あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

看護婦

2016-05-30 | 過去の話
これは10年以上前に書いた話だろうか。
今はさすがに当時ほどカンゴシという言葉に違和感を覚えないが、今でもなおしっくりくるのはカンゴフの方である。


ある仕事で新婚旅行のお客さんに会った。
20代ぐらいの新婚旅行だと2人でイチャイチャしてガイドのボクが困ってしまうような人もいるが、今回のお客さんは落ち着いていて感じが良い。
旦那はボクと同じ年ぐらいで物静かなタイプである。
奥さんは30代前半ぐらいのきれいな人で、夫婦ともにとにかく落ち着いたという感じのカップルだった。
イチャイチャバカカップルのように常に2人でいて会話が2対1というのではなく、2人が各自きっちりと人格を持っているので人間として対等の立場で話ができるのがよかった。
ボクはブナの森を案内しながら彼女に聞いた。
「失礼ですがお二方は新婚さんでしょうか?」
「ええ、と言っても8年以上もつきあいはあるんですけどね」
「へえ、そうなんですか」
きっと忙しい仕事をしている人なんだろう。
「お仕事は?」
「看護師です」
「カンゴシ?ああ、看護婦さんでしょう。ボクは看護師という言葉がきらいでね。昔からずーっと看護婦でやってきたのだから看護婦でもいいでしょうに、ねえ。第一現場でやっている人はそんなの気にしていないでしょう。そんなくだらないことを言うのはウーマンリブとかさけんでいる人なんでしょ?」
「ええ、まあ、そうですね。スエーデンあたりでは○○シスターなどという言葉があって男性の看護師もそう呼ばれるんです」
日本と逆である。社会のレベルが高いとこうなる。
男と女は違う生き物である。個人差はあるが、男の得意な分野があれば女の得意な分野もある。
看護という分野に関しては女が断然優れている。看護婦で何が悪い?
社会的な権利において男女は平等であるべきである。
例えば選挙権、学生となる権利、仕事をする権利などだ。
だが男と女が全て何でも一緒の権利を持つ考えに間違いがある。立ちションをする権利はどうなる?
女にだって子供を産むという男には逆立ちしたってできないことがあるじゃないか。
今、看護婦という美しい言葉はなくなりつつある。
せめて看護師などではなく、つい最近まで一般的でなかった男の方を看護夫とすれば読み方はカンゴフで今まで通り問題はないだろうに。
こんなつまらぬ事に余計なエネルギーを使っているので物事の本質が見えてこない。
「じゃあ旦那さんは?」
「医者です」
「ナルホドね。ボクはスキーパトロールをやっていましたから、けが人を送る方だったんです。雪山では基本的に何もできないから、とにかく固定して運ぶだけです。『あーあ、これからお医者さんや看護婦さんがこのねじれた体とか飛び出した骨を治すんだ。大変だなあ』とか思いながらね」
「いえ、現場の人は大変ですわ」
「お互いに現場じゃないですか」
「そうですね」
「専門は?」
「ICUです」
ボクはアルファベットが並んでいるのは苦手だ。
「へえ・・・ふうん・・・そのえっと何でしたっけCPUですか?」
「ICUです」
「それそれ、それは一体何ですか?」
「集中治療室ってことです。急患や交通事故などの緊急の時のものです」
「そうですかあ、じゃあ旦那さんも?」
「はい同じです」
「それは大変な仕事ですね」
大都市の病院の集中治療室なんて、それはスキーパトロールとは比べものにならないぐらい血なまぐさいものを見ているだろう。
それと同じくらい人の死というものも見ているのだ。
死とは何だろう、生とは何だろうという答の出ない質問を繰り返してきたに違いない。
2人に落ち着きがあるのはそこから来ているのだろう。
「それよりガイドさんも大変じゃないですか。私達みたいな素人を案内して」
自分が何者かを知っている人、とある分野で秀でた者は自分の事を簡単に素人と言える。
確かに山の世界では素人だが医療の世界では彼等はプロだ。
その強い自信は素直に自分を見つめている。強い人でもあるのだ。
「全ての人が知識や経験を持てるわけではないですよね。でもお二人のように自然を楽しみたいという人はたくさんいます。その為にガイドはいるんです」
「ガイドになる条件は?」
「ガイドの条件とは資格もありますが、先ずガイドが楽しむこと。ガイドが楽しめなければお客さんだって楽しめないわけです。だから申し訳ないけど、今この時もボクはお二人より楽しんでいます。楽しむためには時には知識も必要ですから、それを分け与えるのがガイドだと思っています」
彼女は静かに頷いた。
美人が素直に頷くというのはなかなかいいものだ。
この美しさは彼女の内面からきているものだろう。
ボクは看護婦や医者といった職業を尊敬する。
職業を尊敬するのであって、個人ではない。
中には金もうけや出世欲に目がくらんだ医者もいるし、自分のことしか考えない看護婦だっているだろう。
でも、もちろんいい人だってたくさんいる。
純粋に『人を助けたい』という気持ちを持ち続け、現場で働く人をボクは尊敬する。
もちろん仕事となれば常にお金はつきまとうが、それ以前に働くことの原動力に愛がある職業は立派だと思う。
時には職種というものが個人の人格を作っていく場合もある。
消防士や救急隊も立派な仕事だ。人の為に自分の身を危険にさらす。
家族とか友人とかの為ならともかく、赤の他人のためにそれをする。
これはなかなか出来るものではない。愛に基づいた職業である。
人間がどういった職業を選ぶかはその人の自由である。
中にはやりたくないことを仕事にしてしまうこともあるが、それもその人が決めたことなのでボクの知ったことではない。
それよりも自分でその道を選び、第一線の現場で働く人はいい顔をしている。
厳しさと優しさが同時にあり、人生の深さを知っている顔なのだ。
ボクは今までボクが出会ったり友達になった看護婦さんの事を思い出しながら森を歩いた。
こういう仕事もいいもんだ。



