あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

新潟にて

2015-04-28 | 
新潟の上越に来ている。
ここは僕の第二の故郷と呼んでもいい場所だ。
二十代から三十代にかけて、転々とあちこちのスキー場で働いたが一番長くいたのがここ新潟の新井である。
日本行きが決まるまで、ぼくは不思議な夢をよく見た。
夢の中でアライとかシャルマンといった妙高近辺のスキー場でスキーパトロールとして働いていて、当事仕事仲間だった人達がオールスターで出てくる。
夢の中なので物語は支離滅裂で、スキー場で鹿が出てきて誰かがそれを撃ってみんなでバーベキューをやってしまうとか、そんなノリなのだがとにかくスキーパトロールをする夢を週に一回か二回ぐらいの割合で見た。
それが日本行きが決まり、上越へも行くと決めた時からその類いの夢をいっさい見なくなった。
これはきっと何か意味があるのだろう。
実際に友達も多いし、会いたい人達がたくさんいる。
アライに行くことを決めたら、すぐにシャルマンの近くの宿でトークライブが決まった。
トントン拍子で物事が決まるということは、自分がいい状態でいる証拠で、やるべき事をやる時である。
昔お世話になったパトロールの隊長宅に泊めてもらい、仲間たちと友好を暖めた。
十数年ぶりの再会でも、昨日まで会っていたように話ができた。

人もさることながら土地にもやられっぱなしだ。
実家のある静岡もきれいな所だと思ったが、上越もきれいな場所だ。
里は汗ばむ陽気だが山には雪が残る。
八重桜の下には水仙が咲き、ウグイスが鳴く。
水を張った田んぼに雪山が映り、白鷺がたたずむ。
嗚呼、日本の春。
白鷺はニュージーランドでは神様の使いだ。
神社や鎮守の森はいたる所にある。
日本は神の国なんだな。
自分が住んでいた場所がこんなにも素晴らしい場所だと気が付いたのは、自分の中が変わったからだろう。
2日お世話になった上越の家を発ち、次は黒姫そして戸隠。
何が待っているのか分からないが、ニュージーランドにいた時から気になっていたのが戸隠。
はてさて、どうなることやら、旅は続く。
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過去を振り返る。

2015-04-25 | 日記
自分が生まれ育った場所、清水で時を過ごした。
九年ぶりの里帰り、そりゃ思うところはたくさんあるさ。
母親の墓参り、そして先祖代々の墓参り。
変わるのは自分。
今までならやらなかったであろう、お墓の掃除などをしてご先祖様に報告。
自分はこんなことをやっています。
人の道に反したことはしていません。
自分ができることをやっているつもりです。
これからもお守りください。
そんなようなことをきっちりと伝えた。
これは僕の考えなのだが、ご先祖様というのは守護神でもあると思う。
すでに死んでしまった親、祖父母、さらにその上といったご先祖様がいて、今の自分がいる。
当たり前の話だが、先祖のいない人は存在しない。
そしてその先祖である守護神様は僕がニュージーランドにいようと守ってくれる。
たまに帰って来た時ぐらい、きっちりとお墓参りをするのが人の道だろう。
お墓自体には霊はいないかもしれないが、それは生きている人の気持ち。
決して強制されてやるものではなく、自ら進んでやること。
だから気が向かない人はやらなければいい。
だからといってばちが当たるというものでもなし。
ご先祖様はそんなケチ臭いことは言わないと思うな。

今回の里帰りの目的の一つは、実家での片付け。
若い時に撮った写真でニュージーランドに持って帰りたいものを選ぶのだが、その数ざっと数千枚。
当然ながらアルバムに保存なんてしていない。
若い頃にバカをやった写真、スキー場で働いていた頃の写真、南米や南太平洋の島々を旅した写真、昔付き合っていた彼女の写真もあれば今の女房と付き合い始めた頃の写真もある。
とても全部など持っていけないので、選んでいき要らないものは片っ端から捨てていく。
捨てていくのだが数がハンパでないし、思い入れもある。
そうやって写真を整理していたら、今度は手紙の束が出てきた。
昔の彼女からの手紙が圧倒的に多い。
本当なら焚き火でもして、ノスタルジックな想いに身を焦がしながら一つ一つ燃やしていきたいところだが、とてもじゃないがそんなヒマはない。
一応ざっと開いて、全て燃えるごみ。
手紙と写真を整理するだけで丸一日使ってしまった。
手紙も写真も2000年以降のものは全くないのは、その頃にパソコンとデジカメを買ったからなのだな。
女房からの結婚する前にもらったラブレターがでてきたので、それを本人にメールで伝えたら、それは私ではありません、という返事が来た。
何枚かニュージーランドに持ち帰って娘に見せてあげようか。

さて以前のブログにも書いたが、今回は人に会うのが一番の目的である。
母親は20年前に他界して、その時の話はすでに書いた。
父親はまもなく八十になろうかという歳で以前から、「俺が死んでも帰ってくるな」と豪語していた。
僕は僕で「そりゃ、助かるな。是非ともポックリ死んでくれ」と頼んでいた。
「この馬鹿野郎、俺が死んであわてて帰ってくるなら、生きているうちに会いに来い。」というのは九年も顔を見せない息子への本音であろう。
死んだら全ては無になる、と本人が言うのだから死んだあとにブログのネタにしてやろうと思っているのだが、これがなかなかポックリいかない。
「今だったら死んだ時にわざわざニュージーランドから帰ってこなくていいからチャンスなんだけれどな」などと言ったら、この馬鹿野郎め!という顔をしていた。
それでも今までは話せなかった深い話もして、自分のやっていることも理解してくれた。
今回の日本ツアーで唄うマオリの歌も聴かせてあげられたので、最大の目的は果たせたと言えよう。
今でも父にいう言葉は「長生きしてくれ」ではなく「ポックリ死んでくれ」である。

実家でゆっくりできるかと思っていたが、あっという間に時間が過ぎ、旅に出る時が来た。
過去を振り返るのはよいが過去に縛られてはいけない。
日本のあちこちで僕を待っている人達がいる。
前に向かって進め。
ジャパンツアーが始まった。
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日本日記

