あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

9月26日 Broken River BBQ Cook off

2015-09-27 | 最新雪情報
ブロークンリバーの特色の一つはバーベキューである。
各自が好きなものを持ち込んでパーマーロッジのバーベキューテーブルでビールを飲みながら調理する。
このバーベキューで誰が一番美味い物を作るかというイベントがあった。
5年ぐらい前から始まったのだが、テレビの料理番組さながら審査員が味見をしながらコメントする。
以前からオマエ出ろよと言われていて、なかなかタイミングが合わなくて出られなかったのだが、今年はタイミングが合った。
春の1日、パーマーロッジで料理談義に花が咲いた。


春の定番アスパラベーコン。


鳥肉を塩麹に漬け込んだものと庭のネギ。


ちゃんとエプロンもつけてね。


審査員がこのおじさん。審査員が味見をした後はみんなで味見。


グレッグはサーモンバーガー。


イスラエル直伝レシピのハマス(豆のペースト)にサーモン、そして野菜をパラリ。


リチャードはステーキサンドイッチ。どういうレシピで肉を漬け込んだか審査員に説明する。


子供に囲まれながら肉を焼き。


子供も盛り付けを手伝う。


旨そうな肉だな。焼き具合もばっちり。


お次はジョック。バーベキュー台の上に何やらパラパラと。


その上にあらかじめ下ごしらえをしたムール貝を並べ。


アルミホイルですっぽりと覆う。簡易燻製器だあ。


10分後にできあがり。まさか燻製とはね。


盛り付けも審査のうち。特製マヨネーズを添えて。


腹がこなれたら滑りに行く。天気は曇り時々晴れ。


今年の雪の量はまずまず。まだクローズの予定は決まっていない。


午後、審査の発表があった。スモークマッスルのジョックは2位で銀メダル。


1位の金メダルはリチャード家族。なんと言ってもステーキの旨さが勝因。


初出場の自分は3位で銅。
今年は他にもラム肉のギリシャ風焼きとか、マッシュルームとベーコンの包み焼きなどレベルが高かった。
来年は優勝を目指すぞ。
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タネの話

2015-09-23 | 日記
『種が危ない』という本を読んだ。
以前にも読んで再び読み返したわけだが、日本で種屋さんをやっている人が書いた本で、内容はF1種と固定種の話である。
固定種とは、地域で何世代にも渡って育てられ自家採取を繰り返すことによってその土地の環境に適応するよう遺伝的に安定していった品種。
これに対してF1とは異なる性質のタネを人工的に掛け合わせて作った雑種の一代目。
現在世の中に流通している野菜や花のタネの多くがF1である。
F1種というのは自殺するタネという異名もあり、F1から育ったタネを元に育てても同じものができない。
なのでタネの自家採取ができない。
農家は毎年種会社からタネを買い続けなくてはならない。
そしてそれが農薬や化学肥料と簡単に結びつくのは、これまた簡単に想像できる。
F1の利点としては、揃いが良い。工業製品のように同じ形やサイズができる。
要は見栄えがいいわけだ。
店できれいに野菜が並べられているが、あれだ。

つい先日は庭の温室でチンゲンサイを育ててみた。
苗を買ってきて9株ほどやってみたが、見事に同じサイズの物が同じタイミングでできた。
なるほどこれがF1なんだな、と思った。
農家にしてもサイズや生育にばらつきがあるより、揃っている方が楽だ。
なんといっても効率が良い。
そうやって野菜も工業製品のようになっているのが今の現実だ。
だが忘れていないか?
野菜が生き物だってことを。
野菜を育ててみれば分かることだが、発育の早いのや遅いの、太いものや細いもの、いろいろとできる。
この『いろいろ』というのが大切なところなのだ。
それって人間社会にもあてはまることではないか、と思う。
効率性を重視してF1種や遺伝子組み換えなど人間にとって都合の良い所だけを伸ばして、化学肥料や農薬を多用している今の農業。
学校の勉強だけが大切で、良い学校、良い大学、良い企業に就職するが、個性という物を持たぬ人達。
どこか似てないか。

