あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

幸せを思い出す

2012-02-25 | 日記
ボクがよく言う言葉だが、幸せは常にここにある。
その幸せとは何か?
それは人によって違う。
違って当たり前である故に、同じ事で幸せを感じると嬉しい。
ご飯を一人で食べるより誰かと一緒に食べるのが美味しいというのはそういうことだ。
一緒にお酒を飲むと楽しい。
一緒にパウダーを滑ると楽しい。
一緒に山歩きをすると楽しい。
全てそれである。
これが幸せのバイブレーションだ。

だが人間というものは九割が幸せで満たされていても残りの一割に意識を向けてしまう。
「○○がないから自分は不幸せだ」と言う人は多い。
そしてそれを人のせいにする。
幸いなことに僕の周りにそういう人はいない。
以前聞いた話だが、ある人はニュージーランドに住んでいることに幸せを感じられず、いつも日本に帰りたいと言っているそうだ。
じゃあ帰ればいいじゃないか、と言うと旦那に騙されてここに住むはめになったと言う。
ではそんな騙すような旦那を選んだ自分の責任はどこへいったのだろう。
ニュージーランドに住むと決めたのは自分の選択ではなかったのか?
そういう人と話をしても出てくる言葉は「でもね・・・」とか「だって・・・」であり会話が進まない。
多分ここで文句を言っている人は、たとえ日本に帰っても文句を言い続けることだろう。
その人の意識が不満に向かっているうちは、どんな状態であれ不満なのだ。
もしそういう人がボクの前に現れたら、ボクはちびまるこちゃんに出てくる丸尾君のように「ずばり、あなたは自分自身を不幸せにしているでしょう」と言いきってしまう。
そしてそういう人は本質を突きつけられる事を潜在的に怖れている。
なので僕の前に現れない。
よってボクの周りには幸せな人が集まってくる。
引き寄せの法則どおりである。

自分の意識をどこに向けるか。
当たり前にご飯が食べられることに意識を向けるか。
美味しい水が飲めることに意識を向けるか。
健康で働けることに意識を向けるか。
家族と一緒に過ごせることに意識を向けるか。
それとも自分にはこれが足りないという、足りないものに意識を向けるか。
あとは本人次第であり、ボクがなんと言おうと「でもね」と言い続ける人にはボクの言葉は伝わらない。
さらに追い討ちをかければ「でもね」の人が聞きたい言葉とは
「そうだそうだ、あなたは悪くない。悪いのは○○だ。」
○○の所に入る言葉は、同僚、友達、家族、上司、ひいては会社、国、社会、世界。
なんでもありだな。
「あなたの考え、行動が今ある状況を創りあげているんですよ」
と言うと逆切れして
「じゃあ私が悪いと言うの?」
と怒り出す。
良いとか悪いとかの問題ではないということが理解できない。
お話にならないとはこういうことだ。

何をもって幸せと呼ぶかはその人の価値観に基づくものなので他人があれこれ言っても仕方が無い。
貯金が趣味で銀行口座のお金が増えるのを見るのが楽しみ、という人の話を聞いたことがあるが、それでその人が幸せならばそれでいいだろう。
あなたの価値観は間違っていますよ、などと言い出すことなど大きなお世話であり、押し付けの考えこそ間違っている。
ただ自分とは違う、それだけなのだ。
ボクの幸せとは健康で美味い物を食うというものだから、その努力を惜しまない。
最高に美味い卵かけご飯を食べるためにニワトリを飼い、土鍋でご飯を炊く。
ある友達はこれを食べて「卵かけご飯、やばいです」と言った。
そうそれぐらいに美味いのだ。
そういう話をお客さんにもするが、ある人はすごく理解をしてくれるがある人は興味を示さない。
ただ、家の卵かけご飯の旨さはボクが知っている。
そしてその瞬間の幸せはどこか遠い記憶で残っているものだ。
人間は生まれてきた時に、全ての記憶を消して生まれてくる。
生まれたばかりだと覚えていても成長するにつれ忘れてしまうものらしい。
一杯の水を飲んで幸せだった記憶。
美味しい健康的な食べ物を食べて幸せだった記憶。
その他全ての幸せな記憶。
幸せとは思い出すことである。
意識をどこに向けるのか。
それは個人の選択である。
それによって今ある状況は天国にも地獄にもなる。
天国と地獄はあの世にあるのではない。
今、この状態でこの世にあるのだ。
それに気づき思い出した時、全ての物事は信じられないくらいスムーズに動く。

