あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

誕生日

2010-07-27 | 日記
7月21日に誕生日が来てボクは42歳になった。
41歳もいろいろあったが、晴れてというか無事にというかめでたくというか42歳になったわけだ。

誕生日の前日、何か分からない不安感があった。
ちょっとした体の疲れが溜まり、自分のエネルギーが下がっていたのだと思う。
何となく、この日がカギだ、この日を上手く乗り切ればその後は上手く行く、という想いがあった。
だが道中で事故にあうんじゃないか、とかスキーでケガをするんじゃないか、という普段はあまり考えないようなイヤな気持ちは消しきれなかった。
その日の朝、深雪に言った。
「深雪よ、お父さんに力を貸してくれないか?何か今日はイヤな気がするんだ。今日、お父さんが無事に帰って来られるよう、祈ってくれないか?」
「うん、お父さん、お仕事がんばってね」
家を出るときは、女房と深雪と3人で輪になって手をつなぎボクは唱えた。
「私が今、望んでいる物は今日という日を無事に終え、家族の元に戻ってくることです。どうか力を分け与えてください」
そうやって自分の守護神にお願いをした。

その日のお客さんは毎年ニュージーランドへスキーに来るリピーター。時には一冬に2回来るという熱のこもりようで、数年前からのお客様である。
1日ツアーの場合、天候の具合と雪の状態を見て行く先を選ぶのだが、ガイドというボクを信頼してくれるのでボクも気は楽である。
この日に行ったのはライフォルド。
クライストチャーチ近辺のスキー場は天気が崩れそうだったので、ちょっと足を伸ばしてノースカンタベリーのスキー場にした。
こっちならばなんとか夕方まで天気は持ちそうだ。
予想通り、山がガスることもなく、雨や雪に降られることもなく、僕らは1日スキーを楽しんだ。
午後になりロープトーが空き、急斜面をガンガン滑った後にお客さんが言った。
「他のスキー場だと常に仕事のことが頭から離れないけど、クラブフィールドは仕事の事を忘れられるからいいな」
ボクの心はその言葉で一気に軽くなった。
この仕事をやっていて良かったと心から思った。
ボクはお客さんにエネルギーを与えるが、ボクも彼らからエネルギーを与えてもらう。
エネルギーを奪い合うのではなく、あくまで自然体に良い状態でのエネルギーの交流ができる。
クラブフィールドとはそんな場所だ。

案の定、帰る途中で雨が降り出した。
夜の雨のドライブは事故の確率も高い。
帰る途中、事故現場に遭遇した。
そんなにひどい事故ではなかったが、自分がああなるかと思うとぞっとする。
ボクは気を引き締めて運転した。
帰り道ではローカルのパブに寄って軽く一杯。
このお客さんとのツアーではお決まりの事だ。
お客さんが望む事をするのがガイドだし、素顔のニュージーランドを見せるのがガイドである。
お客さんはガイドブックに載っていない所に行きたいのであり、ボクがいることによって安心して地元の酒場に行ける。
お客さんはビールを頼み、ボクはジュースを飲んだ。
自分自身ビールは大好きだが、今この状況でビールを飲んでもハッピーになれない。それより不安感は増すことだろう。
それなら人が喜んでビールを飲む姿を見ながらパブの雰囲気を楽しむほうがよっぽど良い。
ビールは家に帰ってから飲めばいいのだ。
そこから町まで夜の雨のドライブは続く。
町の中心に入ってきて、もう一件、車の事故を見た。
あれは別の世界での自分だ。
この世界では家族の愛のおかげで無事に帰って来られた。
運転をしながらも家族の愛というものをひしひしと感じた。
無事にホテルまでお客さんを送り届けてその日の仕事は終わった。
無事に、何事もなくという当たり前の事が一番大切なのだ。
家に帰って着替えると、深雪がビールを出してくれた。
お客さんが喜んでくれて、自分の納得のいく仕事が出来た、そういう日のビールが一番ウマイ。
女房がご飯を作ってくれる。娘がビールを持ってきてくれる。幸せである。

