あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

トラベルの語源はトラブル

2011-12-29 | ガイドの現場
今回の仕事は同じお客さんを二日続けてのサービス。
1日めは空港到着からハンマースプリングスへ行きホテルへ。
2日めにホテルからテカポへ移動。
両日とも車1台チャーターである。
ハンマースプリングスはクライストチャーチから日帰りで行ける温泉リゾートである。
温泉といっても日本の温泉とは違う。
温水プールにジャグジーといった雰囲気の場所だ。
お客さんがスパに入っている間、ボクも指をくわえて見ているのではつまらない。
久しぶりのハンマースプリングスなのでボクも入ろうと思い、水着とタオルを持って仕事に向かったのだがそうそう上手くはいかないのが世の常である。



オフィスからそろそろ空港へ行こうかなと思った時に大きな地震があった。
この日は女房もボクも仕事なので、娘をボスの家に預けていた。ボスの所には同じ年頃の娘達がいて、深雪も仲良しである。
ボスの家はオフィスを兼ねており、オフィスの中は書類が棚からぼたぼたと落ちる有様だ。
庭で遊んでいた娘達の様子を見ると、暢気にトランポリンで遊んでいる。
地震があったことは気が付いたようだが、怯えることなく遊び続けている。それで良し。
家の中をチェック。水、電気、通信は正常。落ちて壊れたものもない。
空港がどうなっているのか分からないが、飛行機の到着時間なのでとりあえず空港に向かった。
空港はクローズ。空港利用者も空港スタッフも皆、外に出て避難をしていた。
たまたま出会った友達に話を聞くと、滑走路のチェックをしているので1時間ぐらいはかかると言う。
彼女はクリスマスホリデーに家族とオークランドへ行くところだったそうだ。
「でもいい天気で良かったよね」
「ホントホント、これで雨なんていったら目も当てられないよね」
この日のクライストチャーチは抜けるような青空。避難している人も芝生に座ったりしてのんびりとおしゃべりをしている。
地震はあったが天気は人間に味方してくれたようだ。
さて飛行機は着陸できないようだし、ボクがここにいても仕方がない。
オフィスに戻り、情報を仕入れるとどうやら飛行機はダニーデンへ行ってしまったようだ。
国際線なのでダニーデンで入国手続きをするようだ。
そして次の情報が入ってきた。
ダニーデンからのフライトは午後8時20分。
これでハンマースプリングスもなくなった。まあそういうタイミングなのだろう。
夜、空港へ行くと飛行機はさらに遅れ9時半になり、結局お客さんが到着したのは10時近かった。



いつものことながらお客さんと会うまではどんな人が来るのか分からない。
知らされているのはお客さんの名前と到着便だけである。
今回は最初の到着予定より8時間近く遅れての到着だ。
最悪のシナリオは遅れたことに腹を立てたお客さんがガイドに当り散らすことであるが、お客さんのKさん一家はそんなそぶりはみじんも無く、長時間の待ちで疲れているであろうに出迎えたボクをねぎらう言葉までかけてくれた。ありがたやありがたやである。
Kさん夫妻はボクより少し年上だろうか、大学生と中学生の娘さんが二人。聞くとシドニー在住でクリスマスホリデーにニュージーランドに来たという。
「地震の影響はありましたか?」
「はい、ここにもあります」
空港通路には地震で天井が落ちた場所もあり、テープが張り巡らされている。生々しい現場を娘さんが写真に撮る。
荷物の受け取りでは、奥さんと娘さんはスーツケースを持ってきたが、お父さんはバックパックである。山の人かな。
そのお父さんに自己紹介で「聖といいます」と言えば「聖岳の聖ですね」と返ってくる。
以前は山をやっていたと言い、冬山の経験もあるそうな。
こうなると話は早い。すぐにうちとけ、ホテルへ向かう車の中でも話は弾む。
翌日の朝は近くにあるマーケットに寄る約束をして長い1日を終えた。



翌日は朝から快晴である。
朝ホテルを出てすぐ近くのリカトンブッシュマーケットへ行った。
今日の行程はテカポへ行くだけで時間の指定も無い。
お客さんと話して『全て良きにはからえ』というやつだ。アドリブが好きなボクが最も得意なのはこういうツアーだ。
昨日は地震というハプニングでクライストチャーチに着いたのは夜遅くだ。
それならば土曜日の朝にだけ開かれるマーケットを覗くのはベストな選択だろう。
リカトンブッシュのマーケットは売られている物のレベルも高く、美味い物が並ぶ。
行程を考えて、その場その場で最高の選択をしていくのはガイドの腕の見せ所だ。
そこにあるもので最高の物をだしておもてなしをする茶の心に通じていると僕は考える。
案の定、Kさん一家はこのマーケットをたいそう気に入ってくれて、オリーブとかサンドライドトマトなどのおつまみ系を買い込み、スープやパン、コーヒーにクレープといった買い食いを楽しんだ。
奥さんが言った。
「ここの物は美味しいわね。シドニーで売っている物より美味しいわ」
こういう言葉を聞くと嬉しくなってしまう。ニュージーランドに対する最高の誉め言葉だ。
その奥さんが川辺の鴨を見て言う。
「かも、カモーン」
ええええ~?、そんな親父ギャグを言っちゃうの?この人は。
旦那さんも娘さんも何も反応しないところを見ると、この家庭では当たり前なのだろう、きっと。
そんなギャグが出るぐらいリラックスして楽しんでいるということだ。



クライストチャーチを出てからのドライブでも話は弾む。
旦那さんとは山の話で盛り上がるし、奥さんとはお酒の話で盛り上がる。
この奥さんはかなりのお酒好きらしく、こんなことも言い出した。
「聖さん、今日の宿へ行く途中でどこかでお酒を買えないかしら。せっかく美味しいおつまみを買ったのだからワインを買いたいわ。お勧めのワインでも教えてもらえないかしら」
「いいですねえ、それなら途中のスーパーに寄ってワインを買っていきましょう」
こういうリクエストは大歓迎だ。
ボクが逆の立場でもそう考える。それをかなえてあげるのがガイドの仕事だ。
ジェラルディンで昼食。天気も良いのでベーカリーでパンを買いピクニックランチだ。
街外れにはタルボットフォレストという原生林がある。カヒカテアの森だ。
おあつらえ向きにピクニックテーブルがあり、ボクのお気に入りの場所でもある。
カヒカテア、トタラなどの大きな木が低いブッシュの中に点在する。
鳥は多く、鳥の鳴き声がにぎやかだ。
「どうですか?食後にこの森を散歩しませんか?」
「それはいいですねえ、ぜひ行きたいです。」
ボクは森の入り口まで案内して言った。
「この道をずーっとまっすぐ歩いてください。普通に歩いたら5分ぐらいなのでゆっくり歩いてください。僕は反対側の出口で待っています。」
こういうガイドの仕方もある。
距離にしたら数百メートルだが、森の中に身を浸すというのはそれだけで気持ちの良いものだ。
そしてこの国にはこういうショートウォークは山ほどある。
そしてこういう何気ない散歩道の中にこの国の良さがある。
その後ジェラルディン名物、カピティのアイスクリームを皆で食べ、一路テカポへ。