2015-04-22 | 
日本に着いて三日になる。
毎日がとんでもなく忙しく、あっという間に時間が過ぎる。
忙しいと書いたが、それは嫌な感じではなく充実した時間を過ごしているという意味の忙しいなのである。
実際ここへ来て、無駄な時間は全くない。
昨日は横浜から東京に来たのだが、電車の最前部で景色を見ながら色々と考えた。
これは自分の内側とリンクしているのもあるが、今まで見えなかったものが見えて深く感じ入ってしまう。こういう時間も大切なんだろうな、とも思った。
電車に乗っているだけで、それだけ繊細に感じいってしまうのだから、あちこち動いていればもう大変。
昨日は自分だけだったら絶対行かないような首相官邸の辺りを道に迷ってウロウロして嫌な気を感じとり、その近くの神社で清めてもらった。
何年も前から出会いたかった人と会って、深い深い話をした後は浅草へ。
旧友と会い今度は観光だ。
前々から行きたかった寄席で生の落語を聞いた。
どうだったって?
そりゃ、あーた、良かったさ。
良かったと言えば一言で済んでしまうが、僕の場合はブログの話が一つ書けるぐらいの感じかただ。
夜は夜でお待ちかねの屋形船。
これだって当然、良かったさ。
そしてお泊まりは品川、高層マンション最上階、レインボーブリッジを見下ろすジャグジー付きペントハウス。
これももちろん、良かったさ。
昨日一日だけで、首都圏の交通、まつりごとが行われている場所で感じたこと、日本の伝統文化、ツアーとしての屋形船、トレンディドラマのような場所にいる自分、とまあ軽く五つぐらい話が書ける、それぐらいの密度の濃さなのだ。
あまりにインプットされるものが多すぎてお腹いっぱい。
どこからどこまで、そしてどれぐらい掘り下げて書けばいいのか分からない。
でもまあ、どこにいようとその瞬間ごとに自分ができることをするだけなんだなあ、などと高層ビル群を見ながら思うのだ。
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生あおしろみどりくろ 隠密スペシャル 白馬ライブ

2015-04-17 | 
続々とジャパンツアーの日程が決まっていく。
次は白馬だ。
ライブを開催するに当たって、当事者の僕はニュージーランドにいるので基本的に何もできない。
その場にいる人々の協力なくして事は起こらない。
各地で友達が動いてくれて、スケジュールが決まっていく。
よく知っている人や昔からの友達なら話は分かるが、大阪で一緒にやるピアピさんやゴローさんのように面識もないのに快諾してくれる人もいる。
人の縁とはありがたいもので、ひたすら感謝。これ以外にない。

白馬では船橋隠密忍者組織という一団が動いてくれた。
彼らとの出会いはユニークだった。
もう12年ぐらい前になるか、ある大雪の日にブロークンリバーへのアクセスロードで立ち往生していた彼らを僕が拾い、その場でガイドをして以来のお付き合いである。
出会った時の僕はかなり怖かったらしい。
大雪の中、車もほとんど通らない山道で怖いおっさんに連れられて訳のわからないままに山に上がってみると、パウダーなのに人が限りなく少ないゲレンデが待っていた。
それ以来クラブフィールドにはまり、毎年のようにニュージーランドへ滑りに来ていた彼らだが、結婚そして出産子育てとライフスタイルも変わって今は白馬に住んでいる。
彼らに会うのも久しぶりだ。

会場 白馬WING21
時間 夕方5時~
料金 無料(募金箱あり)
ゲスト出演 古瀬和哉
主催 船橋隠密忍者組織

白馬でのライブは太っ腹、料金無料。
募金箱を設置して、お金を任意で入れてもらうことにした。
基本的に無料なのでお金を払わなくても構わないし、100円入れたい人は100円入れればいいし、任意なので百万円でも一億円でも構わない。
来ていただくことにありがとう。
そしてお金を頂く事にありがとうである。

ゲストはスキーヤー古瀬和哉。
僕の弟分のような存在で、かれこれ20年以上のつきあいになるか。
若い頃には僕同様、日本とニュージーランドの冬を行ったり来たりしてクラブフィールドに魅せられた。
今は白馬を拠点に活躍するスキーガイドで、最近はえらくなってパタゴニアのアンバサダーなんてものになっちまった。
ニュージーランドのクラブスキー場をガイドできる数少ない日本人の一人でもある。
ヤツが若い時にヘマをして僕と相方が尻拭いをして以来、しもべと言うか家来というか奴隷と言うか、とにかく一生僕には頭が上がらない。
今回の出演の依頼も「来れるか?と言うか絶対来い。命令だ。」「はい」と話が早い。
場所が白馬だけにスキーに関連したことを話すのもいいかな。

ライブの後に『ひっぢと語り尽くす会@白馬』というものを計画中。
語り尽くしちゃうのか・・・。
これもどうなることやら。
まあノリでね、ノリ。



こんな感じで、どんどんツアーのプランが決まっていく。
東京近辺でもやりたいが、まだ話がまとまらない。
日本に行ってから決まるかもしれないし、やらないかもしれない。
ひょっとすると明日どこそこの公園で、なんてことになるかもしれない。
全ては流れと時の運。
流れに実を任せ、あるがままに、だな。
またトークライブではないが、松本大学の人間健康学部スポーツ健康学科というところで5月7日に講演の話も持ち上がった。
大学で講演なんて、こんな自分も偉そうだなあ、などと思うのだがこれまた人の縁。
ありがたや、ありがたやである。

他にもこのブログの読者で、ライブを企画したいという人がいれば一報ください。
場所は屋外、屋内を問わず。お店の一角でもいいし、公民館でも、だれかの家でも、いいと思う。
それから北海道の人は5月半ば以降にどこかでライブをするから待っててね。



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ゴミを愛する日々。

2015-04-15 | 日記
今回はゴミの話。
今は毎日家事仕事をやっており、日中は畑の手入れ、あとは炊事洗濯掃除など。
ゴミだしはもっぱら僕の仕事である。
ゴミの中で一番嫌われるのが生ゴミだろう。
先ず臭い、そして汚い、というのがその理由だ。
世の中には善玉菌と悪玉菌とどっちつかずの菌がある。
世の中にある物を善と悪で分けるのは気が引けるが便宜上、善玉菌と悪玉菌という言葉を使う。
腐敗菌などの悪玉菌が増えるとどっちつかずの中性の菌が全部悪玉菌になる。
くさいというのは腐敗菌が増えているので、いずれ全体が腐ってしまう。
これが腐敗のシステムだ。
僕が使っているのはEMというもので、少しの善玉菌で中性の菌を全部善玉菌にしてしまう。
その結果、悪玉菌がいなくなるのか、少なくなるのか。
腐敗とは逆に分解されやすいシステムだ。

さて我が家のゴミ事情だが、調理などをして人間が食べないものやカビてしまったものは犬が食べる。
犬が食べないものはニワトリが食べる。
ニワトリも食べない物は生ゴミになる。
生ゴミもボカシというシステムで生ゴミから出る液が肥料になり、野菜を育てる。
なんといっても我が家の生ゴミは臭くない。
茶殻や野菜クズやコーヒーの出し殻などアイスクリームの入れものに溜まると専用のバケツにいれて、底にボカシ粉をパラリ。
このボカシ粉も自家製である。
この作業がなんとなく好きだ。
ゴミに愛着が湧く。
こうなるとゴミ出しというより堆肥育成作業である。
ゴミの量を減らすなんて事も考えなくていい。
ただし無闇に無駄にするのと訳が違う。

