2007年8月21日の日記より
ある朝、深雪に言った。
「今日、学校さぼってスキーに行くか?」
「行く!」
時々学校を休んでスキーに行くのは、深雪の担任も承諾済みだ。
ポーターハイツは最近の降雪でやっと一番上までオープンしたが、滑れる範囲は限られている。こんな時には子供のスキーレッスンにちょうど良い。
乗り場ではザイルを腰にまき、垂らした先に深雪をつなぐ。Tバーで並んで行けないことはないが、深雪のちょうどいい高さだと僕の膝の高さでとてもしんどい。僕がTバーに一人で乗り深雪を牽引した方が楽だ。
「どうだ、オマエもハーネスで引っ張られる方が楽だろう」
「うん」
ハーネスはクライミング用のボディハーネス。懸垂下降だってできる代物だ。
深雪も引っ張られながら自由に動けるのでご機嫌である。
山頂からちょっとハイクアップをして景色を眺める。
「あの遠くに丘が見えるだろう。あれがポートヒルだ。丘の手前に何となく白く見える場所があるのは分かるか?」
「分かる」
「あれがクライストチャーチだ。それからむこうの遠くを見ると青いだろう?」
「青い」
「あれが海だ。反対側を見てみろ。あの岩山がオリンパスだ」
「ブロークンリバーは?」
「他の山の陰になっていてここからは見えない」
山頂からはピステン道を滑り下りるのだが、道は狭くその間深雪はずーっとボーゲンですべる。正直言って楽しいモノではない。案の定文句を言い出した。
「ねえ、疲れちゃった。いつ帰るの?」
「まだ1本しか滑ってないだろ。帰りたかったら自分で帰れ」
「だってみいちゃん車の運転できないもの」
「じゃあつべこべ言うな。ちょっと休んだらもう一回いくぞ」
休憩の後、僕らは再び斜面に立った。今度はオフピステ、斜度は30度弱、雪はパウダーが踏まれてコブができかけている状態だ。所々アイスバーンもある。
「ホラ、こうやってトラバースをして周りを見ながら雪の良さそうな所でターンをする」
「カリカリの所は?」
カリカリの所とはアイスバーンの場所だ。
「カリカリの所では無理にターンをしなくてもいい。そこはそのままトラバースをして、その後雪が良くなった所でターンをする」
深雪はハの字でターンをするので急斜面に来ると内足が引っかかってしまう。
「ホラ、ターンが終わったら足を揃えてトラバース姿勢をする。そうそう、できるじゃないか。ウマイウマイ、いいぞその調子だ」
何ターンかして日当たりの良い場所で止まる。斜度が急なので滑り出しの場所はもう見えない。深雪は上を見上げて満足そうに言った。
「あんな所から滑ってきたのね」
「そうだ。オマエが自分で滑ったんだ。できるじゃないか。オマエは良く頑張ってる。オレは頑張るオマエを見るのが好きだ。よくやった。オマエはえらい」
僕は自分が知ってる限りの言葉で深雪を褒めて抱きしめた。
こんな時に僕は誉めて誉めて誉めまくる。誉められてイヤな人はいない。
日本のスキーインストラクターに欠けているのは人を誉めることだ。人の欠点を探すことがイントラの仕事だと思っているヤツがほとんどだ。けなされて滑るのと誉められて滑るのではどちらが楽しいかちょっと考えればすぐにわかるだろう。
日本に良く行くスキーインストラクターが言っていた。
「日本のスキーインストラクターの半分は失格だな。ジョークの一つも言えない。高飛車な態度で、お客さんを楽しませるということができていない」
まったく同感である。欧米のインストラクターはガイドもしくはホスト的な要素も含んでいる。お客さんを楽しませる術を知っている。話術も技能であり、技術論だけで押し通したりしない。
お客さんと一緒にご飯を食べることもあれば、飲みに行くこともある。そこから先もあるかもしれない。お客さんはそれら全てを含んだサービスというものに対しお金を払う。スキーだけしていればいいというモノではない。
それから子供に対してはあれこれ言うよりガンガン滑らせた方が上達は早い。
以前某スキー場でインストラクターをしていた時の話である。
子供のプライベートレッスンがあった。お客さんは7才ぐらいの男の子だった。その時はある初級コースの外れに新雪が15cmぐらいあり、試しに連れて行ってみると大喜びだった。そりゃそうだ、きれいな新雪の所を自分の足がモコモコと進んでいくのだ。それにその下は圧雪、非常に滑りやすい。転んでも新雪なので、雪まみれになってそれはそれで楽しい。
僕は「じゃあもう一回モコモコの所へ行こうか」とさそいだし、結局持ち時間の間、僕らはずーっとそこを滑っていた。そこへ行くには多少急なところもあるし、ある程度トラバースもする必要があるが、そういったことは楽しく滑っているうちに僕が何も言わなくてもできるようになった。