テカポでも晴れ。湖の青さに感動である。
湖畔を散策してホテルチェックイン。来る途中でワインも買い込んできたし、ボクの仕事はここまでだ。
ホテルのテラスから湖が一望できる。
「どうですか?今晩はこの景色をつまみに一杯やってください」
「あら~いいわねえ。聖さんも一緒にやれたらいいのにね」
「ねえ、ボクもそうしたいんですが、なかなかそうもいかないのでね。ボクはここでお別れです。」
「そう。さびしくなるわ」
ありがたいお言葉である。
ボクもこの家族と一緒に旅を続けられたらどんなに楽しいかと思うのが本音だ。
だが全ての出会いに偶然はなく必然であるように、別れも必然である。
ただし出会う前と後で違いは、深い所での心の繋がりである。
短い時間でもそれが出来たと僕は感じる。
今回は地震というハプニングがあり、予定が大幅に狂ったが、自分としては最高の仕事が出来たと思う。
トラベルの語源はトラブルである。
そのトラブルを一つ一つ乗り越え、その状況でのベストの選択をしていけば、どんな旅も楽しいものになる。
そう考えると人生も一つの旅ではなかろうか。
その晩、Kさん一家が湖を見ながらワイングラスを傾けるのを想いながら、僕はビールを飲んだ。

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オノさん

2011-12-25 | 
ご馳走の翌日、山小屋と僕はオノさんの所へ向かった。
オノさんは近所に住む整体師で、数年前に運命的な出会いをして以来のつきあいである。
1年に1回か2回、シーズンが始まる前に僕はオノさんにボキボキとやってもらう。
昔スキーパトロールをやっていた時に腰を痛めてしまい、時々腰が痛くなるのだがオノさんにやってもらってからは大分腰の具合も良くなった。
今は体のメンテナンスの意味も含め、オノさんの所へ僕は行く。
オノさんは言う。
「悪くなってから治すのは大変だけど、良い状態で来てくれればちょっとやるだけで良い状態をキープできるからね」
人間は体の調子が悪くなって、初めて健康のありがたさに気づき人に診てもらう。
医者も悪い所だけを診て、それ以外の所は見ない。
だがこれからの世界ではあらかじめ悪くならないよう自分の体と向き合う予防医療というものが必要となるだろう。
そういう意味ではオノさんは一歩進んだ医者と呼べるのではないか。

山小屋は11月の初めから1ヶ月半かけて自転車で南島1週、いったい何千キロになるのか知らないが走ってきた。
体の疲れもピークに達していることだろう。
さらに日本へ帰ってすぐにスキーの仕事が1週間ほどぶっ続けで入っていると言う。
それならば疲れをほぐすのと体のメンテナンスの意味も含めやってもらうタイミングだろう。
僕も新しい仕事が決まったと思ったら、あっという間に忙しくなり夏のシーズンに突入した。
お互いに体が資本の商売である。
というわけで山小屋が帰国の日、オノさんにお願いをして予約を入れてもらった。

朝指定された時間に、僕と山小屋と深雪の3人はオノさんの家へ向かった。
去年までは近くでクリニックを開いていたが、今は自宅でやっている。
オノさんの家へ行くのは初めてだ。
大きな木がある素敵な家だ。その家の一部屋が今クリニックになっている。
「さて、どっちからやるかね?」
「オレはどっちでもいいよ」
「オレも、じゃあじゃんけんで決めよう」
その結果、山小屋からやることになった。
僕はその間、話しをしながら山小屋がううとかああとか呻きながらマッサージをされるのを見ているのだが、その時になって後悔した。
先にやってもらえばよかった。
何回もオノさんにやってもらっているので、手順も分かるしどれが痛いのかも分かる。
その痛いのはこうやってやってるのか、そして次は自分か、などと考えると気が重くなる。
痛さは恐怖である。そして恐怖は待っている間に増していく。
「あ~あ、先にやってもらえばよかったなあ」
「そうそう、バンジージャンプなんかもね先に飛ぶのがいいんだよ。」
山小屋がボキボキやってもらい、次はいよいよ自分の番である。
痛いのが来るぞ、という恐怖はマックスに達していて心の準備も万端である。
そこにオノさんが追い討ちをかける。
「さて今日はもう二人こなして、小野英志朗、ただいま絶好調です。」
「いや、あの、オノさん、そこまで気合入れなくていいです」
「ダメダメ、今日は思いっきりやるからね。さあいくぞ」
背中をグリグリと押され、ボクは歯を食いしばって耐えるのだがすぐに悲鳴をあげる。
「いたたたたたた、痛い痛い」
「そうか痛いか、痛いだろうな、ここ」
「あいたたたたた、そこそこ、そこ痛い」
そして力を抜く。
「はああああ。あの、オノさん、今日はなんか力が入ってないスか?」
「そうか?いやね今日はなんか調子いいんだよね」
そして首の辺りをグリグリ。
「あいたたたたた」
「これは後のお楽しみだな」
「ええええ?そんなあ。」
この人は絶対楽しんでやってる。
その証拠に痛いつぼがあると嬉しそうに言うのだ。
「あ、見いつけた。ここだ。ここ。これは痛いよね」
そしてグリグリ。
この人は絶対Sだ。そして痛いのを承知で喜んで来る僕たちはMなのだろう。
「いたたたた。あのお、オノさん。山小屋の時より押してる時間が長いような気がするんですが・・・」
「そうかあ?最近年を取ると数を数えるのが遅くなってな。若い時はいち、に、さんだったのが、い~ち、に~い、さ~ん、てな」
「あいたたたた、分かったから早く数えてください」
そして観客へのサービスも忘れない。
「ほら深雪ちゃん、パパがやられているところを写真に取ってあげな。こうやってここを押すと足が持ち上がるから」
「いたたたた」
悔しいがオノさんの言うとおりになってしまう。娘が携帯のカメラでパシャパシャと撮っているが、ボクは何もできない。
このころになると、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。体は力が入らなくてぐにゃぐにゃである。
そしてなすがままにボキボキとやられ痛いのは終了。
あとはマッサージチェアでリラックス。
終わったあとのおしっこが気持ちよい。
体の中の老廃物が洗い流される気がする。

この日の仕事はこれでおしまいということで、ビールをふるまってくれた。
庭にはブラックカラント、黒すぐりがたわわになっている。
「それ持っていきなよ。どうせ鳥に食われちゃうんだから。目にいいんだよ」
山小屋とビールを飲みながら黒すぐりを採る。
これでジュースでも作ろうかな。
その後で一緒に近くのパブでお昼を食べる。
シーフードチャウダーが絶品である。
オノさんのマッサージは痛い。痛いが必ずその後に良くなる痛さである。
病気などの先が見えない不安になる痛さではない。
だが全ての人がこれを受けに来るかと言うとそうではないと思う。
やはり痛いのは嫌だという人はいるだろう。
そういう人は別のところへ行けばいいのだ。
道はいくつもあり、こうでなければいけないということはない。
それでもこの痛さを承知で来る人は、自分の体を自分で治そうという強い意思がある。
このブログを読んでオノさんのところへ行った人も何人かいるそうだ。
そのお礼でサービスなのか、オノさんはボクの時にはゆっくりと数を数えながらやってくれる。
喜んでいいのかどうか複雑な心境だ。
山小屋はその晩にすっきりした顔で日本へ帰っていった。
ヤツには雪山が待っている。
ボクも体が軽くなり再び仕事に戻った。
そしてやっぱり今回も締めの言葉はこれだ。

行けば分かるよ。
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ご馳走

2011-12-23 | 
僕の友人というか兄弟分というか、山小屋と呼ばれる男がいる。
北海道でガイドをやっている人なのだが、毎年この時期になるとニュージーランドへやってきて、南島一周、一ヶ月以上かけて自転車でまわる。
今年も11月頭から12月半ばまで、ぐるりと南島を回ってクライストチャーチへ戻ってきた。
彼が帰国する前日、共通の友人であるアキラ家族を招き晩餐会を開いた。
この地の美味い物を集めた夕食は、軽くブログ一回分の話になる。
どれも一品だけでもメインになる実力者を集めた、食のオールスターである。
贅を極めた宴、とくとご覧あれ。



