あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

代理戦争と国民意識 ワールドカップに思ふ。

2022-12-20 | 日記


先日女房と一緒に近くのバーへワールドカップの試合を見に行った。
我が家では放映する会社と契約をしていないので、家では見る事ができない。
そしてニュージーランド時間の朝8時の試合しかバーでは見られない。
多くの試合は朝4時で、その時間帯はバーは営業をしていないからだ。
予選リーグで日本とスペインの試合を見に行った時は、お店はガラガラで日本人は僕ら二人、スペイン人のおじさんが二人、あとは訳のわからないイラン人が一人というぐあいだった。
決勝トーナメントで日本が負けた後、準々決勝でイングランドとフランスの試合を見に、再び同じバーに行った。
日曜日ということもあり、お店はほぼ満員で多くのイングランドファンで占められていた。
前回とはえらい違いで、座るところを探しウロウロしていたが、気の良さそうなおじさんが自分たちのテーブルの相席を許してくれた。
話を聞くと熱狂的なイングランドファンという感じでもなく、大きなスポーツのイベントが好きというオーストラリア訛りのおじさんだ。
でも応援しているのはイングランドというぐあいで、そんな人がお店には3分の2ぐらい。
イングランドの白いユニフォームを着て、何が何でもフランスに勝てよ!というような人が残り3分の1ぐらいだ。
まあニュージーランドにはイギリス人(イングランドだけでない)も多いのでそうなるだろうな。
そんな中で僕らのテーブルの横で、立ちながら試合を見つめるフランス人が一人。
彼はご丁寧にフランスの青いユニフォームを着て、孤高の人そのもの、完全にアウェイである。

試合を見始めて女房が言った。
「気楽に見れるね」確かにそうである。
日本代表の試合の時には手に汗握り、ハラハラドキドキ心臓に悪いだろうなという具合に見た。
今回は所詮、他人の喧嘩、対岸の火事、一応フランスを応援してるが、どちらが勝ってもどうってことない。
冷静に楽しくサッカーというスポーツを観られるし、周りの人の動向も見れた。
そういう観点で考えたのは、やはりこれは代理戦争なんだろうな。
イングランドとフランスは西側という点で同盟国なのだが、昔は何百年も戦争をしてきた過去がある。
表面的には仲良く見えて、内心は「あのヤロー気に入らないぜ」というような感情はあるのかもしれない。
幼稚園の先生が「ケンカはだめですよ〜、仲良くしなさい」などというように、人の感情は簡単には割り切れるものではない。
意識は集団になると増幅する。それが国家という集まりになった時に起こったのが第一次世界大戦だ。
いや厳密に言うと違うな。
自分の国のために戦うという意識を持った方が強いに決まっている。
それまでは兵隊は雇われていた傭兵で、死んじまったら終わりなのでそれほど一生懸命戦わなかった。
自分の友や家族のために戦う、お互いに自分の国のために、そうやって戦争になったのが第一次世界大戦という話だ。
それ以前は自分がどこの国の人だ、という意識があまりなかったようだ。
日本だって黒船が来るまでは『何藩の何がし』というぐあいで、日本人という感覚は無かった。
今でこそ国と国民という概念はあるが、それはつい最近できあがった感覚なのである。

僕が国民感情と代理戦争というのを初めて見たのは86年のメキシコワールドカップの時だ。
フランスのプラティニ、ブラジルのジーコ、アルゼンチンのマラドーナ、イングランドのリネカー。
スーパースターが出揃った大会を高校生の時にNHKで見た。
世界のサッカーってこんなに面白いんだと感心した。
ワールドカップの何年か前にフォークランド紛争というイギリスとアルゼンチンの戦争があり、その戦争でアルゼンチンはボロ負けした。
ワールドカップの決勝トーナメントでイングランドとアルゼンチンの直接対決という試合があった。
アルゼンチンのサポーターは、「戦争では負けたけどサッカーじゃ絶対に負けないぞ」という意気込みがあった。
その思いが伝わったのか、試合はマラドーナの独壇場で、伝説にもなった神の手、そしてハーフウェイライン付近から一人で持ち込みゴールを決めた5人抜き。
アルゼンチンは危なげなくイングランドを下し、その勢いのまま優勝を果たしマラドーナは国民の英雄となった。

そのワールドカップの数年後に僕は南米アルゼンチンを旅した。
アルゼンチンの人々は明るく気さくなのだが、時々みせるよそよそしさや、時には敵意の視線を向けられることがあった。
不思議に思い考えてみると、時期は夏でそれなりに暑いのだが、たまに肌寒く感じ長袖のTシャツを着るとそうなることに気がついた。
僕が着ていた長袖Tシャツとは胸いっぱいにユニオンジャックがプリントしてある代物だ。
何も考えずただその時にパンクを聴いていたから、という理由で買ったユニオンジャックのTシャツ。
ニュージーランドでも同じシャツを着ていたが、そこはそれ同盟国だし祖国的なところがあるので、誰も何も言わない。
でもアルゼンチンでは敵の国旗を着ているクソヤローだ。
袋叩きにあってもおかしくない。
僕はその時に初めて、国民感情というものに触れて、背筋がぞっとした。
若くて無知で世間知らずとはこういうことだ。