次の日、誕生日を迎えた。
朝、全員が起きたところで深雪がカードとプレゼントを持ってきた。
カードは深雪の手作り。女房と深雪が笑っている絵がありニワトリが二羽。
深雪が書く絵は全て人が笑っている。良いことだ。
プレゼントはパンツとTシャツ。
Tシャツはペンギンがとぼけた姿で立っていて吹き出しからは『何を言ってるのかさっぱりわからない』という日本語の文字。
ボクは思わず大爆笑をしてしまった。
最近、エネルギーの話とか、ブーメランの法則とか、魂の年齢とか、小難しい事を言っているオヤジに一言『何を言ってるのかさっぱりわからない』。
こういうシャレは必要なのだ。最高のプレゼントだ。

スピーチを求められたので一言。
「みんな祝ってくれてありがとう。今こうやってみんなで居られること。これが一番大切で一番うれしいです」
喋っていて涙があふれてくる。40を超えると涙腺が緩むのか、涙もろくなった。
涙だけならまだしも、一緒に鼻水もズルズル出るのが困る。
幸せとは今ここに在るものであり、それに気付くことである。
その瞬間は永遠のものであり、消えてなくなってしまうものではない。
それを心に刻みながら42のボクは生きていくだろう。
『何を言ってるのかさっぱりわからない』
Tシャツのとぼけたペンギンが笑っている。

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深雪スキーレッスン ミクシー日記より

2010-07-10 | ミクシー日記
2007年8月21日の日記より

 ある朝、深雪に言った。
「今日、学校さぼってスキーに行くか?」
「行く!」
 時々学校を休んでスキーに行くのは、深雪の担任も承諾済みだ。
 ポーターハイツは最近の降雪でやっと一番上までオープンしたが、滑れる範囲は限られている。こんな時には子供のスキーレッスンにちょうど良い。
 乗り場ではザイルを腰にまき、垂らした先に深雪をつなぐ。Tバーで並んで行けないことはないが、深雪のちょうどいい高さだと僕の膝の高さでとてもしんどい。僕がTバーに一人で乗り深雪を牽引した方が楽だ。
「どうだ、オマエもハーネスで引っ張られる方が楽だろう」
「うん」
 ハーネスはクライミング用のボディハーネス。懸垂下降だってできる代物だ。
 深雪も引っ張られながら自由に動けるのでご機嫌である。

 山頂からちょっとハイクアップをして景色を眺める。
「あの遠くに丘が見えるだろう。あれがポートヒルだ。丘の手前に何となく白く見える場所があるのは分かるか?」
「分かる」
「あれがクライストチャーチだ。それからむこうの遠くを見ると青いだろう?」
「青い」
「あれが海だ。反対側を見てみろ。あの岩山がオリンパスだ」
「ブロークンリバーは?」
「他の山の陰になっていてここからは見えない」
 山頂からはピステン道を滑り下りるのだが、道は狭くその間深雪はずーっとボーゲンですべる。正直言って楽しいモノではない。案の定文句を言い出した。
「ねえ、疲れちゃった。いつ帰るの?」
「まだ1本しか滑ってないだろ。帰りたかったら自分で帰れ」
「だってみいちゃん車の運転できないもの」
「じゃあつべこべ言うな。ちょっと休んだらもう一回いくぞ」



