラ書いちゃうオレもヒマだよね。
踊る阿呆に見る阿呆か。
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いただきます

2010-08-24 | 
親友というか、兄弟というか、分身というか。
山小屋という男がいる。
この男のガイド日誌、実に良いことを書く。
以下、勝手に引用。

まだまだ暑い日のつづく美瑛ですが、それでも確実に秋に近づきつつあります。
気温は30℃を目前に頭打ち。朝晩はすっかり涼しくなりました。
夏の収穫が終盤をむかえて、暑さが残るものの畑の風景もどこか秋らしくなっています。秋空の雲が浮かび、夕焼けはあかね色に染まります。 
まちがいなく秋がすぐそこまで来ていますね。
これから北海道はおいしいものが次々と登場してきます。
十勝岳山麓では天然のマツタケが採れ始めたようですし、まもなく秋鮭も店頭に並ぶでしょう。品薄が心配されているサンマだって、あとひと月もすれば店頭に溢れだすに決まってます。
オーイエ!

食べるといえば、みなさんは「食べ物」に感謝をしていますか?
ちゃんと「いただきます」って言ってますか?
最近、こんな記事を目にしました。
食堂でいただきますと言うのはおかしい。なぜかというと、店のひとが客に感謝をするべきで、客が感謝するのはおかしい。
うちの子には給食のとき「いただきます」と言わせないでほしいという母親。理由は、「給食費を払っているのだから」

ふぅ・・・。

いただきますという言葉。作ってくれたひとをねぎらうという意味も多少はあるんですけど、それ以前に、食べ物への感謝だと思います。
たとえば魚。私のために死んでくれてありがとう。残さず食べて死を無駄にしません。
たとえば米。収穫されてくれてありがとう。おかげで1日の命をつなぐことができます。
食べるということは植物なり動物なりの誰かが死に、その代償に私たちの命をつなぐということじゃないでしょうか。そこに感謝があると思います。 

さいきんは登山も、1日でも予定日を過ぎたら遭難事件として大騒ぎになりますから誰もが何がなんでも下山しようとするので「食糧が尽きた!」という経験をする方はあまりいらっしゃらないかもしれません。
でも、食糧が尽きたら、それこそ恐怖。
かなり心細い。

僕の経験を書きます。
一昨年の秋、僕はひとりでオーストラリア大陸を自転車で横断しました。
僕が漕ぐ自転車が、オーストラリア南岸のナラボー平原に突入してからは、食糧の補充がとても困難になりました。ナラボー平原、何しろ1000km以上にわたって町がない、ほとんど人が住んでいないのですから。
そのかわり、野生のカンガルーがやたら飛び跳ねています。ウサギもすごい。野生のラクダまでいます。それから何億匹のハエ。
ハエは何匹か食べた(口に飛び込んでくる)けど、栄養にはならないです。(苦)
1日1日と手持ちの食糧がどんどんなくなっていきます。往来する旅行者に水を供給する公共の水タンクが1日おきにあったので水の補給はできましたが、食糧の補充には困りました。
ひたすらまっすぐの道と、土漠が続きます。
自転車に積めるのは1週間分だけ。それを20回分に分けて少しずつ食べることになります。新鮮な肉や野菜はなく、サプリメントや粉末ジュースで代用しました。
それから、とっておきの場合にサーモン缶。それから日本のラーメン「出前一丁」。
米は、一握りしか残っておらず、最後までとっておくことにしました。(後日役立ちました)
ガソリンスタンドを見つけたら、嬉しくて嬉しくて。
ガソリンスタンドには必ずテイクアウトがあるんです。せいぜい5~6品ですが、それで十分!
必ず「ハンバーガー」または「ステーキサンドイッチ」を頼みました。
涙がでるくらい嬉しかった。胃袋も喜ぶし、手持ちの食糧も1日分、ストックが残されますから。
1回1回の食事がとても貴重でした。
自然と、「いただきます」の言葉が口から出ました。

さて、秋の北海道。
おいしいものが巷に溢れますね。楽しみー!
心をこめて言いたいと思います。いや、叫びたい。
「いただきます!」






いただきますとは、『命を頂きます』なんだよな。
南半球の我が家でも、庭の野菜、手作り納豆のご飯を『いただきます』
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看護婦さん