ネガティブな要素が無いわけではない。
先日は家のニワトリのペケが死んでしまった。
その前日まで元気に卵を産んでいたのだが、ある日突然死んでしまった。
自給自足を目指すなどとエラソーなことを言っているが、ボクはその鶏を食べる気になれなかった。
気が乗らないものは仕方がない。
庭の片隅に穴を掘り鶏を埋めその上にフィジョアの木を植えた。
娘が水をかけ、家族三人で手を合わせ拝んだ。
生きとし生けるものは全て死ぬ。
この世の道理である。
鶏が死んでしまったことは悲しかったが、ボクは家族でこういうことをすることに幸せを覚えた。
いずれこの木も大きくなり実をつけてくれることだろう。
そしてその実を食べ「ああ幸せだな」などと言うだろう。
意識をどこに向けるか。
そして幸せであることを思い出すことにより、自分を高め周りを明るくする。
それを感じる瞬間。
それがこの世に生まれてきた理由であり、全ての答はそこにある。
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1年

2012-02-22 | 日記
クライストチャーチの地震から1年が経った。
時間が経つのが早いのか遅いのか分からないが、1年というのは一つの区切りではないかと思う。
この1年の間に数々のドラマがあった。
私生活で言えば職がなくなり新たな出会いがあり落ち着くべきところに収まった感じだ。
公で言えばさらに大きな日本の地震があり、そこでも数え切れないくらいのドラマがあった。
そしてまだドラマは続いている。
これらのドラマで亡くなった人の魂は、ある者は新しい命としてすでに生まれてきただろうし、ある者は次の世代の予備軍として新たな誕生を待っている。
ボクは輪廻転生というものを信じているので死というものを怖れない。
死とは自分がやるべきことをやり終えた時にやってくるものであり、それは人によって違う。
今の世の中では目に見える物が全てなので、死とは終わりであり忌み嫌うものであり、恐怖である。
平均寿命が伸びることは良いことであると言う。
ある時、この国の平均寿命を尋ねられたことがあった。
ボクは寿命とは一人の人間が人間がやるべきことをやり終えた時に終わるものであり、その平均を出すことに意味はないと思っているので、いったいこの国の平均寿命が何歳か知らない。
それをそのまま言うとその人は怒り出してしまった。
「平均の数字を出すことに意味があるじゃないか!」
そう言われても、それはその人の考えだしボクとは違う。
こういう人とはいくら話しても平行線で交わることはない。

2月の地震の直後、日本からマスコミが殺到した。
そしてここで現地のドライバーが必要ということで、ツアーがキャンセルとなり仕事がなくなったドライバーガイドが雇われた。
ボクのところにもそういう話がいくつかあったが、タイミングが合わなくて雇われなかった。
その直後に白昼夢を見た。
とてもリアルで現実か妄想か区別がつかないようなイメージがわいた。
その白昼夢とはこういうものだ。
あるテレビ局から報道カメラマンその他数名がやってきて、あっちへ行けこっちへ行けと言う。
最初はおとなしく取材をしていたのだが、そのうちに取材がエスカレートして被害にあった人のプライバシーに土足で入り込んだり、立ち入り禁止区域にもぐりこもうとするようになった。
ボクは自分が住んでいる町が荒らされるような気分になり爆発した。
「お前たちは黙って見てりゃ好き勝手なことばかり言いやがって、人の気持ちを土足で踏みにじるのか。もうオレは知らん。そんなにやりたきゃお前たちで勝手にやれ!」
そしてボクはあっけに取られている取材陣を車に残し、ご丁寧に鍵を抜き取りそのまま帰ってしまった。
そこで僕はハッとこちらの世界に帰ってきた。
話で聞くと報道の人達はかなりひどかったらしい。
取材の人が怪我をして病院に運ばれた人にインタビューをしようとして病院に潜入して捕まったなんて話も聞いた。
もしボクがそういう仕事をしたら癇癪をおこしてイメージどおりになっただろう。
やっぱりボクはその仕事をやらなくてよかった。
そしてそういうふうに出来ているのだろう。