 休憩の後、僕らは再び斜面に立った。今度はオフピステ、斜度は30度弱、雪はパウダーが踏まれてコブができかけている状態だ。所々アイスバーンもある。
「ホラ、こうやってトラバースをして周りを見ながら雪の良さそうな所でターンをする」
「カリカリの所は?」
 カリカリの所とはアイスバーンの場所だ。
「カリカリの所では無理にターンをしなくてもいい。そこはそのままトラバースをして、その後雪が良くなった所でターンをする」
 深雪はハの字でターンをするので急斜面に来ると内足が引っかかってしまう。
「ホラ、ターンが終わったら足を揃えてトラバース姿勢をする。そうそう、できるじゃないか。ウマイウマイ、いいぞその調子だ」
 何ターンかして日当たりの良い場所で止まる。斜度が急なので滑り出しの場所はもう見えない。深雪は上を見上げて満足そうに言った。
「あんな所から滑ってきたのね」
「そうだ。オマエが自分で滑ったんだ。できるじゃないか。オマエは良く頑張ってる。オレは頑張るオマエを見るのが好きだ。よくやった。オマエはえらい」
 僕は自分が知ってる限りの言葉で深雪を褒めて抱きしめた。
 こんな時に僕は誉めて誉めて誉めまくる。誉められてイヤな人はいない。

 日本のスキーインストラクターに欠けているのは人を誉めることだ。人の欠点を探すことがイントラの仕事だと思っているヤツがほとんどだ。けなされて滑るのと誉められて滑るのではどちらが楽しいかちょっと考えればすぐにわかるだろう。
 日本に良く行くスキーインストラクターが言っていた。
「日本のスキーインストラクターの半分は失格だな。ジョークの一つも言えない。高飛車な態度で、お客さんを楽しませるということができていない」
 まったく同感である。欧米のインストラクターはガイドもしくはホスト的な要素も含んでいる。お客さんを楽しませる術を知っている。話術も技能であり、技術論だけで押し通したりしない。
 お客さんと一緒にご飯を食べることもあれば、飲みに行くこともある。そこから先もあるかもしれない。お客さんはそれら全てを含んだサービスというものに対しお金を払う。スキーだけしていればいいというモノではない。
 それから子供に対してはあれこれ言うよりガンガン滑らせた方が上達は早い。
 以前某スキー場でインストラクターをしていた時の話である。
 子供のプライベートレッスンがあった。お客さんは7才ぐらいの男の子だった。その時はある初級コースの外れに新雪が15cmぐらいあり、試しに連れて行ってみると大喜びだった。そりゃそうだ、きれいな新雪の所を自分の足がモコモコと進んでいくのだ。それにその下は圧雪、非常に滑りやすい。転んでも新雪なので、雪まみれになってそれはそれで楽しい。
 僕は「じゃあもう一回モコモコの所へ行こうか」とさそいだし、結局持ち時間の間、僕らはずーっとそこを滑っていた。そこへ行くには多少急なところもあるし、ある程度トラバースもする必要があるが、そういったことは楽しく滑っているうちに僕が何も言わなくてもできるようになった。
 レッスンが終わり昼を食べているとその親子が戻ってきた。子供が午後も同じ先生ならスキーをやると言う。なんでも以前行ったスキースクールではインストラクターが怖くてスキーが嫌いになってしまったそうだ。ひどい話だ。
 僕は午後も全く同じように滑った。その結果、子供は満足して、親は感謝して、スキースクールの主任は機嫌が良く、僕も指名料が入り嬉しい。
 サービスとはこういうものだと思う。