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よー、そこの若いの

2016-05-27 | 日記
先日、タイが我が家へやって来た。
タイは今年からマウントクックで山岳ガイドとなった。
僕の仕事もそうだが山岳ガイドもこの時期は全く仕事がない。
いわゆるオフシーズンである。
このオフシーズンにオーストラリアにクライミングトリップへ行くのだというので我が家に車を置きがてら1泊した。
肴を作りながら酒を飲んでいる時にふと思った。
「なあ、タイよ、何か音楽が欲しいな。何かかけてくれ」
「そうっすね、こんなのがありますよ」
ボーズのスピーカーからギター一本で唄う男の声が音楽が流れてきた。
曲調はシンプル、いわゆるフォークソングである。
この男の声が良い、そして歌詞が良い。
僕は一発で好きになってしまった。
「おお、いいなこれ。何て人?」
「竹原ピストルっていうんですけどね、最近では珍しいシンプルで骨のあるフォークなんですよ。」
確かに骨があるロックのようなフォークだ。
「竹原ピストルね覚えておこう」
彼の歌声をバックにその晩はいつものようにへべれけに酔っ払ってしまった。

翌日の朝早く、タイは出かけていった。
僕はネットで昨日のシンガーを探そうとしたのだが名前が思い出せない。
何だっけなあ山本ロケットだったかなあ、と検索したけど出てこない。
うーん福本ロケットだったかな、いやこれも違う。
だめだこりゃ、とタイにメッセージを送って教えてもらう。
「なあ、昨日のフォークの人の名前なんだっけ?」
「竹原ピストルです」
「竹原ピストルかあ、山本ロケットで探しても出ないわけだな」
「そりゃ出ないですよ!」
その通り、山本ロケットで検索して竹原ピストルが出てきたらそっちの方がおかしいのだ。
とにもかくにもユーチューブでいくつか見てみた。
やっぱりいい。
風貌も坊主頭にひげ面だったりして、僕にどことなく似ている。
歌を唄っている時はバリバリ硬派っぽいのだが、歌が終わってMCになると妙に優しくなる。
そのギャップもいい。
いくつか聞くうちに一つの歌に引き込まれた。
それが、『よーそこの若いの』という歌だった。
心が揺さぶられた。
本人には無断で引用させてもらう


よー、そこの若いの   

とかく忘れてしまいがちだけど とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば桜やらひまわりやらが特別あからさまなだけで季節を報せない花なんてないのさ
よー、そこの若いの 
俺の言うことをきいてくれ
「俺を含め誰の言うことを聞くなよ」
よー、そこの若いの 
君だけの花の咲かせ方で 君だけの花を咲かせたらいいさ