2010-08-17 | ミクシー日記
看護婦さん
2008年5月18日のミクシー日記より

 ある仕事で新婚旅行のお客さんに会った。
 20代ぐらいの新婚旅行だと2人でイチャイチャしてガイドのボクが困ってしまうような人もいるが、今回のお客さんは落ち着いていて感じが良い。
 旦那はボクと同じ年ぐらいで物静かなタイプである。奥さんは30代前半ぐらいのきれいな人で、夫婦ともにとにかく落ち着いたという感じのカップルだった。
 イチャイチャバカカップルのように常に2人でいて会話が2対1というのではなく、2人が各自きっちりと人格を持っているので人間として対等の立場で話ができるのがよかった。
 ボクはブナの森を案内しながら彼女に聞いた。
「失礼ですがお二方は新婚さんでしょうか?」
「ええ、と言っても8年以上もつきあいはあるんですけどね」
「へえ、そうなんですか」
 きっと忙しい仕事をしている人なんだろう。
「お仕事は?」
「看護師です」
「カンゴシ?ああ、看護婦さんでしょう。ボクは看護師という言葉がきらいでね。昔からずーっと看護婦でやってきたのだから看護婦でもいいでしょうに、ねえ。第一現場でやっている人はそんなの気にしていないでしょう。そんなくだらないことを言うのはウーマンリブとかさけんでいる人なんでしょ?」
「ええ、まあ、そうですね。スエーデンあたりでは○○シスターなどという言葉があって男性の看護師もそう呼ばれるんです」
 日本と逆である。社会のレベルが高いとこうなる。
 男と女は違う生き物である。個人差はあるが、男の得意な分野があれば女の得意な分野もある。看護という分野に関しては女が断然優れている。看護婦で何が悪い?
 社会的な権利において男女は平等であるべきである。例えば選挙権、学生となる権利、仕事をする権利などだ。
 だが男と女が全て一緒の権利を持つ考えに間違いがある。立ちションをする権利はどうなる?
 女にだって子供を産むという、男には逆立ちしたってできないことがあるじゃないか。
 今、看護婦という美しい言葉はなくなりつつある。せめて看護師などではなく、つい最近まで一般的でなかった男の方を看護夫とすれば読み方はカンゴフで今まで通り問題はないだろうに。こんなつまらぬ事に余計なエネルギーを使っているので物事の本質が見えてこない。

「じゃあ旦那さんは?」
「医者です」
「ナルホドね。ボクはスキーパトロールをやっていましたから、けが人を送る方だったんです。雪山では基本的に何もできないから、とにかく固定して運ぶだけですよね。『あーあ、これからお医者さんや看護婦さんがこのねじれた体を治すんだ。大変だなあ』とか思いながらね」
「いえ、現場の人は大変ですわ」
「お互いに現場じゃないですか」
「そうですね」
「専門は?」
「ICUです」
 ボクはアルファベットが並んでいるのは苦手だ。
「へえ・・・ふうん・・・そのえっと何でしたっけCPUですか?」
「ICUです」
「それそれ、それは一体何ですか?」
「集中治療室ってことです。急患や交通事故などの緊急の時のものです」
「そうですかあ、じゃあ旦那さんも?」
「はい同じです」
「それは大変な仕事ですね」

 大都市の病院の集中治療室なんて、それはスキーパトロールとは比べものにならないぐらい血なまぐさいものを見ているだろう。
 それと同じくらい人の死というものも見ているのだ。死とは何だろう、生とは何だろうという答の出ない質問を繰り返してきたに違いない。
 2人に落ち着きがあるのはそこから来ているのだろう。
「それよりガイドさんも大変じゃないですか。私達みたいな素人を案内して」
 自分が何者かを知っている人、とある分野で秀でた者は自分の事を簡単に素人と言える。
 確かに山の世界では素人だが医療の世界では彼等はプロだ。その強い自信は素直に自分を見つめている。強い人でもあるのだ。
「全ての人が知識や経験を持てるわけではないですよね。でもお二人のように自然を楽しみたいという人はたくさんいます。その為にガイドはいるんです」
「ガイドになる条件は?」
「ガイドの条件とは、先ずガイドが楽しむこと。ガイドが楽しめなければお客さんだって楽しめないわけです。だから申し訳ないけど、今この時もボクはお二人より楽しんでいます。楽しむためには時には知識も必要ですから、それを分け与えるのがガイドだと思っています」
 彼女は静かに頷いた。美人が素直に頷くというのはなかなかいいものだ。この美しさは彼女の内面からきているのかもしれない。
 ボクは看護婦や医者といった職業を尊敬する。
 職業を尊敬するのであって、個人ではない。
 中には金もうけや出世欲に目がくらんだ医者もいるし、自分のことしか考えない看護婦だっているだろう。でも、もちろんいい人だってたくさんいる。
 純粋に『人を助けたい』という気持ちを持ち続け、現場で働く人をボクは尊敬する。
 もちろん仕事となれば常にお金はつきまとうが、それ以前に働くことの原動力に愛がある職業は立派だと思う。
 時には職種というものが個人の人格を作っていく場合もある。
 消防士や救急隊も立派な仕事だ。人の為に自分の身を危険にさらす。家族とか友人とかの為ならともかく、赤の他人のためにそれをする。これはなかなか出来るものではない。愛に基づいた職業である。
 人間がどういった職業を選ぶかはその人の自由である。
 中にはやりたくないことを仕事にしてしまうこともあるが、それもその人が決めたことなのでボクの知ったことではない。
 それよりも自分でその道を選び、第一線の現場で働く人はいい顔をしている。
 厳しさと優しさが同時にあり、人生の深さを知っている顔なのだ。
 ボクは今までボクが出会ったり友達になった看護婦さんの事を思い出しながら森を歩いた。
 こういう仕事もいいもんだ。
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我武者羅應援團