レッスンが終わり昼を食べているとその親子が戻ってきた。子供が午後も同じ先生ならスキーをやると言う。なんでも以前行ったスキースクールではインストラクターが怖くてスキーが嫌いになってしまったそうだ。ひどい話だ。
僕は午後も全く同じように滑った。その結果、子供は満足して、親は感謝して、スキースクールの主任は機嫌が良く、僕も指名料が入り嬉しい。
サービスとはこういうものだと思う。
親子の場合はお金のやりとりは無いし、子供もスキーを教える人を選べるわけではない。親子で喧嘩になってしまうこともよくあることだ。
上手く子供の興味をそっちの方へ向かわせれば物事は好転する。それにはまず誉めることなのだ。
「オマエ、上手くなったなあ。5才でこんな所滑れるヤツはいないぞ。深雪はエライ!すごい!よく頑張ってる。たいしたもんだ。よっ、世界一。」
誉めて誉めて誉めまくる。
「みいちゃん、もっと滑る。だってスキー楽しいもん」
しめしめだ。
「そうだ。スキーは楽しいものだ。じゃあちゃんと付いてこいよ」
間にトラバースを入れながらターンを繰り返す。子供は理屈でなく感覚で覚えるのでみるみるうちにうまくなる。滑っている間も僕はずーっと褒め続ける。斜面の反対側のピステン道が見える場所で僕は止まった。
「よし、ちょっと休もう。いいか、あそこにさっき滑った道が見えるだろう。あれは機械でならしてああいう道をつくるんだ。その機械をピステンと言う。英語ではグルーマー、日本語では圧雪車だ。ライフォルドの駐車場にあっただろう。」
「うん、ハンマースプリングスにもあった」
「そうだ。よく見てるな」
「どうして機械を使うの?」
「滑りやすくするためさ。こんなボコボコよりもスムーズな方が滑りやすいだろ」
深雪は素直にうなずいた。
「それに全ての人がここを滑れる訳じゃないのはわかるな」
頷く。
「だから圧雪をしてコンディションをよくする」
「圧雪ってなーに」
「機械を使って雪をならすことだ。圧雪をしていない斜面のことをオフピステと言う」
「ふーん」
「この機械がどのスキー場にもあるわけじゃない。ライフォルドにもハンマーにもあったな。他にどのスキー場にあるか分かるか?」
「分からない。チーズマンにはある?」
「ある。オマエだって見ているはずだ。今度上がったら見てみよう。他には?」
「うーんとうーんと、ブロークンリバーは?」
「ある。だけどめったに使わない。よっぽど状況がひどくないと使わない。オマエはたぶん見たことがない。パーマーロッジの下にちゃんとガレージがあるんだよ」
「ふーん」
「クレーギーバーンもテンプルベイスンもピステンは無い。オマエが行ったことのないスキー場だ。それよりオリンパス、さっき山頂から見えただろ。あそこは無い。そのうちオマエがもっと大きくなったらそういうスキー場も連れて行ってやるからな。さあいくぞ」
ゆっくりゆっくりと斜面を下りる。
「いいか、こういう所を滑るので一番大切なことは何か分かるか?」
「分からない」
「スピードのコントロールだ。トラバースをしていても下の方へ向かっていけばスピードは出るし、上の方へ行けば止まる」
僕は雪の上に絵を書いて説明した。
「ターンの時にはどうしてもスピードは出る。ターンが終わった時にちょっと上に行って遅くする。止まっちゃうと次のターンがしにくいから止まらないようにスピードをコントロールして滑るんだ。こういうことができると山のどこでも滑れるようになる。あんなところもだ」
スキー場のTバーを挟んだ反対側の斜面、ブラフフェイスは今日オープンした。その斜面を何人か滑っている。
「あそこも滑るの?」
「今日じゃないぞ、そのうちだ。オレが滑るのはああいう所だからな。オマエも大きくなれば滑れるようになるよ。それよりも見ろTバー乗り場が見えてきただろ。どうだ、もう1本いくか?」
「行く。だって楽しいもん」
「よし、じゃあ、行こう。あの乗り場まで長いトラバースをするから付いてこい」
乗り場で再びザイルの先に深雪をつなぐ。スタッフが話しかける。
「ザイルが腹にくいこまないかい?」
「そんなひどくもないよ。2人で並んで乗るよりよっぽど楽だよ」
「このハーネスは良さそうだものな。クライミング用だろ」
「うん。ロープトーだってこれで引っ張っていくよ」
「いいねえ。気をつけていってらっしゃい」
Tバーに乗りながら後ろの深雪に話しかける。
「ここを見ろ。きれいなすじがあるだろう」