とかく忘れてしまいがちだけど とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば芸能人やらスポーツやらが特別あからさまなだけで必死じゃない大人なんていないのさ
よー、そこの若いの 
こんな自分のままじゃいけないって頭を抱えてる そんな自分のままで行けよ
よー、そこの若いの
君だけの汗のかき方で 君だけの汗をかいたらいいさ

よー、そこの若いの 
俺の言うことをきいてくれ
「俺を含め誰の言うことを聞くなよ」
よー、そこの若いの 
君だけの花の咲かせ方で 
君だけの花を咲かせたらいいさ
君だけの汗をかいたらいいさ



ふう、どうでしょう。
これをギター一本で唄うのだ、かっこいいぜ、竹原ピストル。
この「俺を含め誰のいうことも聞くなよ」というのが自分が言いたいことでもある。
この歌のことで彼が言っていた。
「年輩の人などにあれやこれや言われ、言っていることは全くごもっともなことなんだけど、そのままで行ったらつまらない。自分はこういうやり方でやってやるぜと」
僕も若い時にはいろいろ言われた。
年輩というだけで尊敬もできないような人に説教されたこともあったし、社会的地位が高いだけでふんぞり返って威張っているヤツに目の敵にされた。
もちろんそれ以上に尊敬する人、大好きな人との出会いもたくさんあった。
好きだった先輩の言葉をそのまま自分が使ったこともあるし、心に残った言葉を実践したこともあったが、基本、自分は自分なりにやってきた。
気づいてみればワーホリでニュージーランドに来て30年近くの年月が経ち、クラブスキー場に出入りする人の中ではいっぱしの顔になった。
日本人という狭い枠で言えばの話なのだが、僕の前に人はいなく道はない。
敷かれたレールの上でなく、自分が自分のやり方で道を切り開いてやってきて、それは今も続く。
ある友達は僕のことを開拓者、パイオニアと呼んだ。
なるほどそう言われてみればそうかもしれない。
そうやって突っ走ってきた自分もいつのまにか後ろから人が来るようになった。
若い世代に酔った席で偉そうに話をする自分もいる。
それでもやっぱり言いたいのは僕の言葉を鵜呑みにするなということか。
聖さんが言ってたから、聖さんがブログで書いてたからでは何も始まらない。
僕の言葉など酔っ払いのたわごと、僕のブログなど便所の落書き。
「俺を含め誰の言うこともきくなよ」
なので僕は人に、あーしたらいいよとかこれをやりなさい、ということを一切言わない。
僕は君自身が決めて行動することを応援する。
なので若い世代に言う言葉はいつも同じ
「どんどんやりなさい」
これは自分に言う言葉でもある。

そんな竹原ピストル。
この人のライブを生で見たいな。
見たらきっと泣いちゃうだろうな。
久々に音楽で感動した話でした。





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永住権

2016-05-21 | 
僕たちニュージーランドに住む、と言うか海外全てそうなんだろうけど、避けては通れない問題でビザの件がある。
小麦粉を練って薄く焼きその上にチーズなどの具を乗せて焼く食べ物ではないぞなもし。
パスポートにポンと押される、最近ではシールになっている書類のビザの話だ。
そもそもビザなんてものは国境があるから存在する問題で、僕の最終ビジョンには国境はないのでパスポートもないしビザも戸籍登録も住民票もない。
今の世は人間が国境を決めて、それであーだこーだやっている。
なんともはや人類というのは無駄なところにエネルギーを使っているものだ。
これだって原因を突き詰めていけば欲、利権、エゴという人の心にあり、政治、経済、教育、食、宗教、全てが絡む話なのだ。
政治家が悪いと言って人を指差していれば済む話ではない。
誰も悪くないし誰も良くない、自分を含めた全ての人に責任はある。
また話が脱線して違う方向に行きそうだな。
話を戻して、イタリアに立っている傾いた塔の話だったっけ?
しつこいね、ビザの話である。
ニュージーランドの場合、ほとんどの人は最初は観光かワーキングホリデー、そしてワークビザ、最終的には永住権を取ってここに住む。僕もそうだった。
この永住権というやつがやっかいもので、ほとんどの人はこれで苦労する。
苦労するのだが中には苦労しない人もいる。
友達のタイは1週間で取れたし、サダオもあっという間に取れた。
昔は住所があって仕事をしていればワーホリだろうが不法就労だろうが永住権を貰えた時もあった。
僕の場合は女房がすでに持っていて、結婚をして永住権をもらった。
僕がやったことといえば簡単な健康診断だけだ。
そうやって簡単に取れました貰えましたでは話が終わってしまう。
そこはそれ、話を盛り上げるためにえーちゃんに登場してもらおう。