本からの引用だが、F1野菜のタネの長所について、種苗会社の人間は「父親と母親の優れたところだけが現れるからいいんです」と言うが、これはとんでもないうそっぱちだ。
F1は人間にとって都合のいい形質が現れるように作っているだけで、優れているわけではない。
以上引用終了。
種会社の人も仕事だからなんとかやっていかなきゃならないだろうから責めるつもりは毛頭ない。
だが言い方を変えれば、人間のエゴ。
そのエゴを育てているのは、きれいな野菜しか見ない消費者であり、効率性だけを求めた農家であり、そこに巣食う農協や種メーカー、そしてモンサントのような農薬の会社へと行く。
問題を深く掘り下げていけば、食や健康、医療、教育、行政、社会というところへ行き、全てはリンクする。
だれが悪いというのではなく、それは人類全体の責任なのだ。

ここであえて言っておくが僕はF1種を全否定するわけではない。
こういう話をすると、固定種は自然だから良くてF1は人工的だから悪いんです、という考え方をする人がたまにいる。
オーガニックとか自然食が宗教みたいになっちゃっている人ね。
F1が出てきたのはそれなりに理由があるし、今現在こういう状況になっているのも人類全体の責任である。
そして今の地球上の人間の食を支えるにはF1は必要だろう。
僕の庭でもF1と知りながら育てているものもある。
F1種だって食いきってしまえば問題ないのだが、次世代のタネの話だとこれは別だ。

我が家ではコンポストからカボチャが芽を出す。
これを育てていたのだが、そうやって出来たカボチャが美味くない。
大地からの恵みをけなすのも少々気が引けるが、そこは人間の欲ということで勘弁してもらおう。
味は薄く水っぽく、煮ても焼いてもダメという、限りなくウリに近いようなカボチャが出来た。
まあカボチャもウリの仲間なのだからそういうものだと言えばそうだが、食べたいのはウリではなくカボチャだ。
これなんぞはF1の成れの果てなんだなと思った。
そこで今年はカボチャのタネを購入。
F1ではなく固定種を育ててみることにした。
固定種というのはそれで完結なのではなく、そこからその土地や気候に合わせて自分で変化していく。
今年はコンポストからのカボチャの芽は捨てて固定種を育てれば、来年以降は我が家の庭に適応したカボチャがコンポストの中から生まれてくるだろう。
そうやって循環するシステムは人間にも野菜にも土にもよろしい。
愛が根底にあるシステムはそれに関わる者が全て幸せになれる。
それに関わる者とは人間だけではなく、植物や土や虫や微生物、空気や水もそれに含まれる。
そうやって考えてみると、子孫を残せないF1の野菜は可哀そうだな。

さて、固定種のタネを育てて循環システムを作るのは、物によっては勝手にできる。
こぼれ種というヤツだ。
我が家ではシソ、シルバービート、春菊、パセリ、レタス、コリアンダーなどが勝手に芽を出す。
これらは植物が芽を出すタイミングや場所を決めるという感じで、なんとなくそこに野菜たちの意志を感じてしまう。
なのでその周りの雑草を取り払い、水をあげるとスクスク育つ。
いくらこぼれ種が強いと言っても雑草に埋もれていたら育たない。
環境を整えてあげるという人間の手間も必要なのだ。

数年前から雑草に混じり、何かの木が芽を出していた。
何だろうなこれは、どこからか種が飛んできたのだろうか、と思っていたのだが、なんと梅干の種から芽が出ていたのだった。
日本で取れた梅が、うちの親によって梅干にされニュージーランドにやってきて、僕に食われたタネがコンポストの中で時季を待って芽を出す。
ここまで来ると執念のようにも感じられるが、そこまでして我が家で育ちたいのならばいくつか育ててみようかな。




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9月12日 Broken River

2015-09-15 | 最新雪情報
この日のブロークンリバーは賑わった。
晴天、新雪そして先々週から延期されたスキークロス、ボーダークロスが行われた。
駐車場は満杯、グッズリフトに乗るのにも行列ができた。
公式発表は新雪4cmだが山の上部は15cmぐらい、多い所では20cmぐらいの場所もあった。
そしてスキークロスの大会。
ゴール地点には特設プールが作られ、選手達は水の上を滑る。
スピードが足りないと途中で止まって水の中へ落ちるのもご愛嬌。
山に人々の笑い声がこだました1日だった。