まずは前菜に庭のソラマメ。
冬が来る前に植えたソラマメは背丈以上に育ち、大きなマメをたわわにつけた。今が旬である。
これはシンプルに塩茹で。ビールに良く合う。
アキラ達の末娘ワカがソラマメを喜んで食べる。
子供が健全な食べ物を美味しい美味しいと喜んで食べる姿は、この世の宝だ。
そしてサーモンの刺身。
前回の仕事でクィーンズタウンに行った帰りに1匹買ってきて捌いたものだ。
時間が経って捕れたばかりのコリコリ感はなくなったが、その分肉の旨みが出ている。
皮はパリっと焼いて塩を振り、皮せんべい。
間引きを兼ねて畑で取ったばかりのニンジンはスティックにして、ネルソンの友人、味噌屋ゴーティーの新製品ミソマイトで食べる。
お次は鹿肉のたたき。
表面を焼いて中は生。薄切りにしてニンニク醤油。
ニンニクは今年の初物。庭で取れたばかりのものだ。
鹿肉は火を通しすぎるとパサパサしてしまう。
表面を焼いただけのたたきが一番美味いと僕は思う。
鹿はあまり癖がなく、馬刺しに近い。だが馬とは違う風味がある。
生肉の味に採れたてニンニクのピリッとした辛味が合う。



サラダは庭のレタスのグリーンサラダ。きゅうりとニンジンのスライスを加える。
サラダに使ったレタスは3種類。丸く玉になるお店で売られている種類のレタスに、葉っぱが縦長に伸びるコスと呼ばれるレタス、そして名前は知らないが葉っぱがギザギザのサニーレタス。
ニンジンも庭で採ったばかりのヤツだ。
お好みでひまわりの種を炒ったものをパラパラと振る。
ドレッシングは自家製和風ドレッシングと、味噌屋ゴーティーが作った新製品味噌ドレッシング。
ミソドレッシングは初めて食べたが、酢の酸味と麹が生きてる生ミソの風味がバランス良く合っている。
ゴーティーが作る物はいつもいつも完成度が高い。センスがあるというのはこういうことを言う。
こういう友人を持って幸せだ。

そして本日のメインイベント。ラム肉の焼き物。
ラムラックと呼ばれる骨付き肉は、柔らかく癖がなくジューシーで旨い。
この部位が一番旨く、その分値段も高い。
キロ当たりの値段は牛のヒレ肉よりも高く、ニュージーランドでは一番高い肉だ。
これは食べれば分かるが、高いのは当たり前という味である。
お金をかけなければ味わえないものもある。お金はこういうときの為に使うべきだ。
この肉も焼き過ぎ注意。表面はカリっと薄く焦げ目をつけ中は半生。
下味に塩コショウ。そこに醤油を一滴垂らして食べる。
肉はこれほどまでにと言うほど柔らかく、羊臭さは一切ない。
山小屋の大好物がこれだ。
思えばもう何年前になるか、初めてヤツとクィーンズタウンで会った時、ユースホステルの庭で七輪でこの肉を焼いてご馳走した時から、僕達の繋がりが始まった。
北海道にはジンギスカンという羊料理はあるが、こんなラム肉はないそうだ。



さらに我が家の餃子。
家で取れたシルバービート入りの餃子はニュージーランドで一番美味いと僕は豪語するが、それは女房が作る餃子である。
この日は女房が書いてくれたレシピで僕と山小屋がタネを作ったが、僕達は餃子を包むセンスがない。どうしようもなくヘタクソなのだ。
なので遊びに来たアキラ夫妻に包んでもらい、それを仕事から帰ってきた女房に焼いてもらった。
餃子というのは奥が深く、タネに入る肉と野菜のバランス、皮を包むときのバランス、そして焼き加減。全てのバランスが整い一品が出来上がる。
女房が作るとそれらのバランスが絶妙で、ニュージーランドで一番美味い餃子となるのだが、今回は製作者がバラバラだったため、普通に美味い餃子となった。

そこにアキラが気をきかせて鳥のから揚げなぞも持ってきてくれた。
アキラも自分で色々作る人で、この前は自家製牛タンの味噌漬けをいただいた。彼もなかなかやるのだ。
このから揚げもシンプルに美味くビールがすすんでしまう。
美味い物が所狭しとテーブルに並ぶ。
こんなのは一年に一回あるかないかの大ご馳走である。
ラム肉や鹿肉は確かに美味いが、こんなの毎日食べたら金がかかってしょうがない。
そんな話をしながら食べ初めて、これは話のネタになると気が付いた。
そして全員にストップをかけあわてて写真を撮ったので、皿の料理がみんな中途半端なのだ。
酒はビールから赤ワインへすすみ、また赤ワインがシンプルな肉料理に合ってしまい、箸は止まらず。
アキラ夫妻には6歳と3歳の娘がいるのだが、子供は別テーブル。
深雪がお姉さん気取りで下の娘の面倒を見ているので、大人も落ち着いて飯が食える。実によろしい。
食べ終わった骨付きラム肉の骨は、犬のココアが喜んでしゃぶっている。
美味い物は人を幸せにして、幸せの輪はこの家を包む。



そこにある物で、自分が手に入れられる物で最高の物を出すというのが、和食の真髄である。
闇雲に高い食材を並べればいいというものではない。
安くても美味い物もあるし、高い金を払う価値のある物もある。
庭の野菜達は手間がかかっているが、お金はかかっていない。だが今が旬であり一番旨い物だ。
ラム肉や鹿肉は値段が高いが、この辺りでは一番旨い物だ。
値段が高い安いというのは人間の世界のこと。
仏の前では全て大地の恵みである。
そこで最高の物を出すというのが真のもてなしの姿だ。
特に6週間かけて南島を一人で自転車で一周した友の、ニュージーランド最後の晩餐。
こいつに旨い物を食わせたいという想いからこの日の宴が決まった。
そして人間は色々なものを食いたいものだ。
どんな旨い物でも一品だけを食っていたら飽きてしまう。
人数が集まれば何品も取り分けて楽しめる。
それに飯は大勢で食うほうが美味い。
一人でずーっと旅をしてきた山小屋はこういう食事に餓えていたことだろう。
さらにヤツは帰国の翌日から1週間ぶっ通しでスキーツアーの仕事が入っているという。
ならなおさら美味い物を食わさねば。
それが僕の愛だ。
同時に自分も美味い物を食いたいという気持ちがある。
自分が幸せでなかったら人を幸せにはできない。
そして幸せは少ない人数で味わうより、大人数で味わう方が良いのだ。



デザートは熊本名産 陣太鼓。アキラの奥さんのアイは熊本出身なのだ。
僕はこのお菓子をはじめて食べたがこれも美味い。
ならば静岡の新茶をご馳走せねば。
和菓子と緑茶とは何故こんなにも相性が良いのだろう。
子供達はアイスクリームとブルーベリー、ストロベリー。
そこにある物で最高のものを。
世界にはいろいろな種類の食べ物があるが、素材や調理法や料理の国籍にこだわらず、人をもてなす茶の心。
これこそが日本が誇れる食文化なのだと思う。
そして今宵もまた美味い物、美味い酒、良き友に囲まれて、幸せなのである。
ありがたやありがたや。