地震から1年ということで追悼式典も催された。
日本からも遺族がニュージーランドを訪れた。
そしてまたそれを追う報道陣もやってきた。
ボクは普通の観光のお客さんを出迎えたのだが、同じ飛行機で遺族の人達も到着した。
取材陣は出口付近に陣取り、何か異様な雰囲気だ。
知り合いのガイドと話しているときカメラマンが来てその場の雰囲気で紹介されたが、その人はボクの目を見ないで挨拶をした。
後で女房にその話をすると、そういう人達は蛇のような目をしているという。
なるほど、確かにそうだな。
昔マイケルムーアの映画で報道カメラマンに質問をした場面を思い出した。
「一つの場所で殺人事件がありました。もう一つの場所では溺れていた人が助かりました。あなたはどちらへ行きますか」
カメラマンは迷わずこう答えた。
「殺人事件の現場です」
現代の報道とはそういうものだろう。
報道陣が待ち構える中、飛行機が着き乗客が出てきた。
ボクはその日のお客さんを出迎えた。
ニュージーランドへ観光でやってくる人を案内する仕事とはなんと幸せな仕事なのだろう。
観光業は行く先と出発する元の両方が安定して成り立つ仕事である。
どちらか一つが不安定ではお客さんも旅行をする気にはなれない。
そのことを理解しつつ、僕はその日のお客さんと共に南へ向かった。
普通の観光の仕事のなんとありがたいことか。
幸せは常にここにある。
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旅の宿

2012-02-16 | 
♪浴衣の君は すすきのかんざし 熱燗とっくりの首つまんで
「もう一杯いかが」なんて 妙に色っぽいね

僕は僕であぐらをかいて 君の頬と耳は真っ赤赤
ああ風流だなんて 一つ俳句でもひねって

部屋の明かりをすっかり消して 風呂上りの髪 いい香り
上弦の月だったけ 久しぶりだね 月見るなんて

僕はすっかり酔っ払って 君のひざまくらにうっとり
もう飲みすぎちまって 君を抱く気にもなれないみたい


吉田拓郎の『旅の宿』はいかにも、というぐらい日本の情緒にあふれている。
昭和だなあ。
ニュージーランドの旅の宿は、ドライであっけらかんと明るく、そしてさわやかである。
今シーズンはテカポに泊まることが多い。
会社が用意してくれるロッジは、街の中心から徒歩5分。
国道から離れていて車の音も気にならない静かな環境の中にあり、ボクはこのロッジをえらく気に入っている。
レイクビューではないが、湖を見たければ5分歩けば見れるし、反対側に5分歩けば氷河を載せた南アルプスも見れる。
早朝、散歩して黄金色の朝日に輝く山を見るのもお気に入りである。
ロッジはいくつもの棟から成り、敷地の真ん中は受付とキッチン、リビング等の共有スペースがある。
寝室のある棟の軒にはちょっとしたテラスになっており、ソファーが置かれ日当たりが良い。
このソファーに座りビールを飲みながら僕はギターを弾く。
ボクの居場所である。



敷地の片隅には良く手入れされた菜園があり、味噌汁用の菜っ葉とかネギなどはここからいただく。
人様が大切に育てている野菜を根こそぎ取るわけではない。
その植物が育つのに支障をきたさないぐらい、自分が必要な分だけいただく。
ボクも野菜を育てているので、どれぐらいまでOKか分かる。
また敷地の端にはニワトリ小屋もあり何匹かのニワトリがいる。
菜園にニワトリ小屋、ボクのクライストチャーチの家と一緒だ。
まるで自分の家にいるように僕はくつろぐ。
テラスでギターを弾いてマオリの唄なぞ歌っていると、スタッフの女の子が働いているのが見える。
彼女の後ろ姿からボクの唄を喜んで聴いてくれているのが分かる。
あんのじょう、彼女が通る時に言った。
「いい歌だわ、そのまま弾き続けて」
幸せな瞬間だ。



ある時、ロッジのオーナーと話をした。
彼は昔はこの辺りで飛行機のパイロットとかバスのドライバーをしていたと言う。
マウントクックラインというクライストチャーチからクィーンズタウンにかけてのトランスポートをやっていた会社が昔あった。
スキー場もその会社が経営していて、ボクはそこで働いていた。
オーナーのマイケルもその会社で働いており、古き善き時代を知る者同士、僕たちは昔話に花を咲かせた。
マイケルは働き者でいつも庭の手入れをしている。
オーナーの人徳なのであろう。ロッジは清潔で居心地が良い。
別の言い方をすれば空間が持つエネルギーが高い。
マイケルの愛がにじみでているのだ。
「この菜園は良く手入れされているね」
「ああ、ここの野菜も取っていっていいぞ」
「いや、実はネギとかすでにもらっているんだけど」
「おお、そうか。人参なんかも良く育っているから料理に使ってくれ」
ここでもまた、ありがたやなのである。