今の時期、リンゴが熟れてきたのだが、鳥が来て実をつついてしまう。
ネットをかけてあるのだがあまり効果がない。
放っておくと腐ってしまうので、そういったものを収穫。
鳥に食べられてない所を人間が食べ、あとは生ゴミへ。
畑の物で収穫のタイミングを逃してしまったもの。
半分は使えるけど半分は傷んでいるもの。
そういったものは全て生ゴミ。
人参なんぞは収穫の時期を逃すと割れてしまい商品としては使い物にならなくなるが丁寧に使えるところを取ればゴミ半分食べる所半分である。
バケツに生ゴミが溜まっていくのがうれしい。
これは愛だな、ゴミに対する愛だ。
オレもゴミまで愛する男になっちまったか、などと思うのだ。

バケツが一杯になれば地面に掘った穴に入れ、ニワトリコーナーから土を持ってきて混ぜて寝かす。
これでいい土ができるのだ。
バケツの底に溜まった液は水に薄めて畑に蒔く。
これまたいい肥料になる。
ニワトリの糞集めも然り。
毎朝、卵をいただく時にニワトリの糞を拾いコンポストの容器に入れる。
うちではニワトリの餌にもEMを混ぜてあるので糞が臭くない。
この糞がこれまたいい土になる。
こういった作業を、臭いのをガマンしてやるのでない。
なんといっても臭くない。
目に見えない善玉菌という微生物が畑を育てているのを感じながら作業をする。
こういった作業を何年も続けているのだが、長続きするコツは心で感じること。
頭で考えてこれは環境に良いからとか体に良いから、そういう考えが原動力にあるとどこかしら無理があるので長続きしない。
それよりも心で感じて、やりたい事を楽しくやる。
これですな。

愛が根底にあるシステムは、それに関わる人や物が全て幸せになる。
我が家では生ゴミも土も野菜もそれを食べる人間も幸せなのである。


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マオリの話の後書き

2015-04-13 | 日記
この話を書いたのは9年前、僕が日本に行った年だ。
9年の間にヘナレはイクと結婚をして、子供はもう5歳ぐらいになっている。
ヘナレとは時々町で顔を合わすぐらいで、ほとんど連絡もしていない。
ナイロとダニエルは故郷ロトルアへ帰ってしまった。
彼らとは連絡も取っていないが、会うべく時にはまた会うだろうという思いがあるので別に寂しいわけでもない。
彼らと過ごした時は消えてなくなってしまったわけではなく、それは自分の中で常にそこにあり続けるものだ。
僕はと言えば、この後も夏ごとにクィーンズタウンへ行って仕事をして、また新しい出会いもいろいろとあった。
4年前には地震があって、夏のクィーンズタウン行きを一時やめたが、再び夏になるとクィーンズタウンで仕事をするようになった。
そして来週、久しぶりに日本へ帰る。

時は常に流れているわけであるが、たまにはこうやって昔の話を読み起こしてみるのもいいものだ。
これからもちょくちょく昔の話を載せて行こうと思うので、読者の皆様、ご期待あれ。
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マオリ4

2015-04-13 | 過去の話
日本から手土産の日本酒を持ち帰り数日たったある日、僕は隣のダニエルに呼びかけた。
「ダニエル、今晩の予定は?」
「別にないよ、兄弟」
「じゃあ上へ来て一杯やるか?ナイロも呼んで来いよ」
「わかった。兄弟」
彼等が上がってきたので、僕はグラスに日本酒を半分ぐらい入れて手渡した。
銘柄は忘れてしまったが特上の純米吟醸だ。
彼等はクイクイと一気に飲み干してしまい、横にいたヘナレが慌てて小さなぐい飲みを出してきて言った。
ヘナレは日本にいたことがあり、僕が持ってきた酒のありがたみを知っている。
「オマエ達もっとチビチビ味わいながら飲むんだよ。これはいい酒だぞ」
ヘナレの言うとおり兄弟のペースで飲んだら五合瓶など30秒で空になってしまう。
ヘナレは少し口に含むとじっくりと味わい言った。
「ウマイ酒だなあ。こんなにいい酒を飲んだのは何年ぶりだろう。きっと日本に行った時以来だ」
ナイロもダニエルもヘナレを真似てチビチビとやっている。
「どうだナイロ、こんな酒は冷やして飲むのがいいだろう」
「確かにな。熱くして飲むのはどんな時だ?」
「それは好みの問題だ。寒い時に熱燗でキュッとやるのも悪くない。ただこの辺で普通に売っている酒なら熱くしてもいいが、こんないい酒を熱くしたらもったいない」
「ナルホド」
兄弟達もこの酒のウマさを理解しかけたころボトルは空になってしまった。
ウマイ酒は封を切ってその場で空けるに限る。もったいない、などといって台所の片隅に置いておくなどもってのほか。
ウマイ酒はウマイ時に飲みきるのがウマイ酒に対して、ウマイ酒を造った人に対しての礼儀である。
ナイロがギターを持ち出しポロリポロリとやり始めた。それを見てダニエルもギターを持った。
ギターならこの家には事欠かない。僕のアコースティックギターが1本。ヘナレのエレキギターが1本、アコースティックギターが2本、そのうち1本は12弦ギターだ。住人3人でギターが4つの家なのだ。
さらにアフリカかどこかのドラムが二つ、尺八、マオリのフルート、ハーモニカ、マラカスなどなどこの家は鳴り物にあふれている。
僕等は家では音楽を聞いているか、ギターを弾いている時間が長い。
テレビはほとんど見ない。この家ではチャンネル1、日本で言えばNHKみたいなものしか映らないからだ。
ヘナレも僕も『まあそれでもいいか』といったかんじで直そうともしない。唯一の不満はラグビーが見られないことぐらいだ。
テレビをほとんど見ないのでその時間を、ギターを弾く、本を読む、山をボケーっと眺める、物思いに耽る、酒を飲むなどなど有意義に使うことができる。
ナイロがギターで先導してダニエルが徐徐に同調していき、2人の呼吸が合い歌が始まった。
曲名は『テ・アトゥア・ピアタ・キ・ルンガ・イア・マトウ・エ』恐ろしく長い。あまりに長いので僕等は『アウエ』と呼んでいる。
♪アウエ・ワイルア・イーヨ・マトゥア
イーヨ・マトゥアという名の神に捧げる詩だ。
ダニエルたちが歌っているのを聞いて僕も歌いたくなり、彼等の家で歌詞を見せてもらいカタカナで書き写し、何回も唄ってもらい、一夏かけてやっと覚えた。
「この歌はマオリのゴスペルなんだな。歌詞だってそうだろう、だからメロディーラインも美しいんだ」
ヘナレが言った。
唄が一段落して、僕はナイロとテラスで山を見ながら話した。
「ナイロ、僕がマオリの音楽を好きな訳は、この景色とこの空の色にピッタリ合っているからなんだよ。うまくは言えないけど、この地で生れた音楽だからなんだろうな」
「そうさ、音楽は人間の内部から湧き上がってくるものだ。オレが初めてクィーンズタウンに来た時の話だ。飛行機の窓から美しい山、湖、川が見えた。それがそのまま詩になるから慌てて書き留めたんだ。他の人が全員降りてもオレは機内で書いていた。ここはそれぐらい素晴らしい場所だ」
「ナルホドねえ」
ナイロは優れたミュージシャンでもあり、近々彼のCDが出る予定だ。
音楽のセンスがある人間というのは何をやらせても上手く、ドラムを叩けば『こんな音、こんな叩き方があるんだ』と感心してしまうし、キーボードだって弾く。
さすがにヘナレの尺八は吹けなかったが、マオリのフルートも吹く。
「それとオレが好きなのはオマエ達兄弟の会話だ。オレにはオマエ達が何を喋っているのか全然分からない。だけどマオリの音の響きが好きなのさ」
「その気持ちは分かる。オレはな、オマエとイクが日本語で話をしてるのを聞くのが好きだ」
「聞いていたのか?」
「ああ、みんなでワイワイやっている時に、オマエ達が輪の外で日本語で話をするだろう。そんな時にもオレは耳をそばだてて、ちゃんと聞いていたよ。意味は全く分からないけどな」
「ナイロは韓国には行ったことがあるんだよな。韓国語と日本語は全然違うだろう」
「ああ、全く違うな。オレは日本語の響きが好きだ。これは理屈じゃない。だからオマエとイクの話が好きなのさ。もっとどんどん喋れ」
「そんなこと言われると意識して話しづらくなるな」
「何、普通にしていればいいのさ、兄弟」
部屋に戻りイクにその事を話しているとナイロと目が合った。
ヤツがニヤリと微笑んだ。