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期間限定 大聖堂広場ウォークウェイ

2011-12-19 | 日記


ニュージーランドの山歩きのコースは、道の手入れの状況で呼び方が変わる。
難しい方から、アンマークド・ルートは、呼び名の通り目印も何も無く地形や地図を読む能力が必要である。道と呼べるものはなく、踏み跡があればラッキーだ。
マークド・ルートになるとケルンやオレンジマーカーが心細くなる間隔で現れる。道は整備されているわけではないが、踏み跡はかなりはっきりと出てくる。
これらはバックカントリー扱いで道は険しく人は少ない。ルートに入る時にはそれなりの装備と覚悟が必要だ。
次にトランピング・トラック。これは人の手が入った山道である。どれぐらい整備されるかはトラックの人気次第である。目印や看板は必要な所にあり、階段やはしごをかけている場所もある。
晴れていればどれも問題なく歩けるが、天候により増水、雪崩、がけ崩れ、などで通行不能になることもある。
そしてウォーク・ウェイ。
これは歩道で山道とはちょっと違う。道は良く整備され平坦で、感じとしては散歩道といったところだ。
街の中の散歩道や小道、国立公園の中でも気軽に歩ける遊歩道がこれである。
距離も短く10分ぐらいのものから長くて1~2時間ぐらいが普通だ。
だが南島のルイスパスには2泊3日で歩く、ニュージーランドで一番長いウォークウェイがある。
山道に慣れていない子供と歩くのにはいいのではないかと思う。



クライストチャーチに最初の地震があったのが去年の9月。
そして今年2月、6月の地震で街の中心部は壊滅的な被害を受けた。
街のシンボルでもある大聖堂も3回にわたる地震で本堂の壁は崩れ尖塔は崩れ落ち、取り壊しの運命となる。
工事が始まる前に、市民が大聖堂にお別れを告げる意味合いも含め、期間限定のウォークウェイが現れた。
それがCathedral Square Walk Wayである。
閉まる直前の週末、家族と一緒に歩いてみた。
最近オープンしたCashel streetのモールに入り口はあり、セキュリティがいて入る人の数と出る人の数をチェックしている。
Colombo street沿いに大聖堂広場まで、両側フェンスに挟まれたウォークウェイだ。
入り口には注意書きがある。
このエリアに入るのはあなたの判断です。先ずこれを読みなさい。あなたの判断、にはアンダーライン付だ。
地震などがあれば、あなたはケガをするかもしれないし生きていないかもしれない。それを承知で自己責任で入りなさい、という注意書きだ。
大げさな、と思うかもしれないが、取り壊しが決まっている建物のそばを通るのである。地震があれば窓ガラスが割れて空から降って来るかもしれないし、道路を挟んであるとはいえその建物自体が崩れるかもしれない。
街の中でも100%の安全というものはない。
安全とは人が用意してくれるものではなく、自分で確保するものなのだ。
それを理解しない人は入るな、と暗に訴える。
こういう突き放したスタンスは好きだ。



さっさと歩けば数分の距離をゆっくりと歩く。
街の中心部は2月の地震以来封鎖されていて、復興は進んでいるとはいえ地震の爪あとはあちこちに残っている。
交差点では見通しが良いので、皆カメラで写真を撮っている。
そこからは高層ビルディングが解体されているのもよく見えるし、がらんとした通りも見える。
女房が言った。
「私が地震の時にあそこに居たって言ったら、みんなびっくりするかなあ」
「そりゃびっくりするでしょ」
女房が働いていた建物がそこからはっきりと見える。茶色い建物の最上階、ガラスに囲まれた場所だ。よくぞまあ無事でいてくれたと思う。
フェンスの向こうは無人の町並みが続いており、そこで人々が普通に暮らしていたというのがはるか昔のようだ。
今、この場所で「地震の時にあの場所にいた」などと言おうものなら、周りの人々は集まってきて話を聞くだろう。
それぐらいにフェンスの向こうは別世界であり現実感がない。



先へ進むと大聖堂広場へ入り、大聖堂の正面で行き止まりである。
僕は地震の後、車で1回だけここを通った。
女房のオフィスの物を運び出すために、立ち入り禁止区域に1回だけ入る機会があったのだ。
その時は車の中からこの景色を眺めてのだが、自分でこの廃墟のような雰囲気を肌で感じると、また違うものがある。
ノスタルジックな思いに浸るわけではないが、崩れた大聖堂を見ると感無量というか、うーんという気持ちになる。
こんな僕でさえそうなのだから、この建物が崩れたことによるクライストチャーチ市民の心の痛手はとてつもなく大きいことだろう。
僕は崩れた大聖堂を何枚も写真に撮り、そしてよく見て自分の心に焼き付けた。
人間でも動物でも生き物は全て死ぬ。
世の中に不変の物は無く、形ある物はいつか崩れる。
さればこそ生きている今が大切なのだし、物が形をとどめている今この瞬間が大切なのだ。
僕だって地震が来るまでは普通に大聖堂を見て、まさかこの建物が崩れるなんて考えもしなかった。
人は失って初めてその物の大切さを知る。
さらば大聖堂よ。
お前はクライストチャーチ市民の心の中で立ち続けるだろう。

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どんどんやりなさい。

2011-12-14 | 日記
クラブフィールドに出入りするようになって数年。もう十年以上前の話である。
僕はパートナー(といっても女の子ではない)のJCと、昨日はあっち今日はこっちというようにパウダーを追い求め毎日のようにクラブフィールドで滑っていた。
僕たちはクラブフィールドにぞっこん(死語)、いかれてしまっていたのだが、当時はクラブフィールドの存在自体知られておらず、ましてや日本人をここで見ることが珍しかった。
日本人スキーヤーやスノーボーダーたちはたくさんいたが、ほとんどの人はマウントハットやクィーンズタウンの辺りのスキー場から外に出ない中、クラブフィールドに通う僕たちは変わり者だった。
ニュージーランドに居る日本人で、と狭い枠で囲ってしまうのもなんだが、そんな日本人の中では僕たちはクラブフィールドのパイオニア的存在と言ってもいいだろう。
当時はまだファットスキーが出始めたばかりで、山スキーはあったがそれはパウダーという快楽を追求するより、冬山の移動の手段とか冬山登山の一部のようなところが強かった。
バックカントリースキーという言葉も定着していなく、当然雪崩の知識も少ない、今では当たり前になっている雪崩ビーコンも出始めたばかりの時だ。
自分達が年を取っていく中で、次の世代が出てこない寂しさのようなものがあった。
「俺達はこうやってクラブフィールドに出入りしてるけど、後の世代が来ないなあ」
「んだどもやあ。でも、どういうやつが出てくるのか楽しみだな」
「んだんだ」
「今、クラブのメンバーになれば日本人初のスキークラブメンバーになれるぞ」
「そりゃ面白そうだな」
そんな話をしながら毎日あちこちのクラブフィールドへ通っていたのだ。
なんてことは無い、数年後には冗談で言った話が実現してしまうのだが、当時僕はまだNZと日本を行ったり来たりしていて、日本人という枠からも抜け出ていなかった。
そしてパウダーを追い求めるバックカントリースキーも今では市民権を得ているが、当時はまだ一部の人の間でしか知られておらず、日本でパトロールをやっていても時代より一歩先を歩いてしまった感じは常にあった。

年は過ぎ僕がブロークンリバーをホームと呼ぶようになった頃、トモ子が現れブロークンリバーの中で居場所を確立していった。
トモ子の話も充分面白いのだが、今回書きたいのは彼女の話ではない。
若きアウトドアマン、タイの話である。
僕がスキーのガイド会社を始めた頃、タイから電話がありクラブフィールドで仕事をしたいというような話を聞いた。
その時の僕は自分の事で精一杯で、とても人の面倒を見てあげられるような状態ではなかった。
僕は日本にいるJCの連絡先、僕もパトロールをしたことがあるシャルマンというスキー場のことをしゃべりそっけなく電話を切った。
まあていよくJCに押し付けたのだ。
その後ヤツは日本で経験を積み、NZに戻ってきてブロークンリバーでパトロールもするようになった。
そしてどういう縁か、西海岸のフランツジョセフで氷河ガイドの仕事を探してきた。
その話を聞いた時に僕は言った。
「それはいい、どんどんやりなさい」
何も分からずにクラブフィールドに入り浸り始めた20代の自分と、全く日本人が居ないような西海岸の街で日本人初の氷河ガイドになるタイの姿が重なった。
JCと話していた、次の世代に出てくる面白そうなヤツとはタイのことだったのだ。
それ以来、僕がヤツに言う言葉は「どんどんやりなさい」それだけである。