イングランドとフランスの試合は、互角の勝負で見ていても面白かった。
フランスがゴールを決めてリードした時は、店内全体にため息が流れた。
孤高のフランス人は拳をにぎりしめ、下向きに喜びをかみしめていた。
後半終了間際にイングランドのPKとなり、入れれば同点で勝負は振り出しに戻るという場面。
次に繋がる期待と歓声をあげる準備ができているイングランドファンが見守る中、キッカーが外してしまった。
そういえば昔ベッカムも外したっけなあ。
99%のイングランドファンの嘆きとフランス人の拳にぎりしめ。
試合はそのままフランスが逃げ切り、イングランドファンの失意が店を埋め尽くした。
静かに店を出て行こうとした孤高のフランス人と目があった。
「よかったね」
「ありがとう」
僕らは目だけで会話をした。
こういうコミュニケーションもあるんだな。

僕が言うまでもないことだが、ワールドカップという代理戦争はメッシがマラドーナに並んだのか超えたのか、英雄となり優勝した。
奇しくも86年メキシコワールドカップ以来の快挙だ。
そして僕がサッカーを見始めた頃に比べれば、日本は強くなったなあと思う。
その昔は日本がまさかワールドカップに出るなんて考えもしなかった。
今回は代理戦争で戦ってくれた代表チームにお疲れさん、とねぎらいの言葉をかけたい。
いつか日本も今回のモロッコのように歴史を塗り替える時が来るだろう。
それぐらいに日本のレベルが上がっている。
今回は日本人として日本チームを応援した。何も間違っていない。
では日本国民という意識で応援したか?
ニュージーランドに長く住んでいるが僕は自分で日本人だと思い、日本人であることに誇りを持って生きている。
でも正直な話、日本国民という意識は無い。
もちろんニュージーランド国民でも無い。
決まりだから仕方なく日本国民の証である赤いパスポートを使っているが、自分の中で日本人と日本国民がどうしても合致しない。
第一僕は日本を牛耳っている日本政府を信用していない。
環境問題だかなんだか知らないが海外に金をばらまいて、国内で使わず庶民を増税で苦しめている姿はどう考えてもおかしい。
まあニュージーランド政府も信用していないし、アメリカ政府も中国共産党もロシアもウクライナもW H Oも全て信用していない。
島国では国境は海なので分かりやすいが、陸続きのところでは地図に定規でまっすぐに線を引いたような場所もある。
だいたい国境なんてものは、時代と社会情勢や人の動向、自然災害や気候変動などでコロコロ変わる。
本来なら必要無いような場所で地元住民は自由に行き来しているところでも国境はある。
なんのために?
庶民が国という概念を持ち続けた方がいろいろと権力者にとって都合がいいのだろう。
権力者が大衆を操作する手段の3S(スポーツ、スクリーン、セックス)にまんまと乗っかってワールドカップを楽しみ、そして考えた。
社会は変わり続けている。
国の概念も変わる、間違いなく変わる。
これを書いていたらキヨシローのイマジンが頭に浮かんだ。
ジョンレノンのイマジンではなくキヨシローのイマジンだ。
代理戦争が終わった祭りの後でこれを聴きたい。

天国は無い ただ空があるだけ
国境も無い ただ地球があるだけ
みんながそう思えば かんたんなこと
さあ 夢かもしれない 
でもその夢を見ているのは
君一人だけじゃあない。
仲間がいるのさ
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生の男と書いてナーマメーンと読む。

2022-12-11 | 日記


ずいぶん前の事だが、日本語を少し喋るキウィと日本人の奥さんの友達と一緒に飲んだ時の話。
「お前はなんでもライブが好きなんだな。生の男でお前は生マンだ」と命名された。
カタカナで発音を表すのは難しいが、ナーマメーンというような具合である。
たぶん言った本人はもう覚えていないだろうが、なんとなくその言葉のイントネーションが頭の片隅に残っていた。
確かに僕は生が好きである。
ビールも生。
ちなみに日本で言う生ビールというのは、本来の意味から少しずれている。
日本ではサーバーからジョッキに注ぐやつのことを生と呼ぶ人が多い。
本来は熱処理をしていないビールのことである。
なので僕が作るビールは全て生ビールだ。
日本酒も生が旨い。
日本酒の製造過程で火入れという作業をする。
これは酵母菌を殺してそれ以上発酵が進まないようにするのと、火落ち菌という菌を殺す殺菌効果。
この二つの理由で63度まで酒を温めるのだが、同時に旨味の何かをも殺しているような気がする。
実際にこの段階で酵母菌は死ぬのであり、酵母菌自体が旨いのかどうは知らんが、火入れをする以前と以後では味が違う。
味で言えば絶対的に生の方が旨い。
これは自分がやっていたから自信を持って言える。
ただし貯蔵、流通、販売などを考えると生のままというのは技術的にも難しい。
発酵が進んだりして味そのものが変わってしまうからだ。
菊水など缶詰にして特殊なやり方で売っているものもあるが、一般的ではない。