 親子の場合はお金のやりとりは無いし、子供もスキーを教える人を選べるわけではない。親子で喧嘩になってしまうこともよくあることだ。
 上手く子供の興味をそっちの方へ向かわせれば物事は好転する。それにはまず誉めることなのだ。
「オマエ、上手くなったなあ。5才でこんな所滑れるヤツはいないぞ。深雪はエライ!すごい!よく頑張ってる。たいしたもんだ。よっ、世界一。」
 誉めて誉めて誉めまくる。
「みいちゃん、もっと滑る。だってスキー楽しいもん」
 しめしめだ。
「そうだ。スキーは楽しいものだ。じゃあちゃんと付いてこいよ」
 間にトラバースを入れながらターンを繰り返す。子供は理屈でなく感覚で覚えるのでみるみるうちにうまくなる。滑っている間も僕はずーっと褒め続ける。斜面の反対側のピステン道が見える場所で僕は止まった。
「よし、ちょっと休もう。いいか、あそこにさっき滑った道が見えるだろう。あれは機械でならしてああいう道をつくるんだ。その機械をピステンと言う。英語ではグルーマー、日本語では圧雪車だ。ライフォルドの駐車場にあっただろう。」
「うん、ハンマースプリングスにもあった」
「そうだ。よく見てるな」
「どうして機械を使うの?」
「滑りやすくするためさ。こんなボコボコよりもスムーズな方が滑りやすいだろ」
 深雪は素直にうなずいた。
「それに全ての人がここを滑れる訳じゃないのはわかるな」
 頷く。
「だから圧雪をしてコンディションをよくする」
「圧雪ってなーに」
「機械を使って雪をならすことだ。圧雪をしていない斜面のことをオフピステと言う」
「ふーん」
「この機械がどのスキー場にもあるわけじゃない。ライフォルドにもハンマーにもあったな。他にどのスキー場にあるか分かるか?」
「分からない。チーズマンにはある?」
「ある。オマエだって見ているはずだ。今度上がったら見てみよう。他には?」
「うーんとうーんと、ブロークンリバーは?」
「ある。だけどめったに使わない。よっぽど状況がひどくないと使わない。オマエはたぶん見たことがない。パーマーロッジの下にちゃんとガレージがあるんだよ」
「ふーん」
「クレーギーバーンもテンプルベイスンもピステンは無い。オマエが行ったことのないスキー場だ。それよりオリンパス、さっき山頂から見えただろ。あそこは無い。そのうちオマエがもっと大きくなったらそういうスキー場も連れて行ってやるからな。さあいくぞ」



 ゆっくりゆっくりと斜面を下りる。
「いいか、こういう所を滑るので一番大切なことは何か分かるか?」
「分からない」
「スピードのコントロールだ。トラバースをしていても下の方へ向かっていけばスピードは出るし、上の方へ行けば止まる」
 僕は雪の上に絵を書いて説明した。
「ターンの時にはどうしてもスピードは出る。ターンが終わった時にちょっと上に行って遅くする。止まっちゃうと次のターンがしにくいから止まらないようにスピードをコントロールして滑るんだ。こういうことができると山のどこでも滑れるようになる。あんなところもだ」
 スキー場のTバーを挟んだ反対側の斜面、ブラフフェイスは今日オープンした。その斜面を何人か滑っている。
「あそこも滑るの?」
「今日じゃないぞ、そのうちだ。オレが滑るのはああいう所だからな。オマエも大きくなれば滑れるようになるよ。それよりも見ろTバー乗り場が見えてきただろ。どうだ、もう1本いくか?」
「行く。だって楽しいもん」
「よし、じゃあ、行こう。あの乗り場まで長いトラバースをするから付いてこい」

 乗り場で再びザイルの先に深雪をつなぐ。スタッフが話しかける。
「ザイルが腹にくいこまないかい?」
「そんなひどくもないよ。2人で並んで乗るよりよっぽど楽だよ」
「このハーネスは良さそうだものな。クライミング用だろ」
「うん。ロープトーだってこれで引っ張っていくよ」
「いいねえ。気をつけていってらっしゃい」
 Tバーに乗りながら後ろの深雪に話しかける。
「ここを見ろ。きれいなすじがあるだろう」
 圧雪のミルの跡がTバー線下を通っている。人が通るところは消えているが、すぐ横はきれいな縦縞が残っている。
「このパターンは何?」
「パターンは日本語で模様だ。それを言うなら、この模様は何?」
「このモヨウは何?」
「これが圧雪の跡だ。こういう所はきれいな方が滑りやすいだろ?だから圧雪をかける。圧雪車の後ろにくっついているミルというもので雪を均すとこういう模様ができる。」
「前には大きなスペードがついているよね」
 スペードとは鋤(幅広の刃の農機具で土を耕すもの)のことだが、そこまで突っ込んで教えなくてもいいだろう。
「そうだ、よく見てるな。あのスペードで雪を動かしたり、雪の山を崩したりして後ろのミルできれいに均すんだ」
「ふーん」
 深雪は引っ張られながら、右へ行ったり左へ行ったり楽しそうだ。こうやって自然にスキー操作を覚えていく。普段はロープトーの滑車があるので引っ張られていても気を緩められない。しかしTバーの場合は滑車にぶつかる心配がないので余裕である。
「オマエ、引っ張られるのに慣れただろ?」
「うん」
「いいか?こういうのは慣れた頃が一番危ないんだからな。油断をすれば転ぶぞ。痛いのは自分だからな。自分の身は自分で守れ」
「ハーイ」
 どこまで分かっているのか知らないが、僕はことあるごとに言い聞かせている。