ロッジに来る人は国際色豊かでいろいろな人種の人が集まる。
こういう旅人とのふれあいもまた楽しい。
前回泊まった時には若いイタリア人の男とアメリカからの熟年夫婦という組み合わせでボクが唄を歌った。途中から横のテーブルにいたシンガポール人のカップルもそこに加わった。
アメリカ人の夫婦は音楽家族で子供達もミュージシャンだと言う。
マオリの定番ソングを歌うと奥さんがアドリブでコーラスで合わせてきた。
こういうセッションは大好きだ。
唄が終わった後、旦那が聞いた。
「この曲はなんていうタイトルだい?CDを探してみようと思うんだ」
「これはポカレカレアナ、マオリのラブソングだよ」
「ポゥクアネ・・何だって?」
「ポカレカレアナ」
「ポゥクワレカレウワラ」
「違う。ポカレカレアナ」
「ポゥクァレカレワーナ」
「ポカレカレアナ」
「ポークヮレクヮレアナ」
「もういい、紙に書いてあげる」
スペイン語でもそうだがアメリカ人というものはマオリ語も絶望的にヘタクソだ。
その後何曲かマオリの唄を歌うと奥さんが言った。
「あなた、どこかお店で歌っているの?」
「いいや。特にそういうのはやっていない」
「なんで、やらないの!バーとかで歌えばいいお金になるじゃないの。」
「そうかもしれないけど、やらない」
「もったいないわね。私の甥っ子はバーで唄を歌って一晩で何百ドルも稼ぐわよ。あなたもそうすればいいのに」
「やらないったらやらない。いいかね、将来的にそういうことになるかもしれないし、ならないかもしれない。だけど今のボクにはこの瞬間にこの場であんた達のために歌うことのほうが大切なんだよ」
その場にいた全員が頷いた。
ちょっとかっこつけすぎたかな。まあよかろう。



ある日一人でギターを弾いてるとスイス人の青年がやってきた。
「あの、ちょっとギターを弾いてもいいかな?」
ボクが手を止めビールを飲む時に、青年がおずおずと聞いた。
「おお、どうぞどうぞ。なんでもやってくれ」
青年は最初ポロポロ、そしてなじんでくるとリズムに乗ってコードでひき始めた。
「おお、いいな。その曲のキーはなんだい?」
「キー?分からない。耳で聞いて拾ったから。」
「おお、そうか。じゃちょっくら待ってろよ」
ボクは部屋に戻りハーモニカがいくつか入ってる小道具袋を持ってきた。
「そのまま続けて、続けて」
ボクは袋からDハープを取り出し吹いてみた。
ビンゴ。音がぴったり合った。
ボクはそのまま青年のギターに合わせ1フレーズ吹いてみた。
青年がびっくりして手を止めた。
「この元の曲を知っているのかい?」
「いいや、知らない。知らないけど、いいじゃん」
そして僕らはそのままセッションに入った。
コード進行はあまり複雑ではないので、初めて聞く局でも適当に合わせられる。
普段はギターを弾きながらなのでハーモニカに全て集中できないが、ギターを弾いてくれる人がいると手を使って色々な音が出せる。
しかも普段使っていないDハープの音は新鮮だ。
多分同じ曲は二度と出来ないだろうが、それがアドリブの良さでもある。
エンディングもアイコンタクトでばっちり決まった。
そこに人はいないが、空が、風が、木々が観客となってくれた。
JCとはもう何年も一緒にやっていないが、そろそろヤツとセッションをしたくなった。



庭でぼんやりニワトリ小屋を眺めていて気が付いた。
ここのニワトリ小屋は金網できっちりと囲んであり、地面の際には鉄板もいれてある。
クライストチャーチの我が家では、柵で囲ってあるだけだ。
ここにはストートがいるのか。
マイケルにそれを聞くとフェレットというイタチがいると言う。
ニワトリ小屋の入り口にレンガが敷いてあるのだが、それを子供がはがしたらその晩に3羽食い殺されたそうだ。
そのままニワトリ小屋の中も見せてもらった。
産みたての卵が5つあった。
「6羽のうち5羽が卵を産む。どのニワトリが産まないか分からないんだよ」
「クライストチャーチの家では4羽のうち3羽が産むよ。産まない鳥には『食糧危機が来たらオマエから食うぞ』と言い聞かせてある」
「どれ、今日はちょっと外に出してあげようかな」
マイケルはニワトリ小屋のドアを開けて鳥達を外に出した。
鶏はコンポストの囲いに行き中の虫をついばむ。
ここの鶏も幸せそうだ。
人間が品種改良によって生んだ現代の飛べない鳥は、人間が手厚く守ってあげなければすぐに食い殺されてしまう。
歴史に『もし』は無い。
無いことを知っていて言うのだが、もし、人間がこの国に捕食動物を持ち込まなかったら。
ここは今以上の楽園だったに違いない。
そしてそれを知りつつ、今ある環境で楽園を作っているマイケルの愛があふれるこのロッジ。
ここをぼくはテカポの我が家と呼ぶ。