その後も自分は年を重ねていき、自分より若いアウトドアマン達に出会うことも多くなった。
ブロークンリバーで2シーズンを過ごし、スノーボードのプロの卵から、卵が孵ってプロとなったコージ。
ルートバーンのガイドからスイスのトレッキングガイドも始めるようになったサダオ。
チャリンコで世界一周中のリオ。
西海岸のDOCで働き、最近はマッサージ師にもなろうとしているキミ。
そして最近では自分より二回り下の世代、二十歳ぐらいの人たちとも出会うようになった。
つい最近では、これから専門学校に行くというガイド志望のシンと出会った。
僕のところに来る人は、人に依存することなく自分で色々なことを決め、それを報告しに来ることが多い。
ぼくはいつも「それはいい、どんどんやりなさい」と言う。
無責任な、と言われるかもしれないが、その通り僕には責任は無い。
責任はその選択をした個人が取るべきだ。
僕の考えでは、その人が決断して取った行動が常に正しい。
世の中には色々な選択がある。
何を選ぶのも自由だし、何を選ばないのも自由である。
ただし自由というものの裏には常に責任がつきまとう。
本人が選択して失敗するとしよう。それは表面上は失敗かもしれないが次の成功に繋がる大切なものなのだ。
僕も今までに数々の失敗をした。だが後悔したことは1回もない。
その上に今の僕がある。

最近の傾向なのか、色々と聞く人が多い。
これは失敗することを恐れる気持ち。そして自分で決断することを避ける気持ちからそうなる。
幸い僕のところに来る人でそういう人はいない。
先ず僕は他人に、「ああしなさい」とか「こうしなさい」とか「これをやった方がいいよ」などとは言わない。
「家の手伝いをしろ」と娘に言うが、それは別のレベルの話である。
やるなら僕が言わなくてもやるだろうし、やらないなら僕が言ってもやらない。
いくらいい方法があったとしても、本人がその気にならなければ何も始まらないからだ。
「どうすればいいでしょうか?」
と問われれば僕はこう言うだろう。
「そんなの自分で決めろ」
自分で答を出すことを恐れ、人に判断を委ねようとする人は僕の所には近寄れない。
「あの人がああ言ったから自分はやった」という人は失敗すればその人のせいにするだろう。
それよりも失敗するリスクを知りつつ、なおかつ自分の心の中の光に向かって自分で道を切り開く人が集まってくる。
こういう人は皆明るく光り輝いている。
失敗してもそれを失敗と考えないか、もしくはその失敗を元により大きな栄光を得ることだろう。
「最近の若い者は・・・」とはおっさん達がよく言う言葉だが、若い者の中でもやるヤツはやるのだ。
今やおっさんとなった自分の楽しみは、そういうやるヤツと一緒に酒を飲むことである。

若い時に迷いは付き物である。
僕もさんざん迷いはあった。
迷うことは悪い事ではない。ただ迷いの中にいると苦しいのも事実だ。
そこから逃れるために人は聞く「どうすればいいのでしょう?」だが誰に聞いても何も始まらない。
先ず情報を仕入れること。嵐が来るという情報があってもそれに耳を傾けず、小船で大海に漕ぎ出すのは自殺行為だ。
だが情報の渦に飲まれ本質が分からなくなってしまうことも今の世の中には多々ある。
自分の感覚を研ぎ澄まし、何が大切で何が偽りか見極める努力を怠ってはならない。
そして次のステップ、自分で決める。これが一番大切。
さんざん迷った末に、自分で出した答。これが常に正しい。
どんな結果が来ようと自分の責任として受け入れ、全てを肯定的にとらえる覚悟がある。
そこには失敗というものはなく、全てが経験という財産なのだ。
そういう意味を含めての「どんどんやりなさい」なのである。

今やタイは、山の技術や経験でも僕よりはるか上に行ってしまい、アウトドアのことでは僕が教えることは何もない。
ヤツは僕の言いつけを忠実に守り、どんどん面白そうなことをやっている。
ヤツのブログを見れば羨ましいことばかりである。
僕はめったに他人のことを羨ましがらないが、ヤツの生活は素直に羨ましい。
僕の夢である「リムの森に住む」ということを実現しているからだ。
だが僕がやっていることだって、他人から見れば羨ましいということもある。
世の中はそういうふうにできているらしい。
僕が若い時に出会った大人は理解のある人も多少いたが、大半は自分の狭い考えを押し付けるような人だった。
大きな力で背中を押してくれるような人には出会わなかった。
ならば自分がそうなろう。
タイに限らず、自分の道を自分で切り開いて行こうという若き世代が、僕の言葉が心の支えになるというならば喜んでその役を引き受けよう。
マオリの父方の神、イーヨ・マトゥアが「お前は何も間違っていない、そのまま前へ進め」と僕の背中を押してくれるように、僕は幸せの波動で彼らの背中を押す。
そしてこれからも言うだろう。
「どんどんやりなさい」
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マッケンジーカントリー釣り三昧 後編

2011-12-09 | ガイドの現場


ツアー四日目、この日の予定はテカポからワナカへ移動。移動の途中の湖で船を出し釣りをする。
ボクはMさんをワナカへ送るまでが仕事だ。
朝、釣りのガイドのグレッグと出会い、レイク・ベンモアへ。
そこで船を出し、いざ釣りへ。
去年もここでやったが水が濁っていて1匹も釣れなかったそうな。
釣り初めて30分、トローリングという船をゆっくり走らせルアーを泳がせてやるやりかたで30cmほどの虹鱒が釣れた。
ガイドのグレッグがほっとした顔をした。
そりゃそうだろう。去年は1匹も釣れず、今年もそうだったら面目丸つぶれだ。
高いお金をもらっているのだからプレッシャーもかかるだろう。
そう考えると釣りのガイドというのは大変な仕事だな。
などとのん気に構えていたのだが、この後ボクもプレッシャーの渦に巻き込まれようとはこの時には思ってもいなかった。



場所を変えて再びトローリング。
トローリングの時には2本か3本の竿でルアーを流す。
当たりがあったらお客さんがそれで魚を釣り、他の竿は糸がからまないようにリールを巻き上げる。
竿が大きくしなった。お客さんはその竿でリールをまき始めた。
ボクもじゃまにならないよう、もう一本のリールを巻く。
だがその時は底の枝か何かが絡んだようで魚ではなかったようだ。
なあんだと思い、ボクももう一本のリールを巻きあげると、なんと魚がかかっているではないか。
どどど、どうしよう。
今さら「はいどうぞ」と渡すわけにもいかず、そのままあげてしまったが、これには困った。ほとほと困った。
はるばるニュージーランドに釣りに来たお客さんを差し置いて、全く釣る気のないボクが釣ってしまうとは。本当に困った。
しかも35cmぐらいのブラウントラウト。さっきお客さんが釣った魚よりも大きい。
言い訳をするようだが、魚が糸を引っ張ってブルブル震える感触とかそういうのが全く無かったのだ。糸をスルスル巻いていったら魚がそこにいたのだ。
グレッグがボクの肩をポンと叩いて言った。
「This is fishing」
そんな事、言ってもなあ。
Mさんが言った。
「これが釣りだよ」
いやはや、参った。
まあ釣ってしまったものは仕方がない。過去は過ぎ去ったものだ。
こうなったらMさんにこれより大きな魚を釣ってもらわないと。