北村家二軍筆頭のえーちゃんは以前にもこのブログのどこかに出てきているはずだ。
マウンテンバイクで骨折したり、買ったばかりの車で事故ったり、ブロークンリバーのロープトーにぶつかって肋骨を折ったり、バンジージャンプに行って一緒に行った女の子は飛んだけど自分は飛べなかったり、と言った武勇伝は数知れず。
自分が痛い思いをしてネタになる、おっちょこちょいでお人よし、落語に出てくる与太郎のような存在のえーちゃんである。
えーちゃんと一緒に住んだのは9年ぐらい前になるか、男3人で絶景の一軒家をシェアした時があった。
その時からえーちゃんはおみやげ屋さんで働いていたのだが、彼の英語力はひどいもので「ここに住んでいてそれはさすがにヤバイでしょ、えーちゃん」というレベルだった。
それでいて日本人以外のお客さんにも接客してしまうのだから、人柄と言うか心と心と言うか、まあコミュニケーションというものはなんとかなってしまうのだ。
ちなみに英語がからっきしでも友達が多い人はいるし、英語がペラペラでも友達がいない人もいる。
結局は人柄、人間性なのだな。
そんなえーちゃん、この国に惚れ込みここに住みたいと永住権を取ることにした。
それはいいのだが、取るにあたり電話でビザの係の人と対応しなくてはならない。
その時の事はまさに『お話にならない』ような状態だったようだ。
面と向かって話をすれば、目と目が合い心と心が繋がるえーちゃんのコミュニケーション能力も役人相手の電話ではどうしようもならない。
そこから彼は英語の猛勉強。
それまでは夜型の生活だったのだが、朝早起きして仕事前に英語の勉強をするという生活に切り替えた。
英語圏に住んでいながらわざわざフィリピンに行って英語の勉強をする?という努力を繰り返し、なんとか英語力もあがった。
ビザの審査に落とされては再度申請をしてと、そこには涙ぐましい努力があった。
「えーちゃんは取れるよ、ただしそこまでにはかなり険しい道のりがあるけどね」と予言すれば
「そうなんですよね、俺もそんな気がするんですよ」と返ってくる。
その言葉通り、山あり谷ありの苦節8年半。
一緒に住んでいる彼女も同時に申請した。
去年の暮れに飲んだ時には、コンピューター上では一応OKが出た、今は向こうからの連絡待ち。
あとはパスポートを送れという手紙が来るはずだと。
「コンピューターではOK出てもねえ、『ゴメンゴメン、やっぱ間違いだったよ、悪いけどもう一度これをやってくれる?』なんてことはあるかもね」
ワインを飲みながらそんな話をしたら「そうなんですよね、この自分なのでそんな笑えない事が起きそうで怖いんですよ。やはりこの目で見るまでは安心できないんですよね。」
今まで散々痛い思いをして笑い話のネタを作ってきたえーちゃんの言葉は信憑性がある。
夏が終わり、クライストチャーチに帰ってくる前に、彼の家でシーズン終わりの酒盛りをした。
「いよいよビザがおりましてパスポートも郵送されて、今日明日中には着くと思うんです」
「じゃあいよいよだね、今夜は祝杯かな」
「そうっすね、でも自分のことなので、やはり最後の最後まで自分の手にとってみるまで安心できないんです」
「そうだよなあ、えーちゃんのことだからな。郵便の車がどこかで事故にあってえーちゃんのパスポートだけが湖の底に沈んじゃったとか、他の郵便に紛れてパスポートがどこかへ行っちゃったとか」
「そうならないことを祈ります」
そんな感じでその晩は遅くまで飲んだ。