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ミルフォードサウンドとトーマス

2012-02-05 | ガイドの現場
久しぶりにミルフォードサウンドに行った。
そこで友に出会った。
と言っても本人がそこに居たわけではない。
ミルフォードサウンドの船の待合所に、今年できた写真付きのパネルがあった。
DOC(環境保護局)のインフォメーションパネルで、この国の原生の鳥を保護するためにスタッフが外来の動物を罠で捕らえる仕事をしている写真である。
そこに親友トーマスがいた。
トーマスとの付き合いは、かれこれ11年になろうか。
当時マウントハットの麓、何も無い牧場の一角にヤツは住んでおり、そこで野郎共が集まりビールたっぷり七輪焼肉という宴を開いた。
酒が廻るにつれ英語のニックネームの話となった。
ヤツには当時そういうものがなく「自分も欲しいなあ」ということになり、ボクが酔いに任せて「よし、じゃあ、今この瞬間からお前はトーマスだあ!」と叫び、それ以来ヤツはボクの仲間内ではトーマスと呼ばれている。
その後もトーマスとの付き合いは続き、山のガイドを経てテアナウに住み着き、今はDOCで環境保護の仕事をしている。



トーマスから連絡があったのは去年の今頃の事だった。
毎年ボクたちは時間を作り、『この国の山にやっつけられちゃう山旅』と称してあちこちの山に行くのだが昨年はお互い忙しく時間を作れそうも無かった。
というわけで去年は唐突に『鳥の保護のお仕事体験ツアー』となった。
場所はミルフォードサウンドへ行く途中のエグリントンバレー。
これは日帰りの仕事で、その日はボクも休みでタイミングが合ったのだ。



この国にはもともと四足の動物はいなかった。
哺乳類はこうもりが何種類かいただけで、あとはトカゲの仲間が少し。
それ以外は全て鳥。鳥の楽園のような島だった。
そこに人間がいろいろな動物を持ち込んだ。
犬、猫、ネズミ、牛、馬、鹿、羊、ウサギ、そしてイタチの類である。
中でもイタチの仲間ストート、おこじょは人間が持ち込んだ最悪の動物と言えよう。
鳥が空を飛ぶのは敵から身を守るためである。
その敵がいなかったら、鳥は地上に降りてきて生活をする。
長い間、地上で暮らすうちに足は太くなり羽は退化し体は大きくなり飛べない鳥、と言うより『飛ぶことをやめてしまった鳥』ができあがる。
そんな鳥たちにとって捕食動物は脅威である。
そして牧場を荒らすウサギを駆除する目的で持ち込まれたストートが、ウサギよりも飛べない鳥を襲うということも容易に想像できる。
物言わぬ鳥たちは数の減少という形で存在の危機を訴える。
人間が何もしなかったら鳥は絶滅するだろう。
いや、すでに絶滅してしまった鳥も多い。
死に絶えたらそれで終わり、再びよみがえることは無い。
悲しいことだがそれが自然の摂理だ。
そうならないためにトーマス達は働く。
先人が犯した過ちを償う、悲しくそして大切な仕事だ。





その日のトーマスの仕事はエグリントンの谷間にどういう動物がいるかの調査である。
相手を知ることにより対策も立てられるということだ。
小さな筒の中に餌を置く。餌は生肉だ。
筒の中にはインクを塗った紙があり、中を動物が通れば足跡が残るという仕組みである。
トーマスに作業の手順を教えてもらい僕も手伝う。
と言っても大したことをするわけではない。餌を代えて紙を回収し新しい紙を置くだけだ。
普段素通りするだけの場所に車を停め、森の中へ入る。
高速で走っている車の中からは考えられない美しい森の中での作業である。
たまにここを通る時、DOCの車が停まっているが、こういうことをやっているのだなと納得。
僕自身は大した事をするわけではないが、こういうことを経験することにより、自分がガイドをする時の言葉に重みが出る。
経験は財産なのだ。