ナイロはスキーをやらないので、あまりスキーの話になることはない。
その点フラットメイトのヘナレはスキーヤーなので、雪の上で滑る感覚を理解してくれる。
ある夏の終りの1日、南島南部は雪に見舞われた。ニュージーランド南島では夏でも雪が降ることがよくある。
数日たてば消えてしまう雪だが、周りの山々はあっという間に冬化粧になった。
リマーカブルスの岩の窪みに雪がたまり凹凸がくっきりと浮かび上がる。冬は一年で一番美しい時だ。
テラスから見えるセシルピークも中程から上は白い雪を乗せ夕暮れに染まる。
ヘナレが尺八を吹きながら部屋からでてきた。そして言った。
「わあ、ビユーティフル。冬みたいだな」
「良いオープンバーンが見えるね。あそこは滑った事はある?」
「いや、まだ無い」
「あんな所滑ったら気持ちいいだろうな。自分があそこを滑るとしたらどういうラインを通る?」
「ピークの下の岩場を右にかわしその横からだな」
「オレなら逆にトラバースしてドロップインかな、その下のオープンバーンのど真ん中だ」
「ナルホドナルホド」
彼はヘリスキーガイドなのでこの辺りの山々は自分の庭のように知っている。
マオリのスキーヤーというのは以外に少ない。
もともと温かい所から来た人達だから、住んでいるのも気候が温暖な北がほとんどだ。北島のスキー場は知らないが、南島のスキー業界で働いているマオリを僕は3人ぐらいしか知らない。
ヘナレもそれは前から思っていて、ヘイリーと初めて会った時『お、こんな所にマオリがいるぞ』と思ったらしい。
そういえば十年以上も前の話だが、当時のニュージーランドスキーチャンピオンは、サイモン・ウィ・ルトニというマオリである。何年間もチャンピオンだった記憶がある。
「ヘナレはどんな板を使っている?ファットか?」
ファットとは幅広のスキーのことで、新雪の中で浮力がある。
「うん、そうだ。ヘッジは?」
「わりと細めのやつに乗っている。オレは新雪の中で板を潜らせるのが好きなんだ。板と下半身が雪に埋まり、それがバサッと浮き上がるのが気持ちいいんだ。わかるだろ?」
「分かる、分かる」
「オレの夢はねえ、頭まで新雪の中に潜るような場所でシュノーケルをつけて滑る事さ。よっぽど条件が良くなければそんな事できないけどね」
「だけど仕事で重いザックを背負ってみろよ。ファットは楽だぞ」
「そりゃそうだ。だから夢の話をしているんじゃないか」
「そうだよな」彼は素直に同意した。
「そうやって板を潜らせるような滑りだと、幅を取らなくて良い。幅が10mもあればそれで充分だ。どうだお得だろう」
「全くだ。なあ、オマエと一緒にスキーをしたいなあ」
「ああ、おれもそう考えた所だよ。都合を付けて来ればいい」
「ヘッジはこっちには来ないのか?」
「たぶん来ないよ」
ヘナレはズルイナという顔をしたが、僕が普段滑っているスキー場がどれくらい素晴らしい所か知っているのでそれ以上は言えない。
「そうだ、話は変わるが尺八の説明書を読んでみてくれないか?」
「お安い御用だ。どれどれ、ふむふむ、なるほど」
「何て書いてある?」
「尺八は竹林の中を拭きぬける音がイメージとなっている。野外で出来た楽器なので屋外で吹くのが好ましい。それ自体でも演奏に適している」
「おお、それはいい」
「今のオマエさんがそれじゃないか。もっとどんどん吹け」
竹林の中を抜ける風の音が、暮れなずむ雪山に吸い込まれていった。