 2本目は速い。一度滑った斜面で自信がついたのだろう。前回より速いスピードでターンができるようになった。急斜面である程度のスピードでターンをすると足は自然に揃う。トラバース姿勢もさまになってきた。子供の成長を見るのは楽しいものである。
 去年ブロークンリバーで深雪を滑らせた時、僕はある中級コースへ連れて行った。ニュージーランドの中級コースは、日本でいえば未圧雪急斜面の上級コースである。その時4才の深雪が感心したように言った。
「とーと(父)、スキーうまいんだねぇ」
「ん?知らなかったのか」
「うん」
 僕は深雪が1才の頃から背中に背負い、あちこちの山を滑ってきた。深雪が行ったことのない山はクレーギーバーンとテンプルベイスンだけだ。新雪だってコブ斜面だって滑った。深雪のお気に入りはコブ斜面だ。ボコンボコンと楽しいらしい。
「そうかオマエ、今まで背負われてきたからスキーは簡単だと思ったんだろう。どうだ、やってみると難しいだろう」
「うん、難しい。」
「これからは自分で滑るんだからな。がんばれよ」
 自分が今まで背負われて何回も行ったことのある斜面が、自分で滑ってみると急斜面であり、急斜面でのスキー操作は難しいということを体で知る。
 自分のできないことを楽々とやる親父を尊敬する気持ちが生まれるのは当然だろう。実力の無い親は子供に尊敬されない。

 その時に比べれば格段の進歩で深雪は滑る。
 スピードをコントロールできるという安心感はターンの早さへ結びつく。あれよあれよという間に急斜面を1本滑ってしまった。
「オマエすごく上手くなったなあ。自分でも上手くなったのが分かるだろう」
「うん。みいちゃん、ピス、ピス・・・こういうボコボコの所なんだっけ?」
「オフピステか?」
「うん。オフピステ大好き。だって難しいけど楽しいもん」
「そうだな。だけどなきれいに圧雪した所でスピードを出してタイムを競うスキー、レースのスキーもあるんだよ。さっき下で練習してただろ」
 スキー場下部の圧雪バーンでは、日本からのレーシングキャンプがスラロームのセットを張り、バタンバタンとポールを倒していたのを深雪は興味深そうに見ていたのだ。
「ああいうスキーもある。オマエの知らない世界だ。」
「とーとはやったことある?」
「ああ、若い時にちょっとだけやった。だけどオレはパウダーの方が好きでなあ」
「みいちゃんもパウダー好き」
「うむ。よろしい。さていくぞ」

 下の圧雪バーンに来れば楽勝だ。スピードを出して滑るうちに自然にパラレルターンができるようになる。
「よし、よくやった。今日はもういいだろう。帰ろうか」
「みいちゃん、がんばったからお菓子たべてもいい?」
「そうだな、今日はよくやったからいいだろう」
「イエーイ」
 ご褒美だって必要だ。
「お母さんに自分で上手く滑れたことを報告しよう」
「うん」
「深雪、スキーが好きか?」
「うん、みいちゃんスキー大好き」
「又行きたいか?」
「うん。又行く。」
 人間の将来というのはどうなるか分からない。
 だから人生が面白いのだが、今の所僕が『こうなって欲しいなあ』と思うように深雪は育っているし、『こういうオヤジになりたいなあ』と思うようなオヤジに僕はなりつつある。
 妻の待つ家へボクは車を走らせた。
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ワールドカップ