その後、いろいろと試したが当たりは無し。
お昼は島に上陸して、グレッグ特製のサーモンバーベキューをご馳走になる。
誰もいない小さな島、青い空、青い水、無風快晴、遠くには白い雪を載せた南アルプスがくっきりと見える。
ロケーションは最高だしバーベキューも美味いのだが、釣ってしまった後ろめたさが心に引っかかる。
午後も場所を変えたり仕掛けを変えたりしていろいろと試す。
ボクは湖の神に祈った。どうか1匹でもかかりますように。
だがボクの祈りもむなしく時間だけが過ぎていく。
そしてついにタイムアップ、時間切れ。
僕達は魚2匹をクーラーボックスに入れ、レイク・ベンモアを後にした。



ワナカへ行く途中、川原にルピナスが群生している場所がある。
車も停めやすく写真ストップに使う場所だ。
Mさんに話すとちょっとだけ寄って釣りを試したいと。
Mさんはサンダル履きのまま川原へ。ボクはその辺をブラブラし雲を眺める。
15分後、片手に魚をぶら下げてMさんが車に戻ってきた。
大きな虹鱒である。
「うわあ、すごいすごい。やりましたね」
「うん、水が濁っていて釣れるとは思わなかったけどね。ねえ、もう1回試していい?時間は大丈夫?」
「大丈夫ですよ。行きましょう」
ボクもカメラを持ってついて行く。
先ほど釣り上げたというポイントで再びトライ。確かに水は濁っている。
何回か試すうちに竿が大きくしなった。
「来た来た」
ボクは興奮して叫び、Mさんは魚を釣りあげる。
今回は45cmぐらいのブラウンだ。2kgぐらいはあるかな。
Mさんがニカっと笑う。
これこれ、この笑顔、お客さんのこういう顔を見たくてボクは仕事をする。
釣れなくても竿を振っているだけで幸せになれる、とは旧友の言葉だが、釣れればもっと幸せになれるのは間違いない。
お客さんの幸せは自分の幸せである。
Mさんは自分で釣った魚を粕漬けにしようと、日本からわざわざ酒粕をもって来るぐらいの気合の入りようである。
それならばデカイヤツを釣ってもらって粕漬けを作ってほしい。
そんなボクの願いが天に通じたのか、Mさんの腕が良かったのか、運が良かったのか知らないが、またたく間にいいサイズが2匹釣れた。
これでボクのさっきのハプニングも帳消しとなった。



ワナカへの道中の車内でも会話は弾む。
山の話、釣りの話。ジャンルは違えどアウトドアという所で繋がる。
ボクは言った。
「いやあ、今だから正直に言いますが、さっきの湖でボクが魚を釣っちゃった時は、『あちゃー、どうしよう』って思ったんですよ」
「あれは時の運だからね。でもあなたがあの場所を教えてくれたおかげで大きいのが2匹も釣れた。お礼を言います」
Mさんも運任せのトローリングで釣るのより、自分で川に入って自分の力で釣った方がうれしいのだろう。それは理解できる。
「いえいえ、きっと川の神からの贈り物ですよ。これはどうやって食べますか?」
「半分は刺身かな。残りは粕漬けにしようかなと思っています。そうそう、あなたの釣った魚は家へ持って帰って家族にも食べさせてあげなさい」
ボクは遠慮というものを全くしない。
「そうですか、それなら遠慮なくいただきます。娘も女房も喜びますよ」
ワナカでホテルチェックインした後、Mさんはボクが釣った魚のはらわたを出しお土産に持たせてくれた。
「お土産までいただいてありがとうございます。今回の仕事はボクも楽しかったです。」
「こちらこそありがとう。またお会いしましょう」
「はい、Mさんもワナカで釣りを楽しんでください」
お互いにありがとうと言い合う関係は、人間関係の理想ではないかと思う。
ワナカからテカポに向かう途中、川のほとりに立ち僕は手を合わせた。
「魚さんよ、釣られてくれてありがとう。美味しい粕漬けになってください。大地の母、パパトゥアヌクよ、今回もありがとうございます。お客さんも満足してくれました」
母なる大地はマオリ語ではパパトゥアヌクである。ボクは深く感謝の意を表しテカポに戻った。



この世に美味しい酒は二つある。
山頂で飲むビール。これは言うまでもないことである。
もう一つは、自分が納得のいく仕事ができお客さんが喜んでくれた、良い仕事の後の酒である。
心は充実感にあふれ、全ては明るく、そして楽しく飲む酒は美味い。
この晩もテカポで美味い酒を飲み、幸せなのである。
次の日家に帰り、晩飯に鱒を塩焼きにした。
「ほらお父さんが釣ってきた魚だぞ」
「お父さん、すごーい」
娘は何も知らないので、ボクはえらそーに言う。
「今日もお魚の命を、いただきます」
実はしっとりとほぐれ皮はパリッと。ブレナム産の塩がいいパンチを効かす。
養殖の魚とは一味違う大地の恵みを僕たちは堪能した。
こうやって自分の釣った魚を食卓に出すのも釣りの楽しみなのだな。
食べる物を自分で取るという、人間が太古の昔からやってきた本能に基づく行動である。
釣りかあ、また始めてみようかな。
その晩何本目かのビールを飲みながら、ふと思った。


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マッケンジーカントリー釣り三昧 前編

2011-12-08 | ガイドの現場
一つのツアーが終わり、休む間もなく次の仕事が始まった。
今回は釣り師のドライバーである。
テカポに連泊して、今日はあっち明日はこっちというようにあちこちと動く。
お客さんのMさんはNZ来訪十数回の超リピーター。毎年釣りをしにやってくる。
多い時には1年に3回も来るぐらい、NZの虜となってしまった人だ。
まあ自然が好きでアウトドアが好きならば、この国は天国なので頷ける話だ。
中にはこの国を遊びつくすには自分の人生を賭けるしかないと、永住を決めてしまう人もいる。僕だ。
パウダースキーヤーがアラスカにあこがれるように、ニュージーランドという国は釣り師の憧れの場所でもあるらしい。
僕は釣りはしないがなんとなく分かるような気がする。



ツアー初日、クライストチャーチからテカポまでドライブをして終了。
今日はテカポ泊まり。時間は7時だが日はまだ高い。それならばマウントジョンまで散歩だ。
風は強いが天気は良い。こんな時に早い時間から飲んだくれるのは勿体ない。
30分ほどの登りで山頂へ。
湖と街を眼下に見下ろす。
この湖の色はなんと表現すればよいのか、独特の青さを持っている。
特に晴れた日のこの湖の色はすばらしい。
上流に氷河があるのでこういう色になるのだが、この色はテカポ独特の色だ。
時間も時間だけに辺りに人はいない。
山頂に一人。
これこれ、この感覚。自分の身をフィールドの中に置く感覚、これを味わいたくて僕はここに住む。
アクセスが良くて周りに人がうじゃうじゃいたらこの感覚は味わえない。
適度に人の暮らしがあり、それでいてちょっと動けば誰もいない場所で景色を独り占めできる。
そしておあつらえむきにベンチなぞがある。
アウトドア天国とはこういうことを言うのだ。