季節は流れる。
様々な命を乗せた天体の半分では長さに違いはあれ、夏という季節に別れを告げる。
季節の違いは温度差となり環境を変え、そこに住む生き物全ての生活を変える。もちろん人間の暮らしにも大きく影響を与える。
夏はトレッキングガイドの僕だが、もともとはスキーヤーであり、冬の到来とともに仕事場も変わる。
秋は僕にとって別れの季節だ。
クィーンズタウンを去る日が近づいたある日、ナイロとテラスで山を見た。
「ナイロ、日本の音楽で君に聞かせたい歌がある」
僕はCDをセットした。ビギンの一期一会。
「この人達は沖縄という所の人達だ。日本の南、小さな島の話だ。この楽器は弦が4本のちょっと変わったギターで『一期一会』という名がついている」
「イチゴイチエ」
「そう一期一会」
「なにか意味はあるのか?」
「人と人の出会いは、1回限りという意味だ。こうやってナイロと出会うのも今日が最後になるかもしれない。ひょっとすると再び会う事があるかもしれない。それは誰にも分からない。だからこそ今、この出会いの瞬間を大切にする、というような事だ」
「なるほど、イチゴイチエ、いい言葉だ」
「なあ、もしもだ、もしも将来、何かの仕事で日本に行って、その時にマオリの唄を歌える人が必要だ、なんて言ったら来てくれるかい?」
「お安い御用だ。兄弟」
「そんなこと実現するかどうかなんて分からないぞ。ひょっとすると10年とか20年の先の話になるかもしれない。ひょっとすると5年先の話かもしれない。それは誰にも分からない。ただ夢を持つのは悪くないかなと思うんだ。実際、今年オレはマオリの友達を日本に連れて行った。数年前に夢見た事なんだ」
「ああ、いつでも声をかけてくれ、兄弟」
「それにしてもナイロは31だろ。最初に友達になったのがダニエルだから、ナイロは何となくオレにとってもお兄さんのような気がするよ。とても年下とは思えない」
「それはオレが持っている知識がそうさせるのさ」
ナイロの言う知識とは、学校の勉強とは別の知識である。
マオリに生れ、言葉を話し、音楽を奏で、武道を伝える。
先祖の声に耳を傾け、そこから新しいものを作り出す。
彼の体に流れるマオリの血、という知識なのだ。


テ・アトゥア・ピアタ・キ・ルンガ・イア・マトウ・エ

この想いをあなたに イーヨ・マトゥア
なぜあなたは怒りを見せるのか
私達は尋ねる
最後の力であなたをたたえる 
答えてください 神よ
探していた事をお許し下さい
そして照らしてください
昼と夜を創りあげた神よ
痛みはあなたの名前の音と共に去る
照らしてください 
あなたの信者より
イーヨ・マトゥア・コレ
私達の声が届きますか 父よ
この深い泣き声が
私以上に未来の無い者の泣き声が
より正しい事を知らない者の泣き声が
この想いをあなたに イーヨ・マトゥア


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マオリ 3

2015-04-12 | 過去の話
ある雨の夜、テラスでぼんやり山を眺めているとダニエルが声をかけてきた。
「ヘッジ、下へ来て一杯やらないか?」
「うーん、どうしようかな。もうちょっとのんびりしたら行くよ」
正直ちょっとおっくうだった。
行けばそれなりに楽しいだろうが、仕事の疲れが多少残っていた。
こんな日は家でゴロゴロとヘナレが借りてきたカンフー映画でも見ようと思っていた矢先だ。
いやいや、こういったチャンスは逃してはいけない。自分に言い聞かせて重い腰をあげた。
彼らの家に入るとダニエルの兄ナイロがギターを抱えていた。
ナイロは数日前にロニーと入れ替わるようにクィーンズタウンへやって来たばかりだ。
巨漢のダニエルに比べれば一回り小さいが、がっしりした体格でジャージの上下など着ているものだからまるで体育の先生のようだ。
後で聞くとマオリの武術をやっているとの事。納得。
右目の上にピアスがぶら下がっているのは何か意味があるのだろうか。
兄弟の会話は英語半分マオリ語半分で、僕には全く理解ができない。
唄う歌はマオリの歌だけだ。意味はわからないが音の響きが実に心地よい。
それに加えナイロのギターが素晴らしく、思わず聞きほれてしまう。
彼はぎっちょなのかギターを右向きに持つ。
小さい時からそれでやってきたのだろう。ギターは右利き用のままで器用に弾く。
ダニエルやロニーのギターも上手いと思ったがそれとは次元が違う。
周りでは若いヤツラがビールを片手にナイロのギターに合わせて唄う。
のってくると床を踏み鳴らし、腕を振り回しマオリのダンスを踊りながら唄う。
女の子達はポイと呼ばれるヒモの先にボールが付いた物をパタパタと器用に回しながら唄う。
女達のポイも男達のダンスも何十回かマオリのショーで見たことはある。
思い込みとは恐ろしいもので、こういったものをやるのはショーの時だけだと思っていた。
ショーが終りメイクを落とすと普通の兄ちゃん姉ちゃんであり、この家では普段着の彼等が誰に見せるわけでもなく自分達の為に唄う。
パケハの文化に屈服しないマオリの文化はこうやって生きる。
僕は一人観客となり彼等の音楽を楽しんだ。
歌を終え各自ビールやお茶を飲む。僕はテラスでナイロと山を眺めた。彼と2人きりで話すのは初めてだ。
「ナイロ、君のギターは素晴らしいよ。今夜はいい思いをした」
「そう言ってもらうとうれしいな」
彼はスパイツをがぶりと飲んで言った。
「うん、このビールも悪くないな」
ナイロは南へ来てまだ日は浅い。ロニーが去り、入れ替わるようにやって来たのだ。
「普段は何を飲んでいるんだ?トゥイか?」
「いや、ワイカトだな」
トゥイもワイカトラガーも北のビールだ。
「南ではみんなスパイツだろう」
「ああ、このビールもなかなか良いぞ。悪くない」
「ここでは安いしね」
「本当はウィスキーが好きなんだ。グラスに氷を浮かばせて飲むのが好きだ」
「ナイロ、オレはウィスキーは飲めないんだ」
「ふーん、他には何を飲む?サケか?」
「ああ、美味いサケはいいぞ。飲んだことはあるか?」
「オレが教えてもらったのは、オーブンに入れて温めて飲む。あれも美味かったなあ」
「ナイロ、本当にいいサケは冷やしても美味いんだぞ。そうだなちょうど白ワインみたいにな。そうだ、今度日本の土産に上等のサケを買ってくるよ。びっくりするぜ」
「それならオマエが帰ってきたらウェルカムホームのライブをやろう」
「うわ、そりゃ嬉しいや」
ビールを持った手を軽く上げて、僕の目を見ながら彼は言った。
「なに、これが俺達マオリのやりかたさ」