朝取り野菜を山へ運ぶ。山に長い事居ると生野菜に飢えるのだ。うちの野菜はみんなに喜ばれる。
自分に出来ることをするのがクラブメンバーの務め。


スキー場へ行く国道も冬に戻った。


着いてみれば思いがけず新雪が良い状況で残っていた。


ブロークンリバーに行きたいと言っていためぐみちゃん。
晴天、新雪でそりゃ笑顔にもなるわな。


旧友ブラウニーと何本か一緒に滑った。


9月にしてはまずまずの雪だ。


パーマーロッジに戻ったら、マネージャーのサムがスキークロスの説明をしていた。


そしてスキークロスのスタート。


パーマーロッジ横がゴールで、このプールを滑ってフィニッシュ。


クラブの副会長のロス。副会長なんていうと『お偉いさん』に聞こえるが、この人がよく働く。
リーダーになるような人が先頭で働く組織は、今の世の中に光をもたらすことだろう。


そして人々は楽しむのだ。


スピードが足りないと水に落ちてしまう。早く引っ張りあげてやらないと。


レースを制したのはリディームとモニカ。
この二人はポーターズのインストラクターで、先週チーズマンに連れて行った仲だ。


レースが終わった後に圧雪車が出てきた。こんな立派な物があるのだ。ただ普段はめったに使わない。


1日の終わりはアランズベイスンを下までパウダーラン。
そして駐車場まではワクワク探検コース。
最後まで笑顔の1日でしたとさ。
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想い入れ。

2015-09-12 | 日記
春である。
温室の中は日中は汗ばむぐらいだ。
すでにシソの芽が出始めて、気の早いカボチャも芽を出した。
水菜、チンゲンサイ、レタスなどはグングン育っている。
今年は今までやらなかったトマトも種を購入。
ズッキーニも種から育ててみることにした。
やってみて分かったのだが、野菜によって日が当たると芽を出すものと、暗くないと芽をださないものがあると。
人参やレタスなどは太陽の光で芽を出すが、ネギを始めトマト、茄子、かぼちゃ、大根など多くの種類は暗い所を好む。
なるほどね、野菜でもいろいろあるのだな。
そうやって種をポットに入れ1週間ほど。
なかなか出ないなと思っていたら元気な芽が出て双葉が広がった。
これが実に可愛い。
この想いが野菜作りに必要不可欠なのだと思う。
朝晩の水遣りも、水分だけでなく人間の気持ちも含み、野菜はそれを感じる。
我が家の庭でもあまり目の届かない場所の植物は上手く育たない。



僕はヒマさえあれば庭にいて何かしらの事をやっている。
堆肥を作ったり、雑草を抜いたり、土を耕したり、間引きをしたり、物によっては盛り土をしたり。
そういった行動の原点にあるのは自分の想いである。
そんな僕も自分が好きでない野菜は作らない。
人間誰しも好き嫌いがあるので好きでもない野菜を作る必要はないと思う。
食べて美味しいなと思う野菜をせっせと作ればいいのだが、そこに野菜に対する思い入れがある。
逆に言えば自分が好きでない野菜はうまく育たないだろう。
ズッキーニの双葉が広がったのは見ていて可愛いし、ネギなんぞ二つに折れ曲がった芽が伸びるところなぞ応援したくなる。
そうやって想い入れと共に野菜を見ていれば、水を欲しがっているのか、間引きしてほしいのか、鳥に食われないようにネットをしてほしいのか、やる事が見えてくる。
普段手を入れてない庭を時間ができた時だけちょっと耕し、苗を買ってきて植えてそれでおしまい、という話を聞いたことがある。
大切なのはそこから、毎日の水遣りや、雑草取りなどの手入れが大切なのだ。
水をあげるというのは水分だけでなく人の気持ちもあげることだし、雑草を取るというのはその植物の成長に邪魔にならないスペースを作ってあげることだ。
そういった地味な行動が大切なのだが、それも想いがなかったら続かない。
そしてその想いとは強制されて生まれるものではない、自然と自分の心に芽生えるものなのだ。
以前、他人様の言葉であったのだが、野菜作りとは自分を育てる事に通ずる。
結局のところ帰ってくるのは自分の心に還って来るのだ。
そして行動の原点である想いとは、すなわち愛なのである。
そして愛があれば野菜は上手く育ち、それを食べる自分達もハッピーになれる。
人間が食べないところもニワトリは喜んで食べて元気な卵を産んでくれてこれまたハッピー。
ニワトリが食べないところは、鶏糞と混ざり微生物が喜んで(たぶん)食べてハッピー。
幸せの好循環とはこうやってできる。
なに、簡単な事だ。
根底に愛があるか。
そしてまた、一番簡単な事は一番難しいことでもあるぞよ。