圧雪のミルの跡がTバー線下を通っている。人が通るところは消えているが、すぐ横はきれいな縦縞が残っている。
「このパターンは何?」
「パターンは日本語で模様だ。それを言うなら、この模様は何?」
「このモヨウは何?」
「これが圧雪の跡だ。こういう所はきれいな方が滑りやすいだろ?だから圧雪をかける。圧雪車の後ろにくっついているミルというもので雪を均すとこういう模様ができる。」
「前には大きなスペードがついているよね」
スペードとは鋤(幅広の刃の農機具で土を耕すもの)のことだが、そこまで突っ込んで教えなくてもいいだろう。
「そうだ、よく見てるな。あのスペードで雪を動かしたり、雪の山を崩したりして後ろのミルできれいに均すんだ」
「ふーん」
深雪は引っ張られながら、右へ行ったり左へ行ったり楽しそうだ。こうやって自然にスキー操作を覚えていく。普段はロープトーの滑車があるので引っ張られていても気を緩められない。しかしTバーの場合は滑車にぶつかる心配がないので余裕である。
「オマエ、引っ張られるのに慣れただろ?」
「うん」
「いいか?こういうのは慣れた頃が一番危ないんだからな。油断をすれば転ぶぞ。痛いのは自分だからな。自分の身は自分で守れ」
「ハーイ」
どこまで分かっているのか知らないが、僕はことあるごとに言い聞かせている。
2本目は速い。一度滑った斜面で自信がついたのだろう。前回より速いスピードでターンができるようになった。急斜面である程度のスピードでターンをすると足は自然に揃う。トラバース姿勢もさまになってきた。子供の成長を見るのは楽しいものである。
去年ブロークンリバーで深雪を滑らせた時、僕はある中級コースへ連れて行った。ニュージーランドの中級コースは、日本でいえば未圧雪急斜面の上級コースである。その時4才の深雪が感心したように言った。
「とーと(父)、スキーうまいんだねぇ」
「ん?知らなかったのか」
「うん」
僕は深雪が1才の頃から背中に背負い、あちこちの山を滑ってきた。深雪が行ったことのない山はクレーギーバーンとテンプルベイスンだけだ。新雪だってコブ斜面だって滑った。深雪のお気に入りはコブ斜面だ。ボコンボコンと楽しいらしい。
「そうかオマエ、今まで背負われてきたからスキーは簡単だと思ったんだろう。どうだ、やってみると難しいだろう」
「うん、難しい。」
「これからは自分で滑るんだからな。がんばれよ」
自分が今まで背負われて何回も行ったことのある斜面が、自分で滑ってみると急斜面であり、急斜面でのスキー操作は難しいということを体で知る。
自分のできないことを楽々とやる親父を尊敬する気持ちが生まれるのは当然だろう。実力の無い親は子供に尊敬されない。
その時に比べれば格段の進歩で深雪は滑る。
スピードをコントロールできるという安心感はターンの早さへ結びつく。あれよあれよという間に急斜面を1本滑ってしまった。
「オマエすごく上手くなったなあ。自分でも上手くなったのが分かるだろう」
「うん。みいちゃん、ピス、ピス・・・こういうボコボコの所なんだっけ?」
「オフピステか?」
「うん。オフピステ大好き。だって難しいけど楽しいもん」
「そうだな。だけどなきれいに圧雪した所でスピードを出してタイムを競うスキー、レースのスキーもあるんだよ。さっき下で練習してただろ」
スキー場下部の圧雪バーンでは、日本からのレーシングキャンプがスラロームのセットを張り、バタンバタンとポールを倒していたのを深雪は興味深そうに見ていたのだ。
「ああいうスキーもある。オマエの知らない世界だ。」
「とーとはやったことある?」
「ああ、若い時にちょっとだけやった。だけどオレはパウダーの方が好きでなあ」
「みいちゃんもパウダー好き」
「うむ。よろしい。さていくぞ」
下の圧雪バーンに来れば楽勝だ。スピードを出して滑るうちに自然にパラレルターンができるようになる。
「よし、よくやった。今日はもういいだろう。帰ろうか」
「みいちゃん、がんばったからお菓子たべてもいい?」
「そうだな、今日はよくやったからいいだろう」
「イエーイ」
ご褒美だって必要だ。
「お母さんに自分で上手く滑れたことを報告しよう」
「うん」
「深雪、スキーが好きか?」
「うん、みいちゃんスキー大好き」
「又行きたいか?」
「うん。又行く。」
人間の将来というのはどうなるか分からない。
だから人生が面白いのだが、今の所僕が『こうなって欲しいなあ』と思うように深雪は育っているし、『こういうオヤジになりたいなあ』と思うようなオヤジに僕はなりつつある。
妻の待つ家へボクは車を走らせた。