翌日の朝、僕が自分の荷物を車に運んでいる時のことだった。
黄色い郵便配達の車から人が降りてきて、その場に居た僕が包みを受け取った。
これってひょっとすると・・・
「おい!えーちゃん、来たぞ来たぞ!」
えーちゃんが包みを開き、パスポートを取り出しビザの確認。
彼女と喜びを分かち合う、感動の瞬間である。
「おめでとう!えーちゃん、ついにやったね」
「ありがとうございます。これもひとえにひっぢさんのおかげです。」
「いやいや、俺は何もしていないって」
えーちゃん曰く、ニュージーランドに来てから、人生の節目ごとに何らかの形で僕が居たり現れたりするんだそうな。
今回も又、感動の瞬間に居合わせたということだ。
たまたまそうなった、の『たまたま』は必然の流れ。
今までがんばってきたのもこのためにある。
山にたどりつく道のりが険しく長く辛いほど、登頂した喜びは大きい。
それはその人にしか味わえない感動である。
「永住権を取ることがゴールになってはいけない」という台詞はきっとイヤというほど聞いてきたことだろう。
それを分かっているえーちゃんはスタート地点に立った、と言った。
確かに新しいスタートでもある。
就労ビザでは決められた場所でしか働けないが、永住権があれば法律上はどこででも働ける。
実際に望んだ会社に雇われるか、望んだ場所で働けるかどうかはこれまた別問題だが。
少なくとも世界は開けた。
それに今までそれを取るために費やしたエネルギー、それはお金であったり時間であったり精神的な余裕であったり、膨大なものだろう。
そのエネルギーを別のことに使うことができる。
いずれお店をやりたいというえーちゃんはそのエネルギーを使いお店をもつことだろう。
ただしえーちゃんのことだから、紆余曲折山あり谷ありだろうが。
それでも精神的なストレスからは開放され気持ちに余裕ができるのも間違いない。
スタートに立ち、何をやるか。
何をするのも自由だし、何もしないのも自由である。
あとは本人次第であろう。
嬉しそうなえーちゃんを後に僕はクライストチャーチの家に帰ってきた。
そう言えば、今シーズンえーちゃんとフリスビーゴルフの勝負をして、何年ぶりかにえーちゃんに負けた。
えーちゃんの連続敗戦記録40ぐらい(数えるのがバカバカしいから数えない)を止めたのも、何かお告げのようなものだったのかもしれないな。

嬉しいことは続くものである。
オークランドに住む友達Mも永住権が取れたというニュースが入ってきた。
彼はクライストチャーチの地震の後で知り合った。
しばらく同じ会社で働き事、事あるごとに我が家へ遊びに来ていたが、ビザが下りず日本へ帰っていった。
日本へ帰ってからももやり取りは続き、去年日本へ行った時には浅草で寄席、屋形船、彼の高級マンションのレインボーブリッジを見下ろす最上階のペントハウスでお泊りとフルコースの歓待を受けた。
そんな都会の生活をしていた彼もニュージーランドの夢を捨てきれず、再びやってきてオークランドで仕事を探し、今回の永住権へ繋がった。
そのニュースを聞く前、4月の終わりに彼がクィーンズタウンへ遊びに来た時には一緒に部屋で飲み、「1年前はねえ」などと話をしたのだ。
彼の場合はかかった期間は4年半、えーちゃんの8年半にはかなわないが、長ければスゴイという話でもない。
そこで人と比べることに意味はない。
その人にはそれぞれのドラマがあり、自分の決断と行動、心の葛藤、人との縁、もろもろのタイミング、全てが揃い喜びの瞬間がある。
ビザが取れたら嬉しいのは当たり前だが、それを取ることは成功で取れなかったら失敗か、と言うとそうでもない。
そこで成功と失敗と区別することが間違っている。
勝ちと負けとに分けて考える世の風潮と似ているな。
我が家を訪れた人の中には、ビザがどうしても下りずに日本へ帰っていった人もいる。
僕が彼らに説いたのは、きっと日本でやるべきことがあるのだろうと。
そのうちの一人とはこの前日本で会ったのだが、生き生きとして北海道の生活に溶け込んでいた。
ここでなければ幸せではない、と言うのは何か間違っている。
ここでなければ幸せでないと言う人はどこに居ても幸せになれない。
ここに居ることが当たり前になってしまい、それがどんなに恵まれているのか気づかない愚か者にはなりたくない。
どこそこに住むというのは自分の意思はもちろんあるのだが、導かれてその場に来ることもある。
本人の意思さえも本人が気づかないまま大いなる流れの一環かもしれない。
たまたま偶然は全て必然。
僕がここにいるのも、あなたがそこにいるのも全て必然。
これもご縁というものだろう。
そうやって縁があった場所で、人として自分がやるべきことをする。
それこそがこの世に生まれてきた人生の意味なのだろうと思うのだ。