ある午後、仕事を終え家へ戻るとナイロがいた。
「キオラ ブロ ノー マヒ トゥデイ?」
彼等との会話にはマオリ語が混ざる。キオラは挨拶、ブロはブラザー、兄弟、マヒは仕事のことだ。
「おう、ちょうどマヒを終えた所だ。家へ来てお茶でも飲むか?」
「いいねえ兄弟、御馳走になるよ」
お茶を煎れながら僕は言った。
「とっておきのグリーンティーをいれてあげよう。オレのホームタウンから送られてきたものだ」
ナイロは日本の味がとても好きだ。
イクラを漬けた時にも、ダニエルや彼女のエレナはダメだったがナイロはウマイウマイと食った。
サンマを梅干と一緒に煮たもの、豚汁、カレー、セロリのキンピラ。
僕が料理を作っているところにヤツが来ると必ず味見をしていく。たいていのものは喜んで食べる。
お茶を飲みながら彼が言った。
「実はオレ、今日が誕生日なんだ」
「へえ、そうか。それはおめでとう。いくつなんだい?」
「31さ」
「本当かあ。オレより年上だと思っていたよ。それならビールでも飲むかい?」
「いやいや、今はこのお茶が御馳走だよ。ありがとう兄弟」
「いやいや、どういたしまして兄弟」
テラスでお茶を飲む僕達を午後の日差しが優しく包む。目の前にはワカティプ湖が広がる。
ワカティプというのはマオリ語で『巨人が横たわる』というような意味がある。
この湖を地図で見ると、人間が膝を抱えてゴロンと転がったような形をしている。
マオリの神話では、巨人が焼け死んだ所に水がたまって出来たのがこの湖だということになっている。
その話をそのまま鵜呑みにするとその巨人は身長70キロメートルにもなってしまう。
いくらなんでもそこまで大きい人間というのは考えにくい。カミサマなら別だが。
その日ナイロが話してくれた事はもっと理にかなったものだった。
「もともとこの辺りには巨人が住んでいたのさ。背丈は4mから5mぐらいかな。マオリのマントがあるだろう。あれは脇の下から地面まで、と長さが決まっていてその人の慎重に合わせて作る。そいつが3m以上あるのがちゃんと記録に残っている。それを考えると身長は4mぐらいになるわけだ。それに石で出来た武器があるだろう。マオリの決まりであれは片手で扱う物なんだ。あれも巨大なものが残っている。とても普通の人間なら片手で持ち上げられないような大きな物だ。だが4mの身長の人が持つにはちょうど良いサイズだ」
「そうかあ、4mの人間だったらあの辺の山なんか簡単に登れちゃうね」
僕は目の前に構えるセシルピークを指差して言った。
「そうそう、オレ達が歩くよりはるかに楽にこの辺りの山を歩いていたのさ」
ワカティプ湖は鉤型に曲がっていて、空からでないと全体を見渡す事はできない。
地図で見ると確かに人がゴロンと転がっているように見える。
だが西洋の文明が入ってくる以前、航空機や正確な地図がない頃、人々は自分の足で山々を歩き、この湖の形を知り巨人が横たわると信じた。
「食べ物の変化などで巨人はどんどん背が縮み普通の人のサイズになってしまったのさ」
「その話は説得力があるよ」
「他の人達は迷信と言うかもしれない。だが俺達マオリは今でもここに巨人が居たと信じている」
山を見ながらナイロが呟いた。
僕等の目の前でフラックスに鳥が止まる。
フラックスは刀のような歯が2m程、地面から草のように生える。
葉は繊維質で強く、マオリはこの葉を編んで、カゴや腰蓑など色々な物に使っていた。
花は葉よりも一段高い所に咲く。トゥイやベルバードなどの鳥はこの花の蜜を好んで吸う。
ものの本によると、鳥のクチバシが花の形に合っていて、密が吸い易いようにできていると。ナルホド、納得である。
自然界には人がどう考えても『何故こんなことになっているのだろう』と思うものと『見れば納得、ナルホド上手く出来てるなあ』というものが混在する。
これらの鳥の鳴き声は素晴らしい。鳴き声を集めたCDもあるぐらいだ。もちろん僕の家にもある。
同じ種類の鳥でも谷間が変われば別の音色を奏でる。ルートバーンなどの森とクライストチャーチの林では全然違う。開けた所に住むベルバードの音階はわりと似通っている。鳥の声にも地方訛りと標準語がある。
特に森の中だと音が響いて雰囲気をより盛り上げる。トレッキング中の最高のBGMだ。
たまに若い人がウォークマンを聞きながら歩いているのを見る。人に迷惑をかけない限りその人がどう歩こうとその人の勝手だ。
しかし、つい『ああ、もったいないなあ』と思ってしまう。大きなお世話と言えば大きなお世話だ。
そんな鳥たちが僕達の目を楽しませてくれる。フラックスを見ながら僕はナイロに聞いた。
「あのフラックスの根本にゼリー状のものがあるだろう」
「おう、あるある」
「あれはマオリの人達は使うのかい?」
「おう、普通に使っているよ。フラックスのジェルは皮膚病、火傷によく効く」
「じゃあアロエみたいなものだね。日本では医者要らずって名前だ」
「医者要らず、面白いじゃないか。フラックスの葉は細工物を作る。オレの家にあるだろう」
「うん。あるねえ」
「それから葉を煎じて飲むと胃腸薬にもなる」
「へえ、それは知らなかった。オレもためしてみようかな。他には?」
ナイロはどの木がどんな薬になるか、どの植物が食べられるか、いろいろな例をあげて説明してくれた。
まったくためになる勉強で、ヤツはとても良い先生だ。
そういえば、実際にどこかでマオリの講師をやっていると言っていたな。納得。
「オレが好きな日本の言葉で『医食同源』というのがある。もともと中国の言葉だけど、『食べる物と医療の物は元を正せば同じ物』という考えだ。どこかしら通じるものがあると思わないか?」
「医食同源ねえ。いい言葉だなあ。人はそうあるべきだろうな」
「なあナイロ、今オレ達が生きているのは西洋の文明の中だろ」
「どういう意味だ?」
「うん、この家だって、テレビ、コンピューター、自動車、飛行機、電気、ガス、全て西洋のものだろう。マオリとか日本のアイヌとかアメリカンインディアン、エスキモー、アンデスのインディオ、そういった文化とは違うものだよな」
「ああ、そうだ」
「この文明のおかげでオレ達はすごい楽に生活ができている。水一つとっても、蛇口をひねれば水は出てくるわけだ。それが無ければ湖や川へ水をとりに行かなければならない」
「その通り」
「それどころかもう一つの蛇口をひねればお湯まででてくる。火を起こして水を温める手間を考えれば、とんでもなく楽だ」
「フムフム」
「今さら人間は原始の生活にもどる訳にはいかない。だけど、この西洋の文明が行き詰まりになっているんじゃないか、と思うことがよくある」
ナイロは深く頷いて言った。
「それはもう目に見える形であらわれているじゃないか」
「えっ?どんな形で?」
「考えてみろよ。目に見えているよ」
「うーん、何だろう。戦争か?」
「違う。ガソリン代の高値だ」
「あ」
僕は言葉を失ってしまった。ジグソーパズルをはめるように全ての質問の答えがつながっていった。
ナイロが続けた。
「人々は今までとは違うものが必要だ」
「そこでだ、オレはこういったマオリの知恵やアメリカンインディアンの教え、その他迷信や神話と呼ばれていたものが大切になってくるのだと思う」
「よく言った。兄弟。その通りだ」
「人というのは結局、自然の中の一部だろうとオレは思う。木とか鳥とか動物などと同じ。オレもオマエも全体の一部なのさ」
「その通り、全体の一部だ。オマエがそれを分かっていれば大丈夫だ、兄弟」
ナイロはマオリのテレビにも出ていて、マオリの世界ではかなり有名な人らしい。
クィーンズタウンに来て間もない頃によく「あのテレビに出ていた人かい」と声をかけられたと言う。
その度に「シッ、ここにいるのは内輪だけの話だよ」とやったそうだ。
一度彼が指揮したカパハカをビデオでみせてもらった。
カパハカとは部族ごとに歌やハカと呼ばれるマオリのウォーダンスなどを披露する大会が何年かに一回開かれるものだ。
ナイロのグループは彼自身が歌を作り、振り付けなども彼が指揮した。
彼自身はその部族の酋長となり、マオリの呪文を唱え、周りの人を引っ張る。
伝統衣装のマントを羽織り杖を持ち頭に羽根飾りをつけた様子は立派なマオリのリーダーだった。
それには弟のダニエルも出ていた。
彼は酋長の号令に従う若き戦士だったのだ。