酒と言えば肴であり、肴とは魚である。
魚の生は刺身だが、刺身の旨さは僕があれこれ書く以前の誰もが知っている。
では刺身の一歩手前の段階の魚の旨さを味わったことがあるか?
これは若い頃の思い出だが、90年代前半、まだフラフラとアルバイト生活をしていた時の話だ。
その時は伊豆諸島の三宅島で大規模な火山噴火があり、近隣の島々も被害が出てお隣の神津島に復旧作業の仕事で行った。
真夏のハイシーズンで普段なら賑わう時期だが、火山の影響で観光客は一人もいなく外から来るのは工事関係者だけという状態だった。
ある寿司屋の親父と仲良くなり、毎晩そこの寿司屋で飲んだ。
その寿司屋も火山と地震の影響で商売上がったり、毎晩僕たちだけの貸切で、滞在の期間に他のお客さんと顔を合わせたことは一度もなかった。
昼間に目一杯働いて、その後に素潜りで貝など取り、それを持って寿司屋へ行く。
島に唯一あった信号の前の寿司屋の店先の桟敷で、「今日のラッシュアワーの渋滞は最長で3台」などと車を数え、海に沈む夕日を見ながら自分が取ってきた貝をつまみに生ビールを飲む。
日が暮れてからはカウンターで親父相手に島の魚をつまみに島焼酎を飲む。
今から考えれば、夢のような生活をした時もあった。
ある晩のこと、親父が「子供頃に腹が減って魚をそのままかじった」というような話になり、「じゃあ俺がそれをやる」などという話になった。
酔っ払いのノリってこういうものだな。
さすがにウロコとか頭とかハラワタは食べにくいだろうからと、その場で親父が頭とエラを落としウロコを取りハラワタを抜いて洗ってくれた。
なんの魚か忘れてしまったが、15cmぐらいの青魚だった。
みんなが見守る中で何もつけずにガブリとかじりついた。
まずは新鮮な魚の肉のコリコリ感がすさまじい。
だがやっぱり醤油は欲しいと、醤油をつけてかじった。
味自体は刺身で食べるのと同じなのだが、ワイルド感というのか野性味というのか。
焼き魚や煮魚の骨を外して食べるのはよくあるが、生魚をかじる、食べるのではなく文字通りかじるのは初めてだ。
蛮族というのはこういうものなんだろうと思った。
それはそれで良い経験だったが、二回やろうとは思わない。
そういうものなんだろう。

もうひとつ生魚の思い出だが20年以上前に、当時の相方JCと西海岸でホワイトベイトを取ったことがあった。
ホワイトベイトは白魚のような魚なので、それなら踊り食いなるものをやってみようという話になった。
うろ覚えの話ではピチピチ跳ねる喉越しを楽しむとかなんとか。
やってみたところ、ただ飲み込むだけなので味もへったくれもない。
なので今度は口の中でピチピチ跳ねる白魚を歯で挟み噛んで味わった。
これは確かにコリコリした食感で、新鮮な魚感はあったが味はよく分からないというのが感想だった。
生しらすを食べるように酢醤油で食べればよかったかもしれないな。



生麦生米生卵、の生麦と生米は食べても美味くなさそうだが、生卵は旨い。
うちでニワトリを飼っているのは、卵かけ御飯を食べたいがためである。
新鮮な卵は黄身も白身もしっかりしているので簡単には混ざりにくい。
炊きたてご飯にかければそれだけでご馳走だ。
友人が遊びに来た時に、すき焼きをやったのだが彼は生卵が大好きだと言って、器に3つ卵を溶いてザブザブと食っていた。
すき焼きの時に最初の卵がなくなり、二つ目をお代わりする事はよくある。
だが最初から3つ卵を割って食うという人は初めてであり、こういう食い方もありだなぁ、と妙に感心をした。

生というのは音楽の世界でも使われる。
生演奏、生歌、生ギター、その他もろもろ。
愛用のギターは生の音が気に入って買ったものだ。
ギターをある程度やっていると、ギターによって音色の違いが分かるようになる。
楽器屋で何回も何回も何回も試し弾きをして、音色に惚れて買った。
アンプにも繋げるタイプだが、僕はやはり生の音が好きだ。
それから生のライブ。
ライブというのは独特なもので、演ずる者と聴く者で場の雰囲気を作り上げる。
ライブはライフであり、生とは是即ち生きることである。
行き着くところ、生きている今この瞬間が大切なんだという、いつもの結論にたどり着いた。
最近は作務衣なんぞ着ているものだから、見た目は坊さんに見えなくもない。
自分で生臭坊主と名乗っており、それもやっぱり生なのかと思う今日この頃である。




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