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季節ごとの仕事

2016-05-12 | 日記
忙しい夏が終わった。
僕の仕事は季節によって波がある。
季節の移り変わりを体で感じる仕事とも言える。
忙しい時はめちゃめちゃ忙しいがヒマな時はとことんヒマだ。
一年中忙しかったらストレスやらなんやらで体調を崩すだろうし、また一年中ヒマならそれはそれで困ってしまう。
やはりバランスというものが大切なのだろう。
今年の夏は忙しく、自分の山歩きが全くできなかった。
いつもなら年に一回ぐらいプライベートで泊まりがけで山に行けるのだが、今年はその機会もなかった。
去年はガートルートサドルへ行った。
今シーズンも何回かミルフォードサウンドまで行き、このサドルを見上げて去年のこの時を思い起こした。
瞬間の感動というものは消えてなくなってしまうものではなく、永遠に持続する。
それには決断そしてその後の行動。
それら全てをひっくるめたものを経験と呼ぶ。
経験とは財産であり、それは個々の人間を成長させる。



なにはともあれ夏シーズンが終わった。
たくさんのチップをいただき、不本意ながらクレームもいただいた。
思い出に残るお客さんとの出会いもあったし、二度と会いたくない人もいた。
出会うのは人だけではない。
今年は珍しい鳥にもあった。
ブルーダックと呼ばれる鴨はマオリ語でフィーオと言い、10ドル札の裏に印刷されている鳥である。
鴨というとどこにでもいるイメージだが、この鴨はニュージーランドで4000羽ぐらいしかいない絶滅危惧種である。
ブルーダックと言っても真っ青ではなく灰色がかった青という感じの色だ。
人が来ると流れに沿ってすーっと逃げてしまうそうでルートバーンにいるとは聞いていたが見たことはなく、僕は動物園でしか見たことがない。
ある日お客さんと歩いて休憩をしようと川原へ出てみたら一羽の鴨がすーっと動いて川の真ん中の流木に止まった。
こんな所に鴨なんて珍しいなと思ったが、よくよく見てみると噂のブルーダックだった。
僕らは鴨を驚かさないように大声を出さず距離を取って存分に眺めた。
鴨は逃げることもなく流れの中にある倒木の上にたたずむ。
人間が流れの中に入って来ないと感じたのか警戒心を持ちつつもその場でじっとしていた。
その距離わずか3m、10年以上ガイドをしているがこんな経験は初めてだった。
再び歩き始めて5分後に反対方向から来たガイド友達のサダオに出会い、その事を伝えると彼はカメラを出して一目散に走っていった。
僕のお客さんもそれを見てどれぐらいその鳥が珍しいのか気づいたようだった。



いつもならば4月の頭には仕事が薄くなりそのまま終わってしまうのだが、今年は忙しくゴールデンウィークまで働いた。
そういえば去年の今頃は日本をあちこち飛び回っていたのだなあ。
東京で寄席、屋形船、そして高層マンションのペントハウスと案内してくれた友達がクィーンズタウンに遊びに来て、一緒にワインを飲み、今度は僕がその彼をここの森に案内した。
日本で偶然といえば偶然だし必然といえば必然の出会いの星子がニュージーランドに来てともに濃い時間を過ごした。
ヤツとの数日間の話をブログに書こうと思っているのだがあまりに濃すぎて何をどこからどこまで書けば良いのか収拾がつかないでいる。
そんなこんなで夏は家の事がなにもできなかったのだが、この時期は集中的に家の仕事をする。
庭の土作り、秋冬物の野菜の種まき、壊れたフェンスの修理、倒れかけた木を切る。
半年に一度の石鹸作り、ニワトリも卵を産まなくなったのは絞めて若いヤツを何羽か買おうか。
そうそうビールも次のバッチを仕込む時だ。
それに加え夏の片付けと冬の支度と、やることはいくらでもある。
ガイドの仕事も家の仕事も同じくらい大切な仕事である。
この季節ごとに変化のある仕事がなかなか好きなのだ。






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