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マオリ 2

2015-04-11 | 過去の話
隣にはダニエルとエレナのカップル、そしてダニエルの友達のロニー、マオリの3人が住んでいる。
3人ともパケハの物差しで言えばとんでもなく太っている。
だが白人の病的な太り方と違う、健康的に太っているとでも言おうか。
これがマオリの血なのだろう。
彼等も数十年後立派なマオリのオジサンオバサンになっていくのだ。
ダニエルは図体と髭もじゃの顔に似合わずクリクリした目を持っている。そのアンバランスさが可愛い。
たまに日本の歌『瀬戸の花嫁』をマオリ調で歌う。お母さんに教えてもらったそうだ。
♪セトワーヒグレテーユーナーミコーナーミー。
こんなのは日本とマオリの文化の産物などと呼んでもいいのだろうか。
ダニエルと名コンビなのがロニー。
彼はベーシストなのだが、ベースを弾く人に多い落着いた雰囲気が全く無い。
マオリの唄には日本の民謡みたいに合いの手が入る。
ロニーは合いの手が好きで、いつも歌の合間に陽気に叫んでいる。
彼のベースギターの前面にはびっしりとマオリの模様が彫刻されている。芸術的な彫りだ。
「ロニー、これどうしたの?自分で彫ったの?」
「違うよ。親父にやってもらった」
「へえ、すごいねえ。こんな彫りは時間がかかるでしょう。丸1日ぐらいかかった?」
「全然。ちょいちょいって15分ぐらいでやっちゃったよ」
「え~?15分?」
彫るところを見てみたいものだ。
ロニーは近々ここを去り北島へ帰る。代わりにダニエルの兄ナイロがやってくる。
出会いは偶然であり、別れは必然なのだ。
僕もヘナレも彼等の唄が大好きで、彼等が友達を呼んでパーティーをやると「ダニエル!もっと大きい声で歌え。聞こえないぞ」と野次をとばす。
ヘナレの家は彼等の家より一段高い所にあるので、自然彼等を見下ろすようになる。
寝る時はベッドルームの窓を開け、ヤツらの唄を聞きながら寝る。最高のBGMだ。
ニュージーランドではノイズコントロールというものがある。
パーティーなどで夜遅くまで騒いでいる家へ行き「もしもし君達ちょっとうるさいよ。近所から苦情がきてます。もうちょっと静かにしなさい」と言ってくれる人だ。
「ノイズコントロールに電話しようぜ。『あのう、隣の家なんですけど、もうちょっとボリューム上げるように言ってくれませんか』ってな」
「ワハハハ。そりゃいいや」
もちろん僕等が彼等の家へ行き、唄を聞かせてもらうことも多い。
僕は37才、ヘナレは35才。彼等とはひとまわり以上年が違う。
言葉には出さないが、彼等の立振舞いで何となく年上の人への敬意があらわれていて居心地が良い。
クリスマスの日には朝からバーベキューである。ラム肉、牛肉、ソーセージ、目玉焼きそしてサラダを皿に山盛りにしてガツガツ食う。手掴みで骨に付いている肉を歯で削ぎ落とす。骨の髄をチューチューと吸う。
パケハの社会では眉をひそめるような食べ方だが、ここでは見ていて気持ちが良い。
物を食べるという全ての生き物に必要な事。これを若い彼等にあらためて教えてもらった。そんな気分で僕もモリモリと食べた。
ダイエット?そんなのどこかの誰かが言っている事だろう。俺達には俺達の食い方がある。
マオリの血は強い。