車で移動しながら作業は続く。
ノブズフラットはミルフォードサウンドへ行く途中でトイレ休憩で立ち寄る場所である。
最近はこの辺りで猫がいるのが報告されたというので、猫の罠も仕掛けてある。
テアナウ辺りで飼われていた猫が野生化し、ミルフォードロード沿いにここまで来たのだろう。
猫の罠はストート用より大きくバネの力も強い。
トーマスが小枝で罠がどのように動くか見せてくれた。バチンと大きな音でバネが閉まり木の枝は真っ二つに折れ、指など挿もうものなら骨は折れてしまうだろう。
これで猫をその場で殺してしまう。
動物愛護の人達がこれを見たらどう思うのだろう。可哀そうだからやめろと言うのだろうか?
ストート、おこじょは人の目から見れば可愛らしい顔をしている。
見た目とは裏腹に性格は獰猛で、鳥たちを食うためにも殺すがもてあそぶ為にも殺す。故に人間が持ち込んだ最悪の動物と言われるわけだ。
「こんな可愛い顔をしているのに殺すなんて可哀そう」
そう言う人も多い。表面だけ見て、しかも自分の価値観でだけ物を見ればそうなるだろう。
それに対しては現場で働くトーマスの言葉をそのまま借りよう。
「罠にかかったストウトを見て『きゃぁ残酷、かわいそう』と言って僕らTrapperをむしろ軽蔑の目で見る旅行者もいる。宣言してもいい、Trapperの誰一人として動物を殺すことに喜びをかんじている奴はいない。僕ら人間が壊してしまった森に侘びを入れているのです。」





作業は続き、その日最後の現場へ行った。
「ここは木につかまってよじ登ったり、アスレチックみたいなコースだよ」
行ってみると確かにトーマスの言うとおり、上り下りを繰り返し森の奥へ進む。
足元のコケは厚く、くるぶしまでもぐる。道の無い森は歩きにくく、文字通り藪をこぐ。
普段はルートバーンを歩いていたのだが、整備された道を歩くのがどんなに楽なのか思い知らされた。
ボクがヒーヒー言いながらついていく前をガサガサと進むトーマスの後姿はたのもしく、ヤツの山男ぶりというものがうかがえる。
普段はこれとは比べ物にならないぐらい急できびしい山を、重い荷物を背負ってヤツは歩く。
タフでなければできない仕事だ。
そしてその仕事は人目に触れることはない。
だが山はトーマスが何をやっているか知っている。





あれから1年。
ボクは再びガイドの現場に戻ってきた。そして久しぶりにミルフォードに来てヤツに会った。
ミルフォードサウンドの船着場でお客さんを送り出した後、クルーズの間は自分の時間である。
天気は上々、ボクは近くの遊歩道へ向かった。
10分ほどの森の周遊コースがある。今はバンブーオーキッドの時期だ。可愛い蘭が白い花を咲かせている。
森を抜けた先は入り江に面していて、ちょっと歩けば人の気配は消える。
誰もいない場所で一人。





ゆっくりとランチを食べ、ぼんやり雲を眺めながら、親友トーマスのことを想う。
こうしている間もヤツは重たいワナを背負い山を歩いていることだろう。
ボクはお客さんと接する仕事をしているので、出会う人はボクという人間がこの地でこうやって生きていることを知る。
だがトーマスという人間がどういうことをやってこの国の自然を守っているのか知る人は限りなく少ない。
日本人として生まれ日本で生まれ育った彼がこの地に住み着き、きれいな嫁さんと可愛い娘に囲まれこの地に根を張りつつある。
トーマスの根はどこまでも深く、そして太い。
その根は人目に触れないが、人から見える場所に小さな花を咲かせた。
その一つが船着場のインフォメーションパネルだ。
そしてトーマスという木はどこまでも大きくなり実をつける。
その実とは一度は減ってしまった鳥が安心して暮らせる、ありのままのニュージーランドの森だ。
人知れず自然を守る仕事をする彼をボクは心から尊敬する。
そしてこういう友を持ったことに深く感謝する。



ミルフォードサウンドにあるヤツの写真は笑ってしまうぐらいさわやかであり、これからもこういう形でヤツに会えることが楽しみである。
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