2010-08-12 | 
こうなればいいな、と思うことを実現する力を人は持っている。
それは時として予期せぬ形で現れる。
この世に偶然はなく全て必然なのだ。
人が偶然と一言で片づけてしまうような出来事を、ボクは自分が良い状態でいるバロメーターとして見ている。

彼らの存在を知ったのはフジイさんの書き込みからだった。
『我武者羅應援團、NZに上陸します』
はあ?何のこっちゃ?
どうやら、誰でも何でも応援をしてしまう人達らしい。
今回はオールブラックスを応援するためにNZに来るとのこと。
最初の感想は良いものではなかった。
人を応援をすると言っても、自分達で何かを生み出している訳ではないでしょ。
パフォーマンスとしてやっている、新しいお笑い芸人のようなもの。
そんなイメージがわいた。
数分後、彼らのウェブサイトを見てそのイメージは偏見だった事に気が付いた。
http://www.gamushara-oendan.net/

「ずいぶんと面白そうなことをやってるなあ」
ボクは思わずつぶやいた。
ボクの信念でもある、『バカな事ほど一生懸命やらなくてはいけない』という事を彼らはやっている。
30にもなって学ラン着てオールバックで応援団なんて、普通の人から見たらバカな事だろう。
「あんた、そんな事やってないでマジメに就職しなさい」
そんな事を言う人もいるはずだ。
ボクだって若い時に、何回もその言葉を言われた。
だがボクは彼らの自分の信念を貫き通すその姿勢に感動した。
もしもボクが若くて、何もやっていなかったら団員募集に参加しているだろう。そんな勢いである。
『ガムシャラに』、『一生懸命』などは、現代人が失ってしまっている大切な言葉だろう。
「あ~あ、この人達に会ってみたいなあ、生の応援を聞いてみたいなあ」
女房もボクもその時居候していたサダオもすっかり我武者羅應援團の虜となってしまったのだ。
「この人達、結構有名なんじゃない?」
「そうでしょ、これだけのことやっているんだからね」
「うちに来て応援してもらう?」
「応援のプロなんでしょ。お金かかるんじゃないの?」
「う~ん、うちはお金ないからなあ。自家製納豆食い放題はどうかな?」
「だけど会ってみたいよねえ。生で見たいな」
そんな話をしながら酒を飲んでいると、タイムリーな話が。
深雪が通っている日本語の補習校へ彼らがやってくるというメール通信が来た。
ボクは仕事が入っているので行けない。サダオも仕事の都合で前々日にワナカへ行かなくてはならない。女房は大喜びである。



何日か忙しい日が続き、我武者羅應援團の事も忘れてしまったある日。
当初、泊まりの予定だったのが、仕事が早く終わったので家に帰ることになった。
その日は、友達とベトナム料理を食べに行く事になったので、深雪と一緒にバスに乗って町へ出た。
バスから降りて町を歩いていると、学ランを着た男が二人歩いてきた。
ボクはピンときた。
この人達か。
迷わず声をかけた。
「あのう、応援団の人達ですよね。ウェブサイト見ました。」
最初は軽く声をかけるだけのつもりが、それならあなたを応援しましょう、ということになって深雪ともども応援されることに。
こういう時はどういう態度をとればいいんだろう。
相手は真剣にやるのだから、こちらも真剣に受けとめよう。
ボクは気を付けの姿勢で心をこめて彼らのエールを聞いた。
応援は二人だけで始まったのだが、エールを聞きつけて他の団員も「フレッフレッ」と言いながらバラバラ集まってきて、あっという間にボクと深雪は学ラン集団に囲まれてしまった。
その後、世間話へ。
「ボクはここで山歩きとかスキーのガイドをやっている者です」
「それならネルソンのフジイさんはご存じでしょうか」
「よく知ってますよ。いやいや、ここで繋がるか。世間は狭いですねえ」
ボクがこの地に住むガイドとして言ってあげられることは何だろう?
「あのう、ニュージーランドは良いところですから、皆さんもたっぷり楽しんでいらしてください」
「それはもう。すっかり堪能していますよ」
「それは良かった」
ボクが一番聞きたい答はこれだ。
名刺をもらい、写真も撮ってもらった。
終始、丁寧な態度でなかなかの好青年の集まりである。
こういう彼らをボクが応援したい。