クィーンズタウンは湖に面した街だ。
その対岸にヒドゥンアイランドという島がある。
隠れ島というその名の通り、クィーンズタウンからは背景に隠れてしまい、どこに島があるのか全く分からないが、一段高い所へ上れば島をはっきりと見ることができる。
ある休みの日、ヘナレが言い出した。
「いい天気だなあ。ボートで島でも行かないか?」
「ボートがあるのか、行こう、行こう」
彼のボートは近所の友達のガレージに置いてある。
ボートといってもサーフレスキューに良く使う、小さいゴムボートにエンジンがついたやつだ。
4人も乗れば一杯になってしまうが僕等にはこのサイズで充分。
ヘナレが言い出してから30分後、僕等はヒドゥンアイランドに来た。
ヘナレは魚を探し先に歩いていった。
彼はフィッシングガイドをするぐらいの腕前だ。僕とは格が違う。
僕も一時期釣りをはじめた事があった。
2年間がんばったあげく、釣果3匹という結果を残し自分には釣りのセンスが無い事を悟った。
いつの日かカヤックを手に入れたときには再び始めるかもしれないが、今の自分には山歩きの方が楽しい。
僕は座るのに手頃な岩を探し、腰を下ろした。
今まで行ったあちことの山々が別の角度で見える。
そこからこの島を見た事を思い出し、イメージを立体化して自分をその中に置く。楽しい時間だ。
そしてまた、この場所へ来てこの湖を創った氷河の大きさを感じる。体感というやつだ。
こんな場所ではセルフエンターテインのできない人はダメだ。
『何も無い所』としか映らない。
自らを楽しませる術を持った人には、ボーっと山を眺める、本を読んだり文を書いたりする、ひたすら雲を眺める、『人生とはなんぞや』と考える、波の音を聞きながら昼寝をする、俳句をひねる、などなどやることはいくらでもある。
視界の片隅に一つの山がとびこむ。マウントクライトン、去年登った山だ。
去年のクリスマス、クィーンズタウンは浮かれだった人で溢れ、街中が騒然としていた。
あまのじゃくな僕はクリスマスの日に誰とも会いたくなく、その山に登った。
このルートは地図にも載っていない。
頼りない踏み後をたどり、急なガレ場をトラバースして山頂に着いた。
眼下には山上湖が白い雪をのせてじっとたたずみ、反対側にはワカティプ湖が真っ青な空を映し、大きく蛇行していた。
その日僕は希望どおり誰とも会わずに、自分だけの時を過ごした。
その時のトラバースした斜面が正面に見える。
二つの点で自分の居た場所が確認できると嬉しい。
例えば、木曽御岳の山頂に登り、そこから乗鞍を見る。この二つの山は高原を挟んで立っているのでお互いに良く見える。後日乗鞍に登り、御岳を見渡せば『あそこに登ったんだ』という楽しみがあるだろう。
この手の楽しみは自分で歩いた人にしか分からない。
ヘリなどを使えばもっと簡単にその場に立つことはできるが、こういった感動は味わえない。
そのためには時間と労力が必要なのだ。時間と労力の大きさに比例して感動は大きくなる。
その日の夜、ヘナレと天気予報を見る。予報は無風快晴。
彼が尋ねた。
「明日は仕事はあるのか?」
「いいや、休みだ」
「じゃあ、明日の朝もう一度行ってみないか?」
「よしきた」
夜のうちに支度を済ませて、次の朝7時前に家を出た。
「じゃあ今朝の目的は島でコーヒーを飲む。これでどうだ?」
もちろん異議は無い。
ボートで数分、あっという間に島に着き、湯を沸かしコーヒーをいれる。
昨日きたばかりだが、時間が変われば雰囲気も変わる。飽きる事は無い。
予報どおり無風快晴。朝日が湖を照らす。
早起きは3文の得、ではないが、この為なら早起きする価値はある。
面倒臭い、とベッドから出ないのは楽だ。しかしこの感覚は味わえない。
それがライブ、生でしか感じることが出来ないものだからだ。
この感覚を味わう為に僕は生きる。
遠くで子供の声がする。見るとカヤックに乗った10歳前後の子供が7人ほどこちらに向かってきた。
パドルさばきはぎこちないが全員楽しそうだ。そりゃそうだろう、こんな場所でこんな時間だ。
カヤックの一団は島に上陸。それぞれに島を歩き、去っていった。
付き添いのお父さんが後からゆっくりとボートで追う。
ここの子供は幸せだ。大人がおせっかいをやかない。
子供の自主性に任せ、何かあった時には手を貸す。
子供が子供らしく育つには、大人が大人でなければいけない。
自然の中で大人に行動力が無ければ、説得力は無い。
こんな環境で育つとヘナレのようになる。
アウトドアの達人一丁できあがり、というわけだ。
帰り道でヘナレが言った。
「時計を見ろよ。まだ十時前だぞ」
わずか3時間、まさに朝飯前の散歩がてら島へ行く。
僕達はたっぷり密度の濃い時間を過ごした。

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生カツ 生ピア 生ゴロ 生ヒジリ 本音の生語り

2015-04-10 | 日記
大阪でのライブがあれよあれよという間に決まった。
一緒にやるのはクィーンズタウンで会った炎のランナー高繁勝彦さん。
この人はニュージーランドの北から南まで何ヶ月もかけて走り抜くという事をやった。
僕の友達で自転車で北から南まで周った人はいたが、走った人に会ったのは初めてだ。
プロフィールをそのまま借りると 


大阪出身の冒険家:アドヴェンチャー・ランナー。「PEACE RUN 世界五大陸4万キロランニングの旅」に取り組む。NPO法人“PEACE RUN”代表、サイクリスト(JACC=日本アドベンチャーサイクリストクラブ評議員)、ALTRA JAPANアンバサダー、旅人、詩人・アーティスト、クリエイター、ナチュラリスト…。元高校教師(英語)。

二度の日本縦断ランニング7000kmの旅、アメリカ横断5,300km、オーストラリア横断ランニングの5,200km、ニュージーランド縦断2,800kmを走破。

現在まで二つの大陸で13,300キロ走破。残り三大陸で26,700キロを走ることになる。


PEACE RUN公式サイト: http://www.peace-run.jp/

ブログ: http://kaytaka.blog35.fc2.com/


とまあ、すごい人だな。
クィーンズタウンで一緒にお酒を飲み、その時は又いつかどこかで会いましょうと別れたが、今回の日本行きで大阪へ行く話がなんとなく出たと思ったらライブ決定。
司会は奥さんのぴあぴさんとバンド仲間の芝田吾郎さん(ぴあぴさんはプロのミュージシャンでもあるのだ)のお二人。
実はこのお二方はまだ面識がないのだが、そこはそれ心の奥深くで繋がっていれば問題はなかろう。
高繁さんがライブをイベントとして立ち上げてくれて、テーマは「ニュージーランド、成熟した大人の社会に学ぶこと、そしてこれからの日本のあり方について」
これは今回僕が日本のあちこちでやるトークライブ共通のテーマでもある。
テーマとは別にタイトルをつけてくれ、という依頼が来た。
テーマが堅苦しいからもうちょっとラフなものをと。
犬の散歩がてら考えましたがな。
近所の公園でヒツジのウンコ踏みつつてくてく歩きながら、あーでもないこーでもない。
「生あおしろみどりくろ」なんて思いついたけど今回は自分一人のイベントでもないしなあ。
だいいち相手が大阪の人だと、下手なもの作れないぞとプレッシャーがかかる。
プレッシャーをかけてるのは自分の心なんだけど、大阪独特のノリみたいなのってあるでしょ。
イタリア人相手に赤い色を見せるような感じ。
センスよく、ちょっとひねりも効いて、そして本質を突くようなタイトル、あるかなあ。
散歩の途中でゴミを拾いながらも考えて、帰ってきて庭の野菜の天ぷら揚げながらも考えて、ご飯食べた後に片付けしながら考えた末、「こんなのしか出ません。どうしよう、助けてくれ、ヘルプミー」という文を送ろうとしたら、どうしよう助けてくれ・・・を打つ前に誤って送信。
それがなんか受けちゃって、そのままタイトル決定。
出ない答があるのを知りながら、なおかつ考えるのが悟りへの道なのだが、うーむ実に深いぜよ。

ほな、そなわけで今回のジャパンライブツアー(いつのまにかツアーになっとるで)たぶん大阪より西には行かんと思うねん。
関西より西にお住まいの方は大阪まで来たらええやん。
使い方あってる?

日時 5月5日 夜8時 
会場 ごろっぴあ天満満天堂(大阪市中央区天満橋京町1−23サンシステム天満橋ビル10階 *9階までエレベータ、そこから扉をひとつ開けて階段で10階へ 
参加費 2000円

おおきに。

コメント (3)
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