2010-07-06 | 日記
最近はワールドカップの話題が多いので、自分も一つ書こうと思う。
今回のワールドカップはまだ何も見ていない。
テレビが無いのと、時間が合わないのが理由だが、1試合も見ていない。
ニュースで結果を知るくらいで満足してしまっている。
でもサッカーは好きです。
何て言ったってサッカーの町、日本のブラジル清水出身ですよ。
子供の頃から休み時間はサッカーだったし、レベルの高い試合も数多く見る機会があった。
高校の頃、清水商業でサッカーをやっていた友達が言うには、全国大会で優勝するより静岡県の大会で勝つ方が難しいと。
当時はまだJリーグが始まる前で、国内のサッカー人気も高くなかった。
トヨタカップのチケットをダフ屋から1000円で買って見に行った記憶もある。
ボク自身、ワールドカップで一番盛り上がったのは86年のメキシコワールドカップだった。そうか、もう24年も前の話なんだな。
技のプラティニ、スピードのマラドーナ、総合力のジーコ。
その他、ソクラテスなんて哲学者みたいな名前の選手もいたし、スペインの星ブトラゲーニョもいた。リネカーもその時の選手だったかな。
フォークランド紛争直後のイングランド対アルゼンチンという因縁の対決もあったが、一番印象に残ってるのはフランス対ブラジルの死闘だった。
その大会ではマラドーナの5人抜きもあったし、神の手もでてきてアルゼンチンの優勝だった。
夜遅くまでテレビで見て、サッカーってなんて面白いんだと思った。

90年のイタリア大会は、好きだったオランダが嫌いなドイツに負けて、その嫌いなドイツが優勝した。前回ほどの感動はなかった。
94年のアメリカ大会でワールドカップはショーになってしまった。
この大会で一番記憶に残っているのは開会式だ。
さすがショービジネスの国、開会式も派手で大物の歌手や有名人が出てくるのだが、ダイアナ・ロスが歌を歌いながらPKを蹴る場面があった。
筋書きでは彼女がPKを蹴る。キーパー横っ飛び。ボールがネットに刺さる。ゴールが真っ二つに割れて花火がドカーン。
実際にはダイアナロス、PK外しちゃいました。
ボールは空しくゴールの横をコロコロ転がって、その後ゴールが二つに割れて花火がドカーン・・・・。
あーあ・・・。
まあプロの選手だって外す事はあるんだから、ダイアナロスだって外すわな。
あまりにバカバカしくて大爆笑しちゃいました。
あの大会からワールドカップは変わった。
イタリア大会ぐらいまでも確かに大金は動いていたけれどショービジネスではなかった。
国の名誉の為に皆やっていた気がする。選手もサポーターも。
今の人が国の名誉の為にやっていない、と言っているわけではない。
だが明らかにお金とかビジネスとかが占める割合は過去より多い。
サッカーのワールドカップではサッカーを見たいんだ。
ダイアナロスの歌を聴きたければコンサートに行けばいい。
これはサッカーのワールドカップだけではない。
オリンピックだってそうだ。
ロス・アンジェリスのオリンピックより前は候補地が決まるのにこんなバカ騒ぎはなかった。
それがロスでやって、いくら儲かったという話が出た後は誘致合戦だ。
資本主義ってやつを現しているじゃないか。
世界のトップクラスのスポーツを見るのは楽しい。
その思いを逆手にとって政治に利用しているヤツがいる。金儲けの道具にしているヤツがいる。
だからボクはオリンピックもほとんど見ない。
ワールドカップも見ない。
でもでもサッカーは好きです。だって面白いもん。
だから南米に行った時はブラジル、アルゼンチン、チリ、ウルグアイでそれぞれのトップのクラブチームの試合を見に行った。
当たり前だけど、生で見るというのはテレビで見るのと全然違うのだ。
ペルーでは標高4000mの村で酸欠でフラフラになりながら、地元の子供に混ざって草サッカーをした。
世界中で一番プレーされているのがサッカーという話もうなずける。ボール一個でどこでもできるし、上手くなればゲームの組み立てや戦術など、シンプルなだけに奥が深いスポーツだ。