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9月7日 Mt.Cheeseman

2015-09-09 | 最新雪情報
チーズマンに何年ぶりかで上がってきた。
以前別のブログでキウィスピリッツというタイトルで書いたのだが、香港在住のキウィファミリーの仕事だ。
この家族とも、はや4年の付き合いで、毎回僕が専属ドライバーになり、ポーターズの雪が少ない時にはハットやライフォルドまでロードトリップをした年もあった。
娘の一人はクラブフィールドデビュー、オリンパスそしてブロークンリバーに連れて行き、ロープトーの乗り方やゲレンデの裏側の滑り方を教えた。
今回のスキーホリデーの最終日に、ポーターズの専属インストラクター数名をチーズマンへご招待というわけである。
インストラクター達もチーズマンは初めて。天気も雪も良く、最後まで時間を忘れて滑った。
お父ちゃんとも今まで以上に深い話もでき、来年の再会を約束して別れた。
人を笑顔にする仕事、この仕事をやっていてよかったと思えるのは幸せな事だ。
ありがたや、ありがたや。


朝一の圧雪バーン。きれいな圧雪バーンで足慣らし。


そして山頂に登り記念撮影。


平日のクラブフィールドはとことん人が少ない。


日帰りで来た車の数は7台ぐらい


雪崩の危険度を表す看板が新しくなっていた。


ブロークンリバー山頂のナーバスノブ、そしてクレーギーバーンへ続くハミルトンピークがこの位置に見える。


皆を連れて行く前にコースの下見。
下見です。あくまで下見ね。
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9月6日 Porters

2015-09-07 | 最新雪情報
9月最初の週末の土曜日は強風のち大雪、そののち晴れというめまぐるしい天気だったが、開けた日曜日はよく晴れた。
風は多少冷たいが春の日差しは暖かく、スキー場も満員御礼。
土曜日から延期になったスキークロスも開催され、皆が笑顔の1日だった。


山は晴れて街は曇りということが多いのだが今日は街も晴れたようだ。うちの温室の野菜もよく育つことだろう。


雲ひとつない青空。マウントクックのある南アルプスもよく晴れた。


人の慣れとは早いもので、去年まではココをTバーで登っていたのがずいぶん昔のような気がする。


オリンパスも今年は行ってないなあ。


スキークロス、ボーダークロスのスタート地点。


スタート係がゴムを離すと一斉にスタートする。


4人で一斉に滑って早いものが勝ちという、見ていて分かりやすいレースだ。


不肖北村聖。47歳にして初めてスキークロスに出てみた。
結果は堂々の1回戦負け。でも出場者の中では最高齢だったからよしとしよう。
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9月3日 Broken River

2015-09-04 | 最新雪情報
大きな嵐が来るという予報だったが、実際にはそれほど大きくはなかった。
それでも山には15cmぐらいの降雪があった。
この日のブロークンリバーは視界ゼロからだんだん晴れていき午後には青空まで出た。
今週はオールディーズウィーク。
クラブの老メンバーの集まりの1週間で、顔なじみの老メンバーが楽しげに過ごす姿からは元気をもらえる。
自分もいつの日かこういう老人になりたいものだ。