最近、ボクはよく人の『気』を感じるようになった。
良い気を持った人は生き生きしている。何と言っても良い目をしている。
彼らからはとても良い『気』を感じた。
自分を落とすことなく、一生懸命ガムシャラに相手を持ち上げる。
応援という形で彼らのエネルギーが人に伝わる。
それが彼らの愛ではなかろうか。
だからオールブラックスも勝った。
もし仕事が早く終わらなかったら、友達と晩ご飯をを食べに行かなかったら、町にバスで出なかったら、別の道を通っていたら、彼らとの出会いはなかったかもしれない。
イヤ、それより、彼らを追い求めていたら出会いはなかっただろう。
彼らに会いたいという気持ちを持ちつつも、それを忘れ自分がやるべきことをやっている時に、出会いは向こうからやってくる。
本気と書いてマジと読む。
道化師と書いてピエロと読む。
我武者羅應援團と書いてがむしゃらおうえんだんと読む。
自分は我武者羅應援團が好きであります、押忍。
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今日の一句

2010-08-03 | 日記
北西が 南に変わり 冬の風
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今日という日

2010-08-02 | 日記
本日、2010年8月2日という日はですねえ・・・

『赤い倍音の月』の年、『磁気』の月、8日で、

『色い水晶の戦士』の日なんです。



「何を言ってるのか、さっぱりわからない」
とペンギンが言ってる。
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スコットランドの風

2010-08-01 | 
娘の小学校で全校集会があった。
一つのクラスがホストとなり何人かで司会進行を勤める。
深雪がその中で最初に喋る、というのでノコノコとそれを見に行った。
平日の昼下がりということもあって、見に来ている父兄は6人ぐらい。
その中で目をひいたのは杖をついた爺さんを囲む一家族。
6歳ぐらいの女の子が緑色のスコットランドの民族衣装を着ている。
孫の晴れ舞台なのだろう。見ていて微笑ましい。
深雪のスピーチから集会は始まった。
緊張しているのが手に取るように分かる。
あっというまに深雪の出番は終わりホッとした顔をしている。
声は小さかったがまずまずの出来だろう。

集会は進み、さきほどの女の子の出番となった。
ホールにバグパイプの音楽が流れる。ボクはこの楽器の音が好きだ。
音楽に合わせ女の子が踊る。
緑をベースにした民族衣装は所々に赤が混ざる。おそろいの帽子がこれまた可愛い。
緑色のスカートが、女の子が廻るたびにヒラリと開く。チラリと見える白いパンツはご愛敬だ。
女の子が1人で背筋をピンと伸ばし堂々と踊る。立派なものだ。とても深雪にはできないだろう。
ボクのすぐ前にいる爺さんの肩が震えだした。
やばい、爺さん、泣くなよ。つられて泣いちゃうじゃないか。
ボクの思いも空しく爺さんは涙を拭き始めた。
同時にボクの目からも涙があふれる。
爺さんの横にいる30ぐらいの女の人は、爺さんの娘で女の子の母親なのだろう。彼女も涙をぬぐいながら爺さんの肩に手をのせた。
反対側にいる娘婿は動画で子供のダンスを撮るのに夢中だ。
ボクは流れる涙をふきながら、女の子のダンスを、それを見守る爺さんの背中を見ていた。
爺さんは孫のダンスに遠い故郷を思い出したのだろう。
ニュージーランドにはスコットランドからの移民も多い。
爺さんがスコットランドで生まれたのか、ニュージーランドで生まれたのか知らないが、孫のダンスに祖先からの血を感じたのだろう。
その想いはすぐ後ろに居たボクにも伝わった。挨拶を交わしただけの見ず知らずの爺さんと心が繋がった。
爺さんよ、アンタは幸せ者だよ。
時空を超えてスコットランドの風が、地球の裏側にある小さな小学校のホールを吹き抜けた。
グローバルというのはこういう事をいうのではないか。
ダンスが終わり、ボクは女の子に大きな拍手を贈った。
いい物を見させてもらった。
その日は一日、バグパイプの音色が頭にこだました。
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