ワールドカップと言えばニュージーランドからも今年は出ていて、予選リーグ3引き分けで決勝トーナメントには進めなかった。
それでも人口400万人の国で大したものである。
どこの田舎の学校に行ってもラグビーのゴールポストが必ずあるし、子供のほとんどがラグビーをやるようなこの国でねえ。それがスゴイ。
そのニュージーランドチーム、アマチュアが3人いるとのこと。これがもっとスゴイ。
実にニュージーランドらしいじゃ、あーりませんか。
他の国の人はぜーんぶプロ。その中で無所属というのが3人。
無所属って・・・。普段は何しているんだろう。
まあ、かなり長い時間サッカーに費やしていることは確かだけど、普段はファーマーだったりしたらもっと面白い。
まるで昔のオールブラックスみたいじゃないか。

ニュージーランドでは来年ラグビーのワールドカップが開催される。
これも時代の流れなんだろう。ショービジネスになっている。
ボクが初めてニュージーランドに来た年、1987年。
第一回ラグビーワールドカップがニュージーランドで開催された。
その時はオークランドにいたので準々決勝と決勝をイーデンパークに見に行った。
チケットは40ドルぐらいだったと思う。
決勝ではオールブラックスが圧倒的な強さでフランスを破り優勝した。
その時はプロリーグが始まるはるか前で、パンフレットの選手紹介に職業という欄があり、メカニックとか医者とかファーマーというような言葉が並んでいた。
金のためではなく、純粋にラグビーをやっていた古き良き時代の話だ。

乱暴な話をしよう。
ボクの考えでは、オリンピックもワールドカップも一回やめるべきだ。
そして金とか政治とかそういうドロドロした物を一切合切取り払って、純粋に国や民族の名誉をかけて競技をするべきだと思う。
その時は全力を尽くして戦うけれど、終わった後はノーサイド。
勝ちも負けもなく、みんなで一杯やっか、という話だ。
スポーツというもの自体、勝ち負けがあるわけで、勝てばうれしいし負ければ悔しい。
だからこれだけ盛り上がるわけで、ずいぶんと矛盾した話だ。
けれどこれからの世界が向かっていく方向としては、こうではないかと思うのだ。
いかがかな?
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国家の品格 ミクシー日記より

2010-07-01 | ミクシー日記
国家の品格 2007年3月22日


 日本から本が届いた。
『国家の品格』という本である。
 読んでみて驚いた。
 今まで自分が疑問に思っていた事の答が全てそこに書いてあった。
 文明というものへの不信感。アメリカという国家の行動。金というもの、及び金で買えるもの全てについて。
 同時に今まで自分が歩んできた道、信じていたものが間違っていない事もそこに書いてあった。自然への敬愛。自分自身の存在価値。人間が生きるということ。精神性を高めるということ。