新雪15cmぐらい。底は固い。


RHSとはRiccarton High School。今日のお客さんはリカトン高校の生徒さん。


パーマーロッジの中で何をやっているかと思ったら。


スピードライダーと呼ばれる、スキーとパラグライダーを合わせてやる人達の集まりがあった。


お昼近くになり視界も晴れてきた。


雲の切れ間をぬってアランズベイスンへ。


新雪は15cmぐらいだが下がスムーズで気持ちよく滑れた。


何本か滑った後は定番のバーベキュー。近所の肉屋のソーセージと近所のパン屋のパン。


岩山に新雪と青空は絵になるんだなあ。
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体にいいから

2015-09-02 | 日記
昨今の流れで「体にいい」というのがキーワードになっているような気がする。
特に高齢者はこの言葉に弱い。
日本人の性質で、権威に弱いというものがある。
偉い学者先生が「これは体にいいから」などとテレビで言えば盲目的に信じてしまう。
ついでに言えばみのもんたにも弱い。
みのもんたが「赤ワインが体にいい」とテレビで言えば、翌日こぞって赤ワインを買いに行く。
赤ワインを売りたい人が番組のプロデューサーとかにお金を渡して、それをみのもんたに喋らせるという事は当然あるだろうが、テレビ信者はそんな事を考えない。
「赤ワインを飲みたいから」「赤ワインが今日の料理に合うから」という理由でなく「テレビで赤ワインが体にいいと言っていたから」という理由で赤ワインを買う。
この「体にいい」という言葉を僕はなんとなくしっくりしない気持ちで見ていたのだが、その裏側にあるのは病への恐れとか怯えなんだろうと思う。
特に高齢者はその傾向が強い。
だからなんでもかんでも体にいいものを取りたがる。
ある意味洗脳だ。
ある知り合いは体に良いといわれたからコリアンダー、パクチーを育ててみたがどうやって食べればいいか分からないと言った。
コリアンダーはうちの庭にも雑草のごとく生えているが、あくまでハーブであってメインの野菜ではない。
タイ料理に入れたり生春巻きに入れたりというぐらいか。
和食には使わない素材だ。
タイ料理やベトナム料理や中華を作らない人がコリアンダーを育ててもあまり使えないだろう。
そこでは他の青野菜と一緒にジュースにして飲んでいるそうだが、コリアンダーのジュースはあまり飲みたくないな。
だいいち体にいいというのは、時代によっても変わる。
僕らが子供の頃には「牛乳は体にいいからたくさん飲め」と言われたが、今は「ちょっと待て、どうやらそうではないらしいぞ」という意見から「牛乳や乳製品は毒だ。今すぐやめなさい。」という話まである。
本でこう書かれていたから好きな乳製品もがまんして取らない、という人もいるがそれもどうかと思う。
我が家では普通に牛乳を買い、コーヒーや紅茶に入れるし、チーズやバターもよく使う。
それは体に良いとか悪いとかではなく、美味しいから、好きだから食べるのだ。
これは前から言われているのだが、玄米は良いいから白米より玄米を食べた方がいい。
確かにそうかも知れないけど・・・白米美味しいじゃん?
白くふっくらと炊き上がったご飯は、それだけでも旨い。
そこに新鮮な生卵なんかかけちゃったら、それだけでこの世の至福だ。
玄米食べたい人はどうぞ食べてください。
自分もいつか玄米を食べるかもしれないけど、今は白米を美味しい美味しいと言いながら食べる。

話を戻すと「体にいいから」を盲信する人は、自分自身の体と向き合っていないような気がする。
みのもんたが「水を飲め」と言ったから水を飲みすぎて具合が悪くなった老人がみのもんたを訴えた、というニュースがあったがバカな話だ。
自分自身と向き合っていない人、芯をつかんでいない人は、他人の言葉を信じる。
その他人とは医者であったり、学者であったり、テレビに出る偉い人だったり。
それで具合が悪くなれば、人のせいにする。
自分の行動を、自分の判断と責任においてやらなかったことなぞ棚の上だ。
そして健康を損なう事への怖れという感情は「体にいい」というキーワードで権力者に利用されることもよくある。
こういった問題は、食と健康だけでなく医療、産業、政治、教育、環境、全てが複雑に絡み合っているので狭い視点だけ見ても何も解決しない。
病気やけがという一見自分にとって悪いように見えることでも、それは何かしらの意味がある。
それは自分の心の問題かもしれないし、生活習慣かもしれないし、病気になることで健康のありがたさを知る事かもしれない。
問題の解決をする糸口があるとすれば、それは僕ら一人一人の心の中にある。
心の中の感情をとことんつきつめていくと、愛か怖れに別れる。
自分のその行動の原点にあるものは愛なのか怖れなのか。
そこをきっちりと見つめれば答は見えてくる。

人間は自分の体を自分で治す力がある。
とは百レボと愉快な仲間達で友達になった星子の言葉だ。
彼の言葉をもう一つ借りるのならば「たまに食うコンビニ弁当ぐらい体が健康ならば解毒してくれる」
もっともだと思う。
あれは体に悪いこれは体に悪いといってそれらを全否定して拒絶すれば、この世は毒だらけで何も食べられなくなってしまう。
食に気を使っている我が家でもたまに大手チェーンのファーストフードを食べることもある。
ダメ!絶対!ではなく、たまにはいいじゃん、という緩いノリだ。
食べてから毎回、我が家の食い物はやっぱり美味いんだなあと気付くのだが。
そのバランス感覚、さじ加減というのが、自分の心の芯ではないかと思うのだ。
まずいと顔をしかめて食べる健康食より、笑顔で食べるジャンクフード。
でもジャンクフードもほどほどにね。

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