ツアー二日目、テカポで船をチャーターして釣りに出た。
僕は釣りをしないが乗せて貰って一緒に行く。
船頭のグレッグは明るく気の良いキウィを絵に描いたような人だ。
何十回もこの湖は見てるし、空から眺めたことも何回もあるが、船に乗るのは初めてだ。
湖のど真ん中をボートは行く。
ラウンドヒルのスキー場が近くに見える。夏にあらたまって斜面を見ると結構な急斜面だ。
何回か滑ったが、その時の思い出が頭に浮かぶ。
お客さんを連れて行ったこともあれば、プライベートで娘を連れて行ったこともあった。
恐ろしく長い、たぶん世界最長のロープトーがあり、娘を牽引して乗っている間に腕がしびれてしまった。
山の上からはマウントクックがはっきりと見え、この湖全体を見下ろした。
今、僕はその湖の真ん中にいる。
違う角度から景色を眺めるのは楽しい。
互いに見渡せる二点の位置に立ち、前回あそこに行った時はあんなだったなあ、などと考えるのが好きなのだ。
お客さんが釣りをしている間、ボクは雲を眺めながらボケーっとそんな事を考える。
午後になり風が出てきた。湖面には白波が立ち始めた。
山の上にはレンズ状の雲が出来ている。この雲が出ると天気は下り坂だ。
うねりが出た湖面を揺れる船で街に戻った後、湖岸沿いの道をドライブして流れ込みの場所で釣りを試すが当たりは無し。
結局この日の釣果は小さめのレイクサーモンが一匹。



お客さんをホテルへ送り、宿へ帰ると仕事仲間のユキがすでにビールを飲んでいた。一緒にいる若い日本人は貧乏旅行をしているというケンジ。
ボクは荷物を部屋に投げ入れると、そのまま彼らに合流した。
ユキはクィーンズタウンで働いていて、何度か挨拶をしたことがあるが、じっくり話すのは初めてだ。
ショートカットが似合う、元気な女の子である。
彼女が言う。「髪の毛を坊主刈りにして石鹸で頭と体を一緒に洗いたい」
そんなのボクはいつでもやっている。自分が普通にやっていることが人には羨ましいこともある。
僕らはビールを次から次へと空けて行った。貧乏旅行のケンジにもどんどん飲ませる。
「ほら、ケンジ、これはいただきもののビールだから遠慮なく飲みんしゃい」
「ありがとうございます」
「オレもね若い時は年上の人にいろいろおごってもらったのだよ。若い時はヒマはあるけど金はないものだからな。だからオマエさんが年を取った時に若い人におごってやりなさい。そうやってエネルギーは廻るものだから」
えらそーに説教というか説法をしながら飲む。典型的なオヤジだな。
ビールの酔いが回ってくる頃、ギターとハーモニカを出してきてマオリの曲なぞ披露。
泊まっている宿はいろいろな国の人がいる。だがマオリの歌はどこでやっても歓迎される。音楽は国境を越えるのだ。
そのうちに顔見知りだったイギリス人の夫婦が輪に加わり、旦那がギターを弾きボクがハーモニカを吹くというアドリブのセッションが始まった。
歌が終わったら語らいの時間だ。いつの間にか一人で旅をしているフランス人の女の子が輪に加わり、さらに台湾人とフランス人の二人組みも会話に入ってきた。
ボクはかなり酔っ払いながら皆に話す。内容はワンネスの話、これからの世界の話、エネルギーの話などなど。
最後は酔いもかなり回って何を話したかよく覚えていないが、次の日に皆ニコニコとしていて、「昨晩は良かった」と言ってくれたのでそうそう的外れな話をしたのではあるまい。
この輪の中に居た一人旅のフランス人の女の子にボクはえらく気に入られたようで、その後も一緒にご飯を食べたりテラスで話をしたり彼女が旅立つのを見送ったりした。
あと20年若くて独り者だったらロマンスに発展するような勢いだったが、よくよく考えれば20年若かったら僕はきっと相手にされないことだろう。
だけど可愛い子だったなあ。逃した魚は常に大きいのだ。



翌日は朝から雨が小降り。この日は船は使わずドライブをしてあちこちで釣りをするという予定だ。
こういう日はガイドの腕の見せ所である。
「今はここで雨が降っていますが、この雨はここの山で落としきっちゃうでしょう。東側の峠の向こうは青空と言わないけど高曇りぐらいです。雲の動きが天気予報より速いようなので反対側のクック方面は午後から晴れていくことでしょう」
昔バスドライバーをやっていて、毎日のようにここを通っていた。
天気の移り変わる中を走っていた経験、そして天気図を読み空を見ることから、かなりの割合で天気が読める。
「天気図を読み、天気予報を見るけど、自分の目で空を見ることも大切なんですね。ボクはいつも空を見ていますよ」
「観天望気ですね」
「そうそう、それです。この辺りは西の海上で出来た雲が先ずクックの辺りで雨になって落ちます。落ち切れなかった雨雲は次にテカポの東側の山で落ちます。だから太平洋側はいつも天気が良く乾燥しているんです」
「へえ~、日本の冬型みたいだね」
Mさんは昔はかなり本格的に山をやっていた人なので、天気の話も理解が早い。ボクが思っていることも先回りして感じてくれる。
案の定、峠を越えると雨はほとんどなくなり青空も出始めた。
地図で確認していた川が合流している辺りで釣りを試す。
ボクは釣りのガイドではない。天気を読み良さそうな場所へ案内することは出来るが、どういう釣り方をすれば魚が釣れるのかは分からない。
あとはお客さんの腕と運しだいだ。
ただ、この人の目的はニュージーランドで釣りをすること。それをかなえるためにボクは働く。
誰もいない川原で竿をふるMさんは幸せそうだ。
ここでも当たりはなかったが、Mさんは言った。
「いやあ、釣れても釣れなくても、釣りは楽しい」
そうこなくっちゃ。ボクは旧友の言葉を思い出した。
「釣り師は水辺で竿を振っているだけで幸せになれるんだよ」
誰もが釣りをやるかぎり、魚を釣りたいに決まっている。魚を釣りたくない釣り師なぞいるわけがない。
そのために仕掛けを変えたり、釣り方を変えたり、川虫などを探したり、歩いて移動しポイントを探す。努力が必要なのだ。
簡単には釣れないから釣りは面白いのかもしれない。誰もがどんなやり方でも魚が釣れるとしたら釣りはつまらないものになるだろう。
では魚が釣れないから幸せではないのか?違うだろう。釣れる釣れないは別にして、釣りをすることが楽しいのだ。
ボクはだいぶ前に釣りをした時があったが、目の前を魚が泳いでいるのが見えるのに全然釣れないことに腹を立ててやめてしまった。
魚が釣れなければ幸せになれないボクは、釣りをするべきではない。
釣りをしなければ釣れないことでイライラすることもない。その代わり釣り上げる喜びもない。
魚を釣るより食べるのが大好きなので、その時はお金を出して買う。
自分で釣った魚を自分で捌いて食ったら美味いだろうなあ、とは思うが山歩きなどで忙しく、実現できないでいる。
Mさんがボクに聞いた。
「私は釣りをやっているけど、あなたは退屈ではないですか?」
「いやあ、ボクはこういう所にいるだけで幸せなんです」
「そりゃ私と一緒だ」
幸せは常にそこにあるものだ。雲を見て風を肌で感じ幸せになってしまうボクはつくづく幸せ者なのだろう。
午後はクック方面へ移動、用水路のサーモンファームのそばで釣り。
想像通り、天気は回復し青空が広がった。
だがマウントクックだけは雨雲の中だ。こういうこともよくある。
この日の釣果はゼロ。まあこういうこともあるだろう。