 小学校の低学年の頃だったと思う。
 同じクラスに生意気な女の子がいた。腕白坊主の僕にいつもうるさく言う女だ。口喧嘩ではとうてい男は女にかなわない。
 ある日僕はその女の子をひっぱたいた。腕力なら男の方が強い。
 案の定その子は泣き出して、僕は憎らしい女をやっつけた満足感半分、あんなに憎らしかった女がメソメソ泣いておとなしくなってしまった驚き半分で家に帰った。
 家では親父が待っていた。
「おい、今○○という女の子から電話があって、オマエにいじめられたというが本当か?」
 あのやろう、告げ口しやがって、と思ったが僕は素直に言った。
「うん、生意気だったから、やっつけたんだ」
 親父は僕と向かい合わせに座ると言った。
「女に手を出すなんて卑怯者のやることだ。そんなことは絶対にダメだ」
「だって○○は生意気なんだよ。僕ばっかにケンカをふっかけてくるし」
「生意気だろうが、むこうからケンカを売ってこようがダメなものはダメだ」
「じゃあ、どうすればいいのさ」
「オマエが我慢しろ。どんな理由があろうと、男が女に暴力をふることはダメなことだ。男は女より力が強い。力の強い者が弱い者を叩くのは卑怯な事だ。だからダメだ。分かったらその子の家に行って謝って来い」
 僕はしぶしぶその子の家に行き、謝った。さっきまでのケンカ相手にイヤミの一つでも言われるかと思ったが、その子は黙って僕を見ていた。
『チクショー、たかが1回2回ひっぱたいただけでこんなに面倒臭いことになるなら、これから絶対、女なんて叩くものか。男は損だな』
 子供心にそう思いながらトボトボと家路に着いた。
 それ以来、僕は女に手をあげた事は無い。
 妻とどんなに喧嘩をしようと、座布団を蹴っ飛ばすぐらいはするが手を上げたことは無い。
 親父が母に手を上げるのを見たこともない。それはそうだろう、もしそんなことをしたら自分が言った「絶対にダメ」という理屈を否定することになるのだから。
 親が自分の考えを押し付けるには、親が見本とならなくてはならない。そうでないと言葉の意味がなくなってしまうからだ。
 女に手を上げたことが無い、と書いたが一度だけあることを思い出した。相手は娘である。
 娘が2歳になる前だ。食事中、食べ物を遊んで投げた事がある。
 幼児のやることである。何が良くて何が悪いのか、まだ分かっていない時だ。
 僕は激怒して来客の前で娘の手を思いっきりひっぱたいた。娘の手は腫れ上がり、娘はワンワン泣いた。
 食べ物を粗末にする奴を僕はゆるさない。そういう人を僕は人間として信用しない。なぜなら僕がそうやって育ってきたからだ。
 人は誰でも完璧ではない。冷蔵庫の奥に入れたのをうっかり腐らせてしまうことだってある。
 母はそんな時に悲しそうに、申し訳無さそうにゴミをすてていた。
 戦争中、食べる物が満足にない時を生きてきた人の哀しみだったのだろう。
 これもまた小学校の頃の話である。
 朝ご飯の時に僕はうっかりマヨネーズを出しすぎてしまった。結局使い切れずに皿に残した。
 晩飯の時でも朝のマヨネーズはそのまま残って僕の目の前にあった。親父はそれを食べるまで頑として僕に夕飯を食べさせなかった。1日置いたマヨネーズはまずそうだったが、僕は泣きながら食べた。
 魚を残せば、「命懸けで漁に出ている人に申し訳ないだろう」と言われ、米粒を残せば「目がつぶれる」と言われて育った。
 だから僕は食べるということに真剣である。
 素材の旨さを引き出す調理法が好きだ。


 食べ物を粗末にしない
 弱いものいじめをしない
 人を殺さない

 これらの言葉に『何故?』はない。
 ダメなものはダメ。誰がどう言おうとダメ。絶対にダメ。問答無用にダメ。ダメといったらダメなのだ。
 国家の品格にはそういった道徳心のことについても書いてある。
 僕の好きな言葉、ボブデュランの言葉である。『君の立場で言えば君は正しい、僕の立場で言えば僕は正しい』
 これは前にあげた道徳心というものが根底にあってなりたつものだ。
 殺人が当たり前の狂人にそんなことを言ったら、そいつに殺されてしまう。
 親が子供に道徳心を教えるには、親に道徳心があり確固たる信念がなくてはならない。

 久しぶりに良い本にめぐり会えて、いろいろ考えてみた。
 この本の考えがこれからのこの世を救う事になるだろう。
 この本を読むことを強く勧める。
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