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雨、所により一時雪、後快晴

2011-12-01 | ガイドの現場
テカポからマウントクックへの途中で、降っていた雨はみぞれ混じりになった。
山の上では雪になっていることだろうが白く煙って何も見えない。
天気予報では南島を強い前線が移動するので今日はこのまま雨か雪になるとのこと。
この夏、初めてのクックでの仕事だが山は今日は見えないか。
残念だが仕方がない。
天気は人間の思惑通りにいかない。
せっかく日本から来たお客さんに山を見てもらいたいという僕の気持ちも宙ぶらりんのままだ。
僕はドライブをしながらガイドトークをする。
「以前、案内したお客さんなんですけどね、その人はニュージーランド6回めなんですけど、こう言っていました。『今回もまた、マウントクックは雨でした。私はこの山を写真でしか見たことがありません。また来年来ます。』ね、そういう場所なんですよ、ここは」
運が悪い人はいるものだ。
かと思うと1回めでスカッと晴れて全部見れる人もいる。
そういう人はこう言う。
「私達を喜ばせようと思って、天気が悪いなんて言うんじゃないですか?」
確かにスカっ晴れの山だけ見ればそう思うことだろう。
だが何回足を運んでも見ることができない人が、何度目かにこの山を見たときはその分感動も大きいことだろう。
困難な山ほど登頂の感動は大きい。
この日の仕事は午後の早い時間にホテルにチェックインをして終わった。
その後はまるまる自由である。
せっかくのクック泊まりということでトレッキングブーツをはじめ、山道具一式を持ってきたがこの雨では歩く気にもならない。
こんな日は早い時間からビールを飲んでしまおう。



クックでは知り合いも何人かいる。
リンカーン大学でエコツーリズムを勉強しているトモ、そして奥さんのリエコはクライストチャーチからの知り合いで、僕の作る納豆を買ってくれて、家に招いたり招かれたりする仲だ。
彼らが11月の初めからここで働いているはずだ。
知り合いのスタッフに尋ねると、すぐに取り次いでくれた。
リエコは受付の奥で働いていて、まさか僕が来るとは思わなかったらしく驚きながらも大喜びで出迎えてくれた。
聞くとトモは今日はお休みで、日本から来た知人とその辺をブラブラしているとのこと。
リエコが仕事を終わるのを待ち、みんなで合流そしてカフェへ。みんなはお茶を飲み、僕はビールを飲む。
トモの知人はシンという若い男の子で、ガイド志望だという。日本でも山のガイドを少しやっていたそうな。
ヒッチハイクで南島を回りながらルートバーンなどを歩き、その後ロトルアになる専門学校へ行くという。
こういう人に頼らず自分で何でもやってやろうという若者は無条件で応援したくなる。
僕は言った。
「ヒッチハイクなぞすれば危険はつきものだよね。ひょっとすると君は殺されるかもしれない。でもそういうリスクを知りつつ全てを自分の判断と責任で行動することは素晴らしいことだ。きっとリスクを上回る素晴らしい出会いがあるはずだよ。なんか旅って山に似ているよね」
彼はうれしそうに言った。
「そうなんです。この前乗せてもらった人はポッサムを捕まえて毛皮を取る人で、こんな一袋で300ドルになるって言っていました」
そのうちこの国でエコを学んでいけば、ポッサムがこの国でどういう経緯で増えていったか、現在どういう状況で環境に影響をあたえているか、そしてお土産屋でポッサムの毛皮がいくらで売られているか知ることになるだろう。
そして自分が出会ったポッサムハンターとの経験から、さらに深く外来と原生の動植物の関係を考えることになるだろう。
「いやいや、素晴らしい。そういうのは全て経験だよ。その経験は君だけの財産だ。その財産は君という人間を大きくしていき立派なガイドになっていくんだよ。僕が君に言うことはただひとつだな、その調子でどんどんやりなさい」
「はい、がんばります」
彼はうれしそうに笑った。笑顔が素敵だ。とてもよろしい。



窓の外は雪が本格的に降り始めたようだ。白い物体が落ちているのが遠目にも見える。
初夏と呼んでもいいこの時期にも雪は降る。これがニュージーランドだ。
僕は2杯目のビールを注文した。雪見酒だな。
トモ、リエコ、そしてシン。波長がぴったり合う人との話は尽きず、時間が経つのを忘れてしまう。
2杯目のビールがなくなるころ、ふと外に目を向けると先ほどの雪は止み妙に明るくなっている。
「あれ?晴れてきたんじゃない」
山がよく見える場所に行くと、ほんの30分前の雪は嘘のように止み、青空が広がり山が姿を見せ始めた。
「うわあ!こんなこともあるんだ。カメラを取ってこなきゃあ」
ちょうどカフェも閉まる時間だし、この場はお開き。
晩飯後に又会う約束をして、僕はカメラを持って散歩に出た。
山は半分雲に入っているが、その後ろにはくっきりと青空が広がる。
降ったばかりの雪で氷河も真っ白だ。
ホテルの近辺にも日が当たり始めた。
そうだ、今はマウントクックリリーが咲き始める時期じゃないか。
確か、インフォメーションセンターの前に少しだけあったな。
そこに行ってみると、あったあった。
丸い大きな葉っぱに白い可憐な花をつけている。
この花の咲く時期は短い。
あっという間に散ってしまう花だからこそ、この瞬間の美しさがある。
人はそれを見て、その美しさを心に刻むのだ。



散歩をしているうちに雲はどんどん晴れていき、夕飯を食べるころには山は全貌を見せた。
ホテル内で顔見知りのガイドと言葉を交わす。
「こんなこともあるんだねえ」
とても嬉しい天気予報の外れ方だ。
お客さんも大喜びである。
「雨が上がる頃、散歩をしていたんです。そしたらまず虹が出てあれよあれよという間に晴れて山が見えたんですよ」
「そうですか、一部始終を見ていたんですね。それは素晴らしかったでしょう。この山は天気が崩れるのも速いけど回復するのも速いんですよ」
このお客さんはハネムーンでここに来たが、山から最高の贈り物だ。きっと一生忘れられない感動があることだろう。



この時期、日没は9時ぐらいである。
晩飯を食べ終わっても日はまだ出ている。
夕暮れの日差しが山を照らす。
美しい。
今日はひょっとすると染まるかな。
夕食後、トモの住まいに遊びに行くことになっており、彼らが車で迎えに来てくれたが、出会うなり彼が言った。
「聖さん、今日は山が染まるかもしれないから、ちょっと待ちましょう」
彼らの家からクックは見えない。同調する人は言葉が無くても考えることは同じだ。
待つこと30分ほど。
山は徐々に色を変えていき、うっすらピンク色に染まった。
「今日はこれぐらいかな。西の方ですごい夕焼けの時はね、完全に日が暮れても山のてっぺんだけは朱色が残るんだ。白黒の世界でそこだけ色がつくんだよ。それはそれは美しいものだよ」
まあ、ここに住んでいればそのうちに彼らもそういう景色を見ることだろう。
僕がそれを見たのはミューラーハットに1泊で歩きに行った時だった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/mueler.htm
それはラッキーと一言で済ましてしまうには悲しすぎる。そんなタイミングだった。
その時はカメラを持っておらず写真は残っていないが、僕の心にはその色がくっきりと刻まれている。
その瞬間の感動は永遠のものなのだ。



空には星が瞬き始めた。
ハネムーンのお客さんは星空ツアーにも参加する予定だが、今晩は星もきれいだろう。
最高のハネムーン旅行になるはずだ。
僕は手を合わせ山に唱える。
「姿を見せてくれてありがとうございます。おかげでお客さんも大喜びです。今年の夏もよろしくお願いします」
僕の言葉は風に運ばれ、尾根の向こうに消えていった。

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